「にほ〜ん高速こお〜くう〜、ぼくらをのせ〜てびゅんびゅびゅ〜〜ん」  
 
その日の授業が終わり、机に頬杖をついてアンニュイな気分に浸っていると、  
前方の席から、脳天気な歌声が聞こえてきた。  
のろのろと顔を上げ、妙ちくりんな歌の発生源に視線を伸ばす。  
 
「えんじんふかせ〜、すぴ〜どぜんかいっ、くもを〜つきぬけつきすすめ〜」  
 
……やっぱり、ゆりかよ。  
自然と溜息が漏れる。いや、クラスをぐるりと見渡してみたって、あんなおバカな歌声を  
それも大声で披露するような人間は、あいつしかいないって分かってたけど。  
…それにしても、うざったいことこの上ない。こういうときは、無視を決め込むのが一番だ…。  
 
「へんけい、がったい、ミノルチャンダー、せかいのへいわをまもるんだ〜」  
 
「わけわからんわ!!」  
ずべし。瞬時にゆりの真後ろに移動、その後頭部にチョップをかます俺。  
実にいい音がしたなぁ。クリーンヒットだ。  
「……ふぇぇぇ〜〜ん!!実ちゃんがぶったぁぁぁぁ〜〜〜!!」  
顔をぐしゃぐしゃにし、ゆりが大泣きを始める。  
「ツッコミ入れただけだろ!そんなに大泣きすんなよ!  
 だいたい、何で日本高速航空・社歌を歌ってたのに、突然俺の名前が出てくんだよ!!」  
無視を決め込むつもりだったが、さすがに俺の名前を出されては黙ってるわけにはいかんだろう。  
俺の名前は商標登録されてるんだから、使用料を徴収しなければ。嘘だが。  
「え〜、だって、ミノルチャンダー、かっこいいんだもん」  
「だから、航空会社とどう関係あんだよ!そもそもミノルチャンダーって何だよ!  
 俺いつの間に巨大ロボットになったんだよ!!」  
「昨晩、ゆりの夢の中で」  
「知るかそんなの!!」  
ずべ。さらに鮮やかなツッコミチョップ炸裂。うむ、絶好調。  
 
「ふえぇぇ〜〜ん!!実ちゃんが二回もぶったぁぁぁ」  
「お前がボケるから、俺がやむなく突っ込んでやってるんだ。  
 感謝こそされ、けして責められる覚えはないぞ」  
「ゆり、実ちゃんみたいな芸人じゃないよぉ…」  
「忘れたのか?ゆり…夕日に誓ったじゃないか、  
 『明日のお笑い界を担う、立派な芸人になります』ってごげぶっ」  
そこまで言ったところで、俺の頭部は頭上からの隕石落下により机に沈んだ。  
「芸人にだったら、あんた一人でなるのがお似合いよ」  
「千夏ちゃん…」  
「ゆり、大丈夫だった?…全く、実にも困りものね、  
 何の理由もないのに、いつもゆりをいぢめてばかりなんだから」  
そう言って、いつものようにペロキャンを差し出す千夏。ゆりはそれを受け取ると、  
きゃっきゃとはしゃぎながら、ぺろぺろ舐め始める。さっきまでの泣き顔は何処へやらだ。  
「……あのなぁ。俺はゆりをいぢめたつもりはないってーの。ただ突っ込みを入れただけだって」  
ようやく復活した俺、すかさず異議を申し立てる。が、  
「別にゆりはあんたと漫才してるワケじゃないんだから、無理して突っ込み入れる必要はないのよ。  
 …あんたみたいに、放っておけば四六時中ボケ続ける人間に対してだったら、突っ込まなきゃいけないけどね」  
「ほう。俺の才能を買ってくれているのか。う〜ん、さすが千夏、見る目があるな」  
「全然面白くないけどね」  
一蹴された。ひゅぅぅぅ……  
 
 
「で、ゆり。お前はどうしてそんなに浮かれてるんだ?」  
「え?ゆり、そんなに浮かれてるように見えたかなぁ?」  
そりゃあ丸見えだ。つか、どう考えても浮かれてるか、頭が暖かくなったかにしか見えん。  
そうでなきゃ、教室で堂々と『日本高速航空・社歌』を大声で歌うことなどありえんからな。  
つか、何で俺もゆりも、そんなマイナーソングを知ってるんだ?  
「まぁ、そりゃ…ねぇ。ゆり、やけに楽しそうに歌ってたじゃない?」  
さすがに千夏も指摘しづらそうだ。  
「仕方ないさ、千夏…ゆりはまだ頭がお子様だからな。浮かれて歌の一つや二つ  
 口から出てきても無理もないんだ」  
「ふぅん…でも、少なくともあんたに言われたくはないと、思うわよ?」  
俺もお子様認定か…がびん。  
「千夏ちゃん…実ちゃん、固まってるよ」  
「放っておきなさい」  
「さて、いつまでも固まってる暇はないわけだが」  
「復活早いわよっ!!」  
「ゆりよ…そんなに浮かれてるっつうのは、何か嬉しいことでもあったのか?」  
「えへへ〜……」  
そして、ゆりは意味深に笑う。  
「…正確には、これからあるんだよ」  
「そうなの…。良かったら、教えてもらえないかしら?」  
「うん!あのねあのね、実はねぇ」  
 
「…と、いうわけなんだよ」  
「そうかそうか、遂にゆりにも初潮が来たか。よかったな」  
「えぇぇぇぇっ!!?ゆり、そんなこと言ってないよぉぉっ!!」  
真っ赤になるゆりを余所に、俺は満足げに頷く。  
そうかぁ…ゆりもとうとう大人になったか。  
「今夜は赤飯だな。帰りにおごってやげぶらっ」  
どがっ!!  
「いい加減に、中略した説明部分を捏造するのやめなさい!!」  
だだだ…ち、千夏にしちゃ突っ込み遅かったな。  
「それに、女の子相手に言うボケじゃないわよ……って、何よだれ垂らしてるのよ、ゆりは」  
「え?え?ゆり、よだれなんて垂らしてた?」  
慌てて口元を拭くゆり。こいつ、「赤飯おごる」って台詞に反応しやがったな…食い意地張ってる奴め。  
…って、このままじゃ話が全然進まないぞ。…俺の所為か。  
「…で、ゆりのお袋さんに初潮が来たんだっけ?」  
「いい加減に初潮から離れなさいよっ!!そもそも、おばさまに初潮が来てなかったら  
 ゆりが生まれてないでしょっ!!確かにおばさまは若く見えるけどっ!!」  
ゆりのお袋さんはかなり若く見える。つか、正直幼な顔だ。  
年の割に子供っぽい外見のゆりよりも、下手したら年下に見えるぐらい。  
つか、正直何歳なんだろう…俺達と同い年の子供がいるんだから、それなりの年だろうけど。  
「はぁぁ…もう、どこから突っ込んだらいいか分からなくなるわ……」  
頭を抱え、崩れ落ちる千夏。  
「まぁ、挫けるな、千夏。人生若いうちに苦労しておいた方がいいんだぞ」  
「誰の所為でこんなに苦労してると思ってるのよっ!!」  
やべっ、凶暴化しやがった。  
「赤飯、赤飯〜。実ちゃんがおごってくれる赤飯〜」  
ゆりはよだれを垂らしながら、即興で歌を作って歌っている。まだそのネタ引っ張ってたのかよ。  
つか、もうおごるの決定してるし…  
 
「……はぁ、はぁ……」  
はぁ、はぁ……千夏に追いかけ回されて、ついつい教室を五周もしてしまった。  
ま、定期的に運動しないと、健康な体は保てないからな。丁度良かった、ということにしておこう。  
「はぁ、はぁ…まったく、あんたって人は……」  
「それに、女の子のダイエットにも効果てきめんです」  
「私にダイエットなんて必要ないわよっ!!」  
うわっ、さらりとすごいことを言いやがる。周りの女子の視線が痛……  
「そうよねぇ…千夏、スタイル抜群だしねぇ…」  
「どうしたらあの体型を維持出来るのかなぁ…憧れちゃうよねぇ」  
……って、羨望の眼差しで見てやがるよ。ちくしょう、得な奴め。  
千夏に視線を戻すと……さすがに今のが失言だと気づいたのか、顔を真っ赤にして小さくなっている。  
「気にすんなや。つい出ちまった一言だろうに。  
 それに、周りの人間も認めてるし、自分でも日頃から気を遣ってるんだろ?  
 だったら、もっと堂々としてもいいんでねぇの?」  
「実……」  
少し千夏の視線が柔らかくなったような気がする。  
「もっともスタイルが良くても、人をすぐ追いかけるような凶暴性はどうにかな」  
「あんたが馬鹿やるからだっ!!」  
ごげす。黄金の右ストレートが鳩尾を貫いた。力無く崩れ落ちる俺。  
「わぁ〜ん…とぅ〜…すり〜…以下略。かんかんかんか〜ん」  
そして鳴り響く非常のゴング。1R:1分42秒、俺のKO負け。  
「って、あんたが口に出してるだけでしょうが…大体、  
 こんなお馬鹿な争いで勝ったって、嬉しくとも何ともない…」  
「そりゃそうだな。こんな不毛な勝負はやめて、話を元に戻すか」  
「復活…早いわね…はぁぁ」  
 
で、二人してゆりの席に戻る。  
「ねー、二人で何してたの〜?これから帰るんでしょ?  
 お赤飯、おごってくれるんだよね?おっ赤飯、お赤飯」  
「うるせー、別に祝うことなど何もないから赤飯は無しだ」  
つーか、今までずっと赤飯楽しみにしてたのか。  
「うぅっ…実ちゃん、さっきはゆりの初潮祝いって言ってたのに…」  
「都合のいい部分だけ真に受けるなっ!!  
 そもそもお前の初潮なんて、5年前に来てただろうがっ!!」  
「ど、どうして実ちゃんが、そんなに細かい時期まで知ってるのっ!?」  
それは多分、ゆりのお袋さんが、俺のお袋との会話の中で堂々と口にしていたからだと思う…。  
人の家に来て、友達に娘のそんなことまで話す母親も母親だが。  
「そうよっ、実、事と次第によっては…」  
千夏まで混ざってきて、俺の目の前でぼきりぼきりと指を鳴らす。  
「あ…えーと、ともかく、いい加減初潮の話からは離れようや。  
 それよりも、どうしてさっきゆりが浮かれてたのか、その話に戻そうぜ?」  
「…何だか腑に落ちないけど…このままじゃ話がちっとも進まないことも確かだしね」  
千夏がゆりに話の続きを促す。  
やっと本題か。ここまでで諸君は何分浪費したことだろう…それを考えると夜も眠れん。  
って、諸君って誰だ。  
「えーとねぇ…あのねあのね、実はねぇ」  
 
「実は俺だが」  
「『みのるはねぇ』じゃなくて、『じつはねぇ』!!  
 そんな、口頭じゃ分からないボケをかますんじゃない!!」  
いいんだよこれは小説なんだから。偉い人は分かってくれる。  
って、さすがに禁じ手を多用するのはやめておくか…。  
『○○なんだから』って、逃げの手を使うのはあまり良くないしな。  
「実ちゃん、ゆりの話、ちゃんと聞いてる…?」  
さすがに涙目だ。これ以上脱線を続けると、高確率で泣き出しそうだ。  
そして千夏が俺を殴る→俺悶絶する→千夏がゆりにペロキャン渡す→ゆり、上機嫌になる、というパターンになってしまう。  
「いいじゃないか、最終的に上機嫌になるのはゆりだぞ?」  
「…はぁ?よ、良くわかんないよぉ…」  
ゆり程度の頭では、俺の論理展開は理解しきれないらしい…  
「いいからもう、脱線はやめなさいよっ!!」  
「分かりました千夏お嬢様、おっしゃる通りに致します」  
「え…?は、はぁ……」  
いきなり俺がうやうやしく礼をしたもんだから、千夏は思わず固まってしまう。  
その隙を狙って…  
「ていっ」  
つんっ。  
「●¢&○△※◎℃÷◆〒!?」  
千夏が身体を抱えてうずくまる。俺が何処をつんつんしたのかは皆さんのご想像にお任せします。  
…そして、極限まで高められた怒りのパワーは、衝撃となって俺の身体に降り注ぐ。  
「……実の、馬鹿ーーっ!!スケベ、変態っ!!!」  
「ぎゃぁぁぁぁーーーーっ…………」  
意識が遠のいていく…ああ、こうなることは分かってたのに。  
でも、やらずにいられない。それが俺という人間なのだ……。  
 
「…さて、本題に入ろうか」  
「実ちゃん、本当に大丈夫…?」  
心配は無用だ、ゆりよ。こう見えても俺は打たれ強いんだ。  
千夏のサンドバッグ歴十云年。人生の大半サンドバッグか。可哀想にな……って自分で言ってたら世話無いけど。  
「何と言うか、あれだけ痛めつけてもピンピンしてるとは、むしろ驚嘆に値するわね」  
「もっと褒めてくれてもよろしくてよ、よろしくてよ」  
「褒めてないわよっ!!」  
ぜーぜーはーはー。肩で息をする千夏が、もはや見ていて痛々しい。  
これ以上精神的負担をかけすぎると、後でどうなるか分からない(主に俺が)なので、いい加減脱線はやめにしよう。  
「で、何の話だったっけな、ゆり」  
「ゆりが何で浮かれてるか、っていう話だったと思うよ。  
 だいたい、最初に聞いてきたのは実ちゃんじゃない…忘れちゃ駄目だよぉ」  
「うるさい。少なくとも、記憶力ではお前に勝ってる自信がある」  
「…五十歩百歩、ね」  
「うるせぇよ!!」  
横から口出ししてきた千夏に一喝。  
「…くすん…そうだよね…やっぱり、ゆりっておばかさんなんだよね…千夏ちゃんもそう思ってるんだよね…」  
こっちはこっちでマジ泣きするし…あ、千夏、冗談抜きで慌ててる。  
「そ、そんなことないわよ、ゆり…ゆりは素直でいい子だもんね、いい子、いい子」  
ペロキャン差し出しつつ、頭をなでなで。…頭脳面に触れないのは、やっぱりフォローのしようがないからか…。  
で、単純なゆりはすぐ泣きやむわけで。…なんだか、毎日同じような光景を見てるような気がするなぁ……  
「ぺろぺろ…ありがと、千夏ちゃん」  
「いいのよ、たくさんあるから。ゆっくり舐めてよね」  
「うんっ。…それでね、実ちゃん」  
「何だ?」  
急に話を振られたので、驚いてしまう。…ゆりのことだから、もっと一心不乱に  
ペロキャン舐めに没頭すると思ってたから、つい油断してしまった。  
「もぉ…いい加減話聞いてよぉ……」  
「すまんすまん。…で、お前は何で浮かれてたんだ?」  
「うん、実はねぇ…」  
ようやく本題に入れるので、ゆりも嬉しそうだ。  
 
「…今週ね、土日の休みを利用して、旅行に行くの」  
「家族でか?」  
「うん!お父さんと、お母さんと」  
「へぇ〜。それは良かったじゃない」  
ゆりの家が、他人が羨むくらい家族同士の仲がいいというのは有名な話だ。  
最近は毎朝ゆりを起こしに行くときぐらいしか、彼女の家を訪ねてはいないが、  
それでも家全体に漂う暖かい空気は、何となく心地よく感じられる。  
俺は今、家族が遠くに住んでいて一人暮らしだから、なおさらそういう感じが強いかもしれない。  
「どこまで行くんだ?」  
「う〜んとねぇ…長崎の、かすてぃら村リゾート、って言ってたよぉ」  
長崎かすてぃら村リゾートって…  
確か、数年前に鳴り物入りでオープンしたのはいいけど、全然客が入らなくて  
最近経営難に陥ってる、という話を聞いたぞ。  
「…ず、ずいぶん通好みな場所をセレクトしたんだな、はは」  
俺にはそれしか言えなかった。通好みどころか、微妙なセレクトだと思うのだが、  
あえて口に出して、ゆりをがっかりさせることもあるまい。  
「どうしたの、実…何か言いたそうじゃない?」  
「いえいえ、別に何も」  
「まぁ、いいけど。長崎…ずいぶん遠くまで行くのね」  
「長崎っつったら、列車じゃ行けないよなぁ」  
陸路だと、まず土日じゃ帰っては来られまい。  
つーと、順当に考えて、空の旅だろうか。  
「そうそう!飛行機!飛行機乗るんだよ、飛行機」  
やけに『飛行機』の部分だけ強調して、興奮を抑えられなさそうに言うゆり。  
「ずいぶん嬉しそうだな」  
「無理もないわよねぇ。だってゆり、飛行機乗るの初めてなんだもの、ね」  
うんっ、と、ゆりは千夏の言葉に力強く頷く。その瞳がらんらんと輝いている。  
 
「そ、それは本当なのか?千夏…」  
「そうよ。あんた、幼馴染なのにそんなことも知らないの?」  
いや、普通そこまで把握しない。…ってことは、千夏の奴、  
ゆりのことは相当詳しく把握してる、って事か…。  
まぁ、もしかしたらゆりから、事前に聞いてただけかもしれないけど…  
「飛行機乗るのがそんなに嬉しいのか……まるで子供だなぁ」  
「ああっ、また子供扱いしたぁ」  
「だって、移動手段ごときで一喜一憂するなど、子供の思考回路だというのだ」  
「ぶー。たかが移動手段って、ばかにしちゃ駄目だよぉ」  
「だって、飛行機の窓から外を見たって、空と雲しか見えねぇだろ?」  
これが列車の旅だったら、流れる風景を眺めるなどの楽しみがあるかもしれないが。  
「それがいいんだよっ」  
何故か力説するゆり。  
千夏の方を見やると、「分かってないわねぇ、実は」と言いたげに肩をすくめている。  
…くそぉ、まるで俺だけが、飛行機に乗る楽しみを分かってないような扱い方じゃねぇか……。  
「…あ、わかった。実ちゃん、飛行機乗るの…怖いの?」  
ゆりが突拍子もないことをほざきやがるから、唇に両人差し指を差し込んで  
思い切り両側に広げてやった。  
「ひょ、ひょ、ひょ、ひほふひゃん、ひゃにひゅうひょ!?」  
何言ってるんだかわからん。構わず、そのままうにうにと上下左右に動かす。  
ゆりの柔らかいほっぺが、自在に変形する様がとても可笑しい。  
「あのなぁ…この『怖い物知らず』の俺が、空が怖いとでもいうのか?」  
「…まぁ確かに、別の意味で『怖い物知らず』ね、あんたは」  
じゃあそれはどういう意味でだ、千夏。またつんつんしてやろうか?  
……そしたら100%の確率で俺が再起不能に陥るだけだから、やめておくけど。  
さすがの俺も、そっちの意味の『怖い者』は理解してるつもりだ。  
「お前らが揃って『わかってない』とほざくなら、俺も援軍を呼んでやる。  
 おーい、優作……」  
ゆりの隣の席にいたはずの優作に視線を向けると……  
 
「……」  
腐臭が漂っていた。いや、それは言い過ぎか。  
ともかく、席に寝そべったまま、それは死の気配を漂わせていた。  
「優作〜……生きてるか?」  
「……やめてくれ…もう、飛行機の話はやめてくれ……」  
あ、やべ。頭から煙が出てる。  
 
「ごめんね…優作くんが、そんなに飛行機が苦手だって、知らなかったから…」  
しょんぼりモードに入っているゆり。優作が半死人状態になっていた原因が自分にあるとわかって、  
さすがに気に病んでいるらしい。  
「いや、気にしなくていいんだよ。ゆりちゃんはちっとも悪くないんだからさ」  
そんなゆりを優作が慰めている。…自分もそうだとは自覚しているが、  
こいつも負けず劣らず復活早いよな…。こいつの場合、女の子が絡む場合に限定されるが。  
「うん…でも、ほんとのほんとに、ごめんね」  
どうやら、俺達が話しかける前に、ゆりは隣に座っていた優作に  
喜びの声をぶちまけていたらしい。  
でもって、飛行機の話を聞くだけで卒倒しそうになるというらしい優作は、堪えて話を聞いていたせいか  
燃え尽きて半死人状態になってしまったと。そういうことだ。  
「……ボーイング707型機、ただ今より離陸いたしま〜す」  
「うぎゃぁぁぁぁぁぁ!!!やめてくれぇぇぇぇぇぇぇ!!」  
……そうっとう重症みたいだな。こいつは面白いこと判明。いや、気の毒に。  
どんだけ酷いトラウマを背負っているのだろう……  
「……きゅ〜ん、ごごごごご」  
「ぐっはぁぁぁぁぁ!!」  
あ、吐血した。  
 
「いい加減やめなさい!!」  
どが!!俺も吐血。原因は違うが。  
「…全く…人の弱みにつけ込んで、調子に乗ってからかうんじゃないわよ…」  
「あ、ありがとう…まさか千夏ちゃんが助けてくれるとは思わなかったよ」  
早くも復活した優作、さすがにまだ涙目だ。ちょっとやりすぎたかもしれん。  
「馬鹿が毎度面倒かけております」  
「ごめんね優作くん。でも、実ちゃんにも悪気はないんだから、許してあげてほしいな…」  
「ゆりちゃん…大丈夫、そんなことは分かってるさ」  
「実は悪意に満ちあふれた行動だったんだけどな」  
ごげっ!!  
「実、今なんて言ったの!友達甲斐がないにも程があるわよっ!!」  
「い、いや、冗談です…」  
こうも即座に手痛い突っ込みが入ってくるようでは、下手に冗談も言えん。  
「ま、その辺にしておこうよ、千夏ちゃん…」  
優作ごときに助け船を入れられた。むかつく。  
「……ボーイング707型機、ただ今より着陸いたしま〜す」  
「げぶらぁぁぁっ!!」  
「ちったぁ懲りんかっ!!」  
またも後頭部に一撃が入り、俺の意識は闇に落ちた。  
 
 
話しているうちに、外が夕暮れの朱に染まってきたので、そろそろ帰り支度を整えることにする。  
4人で昇降口にさしかかった頃、後方から何者かが追いついてきた。  
「ひっどいよー、みんなで私を置いてとっとと帰っちゃうなんてっ」  
「あ、唯…ごめんね、他の娘達と楽しそうに喋ってたから、邪魔しちゃ悪いなと思って」  
「それにしても、ちょっとくらい待っててくれたっていいじゃなーい。三人娘なんだから」  
ぷんぷんと鼻息も荒い堀江。さすがに大の親友に置いてかれて、ご機嫌斜めらしい。  
「だってよぉ、唯…お前、話しだすと長いんだよ。何分待たされるか分かったもんじゃないって」  
「んまぁ!優作ったら、自分の立場も分からず、そんな生意気な口を叩くんだね?  
 …そうだ?みんな、どうして優作が、飛行機にトラウマ持ってるか、教えてあげようか?」  
をを?気になるな。つか、やっぱり堀江が絡んでたのか…。  
それはそうと、俺達のさっきの会話を聞いてたんかい。器用な娘だよなぁ。  
「そう、それは十数年前、私たちが幼い子供の頃…」  
「だーーーーーーっっ!!それ以上は言うなっ!!」  
慌てて堀江の口を塞ぎにかかる優作。もう顔面蒼白だ。そんなにヤバイネタを握られてるのか?  
「もごもご…そんなに慌てるほど、重要なことかなぁ?あんな些細なことが」  
「俺にとっては、人生最悪の出来事だったんだよっ!!思い出すのも忌々しい…。  
 だから、頼むから、言うな。もう思い出させないでくれ…」  
「ふぅん。…じゃあ、それ相応の頼み方っていうのが、有るよねぇ?」  
にやりと笑う堀江。その瞳が妖しく輝いた瞬間、俺は  
何があっても、この娘だけは敵に回すまい、と心に誓ったのでした。  
 
 
で、俺達は、ワッキェバーガーへ向かうことになったのである。  
当然、代金は優作のおごりで。  
「今日は厄日だ……」  
そりゃそうだ。ゆり(悪意無し)や俺(悪意大あり)にあれだけ言葉責めを喰らったあげく、  
強制的におごらされる羽目になったのだから。不運な奴。  
そして、その尻馬に上手く乗ることが出来た俺は幸運な男、ってわけで。  
「言っておくが、実の分はおごらんぞ」  
…そううまくはいかなかったか。しっかりしてる奴だ。ちっ。  
それにしても、人間、弱みを握られたら終わりだよな…このように、一生搾取される事にもなりかねないのだから。  
…待てよ、そこの二人は、まさか俺から一生搾取する為の材料なんて持ってないだろうな?  
「千夏、ゆり、ちょっと聞きたいことがあるんだが」  
「言っておくけど、あんたの弱みだったらこれでもか、と言うほど握ってるからね」  
即答かよ!…じゃあ、  
「ゆりは、どうなんだ?」  
「ゆり?…ゆりはねぇ…」  
しばしの沈黙…そして。  
「……ぽっ」  
おーい…なんでそこで頬を真っ赤に染めるよ……。  
一体俺の何を知ってるっていうんだよ、お前はっ。  
 

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