毎月の月末の金曜日は、オタクたちにとってだけでなく、小売店の店員にとっても胸が
踊る日だ。なんせその月に発売される主力タイトルの殆どが集まるかきいれ時だからだ。
『キンシン創刊』と筆文字で豪快に描かれた看板のお店も、月末の金曜日のために在庫
の発注や商品の棚卸、店内広告の入れ替え、商品データベースの更新などありとあらゆる
作業がこの周辺で発生する。だがこの店が他店と大きく異なる点があった。
店内にはコンシューマーゲームソフト、小説、漫画、18禁ソフト、フィギュアなど様々
な商品が並んでいるが、義母、実母、義姉、実姉、義妹、実妹と棚が分けられている。店
内はアニメ○トほど広くはなく、各ジャンルの商品も幅広く取り揃えているわけではない。
だが看板に偽りなし。文字通り近親相姦に関する作品のみを取り扱っていた。
ここはオタクのメッカ秋葉原からはかなり離れた中野駅から徒歩10分、知る人ぞ知る
選りすぐりの近親相姦小売店であった。
その店頭で、1/1スケールの可愛らしい女の子のポップが金曜日を明日に控えた木曜
日の夕方に、設置された。このキャラクターは明日発売の最新作「もう兄はいない」のヒ
ロイン首藤真弥子がクレヨンで描かれていた。真弥子が眩しい位の笑みを浮かべて立つ後
ろから、首元に両手を交叉させて真弥子をそっと抱きしめる兄。兄の眼差しは逆光に阻ま
れて明瞭には見えない。この二人がとても仲がよくて、それは過去の事だったのだろうと
いう事が題名から伺えた。兄は今どこにいるのか。そもそも生きているのか。各誌メディ
アに対してメーカーは情報を秘匿した。最近では少なくなった一切の情報を隠す広告戦略
が実を結ぶかは誰も分からない。明日、お店に沢山のお客さんが来てくれることを祈るの
みだ。もちろんある程度の予約は受けている。だがコアなファンでなければ、今時「妹」
というだけではお客は予約してくれはしない。魅力的な原画家だったり、知名度と人気の
あるライターだったり、または話題性のある人気声優が声を当てていたりなどがなければ
商品は売れはしない。このお店はこのポップを半日以上かけて製作した。たかだか一週間
程度で人気が低迷しかねない作品を、月末の目玉商品に掲げたのだ。オタク系店舗が並ぶ
中野駅近郊のオタクロードの中でも、クレヨンで製作された素朴な絵柄とメーカー製かと
思われる程の端正なイラストは人の目を引いた。思わず立ち寄ってしまいたくなるほどの
丁寧な線画と色使い、一見雑に見せかけてキャラクターや制服などポイントを引き立てる
見事な画力と色使い。携帯の写メにカシャカシャ、と撮る通行人が多数出た。
身長150センチにも満たない女性スタッフが自分よりも大きなポップを両手に抱えて店
先に持ってきたのだ。それはそれで周囲の注目を浴びるというものだ。なにせその店員は、
ポップの絵柄に胸ときめかせた通行人の視線を一気に店員の横顔に集めさせるほどの魅力
的な笑顔だったからだ。
女性店員の顔が整っているのは確かだが、目を輝かせてポップを設置してお店の周囲を
見渡す様が自信に溢れていて、思わず駆け寄って話しかけたくなる魅力をはなっていた。
「朋〜!」
店内から男性スタッフの声がする。朋と呼ばれた女子店員は
「は〜い! 兄さん何ですか〜」
と明るい返事をして店内に引っ込んでしまった。
もう一度あの子を観たいと誰しもが思うだろう。二次元アニメキャラが溢れるオタク系
ショップにあんな可愛い店員さんがいるはずがない、と我が目を疑うのは仕方ない。あん
な可愛らしい子が成人向けゲームを棚に並べていいわけがない、と憤りにかられてしまう
のも当然だろう。普通、可愛らしい女の子というものは、オタク的な趣味など持つはずが
ないのだ。それどころかエロ本やエロゲーなど、触りたくもないし仕事にしたくもないと
思うのが常識だろう。そのはずが、なぜあんなにもどっぷりとインモラルな近親相姦とい
うジャンルをあの子は仕事にしているのだろうと訊きたくなる──あわよくばお近づきに
なりたい。あんなにも堂々と仕事をできている理由は何なのか。
一人のオタクが、店内に足を踏み入れた。
整然と並べられた各種商品に、所々小さなポップや吹き出しが至るところに掛けられて
いた。メーカー側が作ったものもあるが、どう見ても手作り感が溢れる可愛らしいイラス
トが棚に刺さっている。イラストは下手なイラストもあれば上手なのもあり、イラストを
見るついでに商品の説明も見てしまうところが心憎い。店内の奥で男女の声がする。何や
ら品出しが終わっていないらしく、二人して慌ただしくも店内に商品を持ち運びしていた。
「ごめんなさい〜、兄さん! レジお願いしま〜す」
「はいはい〜、いらっしゃいませ〜」
今まで入ったどのエロゲショップよりも、何というか明るかった。店内の装飾もそうだ
が、この二人の店員がとても明るくて、人をほっとさせるような朗らかな笑みを浮かべて
いた。
「あの〜」
お客が言葉を選びながら、二人の店員の事を聞こうとする。
「お店の前に置かれたあのポップ、誰が描いたんですか?」
まずは当たり障りのない所から訊くのがセオリーだ。秋葉原ならともかく、こんな中野
にわざわざ特注のポップを提供してくれるメーカーがはたしているものか。
「ああ〜、あれはね」
兄さんと呼ばれた店員さんがにこりと微笑む。
「線が僕で、色は朋……んー、彼女だよ」
「二人で、描いたんですか!?」
「うん。まぁ、そのせいでバタバタしちゃったけどね」
「あ、あの……えっと、お二人とも、ここの店の店員さんなんですよね?」
「うん。僕たちのお店だよ」
お客はあっけにとられた。自分と大して年齢が変わらないように見えるこの20代の男性
が、このお店のオーナーだというのか。
「あ、あっ、あの……あの」
お客は店員さんの若さには突っ込めないので、再びあのポップに疑問を呈した。
「あの、お店の前に置かれたポップって、明日発売のものですよね。普通ポップって一週
間くらい、いやもっと前からかな。それくらいから置いてお客に宣伝するものなんじゃないですか?」
そういうと男性の店員さんは苦笑して周囲をみわたした。
「うん。じゃなかった、はい。そうですよ。お店の事を考えたら、大々的にPRするのがセ
オリーだよね。売れると分かってるなら」
「じゃあその……二週間前は売れると思ってなかった、いや延期すると思ってたんですか?」
「……あのメーカーさんは、ぎりぎりまで作り込むメーカーさんじゃないですか。だから
バグも多くて発売日に必ずといってパッチを提供したりして……」
お客は頷く。
「今回体験版の公表が一週間以上遅れたんですよ。つまり、昨日の深夜に公式ページにア
ップされて、僕はそこで初めて、あのゲームを面白い、と感じました。だからポップを作
り始めたのも今朝からなんです。見えます? あのポップのもう一つの側面は、台風の目
と言われてる大人気シリーズもののポップなんですよ」
店内の奥からだと、ポップの裏側がガラス越しにみえた。そこには、「もう兄はいない」
というゲームとはまったく別メーカーの別系統のポップが描かれていた。そちらは水彩画
だった。
「ですが当店はキンシン創刊ですから、実の妹が出てくる作品を第一に売り込むのは当然です」
お客は、あいた口が塞がらなかった。
「あっ、あの……あれは、誰が描いたんですか?」
店員さんは自分をさして微笑んだ。
「店員さんって美大出身ですか?」
男の店員さんは静かに微笑んで、
「油絵は売れないからね……」
といってレジに向かって作業を始めた。
お客は打ちのめされていた。そして、一つの可能性を思いついた。
「このポップ、もし大人気作品になったら、すっごい高値で売れるかもしれないですね」
店員は微笑んだ。
「だから、といってもそれだけが理由じゃないけどね、それも理由だよ。あとは朋が──」
「……兄さん、何油売ってるんですか?」
両手に雑誌を抱えた朋さんが、呆れ顔で男の店員さんを見下ろす。段差があるため、
美『小』女だって身長が伸びるのだ。どこにいてもその場を華やかにさせる空気をこの朋
さんは持っているようだった。
「いや……お客さんが朋のポップを褒めてくれてたんだよ」
だから霞を売っていたのは仕方ないだろう、とばかりに朋さんに兄は微笑む。途端に朋
さんの頬が火照って、お客の方に向かっていいわけを始める。
そもそもあのポップは両面仕様じゃなかったのだとか、「もう兄はいない」の体験版が
前日に出たのは遅すぎるから、あんなポップを作る意味は全然ないのだとか、そうじゃな
くても大作ゲームのポップを目立つように設置しないのはお店の売り上げとしていかなが
なものかとか、男の店員さんはもちろん、お客さんまで苦笑してしまうほどの暴走っぷり
だった。
男の店員さんはたっぷりと朋さんに発言させた上で、「でも『もう兄はいない』のポッ
プ作りましょう、兄さんって言い出したのは朋からだよね」とニヤニヤ笑いながら朋さん
の発言にかぶせてきた。それにより朋さんは膝から崩れ落ちて、お店の奥に逃げ出してし
まった。店内に響き渡る声で笑う男の店員さんと、きょとんとするお客が残った。
「なんかいじめちゃった感じですね……朋さんに」
初めて会った二人に対して親近感が湧いて、自然と「朋さん」と口をついてでた。無論、
店員さんはそれに対して眉をひそめることなく、
「僕らはね、近親相姦というジャンルの中でも妹ものの作品が特に好きなんだよ。だから
メーカーさんがそういったジャンルを真摯に作り続けてくれる限り、全力でそれを応援し
ていきたいんだ。今回はアレを作る余裕が本当になくて、なかったんだけど、朋の一言で
こんな風になったんだよ。本当にいいものが忘れられてしまうだけは避けたいんだ。特に、
世間からバッシングを浴びるようなジャンルなだけにね」
お客は、ゲームの事は全然知らないのに、この店員さんの語りとか色々なものに感銘を
受けてしまい、気づいたら予約チケットをカウンターに出していた。
「明日、ですよね。あれ」
「ええ。では予約ってことで五百円頂きますね?」
お客は黙って頷いて、そして自信たっぷりに微笑む店員さんが眩しくて仕方がなかった。
ゲームを馬鹿にするなと心の底から思うのだけど、男の店員さんだってその思いに共感し
てくれるのだろうけど、でも何だか、店員さんの熱意と妹さんの魅力に何も言えなくなっ
てしまった。
「全然関係ないんですけど、店員さん。最後にひとついいですか?」
「はい、いいですよ」
「妹もののゲームとかプレイしていて、朋さんに怒られないんですか?」
その途端に店員さんは苦笑して、
「いつもだよ。だからあまりゲームはできないんだ」
と答えた。
お客はそんな、羨ましさと妬ましさのないまぜになった胸の内をあかす事なく、中野の
街を後にした。
夕闇が中野のオタクロードを優しく包み込む。お客は予約券を左のポッケに突っ込んだ。
終わり