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     ヒエクスの末の一柱が氏族、銀なる針の森のルクディアンサ。 
     マルコ・サイアスは、かつて存在したそのオオカミの氏族が一部族の末の王子だった。 
     本当の名は、ルン・ウパシノチウ・ルクディアンサ・ヒエクシノゥエ。 
     ……最早捨てた、誰も呼ぶ事のない名前ではあるが。 
 
 
 重斧を構えて疾走しながら、回転させる刃先から単発の火線を絶え間なく飛ばす。 
 反対側からはアイニィが、自分のジンに無数の礫を打たせているが。 
(…くそったれが!) 
 やはりというか、いずれも一つとて当たらない。 
 ただでさえ音も空気も、表情さえ動かさずにちょこまか変則的に動くところに、 
 辛うじて射線上に捉えたと思った一撃も、おかしな軌道を描いて背後の林へと消えていく。 
 ……いや、消えていくどころか。 
 
「っ!」 
 いずれも微かに軌道を変えて。 
 自分が飛び退いたその地点を、アイニィの放った礫が抉り、 
 こちらが放った火線は逆に、アイニィを守るように飛び出た砂壁に当たり爆ぜる。 
(…っきしょう!!) 
 残り二人、挟み打ちにとしたつもりだったが、 
 それでもまだあの化物は、とことんこちらの互いを盾に、武器にと利用する算段らしい。 
 両挟みという有利なポジションを取ったつもりが、 
 途端に何か間違った戦略を選んでしまったようにも思え始めて、心も揺らぐ。 
 
 だが。 
 あらゆる攻撃、あらゆる音を、いかな状況でも無とする事ができるわけでは。 
 ……決して敵は無敵ではないと、その事はマルコにも何となく確信の持てる事だった。 
 失敗に終わったとは言え、先刻の大剣の一撃を受け止めた時が、その証拠。 
 
 剣戟の乾音すらも吸収してしまうあの闇が、始めて音を立てて剣を受け流した。 
 その瞬間確かに少し、敵が焦っていたようにも見えたのは、こちらの気のせいか? 
 …否、気のせいでなかったとしても、最早それに賭けるしかない。 
 
 おそらく敵が逸らせる攻撃の量には限界があり、一度に為せる作業の量にも限界がある。 
 消耗して追い詰めた所に、密度の高い、逸らせぬ程の重く大きな一撃を叩き込めば。 
 その時こそ、あの化物の操る妙ちきりんなガードはたわんで砕け。 
 幻像の闇を突き抜けた痛打は、生身の肉を裂き瞬時に絶命へと至らすだろう。 
 
 
 ……だが、だからこそ。 
(ッチ!) 
 斧の刃先から火線を放ち、あるいは反転させて氷柱を放ち。 
 けれど元々大技の、広域爆撃にしか使ってこなかった事を、今更後悔しようともう遅く。 
 
 …弓矢と似たようなものだと思っていたが、意外と思った場所に正確に飛んでくれない。 
 大技は放ててあと数発で、小出しにしたとて、いずれは魔力に限りも来よう。 
 …精密射撃の練習をしておけばと思うのは、武の民オオカミにしては、おかしいだろうか? 
 
 ──いかに魔力が高く豊富で、強力な火球を作れるとしても、 
 実戦でそれをマトに当てられないのなら、その魔法使いは結局戦場では役立たずだ。 
 事実、そうやってろくに動くマトに魔法を命中させる練習もした事がないような輩を。 
 研究室の中の理論技術と知識だけで、自分の実力を勘違いしたような、 
 自称『大魔法使い』の偉そうなセンセイ方を、彼は何人も屠って来た。 
 判り易い程の予備動作で、単調直線な動きの火球をやたらめったらに放つだけの者や。 
 酷いのになると、状況把握の仕方や間合いの取り方も分からずに、 
 突っ立って(おそらく発動すれば凄いのであろう)魔法を必死で唱えているところを、 
 あっさり心臓に矢を食らって昇天なされたジイ様も居た。 
 
 そんな愚者達をせせら笑い、だからこそ戦場(いくさば)での魔法を軽く見ていた彼だったが、 
 まさか自分が彼らと同じ、自らの錬度不足を嘆く身の上に陥ろうとは皮肉な話。 
 舌打ちして、手の汗に滑る斧の柄を握り直し―― 
 
 
     もう90年近くも前、彼が9つの誕生日を迎えてすぐ、故郷の集落が襲撃された。 
     相手はそれを『北伐』と称した、イヌの王国の遠征軍。 
     当時まだそれ程の力を持っていなかったが、その辺りの盟主だったビレトゥスは、 
     何故か交わされた血の誓いに反し、自分達を助けに来てはくれなかった。 
 
     男達は殺され、女達も捕らえられ、特に族長であった彼の家族はことごとく。 
     下の二人の姉と、そして男では唯一彼だけを除き、皆がその場で首を落とされた。 
     彼ら三人だけが殺されなかったのは、勿論子供だからという事もあろうが、 
     本当は族長の子というだけあって美しかった銀の毛色と優れた容姿に、 
     『戦利品』としての価値を見出されたに過ぎない。 
     …目の前で両親祖父母、上の兄姉が殺された姿は、今でも時々夢に見る。 
 
     そして姉二人とは比べて低く、それでも同様な男児と比べては相当の高値で、 
     彼が売られたのは王都の場末、幼い男児を専門に扱った春売りの店。 
 
     ――9つから15までの六年間、そこで彼は、『地獄』を知った。 
 
     もっぱら相手だったのは、マダラやヒトの高級男娼を抱く金も無い、 
     そのくせ趣味だけは一人前に腐った、王都の下級軍人や役人達。 
     『拷問』の仕方や、『調教』の仕方を、身をもって覚えたのもこの時だ。 
     イヌをイヌとも思わない、過酷な就労環境と、客達が要求するイカれたプレイに、 
     短い者は1年も、長い者では3年と経たず、病や性病で死んで行き。 
 
     …それでもイヌよりも更に頑丈な体の故か、 
     銀の毛並と整った容姿に、オオカミと言えども客寄せとして優遇されたからか、 
     とにかく彼は六年間、奇跡的にそんなこの世の地獄を生き伸びた。 
     しかしそんな彼を待っていたのは―― 
 
 
 ――握り直し、ほんの少しだけ目を手元にずらしたその瞬間。 
 黒い翻りは音も無く眼前へと迫り、無音でもってその剣を上段から振り下ろし掛けていた。 
 身に染み付いた経験が、何か思うよりも真っ先に反応して体を動かす。 
 …それが無ければおそらくは、次の瞬間に彼の命は無かっただろう。 
 
 …ただ、それでも。 
 それでも斧の柄で受けた瞬間、ガキンッ とも ギィンッ とも鳴るわけでもなく…… 
 ……それなのに、異常に『重たい』その斬撃に、 
 不意というか予想の外を突かれて、よろけて体勢を崩しかけたのは事実だった。 
 
(こっ……) 
 音もなく、空を切って迫るでもなし。 
 だからいつの間にか、羽根の様に軽い一撃なのだろうとタカを括っていたら、 
 やってきたのはとんでもない重圧、押しつぶされるような圧力で。 
 たたらを踏みながら、それでも頭目としての意地で体勢を整え直し、 
 同時に「これがか」と手品の種明かしでも見たかのように、妙な合点がいく物があった。 
 
 斬り返された二手目を受けた時も、同様に無音。 
 続けて跳ね上げられた三手目を斧の刃部で受けた時も、また同様に無音。 
 ……しかしそのいずれも、何かにのしかかられたかのように重い一撃であって、 
 しかも良く見れば得物と得物がぶつかり合う際、きっちり巨大な火花が散っている。 
「ぐ…っ」 
 それに気を取られて受け損なった四手目に、浅く左腕を切り裂かれる。 
 
 
 ――どんな魔法を使っているのかは知らないが。 
 無音の斬撃を放つのではなく、有音の斬撃を放ちながら音を吸い取っているのだと。 
 空気抵抗を無視して動くのではなく、空気の動きがない様に見せかけているだけなのだと。 
 同じように魔法を用いて匂いを消して、魔法を用いて生命特有の気配を極限まで殺し。 
 
 …ああ、でもそれで相手が化物ではなく、生身のイヌだと知れた所で、どうなるものか。 
 二度、三度、狂わされた調子と感覚を嘲笑うかのように、伸びた斬撃が血煙を作り。 
 ……まだ化け物であってくれた方がと、そう思いさえするというもの。 
 
 
 視、聴、触、嗅、味の五に加えて、動物的直感たる第六感に、魔覚と呼ばれる第七感。 
 優れた武人であればあるほど、全てを駆使して戦いに挑むが。 
 ……思い知らされたのは、いかに自分が『視覚』以外の他の感覚に頼り、 
 依存して戦いを行っていたのか、今の今まで全く気がついて来なかったその事実。 
 
「…っ」 
 剣と剣とがぶつかり合った時の、金属と金属が擦り合わされる音。 
 その音があるから、そちらを注視していなくてもぶつかった瞬間や衝撃の大きさが判るし、 
 合わせる為のタイミング、押し返す為に必要な力の度合いも推し量る事が出来る。 
「ぐっ」 
 得物が振られる時の空を切る音と、それによって生じる風圧。 
 それがあるから、背後からの攻撃の感知や、訪れる攻撃への身構えもする事が出来る。 
「がっ!」 
 同じように地を蹴る音と、何か大きな物体が動く風圧。 
 それがあるから、視界の中に無い相手の位置や、相手の次の動きの予測なども。 
「ぐぅっ!」 
 血、脂、鋼、鉄と鉄とが擦れ合う、そんな匂いや味だって、実は大事で。 
 
 ――なのにそれらが全てが、『こいつ』相手では当てに出来ず。 
 
 
     成長期に入り、背と肩幅が大きく、柔らかかった肉が硬く、声は太く。 
     目尻が鋭くなり、柔らかく細かった産毛が硬質で太いものに変わって来たある日。 
 
     半殺しになるまで暴行を加えられた後、冬のスラムへと打ち捨てられた。 
 
     直接手を掛ける程には度胸も無いし、何よりも後味が悪いので。 
     だから適度に痛めつけて、真冬の貧民街へと放り出し、 
     ……そうすれば心が痛まない、勝手に野垂れ死んだのはあいつのせいだと。 
 
     それが散々酷使しておいての、身請けされる事無く旬を過ぎてしまった 
     少年男娼に対する店側の仕打ち、あまりにも勝手な常套手段だった。 
     …実際、おそらくそうやって何人もの彼のような子供が、 
     冬の夜空に打ち捨てられて、ストリートチルドレン同士の抗争で命を落とした少年や、 
     あるいは餓死した浮浪児として扱われ、省みられる事無く死んでいったのだろうが。 
 
     ――だけど、彼は生き延びた。 
     ――生き延び、そして始めて、人を殺した。 
 
     着のみ着のままで寒さと痛みに震える彼の前を、人通りの少なくなった大通り、 
     大した金も持ってなさそうな、だけど折詰めを持って暖かそうなコートとマフラーを着た、 
     一人の酔っ払いのイヌが通りかかったのだ。 
 
     ……裏路地に引きずり込んで、マフラーで首を絞めて殺した。 
     とにかく必死で、そして笑っていたようにも思う。 
     コートとマフラーに身を包んで、ガツガツと居酒屋の残り物を喰らい、 
     そう言えば財布はとゴソゴソまさぐったコートのポケットの中、 
     手に当たったのがその一枚の身分証明書。 
 
     ――『マルコ・サイアス』―― 
 
     決めた、と笑った少年の笑みは、だけどとても昏く深くて。 
     「あにさま」「あねさま」と、とてとてと上の兄姉の後ろをついて回り、 
     撫でられる度にえへへえへへと笑っていた少年の姿は、もうどこにも無く。 
 
     地獄の中でたった一つだけ、体に刻み込まれるようにして覚えた智慧。 
     ……『世界は腐っている』という、唯一の真理。 
 
     だって言ったのだ。 
     彼の横面を抑えつけて、尻の穴に肉棒を抜き差ししながらハウンド《軍の犬》共が。 
     周辺諸国への警戒感から、氏族統一の機運を見せるオオカミの国。 
     それに従わず、辺境部の諸氏族を抑えつけて抵抗する、古く強い氏族ビレトゥス。 
     そして北伐でオオカミの領土をこそぎ取って来た、統一を快く思わないイヌの国。 
 
     大打撃に力を失ったルクディアンサは、結局その後ビレトゥスに吸収・併合され。 
     しつこく北伐を繰り返すイヌの国は、何故かビレトゥスだけは攻めようとしない。 
     それどころかイヌの国の大貴族の娘が、ビレトゥスの若き新氏族長に嫁いだとさえ。 
 
     …子供でだって、判るというものだった。 
     古き血の盟約にも関わらず、どうしてビレトゥスがルクディアンサを見殺しにしたのか。 
     裏で一体、どんな取引があったのか。 
 
     汚い。汚い。『国家』は汚い。醜い。醜い。『社会』は醜い。『権力』は醜い。 
 
     蛮族制圧を理由に、少しでも狼国から鉱産資源をこそぎ取りたいだけのイヌの国も。 
     血の盟約、同胞を捨てても自分達の権力強化を望んだ、裏切り者のビレトゥスも。 
     ……いや、それだけではない。 
     そもそもそのきっかけ、氏族統一だなんて余計な事を始めてくれたオオカミの国も。 
     そんな統一機運の一因、自分達だけ良ければ良い北の引き篭もりのウサギ共も。 
     逆に犬国に資源確保へと向かわせた一因、南の金儲けしか頭にないネコ共も。 
 
     踏み潰された者達の上で、何も知らずに豊かで平和に飢えも寒さも無く生きる者達。 
     さも自分は何も悪い事なんてしてませんよと、屍の上の安穏に幸福を満喫する奴ら。 
 
     ……子供心に おもいしらせてやろうと 思ったのだ。 
     ……そんな しあわせのために どだいにされた しかばねたちの にくしみを。 
 
 
「……ハッ、ハッ、ハッ…」 
 確かにかわしているはずなのに、かわしきれていない。 
 ほんの少し注意が逸れ、あるいは瞬きをした瞬間、それを狙うように剣が動き、 
 そして少しずつ腕が、足が、胴が、肩が、削り取られていく。 
 
 もともとセブンスセンスには縁薄く、シックスセンスも頼れる程には完璧でなく。 
 『視』『聴』『触』『嗅』『味』の、『視』だけで全てを捉えなければならない。 
 それは意外にやっかいな事で、そもそも目からしか情報を取り入れる事が出来ず、 
 映像情報だけで全てを処理しなければならないともなると、どうしても無理が。 
 慣れない事に力を費やせば、その分神経が磨り減るは条理。 
 瞬きをする事すら許されない眼には、自然充血感にも似た痛みが走って。 
 
「……っ!!」 
 何度目かの音も無い切り込みに、体勢を崩されかけて。 
「…ぁっ、…せ…、……るかあぁぁァァッッ!!」 
 刹那両手の平に走る、鋭い痛み。 
 けれど込められた渾身の魔力に、斧の両刃から吹き上がる熱気と水蒸気が。 
 サーガ《叙事詩》に出てくる勇者や英雄の剣のよう、斬りつけた相手を火達磨にしたり、 
 傷を負わせた相手を氷付けにしたりまでとはいかなくとも。 
 
 炉に熱されたように赤く輝く刃に、逆に黒ずんで震えるもう片方の刃。 
 立ち昇る熱気と冷気、喉焼き肺灼くスチーム《水蒸気》に。 
 これにはたまらず、黒衣も一寸退いて。 
 
「っぐ…」 
 けれど上げてしまった声に反応したのかは知らないが、 
 瞬時に収まったスチーム《水蒸気》に、すぐさま肉薄して再び剣戟を見舞い出す。 
 
 結局は、身を切り崩しての一時しのぎ。 
 コントロールし切れなかった熱気に、 
 おそらくボロボロに焼け爛れ毛が縮れたであろう、両の手の平がズキズキ痛む。 
 ……これも、そう何度も使えない。 
 ネコやウサギ、あるいはもっと魔才がある奴なら違うのだろうが。 
 …仕方ないだろう、なんせ自分はオオカミなのだ。 
 長の血ゆえか、魔力だけはそこそこ潤沢なのだが、コントロールが致命的に。 
 
 
     ……ゆがんだ心に、追いつくように。 
     その冬を越し、数年の間に王都のスラム街でそれなりに名の知られるようになった 
     そのオオカミの青年の事を、どこぞの男娼宿で客寄せの看板役を務めていた、 
     愛らしかったオオカミの少年と重ねて見る事が出来る者は居なかった。 
 
     一目でオオカミと判る、周りのイヌのチンピラ達よりも更に一層抜きん出た体格。 
     酷薄さすら感じられる硬質な銀の毛並みは、美しくとも柔らかさには程遠い。 
     元々身体能力面ではイヌより優れているオオカミだ、魔法もロクに使えないような 
     チンピライヌばかりのスラムにあって、マトモな喧嘩で彼に勝てる人間は極少数。 
     …それでなくても、男娼時代の痴態虐待アブノーマルプレイに、 
     痛みに対する感覚が酷く薄くなってしまっていた彼が、 
     周囲から畏怖の目で見られるようになるのに、それほど時間は掛からなかった。 
 
     ひょっとするとそんな性格や、強さに対する嫉妬の念もあったのかも知れないが。 
     オオカミだという理由だけで他のイヌ達のグループからは散々陰口を叩かれ、 
     チンピラ仲間の間ですら孤立し、因縁、揉め事にも巻き込まれ。 
     …だけどそんなオオカミの自分にも関わらず、ボスと崇めて付き従って、 
     自分の後にとついて来てくれるイヌ達が、少数ながらでも居たのは事実だった。 
     最初は仇敵であるはずのイヌの事を毛嫌いし、一匹狼を決め込んでいた彼だったが、 
     それでも尊敬の目でしつこく付きまとう彼らの事をそういつまでも邪険には出来ず。 
 
     10年、そして20年。 
     気がつけば彼のグループは30人ほどの規模へと膨れ上がっていて。 
     …そしてそこに至って、ただの『オオカミごときを頭に据えたチンピラ集団』では、 
     裏の世界の周囲や上も、彼らを済ましてはくれなくなり始めていた。 
     アイニィとの出会いもこの頃で、……というかこの当時小娘だった彼女を、 
     その日の気まぐれで何と言うなしに敵対勢力から助けてしまった事。 
     それが運命的と言うのだろうか、結果的に放逐行為の原因となったのだった。 
 
     『オオカミの、よそ者の、【裏切り者】の分際で』と。 
     ついには王都の裏社会からも異端者・異邦人扱いされて居られなくなった彼が、 
     王都の外に出て始めたのが野盗紛いの追いはぎ行為。 
     ……それが次第に手馴れて本格的な、 
     本物の野盗行為に成り変わるのに、それほど時間は必要ではなく。 
 
 
 斬られる、斬られる、斬り刻まれる。 
 辛うじて致命傷は避けてるものの、それでも押されているのはこちらの方。 
 …何合も何合も打ち合わせる内、分かってしまった良くないニュース。 
 
 音無し移動だけが特技かと思えば、どうやら純粋な『剣術』でも向こうが上。 
 それもお飾り剣法や道場剣技ではない、 
 騎士様達が見たら怒鳴り声を上げる様な、ただ『殺』を目的とした難剣・卑剣の類であって。 
 …幾度と無く飛ばされた投げナイフに、薄々感づいてたから避けれたものの、 
 左手甲から飛び出して、自分の頬を裂いた仕込み刃を見るに、どうやら暗器まで使うらしい。 
 
 完全に、『殺す』のが仕事で、『殺す』が為の剣技なわけで。 
 何が国家の剣だと内心毒づきも生まれこそすれ、けれど相手が『殺し』専業家である以上、 
 盗みという仕事とも二束わらじの我が身としては、悲しいかな、どうにも分が悪い。 
 何よりこれは、同じ『人斬り』としての直感なのだが…… 
 ……こっちの半分も生きて無さそうな若造の癖して。 
 ……どうやら、三桁は殺してる自分よりも、遥かに。 
 
 ……いや、そもそもだ。 
 思うにあれは、途中から完全に作業だったのだと、ふと気がついた。 
 最初はともかく、回数を経るに従って、ノウハウを身につけ、コツを得て。 
 手際が良くなり、略奪の腕が増すと共に、次第にそれは作業化し。 
 最初の頃の、何時捕まるか、ヘマを踏むかに怯えながらでなく。 
 生死を掛けて、生きるか死ぬかの喫水線での、ヤバイ仕事では尚更なく。 
 ただ弱い相手、楽勝な相手、確実な相手を狙っての、無差別な虐殺。 
 (……そりゃ、腕も落ちるな)と。 
 笑ってみたくなってみたって、この状況では多分それすらも許されまい。 
 
 ボロボロで。血塗れで。 
 笑ってしまう、あの極悪非道と謳われし、【サイアス盗賊団】首領ことマルコ・サイアスが。 
 こんな薄気味悪い根暗野朗相手に、見るも無惨に荒い息を吐いて。 
 
――やばいな、細かい傷ばかりではあるが、結構血を流しすぎた。 
――意識朦朧とは行かずとも、少しずつ四肢の末端が無感覚になってくるのが分かり。 
 
「……オ」 
 幾度目かの、無音で打ち合わせられた剣の重さに、 
 ――それでも。 
「…オ、ゥオ…」 
 イヌの癖に、オオカミの自分とも張り合うような、目の前のこいつの重い剣に、 
 ――それでも自分は、『これ』に殺された子分達の。 
「…ゴッ、オッ、オッ、オ――」 
 
 ――ルクディアンサの。 
 
 
 
「――ウオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアッッッッッ!!!!」 
 ギチィッと。 
 仮に音が伝わっていたのなら、そう鳴った様な鉄の擦れ合いと共に。 
 自分のどこに、まだこんな力が眠っていたのか。 
 雄叫びをあげて。 
 目の前のテキに、勝ッテ生者トナルタメに、ゼンリョクデ。 
 
 
     ――殺したなあ。 
     とにかく、殺した。 
     主に仕事場としたのは、ネコから、イヌ、オオカミ、ウサギに掛けての縦一帯。 
 
     男も、女も、ガキも、年寄りも。 
     商人も、旅人も、隊商の護衛の傭兵も、魔法使いも。 
     ほとんどがネコ、イヌ、オオカミだったが、 
     稀にキツネやトラ、カモシカ、珍しいとこじゃウサギやサカナなんかが混じる事があって。 
     とりわけ「なんで自分が」という表情で殺されていく、 
     お優しそうなキツネやウサギの顔を見るのが、どうしようもないくらい愉快だった。 
 
     それでとにかく、殺して、殺して、殺して、殺した。 
 
     男だったらスラム時代にはしょっちゅう殺す機会もありはしたが、 
     女子供を殺すのは、野盗になってからの始めての経験で。 
     ……だけど3人4人と重なれば、いい加減それにもすぐ慣れた。 
 
     常に高台や崖上を陣取って、もっぱら狙うのは奇襲一本、先制必殺の速攻蹂躙、 
     間違っても大隊商や軍隊騎士団はやり過ごし、弱そうな奴らだけを専門に狙った。 
     腐ってもルクディアンサの族長が末だから、どうも戦の才能はあったらしい。 
     ……用いられるのが、思いっきり間違った事に対してであっても。 
 
     たとえガキでも女でも、見られたからには生かしては置けない。 
     殺せば黙る。わめきも抵抗も仕事の邪魔もしない。だから殺すのが一番だ。 
     そうして殺して、また殺す。 
     殺さなかったのは高値で売れるヒト奴隷と、気に入ったイヌやオオカミの女ぐらいで。 
 
     ――そうだ、女を犯すのも好きだった。 
     イヌの、オオカミの、特にビレトゥスの血を引く女を犯すのが。 
     弱くて、媚びて、すぐに命乞いを、体を開くような女は子分共にやるかすぐ殺したが、 
     『強い』女は殺さず犯して、孕ませるのが好きだった。 
     そいつが強ければ強いほど、身分や気位も高いのだったら尚更に良い。 
 
     四肢の自由を奪い、無理やり組み伏せ、ねじ伏せて。 
     歯を食いしばってキッとこちらを睨むような女の、指を折り折り、爪を剥ぎ。 
     その反面で、従順さに対しては飴をやり、宥めすかして甘やかし。 
     心が壊れ、白濁を喜んで受けるようになるくらい、犯して、犯して、犯し抜き。 
     もう堕ろせないくらいまで腹が膨らんで、 
     自分無しでは居られなくなった女を、嗤って打ち捨ててやるのが好きだった。 
 
     重たい腹を揺らして、最初の頃とは打って変わって縋ってくる女を、突き放す。 
     それがどれだけ、愉快な事か。 
 
     ――ああ、だって、そうだろう? 
     勝者であり、勝った官軍であるはずのル・ガルやビレトゥスの女共が。 
     負け滅ぼされた賊軍であるはずな、ルクディアンサの長の子の種を仕込まれる。 
     滅ぼし絶やしたはずのルクディアンサの血を、無理やりそこに割り込ませられ、 
     結果的に血と血脈を、後の世へと残さざるを得なくなる。 
 
     ……これ以上笑えて、おかしい話が、どこにある? 
 
     外道? 鬼畜? 悪虐非道? 
     『秩序の害』? 『社会の毒』? 『ゴミにも劣る、存在自体が罪なもの』? 
 
     ……知っているさ、そんな事。 
     ……言われなくたって知っている、ずっとずっと昔から。 
     外道、悪党、その通り。 
     心の底、根っこの所から腐った下衆、まったくもってその通り。 
     誰に言われるでもない、自分自身がよく判ってる、自分自身がクズだって事。 
     血を穢し、最早祖霊の御許に罷り詣でる事も許されまい。 
     銀の針の森のルクディアンサの名を泥に落とし、名乗る資格もそこにはない。 
     ――それでも。 
 
 
 パキイィ――…ン、と。 
 その瞬間、こちらの斧に合わせられた奴の剣が。 
 ……唐突に妙に澄んだ音を上げて、中程から折れ砕け散る光景が目に映った。 
 それまでが無音の世界だっただけに、その響音はやけに空気を震わせて響き。 
 
――完璧に、見事すぎる程に『捌いた』かに見えた、先刻の轟剣による大断撃。 
――けれどそれは、やはり明らかに無駄ではなくて。 
――刀身に掛けられた過度の負荷、限界外の一撃は、確実に鋼の劣化、剣身の磨耗を。 
――こいつも人中の武器、人中の技量を持った、生身のイヌだという確かな証拠を。 
――自分達にも手の届きうる、勝機の光明を。 
 
「ッガアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」 
 急に無くなった抵抗にバランスを崩しかけるのを、踏ん張り、力み、さらに押し込む。 
 慌て……てるのか慌ててないのか、それでも無表情を保ったまま、 
 半ばから折れた剣で果敢に押し返してくる黒衣だったが、 
 劣化し、おそらく衝撃で微細にひび割れたのであろう、ミシミシという音を立て、 
 しかも刀身とヒルトとの間にぐらぐらとした揺らぎまで生まれてしまったそれで、 
 【魔剣】の、それも重斧である自分の得物と競り合おうなど無謀の極み。 
 そしてとうとう…… 
 
 刃部が、柄の部分に僅かを残してすっぽ抜け。 
 
 それでも恐るべきには、『柄』の部分でだけでこちらの押しを受け止めやがり。 
 
 しかしそれでもさらに踏み込んで掛けてやった体重に。 
 
 薄々踏み込みから気がついてはいたが、オオカミでもこうはいかない程の化物じみた脚力で。 
 
 ふわりと。まるで軽業師のように。こちらの押しを利用して。空中に―― 
 
「アイニィッ、今だぁっ!!!」 
 
 
 
     ――「……ルン、ちゃん…?」 
     ――「……キ……リ姉?」 
 
     そうして、30年ほど前あいつと出会った。 
     キリ。 
     子供の頃、よく子守の相手として遊んでくれた、近所の9つ年上のお姉さん。 
     やっと見つけた、ルクディアンサの生き残り。 
     …出会った場所が、オオカミの国の王都の売春宿だったのは、まぁ問題だったが。 
 
     とりあえず、何する為に来たのかも忘れて、即行急いで身請けした。 
     どこの宿でもそうなように、だいぶ足元見られてボラれはしたが、 
     その時の彼にはもう、例え真っ当でなくとも、それをどうにかできるだけの金があった。 
     ただ、行きずりの女や娼婦と寝るのはしばしばだったが、 
     『囲い』までして女にあれこれ世話を焼くのは始めての経験で。 
     適当な貸家を宛がってやりまでした様子に、子分達は散々野次や口笛を飛ばし、 
     「悪い物でも食ったんすか?」と言う奴まで居たので、とりあえず殴って黙らせた。 
 
     …嬉しかったのだと思う。 
     二人の姉の消息は行方不明で、当時の知り合いや友達の行方も掴めず。 
     散り散りになったらしい仲間の中で、ようやく見つけたルクディアンサの知己。 
 
     多くを語らない口からポツリポツリと漏れたのを聞けば。 
     …あの『北伐』から数ヶ月、今度は半ば武装したビレトゥスの一団が来たという事。 
     援軍を出せなかったのは、同時にイヌの軍の別働隊に攻められていたからだと 
     言われたが、その割には相手の戦士達には少しも消耗した様子がなかったという事。 
     保護の名を冠した強制に、僅かに残った民や財貨もまるで戦利品のように扱われ、 
     自分は王都のこの宿へと売られ金に替えられたが、他の皆の消息は判らない、と。 
 
     風聞には聞いていたが、やはり直接知り合いの口から聞かされると、 
     新たに込み上げて来る怒りや、かつての長の末としての裏切りに対する憤激があり。 
 
    「…だけどあのルンちゃんが、こんなに大きく強そうになっちゃうだなんてね」 
     そして。 
    「泣き虫で、わたしと一緒にお花畑でお花の冠を作ってたよ―― 
    「――やめろ」 
     すぐに苦味を伴った、強い後悔が湧いて来た。 
    「……あの頃の話は、するな」 
 
     …マルコ・サイアスではない、ルン・ウパシノチウ・ルクディアンサの自分を知る者。 
     本当は『その名で呼ぶな』とも叫びたかったが、けれど今や中途半端に知れ渡り、 
     カタギの前で迂闊に出す事も出来ないもう一つの汚名の重みに、歯痒さを覚えもした。 
 
     ……捨ててきたはずの、過去を知っている相手。 
     思い出したくもない、何も知らなかったあの頃の自分を知っている相手。 
     同胞との再会という喜びの裏に隠されていて気がつかなかったが、 
     意外とやっかいな、触れたくない相手を拾ってしまった事に気がついたのはこの時で。 
     …ただ、それでも。 
 
    「……うん、分かった」 
     ――それでもルクディアンサの正等な血統は、残されなければいけない。 
 
     イヌの国にも恨みはあったが、それよりも尚この裏切りを。 
     古からの血の盟約を反故にして、同胞を裏切ったビレトゥスの背約を前に、 
     祖霊から伝えられた血脈を、ここで絶やすわけにはいかなかった。 
 
     どちらからともなく口付けを交わして、そのまま寝台の上へと押し倒した。 
     それは愛がなくてもできる、ただ血を残す為だけの作業のような行為だったが、 
     それでも二人とも、それをそういうものだと割り切れるぐらいには、 
     見なくてもいい物を見過ぎていたし、覗かなくてもいい物を覗き過ぎていた。 
     復讐の為という共通の目標と認識があったのも、大きな助けだっただろう。 
 
     珍しく壊れ物でも抱くように、だけど没頭して激しく幾度も求めながら。 
     指先が不自然なくらい多過ぎる古傷、鼻先が染み付いて取れない血の匂いを 
     感じただろうに、それでも何も言わない相手の心遣いがありがたかった。 
     舐めた辛酸を憎悪ではなく、諦観にしか転化できなかったのだろう、 
     ときおり寂しく笑う笑顔に、痩せ細った体はお世辞にも美人とは言い難かったが。 
     髪の銀や、その中の耳、すらりとした尾に生まれた独特の毛艶と輝きは、 
     自分と同じく、世の中の酸いも甘いも知り過ぎた者の証であって。 
     …嫌いではなかった。 
 
     汚れた者同士、お互いの泥を舐め合うような真似だという自嘲はあったが。 
     ……嫌いでは、なかったと思っている。 
 
 
「――砂漠の砂嵐を見た事がある?」 
 伊達に60年コンビは組んでいない、言葉は無くても心が通じる。 
 ほとんど柄だけになった剣、軽業師のように宙を舞う黒衣に、蛇の魔女アイニィは笑って囁く。 
 
「それも砂の悪魔やイフリートが起こす、正真正銘の悪魔の砂嵐をよ?」 
 お呼びの掛からぬ斬り合いの間、決して黙って見ていたわけではなかった。 
 横に控える彼女のジン、無骨に差し出された両手の前に、 
 集まり、膨らみ、回り回って渦巻き渦巻くのは、砂、砂、砂。 
 そこら辺からかき集められた、砂、土、泥、礫、石、土砂……混じる小枝。 
 
「食い込んだ砂が皮膚を剥いで、灼けた砂が肉を焼く――」 
 
 
『地』のジンの欠点は小回りが利かず、動作も緩慢、攻撃は大味、味方まで巻き込み。 
一撃の破壊力は大きいのだが、けれど当たらず、当たらなければ意味が無く…… 
 
……だけど『当たり』さえするのなら、いかなる者とてひとたまりも無く。 
 
 
「――本場本命の砂嵐っ、冥途の土産に喰らって死になぁッ!!」 
 身動きの取れない空中で、着地する瞬間を見計らったがごとく。 
 さては土石流か、山津波か。 
 ごう という音と共に、集め渦巻かれた大量の土砂が、轟音を立てて前方一帯、 
 『それ』を中心にしてまとめた広範囲を、圧倒的な質量を持って押し流した。 
 
 マトに当たって波頭を砕き、されど勢いを落とす事無く。 
 背後の林や、味方の死体まで巻き込んで、ベキベキと木々を折らす音。 
 地を削り、大木も倒し、土の洪水かと思えるがごとく、あらゆるものを飲み込んで。 
 
 …瞬時に繰り出せるものではなく、恐ろしく発動までに時間が掛かるのが難点だったが。 
 これぞ怒涛の『重さ』と『密度』、『体積』に『範囲』を併せ持つ、魔女アイニィの必殺の秘策。 
 避けようも受け止めようもかわしようも無い、闇すら吹き飛ばす大地の怒り。 
 鋼鉄の全身盾でもあろうなら辛うじて防げようが、 
 それでもそんな鋼鉄の全身盾ですら、一撃でベシャベシャのボコボコにひしゃげさす。 
 
 怒涛の一瞬、数秒の轟音、木霊する残響、……やがて静寂。 
 樹海の一角すら拓けさし、もうもうと立ち上がる土煙に―― 
 
 
     ――頑張った、というやつなのか。 
     五年のうちに三人の、無事『後継ぎ』を作らすことができた。 
     もっとも『勤め』の関係上、半年顔を出さぬかと思えば一月近く居座って、 
     出産にも一度も立ち会わぬ、言っちゃなんだのロクでなしだったが。 
     …ただ生憎と二人とも、それをそういうものだと割り切っていた身の上だったし、 
     何より『あれだけ』の事をしておいて、妻の出産には急ぐというのもバカげた話。 
     腹がでかくなってきたなと思えば、次に来た時には生まれてて、よしそれじゃあ 
     次を作るかと、…少なくとも自分達二人は、それでいいのだと割り切れていた。 
     ……汚れた大人である、自分達なら。 
 
     三年ほど。 
     さすがにネコやイヌ、オオカミやウサギの辺りでは警戒の網が厳しくなって。 
     それを交わす意味で、東方のキツネやトラの方へと大遠征をし。 
     ほとぼりが冷めた頃戻ってきたら、いつの間にかそれだけの月日が経っていた。 
 
     通例のように、これから顔を出す旨の手紙を出して。 
     久しぶりに玄関の扉を開け、出迎えたキリに荷物を手渡す、 
     その向こうからとたとたと…… 
 
     ……『昔の俺』が、走ってきた。 
 
 
     ―― 女も殺した。 
     ―― 子供も殺した。 
 
    「お父さんっ!」 
 
     心臓に、冷えた鉛の釘でも差し込まれたような、そんな感覚。 
     足に はしっ としがみ付いた小さなそれに、自分の中の時が止まるのを感じた。 
     ……そこにいるのは、昔の自分。 
     何も知らず、汚れていなかったあの頃の自分に、瓜二つの顔形をした子オオカミ。 
     …そっくり? …当たり前だ、 
      自 分 の 息 子 な ん だ か ら 
 
 
     ―― 数え切れないぐらい、殺して、殺して、殺して、殺した。 
     ―― その中には妊婦や、冬の寒空の下、わざわざ殺すのすら面倒で 
          見殺しにしたのを含めるのなら、赤ん坊やこいつぐらいのガキだって。 
 
    「お父さんっ、お父さんっ♪」 
 
     こんなムサい野朗の足にしがみ付いて、一体何が楽しいというのだろう? 
     心底嬉しそうにしっぽを振って、甘えた声でしがみ付いてくるそれに。 
 
     ……罪の意識を感じた事なんて、確認するようだが一度だってないが。 
     ……懺悔の気持ちだなんて、クソ食らえという思いは変わらないが。 
     ただ。 
 
 
     ―― 女を犯して、孕ませるのが好きだった。 
     ―― ル・ガルやビレトゥスの女共を、ルクディアンサの血で穢し、 
          その腹に子を仕込ませて。 
 
    「……お父さん?」 
 
     酷い、眩暈が。 
     そして耐え切れないぐらいの、吐き気がした。 
 
     思わずしゃがみ込んでしまった肩に回される小さな手、心配そうな声に。 
     自分がガキみたいに、ガタガタ震えて怯えているのに気がつく。 
     同様に、そんな怯えを自分に与えているのが、一体全体、誰なのかにも。 
 
     まったくもって、笑い話だと思った。 
     どんな騎士様武人様、軍人共の一隊や、やっかいな用心棒野朗に魔法使い、 
     果ては名の知れた同業者や、時に下手な悪党よりも始末が悪い闇商人。 
     如何なる相手にも屈せずに、怖いもの無しで通してきた悪党、マルコ・サイアス様々が。 
     ……こんなガキに。 
     ……こんな、昔の自分にそっくりなだけのガキに。 
     ……自分の事を、お父さんだなんて呼びやがるような、バカなガキに。 
 
    「お父さん、どうしたの? もしかしてどっか具合悪いの?」 
 
     ぴぃぴぃぎゃあぎゃあと五月蝿いガキに。 
     横っ面を張り倒して。 
     腹の一つも蹴り飛ばしてやろうと。 
     ……『それが外道や悪党と呼ばれる連中のする事だろう』と。 
     …そう思ったのに、けれど石にでもなったみたいに、体は動かない。 
 
    「…俺の事は……母さんから、聞いたのか?」 
     震える唇から漏れたのは、辛うじてそんな掠れた言葉。 
 
    ――あの六年間の、この世の地獄の中でさえ。 
    ――受けた苦痛は、全て憤怒の炎に変わり、受けた言葉は、全て憎悪の糧となり。 
    ――……だけど、それは。 
 
    「うん、そうだよ! お父さんはすっごく強くてかっこいいんでしょ!?」 
     食らった剣は、どんな歴戦の戦士のそれよりも鋭く。 
    「ひえくすの末、ぎんのはりのもりなる、るくでぃあんさの王様で、 
    お父さんとお母さんを追い出した、悪いびれとぅすをやっつけて」 
     腹に来たパンチは、これまで食らったどんな巨漢のボディブローよりも重く。 
    「お祖父ちゃんお祖母ちゃん達のカタキを撃つ為に戦ってる、センシなんだよね!?」 
     突き刺さった矢の雨は、どんな名射手のそれよりも深く肺腑を抉り。 
    「だから僕、お父さんがいなくても寂しくないよ! ちゃんといい子にしてたっ!」 
     焼いた魔法は、どんな熟達の魔法使いが放った獄炎よりも熱く。 
     ――そのくせ、怒り憎しみの炎を更に滾らせ燃え上がらせる事はなくて。 
     ――むしろなぜなのか、逆に火が消えるような虚しさを。 
 
    「僕も、僕もお父さんみたいになれるかな? るくでぃあんさの銀のセンシ!」 
     ……ダブるのだ、あの頃の自分と。 
     「ととさま」「かかさま」と、「あにさま」「あねさま」と。 
     父や兄姉のような、立派な戦士にいつか自分もなれるだろうかと。 
     世界は輝いていると、この幸福な日々がいつまでも続くと、 
     信じて疑わなかった、あの頃の自分に。 
 
     ―― 殺した。 
     ―― とにかく、殺した。 
     ―― 殺して、殺して、殺して、殺した。 
     ―― 奪って、壊して、侵して、犯した。 
     ―― …無抵抗の者も。 
     ―― ……ルクディアンサの滅亡とは、何ら関係もない者も。 
     ―― ………こいつと同じくらいの、オオカミのガキも。 
 
    「……おとうさん?」 
     唐突に立ちあがり、すれ違うようにして廊下の奥へと向かう背中に、 
     ぽかんとしたような、不思議そうな声が掛かった。 
     一度も自分に対して、そんな顔を見せた事のなかったキリが、 
     始めて済まなそうな顔を作って、居た堪れないように表情を逸らす。 
     …誰も、それを責められまい。 
     …こいつも所詮は男でなく女、一人の母親だったって事。 
     …どうして父親が居ないのかと聞いてくる子に、真実を伝えられないような弱い女で。 
 
    「……寝る」 
     ちらりと振り向いた後ろ目に、でかくなったな、と今更のように思う。 
     ほんの三年前までは、意味不明な言葉と共に積み木で遊んでたガキだったのが、 
     いっぱしに小さな牙まで生やして、こちらの腰ぐらいまではの大きさに。 
 
     …抱き上げてやるぐらい、してやれば良かったのかも知れない。 
     せめて「そうか」の一言と共に、頭の一つでも撫でてやれば。 
     …でも、ああ、だけどだ。 
 
     ……だけどそんな『悪党』が、どこに居る? 
     悪虐非道を繰り返し、けれど家に帰ればよき父親、そんな外道が、居ていいはずが。 
     いいや、そもそも『悪党』が父親然とした振る舞いをするだなんて、許されるわけが。 
     同時に『一人の父親』でもあるような外道が、存在を許されていいはずがないのだ。 
     あれだけ侵して、殺して、奪って、殺して、孕ませ、殺して、殺しておいて。 
 
     大体今にしたって、この悪名高きサイアス盗賊団首領、マルコ・サイアスともあろう者が。 
     何で取るに足らないガキの言葉に、目から水を垂れ流しているのか判らないというのに。 
     …そんな事、他の誰が許したところで、何よりもまず自分自身が許せなかった。 
 
     『悪党』は、『悪党』でなければいけないのだ。 
     ……なぜならばそいつは、『悪党』なのであるのだから。 
 
     ――結局、翌日に逃げるようにそこから飛び出すと。 
     それ以来、俺がキリの元へと足を運ぶ事は、二度と無くなった。 
 
 
 轟然とした、山津波。 
 およそ回避できうる次元にない、質量・密度・規模のもの。 
 ジンの手により作られた、人為的で小規模なものではあったが、 
 けれどその圧倒的な威力に、アイニィが自分の勝利を確信したにも関わらず。 
 
 …攻撃の終わりに合わせるようにして飛び出したマルコ。 
 それに驚く前、もうもうとした土煙の中から飛び出して来た黒い影に、 
 悲鳴も上げずにアイニィは全身を凍らせた。 
 
 なぜ!? と金切り声を上げたい気持ちをよそに、 
 土煙の向こう、影がつい先ほどまで立っていたと思しき場所にて、 
 ぐしゃりと。 
 押し寄せる砂に皮を剥がれ、叩きつけられる礫に肉を削られたのだろう。 
 半ば体の前面部分を喪失して、血すらも滴り落ちないほどの泥の塊の肉ミンチになった…… 
 ……見覚えのある、『首の無い』死体が、 
 まるでボロクズみたいに、その場に崩れ落ちるのが彼女にも見えた。 
 
 確かに、確実に回避不能な攻撃であった。 
 『おシャカになっても構わない、鋼鉄製の全身盾』でもない限りは、防ぎ切る事の不可能な。 
 
 …ああ、でも、あるではないかと。 
 悪魔め、という罵り声を上げるよりも前に、天啓のように頭の中に閃くもの。 
 ……あるではないか、一部貫通性のある斬撃・刺突攻撃を除いて、 
 炎や爆発、とりわけ打撃・衝撃の吸収性に優れた、全身を隠せるだけの『大きな盾』が。 
 ――今やそこら辺に、ごろごろと。 
 
 
 
 何となくではあったが、それでも彼は、『それ』があれでも死ぬとは思えなかったのだ。 
 
 気を抜くどころか、全身に残った力と気力を振り絞って地を蹴り始めたマルコに対し、 
 予想通り煙から飛び出す『それ』と同時に、例によって音も立てずに飛んで来た、 
 けれど圧倒的な質量を持った何かを、彼の視覚は辛うじて捉え、瞬時に半身を捻ってかわす。 
 
 見覚えのあるグレートソード。 
 重さ6kg近くはあろうというそれが、微かな音を立てて猛然と彼の顔脇をかすめ、 
 背後に大木にでもだろうか、らしくもない程の小さな音を立てて突き刺さるのが判った。 
 大した馬鹿力、まともに当たれば、骨ごと肺ぐらいは潰されていただろう大質量投擲。 
 油断をしていたのなら、回避し切れなかったかもしれない不意の一閃。 
 ……だが、残念だが。 
 
「ォオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!」 
 雄叫びを上げながら速度を殺さず突っ込む片手に、 
 再び斧の片刃がほの赤く白熱し、じう…と肉の焼ける音が柄を持つ手から上がる。 
 この機を逃したらもう次は無く、魔力も残りも底に近い。 
 だからこそ全てを注ぎ込んで、防壁・装甲ごと断ち切る心算、ありったけの熱を刃に込めた。 
 
 華麗さなどとは程遠く、美しさは欠片も無く、騎士の正道もそこにはない。 
 血に塗れ、脂に塗れて、泥砂に塗れ。 
 魔剣の一つも持たぬ身で、血塗れて刃零れた剣はかなぐり捨て、幾つもの安剣を使い潰し。 
 敵を利用し、地形を利用し、死体すらをも利用して、卑怯の剣で敵を殺す。 
 ……ある意味、一部では敬意を表したかった。 
 …同じく泥にまみれる者の、匂いをそこに感じればこそ。 
 
 
 ――だが、ここまでだ。 
 
 流石に咄嗟に死体で防いだとは言え、やはり無傷とまではいかなかったらしい、 
 黒衣はボロボロ、破れ目に泥や砂をつけ、完全にはかわし切れなかった分、 
 耳や腕足など全身の端々、そこかしこに砂塗れの赤いものが見えて。 
 ……しかし、それでも尚、致命の傷には至らぬとまでも。 
 
 それでも、不意打ちはかわした。 
 投げつけられた剣に、いや剣があっても、今のこいつにもこの一撃は受けれるまい。 
 走り出したのもこっちが早く、機先を制したのもおそらくはこちら。 
 二つの長剣は欠け砕け、大剣もまた投げつけられ、短剣は残れど、それでも実質丸腰状態。 
 正面衝突になるような形でお互いが走り―― 
 ――相手が身を低く沈めるのが判っても、それでも軌跡には捉えられたまま。 
 薄気味悪い能面顔の目線の上、脳を輪切りにする形で、灼熱の一閃が決まる未来を見る。 
 
 今度こそ、そしてここでこそ終わりだった。 
 子分共のカタキは討たれ。 
 『国家』の――『秩序』の剣とやらは砕け散り。 
 自分は死なず。 
 自分は勝ち。 
 勝って生き。 
 そして。 
 
 轟然と振り抜かれた斧が、超高温のレーザーカッターよろしく、 
 目の上、耳の下、相手の頭蓋をすっぱり削ぐ。 
 
 その瞬間、その光景を、マルコの網膜は確かに捉え―― 
 
 
     ――それでも、あれらはルクディアンサの血を繋ぐもので。 
     娼婦上がりの女手一人で、三人の子を養ってけるわけもないのである以上、 
     結局毎月の仕送りだけは欠かさずに、二十数年の月日が流れた。 
 
     その間も、相変わらず奪って、壊して、犯して、殺し続け。 
 
     …変わった事と言えば、仕事用や同業者同士の連絡用にとネコの国の郵便局に 
     作っておいた郵便留置き所に、三月に一度、小封筒が届くようになったという事。 
 
     読み書きの出来なかったはずのキリが、一体どこで字を覚えたのか。 
     破り捨てたい、無視したいという気持ちは多かったが、 
     それでもあれらはヒエクスの末、ルクディアンサが長の正当な後継者。 
     文中に『死』だの『怪我』だの『病気』だのという単語があっては困り、 
     欠かさず全てに目を通してきたのは、そんな理由があったからに過ぎない。 
     …もっとも、大抵の手紙の内容は取るに足らない、「今日は○○がどうした」とか 
     「最近○○に親しい友達が出来た」とか、そんなくだらない事ばかりで。 
     そんな事を細々と何枚にもわたって、必ず三月毎に送って寄こすキリの事を、 
     ……つくづくバカな女だ、と。 
 
     …ただ、そうやって顔も見せずに、金だけ送るような『父親』である。 
     よくある在り来たりな話のよう、やはり嫌悪の対象となるのが運命だったようだ。 
     やはり嘘で誤魔化し続けられる時間には限界があったと言う事で、 
     連中が思春期とやらに差し掛かる頃には、送られてくる文章の中、 
     目に見えて自分が嫌われているらしい事を示す内容が増えるようになった。 
 
     曰く「夕食の席で口論になった」とか、「○○があなたの事をこう言った」とか。 
     そしてその度に、そんな内容の最後に付け加えられる言葉は、 
 
     『みな、あなたの事を勘違いしています』 
 
     ――勘違いなんかしてないさ、と。 
     その度にランプの明かりで照らされた文章を読む顔に浮かぶのは、自嘲の笑み。 
     自分は父親の風上にも置けないゲスな男だ。 
     父親という呼称を用いられる事すらそもそも忌避されるような、腐りきった悪党だ。 
     事実、彼は『あれら』を息子や娘としては見ていない。 
     ルクディアンサの純血統を残す為、作らざるを得なかった『繋ぎ』だとしか。 
 
     そうして、奪って、壊して、犯して、殺し続け。 
 
     だけど。 
     『上の子が、鍛冶師になりたいのだそうです』 
     それを見て、考えた末、仕送りの量を増やす為にネコの国の銀行へ、 
     手紙を書くべくペンを取っている自分はなんなのか? 
     自分が死んでも、毎月の仕送りは続けられるような手続きを済ませ。 
     年の瀬には何かと物入りも多かろうと、普段の二倍の金額が送られるようにも 
     しっかりと、細々とした手続きを済ませている自分は、なんなのか? 
 
     復讐の為にと『造った』ものだったはずなのに。 
     己が築き上げたこの盗賊団を継がせる為、むりやり迎え入れて鍛えるわけでもなし。 
     剣を取ってビレトゥスと戦う事を、その命数とするわけでもなし。 
 
     そんな自身に対して、何をしているんだと嘲笑う気持ちを感じながらも、 
     そうして今日もまた、彼は奪って、壊して、犯して、殺す。 
 
     『一度見に来てあげてください』と。 
     年が経つにつれて、しつこいぐらいにそんな言葉が繰り返されるようになった。 
     どんなに『あれら』が立派に育ったか。どんなに『あれら』が彼に似ているか。 
     目元が、耳が、尾が、心が。そして類稀なる銀の毛が。 
     死んだ彼の両親に似、また同時に彼自身に似、それがいかに可愛くまた雄々しいか。 
     何枚にも渡って詳細に書き連ね、故に『一度見に来て』と懇願して止まぬ、 
     そんなキリを鼻で笑い、……けれど同時に、羨ましくも思った。 
 
     泥を食み、汚水を啜り。 
     同じく汚れた沼に落ちた身でも、それでもあいつは清水に戻れた。 
     …だが、自分は違う。 
     飢えを凌ぐ為に、寒さを凌ぐ為に。 
     満たされない渇きを癒さんが為、身を焦がす憎悪を冷やし収めんが為に。 
     進んで汚れた泥の中、冷たい底に、深く、深く、身を沈め。 
     汚染された苔、毒の水、同じく汚れた他の生き物を、喰らって、喰らって。 
 
     ……気がついたら、もう清らかな水の中では生きられなくなっていた。 
     明るく暖かな陽光は、どんな劫火よりも彼の身を強く焼き焦がし、 
     命を育むはずの清浄な水は、全身には針刺す激痛をもたらし、一度飲めば毒となる。 
     もう『苔草』だけでは叶わず、常に『肉』と『血』を食べねば、自分の身体を保てない。 
     もっと、もっと、絶えず、絶えず、『殺さ』なくては。『喰ら』わなくては。 
 
     …だったら泥の中に潜む獰猛醜悪な肉食魚は、肉食魚らしく。 
     清水の中に住んで清らかな苔を食む草食魚とは、決して道を交える事なしに。 
 
     罪の意識、罪悪感を感じたことなんて一度としても無く。 
     懺悔・改心だなんて糞喰らえ。 
     外道? 鬼畜? 悪虐非道? 
     『秩序の害』? 『社会の毒』? 『ゴミにも劣る、存在自体が罪なもの』? 
 
     ……知っているさ、そんな事。 
     ……言われなくたって知っている、ずっとずっと昔から。 
     外道、悪党、その通り。 
     心の底、根っこの所から腐った下衆、まったくもってその通り。 
 
     だけど『悪党』は、『悪党』なら最後まで『悪党』らしく。 
     もう自分には、それだけしか―― 
 
 
 
 どすっ 
 
「――は」 
 
 ……何が起こったのか、最初はまったく良く分からなかった。 
 
「――排除する」 
 上がった声は、確実に目の前の無表情から為されたもので。 
 
 …確かに、見たのだ。 
 自分の得物が、確実にこいつの頭部を捉える瞬間。 
 
 …なのにこいつの頭は、別段輪切りにも、脳みそぶちまけにもなっておらず。 
 逆に、溶けた雪でぬかるんだ地面に、めり込む位に強くくっきり踏みしめられた足。 
 しっかりとそれの柄を突かんで、思いっきり前方上方へと突き上げられた両腕。 
 そこから伸びる、柄。 
 刃。 
 
 『突き抜ける』というよりも、『押し潰してぶち破った』というのが正しい一撃。 
 肺が潰され、肋骨が砕け、血、肉片、骨片、裂けた破れた背中からはそれらが。 
 ……それらに混じって突き出す、グレートソードの長大な剛刃が。 
 
――なんで 
――なんで死んでない? 
――なんでこれが、こいつの手元に? 
――投げただろ、さっきこれ 
――確かに、この目で 
 
 全身をつんざくような激痛に、体の中に太陽があるかのような灼熱感。 
 びしゃびしゃと、熱くてどろどろした何かが、頭に、後ろ背に、足に。 
 ぶるぶると震える手に。 
 それでも、今なら振り切ったこの斧を戻せばと。 
 離れられないくらい肉薄した今、この斧を戻して、刃先で首を掻き切ってやればと。 
 そうやって、うまく動かない腕を、震わせて、震わせて。 
 
 ふざけるなと。 
 せめて腕一本、足一本。 
 馬鹿で、悪党で、けれど自分と同じ社会に見捨てられた、イヌと言えども可愛い子分。 
 オオカミの、しかもこんな腐れた自分に、けれどボスだとついて来てくれた、奴らの為にも。 
 こんなところで。 
 こんな。 
 
「――排除、する」 
「……ごぼぁッ!?!」 
 
 ぎゃるっ と。 
 外へはどうなのか分からなかったが、少なくとも体の中ではそんな音が響き。 
 『縦』に差し込まれていた剛刃が、全体重を掛けられて『横』へと『捻り』『押し込まれ』た。 
 
 肉の潰れる音が。 
 骨がへし折れて砕ける音が。 
 込み上げてきた、何か小片の混じった液体が、鼻と口からどっと溢れて。 
 …だけど辛痛、灼熱感が増すわけではなく。 
 逆に ぞろり と、足の先から忍び寄って来ていた冷気が、一気に腹の辺りまで。 
 
 …それが、その腰まで迫った冷たさが、どれくらいヤバい事態を意味しているのか、 
 今まさにそれに直面している、自分で無くたって。 
 
(…あ……は……) 
 がらん と、力の入らない手、落としてはいけないはずの武器が、虚しくも地面に。 
 震える喉に、けれど漏れるのは声でなくてどぶどぶという赤の水。 
 呼吸が苦しくて――ああ、でも、当たり前か。 
 ……肺が片方、潰れてるんだから。 
 
(…は…ハハ……ハ……) 
 暖かくなる股下、どぴっ、どぴ、と萎えた陰茎に尿に混じらせ射精(だ)している自分を感じる。 
 情けなさに思わず笑いたくなったが、でも人間、憤死する時は身体中の穴という穴から 
 液体と言う液体を垂れ流して死ぬらしいから、案外こんなものなのかもしれなかった。 
 …そしてそうだと思えば、涎や鼻水は、血に混じってしまって分からないけれど。 
 目から垂れ流される、この熱いものがどうして流れ出ているのかだって。 
 
 ぱらぱらと、忍び寄る無覚、耳鳴り、視界の暗さに伴って、剥がれ落ちていくもの。 
 
 ずっと自分が、この時が来るのを待っていたのだと、ふいに今更のように何となく。 
 
(お…まえ、…は…… …しに…がみ…だ…た、のか……?) 
 自分の口から溢れるどろっとした赤を顔に浴びても、顔色一つ変えない目の前のそれ。 
 分からない。 
 今となっては、もう何も分からないが。 
 
 ……ただ、全てが終わる前に、立てなければならない祈りがあった事を、思い出した。 
 
(それ……い………よ………………) 
 
 
 祖霊よ、英霊よ、森と霧の名において、恐れ多くも願い出づる。 
 
    血を穢し、森の銀を泥に落とした我が罪は大忌にして、御許に罷り詣ずは許されずとも。 
 
 されどルクディアンサは滅びず、魂は消えず 
 
    血は残され、種は蒔かれ 
 
 そして全ての汚れは、皆我が身、ただ一身にありて 
 
    全て我が身にあって、雪と氷に閉ざされし黄泉の国へと引き摺って行くがゆえに 
 
 あれらを あれらの血は  決して 
 
    どうか、その列席に  光の国    ルクディアンサに       連なるものとて―― 
 
 
 
――これでいいんだ 
――最初から、汚れていたのは、自分一人 
 
 
 
 ぐじゃり と。 
 足を掛けて引き抜いた剛剣に、一度だけビクリと全身を痙攣させて。 
「……ゴミめ」 
 真銀鋼のごとき毛並みを血肉に汚し、ぐるりと眼球を反転させて、どうと倒れる巨躯凶顔。 
 
 女子供とて容赦せず、殺めた命、奪った財貨、犯した女は幾数多。 
 人倫にも劣る鬼畜、長年ネコからウサギに掛けての街道沿いの治安不安の一因でもあった 
 B級国際犯罪者マルコ・サイアスは、こうして正義の剣にその生体活動を完全に停止させた。 
 その瞳が何かを映す事は最早無く。 
 その手が罪無き者の権利を害する事はもう二度と無い。 
 
 ――また一つ、世界は美しくなった。 
 
 
 
      ※     ※     ※     < 7 >     ※     ※     ※ 
 
 
 
    アイニィは、ヘビの国の今は滅んだ小国で生まれた『地』のジン使いである。 
    砂ばかりの故郷に嫌気をさし、国が隣国に滅ぼされる前に砂漠を出た。 
 
 
「――動くんじゃないよ!!」 
 刹那、そんな叫びが冬の空気を裂いて響き渡る。 
 
 …どうしてなのか、これまでとはうって変わってのろのろと。 
 『まさか今更感傷に浸ってるわけでもなし』、剛剣に付いた血を振り払っていた『そいつ』が、 
 のっそりと自分の叫びに対してこちらを振り向いた時。 
「この子の頭が、スイカみたいに砕けるのを見たく無かったらね!」 
 まさに蛇の魔女ことアイニィは、一か八か、最後の賭けに出ている最中だった。 
 …傍に立つ、自分のジンが高々と釣り上げ、捧げられたものは。 
 
「……ぅ…」 
 ボロきれになった衣服を引っ付け、頭を鷲掴みに、宙吊りにされたヒトのメス。 
 
 
 …そう、まさしくそれは、言葉通りの一か八か。 
 アイニィだって、『ヒト』というものがどういう存在かは知っている。 
 愛玩動物、金持ちの気まぐれ、優秀な召使い、金のなる木。 
 …彼女だって、『まさか本当にこれを助ける為だけにあの影がここに来た』などと、 
 本気で信じていたわけではなかった。 
 一億円の宝くじか、大事なオモチャか、あるいは大事なペットと――自分の命。 
 どっちかを選べと聞かれたら、真性のバカでも無い限りは迷わず『命』を選ぶだろう。 
 そう、アイニィは思っていた。 
 だから―― 
 
 
 驚くことに、ピタリ と相手が動きを止めたのを見て。 
(はっ、とんだ悪たれ軍人ね) 
 8000セパタから15000セパタ。 
 目の玉が飛び出る程のその金額に、何だかんだ言ってやっぱり目が眩んだかと。 
 …あるいは、『人間』の命よりも、こんな『動物』・『ペット』の命の方が尊いとか言い出す、 
 腐れたアンチ文明の自然崇拝主義者かと。 
 そんな煮え滾るような憤りに駆られて、キッ相手を睨みつける傍に―― 
 
 
     故郷でのアイニィは、幼い頃より畏怖と憧憬の対象だった。 
     ばば様を始め、己の村にも自分以外で三人、 
     近隣の村も含めるのなら、そこそこの数のジン使いがいたのは確かだったが、 
     だけどそれらは、あくまで『大人の握り拳程度』の火精・風精を作れるような、 
     その程度のジン使いをも含めればの話。 
 
     幼きに魔才の片鱗を見出され、 
     村のばば様に手ほどきを受けるがままに始めて精霊を作ってみせた時、 
     彼女の作りあげた『地』のジンの大きさたるやは、およそ大人の男の身の丈二倍。 
     …『火』や『風』と違い、そこら辺に具現化の為の素材が転がっている事もあって、 
     比較的大きなものを作りやすく、見てくれの水増しもしやすい『地』のジンだったが。 
     ……それでもこれほど『強い』ジンを作れるのは、 
     少なくとも彼女の村の近隣だけでは、二つ東の村の長老ぐらい。 
 
     とにかく抜きん出ていて、そして桁違いであったというわけで。 
     …少女の頃からして、大人数人分の荷物を運んでみせて、巨大な岩も取り除き。 
     崩れた家から子供を助けた事や、枯れ掛けた井戸の底を抉って甦らせた事も。 
     村が兵士崩れの盗賊集団に襲われた時など、 
     石つぶての雨を降らして追い払ってやった事さえあった。 
 
     当然村中から持て囃されて、果ては村の長老かとも口々に言われ。 
     ……だけど気に入らない事が、幾つかあった。 
 
     盗賊集団を追い払った時、やたらめったらに岩石の雨を降らせた手前、 
     村の外に出てみれば2、3人、打ち所が悪かったのか死んでいる者達の姿があって。 
     …その時、そしてそれ以外の時にも時々しばしば、 
     他の村人達が彼女に対して見せる、何か恐れるようなビクつくような眼差し。 
     世辞と賞賛の裏に見え隠れする、小さな針の含まれた『何か』。 
     それがとても、気に入らず…… 
 
     ……そしてまた一つ、右を向いても左を向いても、見渡すばかりの砂、砂、砂。 
     代わり映えのしない、つまらない光景。 
     およそ娯楽の類は少なくて、遠大な風景にも関わらず、与えられた世界は余りにも狭く。 
     昼は暑く、夜は寒く、時折来る砂嵐や魔物は、埃っぽい砂塵と死風とを運んで来た。 
 
     そんな時、いつか村に来た旅の吟遊詩人が語ってくれた、砂漠の外の国々の物語。 
     …特にもっとも豊かで、もっとも繁栄していると言われる、ネコの国の王都の物語。 
     夜でも昼のように眩しく、大通りを歩く群集の中には、普通にヒトや外国人も混じり見え。 
     明るく整然とした石畳の街並み。黒大理石を散りばめた、鶴翼のごとき美しさの王城。 
     毎月の2のつく日に開かれる大市には、大陸中の名産、特産、種族が集まり―― 
 
     ――自分は、こんな小さな村の長老なんかで納まる器では到底ない。 
     ――こんな砂だらけのつまらない世界、その住人、自分の才には小さすぎる。 
 
     …常々そう考えていたアイニィが、成人の儀式の二月前の夜、 
     通り掛ったキャラバンの荷に紛れ込み、一路ネコの国へと目指したのは、 
     当然と言えば当然の結果、起こるべくしての出来事だったと言えよう。 
     ただ―― 
 
 
「――蛇国のジン使いか」 
 
 ピタリと止まった、その割には動揺の無いというか、気味悪い無表情を保ったままで。 
 むしろまるで、路傍の石に躓いておいて、「なんだ石ころか」とでも言うがごとく。 
 
「…おおかた地元ではそれなりに出来て持てはやされて、 
それで一旗上げようと田舎を出、シュバルツカッツェ辺りまで出て来たはいいが……」 
 ――何も知りもしないくせに、知ったような口を。 
 
 
    「残念ですが、お雇いするわけにはいきませんね」 
    「……え?」 
     ヒゲを捻りながら口を開いた目の前のネコの言葉に、アイニィは目を丸くする。 
     相手は、ネコの商人にしては珍しく紳士然とした、若い容貌の男ネコ。 
     すらりとした体はトラに比べれば華奢なれど、反面しなやかさを感じさせる身ごなしに、 
     手入れされた体毛、知性の輝く金色の瞳が、有能な男の雰囲気を醸し出している。 
 
     ネコの国の王都、乗せてもらったキャラバンに聞いた、とある名の有る商会本部。 
     そこでとりあえず魔法使いだという事で面接を受け、 
     自分に出来る事うんぬんを話し、そうして言われた言葉が。 
 
    「な、なんで――」 
     ガタリと席から立ち上がりもする。 
     土木作業、荷物運び、建物の取り壊し、そして隊商の用心棒。 
     いずれにおいても並の人間以上の働きができると、そう確信した上での―― 
    「見せていただいたような規模のジンを出していられる時間は、どれくらいで?」 
     ――けれど男は極めて冷静に、慌てるアイニィの言葉を遮った。 
 
     ジンは生きて意志を持ってはいるが、結局のところは『魔法』の一種だ。 
     具現化・実体化させ、出し続けている、ただそれだけでもじわりじわりと魔力を食う。 
     だから必要の無い限りは、出したりしまったりを切り替えるのが通例だが、 
     常に出しっぱなしともなると、労働の程度・強度、休憩回復その他を考慮して…… 
    「…一日、通算で二時間は…」 
     それでもすごい方だ、とアイニィ自身は思っていた。 
     だって自分の周囲には、握り拳ほどのジンですら30分、15分動かし続けるだけで…… 
 
    「それでは、お話にならないのですよ」 
     パチパチと算盤を弾きながら、務めて穏やかに言うネコの男。 
    「それだったらほら、トラやオオカミ、イヌの労働者を貴女の3/4の賃金で10人雇えば、 
    この通り長期では二十倍の作業効率が見込めますからね。彼らは勤勉だし、 
    ヘビやネコよりもパワーとタフネスに優れる。一日10時間だって働けるんです」 
     適所適材、市場経済の常ですねと、そんな声が遠くから聞こえる。 
    「じゃ、じゃあせめて隊商の護衛に―― 
    「それも残念ですが」 
 
     パチン、と算盤を鳴らしてにっこりと笑う猫の男。 
    「『内国経済の保護』…とも言いますが、まあ要するに、地元との結びつき。 
    蛇国ではどうなのかは知りませんが、この国、この街ほど大きくもなると、 
    やはり横の結びつきや、自国民・地元住民へのアピールが大切なのですよ」 
     一見物腰丁寧ではあるが、その瞳の奥には。 
    「…うちの商会の隊商の護衛は、ギルドの方に一括してお願いしていまして。 
    それでなくても現状では、あと10年は護衛の新規雇用の予定はない状態です」 
 
     ――ああまた来たか、たまに来るんだよなこういうのが、という色があり。 
 
    「ローカル魔術よりもまず、市場経済と経済原論を学んでみてはいかがですかな?」 
     ヒゲをこよらせ、またしても紳士然とした調子で深々と礼をすると。 
    「……では、お引き取りを」 
 
 
「都会の現実の厳しさに鼻を挫かれて、結局ロクな仕事にもありつけず。 
かと言って、散々期待されて、あるいは飛び出して出て来た反面、 
おめおめと田舎に帰る事も、『地元の英才』のプライドが許せなくて……」 
 …けれどまるで見てきたかのように、こちらの素性を。 
 さながら『よく居るんだよな、お前みたいなの』とでも言うかのように。 
 
 
    「ダメにゃダメにゃダメにゃ! お話ににゃらにゃいにゃ!」 
     どっかの姫様を想像させるような口調の、黒毛に黒肌の快活そうな少女に、 
     これでもかというばかりに門前払いを食らった。 
    「ジン、ジン、ジン、ジン、ヘビの国の魔法使いはいつもそればっかりにゃ!」 
     デスクにふんぞり返った姿は自分と同じくらいの娘に見えるが、 
     だてにヘビの四倍の寿命を誇るだけあり、どうもネコの実年齢は推定に迷う物がある。 
    「確かにすごい魔法だとは思うにゃ。『生きた魔法』なんて芸術だとも思うにゃ。 
    …でもじゃあアニャタは、『それ以外』に他になんの魔法が使えるというにゃ? 
    むしろ卑金練成や霊薬練成の知識のある錬金術師の方が、よっぽど役に立つにゃ!」 
 
     ――『錬金術』など、大抵は欠片も精霊魔法の才を持たずに生まれた者が、 
     それでも魔への道を諦めきれずに、未練がましくも志す道だと。 
     …そんな印象を抱いていたアイニィにとって、自分などよりもまだ錬金術師の方が 
     役に立つというこの黒ネコの言葉に、カチンと来たのは事実だったが。 
 
     ……だが同時に、身に覚えのある部分を突かれたのも確か。 
     『ジン』は結局、コスト、タイム、利便、実用性、安定性、使い勝手その他を、 
     究極まで磨き抜き、極み上げられた、一つの魔法の芸術的最終形態で… 
     …けれど確かに、それはどこまで行っても『一つの魔法』だ。 
     『地精霊の召喚と使役』 
     結局の所、それがアイニィの使える『唯一』の魔法。 
 
    「そりゃちょこっとは北の国境やスラムで物騒だったりするけど、 
    基本的に戦争ばっかりのヘビの国と違って、ネコの国は概ね平和なのにゃ! 
    平和な国じゃ、そんな危なくて物騒な魔法の需要なんてにゃいのにゃ! 
    それも地のジンだにゃんて、風や水ならまだしも、大道芸にすらならにゃいにゃ! 
    薬や雑貨、工業用品の作成にも応用できる錬金術の方が、よっぽど需要あるにゃ!」 
 
     ただ。 
     ――『大道芸にすらならない』―― 
     さすがにその一言にはカチンと来たアイニィが、思わず大声を上げようとした時。 
 
    「…いやはや主任、お茶が入りましたぞ」 
     ガチャリと奥のドアを開けて入ってきたのは。 
    「にゃ! トクさん、今取り込み中にゃ! 邪魔だからあっち行っててにゃ!」 
    「あ、いやいや、これは失礼」 
     むさ苦しい作業衣に身を包んだ、年の頃40、頭髪の薄く人当たりの良さそうな…… 
 
    「ちょ、ちょっと!」 
     それを見て、信じられないとばかりに仰天して叫ぶアイニィの姿。 
 
    「なんでヒトなんか雇ってるのに、あたしは雇えないとか言い出すわけっ!?」 
 
     ――信じられなかった、実際。 
     こんな。 なんでこんな、何の力も持たない、無力な事で有名なヒトが…… 
     ……いや、まさかこの黒ネコ、オジン専門の下手物食い―― 
 
    「…ちょっとちょっと、何失礼な事考えてるかにゃあ、アニャタは」 
     けれどアイニィの考えてる事を察したか、ムッとしたように言う黒ネコの女。 
    「勘違いしないで欲しいにゃ、トクさんはうちのテクニカルアドバイザーなのにゃ。 
    ヒトだけど、あんたみたいなのなんかよりずーっと物知りで役に立つのにゃ!」 
    「はは、なに、ちょっと前の世界でミツブシいう所の下請会社やっとっただけですわな。 
    もっともそれも空襲で焼けちまって、自分もそん時こっちに『落ちて』来たんですがね」 
 
     そう、頭を掻きながら照れたように言うトクと呼ばれた中年のヒトだったが、 
     それでもその時のアイニィは、そんな事聞いている余裕はなかった。 
 
     ――役に立たない? 
     ――あたしが? 
     ――無才の枯花たる錬金術師達よりも? 
     ――こんな冴えない、唯一の取り得たる見目の良さすら無いようなヒトよりも? 
     ――大した事ない? 
     ――大道芸にもならない? 
 
    「精霊魔法なんてもう時代遅れ、これからは機械と魔法の融合の時代にゃ! 
    うちの業績がアップしたのも、教え上手のトクさんの指導あっての進歩なのにゃ、 
    にゃはは、わかったきゃこの鱗女、…ほれトクさん、勝者の肩揉めだニャー♪」 
    「はいはい主任、はいこの通り。……ですがねぇ……」 
     椅子にふんぞり返ってひっくり返る女ネコに、しかしヒトの中年は呼びかけた。 
 
    「……雇って差し上げればいいじゃないですか」 
     ひくり、とアイニィのコメカミが動く。 
    「こんな美人さんなんですぞ? そろそろうちも、美人の受付嬢の一人も―― 
 
    「――もう結構です、失礼しました」 
 
     バタン! 
 
 
「中途半端なプライドと才能を持った、よくいる『元お登りさん』の『魔法使い崩れ』」 
 淡々と。 
 憐れむわけでもなく、蔑むわけでもなく、嘲笑うわけでもなく、見下すわけでもなく。 
 
「……さしずめ、そんなところか」 
 ……そんな言い方が、だけどむしろ憐れまれるよりも―― 
 
 
     バタン、と荒々しく入り口のドアが閉まる音。 
     その音がした方向をしばらく眺めていた二者であったが。 
 
    「…はん、やっぱりあの程度きゃ。こりゃ雇わなくて正解にゃ」 
     バリバリと頭を掻きむしると、再び机に向き直る女黒ネコ。 
    「主任、そりゃないですがな、あれだけ言えば普通誰だって……」 
    「アホきゃトク、だからお前はお人好しなんにゃ! 
    お節介とお世話焼きは、仕切り屋のイヌにまかしとけば良い事なのにゃ!」 
     横から口を出すヒトの中年に対し、バシン、と机を叩いてタンカを切る。 
 
    「本当に雇って欲しいんなら、あれだけ言われてもまだ頭を下げられる 
    ようじゃなきゃダメなんにゃ! 『そこを何とか、お願いします』ってにゃ」 
     ふん、と鼻で一つ厭息も吐き。 
    「…それが出来ないばかりか、見たきゃトク?  
    あいつが出て行ったのは、多分お前の最後の一言が原因にゃ」 
    「と、言いますと?」 
     首を傾げてくるテクニカルサポーターを、ちらりと見やって。 
    「……『自分よりも下の、弱い立場の者に憐れまれるなんて耐えられない』。 
    …思いっきりそんな目をした、よりにもよって最悪のタイプの女だったにゃ」 
 
     それでもまだ分からない、といった表情の男に、耳をパタパタ動かすと。 
    「…中途半端に才能を持って生まれたばきゃりに、その上に胡坐をきゃいてしまって。 
    しかも周りから散々それを褒められ煽てられ、取巻に顔色窺われて来たもんだきゃら、 
    自分を優秀と信じて疑わない、典型的なエリート意識、魔法使い根性の女だったにゃ」 
     苛立ったようにカツカツと机を叩き、黒ネコは大きく息を吐く。 
    「ちょっと他人に出来にゃい事が出来るからって、『自分を特別な存在だと思い込む』。 
    …だから魔法使いと学者先生は嫌いなんにゃ、どいつもこいつも偏屈驕慢で――」 
 
    「――しかし主任」 
     だが。 
    「自分のコンプレックスを他人におしつけ「「うるさいにゃッッ!!」」 
     ドダンッ!と叩かれた樫の机に。 
     零れたお茶も含め、机の上にあったものが全部いっせいに飛び跳ねる。 
 
     ……しばしの沈黙。 
 
     …やがてカラカラと、椅子の滑車を動かして、向かったのは部屋の端、棚の上。 
    「……あいつ、昔幼年学校でにゃーの事いじめた、イジメッ子の女に似てたにゃ」 
     そこにあるのは古ぼけた、錆びて煤けたジッポライター。 
    「頭良くって、勉強も出来て、魔法の才能もあって……にゃーとは正反対だったにゃ」 
     カチンと蓋を開けて火を灯すと、ゆらゆらと揺らめく炎が生まれる。 
     うっとりと眺める黒ネコだったが、別に危険な趣味があるわけではなく。 
 
    「…『機械』はいいにゃ。…『魔法』がちょびっとも使えないにゃーにも平等にゃ…」 
 
    「――というと、それが例のあれですかな?」 
    「……そうにゃ」 
     こっくりと頷いて、ボロボロのジッポライターを大事そうに抱える女。 
    「昔、いじめられて原っぱで泣いてた時、これを拾ったニャ。 
    最初は落ち物だと分かんにゃくて、いじってていきなり火が出た時はびっくりして……」 
     その頃の事を思い出しているのだろうか、どこか遠い表情をして。 
    「……そして、ニャーの宝物になったにゃ」 
 
     傍にあった磨き布で丁寧にふきふきすると、元の台座の上に戻す。 
     くるりと振り向いた顔には、もう怒気は見られない。 
     …一種の精神安定剤のようなものなのだろう。 
    「でも、ある日壊れちゃったのかいきなり火がつかなくなってしまってにゃあ。 
    今でこそオイルが切れただけなんにゃって分かっても、ちっちゃい頃のにゃーは 
    それこそ全然分かんなくて、泣きながら毎日毎日機械の勉強をしたのにゃ」 
 
    「…それで今の主任がある、と」 
    「その通りニャ!」 
     カラカラと椅子を転がして、また部屋の隅から元の位置へと戻ってくる。 
     ……少し行儀が悪いが、それはこの際言うような事ではあるまい。 
    「…でも、だけど未だにあの手の有能な匂いプンプンのタカビーオンニャは苦手にゃ。 
    こればっかりはどうしても、…出来る事ならあんまりお近づきにはなりたくないのにゃ」 
     机に肘をついて、ハァ、と一つ溜め息をつく女黒ネコ。 
     トラウマなんて虎と馬だけにまかけておけばと思うのだが、それでも幼い頃、 
     ……色々された事に関しては、今でも彼女の心に残っていて。 
     悪い悪いとは思っていても、それでもついつい、カッとなってしまうのだった。 
 
    「……トク、にゃーは酷いニャンコかにゃ?」 
     自分の二倍生きていると豪語するこの黒ネコではあったが、 
     その割にはこういう時は、まだ女学生なのに空襲で死んだ自分の娘を連想させる。 
    「…誰にでも苦手な物の一つや二つくらいありましょう。それが当然というものですぞ」 
     本当を言えば、実は悪食・下手物食いというのは当たっていて。 
     体の関係を誘われた事も、実は何度かあったのだが、 
     それを彼の方から丁重に断わってきたのは、そんな所に理由が大きかったと言える。 
    「…そうきゃ……」 
     男が『操を立てる』というのも変な話だったが、…まぁそうカッコつけておいて、 
     それでも死んだ妻と娘の事が忘れられないというのが、実際の所本音ではあったが。 
    「……新規顧客ゲットみたいには行かないもんにゃね(ボソリ)」 
    「? は?」 
    「な、ななな、なんでもないにゃっ!!」 
    「???」 
 
     とまあ、少し赤面公告ハプニングなどはありはしたが、 
     …ふう、と一息ついて、割り切ったように黒ネコの女は首を振ると。 
    「――ともかく、あれじゃきっと、どこに行っても上手くやっていけっこないにゃ。 
    ヘビとか、ウサギとか。 ジン使いとか、符術師とか、そういう以前の問題にゃ。 
    そのうえ正真正銘一流のジン使いならともかく、あれじゃせいぜい『二流の上』、 
    それであの性格……礼儀も知らず、世間も知らず、協調性はゼロ、 
    『魔法だけ』が取り得の、プライドばっか高い小娘なんにゃから……」 
     両手を上げて、お手上げのポーズを取り。 
 
    「……さしずめ『井の中の蛙』ならぬ、『お砂場の蛇』というやつにゃね」 
 
 
「黙んなっ!!」 
「……ぃっ!!」 
 叫んで、人質の頭を握らすジンの手に込める力を増やす。 
 呻き声を上げて仰け反ったそれに、やはりピタリと止まる相手の無駄口に、 
 やはりこの賭けがそこそこの当たりであった事は理解できた。 
 
「…その、物騒なものを捨ててちょうだい」 
 今も握られる、マルコを殺した、血まみれのグレートソード。 
 …正直他にも何か持ってそうだが、まずは試しの意味も兼ね、危険なそれを捨てさせてみる。 
 …ナイフくらいなら砂の壁で防げるが、あれほどにもなるとちょっと自信が無かったからだ。 
 
「…………」 
「さっさと――ッ!!」 
 なのに、聞いているのか聞いていないのか。 
 眉一つ、肩一つ、反応のひとつも示さないそれに、苛立ちの声を上げた時。 
 
――すい、と刃を下にして持ち上げられた剛剣が 
――無言とともに、ふわり と。 
――柄から手を離されて、一瞬宙に浮かび。 
 
 
     殺風景な部屋だった。 
     置物らしい置物、絵画や調度品もなく、あるのは絨毯と、机、ベット、タンスぐらい。 
     零れ落ちた壁の砂、床の塵一つないような部屋だ。 
 
     結局、どこでも上手くいかず、雇ってもらっても長続きせず。 
     …妖しげな噂のある店や、黒い噂のある商会にまで足を伸ばすようになり始めていた、 
     それがそもそもの間違いだったのかも知れない。 
 
    「ほっほっほ、つまりは錬金術の心得はないのですか、…それは残念だ」 
    「ええ、はい」 
     ダイヤだのルビーだのの指輪をごてごてとつけ、 
     まるでボールみたいにまん丸の、でっぷりと太ったネコが言う。 
     頷きながらも眉を顰めたのは、幾度となく繰り返されたお馴染みの台詞に対してだ。 
     パナケイア、エリクシール、龍薬、龍毒、貴金還元…… 
     …そこまではいかずとも、せめて並の霊薬、素材作成、卑金還元くらいはできないかと。 
    「聞けば蛇国の錬金術の秘には、様々な淫毒、秘香、媚薬の作り方も伝わるそうで」 
     あまつ酷いのになると、この目の前の成金猫みたいに。 
     露骨にこういうのを聞いてくる者達さえ居るというのが、たまらなく不愉快で。 
    「処女でも快楽に狂う程の媚薬に、一晩に10の射精をも可能にするという秘薬、 
    まぐわいに至高の快楽を見せる香に、どんな淑女をも堕落させる淫毒と、 
    ネコの魔法薬でもこうはいかない、一度お目にかかりたいと思っていたのですが…」 
    「お言葉ですが」 
 
     これだけは言っておかなければと思って、アイニィは即座に口を開いた。 
     …それが小娘の証なのだと、この時まだ21のガキだった彼女は、気がついておらず。 
    「そのような麻薬・卑薬の作成に手を伸ばす者がいるからこそ、 
    魔術全体の品位・偉大さが、低俗の勘ぐりによって低下するのだと私は思っています」 
     医薬・医療の為ならまだ良い。それは素晴らしい事だとアイニィも思う。 
     ……思うが、しかしそのような『いかに優れた毒薬、麻薬、媚薬を作り出すか』、 
     それに腐心する者がいるからこそ、蛇国の魔法全体への公の不信の目が注ぐのだと、 
     そうその頃のアイニィは考え、また信じ、…故に錬金術が嫌いだった。 
 
     ああ、対して精霊の雄々しさ、美しさ、力強さ。 加えては根源の四のその神秘。 
     自然の力こそ偉大であり、その前に人の作った浅はかな薬学など取るに足らないと。 
     何故理解されないのだろう、精霊使いの、魔法使いの偉大さが、とさえ。 
     …いわゆる『魔術原理主義』、それもかなり過激派に近い考え方だったのだが。 
 
    「…そうですか、それはまた」 
     十指ことごとくに嵌る、嫌味のように煌びやかな指輪をじゃらじゃらと鳴らし、 
     男は慇懃無礼な笑みを浮かべて、ほっほっを嫌な笑いを上げると。 
    「…ですが残念ですな、もう遅いようで」 
    「? ……ッ」 
 
     ちくり、と椅子に座った尻に、何か突き出て来たものが刺さる感触に。 
    「いっ………ぁ」 
     思わず飛び上がって、だけど次の瞬間、へたへたとその場に座り込んだ。 
     全身を、何かぞわぞわしたものが、瞬く間に巡り頭の方へと這い上がって行く。 
 
    「ほっほ、…わたくし、実は人に言えないような趣味を二つほど持っていましてね」 
     大きな卵に手足が生えたような体を震わせて、太った商人ネコが立ち上がった。 
    「…一つは、媚薬・淫毒の収集。…嘘をついた事は謝りますが、ですが実は、 
    『処女でも快楽に狂う程の媚薬』、『一晩に10の射精をも可能にするという秘薬』、 
    『まぐわいに至高の快楽を見せる香』、『どんな淑女をも堕落させる淫毒』、 
    …いずれも全て私のコレクションの中に、既に存在しているのですよ」 
     見る見る体から汗が噴き出す。 
     頭の芯が滲んだように熱くなり、そのくせ全身の感覚がやけに研ぎ澄まされる。 
 
    「そして、今一つの趣味がこれと言うわけで」 
     バサリ、と落とされた着衣の音に、けれど頭に響く警告の音は虚しい。 
    「世間はヒトこそ至上の愛玩・性具としているようですが、私はそうは思わない。 
    ……だって、もったいないと思いませんか?」 
     先日、一次面接と称して経歴やら特技やらを根掘り葉掘り聞かれた事が、 
     今更になってどういう意味を持つものだったのか頭に分かったても。 
    「ネコ、イヌ、ウサギ、キツネ。 オオカミ、トラ、カモシカ、サカナに、また他数多。 
    …せっかくこれほどの、ほぼ同じ肉体構造のバリエーションがあるのですよ?」 
     細く尖った耳に、ぼさぼさずんぐりとした毛玉のような体。 
     だけどその中心、先走りを垂れ流して屹立するそれを見る限り、 
     どうやら十中八九、相手も既に『薬』を用いているのだと。 
    「…私の様に、『それ』の方を望む者がいたって、おかしくはないではないですか」 
 
    「…っ!」 
     分解しそうになる思考に、それでも意地と根性でジンを出そうとした。 
     だが―― 
    「無駄ですよ」 
     対象を探し当てられず、虚しく空を切った己の『力』に愕然とする中、 
     蔑むように腕を取って抑えつけながら男が言う。 
 
    「酸素が無ければ炎が燃えぬよう、水が無ければ魚が泳ぐことが出来ぬよう…」 
     ――らしくもない殺風景な部屋。 
     ――チリ一つ無く、ゴミ一つ無く…… 
    「…泥や土くれ、小石どころか、大理石一片・砂粒一つ無いこの部屋では。 
    『土』のジン――砂礫の類を媒体とする貴女の力は、露の一滴も使えない」 
 
     今まで当然のようにあったものが、ここには無い。 
     それでも宙を掻く力を知りつつも、未練がましく何度もそれを発する自分に。 
    「……貴女達、『優秀』『優秀』と呼ばれるような魔法使いは、いつもそうだ」 
     怒りと涙で燃える目に、見つめ返してきたのは妬みと嫉み。 
    「私達と同じ、『理』の内にある者のくせに。 …『魔』を持ってして、『理』を越えたと」 
     およそ麗しさ、美しさ、凛々しさ等とは程遠い、醜い姿を持つ者の。 
     …美しく、神に祝福された者達に対する、破壊の願望。 
 
     あっさりと抱き上げられた体に、ロクに抵抗も出来ない我が身が恨めしく。 
    「心配せずとも宜しい、それは極めて弱い媚薬です、…『私のコレクションの中では』ね」 
     全身の発熱発汗はいよいよ耐えがたく、秘裂はぬるみ、奥がむず痒くて。 
    「生憎と既に何人か『壊して』しまいましてね、流石にこれ以上地下に『妾』を囲うのは」 
     笑い話にもならない。 
     ヘビである自分が、ネコの作った毒の巣穴に落ち込むなどと。 
 
    「そういうわけで、生憎と雇って差し上げる事はできないのですが」 
     シルクの寝台に押し倒されて、 
    「…しかし『200セパタ』の値をつけましょう。 貴女のその、体という名の資本に対してね」 
     軽く噛み付かれた首筋に、屈辱と憎悪に燃える心に反し、 
     体の中を、何かぞくぞくするものが駆け上がり。 
 
 
 カツ――――……ン 
 
 と。 
 そんな澄んだ音を立てて、何か足元にあった剣とも折れた刃ともつかない物にぶつかり、 
 がらんとその場に横倒しになった。 
 
「……そう」 
 眺めて、ゆっくりと荒げていた息を収める。 
「それでいいのよ、それで……」 
「……だめ……ぞうき――」 
「あんたは黙ってなッ!」 
「ッッッぁ!」 
 
 年増のヒステリーなんてみっともないとは、言われなくても分かっているが。 
 …もう、そんな事を気にしているような状態ですらすでになくて。 
 必死に目の前のイヌを気遣うこのヒトメスの健気さが、 
 何か死んでしまった『彼』の純朴さと重なって、意味も無く苛立ちが募ったのは確かだが、 
 だけどもう、なりふり構ってる余裕なんて欠片も無く。 
 
 …だってもう、自分一人なのだ。 
 
 
 逃げる、なんて鼻から念頭になんかありゃしなかった。 
 逃げられるとも思わないし……そもそも逃げたって、もう何の意味があるものか。 
 マルコも死に、『彼』も死に。 
 皆、皆死んでしまった。 自分一人だけを、最後に残して。 
 
 意味がない。 
 意味がないから。 
 刺し違えてでも、こいつを殺したくて。 
 でも悲しいかな、それすらも無理だと分かっていて。 
 ……だから。 
 
 
     「うっ、ふあっ、あぐっ、あうっ、ああぁうっ…うぁああんっ!!」 
     「…皆、このようなものなのですよ」 
      さすがに処女では無かったし、故郷では何度か夜這いの経験もありはしたが。 
      そして痛みの無い、それどころか今まで感じた事のない快楽だったとは言え。 
     「…っ、…っう、うあっ、ふあっ、ひ、ひゃうっっ!!」 
     「いかに気高き矜持を持った、志の高い優れた魔法使いであろうとも。 
     封魔符や縛妖鎖、魔封じの首輪・腕輪、…それらを使ってしまえば、一転して無力」 
      他の種族とするという事に対して抵抗感を抱いていた当時のアイニィとしては。 
      心の芯の部分では、ただひたすら嫌悪と、憎悪と、惨めさと。 
 
     「そしてどれだけ貞淑な、清純純潔、ただ一人の相手に操を誓ったような女性でも。 
     こうやって薬や毒を用いれば、ほらこの通り、なんと脆くもあっけない」 
     「……っ―――、 っ――!  !!  …っぁ!!」 
      …だというのに、溢れ出る愛液は股を濡らし、秘裂の内部をする肉棒は最高で。 
      甘い痺れ。 既に心の表層や中層はともかく、ともすれば深層、中心部分まで 
      飲み込まれてしまいそうに、身を任せてしまいそうになる、あまりにも強い快感。 
     「イヌとウサギ、キツネ、オオカミ、ヒョウに海の者達の幾つかは、既に試しましてね。 
     そろそろヘビやトラ、カモシカ辺りにでも手を伸ばしてみようかと思っていたのです」 
      その癖本人は表面上は至って冷静に、行為にのめり込む事無く飄々と。 
      まるで片手間に自分を犯し、お前など簡単に屈させられるのだと言わんばかりに。 
 
      自分が、この自分が。 
      類稀なる才を持った魔法使い、他とは違うはずのの自分が。 
      こんな醜い他種族の男に、金儲けしか頭にない浅ましい商人風情に。 
      簡単に心まで操られ、取られそうになっている、その事実に。 
 
     「……もっとも、失敗も多くしてきたのですがね」 
     「っひ、い、いぁっ、いあああっ、いああああぁ、っぁああんっ、あああぁんっ!」 
      薬により感覚神経が鋭敏になる中、どぷりっ、と中に叩きつけられたものの感触に、 
      痺れて呂律の回らない舌が悲鳴とも嬌声ともつかない声を上げる。 
      他種族の、嫌悪すら感じる男の精液などを注がれて、だけど体は。 
     「どうせなら強い毒、強い力を試してみたい、…分かりますでしょう? その気持ち」 
      ……問われるが、けれど最初からアイニィには聞こえてなんかいなかった。 
 
      震える膣肉、締め上げるひだ、出しながらもごつごつと動き乱暴に奥を叩いて、 
      熱く粘る白濁をぐちゅぐちゅとこね回すそれは、乱暴なはずなのに、 
      なぜか切なく、切なくて。じん とした痺れが頭を。熱い吐息が。熱い感情が。 
 
      ――じくり――と心の中心部にまで侵入して来そうになったそれに、 
      薬のせいなんだ、と叫び言い訳する自分の言葉は、何故か虚しく、とても虚しく。 
      泣き叫ぶのは、無理やり植えつけられた女の歓びによる、快楽の為と、絶望の為。 
 
     「魔法への抵抗が強いという事なので、ついつい『強い毒』を試してしまって。 
     ……まずはウサギの方を一人、『壊して』しまいました」 
      ――だから相手の口上など、最初から耳に入っていなかった。 
     「とても可愛らしい、泣き震えながらもイヤイヤするような方だったのですが。 
     …今では自分一人では排泄すら出来ない、あれは本当に可哀想な事をした」 
      ひときわ大きな快感に、思わず相手の太い腰に足を絡みつかせてしまう。 
 
     「サカナの方も、常習性のあるものを試してみたのが良くなかったのでしょうね。 
     …まだ一人で食事は出来るのですが、定期的に薬を与えないと、狂ったように」 
      埋めた鼻先、体毛の、男の匂いがどうしようもなく彼女をくすぐって。 
     「あれほど美しい肌とヒレを持っているのに、『虫が、虫が』と泣き叫んで全身を 
     ミミズ腫れになるまで掻き毟るのです。…流石にあれは、痛々しくて見ていられない」 
      乳首を擦り摘む指が愛しい。内壁を擦り上げる肉の傘が愛しい。 
 
     「何よりも、ウサギはあの通りの滅多に外に出る者のない閉鎖的な国ですから、 
     一般市民に対しても、妙に追求の手というか、行方を探る者の目が厳しくて」 
      嫌悪と、屈辱と、快楽と、歓喜、…そして愛。 
     「いやはや、方々にどれだけのセパタ、…『金』を撒かなければならなかった事か」 
      肉体が勝手に反応し、脳から分泌された物質がもたらす、偽りの愛。 
 
     「それで気をつけていたのが、今度は黒ヒョウの女性の方が……これは弱めの媚薬を 
     用いたつもりだったのですが……どうやら意外にも、『心』の方が壊れてしまったようで」 
      こんな忌まわしい相手に対して、一瞬、切れ切れにではあっても、愛を。 
     「一夜の戯れのつもりが、意外や意外、いつまでも座り込んだまま立てもせず、 
     壊れたようにいつまでも泣きじゃくり続けるものですから、流石に哀れに思って」 
      そんな心すらも蝕み操り地に伏させる、自然に外れた常外の快感に。 
 
     「『故郷の家族の所まで送って行ってあげようか』と申し出たら、今度はまた 
     狂ったように泣き叫び出す、…だから仕方なく、一室を差し上げて三人目と」 
      ――もうボロボロで。 
     「とても強そうな心を持った、それでなくとも黒ヒョウのお嬢さんだと思ったのが、 
     しかし蓋を開けてみれば、今時珍しいくらいの純粋な硝子の心なのですから。 
     驚きに、…ですがそのような奇もまたあるからこそ、故に人生は、また面白い」 
      ――ずたぼろで。 
     「ただささやかな趣味、戯れのつもりが、しかし三人もの人間の経歴痕跡を消して、 
     かつそれらを密かに養うともなってしまうと、流石に戯れに過ぎる重大事に……」 
      ――これまでの21年間の彼女を、完璧に叩き壊していって。 
 
      ……だけどそれこそが、淫毒というもの。 
      ……決して身持ちを崩さぬ貴婦人の心すら狂わす為に作られた、悪魔の薬。 
 
      ふいにピタリ、と止まった律動に。 
     「…ぁっ、いっ? …いっ、いやあっ、やだっ、やだあああ! やああああっ!」 
      途端に全身を虐めるむず痒さ。 
      秘奥と体表を中心に、何かが薄皮一枚下を這い回るようなその耐え難い感触に。 
      理性よりも本能が、自分から腰を動かす事を止められず。 
     「はひっ、ひっ、ひ、い……いや、やぁぁん、やあああん…っ」 
     「……けれど、そんな重大事すらも可能とする、…それこそが私の得た力」 
      涙を流しながら自分の体に全身を擦り付けて来るアイニィを眺め、 
      相手に聞こえる事を前提としていないのか、半ば陶然とした調子で男が言った。 
     「魔才にも、容姿にも恵まれなかった私が、それでも得る事ができた力なのですよ」 
      ぞわぞわとした感触と、消えない倦熱に耐えられず。 
      乳房、顔、鱗に全身を、忌まわしいはずの男相手に駄々をこねるよう擦りつけ、 
      自分から腰を動かさずには居られない、そんな彼女の心の壊離にも関わらず。 
 
     「こう見えても昔は私、実は魔法使いになりたくてですね」 
      …まぁ、気づけというだけ無理のある話だっただろう。 
     「色々と勉強したのですが、けれど結局、悲しいくらいにこれっぽっちも才能がなく、 
     そのせいで散々同学の者からバカにされた挙句、道を断念せざるを得ませんでした」 
      …まだこの時の、150〜200年生きる内の20しか生きていないようなアイニィに。 
     「そんな私の事を同情の目で見、また見向きさえ、触られて嫌悪さえ示したような、 
     美しく、また類稀な魔の才知を持った誇り高い女性が、…ですが、ご覧の通り」 
      …肉体の快楽そっちのけで、非道の限りを自慢して聞かせるようですらあるその目に。 
     「…分かりますか? これが力、お金の力。…『命』すら買える、『万能』の力です。 
     各々特定の事象にしか使えぬ魔とは違い、これさえあれば世の中の大抵の事象。 
     『魔』を無に効す符、『心』すらも傾ける強力な媚薬、『命』たるヒト奴隷でさえ……」 
      …半分、諦めにも似た狂気の色があったという事を、気づけというだに。 
 
      ――持たず、故に力を欲し 
      ――力を得、されど得たはずなのに欲した物は手に入らず 
      ――結局『壊して』『奪って』『力ずくで』『むりやり』という手法に訴え出てしまって 
      ――そしてそれゆえに、どこかで満たされず、どこかで虚しい 
      ――その境地に至ってしまった者に特有の、厭世にも似た独特の狂気の色を 
 
      一人行為に耽るアイニィを横に、何かに伸ばすように宙に伸ばされた手をそのまま。 
     「ひっ!?」 
      ぐるりと返されて正常位、相手の巨体に押し潰されるようになった形。 
     「……とても可愛いのですよ」 
     「…はっ、ひゃっ、うぁ!? う! ぅあっ! ああっ! いああっ! いあああぁっ!!」 
      一転してガツガツと、まるで叩きつけるような腰の動きに悲鳴が上がった。 
 
     「ひっ!? ひぃっ! ひぃぃんっ、ひぃいいん! ひいいぃぃんっ!!」 
     「…黒ヒョウのお嬢さんは、それでも平時は抵抗するのですが、けれど薬を飲ませて 
     差し上げると、途端に私のような者に貫かれていながら快楽の程を叫んでくれる」 
      一転して乱暴かつ荒々しい動きに、 
      けれどそれすら快感に感じるようになってしまっている今のアイニィの体には、 
      それは余りにも強過ぎるもので。 
     「…薬が徐々に薄められ、今やただの味付き水だという事も分からずにね」 
      両手を背中、両足を腰に、目の前の男の体にしっかりとしがみ付いて耐えるしか。 
      …そして耐えながらも、『それ』がもっと早く来る事を、もっと強く来る事を願って、 
      腰の動きを、相手の動きにあわせざるを得ない、 
      そんな自分のもう自制の効かない体に、けれど心を塗り潰すのは冷たい泥黒で。 
 
     「あっ、うぁっ、あっ、あ……」 
     「…だがそれ以上に愛らしいのが、ウサギのかた」 
      ――と。 
      ――朦朧とした眼に、きらりと映るもの。 
     「……『愛している』と言ってくれるのです。こんな私に対し、声を大にして」 
     「うあっ、うああっ、…っく、ぅぅぅ、っぁ、ぅあ、…ぁ」 
      ――終わりを前に、最後に残った心。 
      ――ほとんど反射的に、無意識の行動でもって手を伸ばし。 
     「……私のような醜く商才しか無い丸ネコの男に対して。 
     本当に他意の無い声で、『大好き』『気持ちいい』『愛している』と――」 
     「…ぁ、ああ、あ、あ…あ……ぁ、 …ぁああああああああああああああ!!!」 
      ――腕に当てた手に、どすっ と。 
 
      どぶっ 
     「――――――っっっっぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!!!」 
      どびゅっ  びゅっ  ぴゅっ  ちゅっ 
 
      膨れ上がって、弾けるものの感触に、ありったけの力を込めてしがみ付いて。 
      通算四度目、びくびくと震え、その度に暖かいものをじわじわと胎奥に出す 
      それの感触に、少なくともその瞬間、その一瞬だけは、完全に。 
     「……ぁ…」 
      瞳を潤ませ、しがみ付いて、完全に。 
 
 
      くたり、と息を荒げてシーツの上へと身を弛緩させたその体に。 
     「…さあ、それでは貴女も言ってはくれませんかな? 私に対して、愛していると」 
      流石に薬を用いても四度が限界だったか、一度萎えたそれを抜きながら。 
      でもどこか茫洋と、まるで本当に今の交わりを愉しんでいたのか、 
      …しかしまだひくひくと、余韻に震えるかのような秘所の蠢きを目に笑みを浮かべ。 
     「何、難しい事はありませんよ。…今貴女の体の中を支配している、 
     その衝動に従うままに、従うままの声を上げてくだされば、それで十分足りる事」 
      ほんのりと赤く上気する体、虚ろな目、収まらない荒い息。 
      何よりも交わりの瞬間のあの涙、あの嬌態、あの最後の痴態。 
      ひんやりとした蛇特有の体に、けれど確かに、自分が変化を与えたのを感じつつも。 
     「言ってくれるのなら300……いや、500セパタまで、お支払い額を上乗せしてもいい。 
     これは貴女の様な独り身の女性が、切り詰めれば一年は暮らしていける程の額です」 
      ただその一言を、きちんとした言葉で。 
     「…さあ、言ってくださいませんかな? いい加減意地を張らずに、素直になって」 
      確かな言葉で、ただ一言、彼が欲しいのはそれなのだと。 
 
     「……うせきを……」 
     「…?」 
      なのにボソリと。 
     「……せきを…ぐくむもの……にか、…ってる…?」 
      こちらを見ない横に向けた顔、何かを呟いているのだと分かった時。 
 
     「……!」 
      見えない空をよぎる『力の奔流』を、魔の才がなくとも、学んだ事のある彼が身には。 
     「…今更何をするかと思えば、まだ愚かな事を」 
      どこか悲しそうに、そしてまた少し幻滅したとでも言うような興醒めな顔をして。 
     「ほっほ、言ったでしょう、ここでは『土』のジンは具現化できぬと。いい加減―― 
 
      ――……向けられた指先に、くるくると回るもの―― 
 
      停止した空気に。 
     「…実際、よく…間違えられ…るから……だから、訂正して、おくわ……」 
      かつて無い絶頂を迎えたばかり、気を抜けばトびそう、萎えそうになる精神を、 
      けれどそれだけの頂点を迎えた分だけ、幾分はマシになった体の疼きを抑えつつ。 
     「つちの…『土』の、ジンじゃ、ないの。……『地』のジン、なの…よ」 
      かたかたと、今にも暴発しそうなそれを、むしろ抑える方に苦労しながら。 
     「…ね? 『宝…石』を…育むものは、何か、知ってる…?」 
      指した指先、きりきりと回るのは、男の中指から抜き取られた『ダイヤ』の指輪。 
      炭素の塊にして、宝の石と呼ばれる、…言ってしまえば、綺麗な『石ころ』。 
     「……地、…大地よ」 
 
      ――こういう小器用な芸当は苦手だったが 
      ――しかし大きなジンを作れるものが、小さなジンを作れないなんて事はなく 
 
      …古来より性のまぐわいは、魔力を高める儀式の一つとして利用されて来た。 
      肉体的な消耗はもたらすが、精神的高揚にこれほど最適の修養はない。 
      高められた精神にオーバーフロー……いわゆる失神してしまう事こそありこそすれ、 
      しかしそれに耐え切れば、魔力増幅、交信・予言の為のトランス状態への移行など。 
 
      …だから本当に、そんなに大変な事ではなかった。 
      ケチケチ魔力を節約しよう、余裕を残して使おうだなんて気の起こらない今、 
      多少精霊の実体化の為の魔力投射の為のマトが小さかろうとも、 
      効率や魔力のだだ漏れなど無視して、ただありったけの力を向ければ良い。 
      …疲弊した神経にも、それは実に簡単な事で。 
      ……そして文字通り、抑える方が難しく、そして更にキャンセルなど最早不可能で。 
 
     ――どうして、手に入らないのかと。 
 
      アイニィの指先、男の顔前でぶるぶるがたがた震えるダイヤの指輪。 
      『行け』と、ただ一言彼女が願うだけで、全てが終わるような状態で。 
 
     「…2000セパタ、お出ししましょう。ですから――」 
      300年、世の醜さや汚さを見続けて来た目の前の大人のネコの商人に対し。 
 
     「くたばれ、ぶたねこ」 
      20年、たった今まさに全ての夢と希望と翼を砕かれた少女の答えがこれだった。 
 
                      ――バチュンッ 
 
 
 
―― 一瞬、『こいつの目の前でこのヒトメスの頭を握り潰してやろうか』と思ったのは事実だ。 
―― そうする事で、せめて一矢。 
―― 死は覚悟の上で、せめてこいつの大切なものを奪ってやろうと。 
 
 ……だけど次の瞬間、それは流石にとやはり即座に思い直す。 
 そりゃ、確かにそれもまた一つの手だろうが。 
 だけど考えても見れば、それはいわゆる、 
 『気に入らない相手に手を出せないから、せめてそいつのペットを殺して嫌がらせ』、 
 『気に入らない相手に手を出せないから、せめてそいつの持ち物を壊して嫌がらせ』、 
 …その程度のレベルの嫌がらせじゃないかと、ふいにそう思えてしまって。 
 
 そんな、せいぜい石ころを投げて相手の家の窓ガラスを割るような嫌がらせ、 
 実質相手はちっとも傷つかない、 
 してもしなくても意味の無い、むしろこっちが逆に惨めになるような行動だとも。 
 
 殺したい。 
 殺してやりたい。 
 殺してやれなくとも、せめて腕の一本、足の一本。 
 目の片方、耳の一個、指の一本、最低でもそれぐらいは奪ってやらねば、意味がなく。 
 
「……ディンスレイフ」 
 悔しかった。 
 悔しかったが。 
 
「……ディンスレイフッ! 居るんでしょうディンスレイフッ!! 分かってるのよ!?」 
 だけど自分ではどうしようもなくて。 
 結局人に頼るしか。 
 それが惨めで。 
 すごく惨めで、だけど。 
 
 
    ――あたしが悪いんじゃない―― 
     当然、ネコの王都、ネコの国には居られなくなり。 
     逃げるように、ボロボロになりながらも、それでも北、一路イヌの国を目指した。 
     警察機構に優れ、またネコの国ともあまり仲はよろしくないらしい、 
     …そんなイヌの国まで逃げれば、何とかなるかと思ったのだが。 
 
    「…あたしが…悪いんじゃない……」 
     幾度となく追っ手を振り切りながらも、 
     イヌの王都まで来たところで、そこで逆に相手に完全に補足されてしまった。 
     今や、半ば大陸共通通貨たるセパタと、ほぼ全ての国と貿易をするネコの国。 
     ネコとイヌとが諍いを起こすその理由にも、 
     そんなネコの国にイヌの国が散々貿易で競り負けているという事実が一枚噛む。 
     …イヌの国の王都にも、ネコの国の商会の支店があったって、おかしくは。 
 
    「こっちだ!」 
    「気をつけろよ、相手は小娘だがかなりの腕の魔法使いだ」 
     相手はそれなりに黒い噂のあった商会で。 
     しかもその会長が、拾った娘との閨事の最中に頭を砕かれ殺された。 
     …少なからずこの手の業界、特に裏の商売、メンツというものを何よりも大事にする。 
     『舐められたら終わり』と称されるこの道で、 
     おそらく急逝したトップの正当な跡目争い、組織内での権力争いも絡んだか。 
 
    「…っ!」 
     まだ普通の衛兵や官兵、警察に追われた方が良かったというものだった。 
     末に死刑もありこそすれ、それでも基本的に『捕まえる』為に動く彼らに対し、 
     相手は完全に最初から、彼女の首を取る心算で。 
 
    ――あたしが悪いんじゃない―― 
    ――あたしが悪いんじゃない―― 
    ――あたしが悪いんじゃない―― 
 
    「一人で何とかしようと思うなよ! も う 五 人 も殺されてる」 
 
     ……そんなつもりじゃ、なかった。 
     クロスボウに狙撃された傷を抑えながら、それでも足を引き摺り路地裏に逃げる。 
 
     身を隠した自分を、いつまでも探して去らない相手に、 
     物陰から礫で気絶させる程度、その程度の威力で済ますつもりだったのが。 
     そこで『居たぞ!』だなんていきなり叫ぶから。 
     ……びっくりして。怖くて。 
 
     ――…ジンが術者の命令を誤解して違える事は決してない。 
     ――どこまでも術者の意思に忠実であり、言葉に出さずとも心に思うだけで。 
 
     ……あっと思った時には、全身に石礫をめり込ませた3つの死体が。 
     そして他にも二つ、あわせて五人。 
 
     …自分が悪いんじゃない。 
     弓だの刃物だの、そんな危ない物を持って追いかけてくるから。 
     自分だって怖くて、慌てて、つい。 
 
     痛みや動揺、恐怖恐慌でも、決して精神が乱れず集中が妨げられないよう、 
     …しかしその技能、その境地を身につけられる魔法使いは、必ずしも多くなく。 
     そしてアイニィも、決して技術がなかったわけではなかったのだが、 
     ただしそれに比例して、秘めた魔力の強さがあまりにも、 
     ……ほんの少しの精神のブレが、人の生死を左右するほどにまで。 
 
    「居たぞ! こっちだ!」 
     無意識に人のたくさんいる街中――殺してしまうかもしれない相手のいない方を 
     選んで、人通りの少ない、裏路地へ裏路地へと逃げたのがまずかった。 
     そう誘導されているのだと分かっても、それでも大通りに逃げる事ができなく。 
    「っぁ!!」 
     ひゅん と空を切って飛んできたそれに、砂壁の展開が間に合わず首に巻きつかれ。 
     どたり、と無様に倒れたところに、頼みの綱のジンが砂に還るのが見える。 
 
     分銅を持って、回転しながら飛び巻きついたそれは――縛妖鎖。 
     痛みと、魔力の消耗と、精神の疲弊。…そしてトドメに加えられたその魔を封じ、 
     発気を妨害する魔封じの鎖に、まさに地を這う蛇のごとく、アイニィはその場に。 
      
     …決して安いものではない、魔法封じの札と同じくむしろ高く貴重なもののはずだが、 
     しかし、こんなものを用いられるほどまでに、自分は。 
     …鎖を巻きつかせて転んだ自分は、まるで野の獣か、害獣かとでも。 
 
    ――あたしが悪いんじゃない―― 
    「っはあ、ヒヤヒヤしたぜ…」「ったく、てこずらせやがってよ」 
     次々と集まってくるのは、金で雇われでもしたか、イヌのチンピラ、ゴロツキ共だ。 
     どいつもこいつも、憎々しげな目で。 
     どうして。 
     あたしは何も、悪い事なんかしてないのに。 
     悪いのは、奪ったのは、最初に悪意を向けたのは、そっちの方なのに。 
 
    「……しが悪いんじゃない……」 
    「ああ!?」 
     …こんなはずじゃなかったのに。 
     …なんで。 
     …どうして。 
     ……どうしてこんな事になったのか。 
     ………なんでこんな事になってしまったのだろうか。 
 
    「…あたしが悪いんじゃない…」 
     いつもそうだ。 
     尊敬して、敬って、おべっかを使って、持て囃しながら。 
     …だけどその影には、いつだって『妬み』や『嫉み』、『恐怖』と『敬遠』が隠れていた。 
     『持てる者』め。『力のある者』めと。 
     あいつは自分達とは違うものなんだ、違う存在なんだと。 
     いつも誰もが、あたしの事をそんな目で見ていた。 
     …だからじゃないか。 
     …だからあたしは、そんな無数の微細な悪意から、身を守るために。 
 
    「あたしが悪いんじゃないっ」 
    「なっ…」 「何言ってやがる!」 「何人死んだと思ってるんだっ!」 
     …認めてもらいたいから、だからあの狭い、端っこの世界を出て来たのに。 
     なのに世界の中心であるネコの国では、 
     役立たずだと。大道芸だと。 
     錬金術の方がまだと。機械の方がまだと。金の方がまだと。ヒトの方がまだと。 
     ……まるでこの自分のジンと同じ。 
     力だけは無駄に大きいけど、だけど不器用、何の役にも立てないうすらデカだと。 
 
    「あたしが悪いんじゃないッ!!」 
    「…っざけんな! おい!」 「ああ」 
     あたしの泣き叫びに、憎しみのこもった怒号、唱和を上げるチンピラ達。 
     ……でも、だけど、あたしはただ。 
 
     昔話に、吟遊詩人の物語に聞いたような、偉大でかっこいい良き魔女みたいに。 
     持って生まれた他に無いこの力を、誰かの為に。 
     みんなの為に、そうして誰からも尊敬され、一目置かれ、愛されるような。 
     そしていつかは、そんなあたしの意地っ張りな性格をも含めて、 
     勝り、けれど驕る事無く、あたしをいなし、優しく包んでくれるような王子様を。 
     …待っていた、そうして、夢見てもいた、……だけど。 
 
    「あたしがっ、あたしが――っ!!」 
 
    ――あたしが悪いんじゃない―― 
    ――あたしが悪いんじゃない―― 
     どうしてそんな目で見る? 
     そんなよく切れ過ぎる、危ない刃物でも見るような目で。 
     ちょっとしたことで爆発してしまう、不安定な爆弾でも見るような目で。 
    ――あたしが悪いんじゃない―― 
    ――あたしが悪いんじゃない―― 
     まるで家の軒先に出来てしまった、スズメバチの巣でも見るような。 
     人里近くに巣を作ってしまった、害獣のそれでも見るような。 
     なんでそんな……そんな目でしか、見てくれない? 
    ――あたしが悪いんじゃない―― 
     『力有る者』は、『力有る者』としての自覚を持って行動せねばならず、 
     『力無き者』の妬み嫉みは、黙って甘受するのが『力有る者』としての当然だと? 
    ――あたしが悪いんじゃない―― 
     『美しい者』は、『美しい者』としての自覚を持って行動せねばならず、 
     『醜い者』の悪意を甘受するのは、『美しく』生まれたが故の避けられぬ義務だと? 
    ――あたしが悪いんじゃ……―― 
     ……それをできぬ者は、排されて、誅されて当然だと? 
 
     軒先に出来たスズメバチの巣は、ただそう存在するだけで害だと言うか? 
     強過ぎる毒を持つ蛇は、強過ぎる毒持つ、ただそれだけでして疎まれるか!? 
     人の社会の安定のために、『駆除』されて然るべき『害悪』か!!? 
 
     ――ふざけるなと。 
     ボロボロと涙を零しながら、そう思った。 
     地を這う蛇が、翼を生やして空飛ぶ夢見るは、そんなにおかしい事なのか。 
     地を這う蛇が、いつか迎えにくる白馬の王子様を胸に抱くのが、そんなにも。 
     死毒を持った毒蛇だって、一人ぼっちはいやなのだぞと。 
     変温冷血の毒蛇だって、暖を欲しがるのは当然だろうと。 
 
     なのにどうして、どうして、どうして。 
     どうして冷たい、トゲ、トゲ、トゲ、トゲ。トゲトゲトゲトゲトゲトゲトゲ。 
     冷たいトゲのある眼差しでしか、皆本当のあたしを見てくれないのだと。 
     トゲの無い目で見てくれる者が、どうして一人も居ないのだと。 
     あたしはただ。 
     ただ、棘無く心よりくつろげる、暖かな場所が―― 
 
    「あたしが悪いんじゃないいぃぃっ!!!」 
 
 
    ――がつんっ と。 
     あたしの首を切り取る為に、首に刃をかけていた男が轟然とひっくり返った。 
 
    「…さっきからぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあと、人のナワバリで何してやがる」 
    「ッマ、マルコッ!?」 「み、皆殺しのマルコだっ!!」 「ひっ!」 
 
     …そうして涙目で顔を上げた、まだ21だったあたしの目の先に映ったのが―― 
 
 
 
「――ころして」 
 居場所だった。 
「――こいつを、ころして」 
 家族だったのだ。 
 
「…このヒト奴隷の売り賃は、全部あんたが貰っていいから。 
…なんだったらあたしがあんたの、魔法実験の実験台になってやったっていい! 
お金や、宝が必要だってんなら、うちの盗賊団が溜め込んだの、全部あげるからッ! 
むしろあんたが望むならなんでもする、なんでもやるっ、だからッッ!!」 
 それは、魔法使いの勘としか言えない物。 
 何か確証があるわけでなく、居ないのに叫んでいたら滑稽だとも思いつつ、 
 …けれど確かに、あの爺はすぐ近く、近場でこれを見ていると。 
 
「殺してッ!! こいつを殺してッッ!! このクソッタレのキチガイイヌを!!!」 
 自分もまた悪党で。 自分もまた共犯で。 
 もっぱら遠距離&広域攻撃だった分、マルコ達より殺しの実感が薄かったのは事実だが。 
 …だけど確かに、自分も人殺し、数え切れない命をこの手にかけた身で。 
 
「…できるでしょ? あんたなら? いるんでしょ? そこら辺に!?」 
 …だけどそれでも。 そんな悪党共の集団であっても。 
 それでも自分にとっては唯一の居場所で、家族で、心の温まる場所だったのだ。 
 
 化け物だと、自分達とは違う存在だと畏れる事もせず。 
 大道芸しかできない、役に立たない存在だと見下すわけでもなく。 
 一緒に笑い、下品な冗談も飛ばし、尊敬され、また自分も彼らの事が大切で。 
 
 
「……お願い、……殺して、殺してよぉ……」 
 ぽたぽたと。 
 それさえ叶えば、もう良かった。 
 それさえ叶えば、もう後は何も残っていないのだから。 
 
「……こいつを、殺して。 ……あたしの目の前で、焼いて、潰して、ブチ殺して……」 
 『姐さん』『姐さん』『姐さん姐さん姐さん』 
 『…俺は姐さん、一筋だから』 
 はにかんだようなあの笑顔と、あの子達の笑顔が脳裏に浮かび。 
 年甲斐も無く、泣きじゃくっている事に気がつきながら。 
 
「…死んでも、生贄にされてもいい。 いいのもう、何でも、何でも言う事聞くからッ! 
だから殺して……こいつを、この野朗を、殺して、殺してッ、殺してよォォォッ!!!」 
 
 
 
 
 
 ――見ている事しか、出来なかった。 
 
 
      カツ――――……ン 
 
 と。 
 そんな澄んだ音と共に、雑巾が剣を手放してしまって。 
 
「…そう、それでいいのよ、それで……」 
「……だめ……ぞうき――」 
「あんたは黙ってなッ!」 
「ッッッぁ!」 
 
 ミシミシと頭蓋を軋ますその音に、悲鳴を上げて仰け反るしかない。 
 …全部見ていた。 
 ……見ている事しか、できなかった。 
 離れた所、木に背を持たれかけて、寒さに震えながら、ロクに動く事もできず。 
 まるでテレビの中の出来事みたいに。 
 けれど確かに、そして恐ろしいくらい簡単に死が量産されていく光景を。 
 
 分かっている、そうじゃなきゃあたしが殺されていた。 
 分かっている、それ以前にあいつらがあたしに何をしたのかを。 
 分かっている、それが『あたしの為に』となされた事なんかじゃないくらい。 
 分かっている、だけど確実に『あたしのせいで』なされた事なんだという事くらい。 
 
 でもこれは。 
 こんなのは。 
 
 血、血、血血血、見渡す限りの血の海に、燃える木切れに溶けた雪。 
 折れた木々、泥まみれの地面、木に突き刺さる氷柱、そして死体に、また死体。 
 寒さに震えながらも、むせ返るような血と脂の匂い。 
 本当に何もかももう吐いてしまっていて、喉がむせ震えるだけなのが幸いだったと思う。 
 
 「何よこれは」と。 「やり過ぎでしょうよ」と。 
 目の前で繰り広げられていた全く違う、あたしの居た世界とは次元の違う世界の出来事に、 
 震える体、引き攣る喉に、一言も言葉を発する事ができなくて。 
 「もういいよ」と。 「もう止めようよ」と。 
 だけどあっという間に人質に取られてしまい、吊るされて、命を握られ。 
 ほとんど裸に近い状態で冷えすぎたのだろう、そこに指、腿、その他の痛みが加わり、 
 身じろぎするどころか、満足に言葉すら発する事の出来ない、弱い自分が憎らしかった。 
 
 ここまでやられっぱなしで、ここまで何の抵抗もできないヒト奴隷だなんて、 
 ひょっとしなくても数いるヒト奴隷の中でもあたしだけ? もしかして最弱? と、 
 そんな事まで考えてしまう、足手まといの自分が悔しくて。 
 ……でも。 
 
「――ころして」 
 コメカミをギリギリと締め付ける、この土人形の指先から。 
「――こいつを、ころして」 
 どういう原理なのか、頭の中に直接流れ込んでくる『何か』があった。 
 
「…このヒト奴隷の売り賃は、全部あんたが貰っていいから。 
…なんだったらあたしがあんたの、魔法実験の実験台になってやったっていい! 
お金や、宝が必要だってんなら、うちの盗賊団が溜め込んだの、全部あげるからッ! 
むしろあんたが望むならなんでもする、なんでもやるっ、だからッッ!!」 
 あたし自身散々痛めつけられ、笑いものにされて甚振られ。 
 幾度と無く殺されそうになり、そして今まさに『雑巾』をも殺そうとしている、 
 そんな極悪人、人殺しなのだとは分かっているのだけれど。 
 
「殺してッ!! こいつを殺してッッ!! このクソッタレのキチガイイヌを!!!」 
 年増の狂女の喚きとも取れるその見苦しさの中に。 
 ――だけどあたしは、『あたし』を感じた。 
「…できるでしょ? あんたなら? いるんでしょ? そこら辺に!?」 
 ああ、これは、未来の『あたし』だ、と。 
 おそらく……ううん、あのままではきっとそこ辿り着いていただろう、未来のあたしの姿だと。 
 
 弱いのが嫌で、無様なのが嫌で、強く在りたくて、強くなりたくて。 
 だけど結局力が無い、だから他者に頼る事しかできない、 
 それが悲しくて、悔しくて、歯軋りするほど呪わしいという、その荒れ狂ったヒステリックの心。 
 ……そんなこの女の人から伝わってくる感情を、だけどあたしは、とても良く知っていた。 
 
 …あたしは嫌な女だ。醜い女だ。浅ましい女だ。…そして、弱い女だ。 
 力も無いくせに、プライドばかり高くて、素直になれず、高慢ちきで。 
 自分がそれをやられたら嫌なくせに、だけど誰かを踏みつけ、見下す事でしか。 
 ……だれかを傷つける事でしか、自分を保つことができなかったような女だ。 
 
 そしてそれは、多分この女の人も同じ。…違いがあるとすれば、 
 それは『まだそこに至っていなかった』か、『既に至ってしまっていた後だった』か。 
 …後は、『虫も殺せぬ力しかなかった』か、『中途半端に力があった』か、その程度の違い。 
 この人が醜いのなら、あたしもまた醜いのだと思う。 …同じくらいに。 
 
 
 『自分』を、『己』を、『矜持』を保ちたいが為だけに、他者を傷つけ、あまつ殺す。 
 許されることではないが、でも…… 
 
 ……あたしだって、それをしていたのかもしれなかった。 
 ただ、『落ちて』きた時、『本当に何の力も無かったから』できなかったというだけで。 
 仮に『落ちて』きた時に、この手に『銃』が持たれていたり、『兵器』が持たれていたのなら。 
 あるいはこの世界でのヒトが強者、強く力を持った存在であったと言うのなら。 
 
 ……殺していたのかも、知れなかった。 
 「何が奴隷だ」と、「あたしは人なんだぞ」と、「偉いんだぞ」、「強いんだぞ」と。 
 「万物の霊長なんだぞ」と、「お前達ケダモノ共とは違うんだぞ」と。 
 自分が人である事とその矜持、弱者でないという事を確認する、ただそれだけの為に。 
 若干の罪の意識は感じるだろうが、だけど仕方ないだろと言い訳しながら。 
 …だってあの世界では、犬猫を殺す事は、牛豚鶏を屠殺する事は、 
 良くて『器物損壊罪』、人を殺める罪ではなくて、仕方の無い事、許された事で。 
 
 
――本当に、あたしとこいつらとの違いは、一体なんだったと言うのだろう? 
――『強い』『弱い』、力の有る無し、以外の違いで。 
 
 
 
「……お願い、……殺して、殺してよぉ……」 
 頭を握る土人形の手を通して、あふれ出す『空っぽ』の気持ちが伝わってくる。 
 ああ、この人にはもう何も無いんだ。 
 もう何も残ってないんだ、だからなんだと。 
 その時のこの女の人の気持ちが、痛いくらいに良く分かった。 
 
 ただただ広がる悲しみと、それを照らし出す抑え切れない怒りと憎しみ。 
 『死にたい』という気持ち。『壊したい』という願い。『許せない』という想い。 
 …とても哀しい、もう自分と周りとを滅ぼし傷つける事しかできない、哀しい人。 
 
 そしてあたしでも、同じような事をするだろうと。 
 目の前で雑巾が殺されて、こんな自分に接してくれた、大切な居場所が破壊されて。 
 復讐すらできない、その力すらない、でも…… 
 ……目の前に、悪魔とも邪神ともつかない、縋れるようなワラがあるのなら。 
 ――魂を、売ってでも。 
 
「……こいつを、殺して。 ……あたしの目の前で、焼いて、潰して、ブチ殺して……」 
 殺さないであげてと、殺されそうになってる身で言えた立場じゃないのは知ってるけど。 
 もう止めてと、そんな事を言う権利が自分にないのは判ってるけど。 
 だけど見渡せば死。 
 死。 
 死。 
 死。死。死。 
 
 ぼやける視界、もう十分、もうたくさんだと―― 
 
「…死んでも、生贄にされてもいい。 いいのもう、何でも、何でも言う事聞くからッ! 
だから殺して……こいつを、この野朗を、殺して、殺してッ、殺してよォォォッ!!!」 
 
 
 ――そんな思いに見つめた雑巾の姿から……ふと、蒼い煙が。 
 ――テレビの中の光景のようであって、テレビの中の出来事ではない。 
 ――そのはずなのに、雑巾の姿がまるで。 
 ――…古めのテレビにパチッと一線、ノイズが走るみたいに一瞬だけ。 
 
 
 
 
 
 ビシッ 
 
「がっ……」 
 
 『殺してよ』と、叫んだ瞬間。 
 ふいに首筋に受けた衝撃に、ばさりとジンの足先、指先…… 
 ……精神の震乱に、術の構築が解けるのが分かった。 
 
――音も無く、匂いもなく、気配もなければ、空気すら動かさず。 
――五感を狂わせ、五感を惑わし。 
――……そして最後に、視覚すら騙す。 
 
 
「…そ………まえ……」 
 
(そうか、お前……) 
 急速に暗転する視界に、目の前に立っていたはずの黒衣の男が次の瞬間ブレて歪み。 
 微かに立ち昇る蒼煙を残して、始めから居なかったかのように宙にと消えた。 
 
 術を掛けたのは、おそらく剛剣を落とした時。 
 わざわざゆっくりと落とされた剣に、静寂に鳴り響いた、澄んだ響音に気を取られた一瞬。 
 
 ……いや、そもそもそれ以前のあの無駄口ですら。 
 こちらの神経を逆撫でて、冷静な観察力を奪う為の布石だったとするのなら。 
 
 蓋を開けてみれば、なんてこすい、せこい手口。 
 …卑怯くさい、幻滅ものでも、だけどああ、いくら後悔したってもう伸ばす手は。 
 
――投げたグレートソードが、だけど手元にあった理由。 
――確かに捉えたはずのマルコの斧が、だけど虚空を切った理由。 
――そして背後からの、この手刀。 
――どこまでも卑怯、どこまでも小狡く、錯誤の狭間、騙して、欺き、すり替え、誤魔化し。 
 
 
( …イリュージョニ―― 《幻術使――》 ) 
 
 
 
 どさり、と崩れた女の身体に、具現の楔を失ったジンが、ざらざらざらざら崩れ出す。 
 
 指先、手足、やがては胴体。 
 
 ……全てをただの砂土に、砂礫の山へと還しながら。 
 
 
 
 

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