◆◆◆◆◆◆◆◆  
 
 ウェステンブルグ城の朝は早い。まず真っ先にメイドたちが起きて、朝食の支度や洗濯、花壇の水やりなどを行う。それから城に駐屯している親衛隊が起きだして、朝の走りこみを始める。  
 その掛け声を聞いて起きだすのが、魔王の娘ミナレッタだ。支配者の朝は存外早い。  
 だが、今日のミナレッタは普段よりも更に後、親衛隊の朝の訓練が終わって、ねぼすけのナコトが起きる時間になってようやくベッドから這い出てきた。  
「陛下、本日の朝食は西方国風にしてみました」  
「うん……」  
 上座に座った少女が眠い目をこすりながら、メイド長ジャスミンの話を聞いている。その姿はベッドから引きずり出された子供そのものだ。  
「全く、あの使者め。いつまでもべらべら喋って……全くもう」  
 寝坊の理由は、数日前からこの城に滞在していたある国からの使者だった。膨大な量の贈り物を持ってきたのはいいのだが、夜行性の魔族で、しかもお喋りだったために連日夜遅くまで長話に付き合わされたのであった。  
 寝ぼけ眼で紅茶を飲み、それからスコーンを齧る。と、ここでミナレッタの瞳が僅かに開かれた。  
「ん……いつもより美味しいじゃない?」  
 いつも出てくるメニューはよくてレシピ通り、悪ければ分量を間違えた食事が出てくる。ミナレッタは食事の味にはこだわらないのであまり気にしなかったが、今日のスコーンはそんな彼女でも目を見張るぐらいよくできていた。  
「腕を上げたわね」  
「え、ええ」  
 だが、主人に褒められたというのにジャスミンの笑顔はぎこちない。何かを隠しているような様子でもあったが、寝不足のミナレッタはそれに気付かなかった。  
「しかし兄上が何を企んでいるかは分からないけど、こうも色々送られちゃ返礼の使者を送るしか無いわねえ」  
 礼には礼を持って返す。贈り物を受け取ったら、相応の量のお返しと使者を送らなければならない。それが国を統べる者達の間のしきたりである。例え、やってきた使者が不快かつ不穏な言動を残していったとしてもだ。  
「何をされるか分からない以上、ナコトに任せるしかないか」  
 時を止められるナコトなら、万が一向こうの国で窮地に陥っても抜け出すことは容易だ。使者として相応の地位もある。夜に人肌恋しくなるのは寂しいが、そこは王たるものの勤めとして我慢する。  
 さて、何を送り返そうかと考えていると、ふとある人物のことを思い出した。働いているのかいないのかいまいち分からないあの男。こういう場で使うのもいいかもしれない。  
 眠そうなミナレッタの顔に、ほんの少しだけ喜悦の笑みが浮かんだ。  
 
 
 
 ウェステンブルグ城より西へおよそ600km、そこにブランデン城は存在する。北の海と南の海の両方に面し、大陸でも一二を争う広さを持つ大国、ブランデン大公国の中枢である。  
 城下町は首都にふさわしいスケールを持っているものの、そこに人間の姿は殆ど無い。この国を治めるのは魔界からやってきた魔族たちだ。人間の入る余地は無い。  
 だが今日は例外のようだ。ブランデン城の一室、他国からの使者を出迎える応接室に、一人の人間の姿がある。礼服に身を包んだアイルの緑色の瞳は、窓の外に広がる町並みを茫洋と眺めている。  
「何を見てるの?」  
 その背中に声が掛かる。振り返ると、ソファに横たわったナコトが彼を見上げていた。身を包んでいるのは、普段の簡素なローブではなく、金糸で刺繍の施された豪華なものだ。  
「……そんな格好だと皺になるぞ」  
「大丈夫。魔法で直す」  
 ナコトは起き上がらない。いつものように起きているのか眠っているのか分からない目で、アイルを見つめるだけだ。彼女の銀髪がちらちらとロウソクの明かりに照らされて光る。  
 ブランデン城はウェステンブルグ城とは違い、電気は通っていない。光源や冷暖房などは全て魔法で賄われている。応接室のシャンデリアも、全て火の消えないロウソクが使われている。  
 かつて人類が使用していた電気は、過去の戦争によって発電所が破壊されたことにより、地上から消えつつあった。そもそも魔族のもたらした魔法のほうが便利なのだ。未だに電気を使っているのは、一部の人間の国と、物好きな魔族ぐらいである。  
 そしてアイルはその両方をよく知っている。  
 
「……ところで」  
「なんだ」  
 不意に、ナコトがアイルに声をかけた。  
「どうしてあなたがついてきてるの?」  
「今更聞くのか」  
 本当に今更である。ミナレッタは彼女に何も言わなかったのだろうか。  
「あの魔王の娘が、お前についていけと言ってきたんだ」  
「ミナが?」  
 アイルが頷く。彼としては余計な仕事でしか無いのだが、『白軍』の王妃の捜索に必要な資金はほとんど全て魔王の娘が出しているため、断ることはできなかった。  
「他には、何か?」  
「隙があったら殺してこいと」  
「そっちが本命じゃない……」  
 確かに、ここ最近ブランデン大公国はウェステンブルグに対して挑発的な行動をとっている。国境付近で軍を動かしたり、関税を引き上げたり、ウェステンブルグに何かしようとしているのは明らかだ。  
 だからといっていきなり国王の暗殺を狙うのは無謀極まりない。成功すれば国内は一時的に混乱するだろうが、すぐにウェステンブルグへの弔い合戦を旗印に団結するだろう。そうなれば、国力で圧倒的に劣るウェステンブルグが勝てる見込みは無い。  
「使者の代表は私なんだから、余計なことはしちゃだめ」  
 ナコトがアイルに釘を差す。が、それに続いて不穏な一言をつぶやいた。  
「……尤も、何か出来たらの話だけど」  
 
 
 
「ウェステンブルグより使者の任ご苦労。私がブランデン大公国を治める、ジェイヴィック・ブランデンだ」  
「知ってます」  
「そうだろうな。今年に入ってこれで5度目か。ミナは元気か?」  
「おかげ様で寝不足です」  
 会話をする片方は、ウェステンブルグからの使者、ナコト。そしてもう片方は豪奢な冠と金色の鎧に身を包み、口に葉巻を咥えた褐色肌の魔族、ブランデン大公国の国王、ジェイヴィック・ブランデンだ。  
「ふむ、そうだな。奴はお喋りだから夜遅くまで付き合わされたろう」  
「人肌恋しい夜が続きました」  
 二人の会話の隣でアイルは黙り込んでいる。どこかズレた受け答えに呆れているわけではない。部屋に入って早々、国王ジェイヴィックの暗殺は不可能だと気付かされたからである。  
 警備が厳重だというわけではない。周りには警護のミノタウロスが6体。その後方には魔族の書記官や、使用人たちが大勢控えているが、アイルの銃撃を止めるほど近いところにはいない。  
「ははは……いやしかし、ミナもいい加減男を見つけて身を固めたほうがいいと思うのだがな。その、なんだ。疲れないのか、お主は?」  
「いえ、大好きですから」  
「そうか、うむ……」  
 問題はジェイヴィックを囲むバリアだった。彼の玉座からは座る者を守る魔法の障壁が展開されている。アイルの持ち込んだ拳銃の弾ぐらいなら、容易く弾いてしまうだろう。  
 相手が一歩でもその外に出てくれればいいのだが、残念ながらその気配はない。懐に鉛の重みを感じながら、アイルは何もできずにその場に立ち尽くしていた。  
「まあ、ミナのことはそれでよいとしてだ。最近、ウェステンブルグからやってくる商人の数が少なくなっているのだが、これはどういうことだ?」  
「この間まで戦争やってましたから。来月には元通りだと思います」  
「ふむ。それと我が領国の一つ、ファンデンに出入りしているうぬらの軍隊のことだが」  
「あそこは昔からウチの領土ですよ」  
「あの地域の住民から我が国に相談を持ちかけてくることが度々あってな。そのことも含めていい加減話し合いの機会を設けたい、と思っているのだ」  
 言葉遣いこそまだ穏やかなものの、ナコトとジェイヴィックの間には抜き差しならない緊張感が漂っている。一つ言葉を間違えれば、それだけで戦争が始まりそうな雰囲気だ。  
「いくら妹とはいえ、あまりワガママは通せんぞ。我らは民の上に立つ支配者なのだからな」  
「じゃあ今度、ミナに話してみますから。それまで待ってて下さい」  
「……その言葉も、今年で5度目だな」  
 ジェイヴィックのため息には、隠し切れない失望が滲み出ていた。  
「お主の方はどう思っている?」  
 ジェイヴィックが呼びかける。一拍遅れて、アイルは自分に話しかけられたことに気付いた。  
「俺か」  
「お主以外に誰がいる。お主はファンデンについてどう思っておるのだ?」  
「俺はあの魔王の娘からは何も聞いていない」  
「ミナの言葉では無い。お主の言葉だ。何、ほんの戯れよ。妹が雇う気になった男が何者なのか、少しは知りたくてな」  
 そう告げるジェイヴィックの顔には、うっすらと笑いが浮かんでいた。アイルは視線を僅かに横に向ける。書記官がオーブに手をかざし、会話を記録しているのが見える。下手に答えれば、向こうに攻めこむ口実を与えることになるだろう。  
 
 ウェステンブルグがどうなろうと知ったことではないが、『白軍』の王妃を探すのにウェステンブルグの力は必要だ。  
「そうだな……」  
 出発前にミナレッタから聞かされた話を思い出す。ファンデン。ウェステンブルグとブランデンの丁度国境の辺りにある小国。豊かな鉱山に囲まれたこの土地をめぐって二国は長い間争いを続けている。  
 最初にこの地域を征服しようと攻撃したのはブランデンで、それを助ける名目で傘下にしたのがウェステンブルグだ。だが住民はウェステンブルグに従いつつも、時折強いブランデンに頼ることもある。  
「あの国からそちらに相談があるのはいい」  
「ほう」  
「だが、何を相談しに来たんだ?」  
「なに、ファンデンの領主が近くの野良魔族をなんとかして欲しいと頼みに来ただけだ。お主らウェステンブルグでは頼りにならんと思ったのだろうな」  
「その会話の記録は残っているのか?」  
「む……いや、それは……」  
 ジェイヴィックの笑みが消える。  
「公的な記録ゆえ、すぐには用意できん。今は諦めろ」  
「そんなことは無いだろう。そこにいる魔族に命令すれば、すぐに聞けるはずだ」  
 視線を横にいる書記官に向ける。その書記官は慌てて目を背ける。図星だ。魔族は心の中がすぐに態度に出る。  
「あのオーブとは別のものに会話を記録してあるのだ。すぐには引き出せん」  
「そうか、それなら情報不足だな。答えるのは止めておこう」  
「固いことを言うな。想像で話せばよいのだ、うん?」  
「想像か」  
 ジェイヴィックは墓穴を掘った。一拍置いて、アイルがとどめを刺す。  
「『ブランデンから次々と野良魔族が流入してくるのを何とか止めてくれ。金ならいくらでも払う』そんな風に泣きついてきたか?」  
「何ッ!?」  
 ジェイヴィックの顔色が怒りに、そして困惑に染まる。仮にも一国の王が感情をここまであらわにするのか。アイルは少し呆れていた。  
「気にするな。言われた通り、戯言を話してみただけだ」  
 そう弁解するが、ブランデンの顔は晴れない。広間の空気も張り詰めていた。  
 ブランデンが野良魔族をわざとファンデンに送り出していることは、既にミナレッタが調べていた。王が採る策にしてはあまりに杜撰で下劣、そう言ったミナレッタの笑いを思い出す。  
「……まだ、何か聞きたいか?」  
「もういい」  
 ジェイヴィックが咥えていた葉巻を握り潰す。今にも席を立って部屋を出て行こうとする勢いだ。それならそれでいい。アイルは懐の拳銃にそっと手を伸ばした。  
「お父様」  
 その時だった。張り詰めた緊張の糸の下を潜るように、鈴の二重奏のような声が響き渡った。ジェイヴィックの、ナコトの、護衛たちの、そしてアイルの視線が一斉に声のした方を向く。  
 玉座の間に並ぶ大理石の柱の一本。その影から少女の顔がこちらを覗いていた。人間の少女ではないことは、そのすみれ色の肌とウェーブがかかった銀色の髪で分かる。  
「おお、レクシィ! ライカはどうした?」  
「私はライカよ」  
「レクシィは私」  
 同じ声がもう一つしたかと思うと、柱の影の反対側から瓜二つの顔がひょっこりと顔を出した。双子の魔族が柱の影から出てくると、上品な網目模様のドレスがさらっと揺れた。  
「みなさん」  
「ごきげんよう」  
 そのドレスの端を持ち上げ、双子の魔族は同時に金色の目を伏せて優雅に一礼をする。  
「……誰だ?」  
 アイルは小声でこの闖入者の正体をナコトに問いかける。  
「ジェイヴィックの娘よ。レクシィとライカ」  
「どっちがどっちだ?」  
「わかんない」  
 その間に双子はとてとてとジェイヴィックの元に歩いて行き、玉座に座る彼の膝の上に腰掛ける。  
「またウェステンブルグの人が来たの?」  
「贈り物が一杯あったよ?」  
「そうか、もう見てきたのか。欲しいものはあったか?」  
 ジェイヴィックの問いに、双子は同時に首を傾げて困ったように笑った。  
「面白そうなものはね」  
「無かったの」  
「むぅ……おい、使者共。次はウチの娘も気に入るものを持って来い。いいな?」  
 そういうジェイヴィックに先程までの覇気はない。娘を甘やかすただの父親にしか見えなかった。アイルは銃からゆっくり手を離す。あの調子では娘たちが膝から降りない限り玉座を離れないだろう。  
「でもね、お父様」  
「欲しいものはあるよ」  
「おお! なんだ、言ってみろ。なんでもくれてやるぞ」  
 途端に機嫌を良くしたジェイヴィックの膝の上で、双子の魔族はウェステンブルグの使者たちに目を向ける。  
「え、ちょっと。まさか……」  
 ナコトが呻いたが、既に事態は決していた。  
 
 夕暮れのブランデン。沈む夕日が地上のありとあらゆるものを赤く染める。そこに立つナコトの銀色の髪も、今は光を受けて黄金色に輝いていた。  
「……どうしてこうなった」  
「魔族の気まぐれはわからんものだ。諦めろ」  
 その横にはアイルが立っている。彼が身に纏うコートは夕日を受けても黒色のままだった。  
 二人は馬を待っていた。ブランデンとの対話は結局平行線のまま終わり、これからウェステンブルグに帰るところだ。たった一人をこの地に残して。  
 何かを話せばいいのだが、お互い何を話せばいいか分からない。何か話したいのだが掛ける言葉が見つからずためらい、結局何も話さない。そんなもどかしい時間が続く。  
 結局、一言も交わさないまま馬がやってきた。手綱を引く従者が乗るように促す。  
「ねえ、アイル」  
「なんだ」  
「私のこと、忘れちゃ嫌よ?」  
「……いきなりどうした」  
「だって、ここでお別れだから」  
 さあっ、とそよ風が二人の間を通り抜ける。  
「すぐ戻れるだろう」  
「……ムードを考えなさい」  
「何故だ?」  
 はあ、とクルルがため息をつく。それで二人の話は終わったようだ。クルルが鞍によじ登る。  
「それじゃ、さよなら」  
 それだけ言って、クルルは帰っていった。ミナレッタが待つウェステンブルグへ。  
 後に残されたアイルはしばらくその後ろ姿を見送っていたが、使者の列の最後の一団が見えなくなると、どうしたものかと所在無さげに辺りを見回した。  
「私たちを」  
「探しているの?」  
 その両手を後ろから掴まれる。振り返ると、彼の腕を掴む双子の魔族がいた。  
「そんなに不安にならなくても」  
「私たちはちゃんとあなたのこと、見てるよ?」  
「さっさと離れろ」  
 ぶっきらぼうにアイルが返事をするが、レクシィとライカはクスクスと笑うだけで怖がる素振りは全くない。  
「だーめ。せっかくの贈り物なのよ?」  
「すぐには捨てないわ」  
 レクシィとライカが言った『欲しい物』。それはアイルのことだった。どこをどう気に入ったのか、この双子の魔族はアイルを側に置きたいと思ったらしい。  
 隣にいたナコトは猛烈に反発したが、ジェイヴィックまでもがアイルにしばらく滞在するよう求めると、それを断ることはできなかった。バカバカしい話だが、彼は娘のためなら戦争を起こすことも辞さない。  
 そういう訳で、アイルはジェイヴィックとその娘のご機嫌取りのために、三日間ほどこの城に滞在することとなった。ちなみにナコトも一緒に泊まろうとしたが、時渡りを城内に長い間置いておくのは危険だということで断られた。  
「ねえ、アイル。私たちの側にいられて嬉しい?」  
「それとも、お友達と離れ離れになって寂しい?」  
 両腕を絡めとった双子がアイルに問う。  
「いや……」  
「いや、って?」  
「どっちなの?」  
 なおも双子に問い詰められ、アイルは答えた。  
「……別に、何とも思わん」  
 その答えにはほんの少しだけ戸惑いが混じっている。それを聞いて、双子の魔族は彼の体越しに目を合わせると、にんまりと目を細めた。遊びがいのあるゲームを見つけたかのように。   
 
 
 
 レクシィとライカが気に入ったのは、ウェステンブルグからやってきた人間の男、アイル・ブリーデッドだった。ミナレッタが半ば彼への嫌がらせ、半ば暗殺目的で送った彼を、彼女たちがどうして気に入ったのか。それは誰にもわからない。  
 彼がブランデンに来てから三日経ったが、飽きる様子は見当たらない。今日も中庭で彼と一緒に花を見ながら散歩している。最も、彼の方は花など眼中になさそうだが。  
「全く、何が楽しいのだ……」  
 窓辺で葉巻を吸いながら、ジェイヴィックは娘たちを見守っている。その表情はなんとも苦い。魔族と言えども父親としての感情は当然持っている。はあ、と溜息を付くと口の端から紫煙が漏れた。  
「よいではありませんか。開戦に丁度いい生贄が手に入ったのですから」  
「うむ……」  
 ジェイヴィックが声のした方に向き直る。ブランデン城戦略会議室。その長テーブルにつくのは、ケンタウロス、サキュバス、リッチ、リザードマン、ガルーダ、その他様々な魔族の首長たち。  
 これらの錚々たる面々がこの部屋に集結している。そしてテーブルに広げられたのは、ブランデンとウェステンブルグの地図。その上には無数の駒と描き込まれた線。これらが意味するものは一つ。  
 
「戦略は以上だ。我々はこれよりウェステンブルグと戦争状態に入る」  
 紫煙を烟らせ、ジェイヴィックが堂々と宣言した。魔王の血と堂々たる支配者の風格が、居合わせた魔族の首長たちを一斉に引き締める。  
「かの国は我らの同盟国ファンデンを不当にも占拠し、あまつさえ軍隊を駐留させ、我が国に攻め込もうと機会を伺っておる。  
 余はこれまで何度もファンデンの嘆きの声を聞いてきた。あの国は、民が襲われようと守るつもりはないのだ。ただ次の国に攻め込む踏み台程度にしか思っておらぬ」  
 欺瞞に満ちた言葉だ。魔族たちの中でも賢い連中はそれを薄々察している。だが反発の声を上げるものはいない。  
 ウェステンブルグを征服し、富と領土と栄誉を手に入れる。そのチャンスを捨てる選択肢など、彼らにありはしない。  
「つい先日、『白軍』がウェステンブルグの手に落ちた。ならば次にその矛先が向くのは我がブランデン大公国しかおらぬ。  
 ならばこのジェイヴィック・ブランデンはむざむざ攻め込まれる前に、ウェステンブルグに宣戦布告する! 例えその相手が、我が妹であってもだ! 異論はないな!?」  
『仰せのままに!』   
 部屋の中に一糸乱れぬ返答が響き渡る。それから誰ともなしに一体、二体と席を立ち部屋を出て行く。  
 大勢いた魔族たちは徐々に減っていき、最後に残ったのはケンタウロスとサキュバスの二体だけとなった。  
「で、どうするの?」  
「どうとは、何がだ」  
 その内の片方、サキュバスがジェイヴィックに話しかける。君臣の間柄にしては妙に馴れ馴れしい。  
「決まってるでしょ。あの男よ」  
 そう言って彼女は窓の外を見る。ジェイヴィックが語っている間に運ばれてきたのだろうか、アイルとレクシィとライカは噴水の側のベンチに腰掛け、ドーナツを食べていた。  
「ああ、勿論首を切ってウェステンブルグに送り返す」  
 カツン、とケンタウロスの蹄が鳴った。彼の鋭い眼光は窓の外に向けられている。アイルの強さを値踏みするかのように。  
「あらあら、あの子たちがあんなに気に入っているのに?」  
「これも乱世の習いよ。娘たちも分かってくれるだろう」  
「もう。娘は泣かせるし、妹には宣戦布告するし、私はほっとくし、酷い人ねえ」  
 まあそこが好きなんだけど、とくすくす笑った後、サキュバスは部屋を出て行った。ケンタウロスもそれに続こうとする。  
「マイノルト。処刑は明日の朝だ。それまでは待て」  
 声をかけられたケンタウロスは一瞬立ち止まり、ジェイヴィックの方を振り返る。  
「承知」  
 短く、はっきり答えると、蹄の音を響かせて部屋を出て行った。  
 部屋を出た魔族たちは、階段を降り、中庭を通り抜けて正面の門へ向かっていく。それぞれ自分の領地に戻り、戦支度をするためだ。  
 ドーナツの最後の一欠片を口に含んだアイルは、その集団から度々殺気立った視線を送られているのに気付いた。特に最後に建物から出てきたケンタウロス。彼の鋭い視線は尋常のものではない。  
「どうしたの?」  
「お兄さま?」  
 両脇でまだドーナツを食べている双子の問いにも返事をしない。彼はただ、じっと通り過ぎる魔物の列を見送っていた。  
 
 
 
 その日の晩。アイルは与えられた一室で持ち込んだ武器の手入れをしていた。衣服の下にオートマチックが一丁、手荷物の中にもう一丁。予備の弾倉は十分ある。それとナイフ、ワイヤー、針。持ち込めたのはこれだけだ。  
 城に来た当初はボディチェックすら行わない杜撰な警備に呆れたものだが、あの玉座のバリアを見て納得した。する必要がないのだ。ただ、そのお陰で今こうして脱出のための武器を揃える事ができる。  
 脱出。そう、この城からの脱出である。中庭で魔族の一団を見送った後、アイルはすぐに城内を忍び歩き、ブランデンがウェステンブルグに攻め込もうとしていること、そして自分を殺そうとしていることを知った。  
 黙って殺されるのを待つつもりはない。自分にはまだやるべきことがある。全ての武器の手入れを終えて、礼服の中に隠し、その上からいつものコートを羽織る。気持ちが少し落ち着いた。  
 時計は午後9時を指していた。あと3時間で歩哨が交代する。その隙をついて城下町まで脱出する。そこで馬を盗めれば、あとは間道を通って国外へ逃げこめる。最悪、徒歩でも構わない。  
 頭の中で逃走ルートを確認しているとドアがノックされた。不意の来訪者に眉をひそめる。こんな時間に誰かが部屋を訪ねてきたことは今までなかった。嫌な予感がするが、ここで返事をしないというわけにもいかない。  
 
「誰だ?」  
 ドアを開けると、そこには執事服を着た山羊頭の魔族が立っていた。  
「何か用か?」  
「お嬢様方から、貴方様をお連れするように言われました」  
 むう、とアイルは渋面を作る。彼をこの城に留めた張本人、レクシィとライカ。ジェイヴィックの双子の娘に呼ばれては、出て行かざるを得ない。  
「何かあったのか」  
「わかりません。とにかくお連れするように、と。それしか言われておりません」  
「……分かった。すぐに行こう」  
「ありがとうございます。ところで、その上着は」  
「部屋が寒かったんだ。しばらく着させてくれ」  
 しかしこんな時間に何故。時折すれ違う歩哨たちも、外国の使者がこんな時間に出歩いていることに不信の目を向けてくる。  
 確かにレクシィとライカはアイルのことを妙に気に入っている。正直アイルとしては鬱陶しいことこの上なかったが、敵国のど真ん中で王女を邪険に扱うわけにも行かず、黙って機嫌を取っていた。  
 それで気を良くしたのか、二人はこの三日間ずっとアイル連れ回されて城の隅から隅まで案内していた。それに食事の時も一緒のテーブルについている。  
 だが、こんな夜更けに呼ばれるのは初めてだ。本当に何かあったのか。脱出を気取られた、というわけではあるまい。決断したのはついさっきなのだから。  
 呼ばれた理由を考えているうちに、二人は双子の部屋の前まで来た。山羊頭の執事は一礼すると、役目は終わったと言わんばかりにそそくさと退散する。取り残されたアイルは、そっとドアをノックした。  
「待ってたよ」  
「入って」  
 息のあった二人の声が、部屋の中から帰ってきた。ノブを回して中に入る。部屋の中の蝋燭はついておらず、窓から入ってくる幽かな月光だけが頼りだった。  
「レクシィ? ライカ?」  
 声はしたのだが、薄闇の中に二人の姿は見当たらない。どうしたんだと辺りを見回すと、突然、とんっとアイルの腰の辺りに何かがぶつかった。  
「だーれだ?」  
 声の主はからかうようにアイルに問いかける。答えようとしたアイルは言葉に詰まった。レクシィかライカのどちらかなのかは、一目で分かる。だが、あまりにそっくりなこの双子を見分けることは彼にはできない。  
「……ライカか?」  
「はずれ」  
「ライカは、私」  
 当てずっぽうで答えると、ライカがカーテンの影から顔を出した。この二人の機嫌を取るのは本当に疲れる。アイルがげんなりしていると、ずずいと背中をレクシィに押された。  
「ほら、ベッドに座って」  
「夜のお話、しましょう?」  
「すまんが、俺はこれからやることが……」  
「嘘をついちゃダメ」  
「こんな夜更けに、することなんてないでしょう?」  
 双子の魔族は微笑みながらもアイルを逃がさない。結局、押されるがままにアイルはベッドに腰掛けた。その両脇にレクシィとライカが座る。  
「それとも逃げるのかしら?」  
「殺されるのは嫌だものね」  
 見透かしたような言葉。驚いてレクシィ、いや、ライカの顔を見るが、微笑んだままだ。  
「そんなに驚かなくてもいいの」  
「怒ってるわけじゃないのよ?」  
 耳元で囁く二人の声は酷く優しい。染み込むように、アイルの心の中に入り込もうとする。  
「だけど私たちも」  
「あなたを手放すのは嫌」  
「だからね」  
「いいこと、教えてあげる」  
 すっと一声置いてから、双子の魔族は同時に言った。  
「私たちのものになればいいの」  
 窓の外で、さあっと木の葉が擦れる音がした。二人の笑いは収まって、ただ微かな微笑みを湛えたままアイルの顔を覗き込んでいる。  
 サキュバスを母に持つ彼女たちは、人魔問わず理性を崩す術を生まれながらに持っていた。時にはあざといぐらいに媚び、時には相手の弱みに漬け込む。そうして玩具になった生物は少なくない。  
 しかしアイルは、その術に抗う壁で心を覆っていた。  
「断る。俺には既に主がいる。裏切るわけにはいかん」  
 きっぱりと断る。甘美な三日間も、魅力的な双子の提案も、彼の心を崩すものではなかった。  
「あらあら、素敵な忠誠心」  
「立派なナイト様ね」  
 しかし、あっさり断られても、レクシィとライカの態度は崩れない。むしろ瞳の奥底で、期待の光が輝きを増したかのようだった。  
「でも、私たちのものになったらどんなに素敵か」  
「知ってからでも遅くはないと思うわ」  
「何?」  
 不意に、レクシィがアイルの右手をぐいと引っ張った。同時にライカが身を寄せて、体勢を崩す。見事に息の合った二人の連携は、アイルをあっさりとベッドに転がした。  
 そして、ライカはそれと同時にアイルの唇と自分の唇を重ねていた。  
 
「なに……を……?」  
 長いキスの後、最初にアイルが発した言葉は戸惑いだった。それを見てライカはやはりくすくすと笑っている。上から押さえつける彼女の力は、見た目によらず意外と強い。  
「言ったでしょう?」  
「私たちのこと、教えてあげるって」  
 レクシィがズボンのジッパーを下ろそうとする。止めようと手を伸ばすが、ライカが巧みに防ぐ。更にもう一度アイルの唇を奪った。  
 頭を抱え込んで、貪るようなディープキス。冷たそうな藤色の肌とは裏腹に、触れてみれば肌も舌も熱を帯びている。その感触に気を取られているうちにファスナーが降ろされ、肉棒を外に出されてしまった。  
「んっ、ちゅ、むぅ……はぁっ」  
「あら、こっちはもう出来上がってるのね」  
 レクシィの細い指が、外に出された肉棒を弄ぶ。すべすべした指が剛直を撫でる仕草は妙に手馴れていて、それだけでアイルは身を震わせる。  
 肉棒から意識を離そうとすれば、今度はライカの執拗なディープキスを気にしてしまう。昼間に見せた無邪気な笑みは一切無く、飢えた獣が一心不乱に肉を貪るようにアイルの口中を蹂躙する。  
「我慢しなくていいのよ、お兄様?」  
 レクシィが肉棒を口に含む。ぬめった熱い口中に敏感な部分を飲み込まれ、アイルは呻き声を上げるが、それすらライカのキスに飲み込まれる。  
「うぐっ……むぅ……!」  
「ぴちゃ、くちゅ、ちゅっ、んんっ!?」  
 不意にライカが身を震わせた。レクシィがアイルの肉棒をフェラチオしながらライカの無防備な秘所に指を這わせている。  
「あ、待って、レクシ、ひゃうん!」  
「ふふ、いい声で鳴きなさい」  
 唐突に弱点を責め立てられたライカはアイルへのキスを止めて、代わりにもっと強く抱きつく。キスだけで感じていたのか、ライカの秘所からは微かに水音が聞こえていた。  
 少ししてレクシィが指の動きを止める頃には、ライカはもう息も絶え絶えになっていた。トロンとした瞳がアイルに向けられる。  
「ねえ、ライカ。手伝って欲しいの」  
「はぁ……ひ……ぇ? ん、うん……」  
 レクシィに言われるままライカがアイルの上から降りる。  
「ほら、お兄様も」  
「ここに座って」  
 双子に手を引かれ、言われるがままにアイルはベッドの縁に腰掛ける。二人は床に跪くと、胸元のリボンをしゅるりと解いた。形の良い四つの乳房があらわになる。  
 二人は自分の胸を持ち上げると、そそり立つアイルの肉棒を両側から挟み込んだ。恐ろしく柔らかい柔肉に挟まれて、びくりとアイルが肉棒ごと震える。  
「感じてる?」  
「我慢しなくていいのよ?」  
 息のピッタリあった動作で胸が上下して、肉棒を扱き上げる。時折二人の乳首が擦れると、その度に二人が体を震わせて刺激に変化がつく。  
 それだけでは飽き足らず、乳房からはみ出た亀頭を二人が舐め上げる。その姿は双子がお互いの舌を舐め合っているようでもあり、あまりにも扇情的すぎた。  
「ぐうっ……!?」  
 唐突に射精感がせり上がってくる。目を瞑ってアイルは耐えるが、彼女たちはそれを察してラストスパートに向けて激しく胸を動かす。長く耐えられそうにない。  
「ほらっ」  
「出して……っ!」  
 二人の声に導かれるように、アイルは射精感を解き放った。途端に全身を快感が駆け巡り、真っ白な精液が肉棒から弾き出される。吐き出された液は二人の顔を直撃した。  
「いやんっ」  
「あはっ、こんなにいっぱい……」  
 人間とは違う魔族の蒼い肌は、精液の白さを一層際立たせる。まだ幼さの残る顔を汚されても、彼女たちは嬉しそうに笑っている。  
「あ、レクシィ。勿体無いよ」  
「ひゃう、ライカぁ……んっ」  
 精液の匂いに充てられたのか、二人はお互いの顔にかかった精液を舐めとり合う。時折舌を絡めたキスを挟む淫靡な彼女たちを見て、流石のアイルも肉棒を固くせざるを得なかった。  
「ふふ、まだ固いまま」  
「気に入ってくれたみたいね」  
「ね、お兄様。毎日、好きな時にこうしてあげる」  
「だから、私たちのものになってちょうだい?」  
 肉棒は未だに乳房に包まれている。あまりに甘美な提案。アイルの背筋をゾクゾクとした何かが這い登る。  
 しかし彼は答えられなかった。欲望のままに声を出そうとすれば、その度に青い髪の彼女の影がチラつき、彼の首を締め上げる。  
 彼の答えをしばらく待っていた双子だったが、何時まで経っても返事が帰ってこない。  
「まだ足りない?」  
「欲張りさんね」  
 立ち上がった二人はアイルを優しくベッドの上に横たえると、一度目配せをして、それからライカがアイルの上に跨った。ドレスの裾をたくし上げると、濡れそぼった秘所が露わになる。下着はつけていなかった。  
 
「ライカが我慢できないみたいだから、先にね?」  
「うん……」  
 レクシィが悪戯っぽく笑うと、ライカはアイルの肉棒を秘所にあてがい、それから一気に腰を下ろした。  
「ひあうっ!?」  
「うおっ……!」  
 ライカの膣内は幼い見た目通りとても狭い。肉棒がちぎれるのではと錯覚するぐらいだ。そのキツい肉がうねうねと肉棒に絡みつき、極上の快感を彼に与える。  
 一方、挿入したライカも一息で子宮口まで貫かれてしまい、体をふるふると震わせながら天井を見上げてトびそうな意識を押さえつけていた。  
 どちらもいきなり達しそうになっていたが、先に自分を取り戻したのはライカだった。  
「それじゃあ……動く、ね?」  
「おい、待、うぐっ!」  
 静止の声を聞かず、ライカが腰をゆっくりと動かし始める。うねる肉壁が肉棒を擦り上げ、咥え込み、精液を絞り出そうと貪欲に蠢く。  
「にゃあ、んぅっ、いいっ、いいよぉ……っ!」  
「はあっ……あぐっ」  
「これ、いいっ! 凄いっ! 奥までぐりぐり当たってぇ!」  
 徐々にライカが腰を上下させるペースを早める。口の端から涎を垂らしてすっかり蕩けきった顔の彼女は、当初の目的をもはや覚えていない。ただ、快楽を貪るだけの悪魔に成り下がっている。  
 不意に、アイルの視界が真っ暗になった。同時に顔に柔らかいものが押し付けられる。  
「お兄様、舐めて頂戴」  
 上からレクシィの声がした。二人の痴態に彼女も我慢できなくなったのか、アイルの顔に跨って秘所を舐めることを強制させる。一瞬躊躇った後、思い切り舌を伸ばす。  
「あ、うんっ、そこ……」  
「あはっ、レクシィぃ……!」  
 感極まったライカがレクシィに唇と掌を重ねる。三人がそれぞれ秘所と口を塞がれ淫靡な水音を鳴らす三角形は、最高潮に達そうとしていた。  
「私、もうっ……ふあ、あああん!」  
「いいよ……んっ、イって、ライカ、ライカぁ!」  
「ん、ぐぅ……!」  
 三人はほぼ同時に絶頂に達した。白濁液がライカの中に注がれ、アイルの顔にレクシィの潮が降りかかり、二人の膣内がきゅうっと収縮する。溶けるような絶頂は、まるで三人を一つの生き物に混ぜあわせたような錯覚を覚えさせた。  
 アイルの上にまたがっていたレクシィとライカが、くたっとアイルの側に倒れる。少し気をやってしまったらしい。それでもしっかり握り締められた二人の両手を見ながら、アイルはぼんやりと天井を見つめていた。  
 
 
 
 午前0時。ブランデン城の歩哨はこの時間を目安に交代する。その隙はおよそ五分。交代は4つの門の前で行われるが、その間使用人用の通用口は無防備だ。  
 その通用口のすぐ側に、3つの人影と一頭の馬があった。すなわち馬にまたがるアイルと、レクシィとライカだった。  
「行っちゃうのね」  
「気をつけて」  
 レクシィとライカは手を繋いで馬上のアイルを見守っている。先程までの熱い情事の余韻などどこにも見当たらない。いつも通りの双子の魔族だ。  
 あの後しばらく三人は――と言っても、二人が一人をほとんど一方的に嫐るだけだったが――体を重ねていたのだが、結局アイルはレクシィとライカの誘いに頷けなかった。  
 このままジェイヴィックのところに突き出されるのだろうと半ば諦めていたアイルだったが、レクシィとライカは意外にもアイルの手を引いてこの通用門まで連れて行き、馬まで与えたのだった。  
「……いいのか?」  
 この心変わりに、アイルは未だに戸惑っている。あれだけ執着していたのにあっさり手放すとは考えにくい。  
「ひょっとして」  
「やっぱり私たちの……」  
「いや、それはいい」  
 やはりまだ諦めていないようだ。下手に絡め取られる前に話をさっさと中断させる。  
「そうだ、お兄様」  
「これ、ウェステンブルグのおば様にプレゼントよ」  
 そう言って二人が差し出してきたのは、赤い薔薇の花束だった。いつ用意したのか、持ち手には黒いリボンがチョウチョの形に結わえられている。  
 受け取る理由もなかったのだが、ここで気分を害して人を呼ばれるのはまずい。アイルは黙って花束を受け取る。  
「……分かった、渡しておく」  
「ありがとう」  
「それじゃあよろしく、ね?」  
 手を振る双子に背を向けて、彼は手綱を振って馬を進ませた。通用門を抜けて、馬はやや駆け足で街道を進んでいく。その後ろ姿を見送りながらレクシィとライカはニコニコ笑っていた。  
 
「ねえ、ライカ」  
「なあに、レクシィ?」  
 遠ざかる後ろ姿を見ながら、レクシィがライカに話しかける。  
「お兄様、私たちのものになるかしら」  
「今のままじゃならないわよ」  
「そうね。素敵なナイトだものね」  
「だから仕える国を滅ぼすの」  
「そうしたら、私たちのところに来てくれるよね」  
「ええ、きっとそうよ」  
「楽しみだね」  
「楽しみだね」  
 見えなくなった玩具を見ながら、彼女たちはいつまでも、いつまでも笑っていた。  
 
 一週間後、ウェステンブルグ城。  
「報告! ブランデン第一軍団が進軍開始! 目的地はファンデンです!」  
「第二、第三軍団も国境に集結しています!」  
「マニャーナ将軍はファンデンに到着! 現地の部隊の指揮をとる模様です!」  
 ミナレッタが座る玉座の間に次々と伝令が駆け込んできては報告し、そして去っていく。報告が一つ来る度にミナレッタの顔は不機嫌に、あるいは上機嫌になるが、全体としては不機嫌なままだ。  
「兄上、とうとう痺れを切らしたようね」  
 伝令の到着が一旦落ち着いて、ミナレッタは吐き捨てるように呟いた。  
「ごめん、ミナ。私が上手く言い訳できなかったから」  
「気にしなくていいわ。どうせ兄上とはいつか決着をつけなきゃいけなかったのよ」  
 申し訳無さそうなナコトの言葉を、ミナレッタは意に介していない。  
「それにしても宣戦布告無しで軍を動かすなんて……そんなに焦っているのかしら?」  
「あの、陛下」  
 そこに、メイド長のジャスミンが入ってくる。  
「どうしたの? 昼食なら後回しでいいわよ」  
「いえ、その……アイル殿がお戻りになられました」  
「……何ぃ?」  
 ミナレッタの顔が今日で一番不機嫌になった。ブランデンに使者として赴いた後、そのまま捕まった暗殺者が今更戻ってくるとは思ってもみなかった。ミナレッタとしては、向こうで魔族のエサにされていたほうが良かったのだが。  
「……まあいいわ、通しなさい。話だけは聞いてあげるわ」  
「畏まりました」  
 一礼するとジャスミンは下がってアイルを呼びに行った。  
「生きてたみたいね、あいつ」  
「……そうみたい」  
 横目でちらりとナコトの様子を伺うと、ほんのちょっとだけ嬉しそうだった。その笑顔を見て、ミナレッタの胸中に黒い炎が燃え上がる。  
 ナコトのこんな笑顔は、ミナレッタでさえほとんど見たことがない。彼女が度々笑うようになったのは、あの男が来てからだ。ずっと付き合ってきた私のナコトの知らない一面を、あの男は軽々と引き出していく。  
「陛下、参りました」  
 ふと我に返ると、アイルを連れたジャスミンが戻ってきていた。すぐに気を取り直す。  
「ああ、使者の任ご苦労さま。ブランデンはどうだった?」  
「城の中にしかいなかったからな。よくわからん」  
「そう。まあ下っ端の鉄砲玉に、国の様子を見てこいって言われてもわからないでしょうね」  
 ついつい言葉が辛辣になってしまうが、ミナレッタに抑える気はない。  
「その花束は?」  
「ああ、お前あての花束だ。向こうの姫から預かったものでな」  
「ふん、敵の姫様にまんまと懐柔されるなんて……ちょっと待ちなさい」  
 ミナレッタがアイルの持つ花束をまじまじと見つめる。  
「これがどうかしたのか?」  
「……ははは、兄上め。いや、あの娘共……やってくれる……」  
 突然、ミナレッタが乾いた、そして憎悪のこもった笑い声をあげた。魔王の娘の豹変に思わずアイルは棒立ちになる。それを意に介さずミナレッタは玉座から降りて歩み寄ると、彼の手から花束をひったくった。  
「アイル・ブリーデッド。使者の任ご苦労。ブランデンからの宣戦布告の証、このミナレッタが確かに受け取った」  
「な、なに?」  
 事態を飲み込めないアイルが問いかけると、ミナレッタは真顔で答えた。  
「そのバラの花束のリボン、黒いでしょう?」  
「……それが?」  
「私たち魔族の間では、それが宣戦布告の証なのよ。この花束を受け取ってから、何日経った?」  
「丁度一週間だ」  
「なるほど。兄上が動き出したのも一週間前。一応、建前はできているわけか」  
 顎に手を当てミナレッタが思案する。先程までのいらつきはどこへやら、すっかり冷静な支配者の顔を取り戻していた。度重なる怒りで逆に冷静さを取り戻したか。  
「ま、やることは大して変わらないか。ナコト、午後の会議の準備をするよ。ついてらっしゃい」  
「らじゃ」  
 ミナレッタがマントの裾を翻して玉座の間を出る。後に第一次ファンデン攻防戦と呼ばれるウェステンブルグとブランデン大公国の戦いは、こうして始まったのだった。  
 
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