≪ヌール・ジャハーン≫  
 
「ふぅ……」  
豪勢な城の一郭にある、この部屋の主は溜息をついて、椅子に腰掛けた。  
質素ではあるが、気品のある造りをしてあるこの部屋の主の名は、シア=グァンヒート。この部屋だけ 
ではない、この城もこの国も彼の物である。  
日は暮れかかり、空が青空と夕焼けの混じった薄紫色をしていた。  
政務を終えた彼は、先日手に入れた東国の書物に目を通していた。  
(君子も生まれ異なるにあらず、よく物に仮るなり。)  
(物のはなはだ至るものにして、人妖はすなわち畏るべし。)  
(君は船なり、庶人は水なり。)  
職業柄、王であるシアは帝王学や政治学についての書物をよく読む。  
もっともコレは遺伝かもしれない。先代、イシェル王も無類の読書好きで、この国の図書館は大陸一で 
あると言われている。  
イシェル王本人も、その万巻の書物から得た知識と、本人の経験を照らし合わせ、兵書・経書の類をい 
くつか残している。  
本の半ばをすぎたその時、  
「兄貴ィ!ヘルプミィー!!」  
「………」  
シアはしおりを挟んで本を閉じた後、うんざりとした表情で、突然の訪問者に向き合った。  
「……とりあえず、何で窓から入ってきたか聞こうか?」  
「近いから」  
「………」  
「いちいち衛兵とかに声かけるのもめんどいしなぁ……」  
「………」  
「あ、でもよ、警備ヌルすぎるぜ? 仮にも一国の王の部屋に、こうも簡単に侵入されるようじゃマズ 
いっしょ」  
「………」  
 
この男の名はヴェルンスト=グアンヒート。その姓の示すとおり、この国の王族である。  
一見20代前半位の青年に見えるが、シアのすぐ下の弟である。彼はハーフエルフなのだ。  
彼は27人いる弟・妹の中で、シアと最も仲のよい兄弟の一人だ。歳が近いということもあるが、実直 
で穏和なシアと、豪放で闊達なヴェルの性格が巧く合ったのだろう  
「……で、何の用だ?」  
とはいっても、大体の予想はついているシアである。  
「ミーナが実家に帰ちまってよぉ……」  
ミーナとは彼の妻の名である。さらにいうと彼女は、バトゥ=クルスアルトの娘であった。  
「またか…。いいかヴェル、遠く東国の言葉に“夫婦喧嘩は犬も食わぬ”とある。意味は察して言うまい」  
「…いや、ちょっと今回はまずい感じで……」  
「悪いと思ってるなら、とっとと謝ってくればいいだろう」  
「いや!俺は悪かぁねぇぞ!!」  
「どうかな?しょっちゅう放浪の旅に出で、帰ってきたら帰ってきたで、街に出て酒場でどんちゃん騒 
ぎ、おまけに三度の飯より女性を口説くが大好きなヴェル君の事だからな」  
肩をそびやかし、鼻で笑うように喋るシア。  
「女性を口説くのは男の礼儀ってもんだぜ!人生には潤いと刺激が必要なのよ!」  
「おまえの刺激はミーナの雷だろうが……」  
「あにぃ!だいたい口説くったて、その後どうこうしたことは一度もねぇぞ!」  
「ホント、それが我が家の七不思議の一つだよ…」  
シアが結局、仲裁をしなければならないか…と思い始めた時、ヴェルはとんでも無いことを言い出した。  
「でな、何で俺が悪くないのに兄貴の所来たかっていうと……」  
(やれやれ、まだ言うか…。ミーナも大変だな)  
「……喧嘩した時にな、こう…つい、言っちまって…」  
「何を?」  
「“バトゥの親父さんが国を持てたのも、俺の親父のおかげじゃねぇか! その気があったら親父がそ 
のまま国をパクってもよかったんだぜ! 偉そうにすんなっ!!……って」  
「ッ!!?」  
次の瞬間、シアはおもいっきりヴェルの顔面をグーで殴り、大声で馬車の用意をするよう叫んでいた。  
 
 
閲覧の間へと、ヴェルを文字どうり引きずってかける。  
「宗主っ!この度は我が方の愚弟が……」  
「おう、そろそろ来る頃だと思っていたぞ」  
余裕が無いシアとは対照的に、ほがらかに話すバトゥ王。  
「この度の暴言、この者の首とダリア地方三郡の地をもって謝罪したいと……」  
「ちょっとまてぇ! 首ぃ!?」  
頭を押さえつけられ、無理矢理頭を下げさせられていたヴェルが抗議の声をあげる。  
「ハッハッハ……その様な事はしなくてよい。喧嘩の理由も聞いておる。あれは家の馬鹿娘が悪いのだ」  
「いえ、その様なこと……。それに暴言を吐いたこと、許されることではありませぬ」  
「何を言う。ヴェルの言うとおりではないか。私の才はイシェルに遠く及ぶまい。本当にイシェルが王 
になった方が、国民の為になったかもしれんな」  
「何をおっしゃいます。宗主には人を統べる才があります。何十、何百万の兵を統べる将器などは、将 
を統べる才に及びもつきません」  
「ほぅ……似るものだな。イシェルも昔同じようなことを言っておった」  
「………」  
「まぁ、今回のことはよい。今ちょうどシエルが帰ってきているのだ、今日の食事は楽しくなろう」  
父の名を出して沈黙したシアを察して、バトゥは話を変えた。  
シエルというのは先の乱でバトゥやイシェルと共に戦った女剣士のことである。乱の後は武者修行と称 
して旅に出たのだが、各国を回って情報を集めてるスパイではないかという説も噂されている。  
 
 
 
「…………」  
シアは馬車の中から、夕日を受けて黄金色に輝く小麦畑を見ていた。  
「……なぁ兄貴、今回の事、悪かったな」  
向かいに座っているヴェルが声をかけた。  
バトゥ王のグァンヒート家に対する寵愛を妬ましく思っている朝臣も多い。それにグァンヒートの国は 
強くなりすぎたと思う。そんなことが判らないヴェルでないから、シアに報告したのだ。  
 
「……ふっ、なに、お前が厄介ごとを起こすのはいつものことじゃないか」  
「……国を継ぐの、大変かい?」  
「忙しくて、その様な事考えてる余裕もない」  
「嘘だね」  
「判るか?」  
「俺だからね」  
秋の風がシアの顔をなでた。シアはヴェルに向かい合って、少し笑った。  
「いい加減、所帯持ったらどうだい?」  
国后の座は今、空位だ。  
「いきなり何を……子はいるんだ問題ない」  
「ミリアちゃんの事、忘れられない?」  
「まさか」  
ミリアはバトゥの娘で、シアが20になったとき婚約者としてやって来た。婚約者といっても10才で 
あった。  
バトゥには他にもっと年頃の娘がいるだろうに…と当時は皆噂したものだが、どうやらバトゥは娘のな 
かで最も英明な娘を選んだらしい。とても10才とは思えない立ち居振る舞いだった。  
「でも、結構気に入ってたろう?」  
「後五年していたら、どうだったか判らんがな」  
彼女は、その美しいつぼみを咲かせることなく、2年後、12才の若さで死んだ。  
「結局、ミリアちゃんがいなくなって、兄貴はお袋にまたお熱をあげることになったって訳だ」  
「それもわかるのか?」  
シアは嫌そうな顔をした。それはそうだろう、名誉なことではない。  
「寝言で“義母上”と呟いたのを聞いた女性が何人もいるんだがねぇ」  
「何!?」  
「あぁ、大丈夫、揉み消しておいた」  
「………」  
シアは目の前の弟を探るように見た。自分が義母を無理矢理押し倒したことを、この男は知ってるので 
はないかと。  
「俺は兄貴に兄貴以上になって欲しくはないがねぇ……」  
「………」  
今度はヴェルが窓の外を眺めた。  
 
「……親父はすげぇよ」  
暫く沈黙が続いたあとヴェルが呟いた。  
「ああ」  
その言葉の真意は判らないが、シアは素直な気持ちを答えた。  
「いや…兄貴と俺の感じ方は違うさ」  
「?」  
「兄貴は英雄の親父に押しつぶされそうなのかもしれないけどよ、俺はもっと簡単だ」  
「……」  
外はもう暗くなっている。  
「お袋はエルフだった……。人より長く生きる。俺だってそうさ。だから…愛したらつらくなるじゃな 
いか」  
「ヴェル……」  
 
 
 
 
シアは久しぶりに鎧を着ていた。豪奢な造りの鎧は久しぶりでなくとも重く感じる。  
「兄さんっ!」  
「イテルアか? 何の用だ?」  
シアの前に現れたのは黒髪の凛とした女性だった。シアの妹である。母は人間だ。  
「何故軍を動かすのです!」  
「我が国の使者に失礼な振る舞いがあった」  
「外交で済む問題と聞いております。それに、大国は小国を攻めるものではありません」  
討論をしながらもシアは鎧を着け終わり、腰に剣を帯びた。  
「イテルアはそんなに政に詳しかったかな?」  
イテルアはシアの言うとおり、政治に口出すタイプではなかった。彼女は芸術面では高い評価を得てい 
るが。  
「義母上かな? イテルアにそう吹き込んだのは?」  
そう言いながら、直接自分に抗議してもらえないことがシアには悲しかった。  
「そ、それは……。しかし、今回の件、兄さんが間違っているということは私にも分かります!」  
「ここ数十年、平和で、軍隊など動かしたこと無いから、我が国がまだ、強勢であることを、知らしめ 
なければ、ならないのだよ、わかったか? イテルア」  
鎧の点検で体中を動かしながらシアは、思いついた言い訳を説明した。  
(ヴェルなら、俺の心中をきっかり言い当てるんだろうな)  
剣を数回振ったあと、鞘に納めながらシアは思った。  
 
 
 
 
シアは後悔していた。  
(忘れていた…戦場の悲惨さを)  
幼い頃、父に従って見た戦場……自分ではその光景を作ってはならないと決めたのに……  
廃墟が続く道を歩く。焦げた木片が足下で砕ける。  
「兵士が暴走したとは聞かなかったが?」  
シアは虚しく秘書官に聞く。  
「この程度は仕方ありません」  
秘書官は事務的に答える。  
「だろうな。……ジンバ兄弟を呼べ、司令官に命じる」  
ジンバ兄弟はイシェルの代からの宿将で、兄は猛将、弟は謀将として知られていたが、今回の戦いには 
高齢の為、参加していない。  
「宜しいので?」  
秘書官は確認した。高齢の為というのは口実で、軍部の世代交代を狙っているのは周知の事実だった。  
それは成功していて、ジンバ兄弟を起用する必要はないように思えたのだ。  
また、シアが父の代の臣下を使いたくないという気持ちも汲んでいる。  
「なるべく早く終わらせたい。皆には言えぬが、私が間違っていた。……しばらく一人で歩きたい」  
「はっ」  
秘書官は深々と頭を下げて、素早く立ち去った。  
「………」  
(もう、誰もいないか……ん?)  
シアは瓦礫にうずくまる少女を見つけた。頭をスカーフで隠している。  
「……あ」  
少女はシアが自分に気づいたことを察し、身を少し引いた。  
シアはその行動に寂しい顔を見せる。  
「そんなに警戒しなくていい。向こうに軍が駐留していて、食事や衣服を供給している。行こう。すま 
ないな、私のせいだ」  
そう言って少女の手を取って起きあがらせると、少女のスカーフが落ちた。  
「ツノ?」  
そう、ツノだ。少女の頭には小さなツノがあった。  
 
「……あ」  
少女が小さな悲鳴をあげている間にシアは落ちたスカーフを拾って  
「人間じゃ無いのか? 隠したほうがいいのか?」  
そういってスカーフを差し出す。  
「は、半分……」  
「? ああ、人間のほうな。ということはハーフか?」  
少女は受け取ったスカーフを胸のあたりに置いて答えた。  
「はい、母が雷獣で」  
「雷獣? 珍しいな」  
成る程、そういえば少女の八重歯は鋭いように思える。もっともその容姿と相まって、鋭いというより 
は可愛らしいというのが合ってる気がする。  
「雷獣というのは信心深いのか?」  
スカーフと一緒に握られている十字架を見つけてシアは聞いた。  
「いえ、父が神父ですので」  
「ほぅ」  
「おかしな組み合わせでしょ? そう思いません?」  
シアの態度に敵意はないと少女は感じたか、ようやく笑ってくれた。  
「いいや、いいじゃないか。私の国の国母もエルフだぞ? 美人の」  
シアも微笑みながら話した。  
「見たことあります」  
「そうか。……ところで、その、君の父君は…」  
気まずくなるとは思いながらもシアは訪ねた。  
「戦争が起こっている方に……。少しでも傷ついている人を助ければと。便りはありませんが、きっと 
無事だと」  
「そうか。母君は?」  
「私が五歳の時に出ていきました。酷いひと」  
酷い人っと言った少女の顔は、本当に憎い人を話す顔じゃない気がシアにはした。  
 
「母との思い出は辛いか?」  
「いえ……とても優しい思い出ばかり。だから一層嫌い」  
「それなら、好きで出ていったのではないのかもしれんな、君の母上は。君もそう思っているんじゃな 
いのか?」  
シアの言葉に戸惑いを見せる少女。  
「種族が違うのは大変だろう? それに、優しい記憶があるならそう思った方がいいじゃないか」  
「……ありがとうござます」  
少女の気持ちが晴れたことががわかる。シアはこの少女に惹かれているのではないかと感じた。  
「読み書きは出来るか?」  
「え? はい。まぁ…」  
「神父の娘だものな」  
少女がシアの謎の問いにキョトンとしていると、向こうからローブに身を包んだ文官らしき人がやって 
来た。  
「陛下! 探しましたよ」  
「いいところに来た。確か秘書官の席、一人空いていたろう? 彼女を入れて欲しい」  
「この少女をですか……はい、分かりました」  
シアの顔から、もう決まったことだ という意志を感じて、秘書官はすぐに承諾した。  
「名乗りが遅れたな。私の名はシア=グァンヒートと言う」  
シアは名前だけを名乗った。  
「えっ…あの、それって……」  
「秘書官の話、受けてくれるな? こんな事しても、私の自己満足かも知れないが、それでも私の心は 
安まるんだ。それに、君には私の隣にいて欲しいな」  
そう言って笑う姿が父に似ていることをシアは気づいているだろうか?  
冬が過ぎ、春の匂いが焦げ付いた街にやって来た頃、二人は出会ったのだった。  
 

Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!