ネリーをベッドに横たわらせ、ようやく緊張状態から解かれ一息つく。 
自分でも驚くほど、怒っていた。自分の女が弟分に組み敷かれているなんて出来事、そうあるもんじゃない。 
ヒース=スプリングスへの奴の怒りもこんな感じだったんだろうか、と考える無駄な余裕も出来た。 
部屋の中を見渡す。質素な化粧台の上に無造作に置かれた小瓶を手に取り、匂いを嗅ぐ。 
「そういうことか…クソ野郎。」 
ネリーは自分の身だしなみにはほとんど無頓着だ。ファッション関係にはてんで興味を示さない。 
香水だって、あまりの無頓着さを見かねたフローリストが買い与えたものをしぶしぶ使っているに過ぎない。 
その香水は瓶こそ同じものだが、いつも使っている香りではない。この控えめなシトラスの香りは…ミオ姫の髪と同じものだ。 
しかもそれは、一見…いや一嗅ただの香水のようにも感じるが、全く別物。香水に似せて作られた誘引剤、いわば、媚薬。 
中身だけをすり替え、その違いに気付かせる事なく使用させる。ネリーの性分を知っている者でないとこんなことなど出来るはずない。 
何の為に……? いや、そんな事はもうとうに解りきっている。だからこそ、はらわたが煮えくり返りそうなほど、憤る。 
 
 
今日のシュロはらしくなかった。いつもならすぐに気付けるはずの物音に気付かない。 
静まり返った今宵でさえも、その姿を見かけて初めて慎ましやかな足音に気付く。 
目の前で、頭が冴えそうなほどに美しい少女がそそくさと廊下を歩んでいるではないか。 
「今晩は、カルミア姫。」 
音もなく忍び寄り、わざと彼女の背後から声をかける。ひっ、と甲高い声を挙げた後、彼女は振り向いた。 
丸く大きな瞳が、目を見張ってこちらを見つめる。 
「あ、貴方は…国王付き執事のシュロ様、ですわね?」 
「ええ、左様でございます。」 
かの新王国の四の姫…現在は、ローラント王の正妃カルミア。相変わらず、光り輝くような美しさだ。 
化粧を落としてもなお艶やかさを失わない白磁の肌。ほんのりと赤らんだ頬は東の国の春を彩るというサクラの花のごとく。 
下着が透けてしまいそうなほど薄地のベビードールからすらりと伸びる足は、叩けば折れてしまいそうなほどに細い。 
背筋が伸びて姿勢がいいせいだろう、さほどの膨らみでもない胸元も魅力的な曲線と映える。 
まだあどけなさの残る顔立ちを締めているのは、かの国の女王を髣髴とさせる青い眼。王女の風格を醸し出している。 
ミオソティスの“代理”として寄越された四の姫カルミアは、神が意図して与えたもうたとしか思えないほど、完璧な美しさを持っていた。 
だが。所詮はそれだけの女だ。 
 
『中身は真っ黒な性悪女だよ、アレは。隠す気ないのかってくらい解り易い。』 
 
ネリーの評は正しい。所詮カルミア姫は見た目に恵まれただけ。 
アプリコットのような知識教養も、ポリアンサのような飛びぬけた芸術の才もない。中身は何も持たない普通の姫。 
彼女自身もそれを十二分に理解している。だからこそ、自分の美しさを利用しているのだ。 
まだ年若いというのに、なんてつまらない女なんだろう。大陸一の美女に期待していただけに、失望感も一入だ。 
だが、同時に思った。彼女はもう一つのミオソティスだ、と。 
カルミアとミオソティス。シュロの目には、この2人が似ているような気がしてならない。 
2人は他の姉妹のような才を持たない。そのことがどれだけの絶望を彼女らに与え、彼女らの心情にどう影響したのか。 
ミオソティスはその絶望を受け入れた。受け入れることで、誰に対しても優しくなれた。自らの本心に蓋をした。 
一方のカルミアはその絶望を受け入れることが出来なかった。無垢だった心は、拒絶を繰り返す事で黒く染まってゆき。 
そして気付いたのだ。自分には周りをいいように操る事のできる美貌があることに。それを徹底的に利用する事で、絶望する心に蓋をした。 
2人は同じ絶望を抱え、だのに違う答えを選んだ。それはきっと逆も然りだったはず。だから、似ているのだ。 
その証拠に……カルミアからは、ミオソティスの姿が垣間見える。同じ化粧の仕方、同じ髪の香り、そしてよく似ている召し物。 
 
 
「…あの、どうなさいまして?」 
言葉を発さぬ自分を不審に思ったのか、カルミアは首をかしげて顔を覗き込んでくる。 
「ああ失礼。女神が光臨なさったのだと錯覚し、つい見とれておりました。」 
「まあ……ふふっ、お上手ですのね。」 
その愛らしい仕草も彼女の演技力なのかと思うと、興ざめだ。全く、この城には役者が集まりやすい何かがあるのだろうか。 
「それで、こんな夜中にどうなされたのです?」 
「ええ、実は……わたくしの部屋の扉の立て付けが悪いようで、非常に耳障りな音がするのです。ですから、陛下に直談判に参ろうかと。 
ですがわたくし、陛下のお部屋の場所を知らないのです。ですから、シュロ様にお聞きしようと思いまして。」 
ああ…そういえばあの部屋――以前ミオソティスが使っていた部屋は、ヒース=スプリングスの一件で派手に壊してしまったのだった。 
フローリストが修理を急かしたものだから、欠陥工事となってしまったのだろう。 
立て付けに関しての報告は聞いていたが、今後あの部屋を使う事など当分はないと踏んでいたから、特に何もしていなかった。 
そういえば、時折耳障りな音を聞くことがあった。遠く離れた場所で聞いてもなかなかに不快な音だったのだから、近くでは劈くような不協和音となっているのだろう。 
だが。おそらく彼女の目的は、それじゃない。そんなことは侍女か、もしくは自分に申し付ければ済む話なのだ。 
改めて彼女の格好を見る。やけに色っぽい薄桃色のベビードールからは、彼女の年齢には相応しくもない、強かで艶めいた女の色気が感じられた。 
「これはこれは、気付かなくて申し訳ありません。すぐに私が修理屋を手配しておきましょう。」 
カルミアの思惑は察しが付いた。自らの美貌を使って、憔悴状態にあるアスターを誑かそうと目論んでいるのだ。 
それが果たして彼女の母――アキレギア女王からの命令故なのか、彼女自身の思惑なのかはまだ定かではないが…とにかく陰謀があるのは間違いない。 
「ですから、早くお部屋へお戻りください。いくら城の中とはいえ、絶対の安全は保障できないのですから。」 
一瞬、カルミアが訝しげな顔を見せたのを、シュロは見逃さなかった。どうやら自分の推測は当たっていたらしい。 
…今日のシュロは、らしくなかった。ネリーが犯されかけたという事実が、冷静なシュロの心を静かに掻き乱す。 
だからこそ、この腹黒娘に少しばかり悪戯をしてみようという、気迷いが起きてしまった。 
 
 
「ほら。こんな風に、月の艶力に当てられた人狼が、貴女に牙を剥くかもしれないでしょう?」 
力など微塵も感じさせない、細っこい両腕を容易く押さえつけ、柱へ縫い付ける。 
思考が追いつかずにいるカルミアの、控えめな膨らみに直に手を這わせながら、耳たぶに噛り付いた。 
「んっ……!」 
あどけなさの残る顔立ちが雌の表情に染まっていく様に肌が粟立つほどの興奮を覚えた。 
恥じらいながらもつんと主張する登頂を何度も擦り、摘むごとに、色は増していく。侵食されていく。 
…だけど、欲情なんか出来るはずもない。その色めいた表情ですら、彼女の演技なのだから。 
ああ―――なんて素晴らしく、そしてつまらない女なのだろう。 
「さて、どうします姫様? …このまま、俺と一線超えてみますか?」 
耳元で熱っぽく囁きながら腰に手を添え。下着の紐をゆっくりと解き、足の付け根を指でなぞり――― 
そんな時に、彼女はくすくすと笑った。それはとても愉しそうで、嬉しそうにも聞こえる弾んだ声。 
「素敵。素晴らしいですわ! 貴方のような殿方に身体を委ねれば、きっと類稀な愉悦を味わう事ができるでしょうね。」 
微笑んだ瞳が妖しく煌き、真っ直ぐにシュロを捉える。稀代の美少女でも、四の姫でもない彼女自身がそこにあった。 
あまりの艶っぽさに思わず動きが止まる。やんわりと拘束から抜け出した手が、シュロの頬を撫で、人差し指で唇をついとなぞった。 
「続き、してくださらないの?」 
齢実に14にしてこの色香。かの女王はなんと恐ろしい魔性の女を産み出したのだろう。 
だが、まだ青い。彼女はまだ幼稚で、乳臭い。子どもが、無理に大人ぶろうと背伸びをしているようにしか思えないのだ。 
彼女はきっと本当の色香というものを知らないし、今後も知ることはないだろう。 
「辞めておきます。貴方では物足りないでしょうから。」 
下着を結びなおし、向き直ったその顔に張り付いた笑顔は、既に容姿端麗なカルミア姫へと戻っていた。 
「ふふ、やはり貴方はわたくしの思ったとおりの殿方ですわ。…今宵は大人しく部屋に戻ります。 
シュロ様、貴方に敬意を表して一つ、戯言をお聞かせしましょう。」 
微笑を張り付けたまま、まっすぐとシュロを見据えるその目は、アキレギア女王のものととてもよく似ていて…だけども、違う。 
この目は、この微妙に揺らぐ瞳は…彼女の姉アプリコットと相違ない。 
「わたくし、美しいものが大好きなんですの。それこそが私にとって信ずる価値のあるもの。愛すべきもの。 
この城には醜き猩々がいる。けれど、美しき人狼もいる。…さて、貴方の主はどうでしょうね?」 
では、ごきげんよう。踵を返した際、錦糸のような美しい髪から仄かに漂う芳香は、よく知った香り。 
彼女の言葉の内に秘められた思い。その無駄に回りくどい言葉で、ようやく察する事ができた。 
「それはご自分でお確かめになるといい。…陛下のお部屋は、この奥の階段を登ってすぐですよ。」 
彼女の髪が再び、愉しげに跳ねた。仄暗い灯りの中に消えていく背中を見つめながら、上着のポケットをまさぐる。 
先ほど、唇をなぞられた際にさりげなく入れられたもの。それは――― 
「――なるほど、そういうことか。…ありがとよ、カルミア姫。」 
“それ”を丁寧に折りたたみ直し、そっと内ポケットに入れる。そして、唇を三日月形に歪め、夜空を仰いだ。 
「後悔させてやるよ、醜き猩々め」 
 
 
 
続く

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