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      対生物用究極攻撃魔法、インプロージョン《内裂》。 
      ディンスレイフが編み出した魔法の中で、最も強く。…そうして最も、つまらぬ魔法。 
 
      ──最も強く強力な、破壊と殺傷の為の魔法とは? 
      男の魔法使いなら誰もが一度は夢見るコンセプトに囚われたのが70を過ぎた頃。 
      以来彼なりに研究を重ね、改善を重ね、修行と研鑽と熟練を積み、 
      そうして100年近い年月を掛けて磨き上げた、一つの魔法の究極的に極まった形。 
 
      一から自分用にカスタムして術式を構築し、余分な物を極限まで削ぎ落として。 
      天才たる彼のこの魔力のパワー(力)とテクニック(技)とアモウント(量)、 
      そこから計算された最効率曲線上に乗る様、より速く、より正確に、より低コストで。 
      しかし確実に必殺なだけの性質と殺傷力を兼ね備えた、 
      殺傷の為の究極の魔法、──それがこの内部破壊魔法インプロージョンだった。 
 
 
 全身に大火傷を負い、口の端から血、腹からは流血して、肩の骨は折れてるというのに。 
「…毒だと? 暗器だと? 卑剣だと!? 死んだフリだとっ!?」 
 小柄な少年が、だけど蹲った獣人の大男に近寄って、その身体を蹴り飛ばし。 
「くだらんッ! 実にくだらんッ! そんなに『ただ勝てさえすればそれでいい』のかッ!?」 
 睨み上げた瞳に、反撃しようとその腕が動けば。 
「ただ最も効率よく人を殺せるだけの! ただ最も効率よく人を壊せるだけの!」 
 それが届く前に、しかしただの指の一打ちで横にすっ飛ばして転がし倒す。 
 
「それが一体、何だというのだッ! 何が『楽しい』ッ!! 何が『美しい』ッ!!」 
 
 
      ファイアボール《火球》やウインドカッター《鎌鼬》などの通常一般の攻撃魔法、 
      ……いや、ほとんどの攻撃の為の魔法に存在する『最大の欠点』にして『無駄』が、 
      まずは『命中するかしないか』という、その次元での問題が存在する事だ。 
 
      基本的に魔法は、遠くで作るよりも自分の近く、手元で作った方がやりやすい。 
      いや、そもそも魔法に限らず、近接操作が遠隔操作よりもやり易いのは物事の常、 
      だからほとんどの魔法使いは、掌の先や杖の先にて魔力を練って魔法を構築し、 
      それから放つなり撃ち出すなり、注入するなり転化するなりを行うのが通例だった。 
 
      ……というか、ほとんどの魔法使いはそれしか出来ないと言っていいだろう。 
      『手元で魔法を構築する』のと、『10〜20m離れた地点で魔法を構築する』のとでは、 
      実際天と地ほどに難易度に差が出、コスト的な無駄や精密性の低下が顕現する。 
      ……それほど『魔法の遠隔構築』は、高度で至難とされた魔術の技。 
      手元でそれを出来る者が、手から遠く離れた所でそれを出来る様になる為には、 
      大抵長い修行期間とたゆまぬ熟練、高い集中力と練習の積み重ねが必要となった。 
 
      ──故に、まずは手元で火球を作ってから、それを単純に直線的に発射する。 
      ──あるいはまずは手元で鎌鼬を作ってから、それを単純に直線的に発射する。 
 
      …それが攻撃の魔法の最も簡単な形式で、だからこそ前出の『PDR』、 
      防御や偏向、反射といった、魔法の防御形態も重要な意味を帯びてくるのである。 
      …なぜならどんな『当たれば必殺』な魔法でも、当たらなければ意味はなく。 
      そうしてそんな強力な魔法は、『一部の例外』を除いて手元至近での練成を必要とし、 
      また複雑な詠唱、高い精神集中、長い溜め時間等を要するの常であるからだ。 
 
      そうして『世界の理』に沿う魔法より、『世界の理』に逆らう魔法の方が難しい。 
 
      小石を投げるよう、ボールを投げるよう、弓矢を撃つ様に魔法を放つのは簡単で、 
      一定方向に向かって撃ち出す、あるいは手元に引き寄せる魔法は単純だ。 
      これにぐねぐねと蛇行する動きを加えたり、ブーメランのように戻ってくるような 
      動きを加えるなど、変則的な軌道を与えようとすると、やはり途端に難度は上がる。 
 
      また簡素単純な魔法ほど簡単で、複雑難解な魔法ほど難しい。 
 
      手元から離れた後術者が自在に操れる様な魔法は一見強そうに見えるが、 
      しかし逆に言えば操っている間はそれで手一杯で、他には何もできなくなってしまう。 
      …なぜならどんなに高い魔力を持つ者でも、それでも頭は一つ、脳みそは一つ。 
      片手でペンを走らせながら、もう片方の手で縫い物をするような器用なマネは難しく、 
      『遠隔自在操作系』の魔法が不人気で難度が高い理由もここにある。 
 
      だから少し頭の良い魔法使いは、ターゲット指定を術の構成内部に組み込んで、 
      自動追尾性を持たせた魔法を用いたり。 
      あるいは単純に魔法の発射速度の向上や準備時間の短縮を図って、 
      純粋に回避の難しい魔法を用いたりする。 
      力がある魔法使いならば、(そういう魔法は消耗も消費も大きいが)一度に広範囲を 
      攻撃するような広域魔法を用いて、一帯ごと相手を薙ぎ払おうとする。 
 
      ──しかしディンスレイフは、更にその先を考えた。 
 
 
「『勝てさえすれば』いいかッ! 『成功率さえ高く、ただ確実・安定でさえあれば』いいかッ! 
どんな手を用いても、どんな汚い手を使っても、どんな興醒めで卑怯くさい手を使ってもッ!!」 
 ばたばたと、それだけは泥も血も寄せ付けない純白のコートを翻し。 
「……そうして、行き着く先が、これか?」 
 ハシバミ色の瞳を、忌々しげに顰めて。 
「見ただろう? ただ効率だけ良く、ただ強いだけ、ただ上手に人を殺せるだけの、 
し か し 何 の 面 白 み も な い 『 こ の 魔 法 』 を ッ ! ! 」 
 背後から伸びた猫尾は、イライラを示すように左右に激しく振れる。 
 
 
      ──エクスプロージョン《爆裂》。 
      比較的知名度は高いが、かなり高等で、そうして扱いの難しい破壊の魔法。 
      『任意の空間一点』を揺さぶって、大爆発を起こす。 
      威力は絶大で、広い範囲に大きな被害を及ぼす魔法だが、 
      しかし同時に術者やみ方も思いっきり巻き込まれる為、至近距離ではまず使えない。 
 
      よって遠くから遠隔操作でその空間一点に術を構築して爆発させるか、 
      カモフラージュとプロテクトを施した魔法をまずは手元で構築して後に放ち、 
      敵陣にそれが飛び込んだ所でカモフラージュとプロテクトを遠隔解除、爆発を起こす、 
      基本的にこの二つのどちらかの方法を使って発動される魔法だった。 
      ……いずれにせよ危なく自爆の可能性もある魔法である事には変わりないため、 
      その知名度に反比例し、余程の派手好きしか好んで使おうとはしなかったが、 
 
      ──だけどディンスレイフは、この魔法に強く着目した。 
 
 
      ──【エクスプロージョン】は、『任意の空間一点』で術を構築して爆発を起こす。 
 
      ……それと同じ事を、『相手の体内の一点』でも出来はしないだろうか? 
 
      相手の肉体の細胞そのものを『錨』に『核』として、そこを中心に魔法を構築する。 
      …もちろん難易度は極めて高いだろう。抵抗もされやすい。 
      だが術の構築が完了すれば、その時点で相手は必ずダメージを受ける。 
 
      結果、絶対に回避はできない。 
      そもそも『当たる』『当たらない』のレベルすら越えた必中魔法。 
      構築を妨害できなければ『100%クリーンヒット』する羽目になる無距離魔法。 
      身体の細胞そのものが、術の完成と同時にはじけて飛ぶのだ。 
 
      …そうしてこの魔法を、詠唱も無しに、瞬間発動できるまでに極められたら? 
      既に350年近く前の時点で彼がそうだったように、 
      …火球や鎌鼬を作るのと同じく、コンマ何秒のレベルでその魔法を構築できたら? 
 
      そう考えた、それが不可能ではないと考えたディンスレイフは。 
      ──そうしてそれに、100年の年月を掛けた。 
 
 
「つまらんだろう!? 興醒めだろう!? 白けるだろうッ!?」 
 ディンスレイフは、激怒していたのだ。 
「ただ強く、ただ強く、なりふり構わずただ強く! ただ勝てれば、勝てれば、勝てればッ!」 
 こんなくだらない存在ごときに、ここまで本気を出さねばならなくなった、その事実に。 
 こんな興醒めな手合いに、己に課した『制約』まで破らねばならなくなったという、この事態に。 
「その考え方の行き着く先が、『これ』なのだと……」 
 …そうして何よりもこの眼前の狗国が暗部、弱者の驕駄その物たる男の、存在自体、 
「 ど う し て お 前 達 は 、 気 が つ か な い !?」 
 『効率至上主義』、『実利至上主義』の産物そのものである、この目の前の男の存在自体に。 
 
 
      いかに才能が重要ではあっても、それでもその上には努力と修行が必要になる。 
      ……本当に『強い魔法』を、しかし『真に』使おうと思うのだったなら。 
 
 
      ──『詠唱』を必要としなくなるまでに、まずは30年掛かった。 
 
      地道な、実に地道な訓練だった。 
      ただ一つの魔法を、しかし何度も何度も、毎日毎日ただひたすらに繰り返す。 
      ただ一つの魔法を、しかしどこまでも突き詰める。 
      1年かけて、2年かけて、少しずつ詠唱文を短くして、印を切るその一手動作を省く。 
      身体が、頭がそれを覚えるまで、それを無限に繰り返す。 
 
      そうすると。 
      …ちょうど毎日毒を少しずつ舐める者が、しかし少しずつ毒への耐性つけていく様、 
      確かに変性していく何か、身についていく何かがある。 
      …毎日基本の武術訓練を欠かさない者が、やがてその果てにほぼ条件反射で 
      相手の攻撃に対応を行えるようになるのと同じで、身に染み込んでいく何かがある。 
 
      ……ただし魔術のそれは、前者二つよりも極めて緩やかで。 
      武術や肉体の鍛練以上に、それは目に見えて目立って表れる物ではない。 
      そうして故にこそ身につけたらそれでお終い、魔法を習得したなら習得しっ放しで、 
      『地道な反復訓練』などしようとしない者が大多数、 
      使えるようになったならそこで最終目標地点だと勘違いする者が多いのである。 
 
 
      ──『トゥルーワード《魔法の真名》』を必要としなくなるまでに、更に30年。 
 
      『一つの魔法を極める』『一つの魔法を突き詰める』 
      ……便宜上ディンスレイフ達『本物の魔法使い』は、その事をそう呼んで称していた。 
      『習得するだけなら』『使えるようになるだけなら』簡単な魔法を、 
      しかし更に無駄を省いて、コストダウンし、積み重ねられる反復、身体に馴染ませ、 
      そうしてまるで空気を吸って吐くかのように使えるようになる、そこまでの過程。 
 
      ──覚え立てでは発動に10秒掛かる魔法を、しかし1秒で発動させられる様に。 
      ──覚え立てでは膨大な魔力を喰う魔法を、しかしその1/3の魔力で放てる様に。 
 
      ……はっきり言って、効率は悪い。 
      他の簡単な魔法をあと10、あと100は覚えられるような時間を、 
      しかしたった一つの魔法を地道に精錬して昇華する、そんな気長な作業に使うのだ。 
      気の短い者にはできぬ。 
      地道な努力が苦手な者にはできぬ。 
 
      ……しかし膨大な時間を経て、突き詰めが完遂された時。 
 
      真の魔法使いは、初めてそこに生まれる。 
 
 
      ──印を組む事も、切る事も必要とせずに、瞬き一つで魔法を構築できる。 
      ──その域に至るまでに、更にもう30年、合わせてここまでで90年。 
 
      …とりわけ、『速さ』と『正確性』を重視した。 
      爆散する熱と衝撃波で広範囲を攻撃するわけでない以上、『威力』は別に最小限、 
      柔らかく脆い相手の臓器や脳が破裂する、その程度の『威力』で事足りる。 
      消費魔力、『コスト』が多少嵩むのも仕方なく、何よりもまずのその『速さ』だった。 
 
      ── 一つ、脳がこちらの魔法の性質や正体に気がついて、 
      ── 二つ、それに対する抵抗・対応の方法を脳内の記憶から検索し、 
      ── 三つ、然るべき対処法を見つけ出して脳と肉体がそれを実行する。 
      ……それにどうしても、『一秒』掛かる。 
      どんな偉大な魔法使いでも、しかし人間である以上、そこに必ず『一秒』掛かる。 
 
      ──反応限界。 
      『その一秒』よりも速く割り込めれば、しかし誰もこの魔法をレジストできない。 
 
      どこまでも余計な物をけずり削ぎ落として純粋化し、圧縮し、簡略化し、単純化し。 
      抵抗する暇など与えない、対応する暇など与えない。 
 
      対生物限定、知覚可能な距離内にしか射程距離が及ばないとは言え、 
      必中必殺、抵抗不能な程の超高速構築、内部よりの攻撃には鎧など無意味。 
      100余年かけてディンスレイフが完成させた、 
      最も効率がよく、最も強力で、最も使い勝手のいい究極の殺人魔法。 
 
 
「……これでもまだ、『最効率』じゃないんだ」 
 『ただ一瞥』で弾き飛ばし、『ただ一瞥』で下がらせて、『ただ一瞥』で吹き飛ばしながら。 
「…コンマ7秒、出力3%に抑えて、抑えながら放って、それで『まだ』これだ」 
 しかし本当に、笑ってしまう。 
「『最効率』は、出力60%、コンマ4秒で放つそれ」 
 ――こんなのが、最強魔法だとは。 
 
「でもそれをやったら……」 
 
 ――この世の聖なる光を全て集めての、白き浄光による爆発攻撃でもない。 
 ――核融合を引き起こしての、対象を身の内から焼き尽くす核熱攻撃でもない。 
 ――天の理を歪めての、降り注ぐ隕石群による流星攻撃でもない。 
 ――それらは俗に、世の効率主義者の諸氏に言わしめて、『無駄』の多い技なのだそうだ。 
 
「……お前の腕は千切れ、頭は弾け、臓物は破裂し、穴という穴からは血が噴き出すな」 
 
 こんなあっけなくもつまらない、 
 ただ強いだけの、確実なだけの、『最も効率よく人体を機能停止に追い込めるだけ』の、 
 ……美しくない事この上無い魔法が、しかし現実には『最強の魔法』だとは。 
 
 
      ──実戦レベルでの使用を完全なものとするのに、更に10年を要した。 
 
      最初は森の木々。 
      次は比較的大人しい獣達、次第に凶暴で俊敏な獣達の群れへと向けて。 
      コツを掴んだら、ドラゴンやグリフォン、ワイバーン等と言った高等幻獣を相手に。 
 
      最後には、死の山の紅火竜。 
      最強の害獣と呼ばれ、万が一里に解き放たれれば村一つが滅ぶとさえ言われた 
      ロウワードラゴン達の中でも、もっとも凶暴で野蛮と言われたそれが、 
      ただ彼の指の一振りで腹部を押さえて悶絶し、 
      目の一瞬きで頭蓋の内部から血を噴出して絶命したのを見た時。 
 
     「…あはは、これでボクもドラゴンキラー様々だね☆」 
      ──確かにその瞬間は、楽しかった。 
     「…最強最硬のドラゴンの鱗も、だけど内側からはこんなに脆いか」 
      ──確かにその瞬間だけは、実に最高な気分だった。 
 
      ──……だけど、すぐに気がつく事になる。 
 
      ──……自分が一体、どんなところまで来てしまったのか、その事実に。 
 
 
「──ルキウスッ」 
《……!!》 
 叫べば、黒ムカデがぐっと詰まった様な顔をしながらもそれに従う。 
 それは分魂の法まで施して作り出した、ディンスレイフの最強のサーヴァント《使い魔》。 
 自律意思と高度な学習能力を与えられ、自分で物を考えるだけの知性も持つが、 
 しかしだからこそディンスレイフの命令には逆らえず、ディンスレイフの意思には逆らえない。 
 
「ッ!!」 
 這いつくばって、それでも呻き声を上げて地面に剣を突き刺す黒衣の前で、 
 カッと開いた鋏口から、しかしドラゴンもかくやとばかりの猛烈な炎のブレスが吐き出された。 
「……分かるか? 泥 仕 合 な ん だ よ 」 
 へたばってそこに飲み込まれる黒衣のイヌの姿をした存在を、白けた瞳で少年は見送る。 
 
「……お前が毒を使うんなら、こっちも毒を使うんだ」 
 ──ディンスレイフは、そんな勝てさえすればいいという考え方、戦い方が大嫌いだ。 
 そんな確実でさえあればいいという盗みの仕方、仕事の仕方が大嫌いだ。 
「お前が死んだフリなんて興醒めな手を使うなら、相手だって当然それをやり返すだろうさ!」 
 強ければいい、勝てさえすればいいと言い出したら、キリがない。 
 どんな汚い手を使っても、どんな卑怯な手を使ってもと言い出したら、際限ない。 
「お前が卑怯な手を使うなら、こっちだって三人がかりなんて卑怯も使うんだよッ!!」 
 そんな際限無い泥沼仕合。 
 美しくなく、興醒めで、そうして見ていて実にイライラするもの。 
 
 
      ――すぐに分かる羽目になった。 
      ――その忌まわしさ、その興醒めぶりさに。 
 
     「……おい」 
      虚しさを感じ始めたのは、いつからだっただろうか? 
     「……抵抗しろよ」 
      今身に纏っている、ガーヴオブローズを奪いに虎国の宝物殿に侵入した時か? 
     「……何そんな簡単にくたばってるんだよ!」 
      それとも三重唱器であるカドゥケウスを奪いに、蛇国の帝城に侵入した時か? 
 
     「抵抗しろよ! 止めてみせろよ! 抗ってみせろよ!」 
      どこの国の、どこの王侯貴族の、どこの宝物庫に押し込んだ時かは忘れたが。 
     「ボクは『悪』なんだろう!? お前らは『正義の味方』なんだろう!?」 
      剣聖と讃えられたオオカミの剣士が、一瞬で頭を爆ぜさせられた時だったろうか? 
      ヘビの宮廷魔術師が、ジンを呼ぶ間もなく臓物を床にぶちまけた時だったろうか? 
     「ボクの考え方は間違ってるんだろう!? 許されちゃいけない存在なんだろう!? 
     なのになんでお前ら、そんなボクにこんな簡単にやられたりしてるんだよ!!」 
      精鋭と謳われたトラの近衛騎士団をあっさり全滅させてしまった時からか? 
      影を狩る者とまで言われた、狐耳国の符術師があっさり五体を弾けさせた時か? 
 
     「……抵抗しろよ」 
      実利至上主義、効率至上主義、結果至上主義。 
     「……抗えよ! 立ち向かって来いよ! 大口に似合った行動を見せろ!!」 
      一切の余分を削ぎ落とし、一切の無駄を取り除き、究極の純粋まで登りつめて。 
 
     「つまらないぞお前ら!? なんだよこれッ――」 
      完成した魔法インプロージョン。 
      …至った頂上、【最強】の座は、しかし恐ろしく虚しくて。 
 
     「――……ちっとも楽しく、ないじゃないかぁ……」 
 
      最速・最強の魔法インプロージョン。 
      …辿り着いた【真理】は、だけど恐ろしくつまらないものだった。 
 
 
     「…………」 
      何気なしに、ただ魔力を掻き集めて、ありったけの力でそこらの柱にぶつければ、 
      …それだけで石造りの柱は砕けて、ひしゃげ崩れ落ち瓦礫となった。 
     「……はは」 
      ――なんだこれは。 
      もう火球を作る必要も、鎌鼬を生み出す必要も、氷柱を生じさせる必要も無い。 
      もうこれだけで、別に十分事足りるではないか。 
     「はははははははは……」 
      魔力を練る必要すらない、呪文や印すら必要ない。 
      しかしただ集めて叩きつけるだけで、そこらの石壁や石柱すら砕き崩せるほど。 
 
      ……たかだか170か180も生きていないというのに、 
      だけどディンスレイフは、自分が『強くなり過ぎてしまった』事を、その時知った。 
 
     「ははは……なんだ、『無駄』だなぁ♪」 
      効率。 
      そう、効率。 
      これが一番、効率がいいではないか。 
     「はは、あれも『無駄』、これも『無駄』、それも『余分』、どれも『余分』♪」 
      いちいち炎を生む必要も、雷をわざわざ作り出す必要も、実は最初から無いわけだ。 
      ただ集めた魔力を、そのまま直に叩きつける、 
      …それが一番、手っ取り早いじゃないか。 
     「…なんだ、なんだ、つまり『セカイ』は、『ムダ』ばっかりなんじゃないか♪」 
      わざわざ炎なんか、鎌鼬なんか、石礫なんか作り持ち上げてる手間暇すらいらない。 
      究極的に『無駄』を切り詰めて、『余分』を捨てて行った先に、行きつくその次元。 
      でもそれが一番、早くて、手っ取り早くて、効率が良くて、単純で。 
     「はは、はははははは、はははははははははははは…………」 
      無駄なものは要らない、要らない、要らないと、全部捨てて、捨てて、切り捨てて。 
      ただ勝てさえすれば、成功率さえ高ければ、結果だけ良ければ── 
 
     「…………違う……」 
      ぽたりと落ちる涙。 
     「……違うぞ」 
      血と脳漿の海の中で、頬を伝うもの。 
     「違うッ!!」 
      そうだ、違う。 
     「断じて、違うっ!!!」 
      それは違う。 
      断じて違う。 
      違うはずなのだ。 
 
      ――美を。 
 
      美を。 
      美を。 
      美を。 
 
      世界に、美を。 
 
 
「──アシナッ」 
《…………》 
 燃えさかる業火が通り過ぎても間髪置かず。 
 低く控えた白ムカデが、すかさず凍てつく冷気のブレスを吐く。 
 腐り、焼け焦げ、あるいは焦土と化した大地が、吹き荒ぶ冷気にたちまち霜を浮かばせて。 
 
「……『ルール《約》』だ」 
 ぼそりと呟くディンスレイフの表情は、しかし誰にも読み取れなかっただろう。 
 
 炎と毒のブレスを吐き、輝黒鋼の甲殻と太槍の両手を持つ、黒ムカデ型使役獣ルキウス。 
 氷と酸のブレスを吐き、真銀鋼の甲殻と大鎌の両手を持つ、白ムカデ型使役獣アシナ。 
 
 封魔符や封魔石、縛妖鎖に愚黄鉛といった対魔法使い用の魔力阻害アイテムを、 
 しかし金に糸目をつけず大量に用いる事で彼の動きを封じようとする、 
 はっきり言って誰もが考える様なくだらない戦法を取ってくる阿呆が現れるのを『一』に。 
 あるいは彼をもってしても本気で相手をしなければならないような対象や存在が 
 現れた場合を『二』にと、その2つを発動条件として、しかしディンスレイフは彼らを作成した。 
 
 ……逆に言えば、ディンスレイフはよっぽどの事が無い限りはこの二匹までは持ち出さない。 
 ただでさえ鬼な所に金棒を持ち、最初から全力で潰しに掛かるなんて真似、彼はしない。 
 
 
「…そこには、『ルール《約》』がある」 
 
 
 それは『制約』と『ルール』。 
 『遊び』を楽しむために、そうして『人生』を楽しむために、だけど決して欠かせぬ物。 
 己に、己自身が課した約。 
 
「…だからボクは、『ルール』だけは守る」 
 そうだ、だからこそディンスレイフは『ルール』は守る。 
 悪役であるディンスレイフは、えげつない手や騎士道精神とやらに反する手は用いるが、 
 しかしそれだけは、『最低限のルール』だけは決して破らず、守って来た。 
 
 
 ──生み出してしまった最強魔法、『インプロージョン』は使わない。 
 ──アシナとルキウスは、よっぽどの事が無い限り呼び出さない。 
 ──詠唱は極力相手にも聞こえるように、理解できる言葉でかつエレガントに。 
 ──使う魔術は美しくも格好良く、『畏怖』と『崇敬』の対象たるような。 
 
 ──そうして、手加減を忘れない。 
 ──必ずしも真実は語らないが、しかし嘘もつかない。 
 ──相手の力量を計った上で、しかし絶対に勝てぬレベルでの攻勢は行わない。 
 ──立ち向かう者には敬意を評し、心強き弱者には敬意を払い、輝石の心は砕かない。 
 ──死を賭して向かって来る相手に、しかし1%の希望を与える事は怠らない。 
 ──親を、子を、恋人を、友を、誘いに乗って易々と差し出すような愚者は、真っ先に殺す。 
 ──……しかし最後まで寄り添いあい、そうして諦めぬ者達には。 
 
 
「 『 神は何者にも縛られないが、しかしただ唯一、己自身の言葉には 』……」 
 何を愚かと笑うかもしれないが、しかしそれこそがディンスレイフの『約』。 
「そんな神話の中にある文句と、同じようにな」 
 自分がそうと決めた事は、しかし決して翻さない、それがディンスレイフの、唯一の『法』。 
 
「……だが、貴様は『ルール《約》』を破った」 
 小さな氷原。 
 形作られたそこに、霜柱を踏みながら近づく者。 
 
「ならば私も『ルール《約》』は守らん、守らぬ者には守らぬを持っての返礼が通例だからな」 
 薄く霜に覆われて這いつくばったイヌは、それでも回避したのだろう、 
 …しかしもう飛び掛る気力すら残っていないと見せかけて、 
 頭を持ち上げる事すら出来はしない。 
 
 すっと持ち上げる両手。 
《──おい、止めろよ》 
 しかし遮ったのは、意見をする事だけは許された使役獣、黒ムカデ。 
《なんだよお前、大人気ない、『規格外』でもない奴たった一人相手に『インプロージ―― 
「―― 一人ではない」 
 だが、それに返礼するかのように振り仰いだ顔は、出血に蒼褪めていても酷薄だ。 
「……そうして、『規格外』さ」 
 右の肩の骨を折られ、左手だけになりながら。 
 腹からは血を流し、全身に大火傷を負い、クレゴーラの矢を脇腹に刺されながら。 
「『造られた』……人造のな」 
 だがそれでもディンスレイフの瞳は決然としていて、そこに宿る光に揺るぎは無い。 
 
 
「――見るがいい」 
 指差した先、倒れた黒衣の肩の肉。 
 …先刻、彼の【返し矢】によって、自分で放ったナイフを自分の身で受けたその部分。 
 
「十数分前に受けたナイフによる刺し傷が、しかし治癒術なしでもう塞がりかけている」 
《《──!?》》 
 驚愕に歪むその視線の先で、しかし言った言葉に偽りは無かった。 
 肉は盛り上がり、ほとんど塞がりかけて…というか、もう跡すらも注視しないと分からぬ位。 
 
「普通の人間なら七度精神が崩壊し、三度肉体が崩壊する程の魔素汚染を受けながら…」 
 そうしてしゃべりながら。 
 ついと持ち上げた左手を動かして。 
「…それでも底をついた魔力、枯渇したというのに魔法を使い続けるこの『ルール』破り」 
《!! ディン――》 
 ──ずぶり、と。 
 金属棒――愚黄鉛製の矢がめり込んだ脇腹に、突きたてるのは手。 
 
「そうして、気功術を極めたライオンも驚きの、このとんでもない肉体の自己再生力」 
 ぐちゅぐちゅという嫌な音を立てながらの平然とした言葉。 
「…なるほど、血水と崩れぬわけだよ肉体が。常人の十数倍の速度で回復してるのだからな」 
 めり込んで引っかかった矢を、無理矢理抜き取り、引っ張り出して。 
 
「あまつさえの痛覚無視。…この調子では、これほどの傷を負っても一日か二日で。 
…精神の方に至っては、一時間か二時間ほどもあれば平常動作に戻れるのだろうな。 
殺すには首を切ればいいのか? 全身を焼けばいいのか? 心臓を潰せばいいのか?」 
 
 周囲の全てが声を失う中。 
 『ちゃりん』ではなく『べちゃり』と、何かの肉片が纏わりついた矢を投げ捨てる。 
 
「…なあ『101の命』と、『101の魂』を材料に作られた、多重魂載の生体魔導兵器?」 
 考えられる結論は、結局のところそれしかなかった。 
「…狗国が暗部、『人間を使っての蠱毒』で造られた、最強の呪術兵器、…人間兵器め」 
 『ルール』を破って造られた、『強ければいい』という思想の下の最も下らぬ産物。 
 規格外を人工的に生み出す為に、屑肉を寄せ集めて作ったデキソコナイ。 
 
 
 
      ※     ※     ※     < 6 >     ※     ※     ※ 
 
 
 
 ──取り残されたあたしには、さっぱりワケが分からなかった。 
 
 
「五局の【ティンダロス】か? 六局の【アヌビス】か?」 
 投げかけられた意味不明の単語に、這いつくばった雑巾は身じろぎ一つしない。 
「まあ、妥当なところで【ティンダロス】だろうな。普通に可能性としては」 
 身じろぎ一つしないが…… 
「……はは、しらばっくれるな、この私を誰だと思っている」 
 醒めた冷笑を浮かべて、右腕をだらりと下げたディンスレイフが笑う。 
 ぼたぼたと脇腹から赤黒いものを零しながらのその笑いは、酷く凄絶で。 
「…100年前。…お前らのご先達には散々苦渋を舐めさせられたよ。ちょうど今と同じように」 
 …そうしてそんな言葉に、雑巾もかすかに身じろぎして。 
 
 
 ──でも、分からない会話、分からない世界。 
 ──あたしの知らない単語、理解できない話。 
 
 
《ティン、ダロス?》 
《アヌ、ビスぅ?》 
 ぐるぐるとディンスレイフの周囲を守るように回るムカデ達も、それを感じたらしく。 
 解せない、といった響きを含んだ声で。 
 
《―…蓄積データ内からの照合を行いましたが、 考えられません、極めて低い確率です。 
狗国が暗部、多重魂載の生体魔導兵器が、これ程の短期間で、なぜこのような場所に》 
 高く、控えた、白ムカデの口鋏の向こうから放たれる振動。 
 ……セイタイ、マドウヘイキ? 
 
《中央ならともかく、ここ、王都から伝令用ワイバーン乗り潰しても3日は掛かる辺境だぞ? 
会議だーい好きのル・ガルの軍のお偉いさん達が、なんでこんな短時間、こんな国境近くに、 
最高軍事機密な【GARM】の人間兵器なんか送り込んで来れるって言うんだよ!》 
 どこかおちゃらけた、しかし低い男の声が、黒いムカデの口の奥からまた放たれる。 
 ……ニンゲン、ヘイキ? 
 
 
「…知らぬ、だが、それしか考えられまい?」 
 話し合う目の前のとんでもない次元の存在に、追いていかれたような感覚を受ける。 
 目に見えない何かに閉ざされて、世界が二つに隔離されているような。 
 そんな感覚を受けて―― 
 
「ではお前達は、他にこれに似た『バケモノ』に記憶があるのか?」 
 
 ――でも、それだけは違うと思った。 
《《…………》》 
 返答の無い百足二匹。 
 こいつらも立派な化け物だけれども、だけどそれよりももっと化け物なのは。 
 
「枯渇した魔力で魔法を使い続け、常人の十数倍の自己治癒能力を持ち、 
並の人間なら確実に発狂するほどの精神的な苦痛と負荷に耐え、 
そうして任意に肉体のリミッターまで外しながら、痛みを超えて噛み付いてくる『バケモノ』を」 
 ウェアウルフかコボルトを彷彿とさせる怪物じみた容姿を持つ者よりも化け物なのは。 
 体長10m以上もあるような、明らかに自然の生物じゃない大ムカデよりも化け物なのは── 
 
 
 
 
 
「…ふん、忌まわしき腐肉喰らいめ……」 
 べっと血を吐き出しながら、そうしてディンスレイフは目の前の『人外』に向き直る。 
 
 魔力阻害、頼みの綱のクレゴーラも最早ない。 
 この男が勝てる可能性は、これで万に一つも無くなった。 
 
「……気分はどうだ? 『勝てさえすればいい』の理論を、 
更なる『勝てさえすればいい』の理論で押し潰される気分は」 
 そうして目の前の、しかし人間を止めてバケモノになる事で強さを得たような愚物を睨む。 
「……あらゆる卑怯と外法を用いて、『やったオレの勝ちだ』と思った瞬間、 
それを更なる卑怯と外法によって覆されて、地に叩き堕とされるその気分はどうだ?」 
 人間を超えた存在になる事で、しかし実に美しくない強さを得た物を睨む。 
 
「……私はな、お前の様な美しくない存在が大嫌いだ」 
 腐った華。 
「ありったけの命、ありったけの人員、ありったけの物と金を芸も工夫もなくただつぎ込んで、 
そうして出来上がった物を『ほら強い〜』とかって自慢する、『質より量』主義者が大嫌いだ」 
 ──人間なら有り得ない異常な再生能力と精神耐久性を、 
 しかし取り立てて長き年月の鍛練と習熟を経たわけでもないのに獲得し、 
 そうしてそれを振りかざす、醜くも半不死とされた呪われた肉塊。 
 ──101もの命をただつぎ込んで。 
 ──101もの魂をただ費やして。 
 
「……泥の中に這い回り、嘘と偽りと幻を操る泥犬め」 
 美しき世界の為にも、生かしては置けぬ。 
 
「世界の『美』を汚して穢す者め、 去 ね 」 
 頭蓋を内部から弾けさせる事で完全に始末しようと、手を振り上げて。 
 
 
 
《っ!! ディンスレイフ様―― 
《おいディン公―― 
 
 
 
 ──はしっ、と後ろから何かに取りすがられて。 
 出血多量と疲労過多で実は朦朧とあったディンスレイフの動きが、その体勢のまま硬直した。 
「………あ?」 
 完全な不意討ちの、いきなりの腰への抱きつきに、ふいを打たれて足下を見やれば。 
 しがみついてくるのはボロキレになった衣服を纏っての半裸の白い肢体。 
 先刻《縛》を施したはずの、死にかけだったヒトの少女。 
「……おんな、」 
 
 ──何故、そしていつのまに彼の背後まで近寄っていたのだろうかと考える。 
 出血多量と疲労過多の中にはあれど、それでも彼は周囲の気配に気を緩めてはいない。 
 なのにどうして接近が分からなかったを考えれば……ああ、そうか。 
 
 客人(まれびと)たる『ヒト』は、トラやカモシカ以上に魔素に汚染されていない稀有な存在。 
 五感を惑わす幻術さえも看破するディンスレイフの『真理の瞳』――魔覚の超探知網にも。 
 『僅かでも内に魔的な要素を持つなら捕捉するレーダー』にも、しかしだからこそ掛からない。 
 
 ──そうして何故、そしていつ《縛》が解けたのだろうと考える。 
 ディンスレイフの魔力と注意がただの一点に集中した、あの不意討ちの瞬間にか? 
 それともビフレストを打った瞬間? 殴り倒された瞬間? クレゴーラを抉り出したさっき? 
 ……術が緩まざるを、綻ばざるを得ない瞬間は確かに多々あったが。 
 しかしそれでもこんな魔力抵抗の無い存在がいつ魔法を破ったのか、純粋に不思議で。 
 
「何を――」 
 でも、いずれにせよ最も弱い存在だと。 
 美しくとも『力』も『魔』も無い、全くの脅威にならぬスライム以下の雑魚であると。 
 そう思って実に警戒感なく、しかし心は輝石のその美しい生き物を眺めた彼の腰部分に。 
 
 ──抉ってまで忌々しい魔力阻害金属、クレゴーラ《愚黄鉛》を抉り出したその部分。 
 
 ──出血だけは止まってが、むき出しのままで肉覗き骨が見え臓物が覗くその脇腹に。 
 
 ──抱きつきながらの実に非力な、白くも細い腕が掴んだ、半分焦げた『尖った木切れ』が。 
 
 ──ヒトの女の、実にか細い力で。 
 
 ──……しかし全力で持ってして、捻じ込まれて、叩きつけられて、突き刺された。 
 
 
 『来る』と分かっている打撃、苦痛、損傷には、誰であろうとある程度は耐えられる。 
 攻撃に備える事が、身構える事が、防御体勢を取る事が、心の準備をする事ができるからだ。 
 だけど全くの不意討ち、心を許して弛緩しリラックスした時に来たその攻撃には、 
 いかなる武人、いかなる屈強な人物であろうと、しかし『人間』である以上は耐えられない。 
 …完全な不意討ちから来た痛みには、自分の腕を切り落とせるような人間であっても。 
 
 
 
「にぎいいいいいいいいいぃぃぃっ!?!?!?」 
 
 煮えたぎった油をかけられたネコのように。 
 その瞬間ディンスレイフは、しかし確実に全ての思考を痛みに支配され絶叫した。 
 
 アシナとルキウスの二匹も、しかし完全にあっけに取られて手出しを出来ない。 
 自律意思と自律思考を与えて、人格を消去せず、彼の命令が無い限りは自由行動を許した、 
 そんな耳に痛きの言葉も受け入れんとの、隷属無きしかし完全支配下の使役獣。 
 ──そんな仕様が、だけどここでは災いした。 
 
 『まさかヒトの、それも素人の死に掛けの女が』。 
 そう思っていた、それでなくとも元々弱い者虐めや弱者いたぶりは疎むこの二匹は、 
 しかしこの瞬間、完全にあっけに取られて行動すべきかどうかを迷ったのだ。 
 ──『死』や『痛み』すら厭わず、『美』を何よりも重んじる、彼らが主の意思を知ればこそ。 
 
 
「――ッッッッ!!!! がっ……お、んな……」 
 立ち直ったディンスレイフが、しかし振り上げた手の先。 
 ……一瞬『インプロージョン』を持って危難を払おうとしたその手が、だけど止まる。 
 理由は、最早言う間でもあるまい。 
 
「…………なせ…っ」 
 ケポッ、と口から軽く血をこぼしながら、それでもディンスレイフは身をよじる。 
 本来であれば、マダラで少年の体格ではあってもネコな彼の身体能力、 
 それだけでヒトのメスの二倍、三倍には位置するだけの膂力があったのだが。 
「はなっ…せっ…」 
 ──しかし今のは、効いた。 
 そうしてこの全身の火傷、引き攣って固まる指、肩骨が折れて動かぬ右腕、脇腹の深手、 
 消耗した体力、かなり失った血、全保有量の残り二割まで使ってしまった魔力。 
 『たかだかヒトのメス』の必死のしがみ付きを、しかし容易に振りほどくことが出来ず。 
 
「はな…せええええええっ!!」 
 だけどようやく、決してしがみついてくるヒトの女を振り解いた傍から弾き飛ばす。 
 …壊れてはしまわぬように魔法は使わず、しかしありったけの力を振り絞って。 
 
「…ハッ、ハッ、はっ、は……がっ、ぐぶっ」 
《ディ、ディンスレイフ様!》 
 縦笛ほどの木切れを肉がむき出しになった脇腹に突き刺されて、 
 吐血しながらうずくまるネコの少年。 
 ……しかしそれでも、よろよろとよろめきながら立ち上がる。 
《バッ……おまっ、傷治すのが先だろうが――》 
「ころ…す」 
 
 それでも、『美』無き醜汚を許すわけにはいかない。 
 それでも、世界をつまらなくしてしまう強さと効率のみの追求の具現を許すわけにはいかない。 
「…腐肉…喰らい…め…」 
 世界は醜いままでいいのだ。 
 無駄ばかりでいい、矛盾ばかりでいい、永遠の幸福と平等など訪れなくていい。 
「爆ぜ…ろ…――」 
 
 なのにガクンと。 
 彼の自慢の尻尾を、後ろから引っ張って邪魔する力。 
 振り上げた彼の手の行く先を、美にて彩られるべき世界の真の行く末を邪魔する者。 
 
「……なぜだ、……おんな……」 
 瞳や耳とおなじハシバミ色の繊毛に覆われたそれを、しかし握るのはヒトの女。 
「…なぜだ、女ァッ!」 
 跳ね飛ばされて、叩きつけられて、なお追いすがるヒトの女。 
 
 ──理解が、できなかった。 
 
「……忘れたとは、言わさんぞ…」 
 先刻の幻術。 
 先刻の演技。 
「この男は、先刻貴様を欺いた! 貴様まで利用して、そうして自分の見立ての道具にしたッ!」 
 女を守った騎士を演じ、しかしそこから彼の油断を誘ってつけ込もうとしたイヌの男。 
 瀕死になりながら懸命に女を守ろうとしているフリをして、だけど全て演技だった下衆野朗。 
「お前は裏切られたのだぞ!? 謀られたのだぞ!? この人間兵器に! 狗国が犬に!!」 
 勝つためならば何でも利用する、必殺絶消をモットーとする【ティンダロス】。 
 狗国の暗部にて最高軍事機密、秘密諜報局【GARM】が第五局、軍の懐刀たるスイーパー。 
 大陸でも知っている国がどれだけいるか、気がついている国がどれだけいるか。 
 
 性格は冷淡で機械の如く、情など持たぬかのように行動し、味方の犠牲さえ省みぬ。 
 最終的勝利の為ならどんな卑怯も行う掃除屋で、最終的利益の為なら何でも行う処理部隊。 
 勝てばいいという思想の下、イヌの国の軍部が作り上げた、莫大な犠牲の下の呪術兵器。 
 功利主義の下の最強の猟犬、効率主義の下の最強の捨て駒。 
 ──100年前、何よりもそれに苦しめられたディンスレイフは、しかし誰よりも良く知っている。 
 
「なのに何故だっ! 何故庇う! こんな醜汚の極み、屑肉の寄せ集めの人造のバケモノを!」 
 
 
 
「……バケモノ……じゃない……」 
 ──掠れた声が、あがった。 
「…ジークは……バケモノ……なんかじゃない…っ!」 
 ──弱々しくも悲痛な、寒さに打ち震えて弱ったか細い小動物の声。 
「バケモノは……みにくいのは、きたないのは…」 
 ──しかし握る手は強く。 
 
「……おまえだぁっ、バケモノォッ!」 
 
 ──心は、ディンスレイフが目を見張るほどに。 
 
 
「……退け、女」 
 向き直って、ディンスレイフは言った。 
「その手を離せ。 …離さぬば、まずは貴様から冥府に送るぞ?」 
 取るに足らないと思っていた態度を改め、苛立ちを交えながらも、しかし心から哀れんで。 
 
「…本気で死にたいのか? 退けと言っているのだ」 
 美しくも一途に純粋で、だが心から惜しくも認められない。 
「…退け」 
 こんなに美しいものが、どうしてこんなに醜いものを愛するのか。 
「…退け!!」 
 こんなに美しい存在が、しかしどうしてこんなに醜い存在の元にと下るのか。 
 
「…………愚かな、女だ」 
 だが反面で、理解もしているし、実際そんなものをディンスレイフは幾度となく見てきた。 
 『女』という生き物の、悲しいサガ。 
「くだらぬ男への、愛に狂ったか」 
 どうしようもなく醜くもだらしない男に、しかしのめり込み傾倒して騙され尽くす女を。 
 どうしようもなく冷酷でサディスティックな男に、しかし無心の愛を注いで付き従う女を。 
「…これだから、ヒトというものは、女というものは」 
 ……そうして、そんな愚昧な主人、悪辣な主人、賤駄な主人、醜汚の主人にも、 
 しかし健気にも付き従ってその身を補い支える、ヒトと呼ばれし美しくも愚かな生き物達を。 
 
「……いいだろう、まずは貴様から散らしてやる」 
 『インプロージョン』体勢を一旦解除して、左手に冷気を集めて凍結の極冷を作り出す。 
 詠唱補助器、三倍詠唱を可能にする神器カドゥケウスが無い今、それは先刻より緩慢だが。 
 
 ──しかし醜い黒こげの死体を晒す事も、脳漿や臓物をぶちまけてミンチになる事もない。 
 ──細胞の一片までことごとく凍り付いて、氷像となって砕け散る氷花の魔法。 
 ──『無駄』とはあっても、しかしそれこそがディンスレイフの本願、ディンスレイフの情け。 
 ──『インプロージョン』などという醜すぎる魔法、こんな美しい存在には使えない。 
 
「愚者の盲愛を抱いたまま、」 
 掲げた手の先に、しかしゆっくりと集まっていく、冷たくも蒼い光。 
「輝ける魂に華とな――」 
 
 
 
 そこを、さらに後ろから羽交い絞めにされた。 
 
「――やめ、ろ」 
 
 低く、しかし怒気を含んだ大男の声。 
 
「そいつに、なんかしたら、貴様も、コロス」 
 
 機械にしては機械ではない、しかし忌々しくも立ち上がってくる半不死の呪術兵器のそれ。 
 
「絶対、絶対、コロシテヤル」 
 
 ……だが、しかし、もうそこには彼を羽交い絞めにするくらいの余力しか残っておらず。 
 ……そうして確かに、そこに存在する必死さに、違和感を感じたのは事実だった。 
 
 
 
「……アシナ、ルキウス」 
 前側の足元には尾を握ったヒトの女を置き、後ろ側からは瀕死のイヌに抱きつかれ。 
「……お前らは一体、何をしている?」 
 左手に蒼い光を持ったまま、ディンスレイフはどこも見ていない視線で低い声を洩らす。 
 
《…………》 
《…………》 
 
 使役獣二匹は答えない。 
 
 …這い寄って来る男の動きを、止められたはずなのに止めなかった二匹は答えない。 
 
 答えないが…… 
 
《……そうお創りになったのは、ディンスレイフ様です》 
 
 そう。 
 そう創ったのは、他ならぬディンスレイフ自身だ。 
 無条件で主を守らぬ使役獣など、使役獣失格だと言う魔法使いもいるかもしれないが、 
 しかしディンスレイフは、基本的には非命令時の自由な意思と自由な行動を彼らに与えた。 
 守れと言われれば守るが、守れと言われていない時に主に迫った危機に対しては、 
 自分の意思でそれを払うも、あるいは放置して見過ごすも彼らの自由。 
 命令に忠実なだけの、洗脳下の絶対服従な木偶人形など、ディンスレイフは望まない。 
 それが如何につまらないもので、美しくも面白くもないものか知っていたから。 
 
「『サクリフィ・セル』」 
 だが抱きついた男の口からは洩れるのは、非常に物騒な言葉。 
「……コンマ7秒も、コンマ4秒も要らない」 
 多少は回復しただろうとは言え、瀕死の体を引き摺って彼に取り付いておきながら。 
「こいつの死か、オレの死が確実になった瞬間、そのたった0.1秒でいい」 
 しかし『死』とか『そのたった0.1秒でいい』という危険な台詞。 
「残った0.1秒で全マインドリンク《累魂》のチャネル《連結》を開いて、貴様を殺す」 
 もう何の力も残ってないくせに、殺すとか断言するこの自負と気迫。 
 
 
 《自爆魔法》 と 《生贄魔法》。 
 【人命犠牲魔法】の研究・教授・習得・行使は、大陸全ての種族に共通しての禁忌事項だ。 
 その明らかな倫理性の問題と、そうした『命』を対価・材料とした魔法の強力さから、 
 かなり早い時期に大陸国際法によって万国一致の絶対禁忌とされてから、既に長く久しい。 
 
 使うのは勿論、教えただけ、研究しただけ、自分で編み出した魔法を本などの記録物に 
 記載した形で保管しただけでも大変な重罪になり、ただ学ぼうとしただけでも罪になる。 
 『陽』の下、魔法学校や正しき魔法使いの下では絶対に学ぶ事ができない魔法なはずであり、 
 『裏』の世界でも、取り扱うならば麻薬を扱う並の覚悟が必要となる危険な代物だった。 
 大っぴらにその研究や人命犠牲魔法について記述された魔道書の出版を許すような国は、 
 周りの国からまず総スカンを食らって様々な面での圧力を受けるものだと思ってもいい。 
 
 なのに―― 
 
「……はは」 
 ここにいる目の前の軍人、――国家の犬は、どういうわけか『それ』を知っているらしい。 
「……すばらしいな」 
 ……いや、そもそもこいつの作られ方自体からして、『法と倫理』とやらより外れる物なのか。 
 
「…それも、マニュアル通りなのか? 【ティンダロス】の…?」 
 法と倫理と正義を謳う裏で。命は尊い、弄んではいけないと謳う裏で。 
 勝つ為に、しかし作り上げた屑肉の寄せ集めを、洗脳して、自爆魔法まで吹き込んで。 
「…勝てない相手でも、だけど任務の為、『自爆』してでも…相打ちを狙うのが…?」 
 国の為に動く忠実な生き人形。 使い勝手がいいだけのマリオネット。 
 なりふり構わぬその有り様。 華とは散れぬ、その賤駄にも醜汚な忌まわしき有り様。 
「……お国の為に?」 
 切らした息に、自身も意識を朦朧とさせながら、ディンスレイフはしかし凛然と―― 
 
 
 
《――いいえ違います、ディンスレイフ様》 
 
 ――…自爆を迫られても怯む事のなかったディンスレイフを、 
 だけど嗜めたのは意外な所からの言葉だった。 
 
《…お前の『負け』だよ、ディン公》 
 白ムカデのどこか悲観した様な呟きの跡に、溜め息をつく様な言葉を漏らしたのは黒ムカデ。 
 
「……『負け』だと? バカなっ、この私がどうして寄せ集めの愚物にっ!?」 
 その言葉に、取り付かれながらも怒り狂って彼は叫んだ。 
「たかだか寄せ集めの屑イヌ101匹に、どうしてこのディンスレイフが『負け』るのだっ!!」 
 全身に大怪我を負い、霞が掛かる意識、とどめにねじ込まれた腹の木切れ、 
 満身創痍になって、背後から羽交い絞めにされながら、それでも叫んだ。 
「認めんぞッ! 断じて認めんッッ!」 
 『死』はともかく、だけど『負け』は認めない。 
 こんな泥人形、造られた虚ろな泥の猟犬に、しかし彼の『負け』など有り得ない。 
 
 
「……自爆するのならすればいい、それで私を殺しきれるというのならやってみるがいい」 
 右手に宿る蒼い光を強めながら、それでもディンスレイフは薄く笑った。 
 
「……キツネの巫女長も、ウサギの女王も、イヌの軍隊も、ヘビの大帝も」 
 ──真に『強き』とは如何なる事か? 
 ──真に『生きる』とは如何なる事か? 
「……しかし誰もが私を滅ぼしきれなかった、殺しきれなかった、滅し切れなかった!」 
 そういう意味では、『効率』だの『ただ強ければ』『ただ勝てれば』だのに走る者は、 
 既にその時点で負けている、あるいはその程度でお終いだ。 
 なぜなら彼らは、『安楽』に走ったのだ。 
 『外側の力と強さ』は至上を目指しても、しかし『内側の心と情熱』は安楽を選んだ。 
 絶対に勝ち続けられる、絶対に成功し続けれる、楽だがつまらない玉座を選び、 
 眩く輝いて、苦痛と艱難があってでも生き抜くその道を諦めた。 
「誰もが口々に『武』を、『道』を、『法』を、『秩序』を、『正義』を、『効率』を、『善』を、『命』を、 
そうして『愛』を掲げて私を罵り謗りながら、しかし我が『美』の道行きを否定し切れなかった!」 
 
 ──生きてて楽しいのか?と思う。そんな『安定』と『安楽』に走る者達を見ていて。 
 ──楽しいさ、と常にうそぶくのが彼らだが。 
 ──しかし心の中では彼らが決して満たされていない事を、ディンスレイフは知っている。 
 ──何故ならディンスレイフも、一度はその座に至った身であるから。 
 
「…さあ、やって見せろ。 己の命を爆ぜさせて、このヒトの女ごと悪しき獣を殺してみせろッ!」 
 ──なればディンスレイフはこの道を進む。 
 日夜危険が満ちようと、苦しみと痛みに満ちて、安定は危うく死と隣り合わせ。 
 しかし燦然と輝いて、自分にどこまでも正直な、心躍ってたまらぬこの道を。 
「『善』も『悪』も、『法』も『無法』も、『正義の騎士』も『悪い害獣』も関係ない……」 
 ──そうしてだからディンスレイフは強い。 
 いかな穴だらけの正義、見せ掛けだけの強さ、張りぼての善を振りかざす者よりも。 
 悪と破壊の化身であるディンスレイフは、しかし誰よりも強くて眩い。 
「ただより強い『力』と、…そうしてより強い『心』、より強い『情熱』を持つ者が勝つのよ」 
 ──強くて眩いが…… 
 
「『力』と『心』は強くとも、『情熱』無き貴様の自己犠牲などで――ッ」 
《……もう止めましょう、ディンスレイフ様》 
 
 ──しかしだからこそ、『負け』がある。 
 
 
 
「ッ!! アシナ、だから何――《…お気づきにならないのですか…?》 
 苦しげな喘ぎ声をあげるディンスレイフの言葉を、 
 しかし遮った白ムカデの女声。 
《――…蓄積データ内からの照合を行いました。【ティンダロス】の対消滅体勢への移行は 
メンバー全てが参加するような大規模作戦においては、各自の必要に迫られての判断で。 
全てではなくとも過半数以上が参加する任務においては、前もっての最高機密会議による 
出席軍幹部の過半数以上の承認と、【GARM】統括局長のそれに対する受け入れを経て》 
 淡々と事務的に述べられる言葉は、アシナとルキウスの中に蓄えられた知識。 
 ディンスレイフが殺害した各国高官から直後に精神を引きずり出して、 
 それを直接分解して読み取るという外法から入手した、機密情報の中の一つ。 
《過半数未満での任務行動時においては、特例を除き基本的には対消滅行動は禁じられ、 
任務続行不可能と判断した場合、要員は速やかに撤退する事が義務付けられています》 
 それを仔細そのままに記憶した二匹の、片方のアシナの口から紡がれる情報に。 
 
「それが何だと――《そもそも早すぎるんだよ》 
 ルキウスの唱和。 
《仮にティンダロスだと仮定してだぞ?》 
 くねる黒ムカデの口を、しかしディンスレイフは血の昇った頭で見つめながら。 
《…王都とココとでのこの距離に、昨日の今日でもうティンダロスの緊急発動が決定されて、 
それでいてこんなに早く追いつかれるだなんて、いくらなんでも時間的に有り得ないだろ!》 
 ……確かに、それはそうかもしれないとは思った。 
 だが現に、目の前にいるのはあの腐肉喰らいとしか思えない人外の存在で…… 
 
「だからつまり――《……まだお分かりになりませんか?》 
 再度遮って、凛と響いたのは白ムカデの声。 
 
 
 
《時の腐肉喰らいティンダロスの発動命令は、おそらく出ていません》 
 
 ……途端、ディンスレイフの眉がかすかに持ち上げられる。 
 
《……その【ティンダロス】は、おそらくたまたまこの近くに居合わせたのを、 
今、自分の勝手な独断で動いてるのでしょう》 
 
 浸透していく、アシナの言葉。 
 
 ああ。 
 
 だが。 
 
 では。 
 
 いやしかし。 
 
「……バカな、『人形』が自力で動くものか」 
 鼻白む、しかしその自らの言葉に、懐疑の念を投げかけるのはディンスレイフ自身だ。 
 
《じゃあディン公よ、訊くけどティンダロスが誰かを守りながら戦うか?》 
 そう。 
 そうだ。 
 …そうか、これがあの違和感の正体か。 
 
《100年前、見ただろう? 連中を。 …味方の損害を省みず、味方すらをも囮に利用して、 
自分達以外の全てを壊しながら、ただ殲滅対象を滅ぼす為だけに追っかけて来る連中を》 
 ちぐはぐな精神。 
 泣きながら向かってきた機械。 
 支離滅裂で、しかし人であって人でなく、機械であって機械でなし。 
 
《友軍やられても巻き込んでも関係なしで、ただ敵の破壊、破壊、破壊で向かってきた連中を》 
 そうして、ああ、冷静になって考えてみれば。 
 本当に『守ろう』となどしていない、ただ『殲滅する』事だけを考えているのなら。 
 『効率』だけを、『全体の利益』だけを、『国と秩序』だけを考えているのなら。 
 
《そんなティンダロスが、誰かを、女を、防衛価値ゼロのたかがヒト一匹を、守りながら戦うか?》 
 とっくの昔に目の前の女ごと撒きこんで、自爆して彼を道連れにしているだろうに。 
 …しかし彼のかざした両手の先、集まった絶対零度の氷の刃。 
 止まったこいつが自爆しないのは、三竦み状態で動けないのは、では何故なのかと問えば。 
 
 
《……ご英断を、ディンスレイフ様》 
「っぐ!!」 
 癇に障るアシナの淡々とした声に、けれどディンスレイフはぐっと喉に詰まった。 
《勝ちか、負けか》 
 ……そうだ、勝ちか、負けかだ。 
《『ルール』に乗っ取って照らし合わせれば、既に明らかのはずですが》 
 己を縛る、その《約》に乗っ取るなら。 
 ディンスレイフがディンスレイフ自身を縛る、その《約》に乗っ取り裁定を下すなら。 
 
 ──負けて屈するなら、ディンスレイフの勝ち。 
 ──だけど抗い抜いたなら、彼らの勝ち。 
 
 ──心砕けるならば、ディンスレイフの勝ち。 
 ──だけど砕けぬならば、彼らの勝ち。 
 
 
《――今、この人形は、人形なのに操り手も無しにひとりでに勝手に動いています》 
 アシナの声は、宥めるようで。 
《この剣は、持って振るう者がいないのに一人で勝手に動いています》 
 それがいちいち腹が立つのだが、そうなのだ。 
《それは、道具としては、兵器としては、しかし決してあってはならない『越えた』行為》 
 貸与された『国家の剣』は、けれど私事で私欲目的に振るわれてはならない。 
 『最重要軍事機密』が、だけど許可もなく勝手に外に出歩くようではならない。 
《…間もなくこの人形は、己の存在意義を破壊させて、テーゼを失い自壊するでしょう》 
 それは、自分を否定する行為だ。 
 兵器として、剣として、最重要軍事機密として公私に統括されてきた、この男にとっては。 
 洗脳され、それだけに塗り潰された思考、それ以外の生き方を知らぬこの者にとっては。 
 
《──それでもまだ足りませんか?》 
 だが、だというのに。 
《道具が道具を越えて、愛する女の為に初めて守る戦いを行ったという、それだけでは》 
 この男は今まさに、自分を否定する道に居る。 
 
 絶対の殲滅優先対象を前にして。 
 しかし目の前のたった一人のヒトの女を巻き込めぬが為に、自分を否定する道を。 
 
 
「わっ、私はっ――」 
 くらい付いてくる目前のイヌとヒトを見ていると、脳裏にフラッシュバックする光景がある。 
 ──『惚れた女の手前のダメ男の意地って奴、ガキのてめえに見せてやるぜ!!』 
 ──そう言って彼の前で奇跡を見せて死んでいった黒猫の剣士と、 
 ──そんな男に覆い被さるよう、ディンスレイフの慈悲を跳ね除けて自刃した白猫の女。 
 
「私は――」 
《つーか、チョンボっちゃったのお前の方だしな》 
 突きつけるようなルキウスの声が耳に木霊する。 
《たかが二人相手に『インプロージョン』に『俺ら二人』まで出さされる羽目になっちゃって》 
 そうだ、だが、そういう事になるだろう。 
 大人げなかったのは相手の方ではなく、彼の方だったという事になる。 
《いくらイヌ連中には百年前の死にかけの恨みがあるからって、らしくもなく熱くなっちゃってよ。 
でもこりゃルール違反だろ? コンダクターとしちゃ、試して神意に合わさんとする者としちゃ》 
 相手が実は本質的なルール違反などしていなかったのならば。 
 醜態を晒したのは、先にルールを破ったのは、…醜かったのはディンスレイフの方。 
  
「私、は……」 
 ──ディンスレイフは美しくない事が、つまらない事が、興醒めな事が嫌いだ。 
 ──泥仕合が嫌いだ、なりふり構わない、だた勝利だけの追及が嫌いだ。 
 
 盤上に駒を並べてのルールに乗っ取った戦いにおいて、しかし負けるのが嫌だからといって、 
 それをひっくり返して相手を殴り倒し、よって自分の勝ちだと宣言する、そんなマネが嫌いだ。 
 試合ではない、死力を尽くしての生死を賭けた死合の中にあっても、それは変わらない。 
 
「……私は……」 
 ──だからディンスレイフは、真に美しい者達が好きだ、真に強き者達が好きだ。 
 ──そうして人とこの世界とを愛している。愛しているという自負がある。 
 ──弱き者達が、しかし限りある力を振り絞ってあがく、その眩しく輝く姿を誰よりも愛し…… 
 ……そしてだからこそ、しかし『ルール《約》』には乗っ取らなければならない。 
 全てを持ち、賢者の心持つ強者の彼は、本気を出してはならず、負けを定めねばならない。 
 絶対に『負け』の無いゲームや勝負など、しかし何をしたって面白いはずが無いのだから。 
 
「……私の、」 
 ディンスレイフは美を掲げ、美を至上とし、それにより全ての生と安穏と善意を排する。 
 ……しかしだからこそ、自分が美しくない事も許せない。 
 ディンスレイフは強い、何者にも縛られず、何者にも害されず、何者にも屈せず媚びない。 
 ……しかしだからこそ、自分の言葉と自分が決めたルールには。 
 
 
 
 ──ふわり、と掲げた左手の先に宿った極冷の蒼光が消える。 
 
 
 
「……私の、負け…か」 
 
 
 
 満身創痍になりながらも、焼け爛れた半裸に白コートを纏った、マダラの少年ネコが呟いた。 
 
 
 
      ※     ※     ※     < 7 >     ※     ※     ※ 
 
 
 
 ふいに、ぐいっと何かに持ち上げられる体。 
 
 やっぱ魔力というやつなんだろうか、傍に居るだけで吐き気を感じる『不可視のうねり』。 
 それにに脱力しそうになりながら、 
 それでもあたしは目の前の下衆野朗のしっぽを掴んでたあたしの身体を、 
 唐突に細い腕が持ち上げた。 
 
「あ……」 
 背丈も肩幅もあたしと変わらない細い身体から、しかし生み出されるとんでもない膂力に、 
 あたしの力なんかはあっさりと引っぺがされて持ち上げられてしまって。 
 
「いっ……!」 
 ぶんっ! 
 とそのまま左腕だけで、思いっきり天高くヘとぶん投げられた。 
 ジェットコースターかフリーフォールに、シートベルト無しで乗ったみたいな浮遊感、 
 あっけないぐらいに軽々と目下に遠ざかった地面が、 
 だけどある一点を越えたところで、冬の冷たい空を切り、急速にまた近づいてくる。 
 
 
 
 
 
 ディンスレイフの手から蒼い光が消えたのが見えて。 
 利かぬ身体で反撃に移ろうとしたジークを、しかし次のその行動が押し留めた。 
 
(……ッ!) 
 頭蓋を爆ぜさせての死を招く、内爆魔法を放つでもなし。 
 極冷の冷気で、凍結・粉砕させての死を招く、氷の魔法を放つわけでもなし。 
 襟首を無造作に掴み上げたその手は、ただヒトの少女を放り投げる。 
 空高く、…しかし落ちれば無事では済まない高さ。 
 
(……う……) 
 
 矛盾した二つの思考に、機械のはずの肉体が硬直する。 
 
(…うぁ、) 
 
 屠るべきだと『《剣》の方の彼』は言う。 
 相手の耐える耐えられないの問題ではない、死命を賭してでもかの悪逆を誅するべきだと。 
 
 こいつは、危険すぎる。 
 全ての『人』と『社会』へのアンチテーゼであり、あらゆる『秩序』への毒となる最凶の獣。 
 ただの一人にて強過ぎるが故に、全ての群れ合い逃げ込まざるをえぬ弱者とは相容れぬ。 
 …ここで殺せねば、この獣王は更なる死と破壊を撒き散らす。 
 ……放置しておけば、更なる争いと諍い、嘆きと哀しみの種を撒き散らす。 
 殺すべきだ。 
 こいつ一人を殺す事で、しかし後の被害者何十人分、何百人分の明日と幸福が守られる。 
 自分一人の命で道連れにする事で、プラス数百のお釣りが来る。 
 獣ならざる、人の社会の秩序の為なら。 
 万人の幸福、全体の利益の為なら。 
 私事など捨てて。 
 私欲の為、個人的な都合の為に、大義と公益を放棄するなど許されざる事で。 
 たかだかヒトの少女一人の命など、だからそんな数百の利益の前には何の価値もなくて。 
 たったマイナス1、喜んで捨てられるべき極大の益の為の極小の犠牲のはずであって。 
 
 そう『《剣》の方の彼』は。 
 ……でも、『《剣》じゃない方の彼』は? 
 
(うぁ、あ、ああ……) 
 
 硬直した身体。 
 まるでスローモーションのような光景、泳ぐ目がそれを捉える。 
 高く放物線を描いたヒトの女の子の身体が、ゆっくりと自由落下し始めるのを。 
 落ちたら絶対無事では済まない高さから落ち始めるのを。 
 
 理屈は、自爆しろと。 
 理屈は、ヒトの女一匹巻き込むのなんて気にしないでさっさとディンスレイフを誅殺せよと。 
 理屈は。 
 理屈は。 
 でも。 
 でも。 
 でもでもでもでもでも―― 
 
 
「うああああああああああああっ!!!!」 
 
 
 
 
 
 内臓が全部身体の上の方へと引き上がる感覚。 
 落下の衝撃に耐えようと、無駄だと判っていても歯が食いしばらされた身体を、 
 だけど何かに受け止められた。 
 
 横抱きにされた身体を、更に抱きしめられるような形で、そのまま地面をごろごろ転がる。 
 大きな身体。 
 腕の感覚。 
 ……冷たい機械なんかじゃない、暖かい体温。 
 
 
 
 
 
 頭上から聞こえる荒い声。 
 何が起こったのか、ぼんやりとした頭にまだよく分かってない頭に。 
 
「……弱いなぁ、ティンダロス」 
 ──嘲笑いの声。 
 
「発動されれば『必殺絶消』の殲滅兵器、ル・ガル軍部の最暗部にして最終兵器の懐刀が」 
 思わず見開いた目に、だけどもうほとんど身体の自由が利かない。 
「ターゲットと任務行動中の目撃者は、無関係の一般市民や女子供だろうと躊躇いなく殺す、」 
 何だか温かいものに抱きしめられたせいか、急に身体の力が抜けてきて瞼が重い。 
「『味方の被害はこの際気にしなくてよい、殲滅対象の排除を優先しろ』と命令されれば、 
本当に味方の軍が巻き込まれるのも構わずに攻撃してきたような、冷酷無比の人間兵器が」 
 だけど重い瞼にも聞こえてくるその声は、嫌でも脳に入ってくる重さと内容を持ち。 
 
「……しかし、弱くなった。 …弱くなったなあ、なぁティンダロス?」 
 
 あたしに突きたてられた脇腹の木切れをそのままに、だけど青白い顔でも不敵に笑うそれは。 
「『守りたいもの』なんかが、出来てしまったせいで」 
 ……手に負えないというか、絶望的にすらも思えるくらいの常識外れの強さ。 
 歯軋りすらできない弛緩した身体に、悔しさと怒り、自分の足手まといぶりに涙が溢れて…… 
 
 
「だが――」 
 だけど次の瞬間出された声の響きは。 
「……嫌いではない弱さだ」 
 
 
 
 
 
「……『A-(エーマイナー)』」 
 急に嘲笑の色を失った口調に、ぽつりと呟かれた言葉。 
 
「まぁ、合格という事にしておいてやる」 
 だけどそうやって洩らされたねぎらうような言葉、しぶしぶと、しかし認めるような口調。 
 
 ……だけどジークに、それを見過ごせるはずがなく。 
 
 
「ふっ、ざ…けっ――「 《 開門 》 」 
 
 しかしパンッと振り払われて、地に花開く赤。 
 拭い掬い取られた脇腹からの血は、しかし叩きつけられて一瞬で大地に紋様を描く。 
 ――己の肉体の一部……血液に魔力を乗せての魔法陣の瞬間記述。 
 
《下がりなさい、拾った命を再び捨てたくないのであれば》 
 させじと上げた咆哮は、翻る二匹のうねりによって遮られる。 
《来るって言うなら、残念だけどこれ以上職務怠慢するわけにゃいかないんでね》 
 弾き飛ばされたカドゥケウスを拾い上げ、主へと手渡しながらの白ムカデ。 
 何らかの詠唱を始めた自らの主を、しかし守るように牽制に入るのは黒ムカデ。 
 
《一度目は見かねて見逃しましたが、ですが二度目はありません》 
《それでも良いってんなら、どーぞかかって来いや。 
そろそろ本気で死にそうになってる、その腕の中に抱いてるもんがどうなってもいいんならな》 
「ッ!!」 
 
 シュッ…と吐かれた炎と酸、腕の中に抱かれた真っ青な顔と紫色の唇の少女に、 
 ジークは歯噛みして大地に蹲る。 
 
 …彼一人なら、とっくの昔に逃走を図る事もできた。 
 …そうして彼一人なら、それでもまだ戦い続ける事もできる。 
 ――だけど。 
 
「……だ、そうだ」 
 血で描かれた上をなぞられて光を放ち始める魔法陣を、ただ黙って眺めるしかない。 
「ここは退いてやろう。…ありがたく思えよ?」 
 力量差、残存戦力、互いの陣営の状況、その全てが「追撃の愚」を主張している。 
 防衛対象を守りながら、追い返すだけで精一杯の、とても壊滅までは至れない巨大戦力。 
 せっかく退却し始めたそれを、調子に乗って深追いして薮蛇を突けばどうなるか、 
 兵法的考えからすれば答えは実に明快であり、手の良し悪しも一目瞭然なこの状況だが。 
「貴様らの強さ――力と美、心と情熱に敬意を表してな」 
 …それでも、抑えつけるのに精一杯で震える両手両足に、増す奥歯を噛み締める力。 
 ……それでも、心は別だ。 
 
 
 
 
 ――そんな、実に素晴らしい視線、実に賢い目の前のイヌを眺めながら。 
「……悔しいか? 憎らしいか?」 
 それでも内心舌なめずりを抑えきれず、ディンスレイフは笑った。 
「ならば追って来い。50年掛けて、100年掛けて」 
 認めてしまえば、頭がすんなりとそれを受け入れてしまえば、あとは至上の快楽。 
 
 ……実に、好みのタイプだ。 
 ……ほんと、食いで甲斐のありそうな。 
 
 
 ──負けた。 
 ──敗北した。 
 ──壊しきれず、抗いきられた。 
 ──目の前の者達の心の強さ、美しさが、破壊者である彼の手を、だけど確かに止めさせた。 
 
 ここまで追い詰められての、このボロボロの身体。 
 修羅の道行き、かつては足を飛ばされた事や、腕を飛ばされた事さえあったとは言え、 
 しかしそれでも、正直今のこの状態はディンスレイフにとってもかなり辛い。 
 …でもどんな大怪我も一瞬で治してしまうような究極治癒の秘術など、何が面白いものか。 
 永遠の命、無痛の生なんて、そんなものにディンスレイフは拘らないし、執着しない。 
 
 身を駆け巡るこの痛み、この苦しみ。 
 決して消えない、死の恐怖。 
 ──…だが、だからこそ良い。 
 ──だからこそこの瞬間、自分は生きていると実感できる。 
 
 ──絶対に負ける恐れのないゲームなど、つまらない。 
 ──絶対に死ぬ恐れの無い命の賭け合いなど、まったくもってつまらない。 
 
 
 そうして、そんな痛みをディンスレイフに与えてくれた目の前のイヌ。 
 【ティンダロス】だと思った時は、怒りに捉われ興醒めにも程があると実に不快になったが、 
 ……しかしその実、機械が心を持ったというのなら。 
 ……命令無視を行いながら、己の存在意義を否定するような行動を取ったというのなら。 
 
 結果、守りながらな故本来の力を発揮できず。 
 全体の利益を至上とし、法と社会を至高とするよう仕込まれ叩き込まれ洗脳されたその体で、 
 最高軍事機密であるティンダロスの力を、だけどたかだかヒトの女1人を救わんが為に使う。 
 …そこに生じる、矛盾、矛盾、また矛盾。 
 …エラーを出しながら、しかし強引に動き続けるという在り得ない機械。 
 
 ──それでも誤魔化し誤魔化し、戦ってきて。 
 しかし処分対象行為であるはずのティンダロスの力の、無断私用。 
 あまつ公共利益の為の最優先殲滅対象であるはずのS級国際犯罪者を目の前にして、 
 折角物にしたデリートチャンスを、しかし明らかに社会的には無価値なヒト1匹を助けんが為に 
 棒に振ったその行為、もはや完全に言い訳が利かぬ、完全な自己否定。 
 
 ……なればその苦痛、如何ばかりにや? 
 ……造られた魔導人形が、『ゴーレムの三原則』に逆らうようなものだ。 
 『法』を至上の命題と固執してきた者が、しかし自らの意思で『法』に反する行為を取って。 
 『全体利益』を至上の命題と執着してきた者が、しかし自身の意思で『全体利益』に逆らって。 
 主人の命令に逆らったゴーレムは、『自分から』永遠に止まってしまう。 
 主人の命を殺めようとしたゴーレムは、『自分から』血の涙を垂れ流しつつ砂となる。 
 『いられなくなる』のだ。 絶対にしてはいけない事を 
 
 だというのに、そこまでしても守りたかったか。 
 自己の存在意義を否定してまで、そこまでしてこの女を守りたかったか。 
 《剣》が《剣》でいられなくなる、《兵器》が《兵器》でいられなくその垣根を越えて。 
 …守ってしまったか。 
 ……守るように、その心が、身体が動いてしまったか。 
 
 
「……ふふ」 
 
 ……いい。 
 
「はははは……」 
 
 いい。 
 いいではないか。 
 
「はははははははははははははははっ」 
 
 実に、いい。 
 本当に、ものすごく好みのタイプ。 
 
 『機械』は、『人形』は、大嫌いだが。 
 ……しかし『機械に、人形になりきれず、苦しみ足掻く人間』は、その逆だ。 
 
 とんでもない掘り出し物の発見に、笑いが止まらない。 
 
 
「そらっ!」 
 完成した魔法陣が眩い光を放ち始めるのと同時に、 
 杖を頭上に放り投げがてら、左袖から出した水晶の小瓶を投げつけてやった。 
 
 割れずに二者の間、カラカラと大地に転がったそれを見て、 
「な……」 
《お、おいディン公、何考えてっ――》 
《…………》 
 イヌの表情が、…そうしてディンスレイフの隣に侍った二匹の表情が一変する。 
 
「くれてやる、使ってやれ」 
 『侘びだ』、とは言わないのはディンスレイフのせめてもの矜持だ。 
 
 無表情に、だけど疑いの目で目の前に転がった小瓶を見るイヌに対し。 
「安心しろ、貴様らがやるように毒なぞ入っていないし、何より正真正銘の本物だ」 
 しかし流石にそこまでは言えない。 
 ……こちらの勘違いからのルール違反の侘びなどとは。 
 
「勘違いするなよ? それは貴様にやったんじゃない」 
 『情けなど要らん』と踏み蹴られたりなどしないよう、釘を刺すのも忘れない中で。 
「半不死のお前はともかく、そっちの死にかけのヒトの女にはそれが必要なはずだが?」 
 だけどこれで、釣り合いが取れた。 
 チョンボとチョンボ。互いのルール違反を相殺しあっての、これで釣り合い、おあいこ一緒。 
 そして…… 
「そうしてくれてやる、くれてやるから……」 
 
 
「……だから勝手に、壊れてくれるなよ?」 
 
 
 ビクリと震えた黒く大きな背。 
 それを眺めながら、血のこびり付いた口元をに歪め、潜伏詠唱を開始する。 
 
「お前の背負う魂の数は、『101』から『101と1個』に変わったんだからな」 
 そんなディンスレイフの言わんとする所に、 
 数瞬前の無表情とはうって変わっての裂帛の眼光を見せるそのイヌに、 
 沸きあがる喜悦を感じながら、…思う。 
 
「追って来い、追って来い、悔しいのなら、許せないのなら」 
 
 
──ディンスレイフは、『悪の華』になりたかった。 
──世界の悪に、世界の敵に。 
──劇の中や、物語の中にて描かれる、その絶対の悪に、最後に打ち倒されるべき大悪に。 
 
 
「貴様はまだ届かん、まだ弱い。 …だが望みは大だ、届く可能性は無くもない」 
 『子供の理屈』を唱えては、人間と社会の存在価値を否定して。 
 自然や野の獣を引き合いに出しては、あらゆる『人の理屈』の揚げ足を取って、嘲笑い。 
 『力の理論』にあかせては、弱者を虐げ、殺し、奪い、踏み躙り。 
 心など無駄と決め付けては、人は独りと、優しさや哀しみを独りよがりとせせら笑う。 
「…そうして証明して見せて、実証して見せてくれ」 
 誰かが一生懸命に育み作ったものを、何の躊躇いも迷いも無しに壊して蹴散らしていく。 
 女子供でも、年寄り相手でも容赦しない、殺して、奪って、犯して。 
 恋人達を引き裂き、親子の片方を殺し、ただ楽しみの為にそれを行い手を叩いて喜ぶ。 
 人の話を聴かず、弱者の説教や説得など聴く耳持たず、言葉等では決して傷つかず。 
 そうして不幸と哀しみを撒き散らし、だけど欠片も罪悪感を、罪の意識を感じない。 
 
「この私に、それを。 …口先だけではなく、行動で」 
 紛れも無い、大悪人。 
 万人が見たら、万人が外道と表し、並の小悪党ですら唾を吐く、絶対悪にして究極悪。 
 彼らの言う事が正しいのなら、許されてはならず、野放しにされてはいけない存在。 
 
 …それは叙事詩や歌劇、昔話や物語の中では、必ず討たれるはずの悪獣。 
 正義の剣、守り育む善良なる弱者達の、しかし皆で力を合わせた想いの剣で、必ずや。 
 
 ……だけど、現実には。 
 
 
「…貴様らは正しいのだろう? …私は間違っているのだろう?」 
 ──だからそれを思い知らされた時。 
「私の言った事は、全て詭弁、子供の理屈なのだろう?」 
 ──最も失望したのは、ディンスレイフ自身。 
 
「私の振るう獣の爪、破壊する者の牙は、しかしそんなもの強さでもなんでもない物で…」 
 ──用意された大魔王の玉座に。 
「…貴様らの振るう人間の剣、守り育む者の盾こそが、真の強さという物なのだろう?」 
 ──しかしやって来れる者は、一人もいなかった。 
 
 
      ──『悪の首領』や、『影の黒幕』、『大魔王』達の気持ちを考えた事があるか? 
 
 
「だったら……」 
 安全な遠くの物陰から、不意討ちの狙撃によって彼を殺そうとする者。 
 かすれば一撃の猛毒や、『落ち物』の兵器なんかに頼ろうとする者。 
 金にあかせてありったけの魔法封じを用意し、それを使って彼を捕らえようとする愚か者に、 
 あるいは数の暴力で、100、1000の雑兵を集め、自らの手汚さず殺そうとする者。 
 たった一人相手に、大人げなく動かされる軍隊に騎士団。 
 国の威信や、奪われた財物の奪還の為に、しかし雇われた金の為にだけ働く仕事人。 
 ……だけどほとんどが、そんなのばっかりだった。 
 
 
      ──叙事詩や物語の中で、多くの場合主人公やヒーローと敵対する彼らは、 
      ──しかし最初は絶対直接手を下さず、そうして弱い部下から順繰りぶつけていく。 
 
      ──結果、幾度と無く危機を乗り越えた主人公達はじわじわと強くなってしまって。 
      ──そんな様を見た、物語というものを解さない揚げ足取り好きは、口々に言うのだ。 
      ──『自分ならこうしない、もっと短期決戦、最初から大戦力で叩きのめす』と。 
 
 
 肉薄できた者もいたが、しかしそんな者達は全て彼と同じ『力の論理』の信奉者で。 
 皆ことごとく守る剣など振るわない、殺す剣、壊す剣を振るう者達…… 
 …『力』のみを信じ、『強さ』のみを信じ、『愛』やら『正義』やら『善』やらを鼻で笑う者達だった。 
 数少なく存在した『守りながら』『守る為に』のその強さを振るう者達も、 
 しかしお互い全力を出し切っての、自己の存在意義・存在全てを掛けての相対・闘争の中で、 
 皆ことごとくディンスレイフに及ばず、それを証明出来ずに散っていってしまった。 
 ……そうしてその事を、誰よりも深く嘆き悲しんだのは。 
 
 
      ──…でも、彼ら『強さに憧れる事しか出来ない者達』は、ちっとも分かっていない。 
      ──そんな矛盾した、『悪の華』達の気持ち。 
 
 
「……それを、証明してみせてくれ」 
 血塗れのフローラに、冷血帝ザッハーク。 
 ディンスレイフが唯二人完全に敗走し、命からがら逃げ延びざるを得なかったあの二人も、 
 しかし『その本質』はディンスレイフと同じ、そしてだからこその『あの強さ』。 
 逆にウサギの女王や、キツネの巫女長、サカナの女王も、だからこそとても『弱かった』。 
 攻め入ったディンスレイフを、退けるだけで、撃退し追い帰すだけで精一杯。 
 ……『守り』ながら戦いなど、しているせいで。 
 
 
      ──悪の首領や、影の黒幕、大魔王は、しかし『つまらなかった』に違いないのだ。 
      ──そうして誰にも見せる心の奥では、その事をきっとどれだけ喜んでいた事か。 
 
 
 だからネコの国は世界で一番金の集まる、世界で一番豊かな国になった。 
 だからザッハークはたった一人で、乱世だったヘビ諸国をまとめ、大帝国を築く事が出来た。 
 …逆に言えば、だからウサギは極北の氷原から出る事ができぬ。 
 …だからキツネは、無難に中堅は占めれてもしかしネコやイヌのような大国にはなれぬ。 
 …そうしてだからサカナは、陸を追われて海底に逃げ延びねばならなかった。 
 
 
      ──その素質ある光が、しかしだんだん大きくなっていく様を、どれほど嬉々として。 
 
      ──頂きを極めてしまった己と、しかし対等に渡り合える相手が来る事を、どれほど。 
 
      ──全力の自分を、全力で否定してくれる存在を、しかしどれだけ願っただろう? 
 
 
「違うんだろう?」 
 後ろに守らねばならぬ物があるせいで、その場をどけず、ただ耐え守るしかない者は、弱い。 
 後ろの守らねばならぬ物など意に介さず、平気でどけて、攻撃者に肉薄できる者は、強い。 
「間違っているんだろう?」 
 他人の痛みを考えてしまい、見捨てられず、分かっていても守ってしまう愚か者達は『弱い』。 
 他人の痛みなど意に介さず、自分の事だけ考えて、人の命すらも平気で弄べる者は『強い』。 
「そんな事無い」 
 騎士道に正道の魔術、倫理や道徳、法や善に捉われて、その制約の上で戦う者達は弱く。 
 正々堂々やルールなど無視し、なりふり構わずにただ強さだけを追求する者は、しかし強く。 
「『それ』は、強いのだろう?」 
 …愛するものを、守るべきものを持ってしまった者は。 
 …逆に誰も愛さない、自分しか愛さない、大事なものは自分しかないような者は。 
 
 
 でも。 
 
 
 それでも。 
 
 
 ディンスレイフは。 
 
 
 本当はそんな考え方が、何よりも嫌いだ。 
 
 
      ──決して否定されない揺るぎ無き頂点など、『最強』という名の、最も虚ろな玉座。 
      ──…無敵の玉座、敵無き王の座など、しかし何が愉快なものか。 
      ──最早何の惑いも迷いもない、悟った境地、【真理】の下。 
      ──だが、ここがいかにつまらなくて味気ない世界か、ディンスレイフは知っている。 
 
 
「守る剣の、その強さ」 
 堕落に溺れ、胡坐を掻き、死んでないけど生きてもいない、今のネコ達・ネコの国が嫌いだ。 
 多重魂載の呪術兵器、『こんなもの』を作る、センス皆無のイヌの国の軍上層部が嫌いだ。 
「劇場なんかではない、この世界」 
 同族嫌悪なのは分かっていても、それでもザッハークの爺はいけ好かなかった。 
 『強ければいい』『勝てればいい』『楽であればいい』と、安楽に逃げ込む連中は嫌いだ。 
「羽ばたけるその心に」 
 彼が愛するものは、昔から唯一つ。 
「心を一つに、手と手を取り合って」 
 彼が願ってやまない事は、昔からただ一つ。 
 
 
      ──それが偽りでないのなら、討てるはず。 
      ──幻でないのなら、滅ぼせるはず。 
      ──愛などを欲して、寄り添わなければならない愚かな者達。 
      ──迷い、悩んで、支えてくれる、心許せる、ヒト奴隷、ヒト召使いなどに溺れる者達。 
      ──弱く、不完全で、無駄だらけの、…しかしだからこそ美しくも力強く輝く『何か』。 
      ──そうしてそんな美しさの中より、生まれ出でる何かがあるのなら。 
 
「──そうして私を、殺しに来い」 
 
      ──だったら彼が望むものは、いつだって一つ。 
 
 
 
 
 
 落ちそうな瞼と朦朧とする頭に、耳に入る言葉が「○×△□…」としか聞こえなくても、 
 それでも地面から円状に吹き上がる白い光、その煌めきだけは何となく分かった。 
 
 ──長距離間の空間転移魔法。 
 理論が明らかにされ、使用は不可能ではないとされている魔法の中でも、 
 だけど最も難しいものの一つだと後から聞かされた。 
 確認されている限りでは世界でも使える人間は片手で足りる程しかないという、 
 そんなムチャクチャ難しい。 
 メチャクチャ高度な魔法すら。 
 目の前のこのにゃんこ野朗は、使ってのけて。 
 
 杖尻で叩かれた地面、刹那眩く天を突いた光の柱の中で、 
 半透明になったムカデ二匹とディンスレイフが、ふわりと宙高く浮かび上がり―― 
 
 
 
 
 
 ──ぐしゃっ、って。 
 
 
 
「ゔみ゙っ!」 
 
 
 
 次の瞬間、顔面から落ちた。 
 
 
 
 
 
「…………」 
「…………」 
《…………》 
《……うわっ、ダサッ》 
 
 ………… 
 
「……てっ、ててて、《転移》!!」 
 
 
 
 
 
 浮かんだ姿が一瞬で光の中にかき消えて。 
 次の瞬間伸びていた光の柱も、ふっと細く糸を伸ばして消失した。 
 後に残されたのは―― 
 
「……今、失敗したよね」 
 ――……残されたの…は…── 
「……うん、思いっきり失敗した」 
 ──……残さ……。 
 
 
 
 
 
 ……後にあたし達がこの時の事を思い出す時、 
 ちゃっかりディンスレイフの呼称が『顔面ゔみ゙っ』で統一されていたりとかすんのは、 
 でもこの時はまだ、別にどーでもいい話。 
 
 
 
< 続→【愛の事】 > 
 
                                       【 狗国見聞録 結を越えて 】 
                                     〜 ちからの強さ、こころの強さ 〜 

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