「―――あんたと話す事は何も無い。帰ってくれ!」  
バタン!と大きな音を立てて工房の扉が閉められる。  
――失敗した。  
交渉を始めて3ヵ月。ようやく、工房の中に入っても何も言われなくなったのに。  
いや、最初の門前払いの頃に比べれば、幾分マシか。  
そう前向きに考えよう。  
とりあえず、伏せてしまった耳と、無意識に足の間に巻き込んでしまったしっぽを無理矢理立たせて、  
元気を奮い起こす。大丈夫、空元気も元気のうちだ。  
「――申し訳ありませんでした、猯瑛さん。また後日、アポイントをとった後、ご訪問させていただきます」  
返答は無い。  
つまり、来ても構わないという事だろう。  
最初のうちは、二度と来るな。とよく言われたものだ。  
――よし、頑張ろう。  
帰ったら、もう一度、企画書を練り直そう。  
絶対に、この人の作品は必要なのだ。  
 
 
「蒼子ちゃん、またあの陶芸のセンセーのとこ行ってたのー?」  
社に戻ると、同僚のナナさんが、話しかけてくる。  
「……ええ。今日も怒られて、追い返されちゃいました」  
肩をすくめて、冗談ぽく言ってみる。  
机の上には、件の企画書と、その他の案件が溜まっていた。  
慌てて仕事に取り掛かる。  
「なんていうかさー? ヤなカンジよねえ。ゲージツ家って、そんなに偉いのか。って思うわよ。  
 そーこちゃんがここ何ヶ月も、何度も何度も訪ねてるのに、全ッ然ハナシ聞く気もないんでしょ?そのひと。  
 ホント、イバりくさっちゃってさ、何様ってカンジよねえー!」  
うわあ。  
相当怒ってるのか、ナナさん、猯英さんには会った事もないはずなのに、ものすごい事を言っている。  
「……い、いえ。そんな事は無いんですよ。もともと忙しい方ですし、こちらが無理を言ってるんです。  
 それに、今日は具体的な話も少しは出来ましたし……」  
と、いっても、それで怒らせてしまったのだけど。  
酒器を作れ。というのが、逆鱗に触れてしまったようだった。  
いえ、ただの酒器ではなく、店で客に出す物だと思われたからなのだが。  
「おれの作品を工業ラインにでも乗せる気か!?」  
……そう言われてしまったのだ。  
せっかく、まともに話ができる所までになったのに。  
誤解を解くのは、大変そうだなと思うと、自然と溜め息が漏れた。  
だが、彼の工房に行くのは、仕事を抜きにしても、とても楽しみだった。  
いや、入社してからこれまでで、文句なく一番楽しい仕事だ。  
なんせ、私は猯英氏の10年来のファンなのだから。  
 
 
私が、彼に――彼の作品に――出会ったのは、もう10年も前の事だ。  
そのころ、私はまだほんの少女で、それを見たのも、駅前にあるギャラリーに  
叔父に連れられて行った時の事だった。  
――圧倒された。  
今、彼は主に焼き物の仕事ばかりをしているようだが、私が見たのは掛け軸に描かれた、  
山水画だった。  
墨の濃淡だけで描かれた、ごくごく単純な物のはずなのに、水の音が聞こえてきそうな臨場感、  
絵から伝わってくる、力強さ。――息が止まるほどの、感動だった。  
今思えば、あの時すでに、私は彼に恋していたのだろう。  
後で、叔父に、あの絵を描いたのは、そのころの私と幾つも変わらぬ少年だと聞いて、ひどく驚いたものだ。  
 
 
 
仕事で、彼の工房を訪ねるようになって、一番嬉しかったのが、作業風景を見ることが出来るようになったことだ。  
最近では、うるさくしなければ――そして、猯英さんの機嫌がよければ――工房でろくろを回しているところなどを  
見学していても何も言われなくなってきていた。  
猯英さんは、豚人特有の、固太りの体で、手もあまり大きくなく、指は節くれ立って短く、ごつごつしている。  
その、無骨な手からは想像もつかないような、大胆で、美しいものをたくさん造るのだ。  
素晴らしく繊細な花器を時間とこだわりを持って造るところや、逆に、一息で見事な大杯を造りあげたところも見せてもらった。  
そんなときは、細い眼を余計に鋭く、もともと気難しい表情をさらに険しくしているのだが、ろくろが上手く行ったとき、  
窯から作品を取り出した時、それが、彼の思うとおりに行った時は、ひどく柔和な、いっそ幼いと表現してもいいくらいに  
柔らかい笑顔を微かに見せる。  
――わたしは、きっと彼のそんな姿が見たくて、彼の工房に行くのだろう。  
 
 

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