二日経った。  
桃姉の締切詐欺からなんだかんだもうそれだけの時間が過ぎている。  
結局あの日、俺は桃姉の安アパートまで行くだけ行ってみた。すぐ近くのスーパーまで来ていたのだし、とにかく一度桃姉と話したかったからだ。  
しかしいくらインターホンを鳴らしても応える声はなかった。  
正確には部屋の中で何か暴れるような音がしていたのだが、恐らくそれは出ようとする桃姉と阻止しようとする柿沼さんの争う音だったのだろう。  
仕方なく合鍵を持っている俺は、強引に中に入ろうとした。しかし部屋の鍵は確かに開いたはずなのに、なぜかドアが開かなかった。多分、鎖か何かで物理的にドアを固定していたのだろう。  
よくよく考えれば柿沼さんほどの人ならば、俺に連絡を入れた時点でその程度の対策はとっていておかしくはない。  
とにかく俺は部屋に入ることもできず、かといって中と連絡を取る手段もなく、一時間ほどその場でなす術なく立ち尽くしたまま、その日は家に帰ったのだった。  
そして二日経った今日――。  
「死んでるな、栗原……」  
クラスメイトの西田が俺の惨状を見かねて声をかけてきた。  
「桃姉と……もう、五日も会えてない……」  
「お前、その幼馴染のおねーさんとなんかあった時がわかりやす過ぎるな……」  
確かに二か月前、桃姉と付き合う前に疎遠になってしまったが、あの時もこんなヘコミ具合だった気がする。つくづく自分が桃姉中心で動いてるのだと思い知らされた。  
「元気出せ、春生。要はその小説の原稿が終われば会えるってことなんだろう?多く見積もっても一週間もかかることでもないと思うが」  
大野も励ますように声をかけてくれる。西田と違い理知的なこの友人は流石に状況を冷静に見ていた。  
桃姉の原稿はすでに締切を過ぎている。もしこの状況で一週間以上も原稿の完成が遅れれば、その時はもう掲載誌に載せることは限りなく難しいだろう。いわゆる『落とした』事になるはずだ。  
だからこそ、柿沼さんもあそこまで厳重に桃姉をカンヅメ(監禁とも言う)にして、短期間でなんとしてでも原稿を上げさせようとしているのだろう。  
つまり、このまま数日待っていれば少なくともこの問題は確実に終わるはずなのだ。無事原稿を上げるか、間に合わず落とすかという結末に分かれるが。  
すでに締切日から四日。あと少しで桃姉に会えない状態自体は終わるはず。だが――。  
「それでもツレーもんはツレーんだよ……」  
少し泣きの入った声を上げてしまう。そういう理屈で納得できるならそもそもここまでへこんだりしない。  
(会いたいなぁ……)  
俺は心の中で呟き、桃姉の顔や声、ぬくもりをそっと思い出していた。  
その時、ブーンと携帯が振動する。俺は陰鬱な気持ちのまま、のろくさポケットからそれを取り出した。ぼんやりと液晶を見ると着信は「浅井桃」の文字。  
「もしもし」  
スイッチが切り替わったように一瞬で通話ボタンを押し、一秒経たないうちに素早く電話に出ていた。横では急に動きが早くなった俺に西田たちが驚愕の表情を見せている。  
「あー、もしもし……彼氏君?」  
「柿沼さん……」  
聞こえてきたのはハスキーな女性の声だった。正直、相手が桃姉じゃない事に俺はいくらかの落胆を覚えたが、それを押し隠し会話を続ける。  
「どうかしたんですか……?」  
「ゴメンね、今って大丈夫?……ってそうか、学校だよね……………………あーゴメン、あたしも今ちょっと時間の感覚おかしくて……メールにしときゃよかった」  
「…………」  
よくよく聞くと声には疲弊の色が隠しきれていない。考えてみればこの人も桃姉の原稿が上がるまで付きっきりで仕事しているのだろう。恐らくだが、桃姉よりずっと負担がかかっているのかもしれない。  
「別に……休み時間だからいいですけど、ね」  
俺は教室の時計を見た。あと五分ほどでその休み時間も終わる。話なら手短に、そう思っていたのだが、その前に柿沼さんが本題に入った。  
 
「えっとさ、とりあえずだけど……浅井センセの原稿、無事上がったから」  
「っ!てことはつまり……」  
「センセの方はとりあえずこれで自由。会いに行くなり好きにしていい。ま、次の締切までだけどね」  
「ちょ、ちょっと待っててください……!」  
俺は通話を保留にすると、急いで鞄をひっつかみ、傍で成り行きを見守っていた西田たちに顔を向けた。  
「帰るわ」  
「え!? お、おい栗原、授業どうすんだよ!」  
「フケる。大野、『栗原君は体調がすぐれないので早退しました』。はい復唱」  
「く、栗原君は体調がすぐれないので早退しました……」  
「よろしい、じゃあな。後よろしく」  
あっけにとられる二人を尻目に俺は早足で教室から出ていく。同時に保留にしていた通話を再開した。  
「すみません、お待たせしました」  
「大丈夫かい?」  
「ええ、それで桃姉の様子は?」  
たった今、次の授業をボイコットしたことなどおくびにも出さず、俺は話の続きを促した。  
「だいぶ君に会いたがってはいたよ。まあ、今日来ても疲れて寝てるだろうから意味ないかもしれないけどさ………………ふわぁぁ」  
そういう柿沼さんも眠いらしく、そこで大きな欠伸をひとつした。  
「だ、大丈夫ですか?なんか柿沼さんも相当疲れてるみたいですが……」  
「あー……あたしも殆ど寝てないからね。しかもこのあと会社戻って編集長に報告、最後の校正作業、印刷所に詫び入れてと…………はは、あたしはこれからが本番だよ」  
多少愚痴っぽく、けれど冗談めかして柿沼さんは笑った。  
「大変、ですね……」  
「まあね、そういう仕事だからさ……。んでさ、彼氏君、こっからちょっと真面目な話」  
そこで声のトーンが一気に落とされる。俺も少し緊張して、何の話かと身構えた。  
「今言った通り、締切日が過ぎるとさ、大変な事になるんだよ。今回みたいなこと……彼氏君と会うために締切を破るなんてことがまたあると、こっちも黙ってる訳にはいかない」  
「それは……」  
「彼氏君と付き合ってる事で彼女がそういう行動をするってんなら、私は二人の交際を認められないな」  
「…………」  
ぐうの音も出ない。今回の件は全面的に桃姉に非があり、理屈で言えばこちらに反論の余地がないのだ。  
「ただし私に強制的に二人を別れさせるなんてそんな権利はないから、ただ君に彼女と会うのを控えてほしい、そうお願いするくらいしかできないけどね」  
「それは……」  
「そのこと含めて今回の件、桃とよく話し合って欲しいんだ。それじゃ……」  
そう言って柿沼さんは電話を切った。  
最後に桃姉の事を名前で呼んでいた。そういえば二人はプライベートでは友人関係にあるらしい。今のは担当編集としてではなく、友人として桃姉の事を心配した忠告、ということなのだろうか。  
通話の切れた携帯をしまい、廊下を歩いていく。だがその足取りは教室を出たときのような軽いものでなく、引きずるような重いものに変わっていた。  
――彼氏君と会うために締切を破るなんてことが。  
――二人の交際を認められない。  
――桃とよく話し合って欲しいんだ。  
耳の奥に柿沼さんの言葉が次々と繰り返し蘇ってくる。それらは俺の心の中に澱のように溜り、物理的に俺の足を重くしているかのようだった。  
   
桃姉の安アパートに着いた時には昼を大分過ぎていた。  
寝ているかも、と思いそっと鍵を開け(当然ながら扉の固定は撤去されて普通に開いた)、  
音を立てない様に中に入った。  
「うぉ……」  
入った途端、妙な匂いが鼻をつき、思わず小さな声を上げてしまった。  
見ればゴミ袋に入った大量の弁当の空き容器がデン!と玄関先に鎮座している。恐らく柿沼さんがいる間、食事はこれだったのだろう。しかも多分二人分なので結構な量がゴミ袋に詰められている。  
その弁当の料理の汁が混ざり合って異臭をだしているようだった。多分バリエーション豊かにしたせいだろう、色々なメニューが混ざってしまって、かえってとんでもないことになっていた。  
(うわぁ、掃除してぇ……)  
よく見るといたる所に埃は積もってるし、洗濯物も溜まっていた。家事好きの本能が片付けたい欲求を訴えてくるが、今は桃姉に会う方が先だ。  
後で絶対に片付けようと誓い奥に進むと、部屋の中で桃姉が乱暴に敷かれた布団の上に丸くなって転がっていた。  
 
「寝てる……よな」  
いつも通りのジャージ姿で、くかーと女性にしては大きい寝息を立てている。が、口の端から涎が垂れて、せっかくの美人が台無しだった。  
(まあ、これはこれで愛嬌があって俺は好きだが……)  
普段のだらしなさを見慣れている俺にとって、百年の恋も冷めるなどという事は全くなく、むしろこの姿にもまた違った魅力を感じていた。……桃姉ならなんでもいいだけとか言わないでほしい。  
「ん……」  
微かな声が上がり、桃姉が寝返りをうつ。やがて閉じていた瞼がゆっくり開かれ、胡乱な眼差しでこちらを見つめてきた。  
「ハル……?」  
未だ夢の続きだと思っているのか、はっきり視点が定まらない様子で俺の名前だけを口にする。そのままあろうことか、俺の首に両手を回し、ギュッと抱き着いてきた。  
「へへ〜、ハルだー。ねーねーハル〜」  
「ちょ、ちょっと桃姉……!」  
慌てふためいた俺はもがいてその拘束から逃げ出そうとした。だが、体格的に身長だけなら桃姉と俺はそれほど差がない。寝ぼけ半分の桃姉に半ばのしかかられるように抱き着かれ、振りほどけずにいた。  
「ハル〜、あのね〜、今ね〜………ん?……え?……………………って、ええぇぇぇ!?」  
俺の頬をぺたぺた触っていた桃姉が実体ある感触に違和感を抱き、とろんとしていた瞳が焦点を取り戻す。やがて、意識がはっきりしたのか夢ではないと気付いたのか、両目を限界まで見開き、驚愕の声を上げた。  
「なんで!? なんで、なんでなんで!? なんでハルがいるの!?」  
パニック寸前の桃姉をよそに俺は冷静に返答する。  
「……柿沼さんから原稿上がったって連絡あった。ゴメン、起こさないようにしたつもりだったんだけど」  
「あ、うん、大丈夫……って、ハル学校は!?」  
「サボった!」  
「………………っ!」  
きっぱりと言う俺に対し、桃姉は目を丸くして驚いていた。たっぷり十秒沈黙してからせき込んだように問い詰めてくる。  
「な、何やってんの、ハル!こんな堂々と学校サボるなんて!」  
「いや、いてもたってもいられなくて……」  
「だからってこんな事していいはずないでしょ!もー、何考えてるの」  
「…………」  
普段はどちらかというと桃姉が俺を振り回す方だから、こんな風に俺の行動で桃姉が慌てふためいているのは珍しかった。  
まあ、初めてという訳ではないが基本的に真面目という評価で通っている俺が、自分の為に学校をサボるというのは桃姉にとってそれだけ衝撃的なのかもしれない。  
「こんな事、ハルのお母さんが知ったらなんて言うか……」  
自分のことを棚に上げて俺を非難、もとい注意する桃姉に俺の中で少しずつ怒りがわいてくる。  
「ちょっと聞いてるのハル?」  
「うるせー!!」  
「ひゃっ!?」  
突如態度を豹変させた俺の剣幕に、今まで憤慨していた桃姉がびくりと身をすくませた。  
「桃姉にはサボった事とやかく言われる筋合いねーよ!こんな事態になったの誰のせいだと思ってんだ!」  
「そ、それは……」  
痛いところを突かれ、ぐっと押し黙る桃姉。言ってみれば今回俺がやったのは、桃姉と同じように恋人に会うために仕事(俺の場合は学業だが)をサボタージュした事なので、そもそも先にそれをやらかしてる桃姉がそのことに文句をつける道理はないのだ。  
沈黙してしまった桃姉に対し俺は一度大きくため息をついた。それからできる限り真面目な顔をして、桃姉の前に座り込む。  
 
「桃姉、ちょっと……真面目な話があるんだ」  
「え……?」  
「こないだの……その、桃姉が締切ブッチした件で……俺も柿沼さんから、さ……」  
「……」  
そこまで言うと桃姉は気まずそうに目を逸らした。悪いことをした、という自覚があるのはもちろんだが、柿沼さんからなんらかのペナルティも覚悟してはいたのだろう。  
だが、俺がこれからする話は柿沼さんから与えられた罰などではなく、彼女に聞かされた言葉から俺が自ら考えたものだ。  
「柿沼さん、今回みたいな事、俺に会うために締切破るなんて事またやるなら……俺らが付き合ってるの認められないって……」  
「……っ!そ、それで……?」  
「でも、自分には二人を別れさせる権利なんてないからって……それでも今回の件、桃姉とよく話し合ってくれって、そう言われた……」  
「そう…………」  
桃姉は安堵したようにほっと息を吐いた。さっき俺自身も思った事だが、強制的に別れさせられるという事態にならなかった事に安心しているのだろう。  
柿沼さんは別れさせる権利がないと言っただけで、方法がないと言った訳ではない。多分彼女が本気ならそうする事も可能なのだろう。  
「それで……桃姉、なんであんなことしたんだよ?」  
「それは、あの……」  
気まずそうに口をもごもごさせる桃姉。まあ客観的にみれば今回の桃姉は楽しいことがあったのでそっちを優先させた、やらなきゃいけないことは後回しにして残った短い時間で何とか片付けるつもりだった、というお粗末な計画に失敗した形である。  
夏休みの宿題を最後の日にやるつもりで遊びほうけて、結果的に終わらなかった子みたいな感じだ。  
「まあ、俺も今おんなじ事してこの場にいる訳だからあんま責められないし、なんでやったかはもういいけど……」  
大切なのはなんでやったか、ではなくやってしまった事に対する今後の事だ。  
「桃姉、確認しとくけどさ、今回の事はつい出来心でやっちゃっただけなんだろ?他になにか意図があったわけでなく」  
「う、うん……」  
「なら、二度とこんな事しないよな?」  
子供に言い聞かせるような口調になってしまったことに少し後悔を覚えながら、俺は念を押すように続ける。  
「こんな事がもし続くようなら、桃姉が小説家やめなくちゃいけないことになるかも知れないし、もしかしたら俺と会うことだってできなくなるかも知れない。桃姉だってそんなの嫌だろ?」  
「それは……イヤ。絶対にイヤ。ハルに会えなくなるのも……小説家やめるのも……」  
(へえ……)  
これは少し意外だった。俺に会うことならともかく、桃姉が小説家を続けることにそんなに執着があるとは思わなかった。なにか理由でもあるのだろうか?  
話のついでとばかりにその理由をそれとなく尋ねると、さらに意外な答えが返ってきた。  
「だって……私が小説家になったきっかけって……ハルが原因だよ?」  
「へ?」  
初耳だった。プロデビューする前、少なくとも高校くらいから桃姉が小説を書いていたのは知っているが、その原因が俺とはどういう事だ。  
「憶えてない、かな。昔さ、まだハルが幼稚園くらいの時、遊んであげた後にお昼寝しようとしたら、ハル必ず「桃お姉ちゃん、何かお話して」ってせがんでくるの。で、私が即興で考えたお話してあげてたんだよ」  
「……ガキの頃の話、か」  
10年以上昔の話だ。その頃の記憶なんて桃姉に遊んでもらった事を漠然と覚えているくらいしかない。  
「それでね、そうやってハルに話すための話を作るのが結構楽しくなって、しょっちゅうなんか創作話考えるのが癖になってきて……中学二年くらいの時に形にしてみたいって思って小説書き始めたの」  
「だから、小説書き始めたきっかけが俺って事か…………知らなかった……」  
てっきり普通の会社勤めができそうにないのと、たまたま文才があったから小説家の道を選んだのだと思っていた。  
 
「だから小説家やめたくない。前ならともかく、今はハルとの思い出がきっかけになったお仕事だって思ってるし」  
「そっか……」  
桃姉の意思は確認できた。こだわる理由が結局のところ俺に起因する、という事もわかった。要は桃姉も俺も同じ気持ちなのだ。ならば、と俺は改めて本人に確認を取る。 ※  
「じゃあ…………じゃあさ、もうこんな事しないよな?」  
「う、うん……多分」  
「多分て……」  
そこは絶対って言っとけよ……。  
微かに脱力しながらも、まあ桃姉らしい正直さというか素直さだな、と俺は一応の納得をしていた。  
「わかった、桃姉は今回の事出来心でやっただけで反省もしてるし、二度とやらないとも言ってる。それは確認できた。俺は桃姉を信じるよ」  
ただ問題はそれで終わりではない。  
「じゃあ、柿沼さんになんて言おうか」  
「え、なんてって……」  
「ゴメンナサイモウシマセン、じゃあ流石に済まないと思うんだけどな。小学生の悪戯じゃないんだから」  
学生の身分でいうのもなんだが、一応仕事で納期をブッチしたんだから、それなりの誠意ある行動をとるべきなのではないだろうか。  
「でも、どうすればいいの?」  
桃姉が眉根を寄せ、困惑した声を出す。反省はしていても、解決法が見いだせない、といった感じだ。  
今回、俺が締切のスケジュール把握しとけば、俺の方で気づいて桃姉があんなことする前に止めていただろう。よくよく考えれば桃姉が起こした今回の事件は俺に会うための行動であり、責任の一端が俺にもないとは言えないのだ。ならば俺にもするべき事がある。  
桃姉がもしよかったら、と前置いて俺は続けた。  
「今度から、俺も締切のスケジュール把握しときたいんだ。家事しにくる日もそれで予定立てるから。だから、柿沼さんと直接連絡取ってそういうのを聞いておきたい」  
要するに桃姉の仕事面でも世話しようというだけなのだが、これなら例えば桃姉が再び出来心でやってしまうのも防げる。(もちろん二度とやるとは思わないが)  
「う、うん……それなら」  
未だ戸惑いを残しているが、桃姉は納得の返事を返してきた。そこに至って俺はようやくほっと安堵のため息を漏らした。  
これで何もかも解決、という訳ではないだろうが柿沼さんに言われた通り桃姉と話し合い、もうしないことを約束させ俺の方からもフォローするという今後の方針も立てた。彼女への言い訳としては十分だろう。  
肩の荷が下りた気分で、俺はゆっくりと座り込む。同時に桃姉の肩に手を回し、力強く抱きしめる。  
「あっ……?」  
桃姉が小さく声を上げた。今度は困惑の声に微かな照れが混ざっている。  
「は、ハル……?」  
「これでようやく、こうやって桃姉に触れられる……たった、たった五日間なのに……ものすごく長く感じたよ」  
絞り出すような俺の吐露に、桃姉もまた背中に手を回し抱きしめてくる。それは心情を吐き出す俺を優しく包み込むようなものではなく、怯えた子供が安心を求めるかのような手つきだった。  
「前にさ、桃姉が言ってた通りだよ。こうやって桃姉にひっついてるだけで、あったかくて……すごく安心する。好きな人とくっついてるのが幸せだって思う」  
そのまましばらく桃姉のぬくもりを確かめるように無言で抱きしめ続けた。  
「じゃ、じゃあハル……もう、怒ってない……?」  
「ん……怒ってないよ」  
おずおずと尋ねる桃姉に、俺は優しく答える。俺だって無駄に桃姉を怯えさせたい訳ではないから、いつまでも怒っている理由はないのだ。  
「ひっ、う……うぅ……ぐすっ、ひぐっ、ハルぅ〜」  
途端、まるで緊張の糸が切れたように一気にくしゃりと表情が歪み、ぐずぐずとベソをかき始めた。  
「ハルぅ、寂しかったよ〜、ぐすっ……会えないまま、ずっとずっと原稿ばっか書いてて……おかしくなるかと思っちゃったよ」  
「馬鹿だな……泣くなよ、桃姉」  
泣きじゃくる桃姉をたしなめながら、俺自身も涙がこみ上げてきていた。  
以前は三日に一度、下手したら一週間に一度くらいしか会わなかった。締切前は二週間も会わない事もザラだった。それを考えたらたかが五日会わなかったくらいなんてことない筈だ。だけど今の俺たちはもうそんな長い期間会わないでいるなんて考えられなくなっていた。  
「…………ぐす」  
やがて落ち着いたのか、桃姉はようやくベソをかくのを止めた。俺はそっと桃姉の眼鏡を取り、目尻に溜まった涙を拭き取ってやる。俺の方にこみ上げてきた水分は桃姉を慰めている内に治まってくれたようだ。  
 

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