「いやぁっ! 止めてぇっ!」  
 真っ暗な洞窟の中に、若い女の甲高い声が響き渡る。  
「いやぁっ! こんなのいやぁぁぁっ! あぁぁっ!」  
 悲痛な叫び声に混じって、豚の鼻息に似た音が不規則に湧いては消える。  
「あらら、ちょいと遅かったかもよ」  
 鎧戸を閉めて光量を落としたランタンを片手に聞き耳を立てていた赤毛の青年は、  
後ろを付いて来た銀髪の少年に囁く。  
「いや、まだ生きている。まだ救いはある」  
 声変わり前なのか、男性とも女性とも付かない声で少年は答え、腰に下げた新月刀を  
抜き放つ。  
「で、どうするの?」  
「明かりを全開にして、奴らの目が眩んだ隙に踏み込む」  
「あいよ」  
 青年は頷いてランタンの鎧戸を開き、呼吸を合わせて奥へ踏み込んだ。  
「ブギィッ!?」  
 突然の光に、豚と人を掛け合わせたような怪物の群れは耳障りな悲鳴を上げた。  
 間髪入れず、少年は怪物の群れに突進し、瞬く間に手前の一匹を切り伏せる。  
「ギィィィィッ!」  
 洞窟を満たす据えた悪臭に血の臭いが混じり、普通の人間であれば吐き気を覚えた  
だろうが、少年は顔色を変えずに次々と怪物を屠り、程無く、最後の一匹が倒れた。  
「毎度ながら見事な腕だこと。あたしの出番は全然無かったわね」  
 青年が女のような口調で言うと、少年は血糊を振るい落として刀を収め、壁際に膝を  
ついて何かを見ている青年に近付いた。  
「娘は無事か?」  
「えぇ、ちょっと怪我してるけど、決定的なのは貰ってないみたいよ」  
 青年の前には、傷だらけの体に服の用を成さなくなった襤褸切れを貼り付けた少女が  
一人、壁を背に座り込んでガタガタと震えている。  
「麓の村の方に頼まれて、貴方を探しに来ました。もう心配は要りませんよ」  
 少年は跪くと整った顔に優しげな笑みを浮かべ、少女の胸元に手を伸ばした。  
「っ!」  
「じっとしていて下さい。傷を治します」  
 少年が神妙な面持ちで何事か呟くと、その手に柔らかく温かな白い光が灯る。  
「あ……」  
 その光に照らされると、傷がみるみるうちに塞がり、凍えていた手足に血が通い、  
震えが収まってゆく。  
 少女が落ち着いたのを見て、少年は手を降ろし、再び笑顔を作った。  
「とりあえず傷は塞ぎましたが、念の為、帰ったらもう一度手当てをしましょう」  
「……私、助かったの?」  
「えぇ。ご家族が心配していますよ。村へ帰りましょう」  
 そう言ってから少年は振り返り、周囲の物品を漁っている青年を見上げた。  
 
「デルフィ、上着を脱いでくれ」  
「はぁ?」  
「村に帰るまで、この娘に貸してやって欲しい」  
 すると、青年はあからさまに不服そうな顔になった。  
「えぇ? 嫌よそんなの。何であたしが……」  
「嫁入り前の娘を裸で歩かせるつもりか?」  
「知らないわよ、そんな事。あたしは嫌よ。自分の物を女に触らせるなんて」  
「……解った。じゃあ、少しの間これを預かっててくれ」  
 少年は立ち上がると、腰の刀を外し、青年に押し付けた。  
「ちょっ、ちょっと待っ……」  
 反論を待たず、少年は革の小手を外し、革のベストを脱ぎ、ポーチの付いたベルトを  
抜き取り、その全てを青年に預ける。  
「ちょっと、リンデン! あんたねぇ!」  
 叫ぶのも構わず、少年は白い短衣の裾に手を掛け、躊躇い無く捲り上げた。  
 突然の事に呆気に取られていた少女は、更に驚き、目を丸くした。  
「お……女、の子?」  
 少年だとばかり思っていた人物の胸には、白い布に包まれた丸い膨らみがあった。  
「……」  
 少年改め男装の少女は脱いだ短衣を眺めて少し考えた後、膝下まであるブーツを脱ぎ、  
ズボンの腰紐に手を掛ける。  
「こっ、こらリンデンっ! 待ちなさいよっ!」  
 聞く耳持たず、彼女はズボンを脱ぎ、短衣と合わせて少女に差し出した。  
「少々汗臭くてお恥ずかしいのですが、村までこれで我慢して下さい」  
「は、はぁ……」  
 裸の少女は、何の香料か微かに甘い匂いのする服と、その持ち主の笑顔とを見比べ……  
立ち上がって服を受け取った。  
「悪かったな、重い物を持たせて」  
 リンデンはブーツを履き直すと、何事も無かったように預けていた物を取り、手早く  
身に着けてゆく。  
「まっ、まさかあんた、そんな格好で帰るつもり!?」  
「ん……足が少々心許無いが、まぁ仕方が無い。帰るまでの辛抱だ」  
 新月刀を腰に取り付け、事も無げに言う。  
 胴衣と小手に覆われた上半身はともかく、腰から下はブーツと、股間を覆うささやかな  
布が一枚だけと言う有様だ。  
 しかも、尻から太股にかけての輪郭は筋肉と脂肪の配分が絶妙で、むっちりとした肉感  
は、およそ人型生物の雄であれば目を奪われるだろう一品だ。  
「……あぁもう! 見てらんないわ全く!」  
 デルフィは金切り声を上げて緩く波打つ赤毛を掻き毟り、着ていた赤い羽織を脱いで  
リンデンに押し付けた。  
「ほらっ! これでも着なさい、みっともない!」  
 
「いや、私は別に……」  
「あんたは良くてもあたしが嫌なの! 可愛い男の子なら大歓迎だけど、女の尻なんて  
見たくもないわ!」  
「いや、と言うか、女に触られるのは嫌じゃないのか?」  
「ふんっ、あんたみたいな恥知らずは女のうちに入らないわよっ!」  
「……お前、自分の言動に矛盾を感じないか?」  
「……五月蝿いわねぇ! とっとと帰るわよっ!」  
 デルフィは苛立ちで顔を真っ赤にし、大股で歩き出した。  
「お、おいっ、明かりを持って先に行くなっ!」  
 リンデンは右腕に赤い羽織を抱え、少年のような少女と女のような男の奇妙な遣り取り  
に目を白黒させている少女を左手で引き、後を追い掛けた。  
 
 
 
 (あぁもうっ、嫌になっちゃうわ全く)  
 それから数日後、根城にしている街の宿屋の一階にある酒場の隅で、デルフィは日の  
沈まぬうちから一人で酒をあおっていた。  
「よぅ、今日はまた随分とご機嫌斜めだな、男女」  
 と、いかにも力自慢の戦士と言った風情の大男が、エールがなみなみと入ったジョッキ  
片手に向かいの席に着く。  
「何よ熊男。って言うか男女って何よ、男女って。男女ってのはリンデンみたいなのを  
言うのよ」  
「宿の親仁さんから聞いたぜ? 他所の町からの帰りに通り掛かった村で二束三文の報酬  
でオーク退治を引き受けて、しかも、攫われた女の子が裸だったからってリンデンが自分  
の服を着せて帰ったんだってな」  
「……思い出させないで頂戴。安いお酒が余計に不味くなるわ」  
「いやぁ残念だ。同行してたら目の保養になっただろうになぁ」  
「思い出させないでって言ってるでしょ」  
「リンデンの奴、あんな可愛い顔して結構いい肉付きしてんだよなぁ。特にあのむっちり  
した尻と来たら、ありゃ存在自体が犯罪だな犯罪」  
「思い出させンなっつってんだろケダモノ野郎がッ!」  
 デルフィが目を吊り上げて立ち上がり、無駄にドスの聞いた声で怒鳴ると、周りの客が  
一瞬彼の方を見たが、すぐに視線を戻す。  
「まぁ待てときにもちつけ。そんな汚い声出すとお里が知れるぞ」  
 向かいの大男もさして驚きもせず、にやにやと笑っている。  
「……誰が出させてんのよ」  
 デルフィは憮然として椅子に座り直した。  
「でさ、リンデンは今どこにいるんだ?」  
「……お買い物に出てるわ。あの子に何か用?」  
 
「いや、今度の仕事の助っ人を頼もうかなぁって」  
 瞬間、デルフィの細く整えた眉がぴくりと吊り上った。  
「いや、どこぞの領主様が冒険者を雇って大掛かりな魔物狩りをするってんで、腕自慢の  
猛者を集めてるんだ。あいつは剣も出来るし、ちょっとした魔法も使えるだろ? うちの  
連中は腕力ばっかりで魔法はからっきしだから、あいつが来てくれたら心強いなぁと」  
「……残念だけど、他を当たって頂戴」  
「何でだよ? 別に今は仕事を受けてないんだろ? っつーか、うちには斥候役がいる  
から、来るのはリンデンだけで良いんだけど」  
「尚更駄目よ。あんたに預けるなんて、飢えた狼に羊番をさせるようなもんだわ」  
「ひどい言い草だな。俺は女の子が嫌がる事はしない紳士なんだぜ?」  
「嫌がる暇を与えない、の間違いでしょ。どこが紳士なのよ、全く」  
「……毎度毎度ながら、凄まじい過保護っぷりだよな。美少年は好きだけど小娘は大嫌い  
だ、なんて言ってるくせに、何でそうカリカリしてまで世話を焼くのかねぇ?」  
「……」  
 デルフィは押し黙り、テーブルの木目を睨む。  
(そうよ、リンデンが女なのが悪いのよ。って言うか、あの出会いが悪かったのよ!   
つまらないドジ踏んでピンチになったあたしを、顔立ちから性格から完璧にあたし好みの  
美少年が颯爽と救ってくれて、あの瞬間『運命の出会い!』とか思ったわよ。それが  
女って判ってどれだけガックリ来たか! しかも、少年っぽい体付きならまだしも、服を  
脱いだらあんなに一杯無駄な肉が付いててさ、詐欺もいいとこじゃないのよ……)  
「あぁぁもうっ、男の子だったら何も問題なんか無かったのにぃぃぃぃっ」  
「お前それ普通逆じゃね?」  
 思わず声に出して突っ伏すデルフィに、男は呆れ顔でツッコミを入れた。  
「ほっといて頂戴。あれが男の子だったら一から十まで手取り足取り腰取り面倒見て  
あげるのに、何が悲しくて小娘一人に振り回されなきゃなんないのよぅ」  
「そんなに嫌なら別れりゃ良いだろ」  
「出来たらしてるわよ。でも、ほっとけないじゃない。あんなトボけたお人好し、  
あたしが見ててやらなきゃあんたみたいな奴の餌食になっちゃうじゃない。あたし、  
女は嫌いだけど、野蛮な男も大ッ嫌いなのよ」  
「……だったら、何もそうツンケンしなくてもいいんじゃね?」  
「……あぁもうやだ、あたしどうにかなっちゃいそう。アイデンティティの危機だわ」  
(YOUもうどうにかなっちゃえYO)  
 彼らの周りでその奇妙な遣り取りを聞いていた者達は、心の中で一斉にツッコんだ。  
 
 
 
 「……おや? 何があったんですか?」  
「知らんがな」  
 買い物から帰還し、場内の奇妙な空気を怪訝に思って尋ねたリンデンに、宿の主である  
初老の男はカウンターにて皿を拭きながら短く答えたのだった。  
 

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