「人魚姫」って童話あるよな?
海に落ちて溺れた人間に男に、助けた人魚がひと目惚れして、美声と引き換えに人間の姿になって陸まで追い掛けてくるんだけど、最後は泡になっちまう悲しい恋のお話だ。
あるいは、ちょいとマニアックに実写版映画の「スプラッシュ!」なんてのもあったな。あっちは逆に、最後は人間の方が「漢」を見せて人魚娘と添い遂げるハッピーエンドだった。
国産だと「瀬戸の花嫁」なんてヒロインが人魚のアニメもやってたよな〜、俺も何回かしか観たことないけど。
話の流れは違えど、人魚な彼女達は皆、けなげで優しくて主人公に一途に惚れてる……ってぇ、共通点があったと思う。
そりゃね、俺もそんなの男の浪漫──て言うか都合のいい妄想だってこたぁ、分かってたさ。そもそも、人魚なんて空想上の生物だし、仮にいたとしても、そんなご都合主義的に「惚れた男に尽くします」的な展開が、そうそう転がってると思えないし。
「ん? マーメイドってちゃんといるわよ? 私も昔は眷属(じゅうしゃ)として何人か手元に置いてたし。うーん、真面目でいい娘達なんだけど、男に惚れっぽいのが玉に瑕なのよねー」
はぁ、さいですか。
「ところで、ダーリン……私、そろそろお腹空いたわ♪」
あー、はいはい、もうちょっとで出来るから、ちょいと待っとくれ。
俺は、雑念を払いつつ、フライパンの中味を揺すりながら炒めつつ、電子レンジの中の深皿もチェックする。
程なく、チン! とレンジの調理が終わり、うまい具合にフライパンの方も出来あがったところだ。
俺は、大皿にフライパンの中味(豚肉多めのホイコーロー)を手早く盛りつけ、レンジから出してきた牡蠣グラタンとともにトレイに載せて、炊きたてご飯の入った電子ジャーと一緒に、リビングのテーブルまで運ぶ。
「ふふっ、今夜も美味しそうね♪」
下着姿(本人は部屋着と主張)で居間のソファに寝そべってテレビ観ていた女性──先程俺の雑談(雑念?)に茶々入れたのも彼女だ──は、けだるげに、けれどどこまでも優美な仕草で身を起こす。
優美なのは、仕草だけじゃない。
おそらく170センチは下らない長身と、出るところは出て引っ込むところは引っ込んだメリハリの利いた体つき。
欧亜混血風のやや彫りが深めだが、一流彫刻家の傑作の如き整った美貌。同じく日本人離れした白くしっとりと滑らかな肌。
個人の好みの差はあれど、少なくとも日本人男性の99%が彼女を「美女」の範疇に含めるだろう。
そして、何より彼女を特徴付けるのは、その見事な藍色の髪だ。ほとんど膝近くまである長さもさることながら、その量も尋常でなく、キャバ嬢のアゲアゲヘアなんてメじゃないレベルのボリュームで彼女の背後でウネウネとうねっている。
いや、比喩じゃなく、本当に動いているんだけど。
「じゃあ、折角ダーリンの作ってくれた夕飯なんだから、冷めないうちにいただくわね」
食卓につくが早いか、めまぐるしいスピードで、彼女の前に置いた食事が消えていく。
テーブルマナー的には問題なく、むしろ箸の持ち方なんて下手したら俺より上品なくらいなのに、その食事量とスピードはハンパじゃなかった。
以前なら、それにアテられて何だか食欲減退してた俺だが、近頃は開き直って普通にしっかり食べられようになっていた(まぁ、食べないと「後」がツラいし)。
それどころか、彼女の食べっぷりを微笑ましく見つめながら、あの髪のリズミカルな動きからして、今日の夕食の味に満足してくれてるみたいだな……なんて観察する余裕すらある。
鉄面皮というわけではないが、普段からアルカイックな微笑を浮かべているせいで、イマイチ感情が読みにくい彼女だが、最近は犬の尻尾の如く髪の動きを見ればなんとなく彼女の機嫌がわかるようになってきた。
ははっ、人間てのは、つくづく環境に慣れる生き物なんだなぁ。
「そうね〜。ことさら口にしなくても妻(あるじ)の気分を察してくれるなんて、夫(しもべ)としていい傾向だと思うわ♪」
はいはい、そりゃよござんした。
ちなみに、フリガナも含めて「妻」とか「夫」と言うのは別段冗談じゃない。
つい先日、俺こと平凡なアラサー男・井出歩(いで・あゆむ)と目の前の美女・九頭見龍子(くずみ・りゅうこ)さんは、挙式と入籍を済ませた、まごうことなき夫婦なのだから。
もっとも、そこに至る過程は決して平坦なものではなかったし、さらに言うなら(薄々予想はついてるかもしれないが)、ウチの奥さんも決してタダ者じゃない。
……て言うか、そもそも「人」ですらないし。
正気を疑われるのを承知で白状するが、この女性(ひと)は竜──それも、日本や中国でポピュラーな龍神様とかじゃなくて、知る人ぞ知る(たぶんRPGとかのファンなら聞いたことがあるだろう)ヒュドラ──和名・九頭竜の変化(へんげ)した姿なのだから。
「うふふ、ホントは9つじゃなくて100近く首はあるんだけどね♪」
-つづく-