物心ついたときから、とかく美しい物に惹かれる性分であった。  
 姉のドレス。母の宝石。香水の瓶に繊細な飴細工。  
 それらの物に興味を示した幼いカディに、同じように幼かった姉は面白がって化粧を施し、  
自分のドレスを着せて人形のように可愛がった。  
 けれどそれら全ての物に、自分は指の一本も触れてはいけないのだと知ったのは、カディが  
七つを迎えて間の無くの頃だった。  
 海軍の士官として長く航海に出ていた父が家に戻り、姉のドレスを纏ったカディを見たときの  
憎悪にも似たその顔を、今も忘れることは無い。  
 血が出るほど殴られたことよりも、姉のドレスを破り剥がれ、水桶に顔を突っ込まれて化粧を  
剥がされた屈辱の方が、今尚カディの心に深く暗く根付いていた。  
 
「おいカマ、何物思いにふけってんだ。仕事中だぞ」  
 冬である。  
 窓に踊る紳士淑女のきらびやかなドレスを茂みの中から眺めていると、上空から罵声が飛んだ。  
カディは苛立ちに眉を吊り上げ、木の上に立つ相棒を睨み上げる。  
「そっちこそ、あたしに見とれてる暇があったらちゃんと見張ってなさいよ。ったく、要人警護の  
お仕事だって言うから期待してたのに、寒空の下茂みで警備だなんて! ろくでもないったら  
ありゃしないわ」  
「近衛騎士団の仕事つっても、下っ端の傭兵がやることなんて泥臭いもんさ。嫌ならそのカマ言葉  
直して、お父様の膝元に泣きつくんだな。そうすりゃあの中で美味い飯食って、高尚なご歓談に  
興じられるってもんだぜ」  
 突き放すような粗雑な口調であったが、歯に衣着せぬ物言いはいっそ清々しくすら感じられる。  
カディは短く鼻を鳴らし、マントの前をかきあわせた。  
「じょーだん。今更のこのこ戻ったら、剣のさびにされちゃうわ」  
「だったら文句言わずに見張って――おい、今何か動いたぞ!」  
 なに、とが聞き返すより前に、木の上からすとんと影が落ちてきて、そのまま林の奥へと飛び込  
んでいってしまう。カディは一瞬ぽかんと闇の向うを見つめ、慌てて相棒の背中を追いかけた。  
「ちょっとカッツェ! 待ちなさいよこの馬鹿! どうしてあんたっていつもそう――!」  
 ぎゃう、と茂みの奥で短い悲鳴が上がった。カディが潅木をかきわけてカンテラをかざすと、  
黒ずくめの男が肩を押さえて草の上でもんどりうっている。  
「いつもそう、勇敢で有能なのかって?」  
 もがく男の背を踏みつけ、ロープを片手に不遜な笑みを浮かべたのは、まだ年端も行かぬ少年だった。  
カディは表情を険しくし、腰に挿したナイフを一本引き抜いた。  
「どうしていつもそう――」  
 言葉尻を鋭く切って、カディは少年めがけて真っ直ぐにナイフを投げ付けた。――と、難なく避けた  
少年のすぐ背後で、何者かが低く呻いてその場に倒れ付す。  
「身勝手で迂闊なのかしらって言おうと思ったのよ、馬鹿カッツェ!」  
「ありゃ……もう一人いたか」  
 言って、少年はぺろりと舌を出す。  
「ありゃ、じゃないわよ! 何か見つけたらちゃんとあたしを待ちなさいって、何度言ったらわかるわけ!?   
何のために組んでると思ってんのよ!」  
「俺が突っ込んでお前が補佐するため」  
「ええそうよ。ちゃんとお互いの行動を相談した上でね!」  
「相談してたら敵が逃げるだろ?」  
「で、突っ込んだ先に敵がうじゃうじゃいたらどうするのよ!」  
「逃げる!」  
 堂々と胸をはるカッツェの自信に満ちたその姿に、カディは頭を抱えた。これが若さという物か、  
カッツェは始終こんな調子である。  
 ともかく賊徒と思しき連中を縛り上げ、カディはその場をカッツェに任せて茂みを抜け、見張りに向けて  
カンテラを振り上げた。  
 憲兵が駆けつけると共に周囲がざわめきだし、次いで警笛が鳴り響く。  
「な、カディ」  
 捉えた男二人を憲兵に引渡し、カッツェはにわかに浮き足立った森を見渡して目だけでちらと  
カディを見上げた。  
 
「これって俺達のお手柄だよな」  
 自分の胸の下までしかない小さなカッツェを同じく視線だけで見下ろして、カディは細く白い息を吐く。  
「ま――二階級特進ものってとこね」  
 ついと笑って、カディとカッツェは互いの手の平を打ち合わせた。  
 
 屋敷を囲む茂みのあちらこちらに潜んでいた賊徒が次々捕縛される中、カディとカッツェは  
若い騎士の案内で屋敷内の一室へと通されていた。  
 赤々と暖炉の燃える貴賓室である。  
「わ、あったかぁーい」  
 奇声を上げてしなを作るカディを横目に、カッツェはこきこきと肩を鳴らしながらどっかと  
ソファに腰を下ろした。その正面に座る人物には目もくれず、テーブルの上に置かれた菓子を  
ひょいとつまんで口に放り込む。  
 近衛騎士団の制服を身に纏った、壮年の男であった。腰に佩いた壮麗な剣は、実戦用というよりは  
儀礼用という趣が強い。国王から直々に賜ったと言うその剣は、代々騎士団長に継承されるものであった。  
 すなわち、カッツェの正面に座す男こそ近衛騎士団現団長――名をロルフと言う。  
「それで、団長さん」  
 甘ったるい菓子をじっくりと味わいながら飲み込んで、ようやくカッツェは口を開いた。  
「いい仕事したから、ご褒美くれるんだろ? 一人頭金貨十枚として、二人で二十枚は欲しいなぁ」  
「本来銀貨五十枚の仕事に――か?」  
 言葉少なに、だが言外に明らかな拒絶を滲ませてロルフは答えた。堂々たる長身にがっしりとした  
体躯を持つロルフは、そこにあるだけで他者に十分すぎる威圧感を与える。  
 まだ、三十に届かぬ年齢だ。子供ではない――というだけで、ようやく青年の域を抜けたに過ぎない  
ロルフのことを、しかし尻の青い若輩者だと罵る者はこの町に誰一人としていない。  
 その、泣く子も黙る騎士団長に正面から相対して、カッツェは気後れした風もなく言った。  
「ただの警備と、賊徒の拿捕じゃ天と地ほども差があるだろ? 出し惜しみすると俺、次の警護でうっかり  
賊徒見逃しちまうかも。栄養不良で目が見えにくくなってさ」  
「なるほど、食うに困る懐具合というわけだ。では無理にふっかけては以後の仕事に差しさわりがあるとは  
思わんか? こちらも余裕があるわけではないから、安く使える傭兵を起用しているのだ」  
「そうだな。あんたからの仕事がなくなったら、困りに困って盗賊に転身しちまうかもな。警備の穴も  
付きやすいし、案外まともに仕事するより稼げるかも? なあカディ?」  
 ぐるりと首を巡らせて、カッツェが肩越しにカディを見る。  
「あら、あたしはやーよ。盗賊なんて。食うに困ったらカッツェをふん縛って、男娼としてヒヒジジにでも  
うっぱらうわ。高い値付きそうじゃない? かわいい顔してるし」  
「だって。どうしようロルフさん! 俺このオカマに売られちゃう!」  
「……なるほど」  
 言って、重々しいため息を一つ。ロルフは顰めつらしい表情はそのままに、だがわずかに頬を崩して  
カッツェに皮袋を投げ渡した。  
「それは私も心が痛む。持っていくがいい」  
「わ、重っ……!」  
「五十枚だ。まったく、あれほどの手柄を立てておいて、要求するのがたかだか金貨二十枚とは――  
欲がなさ過ぎるなカッツェ。騎士団員なら出世ものの大手柄だぞ?」  
「ご、五十枚!? え、なに騎士団てそんなに金持ってたの!?」  
「私の家系を知らないではないだろう」  
 眉を上げたロルフをしばし眺め、カッツェは忘れていたとばかりに額を叩いた。  
「稀代の豪商様であられましたね……そういやぁ」  
「そういうことだ。その道の才覚がない私でも、資金運用の基礎くらいは心得ている」  
 ロルフが先代から騎士団長の座を譲り受けて二年。なるほどそろそろ資金繰りにも余裕が  
出てきたということだろう。  
「で、あるから。今後も傭兵諸君には励んでもらいたいものだな。この通り褒美は弾む」  
「なーるほど。成功報酬で腕のいい傭兵を釣って、何もなければ銀貨五十枚の格安料金で  
最高の警備をさせようってわけね」  
「そう単純な話でもないのだがね。まあ最初に成功報酬を明示しなければ、金貨二十枚で  
済む場合もあるわけだ」  
 ロルフが笑って立ち上がると、カッツェはしばし皮袋を眺め、あろうことかその中身を  
テーブルの上にぶちまけた。  
「カッツェ!?」  
 目を剥いたカディとロルフの前で、金貨を二十枚だけ拾い上げてポケットに押し込む。  
 
「金貨二十枚だ。俺は要求した以上は受け取らねぇ」  
「はぁ!? 馬鹿、何かっこつけてんのよ! くれるって言うんだからもらっときなさいよ!」  
「受けとらねぇの! 行くぞカディ。じゃ、またよろしく。ロルフさん」  
 言って、さっさと部屋を出て行ってしまう。カディはテーブルにぶちまけられた金貨を  
名残惜しそうに睨みながら、しかしカッツェを追いかけて慌てて部屋を横切った。  
「カディ」  
 その背中を呼び止められ、カディは足を止めてロルフを見やる。  
 その静かな怒りをたたえた表情に、カディは面白がるように唇を吊り上げた。  
「やだ、いい男にそんな熱烈な視線で見られたら興奮してきちゃうじゃない」  
「冗談であろうと――二度と口にするな」  
「カッツェを売るって? やあね、割と本気よ?」  
「ならば今すぐ切って捨てようか」  
「ま、こわぁい! 冗談よ、じょーだん。だから剣から手を離してくれない?   
大事な腹違いの弟ちゃんが危険な傭兵家業をやめないからって、あたしに  
八つ当たりされても困っちゃうわ」  
「……腹違いで、且つ種違いだ」  
「つまりただの他人じゃないの……。ただれた貴族の血縁事情なんかどーだっていいの。  
何にせよあんまり過保護だと、まるでカッツェを狙ってるみたいよ? 団長さんって、  
ひょっとしてあたしのお仲間ちゃん?」  
 ロルフは静かに肩を落とす。その態度になんらかの安堵を見て取って、カディは  
ついと片眉を吊り上げた。  
「どーも胡散臭いのよねぇ、あんたのカッツェに対する態度って。誇り高い騎士なら普通、  
そこは断固として否定するところじゃない?」  
「話はすんだ。もう行け」  
「あら、横暴。そんなとこも魅力的よ?」  
「カディ! 何ぐずぐずしてんだこのカマ!」  
 廊下から飛んだ罵声に、カディは小さく肩を竦めて怒鳴り返した。  
「今行くわよ! あたしには男を口説く自由もないわけ!?」  
「相手を選べよばーか! 時間の無駄だっつーの!」  
「……そんなに脈無しかしら?」  
 誰に聞くでもなく言って、カディは頬に指をやる。  
「そうよね、あたしもそう思うわ」  
 一人頷き、カディはウィンクを残して部屋を出た。  
 
***  
 
 カッツェと出合った――と、いうより、見つけたのはほんの一年前だ。  
 仕事を探して流れ着いた町の酒場で、スープが服に跳ねたの跳ねてないので、  
大の男三人を相手に大立ち回りを演じていたのがカッツェだった。  
 野蛮ね、と一言言って無視するのが常の下らない喧嘩であった。だがその、  
自分よりはるかに大きい男三人を相手取り、無謀ともいえる喧嘩に興じるカッツェの  
姿は、目をそらしようが無いほど美しく輝いていて見えたのだ。  
 しなやかな筋肉に覆われた細い手足はまるで森を駆ける動物のようで、テーブルの  
上をあちらへこちらへ跳ねる、跳ねる――。数分後、割れた食器に足を取られたところに  
拳をもらって壁に激突し、鼻血を流しながら綺麗に伸びたカッツェを介抱してやったのが  
すべての始まりである。  
 近くで見れば、なんとも可愛らしい少年だった。顔は鼻血で見るも無残に汚れていたが、  
それであっても十人が十人振り返る。  
「でかい女だと思ったら……カマかよ。きーめぇ」  
 それがカッツェのカディに対する第一声だった。意識が朦朧としていたから覚えていないと  
カッツェは言うが、であるからこそ本心だったのだろう。  
 身長だけで言えば、カディの背はロルフよりもわずかに高い。長く伸ばした髪と、  
なよやかな立ち居振る舞いのせいで遠目に見れば女に見えるが、近くで見ればカディは  
間違いようもなく男である。  
 顔立ちは整っているが女性的というわけではなく、化粧はその男性的に整った容姿を  
そのまま引き立てているに過ぎなかった。  
 女のようである。だがどう見ても男である。それがカディの容姿だった。  
 
「けど、どんな美貌を持ってたって男になびく男は少ないのよねぇ」  
 自室で洗い髪を櫛づけながら、カディはやれやれとため息を吐く。  
 
 ロルフといい、カッツェといい、欲しいと思った男はどいつもこいつも、オカマどころか  
あまりにも頑なに他人を寄せ付けようとしない。  
 金貨二十枚の報酬をきっちりと折半し、二人がそれぞれの自室に引けたのは夜も大分更けた頃だった。  
 同じ部屋で寝起きすれば宿代も浮くというのに、組んで一年が経った今でもカッツェは頑なに  
相部屋を拒む。別にカディが尻を狙っているのが原因というわけでもないようで、宿屋の女将が  
言うには、今までカッツェが誰かに相部屋を許したことは一度たりとも無いらしかった。  
「女だな」  
 部屋の隅から唐突にだみ声が上がり、カディは髪をすく手を止めて振り返る。それからすぐに、  
カディは振り返ったことを後悔した。  
「ああやだ、なんて醜い……! 獣臭いと思ったらあんただったの。いつからそこにいたのよ、  
気持ち悪いわね!」  
「なあおい。さっき一緒に部屋に来たよな……報酬がよかったから飲み明かそうつってきたのは  
そっちだったよな!」  
 怒りもあらわに酒瓶をカディに突きつけて、巨岩のごとき大男が低く吼えた。  
 そうであったと先刻の自分の行動を思い返し、酒の勢いとはいえ間違いだったと重ねてカディは  
後悔する。風呂上りでさっぱりとした今の頭ならば、決してこの男を部屋に上げようとは思うまい。  
「悪いけど帰ってくれない? あたし今、カッツェのお尻の事を考えるのに忙しいの」  
「それが久々に会った恩人への態度かカディ! 森で半行き倒れだったてめぇを助けてここに  
つれてきてやったのは誰だと思ってやがる!」  
「もう、二言目にはすぐそれを出す! そういう性格も醜くて嫌いよ。恩人じゃなかったら、  
あんたなんか視界にも入れたくないっての。やだやだ、なんでこんなのに助けられちゃったのかしら。  
いえ、そもそも助けられてなんかいないのよ! ちょっと休憩してたら、あんたが勝手に行き倒れと勘違いしただけ」  
「毒蛇に噛まれてゲーゲー吐いてたくせに、よく言うぜこのオカマ」  
 狩のために一年の大半を山ないしは森で過ごし、いつも見ても頭からすっぽりと何かの  
毛皮を被っているこの男は、半ば獣臭さと血生臭さの代名詞と化していた。付いたあだ名が  
ヴィルト(野獣)である。  
 本名よりも“らしい”からと自らそう名乗り始めるあたりが、なるほど“らしい”と誰もが頷く。  
そんな大味な男だった。  
「いいさいいさ。てめぇがおっぱらうんなら長居はしねぇよ。てめぇがご執心のカッツェでも  
部屋から引きずり出して付き合わせるさ」  
 吐き捨てて立ち上がりかけたヴィルトの鼻面をナイフがかすめ、そのまま壁に深々と突き立った。  
ヴィルトの野生に限りなく近い反射神経がなければ、間違いなく鼻をもぎ取られている位置である。  
「見た目から性格から発言から全てが醜い男ね。その反射神経だけは惚れ惚れするわ」  
「そいつぁどうも」  
 壁からナイフを引き抜いて、ヴィルトは刃こぼれ一つ無いナイフを黙って自分のベルトにしまいこむ。  
「ちょっと」  
「取り返したきゃ、もう一本投げてきちんと当てるんだな。これで三本目だぞ、下手糞め」  
 狼の毛皮の奥で不適に笑うその顔面に、カディは頭の中で深々とナイフを突き刺した。  
「それで……カッツェに女がいるって?」  
「誰がそんな話をした」  
「あんたよあ、ん、た……!」  
「違う違う。俺ぁカッツェが女なんだつったんだ」  
 ひらひらと手を振るヴィルトの言葉に、カッツェは心底呆れ果ててため息を吐いた。  
「あんた本気でそんな御伽噺信じてるわけ……? 呆れた。ナイフ投げんのももったいないわ」  
「夢があっていいじゃねぇか! 通る顔はしてるだろ?」  
「なあに? じゃ、あたしにも実は絶世の美女伝説があるわけ? 薬屋のおばあちゃんが黒魔術の  
スペシャリストって噂の方がずっとあり得るわよ、馬鹿馬鹿しい」  
「そりゃありそうな話だな! 俺には亡国の王族って噂があるぜ? だから森で暮らして毛皮で  
顔を隠してるんだってな」  
 暇な酒飲み達の、下らない遊びだった。寄った勢いで適当な噂をでっちあげ、声を潜めて  
まことしやかに囁き合う。その中に、カッツェは実は男装した少女だという物があった。  
なるほどいかにもありそうだが、実際信じている者などいはしない。  
 この、見た目ばかりか脳内まで獣に成り果てている男を除いては――のようだが。  
「しかしま、実際カッツェは何か隠してる。前に馬鹿をそそのかして部屋に押し入らせたことが  
あるんだが、あの時の怒り方は普通じゃなかったな。本気でその馬鹿を殺しちまうんじゃないかと慌てたぜ!」  
 
「あんた、思ってた以上にとんでもない糞野郎ね……」  
「巣穴を見るとつつきたくなる性質でな。どんな蛇が飛び出すか知れねぇが、誘われてるみてぇで  
うずうずするぜ。やべぇ勃ってきた」  
 ぞくぞくと肩を震わせ、ぐっと酒瓶を一気に煽る。舌なめずりをするその様は獲物を前にした  
野獣そのもので、カディはカッツェの不憫を思って目頭を押さえた。  
「やだ、ちょっと団長さんの気持ち分かったかも……あたしこんな風に見えてるのね、きっと」  
 ならばなるほど、ロルフの態度は正常である。心底弟を思う兄ならば尚のこと、あの場で  
切って捨てられていても不思議は無い。  
「……真面目な話、な」  
 ふと、ヴィルトが言葉通りに真剣な声で呟いた。  
「あいつの守りは堅すぎる。あんなにガッチリ守ってちゃ、誰だって何か隠してるんだって  
思うだろ? 危険だぜ、ありゃあ。前まではそういう性格なんだろうで済んでたが――お前と  
組んでからはかなり不味い」  
「なに、あたし!?」  
「お前は知らんだろうがな、カッツェが誰かと組むこと自体がそもそも驚天動地なんだよ。  
そんならそうか、あの新顔のカマ野郎にケツでも掘られたか知らねぇが、よっぽど  
気を許したんだろうなって思ったら……どうだ? カッツェはお前にも徹底した守りを崩さねぇ。  
こいつはいよいよ何かあるなと、思ってる奴が宿の半分――」  
 すうと、背筋が冷えるようだった。馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばすにしては、ヴィルトの声が  
あまりにも静か過ぎる。  
「大したことじゃないんなら、暴かれる前にさらしちまった方が傷が浅いこともあらぁな。  
大したことなんだったら、もっと上手くかくさにゃいつか全部ぶちまけられちまうぞ」  
「それ、あたしじゃなくてカッツェに直接言ったらどうなのよ」  
「素直に聞くタマかよ!」  
 半ば叫ぶように言って、ヴィルトはソファにひっくり返った。  
「あー……本気で、女だったらいいんだがなぁ」  
「どうでもいいし、どっちでもいいわよ」  
「なんだ? おまえ、カッツェが男だから追いまわしてるんじゃねぇのか?」  
「あたしは綺麗だったら男でも女でもいいのよ。性別って概念から解放されてるの。あんたこそ、  
カッツェが女だったらどうだっていうのよ」  
「ん。ま、物にするな」  
 酒を口に含みかけて、カディは思い切り噴き出した。  
「なんですって!? 冗談じゃないわ、汚らわしい! あんたそんな目でカッツェを見てたのわけ!?」  
「惚れてるからなぁ」  
「ほ……惚れ――!?  
 慌てふためく自分が馬鹿馬鹿しくなるほどに、ヴィルトの口調は落ち着いたものだった。  
絶句したカディが愉快だったのか、ヴィルトはひっくり返ったまま首を巡らせてカディを見る。  
「てめぇが驚く話かよ。まあてめぇと違って俺は男にゃ興味ねぇんだ。だれからカッツェを  
どうこうしようとはこれっぱかしも思わねぇ。が、惚れてるのも間違いねぇ」  
「あんたのその、社会的規範だとかなんだとか、もろもろを無視して感情に馬鹿正直なところは  
美しいと思うわ……」  
「そいつぁどうも」  
 で、とヴィルトはにやりと口角を持ち上げた。  
「てめぇはどうなんだ。カッツェに惚れてんのか? それとも、てめぇが言うところの美しい物  
その一としてケツおっかけてるだけか?」  
「あたしは惚れてる男のお尻しかおっかけないわよ」  
「そりゃ、随分一途な話だな」  
 馬鹿にしたように小さく笑うとほぼ同時に、ヴィルトの手から酒瓶が落ちた。死んだような  
沈黙が訪れてしばし、眠ったのだとようやく気付く。  
「まったく……息してるのかも怪しくて不気味なのよ、あんたの寝方って!」  
 忌々しげに吐き捨てて、カディはヴィルトを残して足音も荒く部屋を出た。  
 
 

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