8  
 
 トーレ村から北に十数分あゆめば北の洞窟はすぐに見えてくる。  
 トーレの洞窟というのが一般的な呼称だが、トーレ村の者からは北の洞窟と呼ばれ、内部は浅いが足場の安定しない岩窟となっている。  
 この洞窟の中に、魔物を呼び寄せる邪力をもった装飾品を多く身につけた孫娘が連れ去られたという話である。  
 放って置けるはずがなかった。  
 
「この中に魔物がいるなんて、俄かに信じがたいな」  
「わた…………あたしは中から確かな『妖気』を感じるよ」  
「ほう……」  
 ヴァッツはあえて無関心をよそおう。  
 リディはそれに判り易い反応を示した。  
 
「……魔物に殺されかけたんだから、もうちょっと緊張感を持ちな」  
「ああ。いやしかし、悲しいくらいに似合っていないな」  
 少女の顔が紅潮する。  
 口をぱくぱく動かすが、結局言葉にならなかった。  
 いやしかし、とヴァッツは心の中で反芻する。  
 
 やや吊り眼ぎみだが大きな紅い瞳はぱっちりしており、小さな鼻梁、薄いピンクの唇ととても可愛らしく幼い顔立ち。  
 それに透き通るような可愛い幼声のためか、十歳くらいにみえてしまう。  
 まあ彼女いわく過去から来た人間だから、そのころは年齢より若く見える傾向があったのかも分からない。  
 ん、まてよ、と男は考え直す。  
 直接訊けばいいだけの話じゃないか、と。  
 
「そういえば」「ん」「おまえ齢は幾つなんだ」「十七」  
 即答だった。  
 ヴァッツは噴き出した。  
「な、なに……?」  
 おどろくヴァッツ&リディ。  
 
「おまえの外見で十七、か……過去の人間はみなその齢でその外見なのか」  
 ヴァッツが大真面目な突っ込みをいれると、  
「もちろんウソだよ。決まってるじゃないか」  
 リディは可愛らしく笑っていた。  
 自分のウソで男が驚いている様子がおもしろかったのだ。  
 
「ホントは十四さ」「……本当なんだろうな?」「うん」「本当だったら過去の人間が羨ましいな」「え…………? うらやま……え?」「冗談だ。で、実際幾つなんだ」「…………だから十四歳」「冗談はもういいから」  
 
 ……そんなやり取りに五分くらい費やしてようやくリディはヴァッツに十四歳だと納得してもらえた。  
 少女は最初に嘘をつかなければ良かったと後悔した。  
「そうか…………なんというか、色々と大変じゃないか?」  
 リディには「いろいろ」の中身がよく分からず、首を傾げて頭に疑問符をうかべる。  
 
「まあいい、忘れてくれ。行くぞ」  
 疑問を「まあいい」の一言で一蹴され、リディはかなり不満だった。この人はマイペースすぎやしないだろうか……?  
 ともあれ、二人はようやく洞窟の中へと足をふみ入れる。  
 短針が真東を向く時刻とあって外はまだ明るいが、中は奥にいけばいくほど暗かった。  
「待っていろ、松明を点けるから、な――」  
 
「【灯火〜Lumen〜(ルーメン)】!」  
 
 それは一瞬のできごとだった。  
 リディがなんか変なポーズ(ヴァッツの主観的な意味で)をとって何事か小さく叫ぶと、リディの頭上に煌々と輝く小さな光球が出現したではないか。  
 その光球は小さいながらも大きな光をはなち、まぶしさを抑えつつ洞窟の奥のほうまでを照らし出していた。  
「……こ、これで松明の必要はないね。どうだい、あ、あたしの力は?」  
 ヴァッツは、照れつつもどこか誇らしげに言うリディのことをまじまじと見すえ、一言。  
 
「うお……まぶしい」  
 男は自分で言っておきながら少し恥ずかしそうだった。  
「……この魔法はそこまでまぶしくはないはずだけど……?」  
 すかさず少女がつっこむ。  
「便宜的に言っただけだ……他意はない」  
 苦しかった。  
「…………そうなの」  
 ワケわかんない男はおいといて、少女は洞窟の奥へと歩み進んでゆく。  
「おい……待ってくれ」  
 ヴァッツは便宜的な台詞を吐いてリディを追う。  
 
 聞いていたとおり洞窟内は足場が不安定だった。  
 リディなどとても歩きにくそうにしているが、ヴァッツはそれほどでもない。  
 こういう地形に慣れているのももちろんあるが、ここには二度ほど来たことがあるからだ。  
 ただ、なんというか…………さしものヴァッツも雰囲気が以前と異なるのを感じとっていた。  
 何か嫌な空気が流れている。  
 
「……何か分かるか、リディ」  
 少女はこくんとうなずいた。  
「二回め」「ん?」「私の名前を呼んでくれたの」  
 ヴァッツは「何……?」と口に出しかけて、すんでのところで抑えた。  
 今のでまだ二回しか口にしていなかったか……?  
 
 そして気付いた。  
 そういえば今、自分の口調を気にする素振りがまったくなかった。  
 つまり(?)、それほどに名前を呼ばれてなかったことを気にしていたのか……。  
「……悪かった、リディ」  
 意識して名前で呼びかける。  
 
「……え?」  
 と振り向いた少女の表情はどこかはにかむようだった。  
「いや、なんでもない。さ、行こうか……レディ・リディ」  
 ヴァッツはリディに背を向け、ずかずかと先に行ってしまう。  
 また自分で言っておきながら恥ずかしくなってしまったのだ。  
 そんな男の広い背中を、少女は頬を染めてなかば呆けた様相で見つめていた。  
 
 
 9  
 
 しばらく歩いていると、唐突に魔物が現れた。  
 妖豚魔――オークである。  
 凶暴化した豚が二足歩行し、軽めの防具と棍棒を持ったような外見だ。  
「さっさと片付けるか」  
 まだ生涯でたった二匹目のモンスターだというのに、ヴァッツにはまったく物怖じする雰囲気がなかった。  
 
「ちょっと待ちな……こいつだけじゃない、何匹もいる」  
 リディの忠告どおり、一匹めのオークの後ろには――人間の気配を嗅ぎ取ったのか、軽く十数匹のオークが凶悪な冷笑を浮かべて待ち構えていた。  
「……雑魚が群れたところで大勢は変わらんと思うのだが、どうだ?」  
 ヴァッツのセリフに、この余裕は一体どこから来るんだろう、と純粋に感じたリディだった。  
 なにせこの男、きょう一度魔物に殺されかけていたのだ。  
 私がいなければどうなっていたか分かったものではないのに。  
 
「まあ見ていろ」  
 ガシャン! とヴァッツはその体躯に見合った大きな剣を抜きはなつ。  
 彼のために造られた特注の両手大剣――ツヴァイハンダーであり、通常のそれより長く、厚い。  
その威力、外見、そして彼以外ではとても扱いきれないことから、ヴァッツ自身はこれを『災厄の剣(ディザスターソード)』と呼んでいる。  
「やられっぱなしじゃイメージが良くないからな。ここらで実力を見せておかなければ」  
 
 誰のイメージ? あやうくリディはそう訊ねそうになった。  
 訊かなくたって答えは分かりきっているが、それでもヴァッツの口から返答を聞きたかった。  
「さて……一仕事するか」  
 高らかに宣言するヴァッツ。  
 
「ヴォフゥゥゥッ!!」  
 男の宣言がそのまま鬨の声となり、先頭のオークが棍棒を手に襲い掛かってくる。  
 びゅんッッ――――。  
 ものすごい風切り音がひびき渡った。リディは眼と耳を疑った。  
 ヴァッツが薙ぎ払った大剣が眼にも留まらぬ速度でオークの腹部を一閃し、鮮血を派手に噴き上げていたのだ。  
 
 少女はおもわず眼を細めていた。  
 男の動きはとても人間のものとは思えなかったのだ。  
 あれだけの大きさ重さの獲物を軽々と振り回し、全く息を乱していない。  
「はぁあっ!!」  
 ヴァッツの裂帛の剛声が洞窟内に反響する。  
 
 奇しくも男の前言どおり、オーク程度は敵ではなかった。  
 オークの棍棒が届く前にリーチの長いヴァッツの剣がオークを斬り伏せてしまうからだ。  
「………………」  
 半ば愉しそうにオーク狩りに興じるヴァッツを、リディは無表情で見つめていた。  
 
 
 10  
 
 ヴァッツはオークを殲滅させるのにものの三分とかからなかった。  
 リディは表情こそ落ち着いているが、内心は驚愕を覚えざるをえない。  
 魔法無しであれほどの力を揮える人間はリディの時代にはいなかったと断言できる。  
 しかもこの男、一見したところ三十代は過ぎているだろう。  
 二十代の頃はもっと強かったかもしれない。  
 
「さて…………」  
 両手大剣を収め、リディに向き直る。  
「早く行くぞ。クレミアに何があるかわからんからな」  
「…………うん」  
 しおらしいな、とヴァッツは感じる。  
 
 姉語調になる場合とそうでない場合の法則性がいまだによく分からない。  
 と――――突如ふたりは異臭、いや死臭を感じた。  
 しかも周囲には薄茶色い噴煙が立ち込めはじめているではないか。  
 幸い視界にはほぼ影響を及ぼすものではないが、異常事態であることは確かなようだ。  
「急ぐぞ!」  
 男の呼びかけに少女は無言で頷き、そして駆ける。  
 
「【走駆〜Laufen〜(ラウフェン)】……」  
 
 このときリディがさりげなく行使った魔法によりヴァッツの走駆速度は飛躍的な上昇をみせていたが、ヴァッツ自身はそれになかなか気付かない。  
 お、今日は調子がいいな、くらいなものである。  
 だが十ほど数えるとようやく自分の走りに異変が生じていることがわかった。  
 
 周囲の景色が異常な速度で流れてゆく。  
 地面の凸凹もなんのその、たまにモンスターが眼に入ろうがもはや素通りである。  
 そして後方を走っているリディもまた、文字通り人間離れした動きでヴァッツに追随する。  
 童顔に感情の動きは見られない。  
 
 まさにあっという間という表現を許せるだろう時間で、彼らは最深部にたどり着いた。  
 たどり着いてしまったというべきか。  
「クレミアッ!」  
 ヴァッツは孫娘の名をさけび、眼に入った彼女の姿に歯噛みする。  
 クレミアは四肢に杭を打ち込まれ磔にされていたのだ。  
 
 頭を垂れており顔色は窺えないが、あの様子からしておそらく彼女は生きている。  
 ほっと胸を撫で下ろしたのもまた事実だ。  
 しかし、だしぬけに頭上から降って沸いた人影を認めるなり、ヴァッツの瞳孔は大きく見開かれる。  
 野生的な顔つきに見覚えがあった。  
「ギラス…………おまえ、いままでどこにいた」  
 
 ギラスと呼ばれたその男は盗賊のような身なりをしているが、その挙動はとても妖しい。  
 特に眼が……本来は黒いはずの眼がいまや鮮やかな血のような赤に変貌している。  
「誰だか知らないけど、もうこの男は助からないね。完全に邪気に取り込まれてるよ」  
 後ろからリディがやや低めの姉語調で忠告してくる。  
 ヴァッツは嘆息した。  
 
「……村長の息子だ。都会で一山当てると家を出て三月も行方不明だったが……」  
 まさか魔物に操られてるとは、と言葉を継ぐ。  
 ギラスは、グ、ゲゴ、と人が発しているとは思えない不協和音を出しながら言葉をつむぎはじめた。  
「…………今さら来たところでもう遅い。この娘はすでにあちら側の住人だ。速やかに立ち去れ。さもなくば………………」  
 
 コロス――――――。  
 
 最後の言葉だけは人工的につむがれたかのごとく発音がおかしかった。  
 生前の、直情的かつ野心あふれる青年の面影はまったくない。  
「助かったな」  
 ヴァッツは平然と言った。  
 
「ギラスもクレミアも現世の者でなければ迷う必要はない。おまえを倒すだけでいい」  
「ま、まってよ! クレミアは生きてるかもしれないだろ?」  
 リディから存外冷静な忠言を受け、ヴァッツは微かに逡巡する。  
 やつは「あちら側の住人」と言っただけで、まだ死んでいるかどうか確定ではない。  
 が、逆に本当に死んでいた場合、こちらの動きを止めるために「あちら側の住人」と嘯いた可能性がある。  
 そして、ヴァッツは迷うのをやめた。  
 
「関係ないな」  
 だんっ、と地を蹴り、大剣を手に‘ギラスだったもの’に向かって突進する。しかし――  
「ぐっ!」  
 男は何かに弾き返されたかのように仰け反り、あお向けに倒れた。  
「くっ、どういうこと、だ……」  
「…………精神障壁…………」  
 リディが小声でつぶやいた。  
 
 精神障壁とは、精神が正常に働いている人間を阻む見えない結界である。  
 術者には大きな負担が伴うが、魔力が続く限り障壁が消えることはない。  
 術者に大きな衝撃、つまりダメージを与えれば障壁は消えるが……。  
 ヴァッツにそのことを説明すると、彼は悔しげに顔をゆがめた。  
 
「おまえの魔法でどうにかならないのか?」  
「…………無理。わたしには結界が見えるけど、壊すことも無効化することもできないし、範囲が広すぎる。洞窟を破壊してもいいなら大丈夫だけど……」  
「無茶を言うな。……手打ちなのか」  
 と、その時だった。  
 二人の後方から異様な叫びが聞こえたのは。  
 
「がああああぁっ!!」  
 荒々しい女の咆哮。  
 二人とも後ろを振り向くことはせず、本能的に危機から回避しようと左右に分かれる。  
 すると、人影が刃物を持って二人のあいだをすり抜けていき、そのままヴァッツが弾き返された場所をも駆け抜けてゆく。  
 魅惑的なラインを描くその人影に、ヴァッツは見覚えがあった。  
 
「あ、あいつは……」  
「がああああぁっ!!」  
 彼女は棒立ちだったギラスの懐に飛び込み、短剣を突き立てて吹っ飛ばす。  
 ヴァッツとリディは顔を見合わせて頷きあい、ギラスと女のところへ走った。  
 女はいまだ悲鳴とも絶叫ともつかぬ声を上げつつ、ギラスに馬乗りになって短剣で滅多刺しにしていた。  
 
 と、そのときヴァッツは確かに見た。  
 ギラスの骸から魂のような半透明の碧い球体が浮かび上がるのを。  
『使えぬ男だ……』  
 しかも喋った。  
 声音はかなり濁っていたが、聞き取るのにそこまで苦労はしなかった。  
 
「【捕縛〜Fangen〜(ファンゲン)】!」  
 
 リディのはっきりした魔法行使が聞こえる。  
 少女がバッと伸ばした右掌から白い光の網のようなものが放出され、それはまたたく間に魂のような球体を捕えた。  
『ぐっ…………!!』  
 魂からうめき声が発されたような気がした。  
 魂は束縛から解放されようと暴れもがいたが、捕縛の網はまったく破れる気配がない。  
 
「がああああぁっ!!」  
 ギラスを事切れさせても女はまだ狂乱しており、その火花はこちらにも降りかかってきそうだった。  
「ちっ、仕様が無い」  
 ヴァッツはぼやきつつも剣を収め、今度はこちらに走り向かってくる女と対峙する。  
「相変わらず危険なオモチャを持っているな」  
 
 余裕のある物腰で女の持つ獲物を見すえ、そして――――突き出されたその右腕を掴むことに成功する。  
 そして、適度な強さの掌底を女の額に打ち込んだ。  
 ビキィ!  
 女は大きく仰け反ったが、倒れはしなかった。  
 
 その代わり、先刻まで白目を剥いていた顔にようやく人間らしい表情が戻っていた。  
 正気に戻ったのは明確だった。  
「あれ? あたし…………」  
「まったく、昔とかわらないな、ヒュリン」  
 ヴァッツは昔なじみの少女に呼びかけた。  
 
 臍を露出する若葉色の薄手の短上衣に、同色同系の短脚衣をまとっている。  
 黒く長めの足通しに同色の穴あき手袋に、腰には「傷」を意味する片刃短刀・スクラマサクスを帯び、女盗賊らしい露出過多な出で立ちだ。  
 先刻まで額に付けていたあやしげな緋色の宝石は砕け散ってしまっている。  
 おそらくそれのおかげで彼女は精神障壁に弾かれなかったのだろう。  
 ヒュリンと呼ばれた少女は、赤く長いポニーテールを揺らしつつ周囲を見回し、ポンと手を打った。  
 
「あ、どうだったヴァッツさん、あたしの活躍ぶり!」  
「助かったには助かったが、あまり無茶はするな。上手くいったから良かったが」  
「うん、上手くいったから問題なし」  
 女、いや少女ヒュリンは大胆不敵とも言える笑みをヴァッツに向けてくる。  
 動きがいちいち大げさなので、その度にゆれる双つの膨らみが気になってしょうがない。  
 
(……胸の大きさも相変わらずか)  
 ヴァッツはやれやれといった様相で苦笑したが、すぐに表情を引きしめ、クレミアが磔にされている祭壇に向きなおる。  
「リディ、そいつは一体何者なんだ?」  
 ヴァッツは魔法の網の中で暴れまわる魂を指してたずねた。  
 リディは自らが束縛しているその魂を冷たい眼で見下ろしている。  
 
「……たぶん、過去から来た魔法使い。そうでしょ?」  
「フハッ、当然だ!」  
 リディの問いに魂は即答した。  
 魂が口を利くという非現実的な光景だったが、もはや彼は驚くこと自体に飽いていた。  
 
「フェリロディ=エキドナ、貴様っ、中等位主席のくせして俺の声に聞き覚えがねぇのか!」  
 魂は怒鳴り散らすが、少女は険しい無表情で首を傾げるばかりだ。  
「とぼけんじゃねぇ! このビュリタス=ゴルディノー様を忘れるとはいい度胸だ!」  
「あ………………」  
 リディの表情がほんのわずかに得心がいくような動きを見せ、次いで不快感を示すように眉が八の字になる。  
 
 ビュリタス=ゴルディノー……魔法によって人に幻覚を見せたり行動を強制させたりする精神魔法――エスプリマジーア専門の教師。  
 生徒からの評判はよろしくないが、ヴァッツにとってはどうでもいいことだった。  
「で、自分の精神を身体から離脱させる魔法みたいなのを使ってそのザマというわけか、ビュリタス殿とやらは」  
「フン、うるせぇ! いいか、我が主は未来のこの大陸に『混沌』が喪失している事実にお嘆きだ。これからも魔物は増え、魔法が多く散見されることとなろうよ」  
「そんなことして何になる? ……いや、別にご大層な理由は持っていないのだろうが」  
「はっ、これだから未来人は蔑みたくなる。『混沌』が喪失われた大陸ならば容易に征服できるからに決まってんだろうが!」  
 
 ヴァッツは盛大なため息をついた。  
「……どうでもいいが、そこにいる娘は生きてるんだろうな?」  
「なっ…………!!」  
 どうでもいい。  
 大陸を征服されることがどうでもいいと言われ、魂――ビュリタスは絶句した。  
 
「き、貴様……どうでもいいわけなかろう! 大陸が支配されれば貴様も好きには生きていけまい」  
「そうでもないぞ。そもそも、そう簡単に大陸を支配できるわけなかろう」  
 ヴァッツの毅然とした態度に、ビュリタスだけでなくリディまでもが驚愕としていた。  
 世界制服が怖くないと言ってのけるこの男に怖いものなどあるのだろうか。  
 と、突然ビュリタスは下卑た哄笑を上げはじめた。  
 
「……なにがおかしい」  
「フヒハハハァ…………教えてやろうかぁ……」  
 命を握られているも同然の状態ながら、この魂の声には明瞭な余裕がうかがえる。  
 ヴァッツはもとより生かしておく気などなかったが、ビュリタスが放った言葉は彼の怒りに火をつけるには十分すぎるものだった。  
「そいつは――クレミアとかいったか――まだ生きてるぜぇ…………生きてるが…………精神は廃人同様なんじゃねぇかと思うんだよなァ…………」  
 
 何かを堪えているかのような、嗜虐的な響きを感じさせるビュリタスの声。  
 ヴァッツの額には青筋が浮かんでいた。  
「なぜなら…………――俺がさんざん凌辱してやったからなぁァ!!」  
 
 ガギィン!  
 
 振り下ろされたヴァッツの大剣が白き魂を断ち切った……かに見えたが、なんともない。魂には物理攻撃は無効なのだ。  
「キヒヒ……んなことぁしたって無駄だぜぇ……」  
「リディ、こいつを殺しても特に支障はないな?」  
「………………」  
 少女は無言無表情ながら首肯した。  
 男はそれを見て鷹揚に頷く。  
 
「残念ながら俺はそいつを殺れねえが……リディ」  
 ヴァッツは剛毅な面差しをリディに向けて一言いい放つ。  
「そいつの処遇はおまえにまかせる。強制したくないんでな」  
「私もあなたと同じ気持ち……だよ」  
 意外なことにリディは明確に自分の気持ちを顕示してきた。  
 ヴァッツは再び頷いた。  
 
「お、おいてめぇ……教師を殺す気かコラ? ただじゃすまねぇぞオイ」  
 一転、魂からは泣き言が漏れ出した。  
「俺の主がだまっちゃいねぇぞコラ。エキドナてめぇ、俺の主が誰だか知ってんだろうが」  
「…………しらない」  
 無慈悲な一言。  
 少女の手には大きな樫の木の杖がしっかと握られていた。  
 
「お、おい待て、マジでただじゃすまねぇっつってんだろうが! おまえら、ただ死ぬだけじゃすまねぇってんだよ、あの方を怒らせたら…………!」  
「関係ない、ね!!」  
 そう言い切った少女が振り上げた杖が碧い光を纏って薙ぎ払われ、【捕縛〜fangen〜(ファンゲン)】によって動けないビュリタスの魂に見事、命中した――――――  
 
 
 11  
 
 リディは幸い、眼前に展開されている悪夢のような光景が幻覚だということにすぐ気付いた。  
 ビュリタスはおそらく生きちゃいないだろう。  
 手ごたえはあった。  
 
 だが、彼は命を賭してリディに厄介な置き土産をしていった。  
 一定時間意識を失わせ、壮絶な悪夢という名の幻覚を見せる精神魔法。  
 これはあくまでまぼろしなのだ。  
 身体にはダメージはない。  
 それでも、この魔界のような空の下に放り出され、後ろから触手生物が追いかけてくる状況はもの凄い恐怖だった。  
 
『くひひ……誰が死んだって?』  
「?!」  
 追い討ちをかけるかのように、聞き覚えのある声が少女の耳朶を打つ。  
 ビュリタスの声だということは解るが、どこから聞こえてきているのかは解らない。  
 
「ま、まさかこの魔法は……!」  
『そう、そのまさかだ』  
 後方から迫ってくる触手生物に追いつかれそうになるが、リディには走って逃げることしかできない。  
 この空間では魔法が封じられてしまうからだ。  
 
 ガシッ、と最初に捉えられたのは右足首だった。  
「…………!」  
 まだ一分程度しか経っていないのにもう捕まってしまった。  
 ガシ、ガッガッ――――と負の連鎖のごとく四肢を拘束させられる。  
 
『きひひ……いいザマだぜ、フェリロディ=エキドナ!』  
 どこからか、ビュリタスの下品な声が聞こえてくる。  
『遊んでるヒマはねぇからな……口惜しいが、すぐに終わらせてやるよ』  
 まもなくリディの眼の前におぞましい形状の触手が具現化する。  
 
 吸盤のような触手が二本、突起が大量についた触手が一本。  
 生理的嫌悪感にリディの身体は自然とぞくぞく震えだす。  
『怖いか? クク、安心しろ…………言ったろ、すぐ終わらせてやるって!』  
 魔法空間に反響するビュリタスの声とともにひとつのシルエットがリディに近づいてくる。  
 半透明で黒い、中肉中背の人型。  
 ビュリタスの精神体。  
 
『知ってるかァ、エキドナァ…………』  
 男の舌なめずりするような声音に少女の背筋に薄ら寒いなにかが走った。  
『この魔空間はなぁ、精神魔法にも関わらず直接対象に触れることが出来るんだぜぇ…………』  
 もちろん虚言だ。  
 触れられるのはこの悪夢の中だけで、それは実際に触れたことにはならないだろう。  
 夢の中でいくら痛い思いをしたとしても、現実では何も起こっていないのと同じである。  
 
『……そりゃ詭弁だぜぇ、エキドナよぉ』  
「!?」  
 心の中を透かされたようなビュリタスの言にリディは戦慄する。  
『現実のおまえが自由でも、今のおまえは束縛されてんだろうが。……と、無駄話がすぎたな。そろそろ始めるぜ、エキドナァ…………』  
 
 言下に、眼前に揺らいでいた触手が抵抗するすべをもたない少女の身体に接近してきた!  
「くっ…………!」  
 こうなるともうリディはただ一人の無力な少女でしかない。  
 いかに魔法に秀でていようが、それを使えなければ意味がないのだ。  
 後悔するべくは、この魔術にたいする抗魔法――クラージュ・マジーアを講じていなかったことだろう。  
 
 うねる触手がリディの衣服の中へ侵入しはじめる。  
「う…………んっ…………!」  
 華奢な肢体をくねらせて不快感を示すリディ。  
 魔法も使えぬいま、彼女はこの恥辱にただ耐えるしかないのだ。  
 触手は直接胸をまさぐり、下衣のうえから陰部を刺激してくる。  
 
「く…………くそっ!」  
 少女の口から思わずそんな悪罵がとびだす。  
 憧れのあの人ならおそらくこういうだろうと思ったからだ。  
 それに、今は無力な女の子でいるわけにはいかない。  
 ただもてあそばれるだけじゃない、身体は犯されても心は絶対に屈しないと、少女は誓う。  
 
『クク……わかってねぇな。……これは一方的な凌辱なんだよ』  
「…………!」  
 ふたたび心を読まれたかのようなビュリタスの口上にリディの痩身がふるえ上がる。  
 その間にも触手はついに下衣をかいくぐり、少女のもっとも大事な部分を弄ろうとしていた。  
 ビリィッ!  
 
 リディの上衣がやぶられ、可愛らしい白い下着、キャミソールがあらわになる。  
「ひ…………」  
 まともに怖がるいとまさえもなく、そのキャミソールすらまくり上げられ、外気にさらされた小さな胸に触手がぴたりと触れる。  
 ちゅうううぅぅぅぅぅ…………――  
 
「――ひゃあんぅぅぅぅっ!!」  
 双つの突起に走った強烈な衝撃に、リディは堪えきれず絶叫を上げる。  
 その触手は吸盤のようになっており、はた目にはそれが少女の乳首に吸い付いているように見えた。  
 ちゅく、ちゅぷちゅぷ、ぴちゅぴちゅぴちゅ、といやらしい水音が鳴りひびく。  
 
「んんっ! ひあっ! あくぅぅぅ…………っ!」  
 吸音が発されるたびに少女も甘い嬌声を漏らしてしまう。  
 すっかり勃ちきってしまった乳首を、触手は吸盤内部にある二本の舌で舐め、しごきあげる。  
「は、くぅ、んっ! ……やっ、あっ、だめ……いやぁ!!」  
 
 声が漏れてしまうのが我慢できないほど、彼女が覚えている性感は強いものだった。  
『へっ、いいザマだなエキドナよぉ。そんなナリでもう女として目覚めてやがんのかよ』  
 悔しいがビュリタスの言うとおり、リディは初潮を迎えている。  
 それに自慰の経験だって少ないながらあるのだ。  
 すべては‘あの男’のせいだが。  
 
「あ、んっ……ふあっ、んあぁ!」  
 あまりの気持ちよさに湧き上がってくる嬌声の欲求を抑えることができない。  
 このままでは絶頂に達するのは時間の問題にみえる。  
『ケッ、張り合いがねぇじゃねぇか。こうも容易に篭絡できそうなのも逆につまんねぇな』  
 
 もうビュリタスの声もまともに聞こえない。  
 少女のおもては快感の恍惚に酔いしれており、涎を垂らし、涙を流し、紅い瞳はトロンとして焦点があっていなかった。  
 故にか、彼女は下衣を脱がされ、大事な部分が晒されてしまったことにも気付いてない様子だった。  
『へっ、もうグショグショじゃねぇか』  
 ビュリタスは呆れ半分に言う。  
「は、はやくぅ…………」  
 
『は?』  
 
 よほどリディのセリフが意外だったのか、ビュリタスはワンテンポ遅れて反応した。  
「はやく…………そこ触って…………」  
 束縛され、さんざん屈辱を合わされているはずの少女が口走るような言葉ではなかった。  
『……気が触れたか? 言われなくても絶頂せてやるから安心しろや』  
 もちろんビュリタスは余裕の態度を崩さない。  
 
 ぐちゃり。  
「んはぁああああっ!!?」  
 もの凄い濁音がひびいたかと思えば、リディが享楽の悦びに満ちた嬌声を上げる。  
 おぞましい形状――凸凹やイボだらけのぶっとい触手が、少女の膣内に侵入したのだ。  
 
 ぐちゃっ、ぐちゅっ、じゅぶっ。  
「ひゃン!! んあああっ! やぁああ!!」  
 ずぶずぶと秘処に出し入れされるたびに絶叫のようなあえぎ声を発し、小さな身体を大きく痙攣させる。  
 気を失いそうなほどの快感を受けながら、彼女は心の底からこの状況を愉しんでいるようにみえた。  
 ビュリタスはここにきてようやく違和感を覚えていた。  
 
(おかしい……一度は絶頂ていてもおかしくないはずなのに)  
 もう十分経つ。残り十分もあれば彼女を果てさせるのは余裕のはずなのだ。  
「ふく、んっ……ざ、ざんねんだった、ね、んあっ! ……ビュリタス=ゴルディノー……あ、あたしは、はぁっ……まだ一度も絶頂ったことがないのさっ――――んはぁぁん!!」  
 ふとリディがそんな口上を垂れた瞬間、ビュリタスは心臓が跳ね上がったような感覚を覚えた。  
 精神体だからそんなことはありえないのだが、とにかくそれほどの衝撃を受けたのは確かである。  
 
『な、なんだと?!』  
 驚愕に声を上ずらせながらも、触手による責めを緩ませる事はない。  
「ひゃあぁっ、はぅ、あぁぁん!! ……き、きもちいいぃ…………」  
 愛液を垂らし……いや噴き出しながら、少女は生意気にもそんな科白を吐く。見た感じではもう二、三回は果てていてもおかしくない。  
 だのにこの空間が無くならず、また自分に大いなる生命力が漲らないのは、この少女がまだ達していないからだ。  
 
『てめえっ……この俺を羽目やがったなぁ?!』  
 あまりに驚きすぎたせいか思わず支離滅裂なことを口走ってしまう。  
「……意味がわからないね。それより、もう終わりかい? 手が……いや触手が止まってるようだけど」  
『黙れぇええ!!』  
 少女の挑発にビュリタスは怒号をあげ、思いのまま触手を炸裂させる。  
 
「ひゃああああぁぁぁっっ?!」  
 ぐちゅぐちゅと激しい濁音がひびき渡り、愉悦きわまる甘やかな声音が奏でられる。  
 あとおよそ五分しかないというのに、リディに絶頂(イく)気配はまったくない。  
 いや、いまやまったくないように見えてしまうのだ。  
 十分前であればもうイかせることができると確信していただろうが、リディの告白を聞いてしまったビュリタスにはもう彼女をイかせる自信がなくなっていた。  
 
『くそ、ふざけやがってフェリロディ=エキドナ!! このまま俺が無駄死にすると思うなよ!』  
 少女にその言葉は届かなかった。  
 
 
 12  
 
「精神魔法?」  
 大柄の壮年の男、ヴァッツはやや頓狂とした声を出した。  
「うん、この子はたぶんビュリタスとかいうやつの魔法空間に取り込まれてる。でも、放っておいても平気だと思うよ」  
 少女盗賊ヒュリンが簡潔な説明をする。  
 
「何故だ?」  
「顔色がいいから」  
 えらく安直な答えである。  
「たぶん悪夢を見させられてるんだと思う。でも、なんとなく大丈夫そうよ」  
「…………よく知ってるな」  
「知り合いに魔女見習いがいるからね」  
「……何だって?」  
 
 ヴァッツは少しだけ驚いてみせた。  
「ってもまだ知り合って三日しか経ってないけど」  
「そいつも過去からきたんだろうな」  
「うん、なんかいかにも魔女ってカンジのカッコしてた。『外に出るのは不都合だ』からって、ずっと私のうちに閉じこもってるけどね」  
「そうか」  
 ヴァッツは一呼吸置いて、すがすがしさを感じさせる表情でこう言った。  
 
「なかなか面白そうなことになってきたな」  
「え?」  
「魔女やら魔物やら、もう五百年以上も無縁の『混沌』って存在が現れてきてるんだ。これほど楽しそうなことはないと思わないか?」  
「あははっ、確かにそうね」  
 少女は朗らかに笑う。  
 
「ヴァッツさんと行動してると、今まで私をさんざん悩ませてたこととかがひどく矮小なものに見えてくる」  
「いいんじゃないか矮小で。くだらないことに思いっきり頭を捻るのが人間というものだろう。  
 当事者にとっては一大事でも傍から見ると瑣末なことという事例は尽きないが、その傍から見ている人間だって他者にとってはどうでもいいような悩みを抱えていたりする。  
 前に進んでるかもしれないし後退してるかもわからないが、常に変化を求めてる、それが人間だろう?」  
「うん…………そう、だよね」  
 
 ヒュリンは顔を綻ばせてヴァッツの話を聞いている。  
 彼の考え方はすごく共感できるものだけど、自分が嫌いな人間……たとえば父親に言われたとして、素直に耳を傾けることができただろうか。  
 否、無理だろう。  
 同じセリフを紡がれたとしても、言う人間によって説得力は全く異なってくるものだ。  
 
「そういえばまだ起きないか、リディは。さっきからずっと眠ったまま変化はないようだが」  
「うーん……――あっ!」  
 噂をすればなんとやら、リディの身体が微振動しだした。  
 そしてゆっくりと眼が開かれ、頭頂部から青い球体がすぽんと飛び出してきた。  
 ビュリタスの魂。  
 
 表情や挙動が窺えるわけでもないのに、今にも消え入りそうな雰囲気のそれ。  
「ふあぁ…………」  
 リディは大きく伸びをして目覚めた。  
 ビュリタスの魂とは対照的に、きわめて元気そうだ。  
 
「あー、気持ち良かっ…………悪かった」  
 一度は言うのを止めようとしたがか言い切りそうになってしまった。  
「……気持ち良かった?」  
 ヴァッツが怪訝な顔で問いかける。  
 
「夢の中での出来事でしょ? 見た目によらず(?)エッチな子だねー」  
 ヒュリンがからかうように言うと、リディの顔が赤くなった。  
「ち、ちが…………――」  
 ……………………。  
 
 ……その先の言葉は紡がれなかった。  
 リディが言い訳を思いつかなかったからだ。  
「おいお前ら…………俺を無視すんなよ」  
 ビュリタスの声が聞こえる。  
 魂から発せられる声でも、人間の身体から発せられる声と遜色ないのだと解る。  
 何故なら、彼の今の声音は先刻と違っていかにも弱々しいからだ。  
 
「……このままほっといてもヤツは死ぬのか、リディ」  
 ヴァッツの問いに、リディは頬を紅潮させたまま静かに首を傾ける。  
「へっ……さすがは中等位主席の才女だぜ。……そっちの方もただもんじゃ無かった、か…………」  
 ビュリタスの言葉にリディはぷいと顔をそむけた。  
 
「ビュリタスとやら、おまえの主は一体何をたくらんでる?」  
 ヴァッツが訊くと、ビュリタスは嘲笑したような声をだした。  
「話しちまったら……面白くもなんとも無くなるだろうが。……別に、てめえが想像をめぐらせるような……ご大層な目的でもねえ。ありがちなもんだ」  
 ビュリタスの口調はどこか、自分の主に諦観然と接しているような響きがあった。  
 
「……どうせ間もなくオレは消えるんだ、ひとつ良いことを教えてやる。そこの娘は生きてるが、精神が壊れてる。廃人同然だ。ま、あの魔法を使える、こっちに送られてきたアイツならそいつを治せるだろうよ」  
 精神を壊したのは誰だよと、ヴァッツは怒鳴りたくなった。  
「とはいえ、アイツがおまえらに協力するかどうかはかなり疑問だがな。なにしろそこにいるフェリロディ―――――――――」  
 
 フッ、と。  
 きわめて、唐突に。だしぬけに、自然と。  
 ビュリタスの魂が、ヴァッツたちの眼前から完全に消滅した。  
 

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