第二章「後れてきた魔女見習い」
1
「リディ……ひとつ訊きたいことがある」
トーレの洞窟の帰路、ヴァッツは村長の孫娘クレミアを背負いながら、後ろを歩む少女に前をむいたまま話しかける。
リディの隣には、いつもとはうって変わって大人しいヒュリンが歩んでいた。
「…………なんだい?」
「ビュリタスとやらの魂は消失したようだが……ああなると肉体の方はどうなってしまうんだ?」
なんだそんなことか、と正直リディは思った。
もっとシリアスというか、核心をつくような質問をされるかと思っていた。
「ああなると、肉体のほうは完全な抜け殻になっちゃ……ちまう。
どこに元の身体を置いてきたか知らないケド、もうあいつが死んだのは間違いないよ」
相変わらず口調がフラフラなリディである。
「そうか」
すたすたすた………………。
(……それだけ?!)
まったくなんの感動も示されずにすたすた先に行ってしまうヴァッツに、少女は唖然とした視線を刺す。
何故か横にいるヒュリンがぷっと小さく噴き出した。
「な、何がおかしいのだい?」
「まず、あんたの口調」
不意打ちの指摘を受けたリディの顔は真っ赤になった。
「それは置いとくにしても……ヴァッツさんは普段はマイペースだからねぇ。まじめな人は付き合いにくいかも」
少女盗賊は遠い眼をする。
不真面目ってわけじゃないんだけど、と心の中で追加しておいた。
「でも、いい人だし、強いし、色んなことを知ってる。
これからどうするかはあんた次第だけど、しばらくはヴァッツさんのもとで歩むのもいいかもよ」
ふとリディは思った。
このひとはどこまで知ってるんだろう……私やレージルさんのことを。
そして、レージルさんとどんな関係だったんだろう。
「あ、そろそろ出口みたいよ」
かすかな夜の情景がみえる方角をヒュリンがさし示す。
と同時に、リディはえもいわれぬ強烈な違和感に襲われる。
そう、まさに「襲われる」という感じだった。
とてつもなく嫌な予感……生理的に危ない何かを覚えてしまっていた。
「れ、レージルさん……!」
少女は思わず低い声で叫んでいた。
間違いない。
この気配はあの子だ。
「ん? どうした」
先を行っているヴァッツが振り向く。
「そこから離れてください!」
少女のただならぬ様相に、男はすぐさま出口から距離を取る。
その瞬間であった。
ドゴオォォォォォォォン――――。
洞窟の出口付近で大爆発が起こった。「何……?!」
「――【自然の守護〜nature scudo〜(ナテュールスクード)】!」
突如リディたち三人の眼前に展開される巨大な魔法障壁。
淡い光の粒子が爆発による衝撃や粉塵をみごとに遮断してくれる。
「…………!!」
ヴァッツもヒュリンも大きく眼を見開いていた。
この少女がいなければ自分達はいまごろ死んでいたかもしれない。
運が良くて半身不随だろう。
「……………………」
爆発が収まったあともリディは鋭い眼光を出入り口付近にむけたままだった。
あまり大きくはない魔力を感じる。
自分のものと比較したら笑ってしまいそうになるくらいの、小さな魔力。
だが彼女を蔑んだ記憶は一度もない。
けれど、彼女はいつもリディにもの凄い対抗心を燃やし、ことあるごとに壮絶な闘いを展開してきた。
「……テアルちゃん………………」
出口の岩場の陰にいるであろう彼女に、リディは呼びかけた。
テアル=サイモリア。
フェリロディ=エキドナと同学年の少女にして、唯一好敵手として相応しいとされた生徒。
「久しぶりだな、フェリロディ=エキドナ」
年齢にしては低く、ドスのきいた声が聞こえる。
「元気そうでなによりだ」
未だ姿を現していないくせに、そんなことを言う。
「ちょ、ちょっと待ってよテアル!」
意外にも割り込んできたのは少女盗賊ヒュリンだ。
名前を知っているということは、匿っていた魔女見習いとはテアルのことなのだろう。
「なんでこんなことすんのよ! あやうくあたしまで死ぬとこだったんだからね!」
「大丈夫だ、問題ない。現にそこにいる女が防いでくれただろう?」
「なっ……!」
テアルの詭弁に近い物言いにヒュリンは絶句する。
「…………いつまでも隠れていないで姿を現したらどうだ」
先刻の驚きはどこへやら、ヴァッツが煽るように言い放つ。
その挑発に乗ってというわけでもないだろうが、意外にもテアルは簡単に三人のまえに姿をあらわした。
抜けるように綺麗な黒髪のうえに、つばが広い暗紫色の円錐帽子を被っている。
顔立ちは鮮鋭に整っているが、深緑色の瞳はかなりけわしい三白眼。
陶磁のように白くきめ細やかな肌にまとうのは、丈が短めの真っ黒なローブ。
加えてかなり奇妙な形状をした大きな杖を持っていれば、リディと同じ魔女見習いであることは自明だろう。
ただ、体つきや顔つきはともかく、年齢の割りにかなり小さなリディより身長が低いのが気になるところだった。
つまり、彼女はきわめて小柄なのだ。
「……すこぶる小さいなわりに尊大だな」
「煩いぞ、貴様」
気にしているのか、テアルはヴァッツの言葉にすぐ反応した。
「ひとつ忠告しておいてやるが、貴様など数瞬で灰に変えることができるんだ。言葉には気をつけるんだな」
「いいや、無理だね」
否定したのはヴァッツではない。リディである。
「私……あたしがそんなことはさせないよ」
「ほう…………」
テアルは眼を細め、口端を僅かに吊り上げた。
「現代の人間に比べれば未来の人間など脆弱にもほどがある。魔法に抵抗する手段がないんだからな」
言下に、テアルは杖を振りかぶって叫んだ。
「【焦熱弾〜Llama glans〜(ジャーマ・グランス)】!!」
ゴオオオオオォォォォォォォゥ!!!
詠下にテアルの眼前に巨大な焦熱の火球が形作られてゆく。
すでにヴァッツたちにはテアルの姿をみとめることができなくなっていた。
「…………尋常の沙汰ではないな」
冷や汗を浮かべながらもヴァッツは微苦笑をうかべている。
「ほんと、ただごとじゃないね」
ヒュリンも同じような反応。
平時であればリディがあきれ返っているところだが、いま彼女はそれどころじゃない。
(あれだけの自然魔法を『無詠唱〜preghiera conjuro〜(プレギエーラ・コンフーロ)』で放つなんて……無茶だよ…………)
リディは抗魔法〜courage〜(クラージュ)を詠唱しながらもテアルの身を案じていた。
魔法を詠唱無しで放つことも可能だが、そのぶん体力や精神力や魔力が大幅に消耗する。
自然魔法ジャーマグランスはかなり高位の魔法ゆえ、無詠唱で放てばその反動も凄まじいからだ。
ゴオオオオォォォォォォッッ!!
と猛烈な熱気と勢いで迫りくる焦熱火球。
リディは『高速詠唱〜aceleracion conjuro〜(アセレラシオン・コンフーロ)』で辛くも抗魔法を完成させる。
「【自然鎧兜〜nature armatura〜(ナテュール・アルマテュラ)】!!」
掲げた杖に碧い光がきらめき、三人の身体もまた同じ色に包まれる。
「む……?」「え、何コレ?」
ヴァッツもヒュリンも思わず驚嘆の声を上げるものの、そのいとまはほとんど無かった。
三人の全身はすでに焦熱の炎に包まれていたからだ――――――が。
「熱っ…………ということにはならないな」「ですよねー……」
ふたりして予測どおりといった反応で平然としている。
ただひとり、リディだけが胸に手をあてて咳き込んでいた。
「……おい、大丈夫か」
「うん…………なんとか――」
「この洞窟大丈夫か? こんなに魔法を連射したら崩れてきそうだな」
「……………………」
リディに存外けわしい表情で睨まれ、たじろぐヴァッツ。
「いや、冗談だ」
「……そういう冗談は好かないね。もっと気の利いた言葉を並べて欲しいもんだ」
「すまん」
シュウウゥゥゥゥ……。
強大な自然魔法ジャーマグランスの脅威はあっという間に去った。
「ぐはぁっ! がっ……は…………」
悲痛なうめき声がヴァッツたちの耳朶を打つ。
間もなくそれはテアルのものだと解った。
「ぐうぅ…………――うげあぁっ」
小さな少女の口から少なくはない紅き液体が吐きだされる。
かといって、三人が三人とも目を逸らそうとはしなかった。
「…………魔法の副作用か、あれは」
ヴァッツがよく通る小さな声でリディに訊く。
少女はコクンとうなずいた。
「今のうちに殺れ」
「……そんなこと言わないでくれないかい」
「ん……?」
リディの意外なセリフにヴァッツは瞳孔を丸くする。
「あれはおまえの仇敵ではないのか」
勝手にそういう設定を作らないほしい、とリディは思った。
「……確かに私……あたしは嫌われてたかもしれない、けど…………少なくともあたしは、テアルと友達になりたいと思って……」
「甘言だな…………」
ヴァッツは重く響くような低い声で少女に喋りかける。
「ほら、やつを見ろ」
男が顎をしゃくってしめす方向を、少女はおそるおそる振り返る。
「…………!!」
――テアルは、睨んでいた。
口唇から血を垂れ流しながらこちらをねめつけるその表情は、まるで親の仇を見るように冷たく、凄絶な様相であった。
「フン…………何を怯えた目で見ている、エキドナ。私が吐血する姿がそんなに愉快か?」
血をぬぐおうともせず、全力で嘲笑し、蔑視をむけ、侮辱の言葉を吐くテアル。
傍から見ればテアルはリディにそうとうな恨みを持っているように思えるが、リディ自身はなぜここまで彼女が自分を嫌い、恨み、憎んでいるのか分からない。
「これで終わりと思うなよ、エキドナ」
「や、やめてよっ!」
身体をひきずりながら再び杖を構えようとするテアルに、リディは必死の思いで止めようとする。
「これ以上やったらテアルちゃんの……あんたの身体がこわれちまうかもしれないだろっ!?」
「……そのふざけた口調といい、私もだいぶ嘗められたものだな。この程度で私がへばると思ったか。が……」
テアル、片手で持った杖を眼前に突きだし瞑目する。
美しい黒髪が、少女の周囲に生じはじめた風によって上へなびく。
「今日のところは…………っ!」
だんっ! と地を蹴るリディを見て舌打ちしそうになるテアル。
リディはテアルの行使おうとしている魔法を見切り、それを止めるべく全力で接近しはじめたのだ。
「くっ…………」
あわてて詠唱を中断し、防御体勢に入るテアル。
リディが『自動体術〜Auto corpus〜(オートコルプス)』で襲いかかってくるのが解っているからだ。
「はぁぁあぁあっ!!」
幼いながらも気合のこもった声とともに、リディの樫木の杖がテアルへ振るわれる。
ドゴッッ!!!「がっっ!!!」
ものすごくにぶい音が鳴るとともに、テアルの手から杖がものすごい勢いでぶっとんだ。
どころか、テアル自身も派手にふっとんでいた。
杖は洞窟のかなり奥の方までいってしまい、少女もまともに受身を取れずに石の地面に叩きつけられる。
グギャ、といういやな音も三人の耳にはいった。
テアルは目を覚ます気配がなかった。
「……………………」「……………………」「……………………」
うつ伏せに倒れたボロボロの少女を、三人は顔を見合わせながら窺う。
「……やってくれたな、エキドナ」
テアルの声にビクッと反応したのはリディだ。
両手で杖をもち、身体を支えながらがくがく起き上がる様は痛々しい。
右脚のどこかを折ったらしく、左脚だけでなんとか立っている状態。
そうとうな痛苦を感じているはずだが、闘志は衰えていないらしく未だ鋭い眼光をリディに向けている。
「相変わらずだ、な…………ぐっ…………だが、私はまだ負け……――くっ!!」
リディが再び杖を手に疾駆すると、テアルはやや愕然とした表情を浮かべて臨戦態勢に入……れない。
彼女はただ自分に向かってくる悪魔を凝視するのみ。
ヒュッ、ドゴッッ!!!
「がっ…――はぁっっ!!」
杖の先端で腹部を殴打され、小柄な身体をくの字に反り返らせるテアル。
逆流してきた血液が吐きだされて地面に血溜まりを作り、少女はくずおれるように地面へうつ伏せに倒れた。
「…………ほう」「……ちょっとやりすぎなんじゃ」
感嘆とするヴァッツとやや引き気味のヒュリン。
「……………………………………」
当のリディは、自ら殴り伏せた小さな少女を冷たい眼差しで見下ろしていた。
その瞳に弱々しくもみたび起き上がろうとするテアルが映し出されると、彼女もまたみたび杖をかまえた。
「…………ま………まだ、だ………………」
地面を這いつくばりながらも立ち上がろうと試みる少女めがけて、リディは無慈悲に杖を振るおうとし――止められた。
「やめておけ。もう十分だ」
ヴァッツが杖の中腹あたりをぐっと握りしめていたのだ。
「もう相手に戦う力は残っていない。弱者をいたぶるのは良い趣味とはおもえんぞ」
「ちがう…………」
リディは不満げな顔をヴァッツにむけた。
「何が違うんだ」
「……彼女を魔法でどこかに強制送還する。異論は?」
急にクールな表情になったリディに違和感を覚えはしたが、ヴァッツは「無論、ない」と即答した。
「…………くく、く…………こ、後悔するぞ……エキドナ………」
「……ああ言ってるが?」
「私も本当はもっと痛めつけたいんだけど……これ以上やったら本当に……マジで壊れちゃうかもしんないだろ?」
ようやく明るめの姉御口調になったことに、ヴァッツはなぜか安堵した。
リディの意外すぎる一面にさしものヴァッツも戦慄を覚えていたからだ。
「……じゃ、いくよ」
言下に、杖を掲げたリディの周囲に風が巻きはじめた。
すると、黒いミニスカートがめくりあがっていかにも子供っぽい淡黄色の下衣が見える。
ヴァッツは一瞬「むぅ……」と眼を細めたあと、すぐに顔をそらした。
「く……くそっ…………」
地面を無様に這いつくばって悪罵するテアル。
「こ、後悔すると…………後悔すると言っているのが聞こえんか、エキドナぁ!」
しかし、異能魔法〜percezione〜(ペルチェツィオーネ)を詠唱中のリディは目蓋を閉ざして集中しているため、まったくの無反応だった。
そして、‘それ’は無慈悲に完成した。
「【無作為転送〜Neugier exir〜(ノイギーア・エグジル)】」
なんの感情も籠もっていないような、透きとおった声音。
リディが正眼にかまえた杖から淡い青光の粒子が、
キィィィィィィン!
ときわめて甲高い音をたてて飛散し、それと同時にテアルの身体が徐々に薄れてゆくのをヴァッツはみた。
少女はなにやら悔しげに口をぱくぱく動かしているが、もはや何も聞きとれなかった。
ヒュン―――――――――――――――――――――。
黒い衣をまとった魔女見習い〜〜の存在は、この空間から完全に消滅した。