第四話 仔猫ちゃん、気を付けて
「ふいー」
湯上りの濡れた髪をタオルでごしごし擦りながら、
俺は自分の部屋へ向かい廊下を歩いていた。
ドアに手をかけた所で、動きを止める。
「…いる!」
俺はある気配を察知した。部屋の中に、いる。
ドアの影に身を隠しながら、そっとノブを回す。
こちらの気配は完璧に殺している。
中に潜む者が気付くことは無いはずだ。
…並の人間ならば。
「おにーーーーーーーーちゃーーーーーん!」
「うわっ!?こ、こここ、こらっ!!」
相手は(元)獣。ひそやかな気配にも敏感だ。
いきなり飛びつかれた俺はそのまま廊下に転がった。
「もう!タマミちゃんたら…ダメじゃありませんか!」
「タ、タヌキさんまで!
いい加減、こんな時間に俺の部屋に忍び込むのは止めてよっ!」
これじゃ よ、よ、よ…夜這みたいじゃないか、とは言えず。
「ごめんなさい、おにいちゃん、私止めたんだけどぉ」
「え?わ、私?あなたが連れて行けって…!」
「ごめんねおにいちゃん、ぐすっ…」
「あ、ああ…も、もういいよ。タヌキさん、もう止めてくれよな!?」
「(ぷぅ…!)」
「仔猫ちゃんは理事長の家で一緒に暮らしてる…姉妹みたいなもんだろ?
タヌキさんがお姉ちゃんなんだからさ、ちゃんと面倒みてあげなきゃ」
「(ぷくぅ…!!)」
「タマミちゃんも、もう泣かないで、な?」
「ぐすぐす…ありがと、おにいちゃん」
「ち、違うんですキツネくん…!あー!ほら?見て!見てください!
いま、このコったら舌出しましたわよ!?」
「とにかく!二人とも、もう俺の部屋に窓から忍び込むの禁止!」
「そんなぁ…」
「うん解った!ごめんね、おにいちゃん」
解ってくれたのかと、思いきや
「今度はドアから入るね!」
「いや、それはその…」
にこにこと穢れの無い瞳で俺を見上げるタマミちゃんに
それ以上強くは言えず。
「その…せめて不意打ちは止めて、ね?」
不法侵入を止めてくれるというだけで良しとしよう…
「で?こんな時間に俺の部屋で何してたわけ?」
「おべんきょー!」
「お勉強?何の?」
「このご本でーーー!」
「※◆∀§ΓΘηУсゥ☆!!!!!」
お、おおお、お、お、おれのエロ本ーーーー!?
「いいいい、い、いけません!こんな本読んじゃ!!」
「だってぇ、みどりちゃんがぁ」
みどりちゃん?って、ああ、タヌキさんの事か。
「わた!私は止めたんですよ!?」
「っていうか、タヌキさんも、見た?」
「あ、はい。私もその書物で色々とお勉強を…」
うわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!
「で、出てけー!出てけ出てけ出てけーーーー!」
「キ、キツネくん?どうなさったんですか!?」
「えーもー帰るの?おにいちゃんと遊びたーーい」
「だ、だめだめだめーもう止めてー!!」
ぶんぶんと手を振る俺。縋りついてくるタマミちゃん。
動揺していた俺はタマミちゃんの体重を支えきれず…
「おわっと!?」
「にゃっ!?」
脚をすべらせスッテンコロリン
「あたたた…タマミちゃん、大丈…ぶーーーーーー!?」
「にゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
うわ!うわうわうわ!
可愛い下着がこんにちわ!って花柄か!可愛いぞ!
いや、そうじゃなくて!見ちゃダメだろ、俺!!
どうやら転倒の際、藁をもすがりたい俺の手のヤロウは
タマミちゃんのスカートをつかんでしまったらしく!
「い…」
「い!?」
「いやーーーーーーーーーーーーーー!!」
「うわ!ご、ごめん!ごめんごめんごめん!!!」
な、泣かせちゃった!ど、どうしよう!?
って、エロ本見るのは平気なのに、自分がHな目に会うのはダメなの!?
「まぁ!キツネくん!なんて事なさるんですか!」
「じ、事故だ事故!わざとじゃない!」
「そんなに見たいなら私が見せて差し上げますのに!」
「まてー!論点がズレてる!」
「うえー!うえー!おに、おにいちゃんに見られたー!
は、恥ずかしいよぉ!!!!」
「ごごご、ごめんて!ごめんってば!(オロオロ)」
「こらーーー!何を騒いどるかーーーーー!」
「ヒ、ヒトミ!?ややこしくなるから出てくるなーーーーーー!」
と、まぁ。
こうして俺の、喧騒に満ちた夜は更けていくのだった。
※ ※ ※
季節はもうすっかり春。
ぽかぽか陽気と官能的な風が、新しい出会いを予感させる。
「キツネくーーーん!」
「にゃーーーーーー!」
「こら!?あんたたち、抜け駆けすなー!」
あ、いや…もう出会いはしばらくいいや。
さりげに擦りより、自然な動作で俺の左腕を取るタヌキさん。
バッ!と勢いよく俺の右腕に飛びつくタマミちゃん。
ギャンギャンとわめきながらその周囲をぐるぐる回るヒトミ。
…こいつら、昨夜の反省はまったく見られないな。
「はぁ…」
と、タメ息をついたその時。
「いーい?一緒よ?一緒に言うんだからね!」
「そんなに念を押さなくても解ってますわよ」
「せーーーーーーーーーのっ!」
『キツネくん!お誕生日、おめでとう!!』
「あ…」
なぁ、第1話で俺が言った事、覚えてるか?
今日は俺の誕生日。
我が木常神社にまつわる秘密が、今夜、親父から明かされるんだ。
まー大したこっちゃないだろう。
眼の前のケモ耳少女たちという現実に比べれば、な。
とにかく。
普段は俺を取りあってケンケンガクガクの面々が、こうして
俺のために一時的とはいえ休戦の上、祝福してくれた。
…どうやらヒトミが音頭を取ってくれたみたいだけど。
となれば、やるべき事はひとつ。
「なんていうか、その…サンキュ」
「わーいわーい♪おにいちゃんに喜んでもらっちゃった!」
「すっかり懐かれてるわねぇ?お、に、い、ちゃ、ん~?」
「いや、その、えっと、ごめんなさい」
「にゃふふん♪」
「あ、こら、てめぇなんだその勝ち誇ったような笑みは!?」
「ヒ、ヒトミさん!?ガラが悪すぎませんかー!?」
「ちょっと!くっつき過ぎじゃありません事!?う、うらやま…」
「にゃふふふ♪」
「なんですの!?その挑戦的な笑みは!!」
と、タマミちゃんを引き離すタヌキさん。その隙に、と。
「ヒトミ、あのさ」
「…な、なに?」
「さんきゅ、な」
「な、なによ…ベ、別にお礼なんて、その」
あ、赤くなった。
「ヒトミがとりなしてくれたんだろ?あの二人
だから、ありがと。嬉しいよ」
「…いつもお騒がせしてるから、ね。
誕生日くらい素直にお祝いしてあげなきゃって」
とても久しぶりにヒトミと普通の会話をしてる気がする。
一方、ケモ耳美少女たちはと言うと…
「大体解ってるんですの?人を好きになるってどういう事か!」
「解ってるよー!べんきょーしてるもん!」
タヌキVS仔猫。
その戦いの行方に暗雲が立ち込めていた!
「そ、そのお勉強の事は言わなくていいんじゃないかなー!?」
「おにいちゃんのベッドの下にあったご本でちゃんと…!」
「わー!?わー!わー!!」
「ど、どうしたの、キツネくん?」
「だからあれは私の参考書だって言ってるじゃありませんか!」
「ち、違う!断じて違ーーーーう!」
「本?参考書?一体なんの話?」
「キツネくんが大切に保管されてる書物の事ですわ!
裸の女の方の写真が一杯載ってて…」
「わー!わー!わー!」
止めてー!許してー!!
「…キツネくん?」
ヒトミの目が怖いよー!!
「やっぱり…お、男の子だもん…ね?そ、そういうの興味ある、よね…」
「ヒ、ヒトミさん?」
「だから!持ってるのはしょうがないけど管理はちゃんとしなさいっ!」
ご無体な!窓から空き巣ばりに不法侵入してくる
タヌキとネコから隠し通せるわけありません!
とまぁ十年一日の如し。変わり映えのしない騒がしい登校風景。
…タマミちゃんが加わってさらに騒々しさをましてはいるが。
※ ※ ※
「あうぅ…着いちゃった」
「ごめんな、授業終わったらまた会えるから、な?」
「うん!ここで待ってるね!じゅぎょー終わったら遊ぼうね!」
「まったくキツネくんはタマミちゃんに甘いんだから…」
「そうですわ!今日の放課後は私とデートする予定だったじゃありませんか」
「はぁ!?なによそれ!き、聞いてないわよキツネくん!」
「お、おれも聞いてない!初耳だ!濡れ衣だ!」
「…だったらいいな♪と思っただけですわ。あ、そうだ!
明日はお休みですし、明日デートしましょう!」
「だから勝手に決めるなー!!!!」
と、その様子を見ていたタマミちゃんは。
「…いいなぁ」
「え?」
「みんな一緒でいいな…あたしは…」
言い掛けて、彼女は身をひるがえす。
「ちょ、ちょっと!タマミちゃん!?」
※ ※ ※
「気になる?タマミちゃんの事」
「うん…なんか寂しそうだったしさ」
「もともと野良猫だもんねぇ…でも、タヌキ理事長は優しいし…
タヌキさんともなんか姉妹みたいにうまくやってるみたいだし…
別にひとりぼっちな訳じゃないわ」
「そうだな」
なんてしみじみやってると。
「えー困りますごめんなさいお返しします申し訳ありません」
廊下からタヌキさんの声。なんだ?謝りまくってるぞ?
「どうしたの?タヌキさん…なにそれ?」
両手一杯に山のような手紙を抱えてるタヌキさん。
「どうしても受け取ってくれって言われまして…お断りしたんですけど」
「それ全部ラブレター?すごいわねぇ」
「皆さんのお気持ちは嬉しいのですが…私にはキツネくんという伴侶が」
「待てコラ、誰が伴侶だと?」
「ヒトミさん?そんな言葉遣いしてるとファンが減りますよ?」
「減ってもいいわよそんなもん、キツネくんがいてくれれば…」
「え?」
「あう…!!わ、わわわ、わた、わたたたたた!」
動揺しすぎだっての。
二人の気持ちはとても嬉しい。でも、俺は…
俺はまだ、答えを出す事が出来ないでいる。
※ ※ ※
そして放課後。
校舎を出た俺たちはむさくるしい男の集団に取り囲まれた。
…って、デジャブ?
「我々はー!タヌキさん親衛隊であーる!」
「そして我々は!ヒトミさんファンクラブのものだ!」
「そ、そして、タマミちゃんを愛でる者たちの同盟、略してTMDだ!」
なんか増えてるしー!
そう、いまや学園内は群雄割拠の状況を呈していた。
タヌキさん派とヒトミ派に加えタマミちゃん派まで現れたようだ。
彼らの共通の敵は、彼らのアイドルたちの意中の人たる…この、俺。
暗黙の了解により、授業中に手出しをしてくる奴はいない。
しかし、放課後ともなれば、俺を狙う連中が現れ出した。
俺がいなければ、彼女らがお前らになびくってか?
そんな訳ないじゃん。いや、それは俺の驕りとかじゃなくてさ。
好きな相手が何者かに危害を加えられたら、その何者かは怒りの対象だろ?
しかし、頭に血が上った連中にはこんな簡単な理屈が通じない。
中には業を煮やして直接彼女たちにアプローチをかけようとする積極派もいる。
タヌキさんが受け取っていた山のようなラブレターはそういう連中からのものだ。
さらに俺への説得や懐柔を試みる穏健派もいるようだが、少数派閥だ。
「タヌキさん親衛隊」を名乗る連中は、実に雑多な集団だ。
各学年が満遍なく、おまけに良く見ると女の子も混じってる。
タヌキさんの可愛さは年齢や性別の垣根も超えるらしい。
「ヒトミさんファンクラブ」を名乗る連中は、主に弓道部員だ。
元々が男子弓道部自体がヒトミのファンクラブ的要素が強いらしいのだ。
ヒトミ目当てで入部してくるヤツが後を絶たないらしい。
そして新参の「タマミちゃんを愛でる者たちの同盟、略してTMD」は。
…ちょっと待て。その「タマミちゃんLOVE」と書かれた鉢巻きは何だ?
ピンク色のおそろいのハッピ、背中には大きなハートマーク、
その中にはにかんだ笑顔のタマミちゃんの写真…っていつ撮ったんだよ?盗撮か!?
「…と、タマミちゃんは?仔猫ちゃんは何処!?」
「ここにいるわけないだろ?彼女はここの生徒じゃない」
「な、なに!?ではこんな所に用は無い!」
男たちのうち、ピンクハッピの面々が俺たちを放置、学外に去って行った。
「あいつら、何をするつもりだ?」
「仔猫ちゃんを捜しにいったんじゃない?」
「大丈夫、かな?」
「そうね、あいつらに何か悪さが出来るとは思わないけど…」
一方、じりじりと包囲を狭めてくる「守る会」の連中。
その光景に、俺はイヤな汗が背中を滴り落ちて行くのを感じていた。
第4話、了。