ヒース=スプリングスの免罪から1ヶ月が経とうとしていた。  
その日は快晴。だが、気分までは晴れやかになりそうも無い。…最近、妙にフローリスト卿の機嫌がいいのだ。  
脇差の切っ先を突きつけてやった日から、あの男は面白いほどに余所余所しくなった。  
アスターがミオを遠ざけ始めてからは水を得たように娘のアピールを再開させたのだが、それも長くは続かず。  
2人が和解し、周りも和やかになるほどの純愛ぶりを見せるようになってから、奴の苛立ちは目に見えるようになった。  
使用人への八つ当たりは日増しに酷くなり、つい1週間ほど前に使用人一同から奴への処罰を求める嘆願書が提出された。  
その矢先だ。フローリスト卿が突然にこやかになり、使用人への八つ当たりがぴたりと治まったのは。  
嘆願書が提出された事が相当堪えたのだろう、と周りの者は言うが、アスターやシュロはそうとは思えなかった。  
あの男は変に勘繰ってしまうほどに一挙一動が判り易い。それに、自らの行いを悔い改めるような誠実さなど持ち合わせているはずがない。  
奴の機嫌がいいのはそれ相応の理由があるはずだ。見下している下々の者達にまで愛想が良い点を見ると、奴にとってはなかなかの朗報とみる。  
「気持ち悪ぃな。」  
「全くだ。気持ちが悪い。」  
使用人全員の名が入った嘆願書を指で弾きながら、2人して不快感を露わにする。  
「ネリーに探ってもらったんだが…「フローリスト家は生涯安泰だ」って高笑いするだけでその他を語らないらしい。」  
奴をあれだけにこやかにする朗報といえば、娘の王族入り以外に何もないだろう。  
アスターにしてみれば永久に有り得ない事ではあるのだが、高笑いしている辺りどうやらそれを確信しているらしい。  
目頭を押さえた。1ヶ月前の、ヒース=スプリングスの姿を思い出す。  
ヒースをミオに差し向けた人物…それはフローリスト卿ではなかった。それだけでも十分に驚きなのだが。  
ヒースの背後にいた人物は、アスターの想像を絶する人間だった。驚愕すると同時に、深い嫌悪感が湧き上がる。  
同時に何が何でもミオを守らなければならないと固く誓った。だからこそ、今日までの平穏な日々が不気味に感じる。  
「おい、ちっと顔面の力抜けや。」  
ふと、シュロが肩を叩いてきた。シュロが心配するほど、自分は酷い顔をしていたらしい。  
「なあ、気分転換に中庭に行こうぜ? ネリーとミオ姫が茶会やってるらしいしな。」  
気分転換がしたいのはどっちなんだか。いそいそと崩した身なりを整えるシュロを見て、気付かれないよう苦笑した。  
 
中庭に出てすぐ、探す間もなく2人を発見した。妙齢の女性が花に囲まれ談笑する姿はなかなか絵になる光景である。  
サイネリア――愛称ネリーは快活で気風のよい女性だ。その性分は、控えめなミオと意外にも相性がいいらしい。  
2人はすぐに打ち解け、気がつけば、親友と呼んでも差し支えなさそうなほど良好な関係を築いていた。  
ミオの笑顔を最初に引き出したのは彼女だ。2人の姿を見かけるときは、大抵ミオは笑みを浮かべている。  
以前はその事実に大いに嫉妬していたが、今は違う。彼女に見せる笑顔とは別の、格別の表情をアスターだけが知っていた。  
「あら、ローラント陛下ではないですか!」  
こちらに気付いたネリーが軽く手を挙げる。同時にミオの視線がこちらへ注がれ、花のような笑みが咲く。  
…彼女がこんな表情をするのは、アスターの前でだけだ。  
 
「随分と会話に花が咲いていたようだな。」  
「それは、もう。正妃様とお話するのは楽しい限りですわ。」  
城の人間の目があるせいか、今日のネリーは“フローリスト家の令嬢”を演じている。  
その姿を見るたび、彼女の名女優ぶりに感嘆し、可笑しくて内心笑った。普段の彼女は口調も砕けていて、もっと自由奔放だのに。  
……演じているといえば、手馴れた様子で紅茶を注ぐこのシュロもかなりの演技力だ。その所作言動全てが“国王専属執事”だ。  
あまりの自然さに、アスターも時々シュロという男がよくわからなくなってくるほどだ。  
「そうそう聞いてくださいな、ローラント様。ミオソティス様ったら可愛らしいんですのよ。さっきからずっと」  
「さ、サイネリア様!」  
慌てるミオと、ちょろりと舌を出しておどけるネリーの姿は見ていて微笑ましい。  
だがやはり、その仲睦まじさには少しばかり嫉妬してしまう。……ほんの、少しだけ。  
「なんだ、我には言えぬ事か? ミオ」  
「え、っと、それは…、その……!」  
頬はすっかり紅潮しきり、俯く彼女を2人して笑う。笑い声を受けたせいか、若干涙目になっていた。  
そんな和やかな空気の中に、割って入るように1人の衛兵がサイネリアの元へ駆け寄る。  
「ご休息の折申し訳ありません。フローリスト卿がお呼びでございます」  
「お父様が? …用件は、何と?」  
「そこまでは仰せつかっておりません。至急卿の書斎へ参るようにとのことです。」  
「そうですか。至急向かいます。お下がりなさい。」  
定位置へ駆け戻る衛兵を尻目に、ネリーは深くため息をついた。  
「あまり気乗りがしないのですが…至急といわれて行かない訳にもいきませんので、わたくしはこれで失礼させていただきます。」  
一礼した後、立ち去っていく。立ち上がったときに、ミオに向かって軽くウインクしたのをアスターは見逃さなかった。  
あのウインクの意味は一体なんなのだろう? ちらりとミオを見遣る。顔を赤くしたまま困ったような表情を浮かべていた。  
それを見ていると、嗜虐心に火が点る。少し虐めてやろうか。立ち上がり、ミオの手をとる。  
「ミオ、あちらの花も綺麗に咲いてるようだ。一緒に見に行こうか」  
「え、ええ……」  
彼女の手を引き、奥の垣根へと誘導する。ふと振り返った時、シュロが不愉快に笑んでいた。掌をひらひらと振り、どこかへと歩き去っていく。  
…どうやら、奴にはお見通しらしい。  
 
ガーデンアーチを潜り抜けた先には、甘い芳香を漂わせる白い花々の垣根が広がっている。  
アスターの少し後ろで感嘆の声が聞こえた。純粋に花々を、甘い香りを楽しんでいるようだ。  
だがずいずいと進んでいくアスターに違和感を覚えたのか、次第にその声が不安げなものに変わる。  
そして。人気の全くない垣根の角にたどり着くと、ようやく振り返って彼女の体を引き寄せ、後ろから抱きしめた。  
「お前、ネリーと何を話してたんだ?」  
耳元に唇を寄せ、囁く。彼女の首筋が粟立っていく。  
「な、なんでもないんです! あの、大したことでは…」  
「ふーん。そうか、俺には話せないんだな?」  
彼女の首筋から漂う果実のような芳香が堪らない。刺激するのは、何もアスターの鼻腔だけではなくて。  
彼女が小さく悲鳴を上げた。どうやら、アスターの変化に気付いたらしい。  
「や、やだっ…アスター様!」  
「たまには外でするのもいいだろ」  
服の上からやんわりと胸を揉む。先ほどまで腕から抜け出そうともがいていたのに、急に動きが鈍った。  
「いつもより感じるのが早いな。」  
「そんなこと、……っ!」  
口ではそう言うがやはり体は正直なもの。胸を強く揉むにつれ、体がどんどん熱を帯びていく。  
抵抗の意で身を捩っていたはずが、いつの間にかくすぐったさによる身体の反応へと変わっている。  
この素直過ぎる身体がアスターを欲情させる。最も、そう開発したのは自分なのだが。  
「言いますっ…、言い、ますか、らっ……! も、やめて……」  
甘い吐息を漏らしながらミオは切なげに懇願する。だが、もう遅い。  
「やだね。」  
耳筋に舌を這わせながら、手を徐々に服の中へ侵入させていく……  
 
そんな時だった。  
 
「おい…こんなとこで楽しんでる場合じゃねーぞ! アスター!!」  
突然の乱入者により、漂っていた甘い空気が一瞬にして打破される。  
乱入者の介入によって生じた一瞬の隙に、ミオはアスターの腕から逃れ慌てて衣服を正した。  
恨み言の一つや二つ述べてやりたい気分だったが、乱入者の…シュロの珍しく慌てた様子がまたもそれを打破する。  
「何があった? そんなに慌てるとはお前らしくない」  
「それは…今ここで言う事はできね。だが、不味い事になってるのは確かだ。」  
シュロがちらりと見遣ったのは、ミオの姿。その視線を察した瞬間、今起きている“不味い事”というのが何なのか、おおよそ察知できた。  
「すぐに謁見の間へ向かう。…ミオ、お前は部屋へ戻っていろ。」  
「ですが…アスター様」  
「今すぐ部屋へ戻り、一歩も出るな!!」  
冷静なアスターからは考えられないような怒号にミオはただ圧倒され、言葉無く了解するしかなかった。  
 
「合併…?!」  
謁見の間へ入るなり、目に飛び込んできたのは十数名の騎士達だった。  
血を連想させるような緋色の鎧は、明らかにこの国が保有する騎士団のものではない。  
こんな色をした鎧を纏っている騎士は、何処を探してもあの国の騎士団以外にはないだろう。  
赤い集団の中でただ1人、白銀の軽鎧を纏った女の姿が写る。凛とした佇まいと、精悍かつ清廉な顔つき。  
かの国の女王に生き写しだと称されている。…その女の名はアプリコット。ミオの妹だ。  
「いかにも、僭越ながら報告に参り申しました。此度我が国は、フロックス領と併合し、新王国を築くこととなりました。」  
「解せぬ。フロックス領は我が叔父の治める領地。あそこが独立領とはいえ、それを許可なく勝手に併合だと?  
まずは国王たる我に報せの一つなど寄越すべきであろう。」  
「陛下へは書簡にて通達済みのはずですが?」  
そうであれば、ここまで動揺などするものか。そのような重要な書簡がアスターの元に届かないはずはない。  
…考えられるのは、この合併が事後報告前提で進められた可能性と、書簡が何者かによって処分された可能性。  
 
フロックス領は、不貞により国を追放される王弟へのせめてもの情けとして前国王が与え、独立を認めた土地だ。  
いくら独立を認めているとはいえ、大国の管轄下にあり、治めているのは国王の実弟。  
大国の属国という肩書きが欲しい周辺の国々は、挙ってフロックス領と同盟を組み、今では事実上大陸北部の3分の1を統治している。  
そこに同じ手法で西の3分の1を統治しているかの国が加わるとなると、実質大国に次ぐ規模の領土を掌握した事になる。  
これは大陸の安寧を揺るがしかねない事態である。そこまでして、かの国は何がしたい? …いや、そんな事はわかりきっているか。  
「女王陛下及び新議会はは新王国の閣僚として、ミオソティス様の起用を決定しました。それは先の書簡にてお伝えしたとおりですが…。  
ローラント陛下が返答を下さらないので我々はこれを無言の了解と見なし、此度ミオソティス様のお迎えに上がった次第です。  
貴国より戴いた結納金は全額返金し、建前上正妃が必要だという事でしたら、代わりに四の姫のカルミアを寄越すと――」  
「ふざけるな!!」  
アスターの怒号が轟く。これほどまでの怒りを覚えたのは、初めてだ。ヒースですら、彼をここまで激昂させる事はなかった。  
嫁がせる事でミオの唯一無二の居場所を奪い、ヒースという刺客を送る事でミオを惑わし、王族の地位から堕落させる。アスターの面目を潰すのはその片手間。  
一向に解せず、同時に許せない。何故ミオをそれほどまでに毛嫌いする。彼女に何故これほどまでに惨い仕打ちをするのか。  
 
―――アキレギア女王よ。  
 
「一刻も早く国へ帰り、あの狂乱女王に言い聞かせよ。ミオソティスは既に身も心も我に染まっておる。あれはもうこの国の王妃だ。我の女だ。  
お前が今更欲している一の姫はもう我から離れられぬ、我以外の男を欲さぬ身体にしてやった、とな!」  
今まで平静だったアプリコットの顔が、一瞬にして不快感に満ちていく。だがそれも束の間、すぐにいつもの仏頂面に戻り、淡々と言葉を述べる。  
「…拒否するのならば、戦争です。」  
もはやここまで来れば狂国。醜いものに悉く汚された愚かな国だ。それをアスターは大いに嘲笑う。  
「我が国を挑発するとは愚の骨頂。だが実に愉快だ。いいだろう、受けて立つ! この際、貴国を徹底的に――」  
「……お止めください!」  
静かな、だが力強い声が謁見の間に響き渡る。その場にいた全員の視線が声の主へと集まる。  
アプリコットの周りを取り囲む騎士達が一斉にざわめいた。  
「ミオ……」  
息を切らしながら現れたミオは2,3深呼吸をした後アスターに歩み寄り、彼を真っ直ぐな目で見据える。  
「冷静さを欠いて、衝動的に戦争なんて…貴方らしくもない。そんなばかげた事、お止めください。  
私が祖国へ戻る事で戦争を回避できるのであれば、私は喜んでそうします。」  
「ミオ、お前何を」  
アスターを見つめたまま、ミオは微笑む。彼を癒し、落ち着かせる花のような笑み。もう何も言えなかった。否、言えなくなった。  
そして彼女は振り向き、呆気にとられたままのアプリコットに向かって、口を開く。  
「リコ、ローラント陛下を挑発するのは止めなさい。……貴女と共に祖国へ帰還いたします。  
荷物をまとめ次第岐路に着きます。半刻ほど、城の外で待っていてください。いいですね?」  
静かに響いたその言葉に、リコもまた無言で頷く事しか出来ずにいた。  
 
もともと身一つでこの城へやってきたミオにまとめる荷物などあるはずもなく。  
この城でそろえてもらった服飾品などはおそらくミオの目の届かぬところで処分されるだろう。  
だから、用意できる荷物などこの身以外は何一つなかった。  
―――最期に、庭の花々を見ておきたいわ。  
庭へ行こう。そして、花々に別れを告げよう。思い立った瞬間、足は自然とそちらへと向かっていた。  
 
ゆっくり、一歩一歩踏みしめるように中庭を歩く。この城の庭は美しい。そこに咲き誇る花々には随分と癒され、慰められ、励まされた。  
処女を失い茫然自失になった時に。まるで儀式のように彼に抱かれる度に。彼とすれ違い、どうしようもない不安感に襲われた時も。  
足を止める。金色の光が庭中を包み込み、ミオの足元に影を落とす。  
―――私はまるで、真冬の庭だった。  
冬の庭に花は咲かない。冷たい土に覆われ、冷たい風に晒され続ける毎日。  
緑は凍えて色を失い、草木は訪れる事のない春に恋焦がれて身を震わせる日々。  
春の訪れを願っていた。だが、願えば願うほど庭は色を無くしていった。花咲く春など一生来ない、そう諦めていた。  
―――けれど、あの人はそんな真冬の庭を美しいと言ってくれた。  
どんなに厳しい冬だろうと、芽吹く緑はある。咲く花だってある。彼はそう教えてくれた。  
枯葉の下に眠り続けていた小さな花を、ずっと昔から欲していたと、愛しげに囁いてくれた。  
―――私にとって、あの人は太陽。まぶしくて、あたたかくて、時々身を焦がしそうなくらい熱いけれど、狂おしいほど愛しい……  
上を向いた。涙なんか見せてはいけない。今ここで泣いてしまったら、自分自身の思いを吐き出してしまったら、きっと後戻りできなくなる。  
「ミオ」  
太陽のような、愛しい人の声がする。そちらへ自然と視線が移り、驚いた。  
目の前にいる彼は、決して太陽ではなかった。分厚い雲に翳ってしまったかのように、虚ろな目をしてこちらを見据えている。  
「アスター様、どうしたのです?」  
そこからアスターに唇を塞がれるまで、ほんの一瞬のようだった。  
柔らかな芝生の上に組み敷かれ、荒々しい口づけを何度も何度も繰り返される。息をつく暇もなく、彼の舌が口内を、唇を蠢く。  
「ん……っ、ふ………!」  
心がかき乱されそうになるのを必死に抑えた。ここで本能に負けてはいけない。感情を開放すればどうなるか、よくわかっているから。  
ミオの格闘を知る由もなく、相変わらず舌は激しく蠢き、その間にミオの服の中へ手を入れ、胸を乱暴に揉みしだく。  
もう片方の手はドレスの裾をまくり、下着を強引に引き摺り下ろす。快楽を感じている余裕などミオにはなかった。唐突過ぎる展開に未だに頭が追いつかない。  
だが、まだ濡れてもいない蜜壷に彼のモノが押し当てられた瞬間、ぞくりと背筋が凍った。  
「や、やだ……待って!」  
アスターは何も答えない。無言のまま潤わぬ蜜壷へゆっくりと己を沈めていく。  
「あああああぁぁっ、い、痛っ……! あ、アスター様っ、きつ、いっ……!」  
アスターのものが最奥へたどり着いた瞬間、乾いたままだった蜜壷が一気に潤いを増す。  
身を震わすほどの快楽に襲われるのはもはや女の…いや、ミオの本能だ。他の男だったらこうはならない。  
彼は相変わらず無言のまま、まるで機械的に腰を動かす。奥を突いては入り口近くまで引き戻し、また強く腰を打ちつける。  
「やああ、あああぁぁぁっ、ああぁっ!! や、だっ、ちょ、待っ……!!!」  
いつかと同じ野性的な腰の動きが、ミオの生き物のメスとしての本能に火を点ける。一気に火照っていく身体。  
原始に限りなく近い欲望と、熱情。生まれる至高の快楽を逃すまいときつく締め上げ、放さない。  
思考にノイズがかかり、意識が何度も飛びかける。無心に快楽だけを貪れたら、それがどんなに至福だろうか。  
だが、自分がこのまま絶頂を向かえ、彼が達したら。もう2度とこの快楽を享受することは無くなるだろう。  
「く……っ」  
苦しげな呻き声の後、一度、滾る精を放たれる。一時の放心の後、今度はアスターが下になり、天を貫くように突き上げる。  
下になった彼の苦悶に歪んだ顔と瞳がぶつかる。それを見て察した。…ああ、彼も、自分と同じ想いなのだと。  
…もう2度と会うこともないのならば、この身体に彼を余すことなく刻み込もう。自分が愛した男の全ての記憶を。  
「ミオ…愛してる。愛して、るんだ……!」  
終始無言だった彼がようやく発した言葉は、おそらく彼の口から初めて聞いた直接的な愛の言葉だった。  
思わず涙腺が緩む。それを、天を仰ぎながら留める。今泣いてしまえば、きっと愚かな女に成り果ててしまうだろうから。  
 
辺りはすっかり薄暗くなった。歩く気力さえ失った2人は、芝生の絨毯の上に横たわり、身を寄せ合う。  
快楽の余韻の中、一度部屋に戻って着替えなければ。結局かなりの時間リコを待たせてしまった、などと考えていると。  
「……子どもが出来れば、お前を留めておく事が出来ただろうか」  
呆けた様な声色が耳に届く。  
これだけ身体を重ねたのに、ミオには妊娠の兆候すらない。それはつまり、子を宿す事が出来ないという事なのだろう。  
「…出来たとしても、構わず私を連れ戻すでしょう。…そういう人間なのです、母は。」  
「なぜアキレギアはお前をここまで苦しめようとする。何故そんなにミオが憎いんだ……!  
実の娘にこのような仕打ちをするなど、俺には到底理解出来ない。」  
抱きしめる腕に力が篭る。自分の為に心から不快感を示しているというその事実が嬉しくて堪らない。  
だが素直に喜べない。アスターの不快を伴った疑問の答えをミオは知っているのだ。  
「…なあミオ。戻るのが辛いならそう言ってくれ。俺があの国を滅ぼしてやる。お前のためなら、俺は王位だって捨てれる。」  
「それは、いけません…! 貴方は国王で在るべきお方です。貴方がこの国の民にどれだけ信頼されているか、私は知ってます。」  
この城の人間は、自分にとてもよくしてくれた。その理由を年配の侍女に尋ねると、彼女はこう言ったのだ。  
『ローラント陛下はとても素晴らしい王です。民を思い、国を思っている。それがきちんと行動にも出ておられる。  
そんな素晴らしいお方がお選びになったのだから、貴女もさぞかし素晴らしいお方なのでしょう。』  
冷血王。ローラント陛下に対しそのような印象しか持っていなかったミオは大変驚いた。  
誰もがローラントを心から尊敬し、心から信頼しているのだ。…これほどまでに民に慕われる国王は珍しい。  
「貴方は素晴らしい国王です。だから、道を誤らないでください。一人の女の為に多くの命を犠牲にするような愚かな王に成り下がらないで。  
私だったら、大丈夫。この先どんな事があっても生きていける。貴方が愛してくれたというその証と記憶さえあれば、耐えられる。」  
「だが、ミオ……」  
その先を言わせまいと、唇を瞬時に塞ぐ。この瞬間がこの先永遠に霞まぬようにと、願いを込めて。  
「アスター様。私は貴方だけを愛し続けます。これからもずっと、永遠に―――」  
髪飾りを外し、彼の手にそっと握らせる。これこそが、ミオの想いの証。  
もう傍にはいられないけれど、せめてこの心だけはこの国に……この人の元に置いていきたい。  
―――さようなら、私の愛しい人。  
彼に背を向け、歩き出す。別れの言葉は口に出さない。どうしても言う事ができなかった。  
背後でアスターが何かを叫ぶ。だけど、振り返らない。頬に伝う涙を、見せる事なんて出来なかった。  
 

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