ネオン煌めく賑やかな大通りを抜け、一本小路に入った裏通り
真夜中の静けさの中ひっそりと佇む看板にはBarの文字が刻まれていた。
店内にはジャズが流れ、クラシカルな内装のカウンターには一人のバーテンが頬杖をついて客と酒を酌み交わしていた。
傾けたグラスの中で炭酸の泡が踊る。
「えぇ?あの子辞めちゃったのぉー!?」
飲めない酒を舐めるように飲んでは時間を潰していた環希はその顔に落胆の色を浮かべ、カウンターに突っ伏した。
彼のために巻いてきた髪が虚しく木目の上に投げ出される。
バーテンは慣れた様子でそれを見守り、慣れた手つきで彼女が持つグラスをひょいと奪い取った。
グラスの淵ギリギリまで揺れた液体は零れ落ちる手前で平行を保たれテーブルの上に避難させられていた。
半分以上入ったままのカクテルが照明の明かりを受けて美しく輝く。
ぶつぶつと文句を口にする環希の頭上にふっ影が落ちた。
カウンターを挟み環希の前に立つバーテンがそっとその頭に触れたのだ。
その手は暫し無言のまま彼女を慰めるように優しく髪を撫でていく 。
「まぁ、今回は残念だったわね」
「うぅ、マスターぁ・・・慰めてくれるの?」
「いい線いってると思ったんだけど…アンタさぁ、がっつき過ぎなのよ」
骨張った指の先にはゴージャスなネイルが施されていた。
頬紅の付いた頬に手を当て、重たげな付け睫がバサバサと羽ばたく。
「はぁ?そんな事ない!がっついたりなんかしてないし!」
「寧ろマスターが食い散らかしたんじゃないの?」
環希は勢いよく顔を上げ、呂律の回らぬ舌で噛み付くような反論を返した。
舌ったらずな声色がなんとも間抜けだ。
人気のない店内に反響するように広がっていく。
「ちょっと!アンタこそ人聞きの悪い事言わないでくれる?」
「アタシ、モヤシっ子と女は嫌いなの」
鼻息荒くこう言い 切る彼、もとい彼女はオカマであり、尚且つこのバーのマスターでもあった。
肩先まで届く髪を後ろで縛り白いシャツに黒いベストとタイを結んでいる。
歳は三十路付近だろうか
堀の深い顔立ちは男っぽく、どちらかと言えば体格も逞しい方だ。
しかし彼、もとい彼女は男として恵まれたルックスを持って生まれたにも関わらず
その魅力を全て掻き消すように化粧を施し女として自身を着飾っていた。
バーテンの服装に派手なメイクはなかなかにインパクト大だ。
「そもそも、アンタ男を見る目がないのよ」
ぴしゃりと言われた一言に言い返せない環希は悔しそうに眉を寄せ堪えている。
脇に追いやられていたグラスを掴もうと伸ばした指先をカウンターの中からぺしっと叩かれた。
「もうやめときな」
「アンタってばすーぐほいほい金は出すわ股は開くわ」
「まったく、頭もあそこも緩過ぎなのよ」
「うっ・・・ひどい」
「あら、アタシは真実を述べているだけよ?」
「今回のあの子にもお金渡しちゃったそうじゃない」
「・・・だって家賃も払えないって言うんだもの、可哀想じゃない」
「バカね、そんなの嘘に決まってんでしょ」
「アンタ何回目よ、いい加減学習しなさいよ」
しれっと辛辣な言葉を吐き出した赤い唇は環希のカクテ ルグラスをぐいっと飲み干した。
豪快に揺れる喉仏に視線が止まる。
「えっと・・・これで五人目です」
飲み干されてしまった空のグラスを恨めしい気持ちで見やり、環希は歴代の彼氏を指折り数えて溜息をついた。
「・・・六人目よ」
「うっ・・・」
「ふん、逃げる男なんて放っておきなさい」
「どうせはじめから価値なんてないようなクズだったのよ」
「・・・・・ねぇマスター、私新しい彼氏できるかなぁ?」
「アンタねぇ・・・数ヶ月前も今と同じ事言って酔い潰れてたわよ?」
「ったく。朝まで介抱してあげた恩、忘れたとは言わせないわよ?」
「あれ?そうだったっけ・・・?」
環希はじっとりとした視線から逃げるように笑ってごまかした。
酔っていて覚えていな いのは確かなのだ。
あの日もここで朝まで飲んで酔い潰れて、目が覚めたらマスターのマンションに転がされていた。
薄ぼんやりとした記憶は頭の片隅に残っている。
「普通の男だったら簡単に酔い潰れたアンタのこと襲うわよ?」
「オカマに感謝しなさい」
「ははっ、私マスターになら犯されてもいいよー」
赤い顔で無邪気に笑う環希を諌めるようにマスターは言葉を続けた。
「バカッ、すぐそんなこと言うから頭も股も緩い女って言われんのよ!」
「アンタ、ちんこついてればオカマでもいいって訳?この節操なし!」
「え〜?心外!私誰でもいい訳じゃないよー」
「マスターだから言ったんだよ?」
ピタリと空気が止まり、互いの視線が交差する。
「・・・そんな上目遣いで 殺し文句言ったってアタシには効かないわよっ!」
「はいはい、わかってるわかってる。マスターが好きなのは女じゃなくて男だもんねー」
「そ、そうよ・・・」
「マスター」
「何よ」
「ううん、なんでもない」
「はっ!アタシ女のそういう意味のない甘ったれたとこが嫌いよ」
「えぇー?私はマスターの事、好きだよー?」
「だまらっしゃい!この酔っ払い!」
ケタケタと笑う環希から隠れるようにマスターは息をついた。
そんな二人の関係がこの先変わる事になるなどと当の本人達はまだ気付きもしていない。
end