扉を開けた先にいた、シュロの妙に澄ました顔に苛立ちが募った。
「シュロ、あんた、一体どこ行ってたんだ! あんな置手紙だけ残して、1週間も…」
「寂しかったんだ?」
「だっ誰が!!」
頬を赤らめ、ぷいとそっぽを向くネリー。ああ…いつもの振る舞いだ。
安堵すると同時に、わずかばかり後ろめたく思う。今から自分がやる事は、彼女には相当しんどいだろう。
「で、真昼間からこんな空き部屋に呼び出したりして、一体何の用?」
ネリーが言葉を発したと同時に、微かな物音が聞こえた。…どうやら、舞台は整ったようだ。
「お前さ、フローリスト――自分の親父について、どう思う?」
「は? いきなり何を」
訝しげな視線を向けて、刹那、竦む。ネリーを見つめるシュロの視線はいつになく真剣なものだった。
彼が何を考えているかはわからない。だが、ここで答えを間違えたら全てが終わってしまう。そんな嫌な予感を含んだ視線。
本心を答えざるを得なかった。
「…あんな奴、父親だなんて思いたくないくらい大嫌いだ。他人なんて自分がのし上がる為の踏み台くらいにしか思ってないんだ、きっと。
だから平気で人を傷つけて、それを心から楽しんで。…実の娘であるアタシですら、権力欲を満たすための道具にしてる。
人としても、親としても、尊敬できる部分なんて一つもないね。」
「……そっか。」
満足げに笑むシュロを見て、またもや嫌な予感がする。シュロがこの笑みを見せる時は、大抵よからぬことを企んでいるのだ。
「じゃあ、今すぐにでもフローリストの家名を捨てて、俺のものになっても問題ないよな?」
声を挙げる間もなく、視界からシュロの姿が消えた。同時に首筋に生温かい息がかかる。
「な、何…を」
シュロは答えない。一言も声を発することなく、上着のボタンを素早く外していく。
「ば、馬鹿…なにやってんだ! 止めろ…!」
「黙れよ。」
首筋を生温かい舌が撫で、耳たぶに甘い痺れが走る。体中が粟立っていく感触が、やけにネリーの脳を刺激する。
「あ……っ!」
「お、エロい顔。それに…エロい声。ほら、見てみろよ。」
壁にかけられたやたらとでかい鏡の方を向かされる。そこに映った顔を見て、戦慄した。
潤んだ自分の瞳や、赤らんだ頬よりも。何よりも印象的な、背後にいるシュロの冷たい視線。ああこの顔は…
「シュロ…怒ってる、の?」
しばしの無言の後、彼は口を開く。
「…そりゃ怒るぜ。俺の女が、俺の弟分にレイプされそうになってる現場を見たら、な。」
ネリーの顔から赤らみが消えた。変わりに、見る見るうちに青白く染まっていく。
「あ、あれは……!」
「解ってるよ。悪いのはあいつだ。自分の女と他の女の区別も付かないくらい隙が出来てるあいつの、な。
けどさ、誰が悪いのか解ってても…どうしても許せないんだよ。」
服の上から胸を鷲掴み、乱暴に揉みしだかれ。鈍い痛みが走ると同時に、初めてこのシュロという男に対して恐怖心を覚えた。
「俺の女が、他の男に身体を好きなように弄繰り回されてた事、拒む事を諦めてそれを受け入れようとしてたことも!」
「痛……っ、ご、ごめん、なさい…!」
「ごめん? じゃあさ」
ネリーを解放して、近くにあった椅子に腰掛ける。冷徹な笑みが、ネリーの心に深く突き刺さる。
「脱げよ。俺の目の前で、さ。」
今までに感じたこともない恐怖だった。シュロの形相のせいもあるが、それよりも大きいのは…シュロに嫌われる事への恐怖だ。
そして、そんな恐怖感よりも、どうにかして許して欲しいと願う贖罪の想いのほうが強い。…言葉無く、頷くしかなかった。
上着を、ベストを、ワイシャツを。一枚一枚ゆっくりと脱ぎ去り――靴もストッキングも脱いで。
「下着も脱げ。それとも…脱がせて欲しいか?」
立ち上がろうとする動作に驚いて、一思いに下着を脱ぎ捨てた。ちらりと慈悲を乞うような視線でシュロを見遣る。
「脱いだ…よ? もう、これで」
「自分から脱いで誘っといて、これで終わりとかなんて冗談?」
「な…!」
驚きの声を挙げると同時にシュロもまた自分の衣服を全て取り去り、お互い生まれたままの姿になる。
脱ぐことで初めて解る割れた腹筋、厚い胸板……。あまりに無駄のない筋肉。それこそ見惚れてしまうほどに。
胸の奥が疼く。この身体に抱きしめられたい。そんな性衝動に駆られて、無意識のうちに彼に寄り添い、口付ける。
どこからか漂う果実の芳香がネリーの意識を甘く溶かしていく。身体も、心も。疼いて疼いてたまらない。
熱っぽい彼女の口付けを、シュロは甘んじて受け入れた。
「はむ……ん、ふぁ……っ」
甘い果実を貪るように、執拗に舌に絡みつき、吸い付いてくるネリーの微熱を感じながら、シュロは改めて愛しさを覚えた。
普段の天衣無縫で気風のいいネリーも、名女優のサイネリアも、今こうして熱を求めてくる様も。
まるで風のように涼しげで奔放な彼女は、一目合った時から今までずっと、シュロの心を惹き付けて止まない。
―――やべぇ、な。
危機感を覚えた。彼女を快楽に溺れさせるつもりが、逆に自分が溺れそうになっている。
腰に回していた手を太ももに這わせる。熱気溢れるそこは、既に絶妙な湿り気を帯びていた。
「ん……ネリー…。お前、マジで、相当溜まって…」
「う、うるさ……い」
口で反抗しながらもやはり身体は素直で。愛液の溢れるそこを少し指で刺激しただけで、彼女は身体を大きくくねらせる。
実に1ヶ月以上もご無沙汰だったのだ。欲しくて仕方がないのはお互い変わらないはず。
「楽になろうぜ、お互いに」
「ちょ………ま、だ……や……っ」
「やなはずねーだろ。素直になれって、ネリーちゃん。『挿れてください』って、言ってみな?」
「そ、んな……、い、言え、な……!」
「あ、そ。じゃー俺、一生ネリーのこと許せなくなるかもな。」
秘所に埋めていた指を抜き取り、愛液に塗れたそれを舐める。妙に甘酸っぱく感じるのは、きっと自分も我慢の限界だからだろう。
快楽を失ったネリーは目を潤ませて首を横に振る。その仕草を見て嗜虐心がそそられる。…もう、自慰行為だけではこの性欲を解消できそうになさそうだ。
「い……れて……」
「ん? 聞こえないんだけど?」
「い、挿れて、く、ださいっっ!」
ああ、今きっと自分はすごく下品な笑みを浮かべているだろう。彼女の股を大きく開き、待ってましたと言わんばかりに、一気に猛ったそれを蜜壷に埋める。
「――っっ!ん、ふ、ぁぁぁっ!」
「…っ、きつっ――!」
遠慮なく侵入してきた異物を、彼女の中は逃がすまいと言わんばかりにきつく締め付ける。
煮溶かされそうなほどに熱く滾るそこは、絶妙な快楽をシュロに与える。もっと熱を、もっと快楽を。一心不乱に腰を打ちつける。
「や、あっ、あ、あ、あ、っ、シュロぉっ、いつもより……熱くて…、激し、よぉっ!!」
普段の行為では聞けないような甲高い喘ぎ声が、自ら腰を振る殊勝な彼女の痴態が、シュロの情欲を更に掻き立てた。
腰を密着させ、一気に彼女を突き上げ追い詰めていく。
「はぁ、はあっ……ネリー、ネリーっ……! くッ―――!!」
「や、ぁ、っ、あっ、あっ、あ……あぁぁぁああっ!!!!」
ネリーが達するよりも先に、シュロは達した。跳ね回りながら白濁を注ぎ込む動きに、ようやくネリーも達する。
繋がったまましばしの間抱き合う。2人の瞳が重なった瞬間、どちらからともなく唇を付け、与えられた熱の余韻にどっぷりと浸る。
「ったく……、こんなことでわざわざアタシを呼び出すなんて……」
服を着なおしたネリーは、不満げに唇を尖らせる。
不満なのはこっちの方だ。もっと色々とやりたい事があったのに、溜めに溜めた性欲と、ネリーの淫靡な姿のせいで結局全ておじゃんだ。
でも………それでも。この上ない満足感に満ちている。
「素直じゃねーなぁ。正直に言えよ、気持ちよかった、ってさ?」
「だ、誰が!!」
「俺は満足だぜ? ネリー、すっげぇ良かった。最高だったよ。」
自然と笑みが浮かんでいた。ほとんど無意識に、彼女の額に啄ばむように口付けを落とす。
頬を赤らめ、それを受け入れるネリーを心から可愛いと思う。
「も、もう、しばらくはしないからね…っ!!」
捨て台詞を残して去っていくネリーの背中にひらひらと手を振った。そして、散らばった衣類を拾い集め、身に着ける。
「…さて、俺も仕事に戻るかな、っと。」
きっちりと執事服を着こなし、いつものような胡散臭い笑みを浮かべて、鏡のほうを見る。
その向こうで青ざめているか、怒りに震えているであろう。男に向かって静かに一言、言い放った。
「どうでしたかフローリスト卿。お宅の娘さん、なかなかでしょう?」
長い静寂が訪れる。時計が針を刻む音だけが室内に響く事、おおよそ刹那。
豪勢な鏡が音を立てて開き、その向こうから顔面蒼白の猩々が姿を現した。
「お前は、一体、何者だ?」
男が姿を現してからもなお、静寂は続く。それを破ったのはフローリストの震えた声だった。
「ローラント国王専属執事のシュロでございます―――って、言いたいところだけど、もう本性曝け出しちまったし、どうでもいいや。
俺はローラント陛下もといアスターの昔馴染み。都じゃなくて港町の生まれだし、実家はこじんまりとした酒場。
どこの誰だったかなぁ? 俺のことを『諸事情により身分を隠して陛下に仕える名門貴族の嫡男』とか勘違いしてた阿呆は」
「この…下衆めがっ!! 下級民の分際で、娘に―――!!!」
蒼白だった顔が一転、怒りで真っ赤に滾る。掴みかかろうと突進を仕掛けるフローリストをひらりとかわし、後ろ手に締め上げた。
「ひいぃ……っ!」
「下衆って言葉、そっくりそのまま返すぜタヌキ親父。ったく、やらかしてくれたなぁ、おい?」
「わ、私が…何をしたと言うんだ……!」
「それはもう、口では言い切れないくらい数多くの事を。言うの面倒なんで、こちらの書類にまとめておきました。」
小さな本棚から紙束を一つ取り出し、フローリストへ突きつける。びっしりと詰まった文字列を読み進めるたび、脂ぎったその顔が冷や汗に塗れた。
「そこに載ってる奴らをちょーっと脅して、あ、女はちょっくら可愛がってやったらすぐにゲロってくれたぜ。『自分はスパイです。』ってさ。
おかげでお前と新王国が裏で繋がってる確証を得ることが出来た。いや〜感謝感謝!」
「で、デタラメだ!! きっと、誰かが私を陥れようとして―――」
「黙れよ。」
憤りと侮蔑と憎悪の宿った眼光が、フローリストを突き刺す。蛇に睨まれた蛙のようだった。
「このリーク元誰だと思う? カルミア姫だよ。彼女から告発書を戴いたんだ。それがこれ。ありがたいことに、新王国の捺印入りだぜ。」
ガタガタと震え始めた滑稽な様を見て、乾いた笑いが出た。散々人を弄んできた罰だ、存分に苦しめ。
「ヒース=スプリングスをこの城に入れたのも、お前だな? 新王国の奴らから賄賂を受け取ったって証言も出た。
調べれば調べるほど、面白いくらいにボロが出てきてさ。はは、最高に滑稽なミステリーだったぜ。
…これら全ては己の権力欲のため。そのためには、娘の身体だって使う。お前にこそ下衆って言葉がお似合いだ。」
蛇の眼光のまま、今度は小さな瓶を突きつける。怯えきった醜い顔がやけに面白い。
「この小瓶、知ってるよな? お前がネリーに使わせた媚薬入りの香水だ。…効果はバッチリだったな。あのネリーがあんなに乱れるなんてさ。
世の中因果応報だよ、下衆野郎。下級民舐めんじゃねーぞ。」
シュロの髪から漂うシトラスの残り香。この時初めてフローリストは自らの行いを悔いた。全てを悟ったのだ。
まるで魂が抜け落ちたかのように、膝からがくりと崩れ落ち。次の瞬間には、頭を床へこすり付けていた。
「た、頼む…。陛下にその書類を渡すのはやめてくれ……殺される………!!」
アスターの冷血王の蔑称がこんな所で役に立つとは。このみっともない姿をアスターにも見せてやりたかった。
「じゃ、交換条件だ。この書類を陛下に提出しない代わりに…南方の鉱山地区の責任者になれ。勿論、自分から立候補して、だ。」
視察をしてきたネリーの話によると、鉱山地区に住まう人間は屈強で頑固な人間が多いらしく、纏め上げるにはかなり骨が折れるようだ。
そのため責任者の選任が滞り、開発が思うように進んでいないのだ。…腐った根性を叩きなおすにはちょうど良い場所だ。
「わかり、ました………」
フローリストは力なく了承した。…これでも、一政治家だ。馬鹿ではない。自分の置かれている状況についての把握くらいは出来ているはずだ。
他の誰が責任者へ立候補したら間違いなく反対の声が起こるだろう。だが、フローリストは。
これまでに散々人を弄び、傷つけ、蹴落としてきたという要らない実績がフローリストの足枷となる。
唯一の肉親であるネリーの口からでさえも侮蔑の言葉が聞かれた以上、もはやフローリストに味方する人間は、皆無。
床に突っ伏してうめき声を上げる奴に嘲笑を浮かべ、この趣味の悪い空き部屋を後にした。
「お見事。さすが、ですわね。」
部屋を出て少し歩いたところで、にこやかなカルミアと遭遇する。
どうやら今までの一連の出来事を盗み見ていたらしい。…なんて癖の悪い王女だ。だが、彼女のリークのおかげであの猩々を潰す事ができたのは事実。
「ありがとうございましたカルミア姫。貴女のおかげで、あの男に一矢報いる事ができました。」
「あらまあ。あんな適当な名前の羅列がお役に立てるなんて、光栄ですわ。」
くすくすと愉しげに笑った後、青い瞳を真っ直ぐシュロに向ける。
「ですが、勘違いはなさらないでくださいね。あの書はあくまでわたくし自身の報復のために用意したに過ぎませんの。
ずっと性的嫌がらせをされてきたんです。身体のあちこちを撫でられたり、執拗に夜伽に誘われたり。あんな醜いお方、視界に入るだけで不快ですわ。」
くるりと背を向ける。靡いた髪から漂う香りは、やはりよく見知ったもので。
「赤い果実が甘いか酸いかは、口にしてみないとわからない。けれどわたくしは、躊躇いなく口にします。
甘いか酸いか自らで確かめないと気が済みませんもの。そこに愛するものが絡めば、なおのこと。」
去り行く背中からは、華奢なその風貌には不釣合いすぎるほどの断固たる決意が感じ取られた。それはもはや、妄執に近いと思える。
隠す気がないほどに解り易く腹黒い女―――それすらも完璧に演じきっている彼女。
酷く滑稽で愚かだ。幼い頃から様々な役を演じ続けてきたせいで、本当の姿を見失った哀しきマリオネット。
…色々な思いが絡みついた、吐き出るような笑いが漏れる。
「…口にしなくても解るよ。あいつがゲロ甘い果実だってな」
続く