拝啓
遅れてやって来た秋は北風に吹かれ、早々に去ってしまいました。そのうち日本から四季が消えてしまうのではないかと気が気でありません。昔から貴女
は風邪を引かない子供でしたから、言うまでもないとは思いますが、益々ご健勝のことと存知あげます。
先日お送りした手紙ですが、三日と経たずに返事が来たので非常に驚きました。メールアドレスが書かれていましたが、当面は手紙のやり取りで行きたい
と思います。このデジタルの時代に、あえて逆行して文通というのも味があって良いでしょう。メールだと考える時間が減ってが下手を打ちそうだからとか、
そういう理由ではありませんよ、決して。
さて、小三の運動会の話で終わったのでしたね。しかし、小学校高学年から中学生にかけては、あまり貴女との思い出がありません。性差が表面化するに
伴い、これまで同性と変わらず友人関係を築けていたものを突然女の子として扱う必要が出てくるわけですから、自然と疎遠になるものでしょう。自分たち
が気にせずとも周囲からはからかわれますし、関係を維持するのはなかなか困難なものです。
僕も例に違わず、突然女の子らしくなった――あくまでも体つきといった点で、内面は相変わらず男勝りでしたが――貴女に戸惑い、周囲からも揶揄され
距離を置こうとしたのです。だけれど、貴女が妙に積極的に近づいてくるものだから大層困った。貴女をあまり無下に扱う事も出来ないし、だからといって
以前と同じ関係を続けるのは色々無理がある。今でも疑問に思うことがあるのですが、僕が貴女を避けて登下校に使う道を変えた時の事です。一日目は、当
然ですが一人だった。しかし、二日目からは貴女が途中で待ち伏せをしていたのです。時間もずらしていたにも関わらずです。その後何回かルートを変更し
ましたが、どう足掻いても二日目からは貴女に待ち伏せされる。一時は盗聴でもされてるんじゃないかと本気で疑いました。――教えてくれても良いでしょ
う、一体どんな魔法を使っていたのですか?
妙に貴女が積極的だったから、疎遠なのか仲良しなのか良く分からない関係が続いていたわけですが、それが終わったのは、中三の夏休み辺りからでした
ね。
僕の志望校は、今になって思い返してみれば明らかに無茶でした。貴女が、大丈夫わたしも勉強教えてあげるからきっと入れるよ、と連呼するものだから、
そうか今からでも頑張ればどうにかなるのかな、などと思ってしまった。結局、地獄のような受験勉強をして、トラウマになりそうなほどに緊張した試験
を切り抜け無事合格したのは良いのですが、入学した所でさらに地獄が待っていたのです。そもそも無理をして自力以上の学校に入った所で、勉強について
行けるはずがないのです。まあ、それでも無事卒業できたのは、やはり貴女のお蔭ですが。貴女は昔から、僕を過大評価する癖がある。それにしても、中三
の夏休みからは、しょっちゅう貴女と一緒に居ました。僕は帰宅部でしたが、貴女は部活――確かテニス部だったでしょうか――を引退してから、ほとんど
つきっきりで家庭教師をしてくれましたね。中学校生活最後の年なのですから、友人と遊んだり色々とやりたいことはあったはずなのですが、僕に勉強を教
える貴女は妙に上機嫌だったような気がします。一体、なぜだったのでしょうか。
最後になりますが、貴女が手紙を送ってくれてから、大きく間が開いてしまいました。納期が迫っているとか、そういうことではないのですが、積み重な
った些事が存外時間を食うのです。とは言っても、大して長いわけでも無いのだから寝る前にでも軽く書けるだろう、と思う向きもあるかもしれません。し
かし、他の人に送る手紙では無く、他ならぬ貴女に送る手紙ですから、そう簡単に書く訳にはいかないのです。――どういう意味かって? さあ、どういう
意味なのでしょうか。御想像にお任せします。
ふと、カレンダーを見ると寒露と書いてありました。暦からも、気付けば早くに落ちている太陽からも、冬の訪れを感じます。そういえば、貴女は風邪は
引きませんが、その代りにインフルエンザやら肺炎やらを患ってほとんど毎年登校停止になるのです。その度に看病をしたことなど、色々書きたいことが湧
き上がってきたのですが、それは今度にしましょう。
くれぐれも、お体にはお気を付け下さい。
敬具
とある平成の寒露の日に
元生徒より 元家庭教師へ
追伸
すっかり書くのを忘れていました。貴女の事を思い出しながら書くと、ついつい軽口ばかり叩いてしまうのです。
自分の時間を削ってまで僕に勉強を教えてくれたこと、心から感謝しています。ありがとう。
それでは、また。