約2ヶ月ぶりに西の小国…現在は新王国の謁見の間にミオソティスが現れた瞬間、どよめきが起こった。
無理はない――姉の傍らに控えながらアプリコットは思う。
2ヵ月前のミオソティスは常に俯き、この場に呼び出されるたびに濡れた子犬のように震えるばかりだったというのに。
今はどうだろう。しっかりと前を向き、玉座を見据える表情は凛としていて、けれどどこか物憂いていて。
…そう。一の姫ミオソティスは、はっとなるほどに美しい雰囲気を纏って帰還したのだ。
「貴女がミオソティス様ですか。噂以上にお美しい姫君だ、あの冷血王には勿体無い!!」
玉座におわす女王アキレギアの隣に控えた新宰相のフロックスは、ミオを上から下まで舐めるように眺める。
最上の不快感を込めてフロックスを睨みつける。この助平が厳格だった先代国王の血を分けた弟とは到底思えない。
だからこそ、兄の妻を唆すなどという不貞行為を働く事が出来るのだろうが。
姉は一瞬眉を動かしたものの、フロックスのいやらしい視線を意に介す事も無く女王の眼下へ歩み寄り、片膝を折って頭を下げた。
「女王勅命によりこのミオソティス、ただ今帰還いたしました。」
「何をそんなに他人行儀な。さあ、顔を上げて母によく顔を見せておくれ。ああ…よくぞ戻ってきてくれた、ミオソティスよ!」
卑怯だ、と心の中で吐き捨てた。以前は姉の母でいることをあんなに拒み、怨み、それが故に姉を蔑んでいたのに。
不幸な婚姻によって傷つき、帰還した娘を温かく迎える母。今更そうなろうとしているなんて、卑怯だ。
母が姉を呼び戻したのは親心からではない。幼い頃より徹底的に虐げてきたというのに、今更そんなものが芽生えるはずがない。
あるのはどす黒い打算と計算。手に負えなくなった問題への苦肉の策。
一の姫ミオソティスは母にとって、母に感化された城仕えの者たちにとって、議会にとって邪魔な存在だった。…だが、彼ら以外には?
彼女は邪魔だった故、回された公務は全て遠方の地方への慰問ばかり。だが、ミオソティスはそれら一つ一つに、真摯に取り組んだ。
ミオソティスの献身的な優しさは地方民達の心を癒し、それがアキレギア女王政権支持率の上昇へと繋がったのだ。
議会の人間はその数字だけに満足するばかり。そしてその功績はアプリコットの働きが故だと信じて疑わない。
城の人間達はあまりにもミオソティスに無関心だった。それが、女王を含めた現政権の裏目に出たのだ。
地方民達はミオソティスが時期女王に君臨すると信じて疑わない。そんな中で舞い込んできた他国の王とミオソティスの婚姻の報せ。
第1継承者が他国へ嫁ぐのは、歴史深い西の小国でもおそらく初めてだ。そこに疑問を持たれるのはもはや必然。
そして、ついにこの婚姻の真実が暴かれてしまったのである。
二の姫であるアプリコットを時期女王にするためだけに、金で他国へ売られていった姫。相手は冷血王と名高い大国の若き君主。
このスクープに地方民が憤らないはずは無かった。
アキレギア王政への不満はミオソティス不在の2ヶ月の間に暴動寸前にまで膨れ上がってしまったのだ。
火消しの為に地方民も納得するような理由とミオソティスの地位を作る。それでも、ミオソティスが帰還しないのでは意味がない。
そこで白羽の矢が立ったのが、ヒース=スプリングスである。奴は無謀にも単身でアキレギアの暗殺を企てた男だ。
その動機はミオソティスへの恋慕の情。アキレギアはこれを利用した。
『ミオソティスは異性愛に飢えておる。それが故、他国の王へ嫁ぐ道を選んだ。そんな理由であやつが幸せになれると思うかえ?
わらわはそうとは到底思えぬ。だから、まだ他国に染まりきっておらぬ今のうちにミオソティスをあの国から救いだしてやりたい。
その為には…あの娘を深く愛してやれる男が必要不可欠。…わかっておるな、ヒース。お前のことじゃ。
あやつは愛すれば必ず応える。…娘を、救えるのはお前しかおらぬ。』
結局それが失敗に終わり、いよいよこの異常事態に頭を抱えたアキレギアがとった最終策が今回の合併強行である。
…自ら国を去ってもなお、母や議会のプロパガンダに利用される姉が哀れでならない。同時にそんなこの国に激しい嫌悪と憎しみを感じる。
次々に浴びせられる心無い賛辞を聞き流しながら、さっきから唇の端すらも歪めない姉の顔をじっと眺める。
嫌でも思い出してしまう。あの城で見たあの事を。
時刻は遡り、約1日前。その時リコは苛立ちを覚えていた。荷造りにしては、あまりにも遅い。
あの冷血王が姉をどこかへ監禁したのではないかと勘繰り、姿を探して城の中を徘徊していた時、中庭の方で姉の声を聞いた。
はじめはまだ微かだった声が、徐々に聞こえてくるにつれてリコの足がどんどん重くなる。
そして中庭の垣根の奥のほうで姉の姿をようやく見つけた時、ついに足は動かなくなった。
「あぁんっ! あ……あぁっ……あっ、あっ、あっ……!」
露出したたわわな胸を震わせながら喘ぐ姉。なんとも言いがたい哀愁の満ちた表情で腰を激しく動かす冷血王。
赤黒いモノが姉に埋められては引き出され、その度に響く水音。言葉を失った。
姉の恍惚と悲哀とが混じった表情。それを見ていると、思考すらも停止してしまいそうになる。
これ以上姉の艶やかな声を聞いているとおかしくなってしまいそうで、急いでその場を立ち去った。
「ん、あぁぁ…、アスター様っ……ア、スター様ぁっ…!」
悩ましげに、ローラントではない誰かの名をしきりに呼ぶ姉の声が背に突き刺さる。
その名に聞き覚えを感じながらも耳を塞ぎ、振り返ることなく走り去った。
それから程なくして、姉は毅然とした面持ちでリコ達の前に現れた。
姉の帯びる不思議な色気に当てられ、惚けた様子の騎士達。先ほどの出来事を彼らは知らない。
2人の激しい情事を目の当たりにしてしまったリコは、姉の顔をまともに見れなかった。
だが、ふととある事に気づく。反らした視線の先…姉の蜜色の髪をいつも控えめに飾っていたとあるものが、ない。
「お姉様…髪飾りはどうしたんです?」
そう。ローラント国王の御前で再会したときには、…あの情事の時でさえも確かに姉の髪には髪飾りがついていた。
湯浴みと就寝の際以外では決して外さなかったほどに、姉にとっては特別なものだったのに。
「失くしました。」
抑揚のない返答だった。だが、冴え冴えとした言葉。
「そんなはずは…だって、あれは」
「失くした、と言っているのです。私を信じられませんか?」
姉らしからぬ強めの口調に、思わず姉の顔を見る。そこにあるのは、いつも自分を思いやってくれた姉の優しげな顔ではない。
自己防衛の為に身に着けざるを得なかった無表情でもない。
悲しみを帯びつつも、揺るぎない何かを手にしたかのような凛とした表情。そこから感じたのは…人の上に立つ者の風格。
「…女王陛下がお待ちなのでしょう? 馬車を出してください。」
髪飾りについて、それ以上のことを触れてほしくないのか、姉は馬車に向かって歩を進めだす。
すれ違い、蜜色の髪が靡いた瞬間、凛とした横顔の目元に涙の痕を見た気がした。
祖国へ向かう道中、姉は自ら言葉を発する事はなかった。
時折リコが投げかける質問に端的な言葉で返すのみ。その様子は抵抗とも、拒絶ともとれた。
リコは確信する。姉をこういう風にしてしまったのは、間違いなくローラント王のせいだ、と。
それなのに、完全にかの冷血王を憎み恨む事ができなかった。一つの推測が生じていたからだ。
自分は、姉がかの国でさぞかし辛い思いをしているだろう、と、気が気でならなかった。
唯一の居場所を奪われた絶望に打ちひしがれながら、望みもしない性行為を強要され、世継ぎを産む器として扱われているだろう、と。
久々に見た姉が変わってしまったのは、城で受けた屈辱と苦痛、祖国から解放されてもなお母に利用される絶望によるものだ、と信じ込んでいた。
…だけど、もし、そうではないとしたら? もしかしたら、姉は……
あの時、あの庭園で見てしまった2人の情事に、子孫繁栄のための儀式的なものなど存在しなかった。
一瞬一秒でも互いの熱を逃したくない、出来る事ならばこのままずっと繋がっていたいという、執着とも取れるような激情。
あの冷血王に見た迷子の少年のような悲痛な表情と、姉が見せた一人の女としての感情。
そして。嬌声の中に繰り返し呼んだある男の名前がとある仮説を導き出そうとしている。
――お姉様を苦しめているのは、ローラント王か。それとも……私達なのか。
喉元まででかかった結論をぐっと飲み込み、隣の姉へ視線を移す。流れる景色をぼんやりと眺める瞳に変わらず優しい光はない。
すっかり変わってしまった姉を横目で見つめながら思う。こうやって耳を塞いでいる自分も、母と同じ卑怯な人間だ、と。
姉に用意されていた部屋は、城の最上階のスイートルームだった。白いテラスからは、赤レンガの王都が一望できる。
前の部屋との歴然とし過ぎている差に一瞬面食らったような素振りを見せたものの、すぐにまたあの表情に戻り、リコに向き直る。
「案内ありがとうございます。…私はもう疲れました。下がってください。」
「お姉様、少し話が……」
「お願いです、一人にしてください。」
やはり拒絶。今の姉にはこの城の人間全てが敵に見えるのだろう。多少は心を開いてくれていたであろう自分でさえも。
姉は再び心を閉ざしてしまったのだ。かつての優しい眼差しを思い出し、心臓を鷲掴みされたかのように苦しくなる。
だが、それでもかつての姉を取り戻したいとは思わないのは、喉元に留まったままのとある仮説のせいだろう。
霞んだ瞳で微笑まれるよりも、今の凛とした瞳で真っ直ぐ見据えられる方がずっといい。
そんな矢のような瞳から降り注ぐ優しい微笑みは、きっと世界中のどんな姫君よりも美しいはずだ。
固く閉ざされた、新たな籠の扉を見つめながら思う。このままだったら、姉は全てを拒絶したまま一生をこの籠の中で過ごす事になるだろう。
そんなのは耐えられない。姉には笑ってほしい。自分だけにでも心を開いてほしい。本心を聞きたい。とにかく、姉と話がしたい。
だが、今姉は目に映るもの全てを拒絶している。―――だったら。
湯気の立ち込める地下大浴場。その広々とした浴槽にじっと浸かっている姉に静かに声をかける。
「お姉様。お湯加減、いかがでしょうか?」
「…リコ? 貴女、どうしてここへ」
「あら、ここは王族女性専用の浴場ですよ。偶然一緒になってもおかしくないでしょう?」
嘘だった。王族の誰かが利用していれば、そこは完全個室状態となる。一緒に湯に浸かることなど絶対にない。
脱衣場で待機していた侍女に金を握らせ、退席させた。2人きりになるために。
もし侍女を介して会話の内容が漏れてしまったら、母の耳に届かぬはずはない。利用できるものは遠慮なく利用するのがあの母だ。
そうなってしまったら、姉の心を開く事は一生無理だろう。
「では、私は先に失礼します。ごゆっくり…」
「待って!」
やはり拒絶。流れるように立ち去ろうとする姉の腕を掴み、慌てて引き止める。
「お姉様とお話がしたいんです。」
「私には貴女に話せるようなことなんてありません。」
「私の他愛もないおしゃべりに付き合ってくださるだけでいいんです。ですから」
「だったら私じゃなくてもいいでしょう?」
徹底して拒絶を続ける姉にもはや苛立ちすら覚えた。変貌ぶりを嘆く心と相まって。
あの時の姉の艶かしい表情が脳裏をよぎる。ローラントの言葉が思い起こされる。
―――ミオソティスは既に身も心も我に染まっておる。あれはもうこの国の王妃だ。我の女だ。
お前が今更欲している一の姫はもう我から離れられぬ、我以外の男を欲さぬ身体にしてやった、とな!
憎い。優しかった姉をここまで変貌させたあの冷血王が憎い。
それがただの嫉妬心だという事は理解できていた。嫉妬しているからこそ、あの男が憎いのだ。
感情を表に出さぬ術は完璧に身に着けていたはずなのに、今、リコの中の嫉妬という感情が爆発しようとしている。
「…そんなにローラント王の事が忘れられないのですか?」
豊かな肢体に目が向く。申し訳程度に隠された肉感的な身体が、仄かに赤らんだ白い肌と相まってなんとも艶っぽい。
このたわわな胸が羨ましかった。自分の控えめな膨らみと比べてはため息をついていた日々を思い出す。
羨望の眼差しは、いつしかそれに触れてみたいという欲求に変わっていって。
リコの中の、抑えていた何かが弾け飛んだ。
「私、あの時見てたんです。あの城の庭園でお姉様とあの男が交わりあっているところを。」
それまでの仏頂面が嘘のように強張り、そこに焦りの色が見え始めた。
「お姉様が失くしたとおっしゃっていた髪飾り…、その時までは確かに付いていましたよね。
本当は失くしてなんかいないんでしょう? あの男の激しい性行為のせいで、壊れてしまったんじゃないんですか?」
一瞬の隙を付いて姉を引き寄せ背後に回る。脇の下へ両手をもぐりこませ、その先の豊満な果実に触れる。
「あの男は、お姉様のこの胸をこうやって弄り回して……嘗め回して……!!」
女同士の戯れではなく、明らかに性的な動きをもって胸を揉みしだく手に、ミオは何度も身を捩じらせて抵抗する。
「やっ、やめ……、リコ、貴女なに……を、っ!」
「ああ…もうここを固くして…もう感じてるんですね。こんなに感度がいいのも、あの男に開発されたせいですか?」
あの時ローラントがそうしていたように。今まで溜まっていた羨望と欲求を解消するかのごとく、思う存分揉みしだき、弄りまわす。
その間激しく抵抗する姉をあしらいながら、ローラントへの嫉妬心を放出させる。
「こうやって揉みしだきながら、あの男はお姉様のここにあのグロテスクなものを…何度も……!」
つと下へ伸ばした指が赤く熟れた秘芯を見つける。そこから蜜壷の入り口までを動物を撫でるかのように優しくなぞる。
自分のものにすら触れたことはない。人生で初めて触れた性器が姉のものでよかった、と、心から嬉しく思う。
「ねぇ、あの男のものはどうだったんです? あの男はどうやってお姉様を悦ばせていたんですか?」
歓喜に酔いしれ、蕩けるような感覚を漂いながら唇を噛んで耐え忍ぶ姉に眼差しを向ける。
我が姉ながらなんて強情なのだろう。大人しく、自分が与える快楽に身を委ねていればいいのに。
…姉があの男の身体を忘れられないというのであれば、自分がそれを忘れさせればいいのだ。
「お姉様、私があの男の代わりにお姉様を愛し続けます。だから……私だけにでも心を開いてください。」
自分は、実の姉妹という枠を超えて、姉を慕っている。それは恋慕の情だといっても何の間違いもない。
愛に飢えた姉を、自分の愛で満たしてやりたい。今は抵抗していても、優しい姉はきっと自分を受け入れてくれる――
「っっっ!! いやあああああああああああああああぁぁぁぁぁっっっ!!!!」
蜜壷に指を埋めたその瞬間だった。それまで静かな抵抗しか見せなかった姉が、急に悲痛な叫び声をあげたのは。
それに驚いた隙をついて、自分の腕を飛び跳ねるように抜け出し、大きな湯船の端で丸く身を縮めた。
まさにその様子は、怯える小動物。自分を抱きしめたまま、震える姉を眼下に据えて、興奮状態から醒めていくと同時に。
喉元で留めたままだった仮説が、自分でも驚くほどに自然と口から流れ出てくる。
「お姉様、もしかして貴女は、ローラント王を愛してしまったのですか?」
肩がびくりと跳ねた。認めたくない。絶対に認めたくは無いけれど……これが、真実なのだ。
「リコ、お願いよ……誰にも言わないで。私は、もう、これ以上…辛い思いをしたくないの。
彼を愛する気持ちまで、あの人に利用されてしまったら、私もう、この世界では生きていけない……!」
涙ながらに懇願する姉の姿を見て、ようやく全てを悟った。
あの髪飾りは…母から姉への、生涯唯一の贈り物であるワスレナグサの髪飾りは、紛失しても、破壊されてもいない。
姉が自らの意思で外し、自らの想いの証としてローラント王に与えたのだ。姉はそれほどまでにローラント王を愛している。
嘲笑が漏れる。それは自分に対して。自分がどれだけ姉を愛しても、姉はもう二度と一の姫ミオソティスに戻る事はない。
悔しい。悔しいけれど……喜ばしい事だ。
「お姉様の本心はよくわかりました。…安心して。このことは誰にいうつもりもありません。
私はお姉様の味方です。今までも、これからも……!」
母に対する憤りがぶり返してくる。姉の想いを知ったら、あの女王は嬉々としてそれを利用するだろう。
だったら、自分が先に姉の想いを利用して、母に一矢報いてやろう。姉の一途過ぎる想いを決して無駄にはしない。
リコは決意する。どんな結果になろうとも、自分は姉の幸せの為に動こう、と。
続く