「なぁ奈美子よ」
「ん、なに、ゆう兄ちゃん?」
「家が近いからといって、こう毎日入り浸るのはどうかと思うぞ。お前も春から中学生だろ」
奈美子は俺のベッドの上で寝転びながらDVDを見ている。
「いいじゃない、ケチケチしないでよ。90年代のプロレスなんて、他に好きな友達いないし。話合わないもん」
テレビには、俺が生まれる寸前の、新日本プロレスが全盛期と呼ばれる頃の映像が流れ続けている。
ふわっとした、薄い生地のスカートを履いた美奈子は、ベッドの上で腹ばいになり、足をばたつかせながら顔だけテレビのほうを見つめている。
「ん〜!ムトーケイジってかっこいいよねえ!私中学生になったら柔道部に入ろうかなあ!そんでブレーンバスターとか卍固めとか習うの」
「それはたぶん…何かの反則になると思う」
「えーそうなのォ」
奈美子はあからさまにがっかりした表情を見せた。
俺も柔道に詳しい訳じゃないけど、オリンピックの中継でそんなことをしている選手はいなかったはずだ。
「…ね、ゆう兄ちゃん、ちょっとちょっと、こっちきて」
「なんだよ」
「隙アリっ!とうっ!」
ベッドへ近づくと、不意に体がぐらついて、顔面から布団に突っ込んだ。
奈美子が腰を挟むようにしてカニバサミを仕掛けてきたのだ。
「わっ」
「へへー、さらにとうっ!」
奈美子は素早い動きで、俺の両足をとり、自分の両足に絡めるようにした。
俺の右足を自分の足に巻きつけ、右足首が左膝の上にくるようロックする。これで奈美子が後ろへ倒れれば――
「四の字固めぇ!」
「イテテテテッ!なにするんだよ!」
「これなら柔道にもあるよね?袈裟固め、上四方固め、足四の字固め」
「無ぇよ、ねえ!」
「えー、これもないの!なにそれ!!(バターン」
「俺に言うな!イデデデッ!!」
むっつり顔の奈美子は、何度も後ろへ倒れながら、両手をベッドに叩きつける。
倒れるたびに、両足に痺れるような痛みが走る。
はやくロープに逃れたいが、残念ながらベッドにロープはない。
それにしてもガッチリ極っている。
女だてらにこうまで完璧な足四の字を極められるとは、英才教育を施した甲斐があった。
だが師匠役としてはいつまでもやられているわけにはいかない。
攻撃を受けたら倍にして返すのがプロレスであり、風車の理論だ。
「調子に…乗るなあ!」
「キャッ」
痛みに耐えて上半身をねじり、続いて下半身も回転させる。
体重の軽い奈美子の体はあっさりとひっくり返った。
「いたい、いたい!ゆう兄ちゃんいたい!」
奈美子が痛がっている隙に足をほどき、短いくるぶしソックスを履いた奈美子の足首をとる。
足首を捻りながら倒し、手で固定。さらにそれを跨ぐようにして――
「スピニング・トゥー・ホールドッ!?」
「甘いッ!」
スカートの裾を押さえようとして奈美子の対応が遅れている間に、今度は奈美子の両足をとり、自分の足をその間にあてがう。
「キャハハ!なになに、なにする気〜!?」
奈美子は抵抗しながらも、ワクワクした瞳で俺を見上げる。
小さい頃から奈美子との遊びといえばプロレスごっこだった。布団の上で間接技、プールでのスープレックス、雪が積もった田んぼの上へジャイアントスイング。
いろんな技をかけられては、奈美子は大喜びして笑っていた。
「EVM…」
「いーぶいえむ?」
「Electrical Vibration Massage …。つまり、電気あんまだ!」
右足を小刻みに、しかし全力で振動させる。
「ぎゃぁああああハハハハハハハ!アハッ、やめてよぉ!アハハハハハ!!それ、反則ゥ…!」
奈美子はめくり上がりそうになるスカートを両手で必死に押さえながら、しかし大声を上げて笑っている。
そういえばずいぶん昔にもこの技をかけたことがあって、そのときも奈美子は大喜びして嬌声をあげていた。
あれはちょうど奈美子が小学校に上がる頃だったように思う。
そういえばこの技は長らくこのプロレスごっこで封印していたのだった。
なぜ封印したのだろう。
こんなに喜んでいるのに。
「アハッ…ちょっ…ちょっとほんとにやめて…あひゃひゃひゃひゃ…!だめぇ…ヤバイぃ…!!」
「うるせえ」
さらに振動を強くする。
「いゃぇやひゃひゃひゃ!ぎゃめ、りゃめぇ、ほんとにらめなんらってら、ひゃめてって!ぇぇえへへへへへ」
「そんなに喜んでるくせになにがやめてだよ、ホラホラ」
「ちがっ…ちぎゃうのぉ…ほんとに…ほんとォにぃ…!」
「あっそうなの?」
奈美子の尋常でない様子に、いったん足を外してやる。
.
「あははぁ…はぁ…はぁ…ふぅ…」
「と、見せかけてドーン」
「ぎゃひゃあ―――――っ!!ばひゃひゃひゃびゃびゃ!ゆっ、ゆうにぃ、にぃちゃっ、ばかっ、ばひゃあ…!」
いったん安心をさせ隙を作った瞬間にそれまで以上に強い刺激を与えてやる。
思惑通り、奈美子はいっそう高い笑い声を上げている。
全身がけいれんしているような激しい笑い方で、見てるこっちも愉快になってくる。
スカートがめくりあがり、小学生らしい綿のパンツが丸見えになっているのに、奈美子はもうスカートを押さえようともしないで、顔を枕にうずめるようにして笑いをこらえている(全然こらえきれてはない)。
「あひゃ…あひゃ…あは…ゆうにぃ、の、ばかぁ…」
すっかり息が切れている。ばかと言われて少しムッときた。挑発には素直に答えるのがプロレスラー。正しいストロングスタイルだ。
「誰がバカだって?」
もう一度右足に力を込めた瞬間――
「ごめっ、ごめなさ、さぁははひゃひゃひゃ!ひゃ…んっ…んんっ!……あっ」
奈美子から小さい声が漏れた。
そして、右足の裏に、温かな感触がじわりと――しかし素早く広がっていった。
あっ、である。
俺も思い出した、この技、EVMを封印していたわけを――
「奈美子…お前、漏らしてんの?」
体を仰向けにし、顔を両腕で隠している。
息は荒く、頬はすっかりピンク色に上気している。
返事はなかった。
愚問であった。
薄灰色の染みは今にも奈美子のパンツから、スカート、俺の靴下、そしてベッドへと広がって、濡らしている。
「だからぁ…言った…のにィ…ばかぁ…」
息も絶え絶えに奈美子は口を小さく動かした。
細かく肩を震わせている。
羞恥に耐えきれず泣いているのかもしれない。
.
――これは悪いことをしてしまった。
「ごめんな、調子に乗りすぎた。すぐ着替えような、シャワーも浴びて。いま準備するから」
そうだ、六年前もこうして、俺は粗相をした奈美子の世話をしてやった。
だんだん思い出してきた。そうだ、あの頃と同じように、いまも、俺はこいつのお兄ちゃんでありつづけている。
その変わらない関係性に、すこし苛立っていたのかもしれない。だからこうして、変わらないなら、畜生、同じようにやってやると思って――
「ごめん。やりすぎたよな。謝る」
「ヒック…ヒック…謝るなら…許してあげるぅ…」
ああ、六年前はたしか、謝っても許してくれなかった。こいつも成長しているのだ。
「ありがとな。ホラ、こんなぐちょ濡れのままだと風邪引くぞ。上着脱いで」
「うん…」
「大丈夫大丈夫、ホラ、泣くな」
「うん…」
こうしていると、すっかり昔に戻ったみたいだ。
「布団は片付けるから。ホラ腰浮かせて、パンツ脱がすぞ」
「うん…――!?」
そうそう、昔もこうして、泣きわめく奈美子のパンツを脱がして、洗濯してやったっけ――
「うんじゃないよこの馬鹿ぁあ!? どっ、ド変態!」
パンツを脱がそうとする俺の頭上から、怒号とカカト落としが降ってきた。
「ゴベラッ!」
「パ、パ、パンツくらい自分で脱げるもん!バカ!エッチ!変態!」
「ちが、違う!俺はあくまで親切で!見てない!中は見てないから――!」
「当たり前だこの変態変態ド変態!」
.
弁解しようとするが奈美子の弓を引くナックルアローが次々と飛んでくる。
さらに奈美子が立ち上がろうとしたとき、すでに膝まで下ろされていたパンツが奈美子自身の邪魔をして――
「きゃあっ!」
バランスを崩し、思いきり、転んだ。
これは不可抗力だと改めて言っておきたい。
俺はガードポジションをとろうと防戦一方だったのだ。
だからそこに、目の前に、奈美子のあらわな股間が突然に開陳されても、それは俺にはいかんともしがたいことだと思わないか。
奈美子は固まっている。こちらに尻を向けて、いま自分がどういうことになっているのか理解し、恥ずかしさでどうしようもなくなっているのだろう。そこで俺は小さな発見をする。
「あっ、お前もう毛が生えて――」
言葉の途中で髪の毛を捕まれ、振り上げられ、反動をつけて太ももに叩きつけられた。ココナッツ・クラッシュ。
「…いま生えかけだっ!」
(それは怒りの台詞として正しいのか――?)
言葉にはならなかった。俺はそのまましっとりと濡れたベッドに倒れこんだ。
ベッドからは、ほんの少し、春の香りがした。
<尿>
もとい
<了>