※     ※     ※     < 3 >     ※     ※     ※ 
 
 
 
 散々もったいつけた後での悪役の「ならば本気で行かせてもらおう」なんて、 
 今時流行らないというか、子供だって鼻で笑うようなものだと思うのだが。 
 
「畏怖より生まれし『揮奏者ディンスレイフ』――『奏で操る者ディンスレイフ』の二つ名の意味…」 
(……おい) 
 
 でも現実に目の前でやられるともなれば、その絶望感たるや虚構世界の比になく。 
 
「『本物の魔法使い』の力の程、死出への土産、存分に耳へと焼き付けて行け」 
(……おいおいおいおい) 
 
 死に物狂いで、やっとこ敵のボスを倒したと思ったら、実はそれは俗に言う『第一形態』で。 
 もうボロボロのヘロヘロなのに、休憩も回復も無しで、即行連戦でV.S.第二形態。 
 …これがゲームならリセットぽちり、あるいは素直に諦めGAMEOVERで済むのだろうが。 
 
 ……『現実はリセットが利かない』『GAMEOVER=死』とは、誰の言った言葉だったか。 
 
 
 
 一帯に充満、垂れ流しにされていた濃厚な『何か』が。 
 魔法さっぱりのあたしでさえ、ざわざわと悪寒を感じるほどの濃度と密度の『何か』が。 
 ひゅんひゅんと回した杖に、唸りをあげて渦巻き収束していくのが肌で感じられ。 
 刹那 凛、と音を立てて正中に構えられた杖。 
 
「 ボルティエーガ・メタリカ・アロ・シェザーレ 《 ごんき はっして らいき たらん 》 」 
「っ!?」 
 
 ……不可思議な空気の震え。 
 心の中に直接響くとも、鼓膜を打つとも知れない綺麗な音が、脳内に響く。 
 
 それはオペラ歌手もかくや、と言わんばかりの透き通る美声、心に染み渡る粋の音色で。 
 天使や悪魔、精霊すらも魅了しそうなこの涼やかな声を出すのは、 
 確かに教会は聖歌隊の少年とも見間違うような、純白のコートの猫耳少年なのではあるが。 
 
「《雷蛇よ……》」 
 掲げられた杖を囲むようにして、ぼうっと浮かびあがる光の魔法陣。 
 同じように指先を光らせ、宙に優雅に踊る左手は、何かの図形、何かの文様を描き上げ。 
 妙にアニメチックだとは思ったが、それを笑う気分には到底なれず、なぜなら。 
 
――おいおい 
 
「《天(てん)の叢雲に踊りし汝を、地の鉄を持って山野へと繋ごう》」 
 生まれ、形を無し、矛先をこちらに定めて、上空に爆ぜ現れたのは、八本の雷の槍。 
 先刻の細い落雷の比ですらない、一本一本がそこらの木々の胴回りほどの大きさ太さに。 
 
――おいおいおいおい 
 
「《山を這い谷を這い、駆け巡る八つの尾、八つの頭、八つの蛇となれ》」 
「金気制すは火ッ!」 
 あまりにも無茶苦茶すぎる力に、思わずあたしが泣き笑いになった瞬間、 
 叫んだ雑巾が持っていた長剣を地に突き立てて、 
 返す抜き手に傍に合った燃えさしの木の枝を引っ掴み立ち上がった。 
「風気変じよ木気、火を補って金気を弾けッ! #**$*%*&()}*+{P|*~="&*#(*=~|**`{}*+*―― 
 声にはもう完全に余裕がなく、表情には焦りの色がまざまざと見える。 
 そんな顔からあたしには発音できそうにない奇妙な声が後に連なり、続く怒声が…… 
 
「《──八岐八殺(はっきはっさつ)、ヤ マ タ ノ オ ロ チ 》」 
 
 ……雪崩れ落ちてくる金色の光に、押し潰された。 
 
 
 
 ガン!!!と。 
 鼓膜を震わす振動が、雷鳴のそれに染め上げられ。 
 広がる視界が、金一色に塗り潰されて。 
 
――冗談じゃないよこれ 
――死ぬ 
――絶対死ぬ 
 
 チキンじゃなくてもビビる様な大音響に、目と鼻の先、触れたら絶対死ぬような数万ボルト。 
 ガチガチ奥歯を鳴らしてそう思いながら。 
 だけど、視覚と聴覚を焼くだけで、何時までもやって来ない死の衝撃。 
 耳がキーンと痛くなる程の爆雷の轟音の中に。 
 
 ……降ろした視線の先で、地にめり込む踵。 
 大きな黒衣の背中があたしの方に押し付けられ……つまり、後ろに押されてるのを感じ。 
 
「……ぃっ!」 
 我を忘れて、反射的に。 
 右手と、左の手の平部分と……というか上半身、体全体を使って。 
 後ろに押されてくる雑巾の体を支えるべく、ありったけの力で全身を押し付けていた。 
 
 折れた左手の小指・薬指が痛くて。 
 その非力がどれ程役に立っているのかは、ちっとも判らないけれど…… 
 ……だけどもう、理屈じゃない。 
「……――ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッ!!!!」 
 押し付けた頭、くっついた耳。 
 …爆音に混じって、だけど確かに聞こえて来た声だけが、何でだかとても安心した。 
 
 
 八雷槍による多角一斉攻撃。 
 我先にと一点へ群がったそれらの槍群は、けれどどうしてか、地に刺さり回帰する事はなく。 
 まるで岩に突き当たった蛇が苛立ちのたうって暴れるよう、捻じれ、またくねり、 
 しばらくぐるぐると絡まりあって、電光・放電を撒き散らしていたが。 
「……――ァァアアアアアアアッッッ!!!」 
 ぎしぎしと軋みたわみ、しかし振り切られた、前半ばを燃えあがらす一本の木の枝。 
 まるで獰猛な毒蛇が、実に小さな火に恐れをなして追い払われるがごとく。 
 
 
 バァンッ!! という空気が引っ叩かれる様な音をあげて。 
 間近に集い渦巻いていた巨大な雷龍が、直後八つに弾かれて辺りに飛び散る姿が見えた。 
 
 あるものは大木をその顎に飲み込んで一瞬で爆発・炎上させ。 
 またあるものは大地を抉り、小石や倒木を吹き飛ばし巻き上げながら何十メートルも。 
 …だけど、確かに四方八方。 
 汗を流してハッ、ハッと息を吐くあたしと雑巾の体を、飲み込むこと無しに散り散りに―― 
 
 
「――メタリカ・イクサリア・クルク・イグニート 《 ごんき せいされ つよむるは か 》 」 
 
 
 ――ぎしり、と同じく汗ばんだ体に、聞こえた澄音、身が強張る。 
 ――冬の空の下でボロボロの服、ほとんど裸同然だってのに熱いと感じる空気の中、 
 幻聴だったのだと思いたいくらいの、それはありえない詠歌・唱歌だったが。 
 
「《金毛九尾の白の狐火》」 
 …天使のようなその歌声に、自然すらをも従え傅かせるとでもいうんだろうか。 
 山火事の様相さえ呈し始めていた、木を燃やし、草を燃やし、大地を燃やす一帯の猛火が。 
「《凶星の下、焔の鞭となり、大地を抉りて乱すは地脈》」 
 ひゅんひゅんと器用に回される杖にと、幾重にも、幾重にも渦を巻いて、少しずつ。 
 呆然とへたり込むあたしを、雑巾が何かを叫びながらコートの下に地面へと引き倒す。 
「《生まれし禍痕は久方(ひさかた)に、未来永劫久遠に続け》」 
 ひんやりとした地面に押さえつけられる前、最後に視界に映ったのは。 
 ――振り上げられる杖先から伸びた、先程の雷槍と負けず劣らずの太さを持つ、九本の炎。 
 
「《──九火幻鞭(きゅうかげんべん)、 ナ イ ン テ イ ル ズ 》」 
 
 刹那、コート一枚向こうを通り過ぎていく、とんでもなく『大きな力』が。 
 見えない視界、だけどきっちり九回、凄まじい熱風が一帯を薙いで過ぎてゆくのを感じた。 
「ひゃぅっ……」 
 余りにも常識外れ、大型台風の、それ以上の熱風に煽られて浮かび飛びそうになった体を、 
 だけど雑巾がしっかりと押さえてくれていなければ。 
 きっと竜巻に巻き上がられる木の葉みたく、あたしの体は空へと舞い上がって――… 
 …――そうしてその後どうなっていたかは、あまり想像はしたくない。 
 
 
 
 ……やがて緩められた手の力。 
「ケホッ、ゲホッ」 
 傍から聞こえた咳の音に冷たい物を感じ、もぞもぞと黒コートの下から顔を出してみれば。 
 ところどころ薄く焦げて穴の空いた黒衣、…熱に焼かれたか、瞳を水でうるうるとさせて、 
 押さえた口元、むせ返りながらも突き立てた剣に手を掛けた雑巾の姿の視線の向こうに。 
 
――冗談やめてくれよと、思わず言いたくなる程の悠然とした笑み。 
――あんだけ化け物じみた現象を引き起こしておいて、一寸の消耗の様子すら見せず。 
 
「…『上』からでも、『横』からでも逸らしてみせるか」 
 黒焦げた木や、雪が溶けるどころから大地まで焼け煤けたような一帯の中心、浮かぶ白。 
 もう残り火しか見えない、酸素すら残り少なくなって息の苦しい夜の闇の中、 
 杖に、身に纏った二重三重の帯状の光の文字が、何故か煌々と辺りを照らしていて。 
「――ならば、『下』からではどうだ?」 
 
 無造作、垂直に差し出されていた杖が、するりと手からこぼれ。 
 
 ぱしゃん、と雪の名残りの水溜りに刺さった杖先から、地に沿って走るのは数本の白光。 
 
「 グラシアール・アロ・イグニス・クルク・ハイドレ 《 かき せいされて すい てんじるは ひょう》 」 
 
 
 歌。歌。歌。 
 …雪被り、濡れ焦げた地表に走る、無数の白い線が描く、何かの線・円・記号・文字。 
 その源流にある突き立った杖に、……だけどあたしは見た。 
「《…兎急いで何を見る? 壊れた時計の文字盤か? 割れる長針落つ短針?》」 
 絡まった二匹、白と黒の作り物のはずの蛇が、0.1秒の誤差もなく同時同態に。 
 爛々と目を輝かせて、その主人が唱えるのと同じ言葉をそっくりそのまま反復反唱している。 
「……トリスメギストス・カドゥケウス」 
 相手の動きに合わせる様に、即座に地に手を突いて例の発音不能語を唱えていた雑巾が、 
 ふと ぎり…と奥歯を噛んで、悔しそうにそう呟いた。 
 
 語句の意味は判らなかったけれど、にんまり笑った悪魔の笑みにも、言旨は取れる。 
「《急(せ)き立つお前に慈悲やろう。潰れ止まったその足に、二度と急く日は来るまいて》」 
 あの『杖』は、何かきっとものすごい力を持った魔法の杖。 
 ……つまり兵力、練度どころか、武装の差ですらこっちは完璧に負けてるらしく。 
 それでも必死に割り込みをかけているらしい雑巾の、 
 
「《──刻停白兎(こくていびゃくと)、》」 
 
 …その努力を嘲笑うかのように、 
 まるで『指揮者の両手』の如く、華麗に踊り動かされ、加わった光の記述軌跡が二条。 
 …唐突に、そして一気に白い光の巨大な円陣――魔法陣が完成した。 
 
「《 ボ ー パ ル バ ニ ー 》」 
 
 
 
 ドン!、と地震みたいに地面が揺らいだのを感じた時には。 
「ぃっ!?」 
 ……長さ1m程の、無数の逆さツララに覆われた地表。 
 そんな信じられない光景が、一瞬にしてあたしの目前に広がっていた。 
 
 見た目は美しく幻想的で……しかしこんなのの上に立ってたら、絶対足がズタズタになる様な 
 風景の中、唯一あたしと雑巾が居る辺りだけが、その氷筍の猛威から逃げられていて―― 
 
「 …… エト・アルマフローラ 《 更に、氷花爛漫 》 」 
 
 ――だけど、くい、と持ち上げられた右手。 
 
 バリン!!! と音を立てて、一瞬で凶悪な『棘』と『刃』と『切片』の塊に変わる銀の花畑。 
 
「ガッ?!!」 
 氷原の果てから届いた歌声に、一面の無数の氷筍が、禍々しくも今度は『咲き』誇り。 
 ……そして光陣の末端に手をつけたままだった雑巾の手、 
 指先から肩口へと走る、青白い電撃、青の火花。 
「ぞうき――!?」 
 黒袖の上からでも見えた、撒き散らされる煙る血と霜に、上げるあたしの悲鳴すら遮り。 
 
「 ―― ブ レ イ カ 《 壊 》 」 
 ひゅるん、と優雅に胸元へと巻き戻し握られた右手。 
 ガシャン!!ともガチャン!!ともつかない、氷同士の擦れ合う嫌な大音響を上げて、 
 砕け散った微塵の氷、冷気と氷霧が荒れ狂った。 
 …視界を遮られて、先刻まで火照っていた体が、一気に冷え凍えさせられ押し留められる。 
 
 
 息を吸えば、肺まで凍るような、大量の削氷でもまぶされたかの様な視界の中で。 
 
「《…磯に砕け散る波頭(なみがしら)、光映して万色(ばんしき)に》」 
 
 聞こえてくる歌の、その絶望の程。 
 
 霧氷の向こうで、手を引き戻す、ただそれだけの動作で杖をぎゅんと引き寄せる白影の姿。 
 睫毛にくっついた氷が、体温で溶ける冷たさを感じながらも呆けるあたしの前に。 
「……*}+$**%*;&#*(*\/**=:@~!!」 
 割り込むように霧の中から躍り出た黒い影が、剣をかざして立ち塞がった。 
 
「《…万涙、万滴、群れ行く群魚の道行きがごとく、微塵の魔弾、敵を貫く虹とならん》」 
「*|*@$/*\**=`+*}*%*&#*!!!」 
 逆手の『左腕』に剣を持ち……袖布の表面を凍らせて、『右腕』をだらりとぶら下げながら。 
「…なん…で……」 
 渦巻き集まる霧の向こう、煌めきを振り落として宙に回り、踊り、唱謡する祝福の子に対して。 
「#**$*%*&()}*+{|*~="&*#(*=~|**`{}*+*!!!!」 
 地に叩きつけられて這いつくばり、それでも怒声を振り絞って、動かぬ右手に印を作り。 
「…もういい……もういっ「「 《 か く て 世 界 は 今 日 も 輝 く 》 」」 
 
 ……気がつけば氷霧はもうそこにはなかった。 
 
 内側に生まれた氷塵と、外側に燻ぶる猛火の残り香。 
 それらが内へ内へと渦巻いて、織り成し作ったのは炎と氷の協奏曲。 
 宙に浮かんだ微細な氷粒は、いつの間にか小さな水玉へと変わっていて。 
 …何千何万という微細な氷粒が、何千何万という宙に浮かんだ水滴水玉にと変じており。 
 
 雨の日に止められた時の中がごとく、あるいは水中、鰯の大群が行く際の鱗がごとく。 
 炎と月と、星の光を幾万にも乱反射させて、押し包み取り囲むそれらの水弾群が。 
 
「《──万虹散華(ばんこうさんげ)、 レ モ ラ ァ 》」 
 
 
──それでも、それは逸らされた。 
──『後ろ』と『横』、……あたしの周りに来るはずだったもの『だけ』は。 
 
 
 
 ガトリング砲やクラスター爆弾もかくやとばかり、叩きつけられた水の弾幕は。 
 しかし突き出された剣に、ぐにゃりと軌道を反らして、あるいは鼻先スレスレを掠めるように。 
 オールレンジの内の、後角270度の水破は、それでも上空か地面かに軌跡を変えて。 
 
「……ガうっ!」 
 だけど。 
 
 パァンッ!! と、水面を何か平たい物で思いっきり叩きでもしたような音。 
 残りの前から来た、その猛烈な勢いでのを全弾受けた雑巾が、 
 前傾姿勢、揺れこそすれ仰け反ること無くそれらを受け止め…… 
 
 ……だけど流石に食いしばった歯の奥から空気を漏らし、気抜けた悲鳴を出した後、 
 ガクンとその場に……膝をついた。 
 ザシッ、と左手に握っていた剣が、半ば手を離れて地に突き刺さる音がする。 
 
――ただの一打。 
――しかしまともに受ければ、致命的な一打。 
 
 
「ぞうきんっ!!」 
 奥深い山中だというのに、まるで海嘯でも起こったかのごとく。 
 勢いと魔力を失ってバシャバシャと降り注ぎ、または地を湿らす水の中。 
「っはは、大丈夫、死にはしないよ。…全身内出血、最悪骨が砕けたかもしれないけど――」 
 ふわふわと聞こえてくるクソッタレな声を無視して、あたしは雑巾の背へと手を掛ける。 
 
「…な……何…やってるのよぉ……、あんたはぁっ……!」 
 ずぶ濡れになりながら、見開かれた目で荒い息を吐くこいつの姿は苦しそうで。 
 布地ごと凍り付いて動かない右腕はメチャクチャ痛そうで。 
 
──(あたしのせいだ)── 
 
「このままじゃ…、ジリ貧で……やられちゃうでしょ…っ!?」 
 あたし自身、冬に半裸にずぶ濡れで、唇が紫色になってたりとかしてたのだが。 
──(あたしなんかを庇いながら、あたしが足手まといになってるせいで)── 
 それでも震える肩、身を預けた剣を引き抜いてまたかざそうとするその背中に。 
 あたしは濡れるのにも関わらず、抱きついて。 
 
「あたしに…なんか…、構って…ないで…っ!」 
 
──(あたしなんかが居なかったなら、雑巾は……)── 
 
 ……こいつが。 
 …こんなに強くて、優しい心を持ってる奴が。 
 こんな胸糞悪くなるようなクソ野朗に、負けるはずなんか、無い、無い、無いのに…… 
 
 
 
「あっはははははははっ♪」 
 可笑しくてたまらない。 
 ……そんな様態を含んだ大笑いが、上空、圧倒的な魔力の中心から響き渡った。 
 
「なんだ! これだけやられても、まーだ判ってないんだ、お姉ちゃんは!」 
 くすくすと残り笑いを零しながら、いちいち可愛らしく、目尻に浮かんだ涙まで拭いてみせ。 
 …そんな仕草よりも、だけど今は言葉の意味する所の方が。 
「これだからヒトは。…魔法が使えないどころか、魔力の流れにもとことん鈍いんだもんね」 
 思わずバッともたげた顔に。 
 歪んだ唇、冷笑と共に、蛇杖の先端、翼ある宝玉が突きつけられた。 
 
「…ね、どうしてそのお兄さんが、さっきからそこに『突っ立ったまま』なのか判る?」 
 綻びひび割れた心に浸透してくる、意味深な言葉。 
「…どうしてそのお兄さんが、さっきからずーっと、そこから『一歩も動けない』のか、判る?」 
 雑巾が、それを遮るように大きく唸り声を上げるのが聞こえたけれど。 
「本来の機動性を生かした戦い方に持ち込めないで、定点防御に徹するしかないのを、さ?」 
 だけど確かに心の中に浮かんでいた疑問の手前、あたしは耳を塞ぐ事もできなかった。 
 
──どうして雑巾が、こんなに手も足もでない? 
――こんなに強いぞうきんが、こんなやつに 
――こんなにやさしいぞうきんが、『こんなやつ』に…… 
 
「そんなの、決まってる」 
 …耳に突きつけられたのは。 
「それはボクが最初から、お兄さんでなく、『お姉ちゃんを狙ってたから』だよ」 
 冷たい事実。 
 
 
 ……最初は正直、はい? と思った。 
 なんであたしみたいな、戦う力のない弱い方が狙われるんだと―― 
「あの魔法も、あの陣も、全てをお姉ちゃんを狙って、全部お姉ちゃんを中心に」 
 ──……狙われていたのは、あたし? 
「自分がどいた瞬間お姉ちゃんが。…賢いお兄さんは、それが判ってるからどけないんだ」 
 ──雑巾ではなく、全てあたし? 
 
 ……それは。 
「お兄さん一人なら、横っ飛びに転がって避けるなり、木の陰や岩の陰に隠れるなりして、 
無駄に力を消耗しないで魔法を避ける方法も取れたんだよ? …多分、というか間違いなくね」 
 大仰な身振り手振り、まるで道化、役者じみたその仕草。 
 しかしそれが真実だということは、どういうわけか疑いようも無くすんなりと判る。 
「だけどお姉ちゃんは……」 
 だってあたしは雑巾がとても強い事を、誰よりもよく判っていて。 
「……『その足』じゃまず無理だろうし、そもそも『ヒト』は足も遅いし、地を蹴る力も弱いもの」 
 本当はあたしなんかよりもずっと凄くて強くて立派で。 
 …それに比べてあたしは何の力も持っていなくて、弱い生き物だと知っているから。 
 
 完全に心の止まったあたしを前に、クスクスと笑ったディンスレイフ。 
「その点お兄さんは、勘が良い。 洞察が深くて、魔力の流れもきちんと読んでる」 
 魔力全解放の本気モード、もう杖すら振る必要もないとでも言うのか。 
 手すら動かさず、指すら動かさず、くいっと片眉を上げた、ただそれだけで。 
 
 ギャン、ギャンッ と。 
 滑るように飛んで来た氷の白刃が二枚、バッテンを描いて二度振り払われた雑巾の剣で、 
 あたしの胸元へと届く前に叩き落され、あるいはへし割られはしても。 
 
――ぜんぶ 
「 い か に も ご 明 察 。 お兄さんがそこをどいた瞬間、お姉さんの首はすっ飛ぶよ?」 
――あたしを、ねらって? 
 
 
 
 
 
 理解し納得するのに掛かった時間は、2〜3秒だったのか、十数秒だったのか。 
 
「…………いいよ」 
 …気がつけばはらはらと涙を涙を零しているあたしを、目の前のネコの魔声から 
 守りでもするように、唸り声を上げてかき抱き、自分の腕の中、コートの下に庇う雑巾。 
「…もう、いい」 
 …でもその行動、腕の温かさが、透明に染まった今のあたしの心には、とてもとても痛い。 
 
 
「…ごめんね」 
 ――『ヒト』は弱い。少なくともこの世界では、最下層に位置するほどに。 
「…あたし、ヒトだから…」 
 自分の喉を掻き切れる爪も、自分の体を炎に包めるような魔力も、持っていない。 
「怖くて…、弱くて、……自分じゃ自分も、…殺せないの」 
 その手に刃物やロープ、崖や高い建物でも利用しない限り、自分一人すら殺せない。 
 ……ううん、そしてそれらが目の前にあってさえ、恐怖に。 
 
「…あんたの…お仕事でしょ…?」 
 あたしはこいつに、迷惑を掛けている。 
 あたしのせいで、こいつがのたうって、苦しんで、そして死にすら瀕している。 
「…役にも立てなくて、…やくたたずですらなくて、…めいわくばっかりの人間は……」 
 …周りの人間に迷惑を掛けてまで存在している人間は。 
 ……益(プラス)でもなく、無(ゼロ)でもなく、害(マイナス)しかもたらさない人間は。 
 ………利己の為に、他人の命と自分の命とを天秤に計る人間は。 
 
「『どく』、でしょう?」 
 
 ――せいいっぱい、笑って言ったつもりだった。 
 
「…『どく』は、だれかをころしちゃう前に、…きえないと」 
 死ぬのは正直怖いけど、だけど二人死ぬよりは一人の方が、ずっと被害は、損害は少ない。 
「あたしが死ねば……おわるよ」 
 何よりもこんなゼロとマイナスしか生まない毒でも、プラス1を作れるのだと思えば。 
「………あんたは、助かる」 
 最後の最後で、もっとも欲しかったプラス1を作れるのだと思えば。 
 
 だから。 
 こいつの性格を、このイヌの困った性格を判ってて、それでも考えた言い訳だった。 
 殺してだなんて、残酷な事を言うつもりはない。ただ―― 
「…ね? …置いてって?」 
 
 
 
「――いやだ」 
 
 なのに。 
 低く呟かれて、さらに抱き寄せる腕に籠もった力。 
 ロマンチックと笑っていられるような状況じゃないのが、橙色、瀕死の2人のHPが示している。 
「…聞き分けの無い事、言わないの」 
 その『いやだ』に込められた、判り易過ぎるくらいの万感の想いに、 
 あたしはますます哀しく息苦しくなりながら。 
「《国家の剣》……みんなの、おまわりさんでしょ…?」 
 ……でも、じゃあだったら、生きることも死ぬこともできず、どうしろと言うのだと。 
 
 それが辛くて、嫌で。 
 あたしを離そうとしないこの腕を、突き飛ばしたくて。 
「言ってること、むじゅんして―― 
 
 
「―― い や だ 」 
 そこで初めて。 
 
 初めて、声がもう完全に。 
 ……機械のそれじゃなくなっている事に、気がついた。 
 初めて、強引に覗き込まれた瞳に対し。 
 ……こいつの目の中にある、確かに燃えた感情の炎を見た。 
 
 腕に込められた、離そうとしない力は痛いくらいで。 
「………ひぅ……」 
 ――困って、困って、また涙が出てくる。 
 
 あたしが死なないと、こいつが困る。 
 あたしが死んでも、こいつが困る。 
 だけどあたしは、こいつを困らせたくない。 
 
 ……どうすればいいのか、また分かんなくて、涙が出てくる。 
 
「――絶対、いやだ…!」 
 
 国家の意思の具現であり、全体意思が実体化する為の機械の剣は、もうそこにはなかった。 
 
 在るのは紛れもなくいつもの、あたしが知ってる、普段のこいつ。 
 子供で、すぐ駄々をこねる、要領の悪い、頭の悪い、……そして珍しく、ワガママな。 
 
 
 ……だから嫌だと、普段から思っていたんだ。 
 瞳の中の、あんまり必死な、切羽詰った無数の感情が渦巻くそれを見てしまっては。 
 『死』という唯一残された選択肢すら、こうやって取り上げられてしまうから。 
「どう……してぇ……」 
 どうしてそれすらも許してくれないの、と。 
 ぐしゅぐしゅの顔で、ひどいよ、と言おうとして、だけど。 
 
 
 
「―― ど う し て ?」 
 
 
 
      ※     ※     ※     < 4 >     ※     ※     ※ 
 
 
 
 『―― ど う し て ?』と。 
 勘違いしたバカの、――悪魔の、上空からの邪魔の手が入る。 
 
 どうして明らかに危険度大、殲滅優先対象であるはずの雑巾よりもあたしを狙うのか?とか、 
 どうして金にも得にもならないこんな蟻ん子潰しに、ここまで力を傾けられるのか?とか、 
 どうしてこんな、本人にとっては児戯めいたお遊び事に、ここまで熱心になれるのか?とか、 
 ……どういう意味合いにとったかは、知らないが。 
 
 
「っははははははははははは、 決 ま っ て る じ ゃ な い か そ ん な の ♪」 
 
 心の底から愉快そうに、興奮でうっすら顔の色すら上気させて。 
 
「 そ の 方 が 、 ず っ と ず っ と 面 白 い か ら だ よ !」 
 
 らんらんと喜悦に瞳を輝かせるのは、誇ったように話すマダラのネコ。 
 
 
「どうして!」 
 ぶん、と杖を振りながら。 
「どうして!」 
 吹き上げる力に、風と重力に逆らってコートをばたばたとはためかせ。 
「どうしてお前らは、そこまで愉快に踊り続けられるかな!?」 
 素晴らしい音楽、素晴らしい演劇に感動した聴衆のごとく、声を張り上げるそこには、 
 それでも『理解できないもの』に対する、一応の尊敬と、好奇がある。 
 
 
 そうしてそんな興奮を隠せず、襟元を正したもう片方の空手、 
「……いいや、いいや、お前らだけじゃない!」 
 くるりと一回転した体、手元に現れたのは、どこから取り出したのだろう、一冊の古びた本。 
 
「《……有限の有体物、いつか壊れるものにて……》」 
 ぱさり、と宙に浮いて、ひとりでに開かれた翡翠色の背表紙の古書に。 
「《…壊れるとあらば、やがて壊れ、今は壊れぬなれど、されど壊れるという終局は変わらじ》」 
 それを片手に、再度紡がれだした詠唱は、 
 …だけど何故なのだろう、それはどこか今までのとは違い…… 
 
「《壊れ、壊れしは、壊れぬに、壊れ。 壊れて、壊れぬが、壊れに、壊れ、壊れねど、壊る》」 
 
「……ッ!! +*(%**=>*`$*(&<*+*%(&**+*」 
 くるくると渦巻いて生まれた魔風は、身を切り裂く真空の渦ではない。 
 ハッとしたように剣先をかざす雑巾の声も、どこか困惑したようなものを含んで。 
 
「《壊れるに在るか? 壊れぬに在らざるか? 哀れは造られし物共、造られた意味を超え、 
お前達の存する意味を賢者がここに問う! 答えよ!! ΨΕδΑΜΗιΦΣΓτ……》」 
「*(&<*++*(%**=>――ッゲホ、ゲホッ!」 
 
 …けれど不意に咳き込んだ喉から、飛び出る言葉は魔風を妨げるには至らなかった。 
 ゆらりと、どこかこれまでとは変わって神秘的に。 
 感じの変わった韻律と共に、振られた杖から走る、一陣の生暖かい風。 
 
 
「《……ΕΡκΔΧΨωΖΘΥΒν》」 
 
 
 ふわりと走ったそれに。 
 …思わず目を瞑ったあたし、……だけどどれだけ待っても、何も起こらないかと思いきや。 
 
 ――パキン――と間の抜けた音を立てて。 
 
 目の前にかざされ続けていた、雑巾の手の内のロングソードが、中程から折れた。 
「ひゃっ…!?」 
 それに示し合わせたかのよう、黒コートの留め金が幾つか地に落ち。 
 
 ……しかも、それだけじゃなく。 
 
 ――あちこちに散らばっていた、盗賊団の部下達のものと思われる剣や槍、 
 あるいはそこら中に散らばり突き刺さった矢が、パキン、ペキン、ガシャンと音を立てて。 
 ――燃えていた木の枝が、あちこちでバラバラと……明らかに異常な数、燃え落ちて。 
 ――炭化して、ほとんど木炭みたくなってた大木が、真ん中らへんからボコン!と砕け折れ。 
 
「ゴホッ、…と、兎国の……」 
 忌々しげに呟いた雑巾の手元で。 
「…【因果、魔法】……!?」 
 刃だけでなく、鍔柄にまでピシリと入った長剣の亀裂。 
 がしゃらと大小の破片になって手元から毀れ、とうとう剣の形すら失い崩れる姿が見えた。 
 
「どうして、『ネコ』の貴様が…………!!!」 
 壊風の中心、右手に杖を、左手に開いた本を持ち、薄笑いを浮かべるディンスレイフに、 
 ハッとしたようにその手元の本に目を向けて。 
「…っ、魂の本、【ポイマンドレース】か!」 
 叫んだ雑巾の言葉に笑みだけ浮かべて返しつつ、でもどこか遠くでも見るような目で。 
 
「―― 馬 鹿 な ウ サ ギ 共 」 
 くつくつと、開いた本のページをなぞりながら、ディンスレイフは子供っぽく笑った。 
 
「他国を隔し、物理物質たる形而下より離れ、因果確率たる形而上の次元にまで至りながら、 
『壊死(かいし)』へと通ずる研究を閉ざして久しく、あまつ【禁忌】とさえして禁制まで敷いた」 
 難解な専門用語を伴ったそれを、少なくともあたしは半分も理解できなかったが。 
 だけど雑巾の方は、相手が何を言いたいのかを理解できるらしく。 
「…別に難しい事じゃないのにね。 『形在る物がいつかは壊れる』のは、【普遍の真理】でさ。 
乱暴な生き方や、乱暴な使われ方をされてるのになんか、実際ごまんと『原因』が転がってる」 
 向けられた流し目に、だけどギッと奥歯を噛んだ番犬の表情で。 
「…その気になれば、こうやって『次の瞬間それが壊れる確率』や。…もっと研究すれば、 
『次の瞬間対象が心臓麻痺を起こして死ぬ確率』を呼ぶ事だって、出来なくはないのに」 
 今にも唾でも吐きかけそうな眼差し、薄ら笑いのディンスレイフを睨んでいた。 
 
「――『命は尊い』、『破壊はいけない』、『命は脆くなんかない』――か」 
 少年の口端から呟かれた言葉、だけどそれは社会の上での絶対の真理で。 
 社会生活を送ろうとするのならば、絶対に守られなければならない基本原則だと言うのに。 
「 世 迷 い 言 を 。 それこそが『幻想』、【扉】の向こうに進めぬだけの『弱さ』だというのに」 
 だけど薄笑いのこいつにとっては…… 
「 ご 覧 よ 、 こ れ こ そ が そ の 証 明 。 こ ん な に も 『 命 』 は 、 脆 く 儚 い 」 
 ……それはそうでは、ないらしかった。 
 
 
「……何人、喰った」 
 くつくつと思い出し笑いを続けるディンスレイフに、ポツリとそう吐きかけたのは雑巾。 
 腰のベルトから唯一壊れずに残った肉厚の短剣――ソードブレイカーを引き抜いて構える、 
 だけどその顔色が青く、動きに緩慢な様子が見られるのが、ほんの少しだけ気になった。 
 
「―― でもそれを言うなら、もっと馬鹿なのは ネ コ 共 か」 
 そんな雑巾の様子を尻目に、その意味の取れない質問を無視し。 
 だけど言った言葉は、何かおかしなものを含む。 
「先代と来たら、この本の価値をただの『魂を閉じ込める為の牢獄』ぐらいにしか捉えてなくて、 
ホコリだらけにして宝物庫に放っぽっとくんだもん、もうお気楽を通り越して、完璧アホだよね」 
 それも当然、目の前の『ネコ』は、マダラであっても間違い無しに『ネコ』なのに。 
 …なのにそれを語る時も、小馬鹿にしたような声や、嘲りの色はそこからは消えず。 
 
「…そんな連中だから、当代の女王の真価、政治手腕の程も理解できなくて……」 
 『愛国心の欠片も無い』とか、『同じネコとしての自覚がない』とか、 
 そういうレベルすらも、もう遥かに超えていて―― 
「…自分達の命運が誰一人の手に掛かってるのか、差し迫った危機にも気がつかないんだ」 
 
 
 ――……だけど、決定的なその理解を促したのは。 
 
 空気を震わせて、微かに聞こえてきた呻き声や、すすり泣く声。 
 
 
「――27人」 
 ポツリ、と呟かれた端的な言葉に、最初は何かと。 
 あるいは耳鳴りか何かだとも思いはしたのだが。 
「……儀式の最中に自害されちゃったのを含めるなら、もっと多くなるのかな?」 
 自慢げに、左手の先に開いて浮かばせた中空の本。 
 …だけどそこから聞こえてくるのは、確かに空耳じゃない、低く小さな、誰かの声。 
 
「だって仕方ないじゃん、 欲 し か っ た ん だ も ん ? 
世界を股に掛ける大魔法使いに、『使えない魔法』があるだなんて、 カ ッ コ 悪 い で し ょ ?」 
 『何人喰った』 
 そんなさっきの雑巾の問いを、ふいに思い出す。 
「太古に月との、神との契約を果たした者の――ウサギの王族や、キツネの巫女の末たる者の 
血筋が必要な、兎国の【因果魔法】や狐国の【降神術】なんかは、こうでもしないと、使えないし」 
 『魂を閉じ込める為の牢獄』 
 そして言葉の端に、こいつはこの本のことをそう言った。 
「蛇国の【精霊魔術】だって、下手に年月を経て、力や自我まで持った【古精霊】ともなると、 
やっぱり重要なのは『魂の波長』。 …下手に自力で、力ずくで契約しようとするよりも――」 
 『27人』 
 …… 2 7 人 ? 
 
「――既に契約済みの『契約者ごと』捕まえた方が、ずっとずっと簡単だしね」 
 
 ざわざわ、ごしょごしょ、と。 
 大勢の人間が小さな声で、すすり泣くよう、あるいはブツブツと呟くよう。 
 開いたページから、そんな音が流れ出てくるその古書が。 
 ……得意満面で見せびらかされ、かざされたその本が、だけど一体どういう代物なのか。 
 ようやくあたしにも、理解が。 
 
 
 そのおぞましさに、思わず声も漏らし、口元に手が行ったあたしを抱きかかえて。 
「……ビヒモト《獣の王》め」 
 肺から全ての息を吐き出すようにしての、吐き捨てるような雑巾の言葉。 
 傲慢の極み、人畜にも劣るという意味合いを兼ねた、そんな罵倒のスラングも。 
 
「…はは」 
 届かない。 
「ははは、ははははは」 
 届かない。 
「はははははははははははははははははははははははははははは!」 
 どこまでも、どこまでも届かない。 
「ビヒモト《獣の王》! ビヒモト《獣の王》と来たか! はは、こいつは良い!!」 
 くるりと手を翻し回しただけで、表れた時のように魔本を袖の向こうに消し。 
「実に良くて――」 
 杖を持った手で可笑しくてたまらないとばかりに目元を押さえ。 
 
「――だったらお前らは、何なのかな?」 
 
 ドン!! と 
 放たれた言葉と共に宙に突き立てられた杖、あたしらの周囲から火柱が上がった。 
「……愚かだね」 
 ぐるぐると渦を描く様に回りながらその中心、あたし達の居る所へと集まってくるそれらを。 
「……猫国の【五行魔法】……」 
 苦汁の混じった呟き声、それでも掲げた短剣にその一本をどうやってかかき消し。 
 あたしを抱えたままそんな炎の切れ目へと飛ぶ雑巾を睥睨しながら。 
「ウサギやネコだけじゃない、どいつもこいつも、実に愚かで、とっても滑稽だよ」 
 杖を片手に、胸元に手を上げながら慇懃無礼に言うこいつが。 
 …一体どうしてここまで出来るのか、見えたような気がした。 
 
 ――ああ、そうか。 
「強靭の肉体に魔法など不要、常に新しきを求めて前に進むと言えば、聞こえはよくて。 
昔ながらの生活と魔術を重んじて、伝統・風習・文化を大事にと言えば、また聞こえはいいが」 
 ――仲間だと、同族だと、これっぽっちも思っていないんだ。 
「でも魔法に不得手の負い目から、折角の遺産を持て余して、過去を直視できぬはトラ共で。 
目先の利欲、我欲に走り、体制の変革を恐れて新しきを拒み、過去に囚われるはヘビ共だ」 
 ――イヌもウサギも、ヘビもトラも……生まれの出である、ネコですら。 
「自然崇拝を主義として、機械を嫌い、ネコやイヌのような近代化を拒むのはキツネ達で。 
逆に積極的に近代化を推し進め、山野を切り開き、機械と技術を求めるのはカモシカ達で」 
 ――嘲笑と侮蔑、だけど哀れみと慈愛を含んだその瞳は。 
「…だけどそのせいで、次第に他国に置いていかれての、緩やかな国力の衰退を招いたり。 
追いつこうと焦った心に他国の過剰の介入を招き、内乱になってるようじゃ、話にならず…」 
 ――人間が人間を見るようなもんじゃない。 
 ――ちょうど人間が犬や猫、ハムスターに金魚、牛豚鶏を眺める瞳と同じじゃないか。 
 
「…ああ、いや、でも結局は、『それ』に共通しているという点で、どこも同じか」 
 愛して、慈しみ、真心込めて大事に育てていない訳ではないけれど。 
 でも食べる時が来たら、割り切ってもってあっさり殺せる、…『そんなもの』を見る目。 
「ネコも、イヌも、ウサギも、オオカミも、ヒョウも、サカナ、ライオンも、トリも……」 
 
 家族のようにと言いながら、だけどそれでも言葉も話せず、自分達よりも愚かな『犬』『猫』を。 
 自分達よりも劣った生き物だと、安心して眺めて心を許す、その人間だけが持つ傲慢さ。 
 
「……己を【人間】と。『四足の野獣とは違う存在』と名乗る点で、大同小異、何一つ変わらない」 
 茶色の睫毛を揺らして、ハシバミ色の瞳に宿るのは、天使の慈愛、天使の微笑。 
 だけど、それを見てあたしは泣き腫らした目に理解した。 
 
「 は は は は は 、ホ ン ト 、バ カ み た い♪  … 人 間 、 獣 人 、 ケ モ ノ ニ ア ラ ズ 、 
 … そ ん な に 自 分 達 は 『 ケ ダ モ ノ 』 じ ゃ な い っ て 、 思 い 込 み た い の ? 」 
 
 
 ――『対等』だったんだ、と。 
 『対等』になれない、扱ってもらってないと、飛び出したあたしだが。 
 でもこいつは、雑巾は、最初からあたしの事を対等に見ていてくれていたんだと、 
 今更のように理解して、反面教師、学ばされたものがあった。 
 
 …分かり合おうと、対等になろうと努力して。 
 だけど絶対に分かり合えない、対等になれない、言葉が判らない、決定的な差が埋まらない。 
 その事に負い目を感じて、苦しんで、悩んで、辛いと思う。 
 …でもそうやって対等になりたいのになれないのを苦しむ、それが既に『対等』なんだと。 
 
 
「――キチガイが」 
 潤んだ目、震えるあたしの口からそれでも漏れて、漏れずにはいられなかった言葉が出る。 
「キチガイ? 心外だな、ボクはいつだって正常だよ?」 
 忌々しい笑みを絶やす事無く、翻した袖口。 
 また手品のように取り出したのは、今度はあたしにも前の世界で見覚えがある…… 
 
 ……折り紙の、鶴? 
 
「《――命活疾空、鶴翼展開、五郎乃王子、式王子》」 
 全部で三羽のそれが、どういう理屈か組まれた印、囁かれた言葉と共に宙に浮いて。 
「……狐国の【陰陽……」 
 口訣を唱えようとした口に、だけど雑巾が忌々しげに吐き捨て、あたしを抱く手に力を込める。 
 そのまま雑巾が再度あたしごと横に飛ぶのと、 
 空を切って、紙のはずの鶴が猛然と突っ込んでくるのはほぼ同時の事だ。 
 
「『なんなんだよお前は』……女、お前も確かボクにそう聞いたな?」 
 悠然とした声。 
「ではこの弱肉強食の世界にあって、『非弱肉強食』を唱え世界の理に反するお前らは何だ?」 
 だけどそれとは反対に、あたしを抱えながら飛んで、転がって、逃げ回る雑巾に、 
 なるほどそういう行動に出た理由がすぐに判った。 
「…動物の癖に、自らを『獣』ではない、『人間』だと偽り固執するお前らは、何者だ?」 
 地面に打ち転がる度に激痛を発する傷の痛みに耐えながらも、 
 それでもかわす度にくるりくるりと反転して、しつこく何度もこちらに飛んでくる折り紙の鶴。 
 …これでは逸らし捌いたところで、どうにかなるような物ではない。 
 
「ボクが傲慢不遜? ボクが畜生にも劣る?」 
 ――誘導ミサイル、まるで意思でも持つかのような動き。 
「はは、何を言ってるんだか、お前らの方がよっぽど傲慢不遜で畜生以下じゃないか」 
 しかも目前のネコの差し出された手からは、牽制するようなファイヤーボールの連射。 
「…自分達を知的生命体だと自負し、野の獣と自分達を違うと断じる、その時点で」 
 言葉片手にの遊びながらの攻撃に、だけど良い様に翻弄されるのがこちらの真実だ。 
「獣にありながら、『弱きを助けて強きを挫く』などといった摂理に反する道を進む、その時点で」 
 俊敏といって差し支えない速度に飛び回り、転がりまわる雑巾の動きに。 
 だけどあたしは自分の怪我の痛みよりも、そのさっきよりもだいぶ荒い呼吸が気になった。 
 
「…何故忌み嫌うのかな? お前達が普段から望んで仕方なかったはずの、真理、真実を?」 
 霜を張り付かせた右腕に、水の散弾をもろに食らった体。 
「…傲慢にも【幻の都】を作ってその中に立て篭もり、幻夢に耽溺しているのはお前らだろう?」 
 ひょっとしなくてもあたしと同程度か、それ以上にボロボロなのに、 
 あたしを抱きかかえたままで、まだ逃げるこいつが。 
 
 ……張り巡らされた弾幕に、遠距離攻撃は効かず、敵に近づくことすら叶わない、 
 そんな目の前の化け物に、歯軋りしながらも苦しげな呼吸を吐き逃げ回るこいつが。 
 
 
「無知自体が罪、あるいは弱き自体が罪とは言わないけどね」 
 一羽はガスッっという音を立てて、紙のくせに大木に半ば体を突き刺さらせて止まったが。 
「だけど無知が、弱きが、のさばり、幅を利かせるのは、確かに紛れもなく許しがたい罪なのさ」 
 火球の連弾の中、ふいに残り二つが左右から同時に。 
 
「『強い奴が偉く、弱い奴が悪いんだ』と言うと、君らは口々に『なんて傲慢な』と声高に叫んでさ」 
 ――それを横目に、得意げな顔で。 
「…でも、『ヒトゴロシ ハ イケナイ』、『ヌスミ ハ ヨクナイ』、『キズツケル ノハ ワルイコト』、 
『アイ ハ スバラシイモノ』、『リョウシン ハ スバラシイモノ』、『ゼンイ ハ スバラシイモノ』、 
『ヨワイヒト ハ タスケテ アゲマショウ』、『ツヨイヒト ハ エバリチラシテハ イケマセン』、 
『ソシテ コレラノ ホウ ト リンリ ニ シタガワナイヒト ハ ミンナ ヒトデナシ ノ オニチクショウデス』」 
 ――高慢な顔で語られるそれは、子供の理論。 
「『フダン ナラ ヒトゴロシ ハ イケナイコト デスガ、 センソウ デナラ ハナシ ハ ベツナンデス』 
『キ ハ キッテモ、 ケモノ ハ コロシテモ イイデスガ、 ダケド ニンゲン ハ ゼッタイ イケマセン』 
『コレラ ノ コト ヘノ ハンロン ハ ミトメマセン。 ハンロン スルヤツ ハ ハンシャカイシャ デス』」 
 ――揶揄と皮肉、揚げ足取りに満ち溢れた、子供の理屈。 
 
 
「そんな矛盾した理論を、だって人間だから仕方ないんだという言い訳の下に堂々と掲げ……」 
 
 グシュッ、と。 
 何かが飛び散るような音が、聞こえた。 
 
「妄信と当然の下に、異論を挟む者は反社会者と切って捨て、分配・公平・協調を強要する、 
【きみら《自称大陸知的種族》】のそんな弱い癖にな態度が、ボクにはよっぽど傲慢に映るよ」 
 
 左側から来た鶴は、短剣で翼を切り裂かれ、地に叩きつけられると動かなくなった。 
 だけど右側から来たのには、それでは返す刀が間に合わなくて。 
 
「…強者が足を引っ張られ弱者が幅を利かす。 …いつから世界はそんな醜い物になった?」 
「……ッグ!」 
 
 折り紙の鶴を、『握り潰した』中。 
 ただでさえ霜に覆われていた右腕の、その手の平から真っ赤な鮮血が迸った。 
 手の平で受けたと聞いただけなら、比較的軽度の損傷だと普通は思うかもしれないが、 
 だけどあたしの上にまで飛び散った血の量に、毛混じりの小肉片の姿さえも。 
 
 
「……くだらない、ガキの、理屈だな」 
 
 握り潰され、ただのべとべとの紙くずになったそれを投げ捨てながら喘ぎこぼす姿には、 
 普段のこいつになら絶対ないはずの、あたしの知らない凄みがあって。 
 
「そう、子供の理屈だよ、…『何の力も持たない無力な思春期のガキが振りかざすなら』、ね」 
 けれどそんな凄みすらも涼しげに流して、露にも介さず振り上げられた手。 
「だけど相応しいだけの強大な力を持った者がそれをかざすなら……」 
 バチバチッと音を立てて、中空に爆ぜるのは雷撃で。 
 ――どこかで見た覚えのあるその形は。 
「……それはその力量に見合っただけの、絶対の力備えた【真理】と変わる」 
 さっきのように、『八本同時』とまではいかないけれど。 
 それでもたちどころに掲げた手の先に、爆ぜ、連鎖肥大し、生まれ形を為すのは―― 
 
 ――雷の、槍。 
 
 
「こんな風に、ね」 
 
 そうして片手を軽く振り払っただけで、轟音を立てて。 
 数瞬前まであたしらが居た場所を、もうあまり残ってない軌道上の木々を飲み込んで。 
 爆発し、火と土を巻き上げながら、小さな雷龍が通り過ぎていき。 
 
「……何より、大罪人たる君らイヌがこの理屈に反論したって、説得力無いと思うけどね♪」 
 土煙の向こうで放たれた、意味深というか、何かをほのめかすような言葉に。 
 だけど掲げられた手に、気にしている暇もなく、更に生まれるのは二発目の雷の槍。 
 
 
「――力は、権利さ」 
 詠唱すら無しに、とんでもない構築速度。 
「君達だって、冬の寒さが堪えるからと薪のために数十年生きてきた木を切り倒すし。 
食べる為以外で娯楽の為にも、必要に駆られずしての狩りや釣りを楽しむだろう? 
希少価値の高い装飾具や、薬の原料を手に入れる為に、希少動物を殺したりさえも」 
 しかもそんな出の速さに対しての、明らかに威力の強さが比例してなかった。 
「そんな傲慢が許されるものも、だけど君らの力が『強い』からだよ」 
 二発目、三発目、四発目、五発目。 
「『強い』からこそ、相手の抵抗や反抗を押しのけてまで、搾取し組み敷く事が可能になる。 
『強い』からこそ、君らが『知的生命体以外』と称する獣達への、尊厳の蹂躙も可能となる」 
 作って放ったと思ったら、既に新しいのが生まれかけていて。 
 その度に木々の幾つかが火達磨になり、森を抜け払って土砂と火が撒き散らされる。 
 
「……それと何も、変わらないでしょ?」 
 ――強い。 
「才能が無い、金が無い、とりわけ美しいわけじゃない、何かの役に立ってるわけでもない」 
 ――冗談じゃなく、本気で強過ぎる。 
「魔法の才能だって中途半端、幻に酔って、自分が何をしたかったのすら忘れて生き長らえ、 
心は弱く、すぐに他人に影響されて、確固たるものを持たずに、ふらふらと移ろい定まり無い」 
 こいつが『強い』、その事は紛れもなく事実であって。 
「他人に肯定して、必要として貰う事を願い、愛なんかを欲し、【独り】でいる事にも耐えられず、 
すぐに他人に頼る、他人にたかる、己の弱さを武器にしてまで浅ましく、数の暴力を傘に着て」 
 桁外れの、人外の域にあるその『強さ』、それだけは確かに認めるが。 
 
 
「 …… ほ ら ね ?  『 弱 い 』 だ ろ ? 」 
 余裕しゃくしゃくで雷槍を撃つ手を止めて、肩を竦め。 
 
「全てを得、全てを掴み、【独り】という真理の下にも在れる、『強い』この僕とは違いすぎ……」 
 止まった瞬間、顔面蒼白、激しく荒い息をして片膝をつく雑巾の姿を、 
 ただ笑って眺めながら。 
 
「……ならばボクが君らを虐げるのにも、なんにも問題はないはずだ」 
 ねちねちと。じわじわと。 
 時間を掛けて、腕を、足を、手を。いたぶって。ネズミにそうするみたいに弄んで。 
 
「…例えば『君達が新作レシピの研究の為に、鶏から今朝生まれたての卵を取り上げる』のと」 
 この腐れた性格は。 
「『ボクが実験の為に、君達のとある一家から生まれたばかりの赤ん坊を取り上げる』のとに…」 
 なのに腐れているのが分かっても、近づいて尻を叩く事すらできないこの『強さ』は。 
 
 
「 さ て 、 何 の 差 異 が あ る の か な ? 」 
 
 規格外の力を有するが故にこその、最高に腐れた性格は。 
 
 
「…そう、か……」 
 ふいに黙っていた雑巾が、喘ぎを隠さずに半分独白めいて呟く。 
「雷のジン……ポイマンドレースを使って『契約と契約者ごと』自分の物にした古精霊だな…」 
 明らかに威力と速度の釣り合わない雷魔法の連発の、種が判ったとばかりの呟きに。 
「ビ・ン・ゴ♪」 
 『あ? わかるわかる?』とでも言わんばかりの嬉しそうな、 
 明らかに場違いの声をあげるディンスレイフ。 
「道理でこの威力でこの速さ…、蛇国の【精霊魔術】と…猫国の【五行操作】を融合させて――」 
 
「――生み出させた雷エネルギーを、更に自分が加工して放つ、二段重ねの役割分担」 
 指を振り振り、死にそうな生き物二匹を前にしての、この余裕のよっちゃんな態度。 
 
「そこにこのカドゥケウスの詠唱負担補佐効果が加わって、だからこそあの速さってワケさ。 
仮に同実力の魔法使いが居たとしても、おかげで10倍は詠唱に時間の掛かる事だろうね。 
こんな神業が出来るのも、やっぱりボクという天才とそれに相応し――「「……ふざけるな」」 
 
 パシン、と。 
 あたしの気持ちをまるで代弁してくれるかのように、静かな声。 
 ぐっと見上げたその視線に。 
 
「【盗取物】で。……『奪い取ったもの』と、『毟り取った力』で身を固めて、何を偉そうに」 
 厳しい目、怒りの篭った声は、サーガに出てくる勇者や英雄のそれではなかったが。 
 でもそれは確かに公僕、奇麗事と呼ばれる薄脆い概念の体現者としての。 
 ……法と秩序に準拠して、皆の幸せと安全を守る、町の『お巡りさん』としての、怒りと声で。 
 
 
 ――なのに 
「……ククッ、ビヒモト《獣の王》相手に勝てないと判って、今度は時間稼ぎのお説教?」 
 ――ああ言えばこう言う。 
「ははは、騎士様は負け惜しみが尽きないね。…ホント、『人間』のくせに『獣』よりも見苦しいな」 
 ――こう言えばああ言う。 
 
 
 ……それは、お巡りさんの『それ』に対しての、完璧に世をナメ腐ったガキの『言葉』で。 
 これが普通だったら、お巡りさんに一発殴られて終わりの言葉なのだろうが。 
 
「…確かにこの蛇国神宝、形而環杖、ウロボロスの杖こと『三重唱器カドゥケウス』」 
 ただ問題なのは、そのガキが。 
「元猫国国宝、牢獄の本またはエメラルドタブレットこと『魂の牢獄ポイマンドレース』に」 
 ガキのくせに力も、金も。 
「そして虎国の国宝だったこの君主の衣こと『絶対魔防衣ガーヴオブローズ』も含め」 
 地位も、権力も、腐るほどに溢れ持っていて。 
「巫女の魂、イナバの魂にアリアンロッドの魂、遠雷の精霊アダドとその契約者の魂……」 
 実際にこれまでにも人を殺し、盗みを働いたのに、お咎めなしで済まされて来ており。 
「…ほかその他大勢、ボクの力の実に多くが、奪い取ったもので、また毟り取ったものだ」 
 …最悪なのは、その『力』が。 
「……でも……」 
 笑って小指一本動かしただけで、軽々とお巡りさんを壁に叩きつけられる、 
 それ程までに強大な力、異能と言っても良い程の力を持ち備えたガキだったと言う事。 
 
 
「 …… で も 、 そ れ が 何 な の ? 」 
 ――ほら、この通り。 
 
 
「だってそんな大事な物を盗られそうになって、だけど守りきれないそっちの方が悪いんだよ」 
「なっ…!」 
 ふざけた事を、だけどバサリと翻した袖に、腕を組んで軽薄そうな笑みを浮かべ。 
 
「盗られて、でも相手が奪い返せないなら、 そ れ は も う ボ ク の も の じ ゃ ん ? 」 
 しゃあしゃあと。 
 悪びれずに言うその言葉には、普通ならあって当然の子供の強がりや粋がりなんてものが 
 まったく無いだけに、なまじ性質が悪く、そして何よりもおぞましい。 
 
「…道具はその用途に使われてこその道具、力はその用途に使われてことの力でしょう?」 
 周囲一帯は今や焼け野原、そんなになるまで、そんなになる程の魔法を使っておいて、 
「国のお飾りでもなきゃ、宝物庫で埃を被って、たまに磨かれるだけの物なんかじゃない」 
 だけど疲れた様子すら見せない、そんな奴が語るからこそ、何よりも危険な匂いを持つ。 
「この『カドゥケウス』だって、『ポイマンドレース』だって、『ガーヴオブローズ』だって、 
神器だか国宝だか知らないけれど、ただのお飾りに、あるいは封印されて眠らされてたのを、 
ボクが陽の下に助け出して、然るべき使い方の下に戻してやったんじゃないか」 
 それは美しい声色と、表面上は聞いてても苦痛を感じないような素晴らしいイントネーション。 
 長口上を、突っかかる事無く続けるその口調には、当然淀みも、迷いすらなくて。 
 
 
「…なのに、ただ『より持つのに相応しい者』の所に移動しただけなのを、窃盗だの、強盗だの。 
あるいは『弱い者がより強い者の糧』になっただけなのに、殺人罪だの、不敬罪だの」 
 鼻を鳴らして、忌々しげに高々と掲げられた杖。 
「面倒で、うっとおしくって、あれこれごちゃごちゃ、五月蝿いことこの上ない」 
 不遜の限りの相手の言葉に対し、…だけど周囲の様子が、ふいにおかしくなった。 
 
「そんな物にいちいち従わないといけないだなんて、だから『人間』はやっかいで嫌いなんだ」 
 それは極めて静かに、うって変わって実に静謐に。 
 …だけど気のせいか、周囲の闇が少し濃くなったような気が、と。 
「それだったらむしろこっちから願い下げ、『獣』でいた方が、ずっと気楽で簡単でいいよ」 
 …そう思った時にはもう音もなく、冬山の夜、月や星の光が弱って陰り始めていた。 
 
「…ね? …だってビヒモト《獣の王》、ボクはビヒモト《獣の王》なんでしょ? ねえお兄さん?」 
 ケラケラと笑いながら手を叩くこの目の前のクソガキに。 
「……ッ!! #**$*%*&(*+\*~=&*#(*=**+*──」 
 そうしてあたしを抱きかかえた雑巾が、即座に詠唱っぽいものを始める辺り、 
 どうやらそれは、あたし一人の幻覚などではないらしく。 
 
「…だったら残念だけど、『獣』に【人間の法】は適用できないねぇ、うんうん」 
 まるで黒い濃霧が立ち込めて行くかのように、少しずつ視界を黒に塗りつぶしていく黒。 
 気がつけばもう星明りや月明かりすら見えないような闇の中で、ふいに がぱり、と。 
 
「……それとも……」 
 どういうわけか並んだ牙の形に裂け、黒い顎が大きく開いた。 
「…獣にまで人間の法を適用して、その支配下に置いてやるだなんて傲慢、言うつもりカナ?」 
 頭の上での悲鳴にも似た声。静かに開いたその黒の顎を呆然と眺めるあたしの前で。 
 
「……だとしたら、変わらないねぇ、君ら『イヌ』は」 
 
 遠くから聞こえてきた、そんな人を小馬鹿にした様な声と共に、 ガ チ ン ッ !! と。 
 
「……2000年の、昔から」 
 
 
 ………… 
 
 
「…………?」 
 ……あれ? 何も、起こらない? と。 
 思わず目を開けた先には、さっきまでと同じ、星明りの下の冬山の夜が広がっていて。 
 ――あれも幻術か何か? と、そうあたしが思わず思った、その頭上で。 
 
「ゲホッ、ケホッ、ゲホッ!」 
 さっきからの、そしてさっきよりも明らかに酷くなっている、気管に水でも入りでもしたような、 
 嫌な感じの咳の音。 
「ケホッ、ケホッ……ケホッ」 
 その咳、背中に水でも浴びせかけられたような嫌な予感に、あたしが何かを叫ぶより早く。 
 
「虎国の、【古代……暗黒、魔法】…」 
 ゼイゼイと、切れ切れの言葉に紡がれたのは。 
「……しかも、告死の、呪文だと? 貴様――」 
 
「――盗っ人め、人でなしめ、畜生以下のド腐れ外道め、…なぁ〜んて言葉は、聞き飽きたよ」 
 『死の呪文』 
 んな物騒な言葉を、何でもない日常の光景のようにあっさり流して。 
「口で言うだけなら誰にだって出来る。 負け惜しみの陰口だったら、誰にだって言えるんだ」 
 風にはためかせた衣に、両手を広げて肩をすくめ。 
「示したいのなら、僕みたく行動と一緒に示そうよ、ねえ『お巡りさん』?」 
 傷一つ、泥一つ負わず、ひょうひょうとした態度。 
 
「ほら、守りたいのなら、力ずくで退けるか、あるいはこのボクを楽しませてごらん?」 
 鼻で笑いながら。 
「返して欲しいなら、力ずくで奪い返して、あるいはボクを唸らす程に『踊って』みせなよ?」 
 全てを見下し、嫌味に見下ろした顔。 
「このボクが間違っていると、止めさせたいと思うのなら、力ずくで倒して、捕まえてみせて」 
 圧倒的な力を背景に。 
「自分の正義が正しいという事を、獣に勝てる人間の姿を、行動でもって示してみせてよ?」 
 できるわけがないと内心では嘲っているのを、隠そうともせず。 
 
「――できるものなら、ね」 
 
 そう言って、止まった魔法の手、しん、と静寂の帳が落ちた中。 
 宙に浮かんで無防備に、まるで磔刑の聖人みたいに両手が広げられた。 
 
 
 
 一見隙だらけ。 
 でもヴヴ……と唸って短剣を持った手にあたしをかき抱きながら、 
 雑巾は少しも動こうとしない。 
 
 確かに、あんまり無防備な姿に、ぷんぷん漂う罠の匂いは消えず。 
 こいつがあたしから離れた瞬間に、あたしの命が吹き飛ぶ可能性も、否定はできない。 
 
 ――かじかんで噛み合わない歯、舌を噛み切る力も残っていないのが本当に悔しいのだが、 
 …でももっと悔しいのが、例えそれが残ってた所で、本当に舌を噛み切れる覚悟があるのか、 
 認めたくないけれどもそれすらも判らない、そんなあたしの心の弱さ。 
 
 睨み合った、イヌとネコ。 
 ぺらぺらとよく喋る目の前のネコの言葉と、常に轟いていた魔法の轟音が消えれば、 
 こんなにも静かだったのかと今更のように感じる、冬の空気の静寂の中での出来事だった。 
 
 ピリピリと張り詰めた空気は動かなく。 
 時間だけが、刻々と無駄に過ぎていって。 
 
 
 
「――はいタイムオーバー《時間一杯》」 
 
 唐突にディンスレイフが腕を下げ。 
「……そしてゲームオーバー《終幕》だよ、残念だけどね」 
 笑って、断じて。 
「■○◇◎△▼×凵v 
 トン、と突き立てた杖に、意味不明であたしには発声不可能な謎の言語。 
 ……それに雑巾の目の色が、だけど豹変した。 
 
「潜伏詠っ…「「君達はなかなか楽しかった、この思い出は間違いなくボクの心に残るだろう」」 
 何を突然そんなに慌てるのか、全く判らないあたしの狼狽を横に。 
「……でも、所詮はその程度だ」 
 笑顔と一緒のディンスレイフの言葉、だけど今度は辺りが明るくなって来たような気がして。 
 思わず空を見上げたら。 
 
 
 ――光が―― 
 
 
「いいだろう?」 
 
 満天の星々の無数の光が、徐々に大きくなっていくかのような。 
 真昼の陽光を尚越えて、夜の帳を煌々と照らし、月の下にと『光雨』を作る。 
 
「トラの国の瘴魔窟から出土したらしい古文書に載ってたんだ」 
 ……ああ、そうか、と。 
 
「そのままじゃ使えそうになかったけど、兎国の月の力を借りる技法に、狐国の星見の法……」 
 呆然物の光景に、思わずそう思った。 
 
「……猫国の元素循環原則に蛇国の精霊統御の技術を流用したら、まぁ使える形になったよ。 
犬国の魔法軍事転用学と魔法比較学の論文の幾つかにも、大いにお世話になったかな?」 
 
 ファンタジーのお約束、魔法使いの必殺技は。 
 
「『第七の元素』、天に輝く星々の光を借りる魔法なんだってさ。 ちなみに魔法の名前は――」 
 
 隕石、流星、星落とし。 
 
 
「――イセリアル・グランス 《 至天の一瞥 》 」 
 
 
 
 

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