王都の空に花びらが舞う。至るところから歓喜の声が挙がる。 
澄み渡る空の下、人々は新女王誕生の瞬間を待ちわびていた。 
一の姫ミオソティス。王都の人間はかつて、彼女を「空の姫君」と蔑んでいた。 
秀でたものがない、ただはじめに生まれただけの無能な姫。かの姫が新女王となれば、この古の国は滅びの道を辿るであろう、と。 
町中が歓喜に沸く様をバルコニーから眺めながら、2人の姫君はそれぞれに率直な本音を吐き捨てる。 
「なんとも華麗な掌返しじゃのう。」 
「本当、愚かしいことこの上ない。」 
自分達が今見下ろしている民は、誰一人としてミオソティスの本質に気付けなかった。 
たった一人の少年の無謀な行動がきっかけで、いまや国内外に広がりつつあるミオソティスの優しさ、一途さ、健気さ。 
それらをあたかも当然だったかのように褒め称え、崇め、祭り上げる。この様を愚かと言わずしてなんと言えば良いのだろうか? 
「リコ姉者。」 
しばらく王都の喧騒を見下ろしていた折、ふと、傍らのポリアンサが名を呼ぶ。 
ちらりと目を見遣り、瞳に移りこんだその顔は心なしか翳っていた。 
「わらわは…今もまだ少し迷っておる。」 
そう、ポツリと呟いて、自分の掌を見つめる。いつも油絵の具だらけの自分の手。 
かつて姉が美しい芸術家の手だと言ってくれた掌は、今は上等な布で作られたグローブに包まれている。 
「姉上に幸福を与えたい、と、そう思うたびに不安が募っていく。…姉上は、本当に幸せになれるのか? 
あの者は、本当にリコ姉者の言うような男なのか? 本当に、全てを―――」 
「アン」 
震え始めたポリアンサの手を、アプリコットが強く握る。そうして彼女の顔を見つめて、笑みを零す。 
「大丈夫、お姉様は幸せになるよ。もう一つの花言葉がそう教えてくれている。」 
「もう一つの花言葉?」 
「そう。お姉様の花…ワスレナグサの、もう一つの花言葉は―――」 
 
 
 
時計塔の鐘が鳴る。王都全域に行き渡る時の音は、大聖堂内に集まった全てのものの口を閉ざす。 
荘厳な空気を纏って現れた女王アキレギア。その後に続くフロックス卿。 
そして、数名の神官を伴って現れた、此度新女王となる一の姫の姿を見て、民は息を呑んだ。 
思わず背筋が伸びてしまうほどに神秘的な純白の装いの姫君は、民の記憶の中の彼女よりも随分とほっそりとしており。 
歩くたびに揺れるマリアヴェールから、時折垣間見える表情の中の、琺瑯質の瞳。人形だ、と一人の民は思う。 
同時に哀れみすらも思った。このまま、女王として君臨する事は、果たして本当に彼女の為なのだろうか、と。 
田舎生まれのこの民は、ミオソティスの優しさに直に触れた数多の人間の一人だ。 
彼女の持つ健気さとひたむきさこそが、この国に必要なものだと思っていた。それはこの民だけではなく、彼女の優しさを知る人間全てがそう思っているだろう。 
女王となればこの国も救われる。不遇を強いられてきた彼女自身も救われる。世論はそう信じて疑わない。 
…果たして、それは本当に正しいのだろうか? 彼女が大国から帰還して以来、この民は疑問を抱いていた。 
凱旋パレードの人混みを掻き分けてやっと拝めた彼女の目はただ前を向いているだけで、光などなかった。 
権力と人望と民の支持、信頼。まさに理想の女王とも言える立場を手に出来ようというのに、彼女は酷く不幸せに見えたのだ。 
 
何が彼女のため? 本当に彼女のため? 真実はもう解らない。 
だけど、願った。この心優しき姫君が、真に救われる道を――― 
 
 
「待たれよ。その戴冠に、異議を唱えさせていただきたい!」 
 
 
静粛な空気を打ち破ったのは、静かな、けれども確実に人々の耳に響き渡るひとつの声だった。 
人々の視線が一斉に声の主へ注がれる。――青年は、毅然とした表情でそこに立っていた。 
その国で最も高貴な色とされる漆黒のマントを翻し、彼は数名の従者を引き連れ歩を進める。 
突然すぎるかの大国の主――冷血王ローラントの登場に人々は戸惑い、どよめく。 
ただ一人……女王の玉座の傍らにいるアプリコットを除いては。 
 
人々の視線がローラントに向けられる中、一人の民だけはひっそりとミオソティスに目をやって、そして、驚いた。 
確かに、見た。先ほどまで人形のようだった彼女の目が、彼が一歩近づく度に光を取り戻していく様を。 
 
ローラント王はミオソティスの前で一旦足を止めると、彼女に向かって微笑む。そして再び女王の眼下へと歩いてゆく。 
民は度肝を抜かれた。冷血王との蔑称を持つかの王が、あんなにも優しく切なげに微笑むのか、と。 
「神聖な儀式の場に乱入とは随分と無礼だのう、ローラントよ。」 
人々のざわめきは、アキレギア女王の冷徹なる声で一瞬に静まり返る。 
誰もが凍りつく最中、ローラント王だけが真っ直ぐな強い眼差しで女王を見つめていた。 
「陰謀と支配欲に塗れたどす黒い戴冠式を神聖と呼ぶのか? 笑わせてくれるな、アキレギア女王。」 
女王の表情に修羅が宿る。控えている兵達が、女王の指示を今か今かと待ちわびている。 
神聖な儀をどす黒いと吐き捨てた。大国の王といえど、この発言は女王に対する侮辱。捕縛の動機としては十分すぎる。 
だが…もはやそれは不可能に近い。その理由は、彼の従者達の手に一様に握られた白い花。 
それは、完全降伏…敵対の意志が全く無いことを示している。国家元首としての意地を捨てるに等しい行為だ。 
いかなる理由があろうともジャスミンの花を掲げた人間に武力行使をしてはならない。これは、世界法により定められている。 
もし女王が自分の感情を優先して兵達に捕縛の指示を与えたとしよう。さすればたちまち女王は一人の世界的犯罪人に成り下がるのだ。 
小賢しい。この若造は、つくづく自分の邪魔をしてくれる。ミオソティスの事となると、特に。 
「…まあ、よい。そなたの異議とやらを聞いてやろうではないか。」 
「ご厚意、感謝する。」 
先ほどの挑発的な態度とは打って変わって、膝を折り深々と頭を下げる。 
「…だが、我が異議を唱えたいのは、貴女にではない。」 
が、顔を上げた瞬間に見せたしたり顔に、冷静沈着な女王も僅かな動揺を隠せなかった。 
踵を返すローラントの背中が、一歩一歩遠ざかってゆく。…先ほどから彼を見つめ続けている娘の元へ歩んでいく。 
そして、ようやく気付いた。ローラントが唱える異議の真意を。この国を揺るがす大きな激流の兆しを。 
思わず立ち上がろうとする女王を、傍らに控えていたアプリコットが静止する。 
「お母様、貴女の目でしっかりと見届けてください。」 
 
ローラントは、微動だに出来ずにいるミオソティスの前で立ち止まった。 
目を潤ませながらも必死に見つめてくる緑の瞳を、じっと捉え続ける。 
「我が異議を唱えたいのは、お前だ。ミオソティス。王になるとは、絶えず国と共に在ることだ。 
知を有し、徳を持って、時には武を使い、国を率いてゆかねばならない。その先にどんな困難が待ち受けていようともな。 
お前にとってこの国は共に在り続ける価値があるか? お前はこの国に生かされ、殺され、流されてきたというのに。 
それでもこの国の繁栄の為に全てを捨て、国を想い続ける覚悟があるか?」 
決して反らす事のできない、強い志をもった青い瞳。目の前にいるのが、大国の王、ローラントであることを自覚させられる。 
彼はまごうとなき王だ。神と対峙しているかのごとき錯覚に陥るほどの、圧倒的な覇気。身が竦む。身体が震えだす。 
「答えろ、ミオ!」 
だが、彼は。一国の王であると同時に、自分にとっての唯一の太陽だ。いかなる時も自分を見つめ続ける、照らし出してくれる圧倒的な光。 
「……ま、せん………。」 
幾重にもかけられた錠が、音を立てて外れた瞬間だった。 
「私は、この国の女王にはなれません……! 私は…私は、お母様に、愛されたかった。だからこの国を想い、己を捨てる覚悟だって持てました。 
だけど……、もう、私にはそれが出来ません。なぜなら、私………私、は………!!」 
両手で顔を覆い、俯くミオソティスの頭からそっとヴェールが外される。代わりに…彼女の髪によく馴染んだ髪飾りが付けられた。 
「これはお前に返す。お前にこそよく似合っているからな。」 
はっと顔を上げた目先にあったのは、よく知っている彼の微笑みだった。年相応の少年の笑顔。ミオソティスの一番好きな、彼の顔だ。 
「俺は国の王になるに当たって、多くのものを捨ててきた。かつての名前、かつての自由、かつての常識……。 
捨ててきたものは数知れないが、唯一、どうしても捨てきれなかったものがある。…今日は、それを正式に貰いに来た。」 
彼は彼女の前にかしづく。そして、手に握られた小さな花束を差し出した。 
青いワスレナグサと、色とりどりのエゾギク。…それを見るなり、ミオソティスの目から涙が溢れ出す。 
「ローラント王としてではなく、アスターという一人の男として貴女に請いたい。…受け取ってくれますか?」 
 
西の小国には、こんな逸話がある。 
その昔、寡黙な王が恋人へ結婚を申し出る為に、逢瀬の道のりで詰んだ野の花の花束を彼女に捧げた。 
彼女はその花束を見た瞬間に彼の思いの全てを悟り、受け入れたという。 
この逸話がロマンスとして語り継がれ、当時の人々の心をくすぐった結果、花束を捧げてプロポーズをするという風習が一般に広まっていった。 
だが、時が経つにつれその風習は古風だと認知されるようになり、今では「古臭いもの」だとされてしまった。 
…その瞬間、全ての民が思い出した。古臭いとされていた風習に込められた想いと、逸話を。 
 
ミオは幼心にこの寡黙な王を自分と重ね合わせていた。花束を見るだけで真意を理解できるほど、思いの通じ合う相手に巡り会える事を夢見ていた。 
傷つけられ、翻弄され続け、心を失いかけたその時に。ついに巡り会えた、幻想の王子様。 
この人とずっと一緒にいたい。この人だけを愛し続けて、隣に寄り添っていたい。彼に、自分の全ての想いを込めて花束を。そう思っていたのに。 
「本当に…貴方には、与えられてばかりですね。」 
かつての王の恋人がそうやって応えたように。野花の花束から一輪――ワスレナグサを抜き取り、彼の胸元に差す。 
アスターの頬を両手で覆い、心からの笑顔を向ける。 
「ありがとう…私を愛してくれて。私も、貴方を心から愛しています。」 
唇を重ねた瞬間、大聖堂内は歓声に沸いた。民には想像も付かないような大ロマンスが、目の前で誕生したのだから。 
兵も貴族も、他国の従者であろうと関係なく。人々は手を取り合い、新たなる夫婦の誕生を祝福した。 
 
そんな歓喜の渦から離れた場所で、女王は抱きしめあう2人をじっと見つめる。 
ローラント…いや、アスターがミオと向かい合ったその瞬間に悟ってしまったのだ。2人がお互いを心から想い合っている事を。 
漆黒の王と、純白の姫君。2人が向かい合っている姿は、まるで新郎新婦のようだ、と錯覚した。 
皮肉なものだ。決して愛を注がなかった、どうしても愛する事のできなかった娘が、唯一無二の愛情を手にするとは。 
「『真実の愛』―――ミオソティスの、もう一つの花言葉、か」 
歓声で掻き消えそうなほどか細い母の呟きを、アプリコットは聞き逃さなかった。 
「お母様、覚えて――」 
「アプリコットや。騒ぎが落ち着いたら、あの男に伝えよ。「娘はくれてやる」とな。…わらわは疲れた。」 
ひっそりとその場から消えていく母の背中を、アプリコットはただ見送る事しかできなかった。 
「貴方とお姉様の幸いを、それを教えてくれた“あの方”もきっと願っていたでしょうに。」 
リコが悲しげに放った呟きは、誰の耳に届く事もなく歓声の中に消えていった。 
 
 
 
続く 

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