〈4〉女神の宴
年に一度の大祭が始まった。潔斎の期間に清められた神殿には色とりどりの花々が飾られ、
王族から庶民まで、女神の民はこぞって供物を捧げる。神殿に参詣する王族とそれに続く
諸侯の行列は、王家の守護女神の威光を内外に示すべく、荘重さの中にも賑々しく執り
行われる。
祭りの最後の日、女神は麓の町に降って民とともに過ごすとされていた。
今年も、長老の神官の先導で、女神の輿が神殿から麓の町へと下ってゆく。下級神官に
よって担がれた天蓋付きの黄金の輿は、美しい花々で彩られ、普段は神殿に安置されている
女神の像が乗せられている。大理石に彩色したその像は、白い肌に灰色の瞳、黄金色の
長い髪を結い上げた姿で、古代風の裾の長い衣装を身にまとった若く美しい乙女として表現
されている。沿道に集まってきた民衆は、輿の上の女神像をどこからでも目にすることが
できた。
その女神の輿のすぐ後に、大神官を乗せたが輿が続く。こちらは女神の輿とは対照的に
質実剛健と言った色形で、背もたれの付いた長椅子の上に天蓋を付け、周囲をぐるりと
垂れ幕で覆っており、外からはその足元くらいしか窺うことができない様子である。
それらの後を、他の神官や巫女たちがしずしずと付いて歩く。その列の中に、サフィーラも
いた。
サフィーラは、潔斎の期間中に「託宣の間」で見たことを、誰にも言えずにいた。いや、
言えなかったというより、なにより彼女自身がそれを信じたくなかった。口にしてしまえば、
その出来事を認めることになってしまう。
――あの女の人は、何者なのかしら。
あれからずっと、そんなことばかりを考えていた。大神官様と、あんなに親しげに、神聖な
「託宣の間」で、大神官様に……抱きついて……、その上、せ……接吻……なんて、……なんて
汚らわしい!
思い出しただけで、なんとも言えない複雑な気持ちて、カッと血が上る。
――大神官様が、あの清廉で高潔な大神官様が、あんなことをなさるはずがないわ。あれは、
何かの見間違い。……ああでも、あのとき見たのは、聞いたのは、確かに大神官様のお姿とお声。
自分が見聞きしたものを認めざるを得なくなると、非難の矛先を「金髪の女性」へと向ける。
――そうよ、きっと、あのふしだらな女が、大神官様を誑かそうとしたんだわ。ふしだらな
女……そう、下々の間で遊女とか娼婦とか呼ばれている類の女に違いない。そういう女は、
とても美しい容姿の者たちばかりだと聞くわ。どうやって神殿に入り込んだのかは知らない
けれど、誰かが大神官様を陥れようと、手引きしたのかもしれない。でも、そうよ、あの後、
大神官様はそんな誘惑をきっぱりと退けたに決まってる。だって、他ならぬ大神官様ですもの。
サフィーラは大神官を乗せた輿の背中を目で追いながら、女神の下向に沸く祭りの喧噪の
中へと歩みを進めていった。
神輿は麓の町で一番大きな広場に到着すると、特別に組み上げられた貴賓席に安置された。
大神官の輿がそれに並び、神官と巫女がその左右に陣取ると、既に民衆で埋まっていた
広場は女神を歓迎する歓声にあふれ、祝宴が始まった。
広場では、女神の目を楽しませるべく、各地方の様々な舞楽や競技会などが次々に繰り
広げられた。観衆は、民族衣装で舞い踊る愛らしい娘たちに手拍子で応え、妙なる楽器の
音色と珠玉の歌声に酔いしれ、腕力を競う男達に熱い声援を投げかける。神官や巫女も、
祭りに沸き立つ人々の熱気を受けて、落ち着いたそぶりの中にも徐々に表情がほぐれ、寛いだ
様子で民衆と共にこれらの出し物を楽しんでいた。大神官は最後まで輿を降りることはなく、
決して民の前には顔を見せようとはしなかったが、垂れ幕の向こうから時折発せられる
声の様子から、彼がこの祝宴を楽しんでいるのは、輿から数人分離れたところにいた
サフィーラにもよくわかった。
勝ち抜き戦による格闘技の優勝者が決まり、広場の熱気は最高潮に達した。大神官の輿からも
「ほう、これは見事な」という、やや昂揚した賞賛の声が漏れ聞こえてきた。それを聞いた
サフィーラは、何やら彼に親しみを感じて嬉しいようなくすぐったいような気持ちで、
輿の方を見やった。
と、大神官の輿を覆う垂れ幕の隙間から、まばゆい金色の髪がチラリと覗いているでは
ないか。
サフィーラは我が目を疑い、瞬きの後に再び輿を凝視した。すると、今度はその隙間から、
とても大神官のものとは思えない、細く白い指先が伸びているのが見えた。
――どういうこと!? 大神官様の輿に、大神官様の他に誰かが乗っているの?
そんな話は聞いていないし、神殿を出た後、今の今まで、誰かがあの輿に乗り込む余地など
なかったはずだ。周囲の神官や巫女は気付いていないのかと、彼らにざっと視線を巡らせて
みるが、誰も大神官の輿の様子は気にも留めていない風情だ。唯一、最長老の神官が
厳しい表情でサフィーラに目配せをしたように見えたが、それもほんの一瞬のことで、
それが輿の様子についてのものだったのか、それとも彼女の取り乱した様子を諫めたもの
だったのか、わからなかった。
サフィーラは慌てて表情を取り繕ったが、先日の「託宣の間」でのことも思い合わせて、
あってはならない疑いが心の中をグルグルと回り続け、それからずっと最後まで、祭り
どころではなかった。
祭りの間中、サフィーラは大神官の輿を見張り続けた。夜になって麓の町での行事が終わり、
女神の一行が神殿に戻った後も、適当な言い訳をして、大神官の輿の傍に居続けた。
彼女が見張っている間、輿の中にいるはずの「金髪と細い指の持ち主」は輿の外には出て
こなかった。ということは、輿が神殿に戻った後もなお、大胆にもその人物は大神官と共に
輿に乗ったままでいるということだ。
――私だけが、知っている。私だけが、気付いている。
サフィーラはそう思った。そして、なんとしても自分の目で、その不審者の正体を確かめ
ようと思った。あの日「託宣の間」で見たような「いかがわしい」人物ならば、唯一この
ことに気付いている自分が諫言しなければ、と考えていた。
女神像が元通りの場所に戻され、輿の装飾もすべて片付けられ、二つの輿が部屋に収め
られて皆がその場を引き払った後もなお、サフィーラだけは輿の傍に残ったままでいた。
大神官は一度は離れていたその場に立ち戻り、彼女の行為を訝しんだ。役目を終えた
輿はひっそりと安置され、大神官は既に祭り用の装束から普段の軽装に着替えているが、
サフィーラはまだ盛装のままで、彼女だけがその場で浮いた存在に見える。
「サフィーラ、いつまでそこに居続けるつもりかね」
「いえ……、すぐに参りますので、どうか、お気になさらず」
まだ輿の中から出てこない「誰か」を待ち受けているのだとは、口が裂けても言えない。
「私の輿に、何か不審なところでもあったかね?」
「――! い、いえ……」
図星を突かれて狼狽えるサフィーラを横目に、大神官はやや厳しい顔つきで、自分が先ほど
まで乗っていた輿に歩み寄った。
「疑念で心を汚し続けるよりも、さっさと自分の目で確かめなさい。さあ」
大神官は、輿を覆っている垂れ幕を上まで一気にはね上げた。決して大きくはない一人乗りの
輿の中が、奥まですっかり見える。
「あ……!」
サフィーラは愕然とした。中は空っぽで、誰もいない。
「そんな……そんなはずは――! だって、私、確かに見た――」
「見た? いったい何を見たと?」
はぐらかされた、そう感じたサフィーラは、彼をキッと見据えて詰め寄った。
「祭りの最中、私は確かに、この輿の中に金髪の人がいるのを見たんです」
「ほう、金髪の――」
大神官があまりにも悠然としているので、サフィーラは自分の立場も忘れ、思わずカッと
なって、一気にまくし立てた。
「とぼけないでください! なぜお隠しになるのですか? やましいことでもおありなの
ですか? この間も、大神官様ともあろうお方が、あんないかがわしい女と、淫らな――」
いかがわしい女、という言葉に大神官がピクリと反応した。それまでは穏やかだったその
表情が、みるみるうちに冷淡な色へと変わっていく。
大神官は「だから悪趣味だと申しましたのに」と独り言のように呟いてから、いつになく
冷たく低い声で言った。
「そなた風情に、いったい、何がわかると?」
サフィーラはやっとそこで、あまりに度を過ぎた自分の言動に気がついて、真っ青になり
ながら「申し訳ございません!」と叫んでその場にひれ伏した。
「祭りでのことも、他の神官や巫女が、まったく気付いていないとでも? 皆、気配には
気付いていても、民の前ではあえて素知らぬ振りをしているだけ――その理由が、そなた
にはわからぬのか」
「……そ……それは……」
「仮にも巫女ともあろう者が、我が君が戯れに姿をお見せになったということに思い至らぬ
とは。あまつさえ、そのお姿を、その目で確かめたいなどと」
いつもの大神官からは想像も付かぬほど、冷徹な声だった。もしこのときサフィーラが
顔を上げて彼を仰ぎ見ていたら、彼女を軽蔑するように見下ろす凍てついたその表情に、
徹底的に打ちのめされていたことだろう。
大神官はそのまま無言で彼女に背を向け、その場を立ち去ろうとした。
「お待ちください! どうか、どうかお許しを……大神官様!」
サフィーラは許しを請おうと、必死で大神官の後を追った。神官服の長い袖に取り縋ろうと
する彼女を振り払おうとした、その腕に、サフィーラの手が触れた。
大神官が怒りと困惑の混在する表情を見せた、――次の瞬間。
「きゃっ!?」
サフィーラの華奢な体が、目に見えない何者かに突き飛ばされたかのように後ろへと弾け、
床へドサッと倒れ込んだ。
二人の周りの空気が俄にざわめき、灯火の炎が激しく揺らめく。すうっと冷えたような
感覚と、今までに感じたことのない威圧感が押し寄せてきて、サフィーラは背筋に寒気を
覚えた。そして、頭上の高いところから彼女の耳と脳に一気に降りてくるかのように、怒りに
満ちた若い女性の声が聞こえてきた。
「私のエルークに軽々しく触れるなんて、身の程知らずが!」
気がつくと、いつの間にか、大神官の傍らには黄金色の長い髪と灰色の瞳の女性が立っていた。
この髪の色、この声。あのときの女に間違いない。
だが、目の前にいる女性の持つ圧倒感は、いったいどうしたことだろう。聖なる巫女である
自分が、すっかり気圧されて、床にへたり込んだまま身動きすらできないなんて。
辺りには、特徴のある甘い花の香りが立ちこめている。いつも自分たちが女神に捧げている
特別な花の香りだ。
――まさか、このお方は……。
「落ち着かれませ、我が君」
大神官のその言葉に、サフィーラは女性の正体を悟った。
「あ……あ……」
畏怖のあまり、言葉にならない声がサフィーラの口から漏れた。彼女は今までのことを
全て理解した。大神官が「託宣の間」で睦まじく戯れていた相手――彼がこの世で唯一、
全面的にひれ伏す相手。それがわかった瞬間、女神への不敬とその報いに思いが至り、
恐ろしさに全身がぶるぶると小刻みに震えて止まらなくなった。
女神はといえば、落ち着かれませ、と諫める大神官をキッと睨み付け、不平そうに言った。
「なによ、この娘を庇うの?」
「このような巫女風情を相手に、わざわざお出ましになってその貴いお姿をお見せになる
必要はございますまい」
「良いじゃない。もう堪忍袋の緒が切れたのよ、私の好きにさせなさい」
「我が君――」
「神殿から追い出して奴隷の身分に落としてやろうかしら、それともこのまま、飢えた狼の
ような下界の男どもの群れに放り込んでやろうかしら」
「――どうか、あまりむごいことは」
女神を宥めるように言う大神官の口調も、どこか投げやりだ。庇い立てすればするほど
火に油を注ぐ結果になることは、彼はもうとっくに知っていた。
女神は、フンと鼻で笑うと、尻餅をついた状態でへたり込みながらカタカタと震えている
巫女の許へ、ゆっくりと一歩ずつ近づいていった。曙の光のように輝く長い衣が、シャラ…
シャラ…と美しい衣擦れの音を立てる。
「床に這いつくばって、見苦しいこと」
女神が腕をついっと正面に伸ばすと、不可視の力によって、数歩離れた先に座り込んでいた
サフィーラの体はグイッと乱暴に持ち上げられ、そのまま近くの壁へと強く押しつけられた。
「う…あッ……」
壁に押しつけられた衝撃に、サフィーラの顔は苦痛に歪んだ。無理矢理立ち上がらされた
状態で、両腕と両脚は見えざる枷によって不自然に壁に押し留められ、辛うじて首から上だけが
自由がきく状態。彼女は恐れおののきながらも、「どうかお慈悲を、どうかお許しを」と
消え入りそうな声で何度も繰り返し、慈悲を請う眼差しを女神に向けた。
しかし女神はその懇願を一顧だにせず、無慈悲な微笑とともにサフィーラに近づくと、
畏れにうつむく彼女の顎に直に手を掛けて、グイッと手前に持ち上げた。
「気に入らないわね。あの王家の血筋が色濃く出た顔だこと」
「ど、どうか……お許し下さいませ……」
「耳の形なんか、エルークにそっくり。生意気ね。ええ、気に入らない」
そう言うと、女神はサフィーラの耳の縁を指でそっとなぞった。
「――ひゃっ!?」
「ああ、本当に、五月蠅い子ねえ。どうしてくれようかしら」
女神はその美しい顔に嗜虐的な笑みを浮かべると、そのまま、指を柔らかく動かし始めた。
サフィーラの耳の縁から耳たぶへ、耳たぶから耳の内側へ。さわさわと、優しく、ゆっくりと。
くすぐったさとは少し異なるザワザワとした感覚に襲われて、サフィーラは反射的に声を上げた。
「あっ、やッ」
「ああ五月蠅い。少しは黙っていられないのかしら」
女神の冷淡な言葉に、サフィーラは羞恥と恐怖とでほとんど泣きそうになりながら、口から
こぼれそうになる声を必死に堪えた。
「……ん…っ、……んぅ…っ、ふっ」
女神は彼女を弄ぶ手を止めようとはしなかった。女神のその細く柔らかな指先は、サフィーラの
耳たぶと耳の裏を優しく弄ぶと、今度は耳元から顎の線をゆっくりと撫でていった。顎先まで
達すると、今度は喉元からうなじ、そして肩へ。
「顎と言い、肩と言い、本当に王家の血筋の特徴がよく出ていること」
女神はサフィーラの肩に這わせた指先を、鎖骨伝いに喉元までをついっと軽く撫でながら
戻すと、さらにその下へと指先を伝わせていった。サフィーラの胸元から足元までを覆う、
裾の長い衣装の布地の上から、女神の指先が彼女の胸の形をなぞるように撫でる。
「あ……!」
堪えきれずにサフィーラが小さな悲鳴にも似た声を上げた。柔らかな絹の上衣とその下の
薄い下着、その二枚の布の上から絶妙の力加減と柔らかさで撫でられて、ゾクゾクとした
痺れにも似た快感が体中に広がっていく。女神は手のひらを広げて、サフィーラの丸い胸の
膨らみを、服の上から柔らかく揉み始めた。
「あ、や……! お、お許し下さい……!」
「あらやだ。この子ったら、もう感じてるじゃない」
女神はそう言って、服の上からでもそのぷっくりとした形が見て取れるほどに緊張した
乳首の辺りを、指先で軽く刺激した。
「い…やぁあ…っ」
「黙れと言ったのに、黙っていられないのね。そんなに気持ちいいの?」
サフィーラは恥ずかしさのあまり、目をつむり、必死で口をつぐみ、首を横に振った。
目尻からは涙が伝い落ち、頬は羞恥に赤く染まる。だが――声がこぼれ、肌が震える。体の
芯がじんわりと熱い。女神の怒りに恐怖しながら、大神官が見ている前で――それがまた、
どうしようもなく恥ずかしい。
サフィーラは女神の責めから逃れようと懸命に身をよじるが、それも空しいことだった。
女神はあくまでもサフィーラの服を乱そうとはせず、その服の上から、片手では彼女の胸を
弄びながら、もう片方の手で彼女の腰から太股の辺りをねっとりと撫で回し始めた。二人の
距離がさらに近づく。
「いやらしい腰つき。自分が清らかだなんて、思い違いも甚だしいわ」
「や……あ……あっ、どうか…お、おやめください…っ、あ、あぁっ」
「そんないやらしい声を出すくせに、よくも人のことを、いかがわしいだの淫らだのと
言えたものね。『聖なる巫女』が聞いて呆れるわ」
「お、おゆるしくださ…あ、ああっ……い、いやぁ……」
サフィーラはほとんど泣き顔で、許しを請いながら、喘ぐように小さな嬌声を上げ続けた。
それまで大神官は彼女たちの痴態を遠巻きに眺めているだけだったが、女神のすぐ傍らまで
歩み寄ると、静かに言った。
「その辺りで、もうおやめください、我が君」
「なによ、またこの娘を庇うの?」
「いいえ」
大神官は、サフィーラの太股の辺りを弄んでいる女神の腕をつかんで、その淫らな動きを
制止した。
「相手が女であったとしても、貴女がそのようなことをなさるのは、これ以上は耐えられません」
そう言って、彼はつかんだその腕ごと、女神の体をグイと引き寄せた。
「そのようなことは、どうか、私になさいませ」
そしてそのまま、彼は女神の体を両腕で抱きしめ、その首筋に接吻をした。
女神は心地よさそうな表情でそれに応えると、今度は唇で彼の接吻を受けとめた。何度
か唇が軽くちゅっ、ちゅと重なり合う音がして、やがて二人の口の隙間から、舌がねっと
りと絡み合う湿った音が漏れ始めた。女神は両手で彼の顔から頭にかけてを優しく愛撫し、
彼の両手は彼女の背中や尻をいやらしい動きで撫で回す。
その様子を間近で見せつけられている哀れな巫女は、絶句したまま茫然としていた。
想像するだけでもおぞましい、いやらしい行為を、あろうことか、女神と大神官が行っている。
それも、自分の前の前で、平然と。何よりも貴く清らかな存在だと信じてきた大神官その人が、
自ら、こんなことを――。
そんなはずがない、私は信じない、こんなこと――!
心の中で否定し続けるその叫びは、声にはならなかった。ただ体が震え続けるだけ。
二人はそんなサフィーラの存在など気にも留めていないかのように、濃厚な睦み合いを
続けた。大神官は女神の耳元に唇を這わせ、それとは反対側の肩に手を回し、彼女の肩に
掛かる衣装を少しずらしてその肌を露わにした。そしてその手を肩から豊かな乳房へと移動
させると、服の上から手のひらでゆっくりと愛撫する。
「ふふ……、あ…っ、あ、ぁん」
女神の甘い嬌声と気だるい息づかいがサフィーラの耳に突き刺さる。じゅん、とした熱い
ものが、サフィーラの体の芯を駆け抜けていった。今までに感じたことのない奇妙な感覚に、
彼女は思わず軽く身悶えした。
女神は彼の愛撫に息を弾ませながら、ふと下女の存在を思い出したとでもいった風情で、
チラリと振り向いて言った。
「いやだわ、あの娘、物欲しそうにこっちを見ているわよ」
「ちが……!」
サフィーラは目をつぶって激しく首を横に振り、否定した。
「あらあら、嘘はいけないわよ? 口ではそんなこと言っても……ねえ?」
「ちがいます、ちがいます……! そんな、そんな、いやぁ……」
サフィーラはほとんど泣いていた。自分の体内に疼く熱さの正体、それを決して認める
わけにはいかない。抱擁、熱い口づけ、愛撫――女神様がされていることを……大神官様が
していることを……――。
「やめて……! どうか、おやめください……大神官様」
サフィーラは縋るような思いで大神官に呼びかけ、懇願した。
その言葉に、女神の形相が一変した。女神は彼の抱擁を一旦解くと、壁に磔のように戒め
られたままの巫女に向き直り、一喝した。
「お黙り! 所詮は私に捧げられた供物、端女風情が!」
つむじ風のような風圧が、サフィーラの頬をバシッと強く叩いた。
「彼に頼めば、聞き入れてもらえるとでも? なんて生意気なのかしら」
「あ……あ……も、もうし、わ、わけ……――」
女神は、再びの恐怖におののく彼女を睨み付けると、口の端に嗜虐的な笑みを浮かべた。
「彼が私のものだってこと、そんなに思い知りたいのかしら?」
ゾッとするほど美しく微笑む女神。そんな彼女を宥めるように、大神官は彼女を後ろから
両腕で包むかのごとく抱擁した。
「我が君」
「ん……」
女神は甘えるように彼の腕に身を預けると、意味ありげにニッと微笑した。そして彼の
腕をほどいてその手を取ると、すぐ近くに置かれている輿の許へと連れ立っていった。
先ほど大神官が垂れ幕を上へはね上げたので、ちょうど天蓋付きの長椅子のようになっている。
「さ、ここに座って」
女神はそこへ腰掛けるように彼に命じた。彼はわずかに躊躇ったが、特に抗うことは
しなかった。その後の流れは大体予想できる――だが、今はいつもの閨とは違う。
まさか本気なのか、いつもの天幕は――言わずとも、彼の顔にはそう書いてあったこと
だろう。
だが女神はそれを無視して、彼の隣に腰掛けてぴったりと身を寄せた。そして彼が羽織って
いるローブを脱がせると、彼の下腹部に手を伸ばした。彼かローブの下に着ていた法衣は、
胸元からつま先まで一列に並んだいくつものボタンで留められている。彼女はそのボタンの
うち、彼の腰の辺りから下のものをいくつか外して、その内側に片手を滑り込ませた。
その中で、股間を覆う腰布の隙間を探り当てると、さらにその奥へと手を潜り込ませる。
「あ……」
彼女の指の刺激に、思わず声が漏れる。いつもなら、このまま何も考えずにただ快楽に
身を委ねてしまえばいい。だが、今は――。
無意識にサフィーラのほうを見やっていたのかもしれない。
「エルーク」
女神は大神官の名を呼んで彼の顔を自分に向け直させ、その唇に口づけした。
「よそ見しないで。あなたにも、お仕置きしないといけないかしら?」
その微笑みに、彼への怒りの色はなかった。
――ああ、そういうことか。
大神官は彼女の意図を悟った。そして半ば諦めにも似た気持ちで、ただひと言、「御心の
ままに」と呟くと、そのまま彼女に全てを委ねた。
法衣の下に潜り込んで来た彼女の柔らかな手は、彼の陰茎を優しく弄ぶ。指でなぞるように
刺激したかと思うと、手のひらで包み、ゆっくりと扱き始める。だんだんとその速度は
速まり、彼の陰茎は大きく固く持ち上がってきたが、彼女はあくまでも服の外には出さずに
それを続けた。
「どう? 気持ちいい?」
「はい……」
「気持ちいい?」
「ええ……気持ちいいです、とても……、気持ちいい、あッ、んん…っ」
あえて彼にしゃべらせようとしているのは明白だった。彼もそれをわかっていた。わかって
いて、わざとちゃんと反応して、言葉を声に出して、あえぎ声を我慢せずに吐き出す。
それは普段とは違うゾクゾクとした興奮をもたらした。
「我が君……、もう、我慢が――」
「私もよ」
女神は愛撫の手を止めると、自ら衣装の裾をたくし上げ、大神官の片手を自分の陰部へと
いざなった。
「ほら、触って……」
彼女の腰布の隙間に指を潜り込ませると、柔らかな茂みとその奥はしっとりと濡れていた。
指を少し動かすと、奥から熱い蜜が溢れ出てくる。
荒い息が、一気に熱を帯びる。大神官は女神の陰部を弄ったまま、彼女の上に覆い被さる
ように、その場に押し倒した。
背後で、うめき声にも似たサフィーラのすすり泣きが聞こえた。泣き声の合間から
「やめて……」「いや……」と弱々しく訴える声も。気の毒に、この光景を見まいと目を
閉じたとしても、両手は戒められているから耳を塞ぐことまではできない。全ての音が、
気配が、彼女の耳を容赦なく蹂躙しているはずだ。
そう考えて、ゾクリとした感触が体を掛けてゆく。――なんたること。
彼は仰向けになった女神の両脚を開くと、彼女の輝く衣装の裾をやや乱暴にたくし上げた。
大理石のように白く滑らかな肌が露わになる。さっき彼女が開いた服の隙間から、既に
いきり立っているものを取り出す。そして、左右に開かれた彼女のむっちりと温かな太股を
脇に抱え、彼女の入口にそれをあてがうと、そのまま一気に奥まで挿入した。
「あ、ああッ」
女神の体がのけぞり、光をまとった柔らかな装束の裾が大きく波打った。腰から上の装束は
乱れていないが、彼女の息づかいに合わせてさざ波のように細かく震え、肩に掛かる黄金の
髪は妖しく乱れている。青みがかった灰色の瞳は艶めかしく潤んで光を帯び、熟した赤い
果実のような唇からは熱い吐息が漏れる。
「いつもより、乱暴ね……」
「それがお望みなのでは?」
ばか、と呟いた女神を、彼は愛しいような憎らしいような気持ちで抱きしめた。互いの
装束に隔てられて、重なり合う胸や腹の体温はあまり伝わってこないが、それがかえって、
唯一繋がっている部分の熱さを際立たせた。
「エルーク……私のエルーク」
「はい」
「あなたは私のものよ……忘れないで」
「もちろんです――我が君」
彼は彼女に深い口づけを与えると、腰を前後に動かし始めた。彼の力強い動きに合わせて、
彼女は「あっ、あっ、あっ」と艶めかしい声を上げる。グチュッ、グチュッという淫らな
音が響き、二人の荒い息づかいがいやらしく絡み合う。たくし上げた女神の装束の重なりが、
小刻みな衣擦れの音を立てる。
大神官の法衣が彼女の肌と擦れ合うところでは、乾いた衣擦れの音がする。足元までの
長い装束が、動きに合わせて脚に纏わり付く。その不自由さがまた、興奮を掻き立てる。
何千何万回と抱いてきたその体は、隅々まで知り尽くしているはずだ。彼女の敏感な
ところも、ちょっとした癖も、反応も、全て知っている。ひと通りのことは二人で経験して
きた。それでもなお、その都度、かつてない感覚を知ることになる。
「あっ、あっ、いいわ…っ、あぁんっ、いい、いいぃっ…!」
女神の喜悦の声と荒い息づかいだけが、彼の耳を占領していた。背後で打ちのめされて
いる哀れな巫女のすすり泣きは、いつしか聞こえなくなっていた。
彼は駆り立てられる欲望のままに、体を駆け巡る熱さをそのまま女神の中へと荒々しく
叩きつける。彼女の柔らかく温かな花園は、それを受けとめ、包み込み、奥までしっかりと
飲み込む。痺れるような締め付けとさざ波のような摩擦から生まれる快感が、大きなうねりと
なって彼に襲いかかる。
「我が君……我が君…っ」
「ああっ、もう、だめ…っ! いく、いくぅっ…!」
切羽詰まった声の後、女神は「あああーっ!」とひときわ高い嬌声を上げた。それと一緒に、
大神官も低いうめき声を上げて精を放った。
浅いまどろみの中、女神は今まで忘れていたかのような風情で、壁の方に目をやった。
「――あら、あの子ったら、気を失っているわ。いつの間に」
強いショックのためだろう、哀れな巫女はすっかり意識を失って、見えない枷で両手を
壁に縛り付けられたままぐったりとしていた。頬に残る幾筋もの涙の跡が痛々しい。
女神が戒めを解くと、サフィーラの体は力なくドサリと床に倒れ伏した。それでも目を
覚ます気配はない。
「……ご満足ですか」
大神官の気だるい眼差しに、女神はフフッと妖艶に微笑む。
「あなたこそ」
「何を……」
「まんざらでもなかったでしょう? たまには、こんな趣向も良いんじゃない」
まるで悪びれないその言いぐさに、彼は溜息をついた。
「……まったく、貴女というお方は」
「良いじゃない」
「あまりむごいことはなさいますなと、申し上げましたのに」
「あなたもね」
私も共犯ですか、と彼は苦笑した。確かにその通りで、反論はできない。
「ねえエルーク、この子、どうしようかしら。このまま帰してしまう?」
「ご自分でなさったことなのですから、後始末もどうぞご自分で」
えー、と女神はだだっ子のようにむくれてみせる。
大神官は心底面倒そうに、
「これ以上、あれに関わって、ご不興を買うのは御免ですよ」
と身支度を調えて立ち上がると、彼女たちに背を向けて自室へ戻るそぶりを見せた。女神は
小首をかしげて少しばかり思案していたが、すぐにあっさりと決定を下した。
「ねえ、いっそこのまま私の側仕え役にしてしまうってのはどうかしら?」
大神官は、おや、と意外そうな顔をして振り向いた。女神が側仕えの巫女を選ぶなど、
久方ぶりのこと。
彼は女神の傍らに戻ると、その真意を確かめるように、悪戯っ子のような笑みを浮かべて
いる彼女の顔を見つめた。
「気に入らないとおっしゃっていたのでは」
「気に入らないけど、気に入ったのよ。からかい甲斐がありそう」
また悪趣味な、と彼は呟いて苦笑した。女神はそんな彼をチラリと上目遣いで見やる。
「不服?」
「……いえ」
「でも、あなたには近づかせないわよ。あなたは私だけのものなんだから」
「わかっています」
あなたも、私だけのものです――そう言えたら、どんなに良いか。
言いたくても言えないその言葉を、彼はそっと飲み込む。そしてその代わりに、最愛の
人の手を取って、その甲に口付けた。
「どうぞ御心のままに――我が君」
−終−