穏やかな日差しに包まれながらの読書は実に心地が良かった。
さすが大陸一を誇る大国。かなり古びたものから最新のものまで、城には無数の書物がある。
招かれて以来ずっとミオの心を弾ませてきたものだったが、今はただ無意識にページを捲っているだけ。
外はあんなに晴れやかだというのに、部屋の中は陽気で暖かだというのに。ミオの心だけが陰っていた。
彼の――ローラントの事を知りたいと思ったあの日からもうどれくらい経っただろうか。
随分と経ったようで、あっという間だった気もする。
あの日の夜、ミオの部屋に現れたのはいつも自分を連れに来る侍女ではなく、小太りの老人だった。
…ミオはこの男が嫌いだった。この男は、ミオがこの城に招かれた時から妙に辛く当たってきた。
初夜の際、ローラントの前で娼婦のような振る舞いをするよう唆したのもこの男だ。
下品な物言いに横柄な態度。口を開いた瞬間から嫌悪感が湧き出てくるのも致し方ないことだ。
だがこの男は人心掌握に長けている。でなければ、このような卑劣な人間が政治家という地位に座る事など出来はしない。
人が心地良いと思える言動を熟知し、それを反映させられるだけの行動力があるからこそ、この地位にいられる。
それが権力欲のある人間にとってどれだけストレスになる事か。だから、弱者を徹底的に見下す。
怒りや悲しみに打ち震えながらも抗えぬ彼らの姿を見る事で優越感を得ているのだ。
ミオは幼い頃からこのような人間を幾度と無く見てきた。だからこそ、この男への最良かつ唯一の抵抗手段を知り得ている。
彼らの言葉に耳を貸さぬ事。じっと耐え忍ぶ事。どんな事を言われても「承知しています」とだけ返す事。
辛いばかりだった日々の中で身を以って知り得たことだ。それが祖国から遠く離れたこの地でも通用するとは思わなかったが。
辛辣な言葉にいちいち反応を示せば、それこそ彼らの思う壺だ。彼らをいい気にさせるだけ。そして、自分が傷つくだけ。
目を閉じ、耳を塞ぐ。そうしていれば彼らはいずれ、声をかけることに飽きてくるから。
だから今回も、じっと耐え忍べばいい。そう思っていた。
「ローラント陛下は貴女を部屋に呼ぶな、とおっしゃった。」
彼の名前が出た事で心が反応する。それが顔にも出てしまったのだろう。男はにやりと狡猾な笑みを浮かべた。
「大方飽きられたのだろう。だが良い。毎日のように仕込まれておられたのだ。いずれ妊娠の兆候が出るはず。
これでも妊娠していないとなれば…ミオソティス姫、わかっておるだろうな?」
承知しています。いつものようにそう答える。自分でも声が上擦り、震えている様が伺えた。
それに増長したのか、男はたいそう機嫌のよろしい声で一言。そして、満足げなご様子で立ち去っていった。
「貴女はもはや用済みだ、ミオソティス姫。」
あの日から一度たりともローラントの顔を見かけない。
彼は元より忙しい身ではあるのだが、それでも今日までに1度くらいは姿を見かけても良いはずだ。
毎晩馴染みだった侍女があの日からぱったり姿を見せなくなった事で、大きな不安感がミオを襲った。
飽きられてしまったのだ、と割り切れるならばどんなに良かっただろうか。今までそうしてきたように。
だがもう、ミオには割り切れる余裕など無かった。捨てられてしまえば、もうミオの居場所は完全に失われてしまう。
ミオが居場所を保てる唯一の方法は、彼の子を宿す事。懐妊の事実さえあれば、この城に留まっていられるだろう。
だのに、懐妊を切実に願う気にはどうしてもなれなかった。
毎晩自分を形式的に抱き続けたローラント王と、あの時自分を貪るように抱いた見知らぬ彼。
両者の中にあるものが一体何なのか。そして、どちらが本当の彼自身なのか。その答えを求めてやまない自分に気付いてしまったから。
これまで感じた事の無い、不思議な感覚だった。関わりの無い他者の事を、これほどまでに知りたいと思った事はなかった。
忘れたくても忘れられない最後の長い口づけ。その生温かく切ない感触を未だに唇が覚えている。
ミオ自身の葛藤と、いずれ居場所を失うかもしれないという漠然とした不安感。思わず目を閉じ、上を向く。
そうしていないと泣いてしまいそうだった。涙を流せば、一緒に色々なものまで溢れ出てくる。それらを必死に留めておかなければならない。
――なんだか、私、弱くなった……
相手にされない…今までだったら、これしきの事で涙腺が緩むなんて考えられなかったのに。
たった一人の男性に避けられているだけで、これほどまでに不安で、泣きそうになるなんて……。
穏やかな日光だけが身に沁みる。その暖かさすらも、今のミオには辛く感じた。
今日もやはりローラントはミオの前に現れなかった。
夕食を取り終えたミオが、ふらふらと、重い足取りで向かったのは執務室の前。ローラントの許可無き者は出入りする事を許されない部屋だ。
震える指が執務室の重たそうな扉に触れた途端、宙に浮いていた意識が一瞬にして戻ってきた。真っ白だった思考が徐々に色付いていく。
どうやってここに来た? …思い出せなかった。無意識に足がこちらへ向かっていたのだ。
何故ここに来た? …思い出せない。ただ、ここにローラントがいるだろうと思ったから。
それはどうして? ……思い出せる。だけど、思い出すことを躊躇った。不安で仕方なかった。
この漠然とした不安をどうすればいいか、不安を解消できる答えをローラントが知っている気がしたから。
…違う。そんなに複雑な気持ちからじゃない。理由はいくらでも述べられる。思いつく限り、どれだけでも。
単純且つ明確な思いが喉まで込み上げてくる。それを塞き止められるほどの余裕は残されていなかった。
「…会いたい……貴方に会いたい、です……陛下………!」
ただ会いたい。それによってどんな非情な言葉が待っていたとしても。それでも彼に会いたい。
居場所を失う恐怖もある。だがそれ以上に彼に捨てられるのが怖い。それこそがミオの漠然とした不安の正体。
醜い執着だ、と、母は今現在のミオの姿を嘲笑するだろう。だがそれを恥ずべき事だとは思えなかった。
彼を思うたびに募る不安や恐怖。彼の知りたいと望む気持ちの根本にあるものをミオは未だに知らない。理解出来ない。
だが今そんな事は二の次。ただ彼に会いたい。それだけがミオの心を埋め尽くしていた。
「…ミオソティス様」
背後から予想だにしなかった声が届いたのは、それから少し経ってからの事だった。
この声には覚えがある。核心を持って振り向く。予想通りの人物がいた。
「ヒース……」
「最近庭にも来てくださらないし、たまにお姿を見かけたと思ったら悲しげな顔をされていて…心配していたんです」
黄昏時の薄暗さに廊下のわずかな灯り。そのせいか、ヒースの出で立ちがやたらと不気味に見えた。
こちらへゆっくりと歩み寄るヒース。いつもと変わらない微笑み。だけど、どこかが違う…。
「ダメじゃないですか、侍女に何も言わずにこんな所に来て。僕がお部屋までお送りしましょう。」
「でも……」
「ほら、行きましょう」
腕をつかまれ、半ば強引に引っ張られていく。華奢なヒースにこれほど強い力があったのかと驚く一方で、違和感を感じていた。
咄嗟に振り向く。視線の先の、執務室の重たげな扉が徐々に遠ざかっていく。あの向こうにいるかもしれない彼を思う。
今自分の腕を掴んでいる手から感じる体温は、ミオが覚えている体温とは同じようで全く違う。
身に馴染んだ熱とは違う異質な熱。その箇所から伝わる鈍い痛み。前方を見たまま、こちらを見ようとはしないヒース。
怖い。ふつふつと、沸騰していく水のように、小さな恐怖が沸きあがっては消えていく。
気のせいだ、と頭を振りたかった。弟のように可愛がっていた彼から、こんなに恐怖を感じるはずがない。
だが、今現在のこの状況が。否定したい恐怖を肯定する。掴まれた腕がきりきりと痛む。
「や……離してっ……!」
何度も腕を振りほどこうと試みるも、男の腕力に敵うはずもなく。何度もそう試みているうちに、ミオの部屋にたどり着いてしまった。
ヒースは無言のまま扉を開け、ミオを部屋へ押し込める。ようやく開放されたと思ったのも束の間だった。
何故かヒースも、ミオの後に続いて部屋の中へ侵入してきたのだ。
「ミオソティス様…何故、そんな悲しい顔をしてるのです?」
悲しげな顔をして、じりじりと距離をつめてくる。ただならぬ空気を感じ取り、思わず後ずさった。
進み寄る。後ずさる。そんな攻防を続けているうち、ミオの背には壁。完全に追い詰められてしまった。
「ひ、ヒース……?」
至近距離で見える子犬のような丸い瞳に、いつものような輝きはなかった。ただ、鈍い光を爛々と発しているだけ。
怖い。いたたまれなくなって視線を反らす。その怯えた様を見て、ヒースは眉をひそめた。
「…貴女のそんな顔、僕は見たくない。貴女にはずっと優しく微笑んでいてほしい、だから―――」
乱暴に彼女の両肩を掴む。柔らかな小刻みに震えているのが手のひらを通して伝わってくる。
「ミオソティス様。僕と、この城から逃げましょう。」
「……え?」
ミオが顔を上げた。驚いた瞳と丸く、鈍い光を宿した瞳。二つの瞳がかち合う。だが、重なり合う事は無い。
「抱いてはいけない想いだとわかっていました。それでも貴女のお傍にいればいるほど、想いは強くなっていって…。
ただの恋慕の情でよかった。それなのに…それなのに、最近の貴女はいつも悲痛な顔をしてばかり。
陛下がこれ以上貴女にそんな顔をさせるというのならば、僕もこの気持ちを押さえ込んでおくわけにはいかない!」
溢れんばかりの想いを心の限りぶつけてくるヒースの姿を、ミオはただ呆然と眺める事しかできなかった。
こんな時にでも垣間見てしまうのだ。彼の姿を。身を焦がすほど滾った情欲を自分の中へ注ぎ込んできた彼の姿を。
ヒースの言葉の中にあるものと、彼の行為の中に必ず存在していたもの。それは間違いなく同じものだ。
だが、それがなんなのか理解出来ない。理解する必要などなかったのだ。自分とは縁遠いものだと思っていたから。
それを今、この少年が理解させようとしている。今までも、そしてこれからも。自分にそれが向けられる事などないはずだったのに。
「ミオソティス様。僕は、貴女を愛しています!」
――ああ、聞いてしまった。
その言葉はミオにとって毒だった。その言葉は自分を惑わし、思考を狂わせる。その言葉一つで、意のままに操られてしまう。
だから割り切った。言葉としてその言葉を向けられる事はあっても、その心を向けられる事は決して無い、と。
――だけど……私はそれが欲しかった。
勉学に勤しんだのも、芸術を嗜んだのも、美を磨いたのも。それらの行為の根源はたった一つの小さな願いのためだ。
ただ、母に愛されたい。そんな小さな願いすらも結局叶う事はなかった。
諦めたつもりだった。だけど、諦めきれなかった。心の奥底では、渇望していた愛を心から欲していた。
そして今。自分の目の前に、愛を囁いてくれる人間がいる。言葉の端々から激情が伝わってくる。その言葉に偽りが無いことも。
…その想いを受け入れ、共にこの城から逃げ出せれば。不安の種であった自分の居場所が、ヒースの隣へと確立されるだろう。
しかし、今のミオにはヒースの想いを受け入れる事はできない。どれだけヒースが激情をぶつけてこようと、やはりミオに見えているのは彼の姿なのだ。
「ごめんなさいヒース……私は、貴方の気持ちに応える事は出来ません。」
「―――っ、どうしてっ?!」
肩を掴む力が強くなる。きしむ肩の骨。きっと痣になっているだろう…なんて悠長な事を考えてしまう。
「信じてくださらないのですか? 僕は本気で貴女を愛しているんです!」
「いいえ。貴方の言葉に嘘偽りなど無いことは解っています。だけど……」
「だったら、僕の手をお取りください。さあ! 共にこの座敷牢から逃げ遂せましょう!」
男のものとは思えないような細長い指の先端がミオの頬に愛しげに触れる。
あまりの指の冷たさに、体が芯から震え上がった。―――怖い。慌ててその手を払い除ける。ヒースの顔が引きつった。
「…やはり、陛下ですか。貴女の心を縛り付けて放さないのは、あの男か!!
あの男が貴女に何をしたんです? 何を与えてくれたんです!? あの非道な冷血漢が貴女に何を……!」
「言わないで!!」
思わず大きな声が出てしまった。自分への罵倒なら耐えられる。だが、あの人に対する罵倒は、耐えられない。聞きたくない。
彼は冷血漢なんかじゃない。ましてや非道な人間ですらもない。自分の目に映る彼の姿は―――
「同じなんですヒース。私は、貴方と同じ目で、同じ想いで、彼を…ローラント陛下を見ているんです。」
彼の全てを知りたいと欲する想い。その根源は、ヒースが自分に向けている感情と相違ない。
「何を求めているわけではないんです。ただ私は……私は彼を―――!」
その先を口に出す事ができなかった。これ以上言葉を続ければ後戻りが出来なくなってしまいそうだった。
――愛している、と口に出してしまえば。一生この言葉に囚われてしまう。向けられるはずも無い愛を再び渇望してしまうだろう、と。
そんな……! 話が…話が違うじゃないか! 愛を囁けば必ず応えるって…そう言ってたのに……!」
ヒースは2,3歩後ずさり、頭を抱える。そして呪文のようにぶつぶつと何かを呟き始めた。ミオはその異様な光景を呆然と眺める事しかできない。
隙をついて逃げ出そうにも、足が震えて動く事ができないのだ。
ヒースはしばらく頭を抱えたまま動かなかったが、突如、何か吹っ切れたように背筋を伸ばし、こちらを見遣った。
狂気とも取れる光が、鈍い光しか宿していなかった瞳に差し込む。蛇のようなその瞳に見竦められ、身動きが取れなくなる。
「そうだ……応えないのならば、応えさせればいい、って」
その瞬間、ミオの体がふわりと宙に浮き、一瞬にして柔らかなベッドの上に投げ出された。
「可哀想なミオソティス様。あの男に散々身体を弄ばれ、挙句の果てに捨てられて。さぞ悲しいでしょう。
でも、大丈夫。僕が一生をかけて貴女を慰めてあげますから。」
一体何が起こったのか。それをミオに理解させる間もなく、ヒースはミオに覆いかぶさってくる。
「ヒースっ…な、にを……!」
必死に抵抗する中で、再びヒースと自分の視線がかち合う。無垢に輝いていたはずの瞳は、今は鈍く、それでいて爛々としている。
奥底に見えるのは―――まさに狂愛。蛇のような眼差しに射竦められ、凍てついたように硬直する。
その隙をついて、ヒースは慣れたような手つきでミオの両手の自由を奪う。
「止めて…止めてください、ヒース! こんなことしたら、貴方は……」
身分の低い者が上流階級の者に手をかけることがどれほどの重罪になるのか。ミオはそれを身を以って知っている。…それこそ、生まれる前から。
目を覚まさせようと言葉をかけ続けるも、狂愛を抱いた彼に届くわけも無く。彼の手が無防備となったミオの両胸にやんわりと触れる。
ミオは晒を巻いていない。巻こうにもその晒はあの日ローラントに切り裂かれてしまい、ただの布切れとなってしまったのだ。
胸を押さえつけていたものがなくなったせいで、おかげで用意されていた服の大半が着れなくなってしまった。
「驚いた……意外と肉感的な身体なんですね」
呟くように発せられた彼の声は心なしか嬉しそうだった。そして孤を描くようにゆっくりと、次第に乱暴に揉みしだく。
「この豊満な胸を…このいやらしい身体を……あの男は弄んできたんですね。羨ましいなぁ………」
彼の手は服の中へと侵入を始める。ミオは慌てて身を捩り、侵入を必死に阻む。
「止めて…お願い、だからっ……!」
狂愛に支配された彼の耳に、そんな言葉が届くはずも無い。冷たい指が素肌に触れ、同じように揉みしだく。
が、ヒースは急に手の動きを止める。そして可笑しげに口の端を歪ませると、彼女の耳元で囁いた。
「貴女もまんざらでもなさそうですよ…気持ちが良いんでしょう? 素直になってください」
「そんなわけ、ない……!」
胸への愛撫に反応しているのは、ミオの女の性だ。しばらく無沙汰だったせいでいつもよりも過敏に女の本能が反応する。
快楽を求める女の性が、嬌声をあげさせる。…だが、それはミオの本心ではない。
ミオ自身は、彼の愛撫に不快感を感じる事しか出来ずにいた。
「違う…私が、覚えて、いる…のは……この手じゃ、ない……」
嬌声交じりにようやく発する事が出来た本心は、やはり嬌声の中に掻き消えていく。
自分が覚えている手はこんなに乱暴じゃない。燃えるように激しく、なのに優しく。静かにミオを高ぶらせていく無骨な指だ。
どうしてこんな事になってしまったのだろう。こうなってしまったのは、自分のせいなのだろうか? 不快感に耐えながらそんな事を思った。
服をたくし上げられ、ヒースの眼下に実った果実が晒されようと。たわわな双丘にむしゃぶりつかれ、意のままに弄られようと。
ただただ不快だった。同時に自分の身体に刻み込まれた彼の手の動きが思い起こされ、胸の奥が締め付けられた。
「嬉しいなぁ…こんなしがない僕が、ミオソティス様を悦ばせられるなんて!」
恋焦がれた女性の身体を蹂躙しているという、狂喜に酔いしれた彼の声は高揚している。
「さあミオソティス様、応えてください。たった一言、僕を愛してると言うだけでいいんですよ?
その言葉さえあれば、僕は貴女の為に全身全霊を尽くせるのですから。」
ミオは答えなかった。不快感に耐える事に夢中で、ヒースの問いに答える暇など無いのだ。
「まだ、応えてくれないんですね。だったら……」
片手は乳房を揉み解しながら、空いた手は滑らかな身体のラインをゆっくりとなぞっていく。
太ももを何度も撫で回し、その手は徐々に足の付け根へと伸びていく。そして、ようやく目指していた場所へとたどり着いた。
下着ごしにそこをなぞった途端、ふと、ヒースの顔から笑みが消えた。
「あ、れ……なんで……?」
指が布一枚を隔てた秘所を何度も往復する。彼の予想だにしていなかった事が起きていた。
あれだけ胸を弄り、思う存分堪能したというのに。それに対してミオの方も喘いでいたというのに。ミオの蜜壷は潤ってなどいなかったのだ。
「濡れてない…なんで……どうして」
直接確かめようと、下着の隙間から中へ侵入して直にそこをなぞる。やはり濡れてなどいなかった。直接刺激しても、一向に潤う気配は無い。
先ほどまでは余裕綽々といった笑みを浮かべていたのに、ヒースの表情から笑顔が消える。
頑なに口を閉ざすミオに、ヒースは苛立ちすら覚えていた。
何故受け入れてくれない? 何故応えてくれない? …あの男の、せいなのか?
ミオへの苛立ちをローラントへの憎しみに変換する。恋焦がれた彼女を文字通り飽くまで犯し続けた憎き男。
そして、思った。ミオがなかなか応えてくれないのは、あの男への快楽に依存しているせいだ、と。
だったら、自分が与える快楽を彼女の身体に上書きしてやればいい。
未だ潤うことのないそこへ何度も指を挿入する。聞こえてくるミオの声は大変悩ましげなものだった。
だが、やはり潤いで満たされる事はない。ヒースの顔に焦りの色が見え始める。
それを察したのか、きつく結ばれていたミオの口がようやく開かれた。
「感じるわけがないでしょう……私が求めているのは、貴方なんかじゃない!」
そこから発せられた言葉は、ヒースにとって残酷なものだった。
なんということだ。彼女はこれほどまでにあの男に毒されてしまったのか。…ヒースの中の何かがふつりと切れた。
「そんな……そんなの………嘘だっっ!!」
胸に添えられたままだった片手が、いきなり胸を強く握りしめる。爪が柔肌を引き裂き、白い双丘に赤い筋が一つ、滴り落ちた。
もう片方の手は依然蜜壷を掻き回す。愛液という潤滑油のないままでの指の挿入は、ミオに鈍い痛みを与え続ける。
「貴女は愛に飢えているのでしょう? 愛してくれる者であれば、誰だって受け入れてくれるのでしょう?
こんなにも貴女を愛している僕なら……僕こそ貴女に相応しい。そうでしょう?」
「…いいえっ…いくら、弄ばれようと…、私は、貴方を、受け入れ……ません…!」
「…貴女がこんなにも強情だとは思いませんでした。」
胸を存分に堪能し、潤わぬ蜜壷を弄り回していた両手の動きがぴたりと止まる。その手は膝へ、そして付け根へと伸びる。
「どうせ僕にはもう後も先も残されていないんだ…だったら、貴女が僕を受け入れてくれるまで犯し続けます。」
耐えるように閉じられていた美しい瞳が見開かれ、ヒースを見据えた。
ああ…今彼女の瞳には僕が映ってる。いや、僕しか映っていないんだ。三度、ヒースの口角が歪む。
「な……どういう、こと……?」
「こういうことですよ。」
下着を強引に引き下げ、閉じられた足を強引に押し広げる。ヒースの目の前に赤く熟れた秘所が露わになる。三日月形に歪んだ唇が、ミオの秘所に押し当てられた。
乾いたままのそこを生温かい舌がなぞる。これまでとは比べ物にならない不快感がミオを襲った。
「やだぁっ……! 止めてっ…止めてぇっ……!」
一層ミオの抵抗が強くなる。この不快感から一刻も早く逃れねばと大きく体をしならせるも、足を持ち上げられて固定されてしまい、身動きが取れない。
唇が蜜壷へ吸い付き、生温い舌が中へ侵入する。わざとらしく粘着質な音を立てて、ミオの劣情を煽ろうと躍起になっている。
淫猥な生き物のようにヒースの舌が中を蠢く。それに反応してか、そこはじんわりと湿り気を帯び始めた。
滲み出てきた秘蜜を舌で掬い取っては、指で掻き出す。秘蜜は彼の唾液と共にシーツに染みをつくっていく。
舌が激しく蠢くたびに淫靡な水音が立ち、ミオの耳にも届く。この上ない羞恥と、不快感と、むず痒さを感じた。
「嫌……止めて! もう止めてください、ヒース! お願いだから、正気に戻って!!」
「正気に戻って欲しかったら、僕を受け入れてください…ねえ、ミオソティス様!」
必死に頭を振る。ここで羞恥心に負けて首を縦に振ってしまえば、全てが終わりだ。
「もう嫌……こんなの…こんなの、おかしい……! 気持ち悪い!!」
強烈な不快感がまとわき、ミオの思考にノイズをかける。このまま彼に犯され続ければ、最悪の場合思考と感情を欠落させる羽目になるかもしれない。
そんな中、砂嵐の空間の中で、シルエットのように彼の姿を垣間見た。
想いが溢れ出てくる。それが大きな風となり、ノイズを少しずつ少しずつ吹き飛ばしていく。
「…た…すけて……」
砂嵐の中で必死に彼の姿を追う。言葉を紡ぐ。その言葉が虚しく消え行こうとも、その名を呼ばずにはいられない。
助けて。助けて。どうか、私を、助けて。
「助けて……ローラント様ぁぁぁっ!!!」
そして、扉の壊される音。ミオは混乱状態のまま、ヒースとほぼ同時に開け放された扉を見つめる。
呆気に取られたヒースが遥か後方へ殴り飛ばされた。そこまでの体感速度はほんの刹那。
「ミオ!!」
ずっと聞きたかった彼の声がミオの名前を呼ぶ。彼の腕が体を包み、全身を温めてくれる。
「近衛兵! そこの下種を直ちに捕らえ、地下牢獄へ連行せよ!」
彼の合図を皮切りに、兵士達が部屋へなだれ込んでくる。床に蹲っていたヒースはあっという間に近衛兵に取り押さえられ、複数の兵士に囲まれたまま連行されていった。
電光石火の如き逮捕劇だった。部屋に残されたのは、衣服を乱したミオソティスと、彼女を抱え込んだ彼のみ。
彼の温もりがミオの乱れた心を落ち着かせる。心が静まっていくのと同時に、つい先ほどの状況が客観的に雪崩れ込んでくる。
彼以外の男を部屋に入れてしまった。ヒースの激情に心を揺さぶられてしまった。そして、彼以外の男と関係を持ちそうになった。
こうなってしまったのは自分のせいだ。自分の油断がこんな事態を招いてしまったのだ。こんなはしたない姿を彼に見られてしまったら……
「あ……ああ……」
居場所を失う恐怖。彼に捨てられる恐怖。現在のミオにとっての、最大の恐怖二つが一度に押し寄せてくる。
全身から血の気が引いていく。歯がかちかちと鳴り、身体ががたがたと震えだした。
「ミオ…どうした?」
異変に気付いた彼が、顔を覗き込んでくる。
「いやぁぁぁっっ!!!」
無我夢中で彼の胸を突き飛ばし、腕から逃れる。自分にはこの温もりに甘んじる資格は無いのだ。
…でも。ミオは全身を震わせながら彼に向かって何度も頭を下げる。
「ごめんなさいごめんなさい、ごめんなさい…! はしたない女でごめんなさい! 私は人形なんです、空の姫なんです、私には何も無いんです。ごめんなさい!
でもどうか捨てないでください私をここから追い出さないでください!! 懐妊できるよう努力しますから、お望みの事は何でもしますから。だから、だから…
私を追い出さないでください、私をお傍に置いてください、お願いします、お願いします!!」
押さえ込み続けてきた感情がとめどなく溢れてくる。19年間ずっと、居場所を失う恐怖と、捨てられる恐怖と戦ってきた。その苦しみを吐き出せる場所など無かった。
醜い。実に醜い。虚しい執着じゃ。きっと母はそういって嘲笑うだろう。それでも、もう止められなかった。
だが、今自分の目の前にいるのは、母ではない。
「落ち着け。」
温かく大きな手のひらがミオの両頬をつかんでこちらを向かせる。窓辺には月明かりが差し込んでいた。
彼の両目が、至近距離でじっとこちらを見つめている。覚えのある優しい微笑を湛えたまま。
前髪を掻き揚げられ、露わになった額についばむように彼の唇が触れる。
「すまなかった。俺がちゃんと傍にいてやればこんな事にはならなかったのに…。怖かっただろう?」
引き寄せられ、胸元に押し付けられる。彼の声が直接体に響いていく。
「もう、泣いてもいいんだ。…辛かったな。」
…こんな感触は知らない。知らないはずなのに、温かさだけではなく懐かしさで涙腺が緩む。
いつものように、上を向いて塞き止める隙はなかった。頭に回された手が蜜色の髪をやさしく撫で付ける。
固く締められていた感情の蛇口が、直に伝わってくる温もりでゆっくりと緩められていく。
枯れ果てたと思っていた一滴がミオの頬を濡らす。次から次へと溢れ出て止まらない。
―――ああ、この温もりだ。この温もりこそが…
19年間ずっと欲しかったもの。手に入らないと割り切り、諦めていたもの。それでも心のどこかで強く欲していたもの。
自分が妹達に向けるものとは違う。あの殿方が自分に囁いたまやかしでは決してない。
それを与えてくれたのは彼だった。ローラント王と、目の前にいる青年。2人で1人の彼がミオにかけがえの無いものを教えてくれた―――
人を愛する事を。人に愛される事を。
誰にも愛される事のなかった少女。愛する事しか知らない、けれども愛を認めることの出来なかった心優しき王女ミオソティス。
彼女はようやく、声を上げて泣いた。19年もの時を経てようやく愛を手にした少女の、心からの福音だった。