シスター・ルファはお人好しだ。  
シスターとなった年にすぐさま都を離れ、片田舎で無人となった教会を一人で切り盛りする羽目になったほどだから余程のことだろう。  
 
その年――今から8年前に初めてシスターとあったときのことは覚えている。  
近所のガキ大将と派手に殴り合ったオレの将来を心配した親父に腕を掴まれ教会に連れて行かれたあの日だ。  
 
親父が乱暴に扉を開けた音に驚き瞬いたシスターの大きな目は優しげで下がり気味の眉と相俟って、最初から嫌な感じはしなかった。  
前任の爺さんに比べたら誰でも若いってことになっただろうけど、そういうのを抜きにしてもシスターは意外なほどに若かったし。  
『シスター』を見るのはそれが初めてだったから、指先と顔しか表に出ない黒の衣装が新鮮だった。  
 
オレの素行の悪さをあれやこれやとあげつらった親父が先に帰ってしまい、ふてくされて横を向いたオレの側で神に祈りを捧げ終えたシスターは  
ありがたいお説教を覚悟して俯いたオレに向かって口を開いた。  
 
「ええっと……あなた、胡桃と干し葡萄どちらが好きですか? 頂いた焼き菓子があるんです」  
 
本当はどちらも好きだった。  
それでも菓子に釣られる子供扱いされるのが癪で「いらねぇ」と答えたオレの微妙な心境は多分シスターにはバレてたんだろう。  
 
「そうですか。もし良かったら、協力してもらえませんか? 私一人では食べきることができませんから」  
 
困ったような顔で首を傾げたシスターの言葉に  
あくまでしぶしぶといった様子で手を伸ばしたオレは結局焼き菓子が盛られた皿を空にしてしまったのに  
それを指摘されることはなかった。  
 
「助かりました、…えっと……あぁ、うっかりしていました。   
 ごめんなさい、あなたの名前を聞いていませんでしたね。 私はルファです」  
 
入れて貰った茶を飲みながらシスターと話した。  
言葉遣いが悪いとか、喧嘩っ早いとか、親父は散々に言って帰ったけどオレにはオレの言い分があった。  
言葉遣いはが悪いのは親父もだし、喧嘩だって木こりの息子と馬鹿にされたから思わず手が出ただけだ。  
随分長い間、オレがそんなことを一方的に話して、シスターは黙って聞いていた。  
 
そうこうしてる内に日が沈みそうになって、シスターが家まで送ってくれた。  
村はずれのオレの家まで出向いたシスターに対して、しきりと恐縮しながらシスターとなにやら話している親父の様子が恥ずかしくて、  
先に家の中に入ろうとしたオレの背中にシスターの声がかかる。  
 
「私、この村ではまだ知り合いも少ないんです。 また教会に遊びに来て貰えませんか?」  
「……気が向いたらな」  
 
そう素っ気なく答えたから、ああまた親父に怒鳴られるのかと思ったのに、不思議なことに親父の拳骨は飛んでこなかった。  
 
 
 
『あの子はやさしいんですね。 お父さんが好きだから言葉を真似て、今日だって貴方を悪く言われたから喧嘩になってしまっただけで……』  
 
あの日、シスターが親父にそう言ってくれていたんだと知ったのは  
親父が病気でこの世を去る寸前――今から1年半程前の話だ。  
 
 
「シスター!そろそろ薪が無かったよな――あれ?」  
 
夕暮れの教会。  
いつものように勝手に扉を開け室内に入ると、暖炉の残り火が僅かに燻っているだけで、シスターの姿はなかった。  
薪を届けに、本を借りに、薬草を貰いに、そうやってなにかしらの理由を付けては教会に顔を出すオレの姿は  
シスターの目には菓子が食えるからだと言って教会に通っていた子供の頃のオレと同じように映っているのかもしれない。  
 
床に落ちていた素朴な色の膝掛けを拾い上げ、机の上に伏せられていた本を手に取り頁を捲る。甘ったるくて笑えてくる言葉の羅列。  
 
「……ふーん、やっぱりシスターでもこういうの興味有るんだな」  
 
村の女が好んで読む恋愛小説のことをオレが話題にしたとき、僅かに声が上擦っていたシスター、  
案外シスターもこっそり読んでいるんじゃないかというオレの読みは当たっていた。  
 
8年の間、毎週のように顔を合わせている内になんとなく分かってきたことは他にも色々ある。  
ベールの中身はゆるく三つ編みにされた亜麻色の髪、嘘や世渡りは下手くそで、  
神さまに関係する事以外例えば薬学の知識もあって頭は悪くないみたいなのに、好物のシチューを作るとき3回に1回は焦がしている。  
シスターがこの村にやってきた切っ掛けは都で信頼していた誰かに裏切られたからで、あとは――  
 
「胸が結構でかい……」  
 
ポツリと口に出してから気付く、流石にこれを本人に聞かれるわけにはいかない  
幸い、周囲の様子を窺ってもシスターが戻ってくる気配はなかった。  
 
待ちくたびれて庭へ出てみると外壁の地面に近い場所から溢れる一筋の光に気付いた。  
その小さな窓から半地下にある食堂の中をそっと覗き見る。  
 
 
 
もみあうような物音と、呻き声、そして1年半ほど前からこの村で暮らしている男――ディータの低い声。  
 
あの男は都で人を殺してこの村まで逃げてきた  
村に来てすぐそんな噂が立った理由はディータが身体中に傷跡があり口数の少ない大男だからだ。  
実際に何かされたって訳じゃないのに怖がる村人に向かって、  
 
『大丈夫ですよ。 見た目は怖いかもしれないですけど、彼はやさしい人です』  
 
そう言ってシスターが微笑んだから、ディータは村を追い出されずにすんだ。  
それなのに、よりによってなんでこんなことに――  
 
 

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