「ハーイ、イイネー、イイヨー、モット笑ッテー」  
「……ちょっと、何よその棒読みは。もっと気合入れてやってくんない?」  
 
――パシャリ、とデジカメのシャッター音が鳴る。  
まったく、人に撮ってもらっているクセしてぶうぶうと文句をたれるとは……。  
私の目の前で溜め息をつくこの男――純は、肩よりも少し長めの髪をかきあげて、  
桃色のピアスが揺れる耳をあらわにした。  
緩くウェーブのかかった髪がふわりと揺れて、ほのかに甘い、女性用の香水の香りが私の鼻をくすぐる。  
 
……なに、この色気。なんなの、その美貌。悔しくて、悔しくて、本当に腹が立つったらない!  
 
これまでに、何度そう思ったことだろう。「女よりも女らしい」だなんて、よく言ったものだ。  
それでも私は、彼のそのちょっとした仕草にすら、不覚にもときめいてしまう。  
世間では“美女”と評されることの多い純だけど……、私の中では昔っから、  
コイツはただの綺麗な“オトコ”でしかなかった。  
「ねえ、純。今日はどうするの? 服はそのまま? あ、それともいっそのこと全部脱いじゃおっか!  
なーんて……」  
「ばっか、あんた。全部脱いだら捕まっちゃうでしょうが」  
上着を脱ぎ、ブラウスのボタンを淡々と外しながら、彼は言う。  
些細な冗談もつれなく流されるわ、まだまだ終わる気はないらしいわな純の様子に、  
私は人知れず肩を落とした。  
 
 
純は、この多目的トイレによく私を連れ込んでは、自分のイロイロな写真を私に撮らせた。  
もちろん、普通のポートレートやスナップ写真ならば、私も喜んで彼専属のカメラマンになろう。  
だけど純が被写体として写るものはことごとく、“ほぼ”裸に近いセクシーな下着姿や、  
一体どこで買ってきたのか……と赤面する程の、とにかく露出の多い破廉恥なものばかりだった。  
そして、その撮った破廉恥写真をどうするのかと問えば、  
なんと彼は自身のブログだの、掲示板だのにアップロードするのだという。  
『えっ、そういうのって危なくないの? だって、名前とか顔とか住所とか……っ』  
『ああ、平気よ平気。名前はもちろん偽名だし、顔だってちゃーんと加工で消してるもの。  
身バレの心配はないわ。みんなに見せてるのは、あたしのカ・ラ・ダ・だ・け♪』  
純はそう楽しそうに語った後、最後に私に向かってパチリと片目を閉じた。  
 
……その時の私の顔といったら、きっと目を見開いて呆然としていた事だろう。  
別に、人にどんな趣味があろうと干渉はしないけど、いや、でも……これはちょっとどうなの?  
そもそも私は、彼にどう思われているのかもわからない。  
初めて純にここに連れ込まれた時は、それこそ「ついに!?」といった期待も抱いたものだったけど、  
そんな心配は全く必要がなかったから余計に落ち込んだ。  
 
そうして第一回目は困惑したまま終わった撮影会だったが、  
結局、彼の勢いとその場の空気に流されて、私は今日も彼の為にシャッターを切っている。  
おかげで私達は、とっくにこのトイレの常連だ。全然、露ほども嬉しくない。  
「……もう、帰りたい」  
無意識に漏れる声には、切実で複雑な思いが滲む。  
けれど、いそいそと服を脱ぎだす純の耳に、残念ながら私の声が届くことはなかった。  
 
「――タイツ、どうしよっかなぁ」  
純の独り言に、私はハッと我に返った。  
見れば、純は既にブラウスの前を肌蹴させて、ミニスカートの裾を摘んだまま唸っている。  
スカートの下の黒タイツを脱ぐべきか、それとも着たまま撮るか……。  
「……半分だけ脱いだら? 太ももまで下ろしてさ。そしたらパンツも足も見せられるでしょ」  
「んまっ、やらしい〜! あんたって子は、いつからそんな事言うようになったのよ」  
純は、一見咎めるような台詞を吐きながらも、ケタケタとからかいまじりに笑った。  
その、全部を私の所為にされるかのような物言いが、なんだかちょっと癪にさわる。  
「もうっ、そんなの……! 慣れちゃったよ、誰かさんのお陰で!」  
「あんたも女なら恥じらいくらい持ちなさいよ。つまんないわぁ」  
「……それこそ今更でしょ。あと、それ純にだけは言われたくない!」  
「フン、あたしは別に誰に裸見られようが平気だもの。  
あんたこそ、人の股間見ても悲鳴一つあげなかったクセに。……ま、そんな事はどうでもいいわ」  
純は、私が提案した通りに半分だけタイツを下ろすと、スカートの裾をちらちらと揺らしてみせた。  
それによって、レースに縁取られた彼の下着が、際どくもいやらしく見え隠れする。  
「ほらほらぁ、どうよ。セクシー?」  
「はいはい、エロスエロス」  
私は純の言葉に生返事をすると、再びデジカメを構えた。  
先ほどはつい、「慣れた」と言ってしまったが、実際はそんな事は無い。  
もう何度も彼の体を見ているというのに、それでも私は一向に「見慣れる」なんて事はなかった。  
 
男にしては脂肪のある、けれども締まった純の太ももに、カメラの焦点を合わせた。  
肌は相変わらずのスベスベ色白で、自分のものと比べるのが少し怖くなってしまう。  
――純の、細い太もも。  
そこからゆるりと繋がるラインの中心部には、女性物の薄い下着に包まれた“彼”が、  
慎ましくも、しかしありありとその存在を主張していて……。  
「……とっ、撮るカラネッ!?」  
下着越しに見える、ぷっくりと膨らんだ彼が憎たらしい。  
私は悲鳴をあげない代わりに、思わず、どぎまぎして声が裏返った。  
 
 
――パシャ、パシャリ。  
一応室内だけど、あえてフラッシュは焚いていない。  
むしろこの仄明るい橙色の照明だけの方が、より艶めかしく純の肌を映してくれるような気がする。  
どこから撮れば綺麗に写るのか。どの角度から撮れば一層エロく写るのか。  
そんな、表では絶対に披露できないような、無駄な知識と技術ばかりが身についてしまった。  
もっとも、純自身は、私の涙ぐましい努力なんて、これっぽっちも関心がないのだろうけど。  
 
「綺麗に撮ってよね。――まぁ、あんたの腕はちゃんと信頼してるけどさ」  
「……え、あっ、……うん、まかせて!」  
 
……こんな時ばっかり持ち上げるなんて、純は本当に――、ずるい。  
 
――その後私達は、いつも通りのやりとりをして、いつも通りに純の写真を撮り、  
いつも通りに今日の分の撮影は無事終わったのだった。  
 
私はカメラを鞄にしまい、純は脱いだ服を元通りに直していく。  
白いブラウスのボタンを一つずつ留めていく彼の姿を見ていると、なんだかとても……、  
ええと、その、とにかく落ち着かなくなって、私は咄嗟に彼から顔を背けた。  
……二人の間に、特別会話はない。  
私は、この“しん”とした沈黙と気まずさに耐えかねて、  
「そう言えば」と以前から気になっていた事を、何気なく聞いてみることにした。  
「――あ、あのさ。なんで純は、私に自分の写真を撮らせるの?」  
「は? なによ急に。……そんなの、あんたが“女”だからに決まってるじゃない」  
純の返事は、あまりにもあっさりとしたものだった。  
あっさりし過ぎて、逆に呆気なく、拍子抜けしてしまう。  
「……って、え? それだけ?」  
「だって、男と二人きりでこんな事したら、最終的にあたしが襲われるのが目に見えてるもの。  
……っつーか、実際にそういう事あったし」  
純はその時の事を思い出したのか、ちょっと眉をしかめて、どこか遠い目をした。  
 
――「男に襲われる」? それが、純は嫌なのだろうか。  
というか、もう既に遭ったとは、案外彼も無防備なんだな、と他人事のように思う。  
 
「あの、でもさ。純は男が好きなんだよね? それが、なんで嫌なの?」  
「……あのねぇ、あたしを男なら誰でもいいタラシみたいに言わないでくれる?  
あたしにだって選ぶ権利くらいあるわよ。それにあたしは、別にシたい訳じゃない。  
ただ撮って欲しいだけ。それなのに、誘惑されたとか言って勘違いする奴がいるのよ」  
純は腕を組んで、苦々しい表情でそう語るけど、  
私には勘違いしてしまう方の気持ちもよくわかるような気がした。  
 
……私だって、ときどき無性に体が熱くなって、どうしようもなくなる時がある。  
それは、彼の生着替えを見ている時や、デジカメの液晶越しに姿を捉えた時なんかが顕著だ。  
でもそれ以上に問題なのは、純自身がすごく鈍くて、おまけに無自覚なところが救えない、  
という点だった。  
私は、緊張で乾いていく喉が不快で、強引に唾を飲み込んだ。  
「……それじゃ、私が『女』で、純を『襲わない』から……単に都合がいい、と?」  
「ま、そういう事ね」  
はっきりと肯定した純の返事に、私は軽くショックを受けた。  
……いや、ショックを受けるまでもない。予想通りで、聞かなくてもわかっていた事だ。  
だけど、改めてその事実をつきつけられると、少し気落ちしてしまうのも確かだった。  
 
いっそ、純の期待を裏切って、ここで強引に彼を押し倒してしまえば――。  
 
そこまで考えて、私は頭を振った。バカバカしい。有り得ない。本当に、くだらない。  
まったく、私は何回彼に恋をして、何回打ちのめされれば気が済むんだろう。  
最初から諦めていたも同然の恋だから、それを“失恋”と呼ぶのは何か違う気がするけど、  
今は他に適当な言葉が見つからなかった。  
「……なぁんだ」  
呟く声に、隠し切れない落胆の色が滲む。  
せめて嘘でも「私だから」といった理由を純の口から聞けたなら、  
こんなにも肩を落とす事なんてなかったのかも知れないのに。  
 
でも、現実はそうじゃなかった。純にとって、私はそんなに重要なものじゃない。  
認めたくはないけど――ただ、それだけの事だった。  
 
チクリと、ジクジクと、痛みに唸る胸を、私は服の上から押さえつけた。  
けれど、いくら表面だけをきつく押さえても、意味なんて少しも無い。  
胸の奥に、それはまるで剣山かウニかイガ栗でも居座っているかのように、  
チクチクと凶暴な刺激だけを私に訴え、襲い掛かってくる。  
 
……どうしよう。今は顔、上げられない。  
 
俯いて視線を足元に落としたまま、そう思った時だった。  
「――美乃里」  
純に、急に名前を呼ばれて、私は思いもかけず耳を疑った。  
それは彼の発した声が、なぜか真剣みを帯びているように聞こえたからだ。  
その上、純に名前をきちんと呼ばれること自体も近頃では珍しくて、懐かしい気すらしてくる。  
 
私は純の声に弾かれるようにして、俯けていた顔を上げると――、それは、ほんの鼻先の事だった。  
近すぎて、焦点がぼやけてしまいそうな程の至近距離に、純の顔がドアップで飛び込んできたのは。  
 
「わっ、な、なに……ッ!?」  
想定もしなかったそのあまりの近さに、私の声は情けなくも上擦った。  
慌てて平静を装おうと思っても、誤魔化すにはもう手遅れだ。  
一瞬の間を置いて我に返った私は、近すぎる彼から少しでも距離をとろうと、一歩後ずさった。  
――しかし、忘れていたけどここは一応“トイレ”だ。逃れられるほどの広さはもちろん無い。  
だから後ずさっても、すぐに私の背中は壁に当たり、  
先ほどまでとは一転した雰囲気の中で、彼に「追い詰められる」状況となってしまったのだった。  
 
それでも尚、純は私をじっと見据えたまま、無遠慮に体を寄せてくる。  
「えっと、なぁに、純……?」  
「いや、あんたってさ……。案外大きいのね――胸」  
「……へ?」  
見ると、純は真剣な顔つきをして、私の胸元をまじまじと凝視していた。  
ちらりと見る、なんて可愛らしいものじゃない。――凝視だ!  
私が、つい今しがた胸元を強く押さえたのがアダとなったのか、  
気づかない内に、私の胸は腕によって寄せられている状態になっていた。  
その所為で確かに、丸い膨らみの線が、少し過剰なまでに強調されている。  
 
……そして、私の胸から視線を逸らさない、純のあまりにも真っ直ぐな目に、  
私は羞恥でどうにかなりそうだった。  
瞬時に熱が顔に集まっていくのを感じて、反射的に両腕で胸を庇う。  
「な、なにっ、急に言って……っ」  
「だって、ホラ! 見てよ、あたしのと全っ然違う! あたしだってちゃんとホルしてるのに、  
なんであんたとこんなに差があるのよッ。ムカツクー!」  
純は、納得がいかないとでも言いたげに声をあげると、グイ、と自分の胸を片方掴んでみせた。  
掴む、というか、純の胸は彼の手のひらの内に簡単に収まってしまう程の、ささやかな“微乳”だ。  
それも最近になってようやく膨らんできた程度の……その、とても成長途中だった。  
「……私は、そのくらいの方がいいと思うけど……」  
本音を言えば、むしろ小さい方が羨ましい。  
この、平均よりもだいぶ育ってしまった私の胸には、いつだってどうにもならない悩みがついてまわった。  
無いものねだりだとわかってはいるけど、だからこそ、彼の主張に素直に頷くのは難しい。  
 
私はそのまま、彼になんと言ったらいいかわからずに、曖昧な微笑を浮かべていると――。  
純はなんと、眉間に皺を寄せた表情のままで、私の“やや”大きめな胸を両手で鷲掴みにしたのだった。  
 
「ひゃ……、なっ!?」  
「うっそ、やわらかーい! すごーい! いいなー!」  
心構えの出来ていなかった私は、突然のことに全身を硬直させた。  
純はと言えば、「悔しい!」とごちりながらも、何やら興奮した様子で人の胸を弄んでいる。  
 
――これは、一体何の拷問だ!  
今さっき通算何度目かの失恋をしたばかりだと言うのに、  
仮にもその好きな相手に己の胸を揉みしだかれているこの状況が、訳がわからない!  
 
ブラと服越しとは言え、かすかに純の感触と体温が伝わる。  
……もしかして私は、彼の気が済むまで、  
この愛撫という名の拷問に耐えていなければいけないのだろうか。  
顔はさっきからずっと紅潮しっぱなしで、とっくに頭まで血がのぼっている。  
それに、奥歯を強く噛み締めていないとなんだか変な声が出てしまいそうで、  
それが私には一番怖かった。  
 
だけどこのくらい、純にとってはただの“お遊び”と同じだ。  
この行為に、他意なんてあるはずが無い。  
女同士の戯れと同じで、だから、これくらい、平気で、反応する、方が、おかしく、て――。  
 
「……あ、ぁン……っ」  
 
ビクッと肩が跳ねる。体が震える。  
その聞き慣れない小さな声が私の口から漏れた途端、純の手が不自然にぴたりと止まった。  
ついでに、今までキャッキャとはしゃいでいたはずの、彼の声も聞こえなくなる。  
……沈黙こそが、罰。  
私には、これ以上ない辱めとなった。  
「――ちっ、ちがう! 違うの、何でもないの! ……だ、だって、私と純は、  
ただの友達で……友達だから、それ以上なんか有り得ないし!  
だから、いや、えぇと、違うそうじゃなくて……、だから……ッ」  
もう、頭の中は真っ白だった。  
ただの“お遊び”にも感じて、喘ぐなんて。ひどく、はしたない。どうしようもない。  
けれど、下手に言い訳をしようとすればするほど、自分で墓穴を掘っていく。  
ひとりでパニックを起こした私は、突き刺さる純の視線が痛くて、怖くて……。  
 
「……ごめん、ちがうの……!」  
自分の汚い何もかもを、彼にだけは見られたくなくて、私は両手で赤い顔を覆い隠した。  
 
+  
 
「……悪いけど、先、外に出ててくれない?」  
純の、どこか切羽詰まったような、押し殺した感じの声が頭上から降ったのは、  
あれから幾ばくか経った――と思われる――頃だった。  
その低い声が普段の彼とは全く違ったから、ついに見限られたか、と後悔に胸が軋んだ。  
戦慄く唇は言う事を聞いてはくれず、加えて、この混乱した頭では何も思い浮かばない。  
それでも私は何とかなけなしの勇気でもって己を叱咤すると、意を決して、  
顔を覆っていた手をそろりと外した。  
息を深く吸い込み、恐る恐ると彼の方を見やる。  
「……純、あの、ね……っ」  
 
――顔を上げた瞬間、バチッと視線が絡み合った。純の目が、驚きに見開かれる。  
 
刹那、純は私以上に焦ったような声を出したかと思うと、強引に私の背中を押しやった。  
「い、いいから、ほらっ、早く! 外出てってばッ」  
「えっ、あ、ちょっ……!」  
そうして私は、彼に反論も弁解する余地も与えられないまま、  
ぐいぐいと強く背中を押され――、とうとう力任せにトイレの外に追い出されたのだった。  
 
「はぁ……どうしよう」  
私がトイレから出て、五分……いや七分が経った。  
純は中に残ったまま、独りで何をしているのかわからないが、まだ出てはこない。  
けれど、そのお陰で私も頭を冷やす時間がとれた。  
さすがにその間独りきりにさせられていれば、嫌でも頭は冷え、顔の赤みも次第にひいていく。  
 
……とにかく、純が出てきたら真っ先に謝ろう。  
さっきは変なこと言ってごめん。何でもないから、全部忘れて――、と。  
 
「大丈夫、言える。きっと、なんとかなる……」  
頭を冷やした分、さっきよりはきちんと言葉にできるはずだ。  
そうやって考え込みながら、ぶつぶつと繰り返していると、  
後方からガラリとドアが開く音とともに、純の小さな呟き声が耳に入った。  
「……お待たせ」  
「あ、あのっ、純……、『さっきは――』」  
言いながら、私は勢いよく後ろを振り返った。けれど――。  
「って、……あれ? なんで、純、そんなに顔……赤いの?」  
思わず、謝罪の言葉を途中で切ってしまうほどに、そちらの方が気になってしまった。  
ムスッとしている純の頬はなぜか赤く、その様は、多分さっきの私以上だった。  
「いっ、いいでしょ、別に! ……なんでもないわよ!」  
純は上擦った声で怒鳴りながら、真っ赤になった頬を両手で押さえた。  
怒鳴った事によって、ますます顔が紅潮した気がする。  
「え、あの、でも……どうして? 純が赤くなる理由なんて、何も……」  
「うぅ、うるさい! この馬鹿! バカ美乃里! あんたが、あんな……あんな……ッ」  
純は途端に、ハッとして口元を押さえた。  
怒りからか、それとも興奮からか、彼の肩が震えている。  
「……と、とにかく! もう用は済んだんだから、さっさと帰るわよ!」  
純はそう言い捨てて無理矢理に話を切り上げると、逃げるようにその場から身を翻した。  
 
「あっ、待って、純――、ッ!」  
 
……私はそのとき、全ての愁いがいともあっさりと彼方に吹き飛んでいくのを感じた。  
髪の隙間からちらりと見える純の耳たぶが、燃えるように赤い。  
それを見ている私の方も何だか気恥ずかしくて、再びじわじわと頬が熱を持っていく。  
 
私は、彼に手を引かれるままに、前へと足を踏み出した。  
純が握ってきた手の力は、不器用にも強くて、ほんの少しだけ痛い。  
けれど、その痛みすらも覆ってしまう程に、彼の手のひらは温かく、そして優しかった。  
 
いつか、この気持ちの全てを、彼に伝えられたらいいのにと思う。  
――私は、繋いだ手の温もりを噛み締めるように、純の手をぎゅっと握り返した。  
 
 
終  
 

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