どこ吹く風にうっすらと花の香を感じる。この城に帰還して初めて感じた季節感だ。 
…もうどれだけ経ったのか。長いようで短く、短いようで長い。時間の感覚も、目に映るべき色彩すらも無くしたように思う。 
花の香りがどれだけ鼻腔をくすぐろうと、風が暖かみを帯びようと。自分は依然として真冬の庭のままだ。 
時に激しく、時に優しく照らしてくれる太陽を失ってしまったのだから。 
 
 
「花を愛でる姿も一層お美しいですね。ミオソティス様?」 
調子の軽い声と同時に、肩口から細長い指が伸びる。…振り向かなくても、誰なのかは解る。 
それはかつて自分が少しでも心を開けた男。けれど今は、灰色の風景画の中の人物に過ぎない。 
彼はミオの髪を一房掬い取ると、それを引き寄せ…口付ける。彼の気障な様にももはや何も思わない。何も思えない。 
もう解りきっているのだ。彼の言動全てが、自分だけではなく数多の女を魅了する為のものに過ぎない事を。 
「相変わらず、お世辞がお上手ですね。」 
「お世辞とはとんでもない! 本当のことを述べているだけです。 
貴女は本当にお美しくなられました。あなたの美しさの前にはこの庭の花々ですら枯草に見える。」 
…一部撤回する。何も思わなくはない。日を追うごとに、この男に対する嫌悪感は増すばかりだった。 
それでも拒まない。かといって受け入れもしない。…彼はじきに、自分の夫として迎え入れられるのだ。 
 
城内はいつにも増して慌ただしい。あと3日しかない。 
城下町はいつにも増して騒々しい。まだ3日もあるのに。 
 
そう。それは。誰もが望み、誰にも望まれない戴冠式。 
――3日後、一の姫ミオソティスは名実共に新王国の次期女王となる。 
 
 
「随分と…お痩せになりましたね。」 
彼はいつの間にか腰を抱いて、嘆かわしげに呟く。 
無遠慮に腰を撫でる無神経さに眉をひそめながらも、自分が最近まともに食事を摂っていないことに気付く。 
肉や魚はまず受け付けない。スープや温野菜はかろうじて口に出来るが、それでもすぐに戻してしまう。 
なのでここ最近はヨーグルトや栄養価のある柑橘系の果物が中心の食生活となっていた。痩せるのも無理はない。 
心では何も感じずとも、体は想像以上にこの城での生活が堪えているのだろう。 
さらにこの男に撫でられているのは、この弱りつつある体には非常に悪影響だ。いい加減に、手を―― 
「卿よ、我が姉上に何をやっておるか!」 
特徴的な鼻声が浴びせられる。次の瞬間、自分と同じ金髪を持つ少女が、彼の手をきつく抓っていた。 
「こ、これはポリアンサ様。ミオソティス様は私の妻となるのですから、戯れるくらい何の問題も……」 
「たわけ! そなたのふしだらな行為は常々目に余る。婚礼を済ますまで、姉様には指一本触れさせぬ!」 
ポリアンサ――アンは、物心付く前から芸術に打ち込んできたせいか、今時珍しいくらいに純な娘だ。 
先ほどのように男女が寄り添いあうことは勿論の事、手を繋ぐ事も、2人きりになることすら汚らわしいと感じるらしい。 
他国の王に何度も身体を抱かれた自分は、アンにとっては不潔極まりないだろう。 
だが、アンの態度は以前と変わらない。自分のことを汚らわしいとは思っていないようだ。 
他国の王に嫁ぐ事が即ち『そういうこと』だという事すら理解できていない可能性もあるが。 
剣幕に押され、そそくさと立ち去っていく彼に向かって鼻を鳴らし、すぐに姉へキッと鋭い視線を向ける。 
「姉上。非常に不本意ながら、卿の言葉には一部同意しております。姉上はもっと食べるべきじゃ。 
痩せていく姉上を常々見ておるわらわたちの身にもなって欲しい。」 
「…心配かけたみたいで、ごめんね、アン。私なら大丈夫……」 
「姉上の「大丈夫」は嘘っぱちじゃ、と、リコ姉者は言っていた。」 
ふいに手を取られる。あちこちに色とりどりの絵の具が散り、人差し指には大きなたこが棲んでいる芸術家の手。 
この姫君らしからぬ手が、ミオには至高の芸術品に見える。他のどんな絵よりも価値のあるものに思える。 
そんな手が、指先が自分の手を包んでいる。なんとも言えない不思議な感覚だ。 
「姉上。わらわは姉上が大好きじゃ。」 
鮮やかな指がミオの手を握り締める。 
「だが、嘘を述べる姉上は嫌いじゃ。嘘は心も体も傷付く。傷つける。心優しい姉上に嘘なぞ似合わぬ。 
わらわは…わらわたちは、姉上の幸せを心から願っておる。だからもう、己の気持ちを偽るでない。」 
でも――喉元まで出かかった言葉を飲み込み、嗚咽を漏らす妹の体をふわりと抱きしめる。 
もう大丈夫だとは言わないだろう。…3日経てばおそらく、自分は言葉すらも失ってしまうだろうから。 
 
 
幸せ―――何度もその単語が反芻して、今宵はどうも寝付けそうになかった。 
問いなき答えを求め、見上げた空に月はない。3日後の自分を示しているのだと思うと失笑が漏れた。 
音を立てないよう部屋をすり抜け、闇の中をひたすら歩く。無意識の行為だというのに、その行く先をミオは確信していた。 
 
かつての躾部屋。酷く無機質な石塔の一室。幼い頃抱いていた底知れぬ恐怖はもう消えうせた。 
重厚な石材によって音も声も響かないこの空間が、皮肉にもミオが最も安堵を覚える場所となっていた。 
―――何も、変わってない。 
粗末な本棚、質素な机や椅子。自分が閉じ込められていたあの頃と変わっていない。 
違うのは、机のあちこちに飛び散った絵の具の跡。アンが時折ここに篭って絵を描いているという話だ。 
僅かに暖かみを帯びた夜風が体をなぞってくる。申し訳程度に付けられた小さな格子窓。 
あの頃は顔の高さと同じくらいだったのに、今は顔よりも低い位置にある。 
…閉じ込められるたびに思い出していた、あの日のおぼろげな記憶。 
その幻想が確かなものだと解った時から、ミオの幸せは始まったのだ。 
 
自分は愛されていた。そして、これからも愛され続ける。たった一人だけを愛する事ができる。 
それだけで幸せなのだ。それ以上の幸せは望まない。望めない。 
……でも。願わくば、彼とずっと一緒にいたかった。彼の隣に寄り添っていたかった。 
 
「……会い、たい。」 
か細い言葉が部屋の中にかき消されていく。届かないと解っていても口にせずにはいられない。願わずにはいられない。 
「会いたい……! 会いたい、よぉ……っ!」 
偽りなど無い自分の想い。口にしてしまえばもう生きていく事なんて出来ないと解っていても。 
どうしようもないくらいに、彼が愛しくて仕方がないのだ。 
「助けて………アスターさま、っ……!」 
 
その時、重たい音を立てて扉が開けられた。 
 
 
夜風が髪を揺らす。目を見張り、扉の向こうから現れた人影を見つめる。 
声が出ない。だって……彼が、こんな所にいるはずがないのだ。 
―――そうか、これは…… 
幻想だ。彼を恋しがる心が生み出した、空しい虚像なのだ。でも……十分だ。 
これから己を失う自分への、最後の情けだとしたら。それに大いに甘えよう。しっかりと心に刻み込もう。 
 
 
「アスター様っっ!!」 
 
幻影の胸の中へ飛び込む。愛しい彼の温もりに包まれ、嗚咽が漏れる。 
逃さぬようにきつく抱きしめると、近づいた耳元で優しげな声がしきりに名前を呼ぶ。それに応えミオも彼の名を繰り返し呼んだ。 
そうしてようやく落ち着いてから僅かに身を離し、彼の顔を見て――胸が高鳴る。 
「なんて顔をしているんだ、お前は」―――ようやく心が一つになった時に、そんな言葉をかけられたのを思い出す。 
熱っぽい瞳、昂っていく熱。直に伝わる鼓動。……自分を欲しがっているのだと用意に推測できる、そんな切なげな表情。 
かつての自分もこんな顔をしていたのだ。だから、今、彼が求めている事が解る。 
―――私は貴方に貰ってばかり。だから、今度は私が…… 
頬を両手で覆い勢いに任せて唇を重ね。隙間からゆっくりと己の舌を割り入れ、懸命に絡ませる。 
それに応えたのか、彼の舌もようやく動き出す。お互いに満遍なく口内を犯し尽くす。 
息継ぎの合間にもれる吐息が熱い。身体も心も熱くて仕方がない。なのに、まだまだ熱が足りない。 
未練がましく唾液の糸を引きながら唇を離した。変わらず熱視線をぶつけてくる彼の頭をやんわりと撫でる。 
「貴方が欲しい。欲しくてたまらないの…」 
彼の身体を横たわらせ、その上に乗って自ら衣服を取り去る。その手間すらも今は惜しい。 
驚き、目を見開く彼の唇を人差し指でなぞって微笑む。眼下の彼が、惚けたような声で自分の名を呼ぶ。 
「アスター、お願い……。私の好きにさせて?」 
答えを待つ時間すらももどかしくて、返事を聞かぬまま彼の衣服に手をかける。 
いつも彼が自分にそうしているように、露わになった肌に何度も口づけ、舌を這わせる。 
男ゆえか、いくら吸い付いても跡の残らない肌に僅かな劣等感を感じつつ、左胸の突起に舌を這わせる。 
聞いたこともない彼の苦悶の声色。自分と同じように、彼も感じてくれているのだろうか? 
そうやって身体を舐めていると、尻の辺りに固い質量を感じた。そこからほどばしる熱に、思わず息を呑む。 
この上ない快感を与えてくれるその質量。脳まで蕩けてしまいそうなその熱の記憶が、平生慎ましやかな彼女を大胆にさせる。 
ベルトを必死に外そうとする手。苦しげに静止を望む彼の声。もはや耳に入ってなどいなかった。 
四苦八苦してるうち、布の下から現れた赤黒い肉棒を見て、さすがに少し身じろぐ。 
―――これが…私の中に……… 
快楽の記憶が彼女を妖艶な女に変貌させる。既に溢れんばかりの熱を宿したそこに触れると、彼の身体がこれまでにない反応を見せた。 
ここをどうすれば彼に快感を与えられるのか、知識は無い。だけど…なんとなく、解る気がした。 
下着を外し、解放された双丘で彼のものを包む。谷間から伝わる熱が正解だと告げている。 
胸をこすりつけ、寄せては上下させ。時にその登頂でくすぐるように刺激して。そうしていると、どんどんそこは熱を増す。 
ここまでくればもう何でも出来るような気がした。谷間から飛び出した先端に舌先を伸ばし、遠慮がちに舐め始める。 
彼の息が荒くなる。時折耐えるような声すらも聞こえてくる。快感に耐えているのだとすぐにわかった。 
―――もっと、もっと彼に悦んでほしい。 
先端を口に含み、口づけのときにそうしたように舐め上げる。胸を動かすのは決して止めない。 
丁寧に、懸命に舐め上げ、時にしゃぶり立て、時に柔らかく刺激し。彼を緩やかに、確実に絶頂に導いていく。 
―――もっと、もっと、感じて。 
再び彼女が先端を口に含んだ時、彼が小さく喘いだ。ほどばしる熱が口の中に放たれる。 
嗅いだ事のない強烈な匂いと味わった事もない強烈な苦味。思わず吐き出してしまいそうになりながらも、それを一気に飲み干した。 
 
 
先ほど飲み込んだ白濁の残り香と後味にむせ返る。何もかもが初めてのことばかりで、なんだか気疲れしてしまった。 
それなのに心はとても満足しているのは、きっと彼を悦ばせる事が出来たから。 
思えば自分は彼に与えられてばかりだった。自分から与えたものなど何一つもなかった。 
隣を歩くと決めたのに、何も与えられないまま城を去る羽目になったことが、心のどこかで負い目となっていたのだろう。 
その負い目が解消された。もう何も思い残す事はない。この満足感に包まれたまま、自分は生きて――― 
「まったく、なんてことしてくれたんだ。」 
彼の呆れたような、だけど嬉しそうな声色が聞こえる。脱力して天を仰いでいたはずの彼が、いつの間にか鼻先が触れるほどにまで近くにいた。 
「お前のせいだからな。」 
腰を軽々と持ち上げられる。何がどうなっているのか全く理解できず、恐る恐る下へ視線を延ばす。 
先ほど精を放ち、萎えていたはずのそれが再び活力を取り戻し、反り返っていた。 
「や、だっ、ちょ、ちょっと、待っ……!」 
「お前の、せいだからな?」 
腰をすとんと落とされ、肉棒が一気に彼女の中を貫く。久しぶりに受け入れる熱と質量に全身が奮い立った。 
彼は腰から手を離し、再び床に横たわる。久々の快感に震えながら彼を見ると、悪戯な笑みがそこにあった。 
「俺が欲しくてたまらないんだろ? なら、自分で動けるよな?」 
顔から火が出そうになった。そういった意地悪なところまで完璧にトレースしているなんて、本当に精巧な幻想だ。 
……もう中に侵入を許しているというのに、今更止める事なんて出来なかった。 
「っあ――あ、く……ぅんっ……!」 
しぶしぶ腰を動かし始める。動かすたびに、彼女の中の敏感なところに擦れ、刻み込まれた快感とはまた違った快感が襲ってくる。 
「や、あぁぁ、んぅっ、あっ、あっ、あ――……あぁぁっ……!」 
はじめはぎこちなかったが、次第に激しさを増してゆく。前後、左右に。 
上下に動くたびに跳ねる両胸の律動がリズムとなり、快感を生み出していく。 
仰向けになる彼が喉を鳴らす音が聞こえる。彼女の艶かしい姿が、彼の心に火をつけた。 
天に向かって一突き、腰を動かすと、上で跳ねる彼女が一際甲高く喘いだ。 
「あぁぁっ……!! そこっ…い、いの、ぉっ…! あぁっ、も、っと、もっと、欲し……っ、ひあぁっ!」 
2人の妙に息の合った腰の動きが、これまでに感じたことのないような快感を生み出す。 
同時にミオの心は徐々に幸福で満たされていった。熱を共有する事で、お互いの想いを確かめ合う。 
自分は確実に愛されているのだと、自分も彼を心から愛しているのだと実感できる。これ以上の幸せがあるはずはない。 
 
彼こそが彼女の幸せなのだから。 
 
「んっ、あぁ…!ア、スター…っ、キス、して……!!」 
かき抱くように引き寄せキスをねだれば、頬に瞼に唇が落とされ最後に互いの唇が重ねられる。 
時折声を漏らしながらも自ら舌を絡めた。 
「ぅん、はぁあ、っ…すき…です、アスター、…愛して、ま、す…っ」 
「俺も…っ、愛してる、ミオ…」 
肌のぶつかり合う音と淫猥な粘着音が部屋を満たすほどに激しい情事が繰り広げられ。大きな声で喘ぐ彼女の意識はほとんど飛んでいた。 
突き上げる激しさと胸や秘芯を弄ぶ指先の優しさに、身も心も蕩け切って鳴き続ける。 
身体がビクンと跳ね力が籠もり、両足が腰を押し付けるように絡みついた。 
広い背中にしがみ付き、中で弾ける感触と注がれる熱いものに恍惚としながら荒い呼吸を繰り返す。 
余韻に浸る余裕などもはや残されてはおらず、彼女はくたりと彼の身体にもたれかかる。 
「待っていろ、ミオ。お前を必ず――――――」 
彼の声を聞きながら静かにまどろみ、意識が遠のいていく。 
髪をなでる感触が懐かしくて、目尻にじんわりと涙が滲んだのを最後に、彼女は深い眠りに落ちていった。 
 
 
続く 

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