午後七時。  
「どーせ今日も篠宮さんと合ってたんでしょ!? 毎日毎日よくも飽きないで……」  
 帰宅が遅れたことを理由に、玄関でいもうとに説教をされている兄。  
「ねぇ! ちゃんと聞いてんの!?」  
 黙ってれば可愛いのにと兄は心の中でため息をついた。  
「だから悪かったってば。相談乗ってたんだから仕方ないだろー」  
「ふんっ! そんなの信じないからっ」  
 顔をぷにっと膨らませて怒っていてもまったく迫力が無いなと思いつつ、兄はゆるりと反論にでる。  
「だいたい梨乃には関係ない話じゃないのか? 俺だって異性の知り合いくらいいるっての」  
「なっ!? わ、私だって女の子だもんっ!」  
「はい?」  
 異例の返答に兄の思考は一瞬停止した。  
「ち、ちがっ! い、い、いまのな、な、なしだからっ」  
 あからさまにあわてふためく梨乃。  
「あーもしかして篠宮に妬いてんの?」  
 兄は心の中で確信を持ちながら梨乃に問いかける。  
「そ、そ、そんなわけないでしょっ! こ、このバカあにぃ!」  
 気丈に振る舞ってはいるが、完全に目が泳いでいる。  
「つか、あいつ彼氏いるし」  
「はぇ!?」  
 梨乃は目を真ん丸にして驚愕する。  
「彼氏紹介したの俺だしな」  
「ふぁ!?」  
 続けて情けない声が玄関に響く。  
「だ、だ、だ、だってホワイトデーの時お返し、し、して、してた、し……」  
 顔を真っ赤に染め、手足をわたわたさせ焦る梨乃。ショートヘアがぽふぽふ跳ねる。  
「んなの常識だろ」  
「だって、だって……私には、何も……」  
 途端に梨乃は泣き出しそうな顔になる。  
「ん? 寝てたから部屋の中に置いといたんだけど?」  
「へっ? あ、あの、ワ、ワタクシ、さ、探してくるでアリマス!」  
 梨乃は敬礼をビシッと決め、階段を駆け上がって行った。  
「ったく……にぶいんだよ……」  
 兄のため息と呟きだけが玄関に残った。  
 
「あっ! あったぁっ!」  
 ベッドと机のわずかな隙間に落ちていた兄からのホワイトデーのお返しを見つけ、梨乃は喜びの声をあげた。  
「えっと、手紙……かな?」  
 簡素な便箋を開け中身を取り出す。  
『フリーパス券』と達筆で書かれた紙が3枚出てきた。  
「う、ん?」  
 裏には何でも言うこと聞きます、という類の事が書いてあった。  
「な、何でも……で、でも、だめだよ……」  
 一瞬浮かんだ笑顔もすぐに悲しみの顔に変わる。  
「でも……今日、だけ……」  
 意を決したように拳を握り、兄の部屋に足を運ぶ。  
 
「んあ。どうした急に。なんか用か?」  
 机に向かっていた兄は、ノックも無しに入ってきた真剣な面持ちの梨乃をベッドの上に促した。  
「あのね、ホワイトデーのやつ……」  
「ああ。見つかったのか。よかったな」  
 兄には梨乃の緊張が手に取るようにわかっていた。  
「あ、うん。んと、ね。い、いま使ってもいい……?」  
 上目づかいに兄を見つめる梨乃。  
「いいけど? 別に急がなく」  
「今日じゃなきゃだめなのっ!」  
 兄の言葉を遮り梨乃が叫んだ。  
「あ、っと、あの、ね」  
「焦んなっての。俺逃げないし」  
 穏やかな兄の口調に、梨乃の緊張がわずかにほぐれる。  
「う、うんっ。あの、ね、今日だけ……今夜だけでいい、から……」  
 緊張で動揺する感情。渇いた口から言葉が上手く出せない。  
「こっ、こっ、こ、恋人っに、して、ほしい……です……」  
 言い切った途端に梨乃の手の平は汗でいっぱいになる。  
「無理……だな」  
 梨乃の微かな期待は兄の一言で粉々に散った。  
 
「あ、そ、そう、だよねっ! きょ、兄妹だしっ、わたしっ、がさ、つっ……だしっ」  
 梨乃の瞳から涙がとめどなく溢れる。  
「かわい、くっないっ、ひくっ、しっ!」  
 しゃくり上げながら兄に言葉をぶつける。  
「ひぐっ、ひっ、ほ、ほんきっ、にっ、して、ひっく、バカ、みた、いっ!」  
 涙と鳴咽を堪えようとするが、決壊した涙腺は抑えようがなかった。  
「ひぐっ、うわあぁあんっ! ばがぁっ! あにいぎらいっ! わあああっ! ば、かっ! ばがぁぁっ!」  
 梨乃の泣き声が部屋中に響く。だが兄は冷静だった。  
「静かにしろっての」  
 梨乃を後ろから抱え、口を片手で塞ぎベッドに腰掛ける。  
「むうぇええっ!」  
「俺が言ってんのは、『今夜だけ』ってのが無理ってことだよ」  
「んむぁあああっ! むぁっ?」  
 梨乃の泣き声がぱたりと止んだ。  
「あ、にぃ? そ、それ、どういう……」  
 真っ赤に腫らした目をぱちくりさせ、兄の方へ振り向く。  
「ずっと恋人ならいいってこと」  
 梨乃が振り向いた目の前に兄の笑顔があった。  
「はぇっ、あわ、だだだだだって、私たちきょうだ、んむぁっ!」  
 梨乃の言葉はキスで遮られてしまった。  
「はわわわっ! いいいいきなりなんてだだだだめだよっ!」  
 ぱたぱたと顔の前で手を振り動揺する梨乃。  
「好き同士ならいいだろ? それとも恋人やめるか?」  
 楽しそうな意地悪そうな兄の笑顔に梨乃はやられてしまった。  
「ば、ばばばかあにぃ! しらないっ!」  
 ぷいっとそっぽを向く梨乃の顔は幸せに満ち溢れていたのだった。  
 兄の胸に顔をうずめる。  
「ずっといっしょだよ……」  
梨乃は自分にだけ聞こえるようにぽしょっと呟いた。  
 
 
 甘い時間を休憩してお風呂の中。  
「ねぇ、あにぃは私のこといつから好きだったの?」  
「会ってすぐだよ。将来のお嫁さんは梨乃しかいないって思ったね」  
「はななななっ!?」  
「梨乃が素直になってくれて嬉しいよ」  
「あぅあう……あ、あにぃのばかぁぁっ!!」  
 梨乃の照れぱんちが兄の顔面にめきゅんと直撃した。  
 
 
おわり  
 
 
 

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