〈1〉新しい巫女  
 
 王国の都を見下ろす小高い丘の上に、その神殿はあった。数ある神殿の中でも、この国に  
おいては最も権威が高いとされる神殿である。  
 その日、神殿は一人の新しい巫女を迎えることになっていた。新しい巫女は、現国王の  
末娘・サフィーラ王女。彼女は幼い頃から神殿に預けられ、将来の巫女候補として修行を  
積んできた。この神殿に仕える巫女は、特に王族の血筋から選出されるしきたりになって  
おり、彼女もまたその慣習に従って神殿に捧げられた王女なのだ。  
 神官達や巫女達が総出で儀式の準備を行う中、神殿の一番奥の部屋で、彼らを統括する  
長である大神官は一人静かに身支度を調えていた。純白の法衣の上に、大神官のみに許された  
豪華な刺繍の入った長いローブを羽織り、儀式用の冠を被る。  
 儀式に用いる精油を器に移し替えていると、彼の背後から若い女性の声がした。  
「今度の子は、少し面白そうね」  
 大神官はそれには答えず、ただ静かな微笑を、その声の主に返した。  
 
 神殿の控えの間では、栗色の髪を綺麗に編み込み、簡素な純白の装束に着替えたサフィーラ  
王女が、緊張の面持ちでその時を待っていた。王国で最も崇められる女神にお仕えする、  
聖なる巫女。立派な巫女になりたいと、ずっと憧れ、この日を待ち望んできたのだ。  
 彼女の緊張には、また別の理由があった。十年前、初めて神殿に上がって大神官にお目通り  
したとき、あろうことか大神官に向かって「おじいさま?」と口走っていたのだ。彼女は  
自分の発言そのものはよく覚えていなかったが、大神官の傍らにいた神官や巫女の引きつった  
顔、慌てふためいた付き添いの両親にすぐさま叱責されたこと、それはよく覚えていた。  
そして、一瞬の沈黙の後、当の大神官が高らかに大笑いしたということも。  
 ――まだ子どもだったとは言え、なんと無礼なことを口走ったものかしら! あのとき  
大神官様が笑い飛ばしてくださらなかったら、どうなっていたことか。  
 王家の守護女神を祭るこの神殿の長である大神官は、この国ではまるで生き神のように  
扱われている。その真の名を知る者は無く、神殿の神官と巫女以外は、王族ですら滅多に  
面会は許されていない。大神官が自ら国王の前に姿を見せるのは、女神からの託宣を伝える  
ときくらいであった。このように大神官が別格の存在とされるのは、その驚くべき長寿ゆえ  
でもあった。彼は女神の祝福によって、およそ常人には不可能な、何百年という時を生きて  
きたというのだ。  
 それにしても、とサフィーラは考える。  
 ――あのとき、どうして私は「おじいさま?」などと口走ったのかしら。いくら幼いとは  
いえ、誰彼構わずそんなことを言うほど無分別な年齢ではなかったはずよ。大神官様のお顔が、  
私のお祖父様に似ていたのかしら?  
 いつもここまで考えて、サフィーラは、あのときに見たはずの大神官の顔をよく覚えて  
いないことを思い出す。あの朗らかな――そう、朗らかで、柔らかな張りのある――笑い声は  
強く印象に残っているのに、直にお目に掛かったことも覚えているのに、そのお顔だけ、  
記憶に霞が掛かったようにおぼろげで……。  
 だが、そのモヤモヤも今日までだ。見習い期間を終え、晴れて正式な巫女となるこの儀式で、  
実に十年ぶりに、大神官の姿を間近に拝することができるのだから。  
 ギギィッと重い音がして、儀式の間の扉が内側から開いた。巫女達が清めの鈴の音を響かせる。  
老神官の低い声が響く。  
「女神の端女サフィーラよ、入りなさい」  
 神殿の巫女は、儀式では「巫女」ではなく「女神の端女」と呼ばれる決まりだ。サフィーラは  
頭を垂れたまま、衣装の長い裾を両手で軽く持ち上げて、しずしずと歩みを進めた。  
 顔を上げなくてもわかる、居並ぶ神官達の気配、しんと静まりかえった厳かな空気。  
 真正面の少し高い位置に設えられた祭壇のふもとまで進み、そこで恭しく跪いて目を伏せた。  
と、祭壇の方から、シュル…と重たい衣擦れの音がした。  
 きっと大神官様だ、とサフィーラが思った次の瞬間、その脇の方から、先ほどの老神官の  
声が彼女に命じた。  
「女神の端女サフィーラよ、汝が女主人に服従の誓いを」  
 
 サフィーラはさらに頭を深く垂れ、覚えたとおりの儀式の言葉を静かに、しかしはっきり  
した声で唱える。  
「偉大にして慈悲深き我があるじ、王家と王国の守り手たる我が君、我は貴女の忠実なる  
しもべとなり、貴女を崇め、貴女を褒め称え奉る」  
 彼女が誓いの言葉を言い終えると、その頭に、甘い花の香りのする精油が注がれた。  
女神の祝福を受けた精油が、じんわりと自分の髪を伝い、頭皮に染みてゆくのを感じながら、  
サフィーラは得も言われぬ誇らしさと喜びを噛みしめていた。  
 ――これで私も正式な巫女として、女神様にお仕えすることができるのだわ……!  
 そのとき、祭壇の上の方から、若々しい男性の声が伸びやかに降り注いできた。  
「面を上げよ」  
 威厳に満ちつつも若々しいその声に、サフィーラはハッとして顔を上げた。  
「汝を、我が君の端女として、我らが神殿に迎え入れん」  
 その言葉を合図に、神官達は一斉に女神を賛美する言葉を唱え、巫女達は再び鈴を鳴らし、  
儀式は終了した。  
 儀式の終わりを告げたその声の主は、他の神官が立ち寄れない祭壇の正面に堂々と立ち、  
確かに大神官その人でしかあり得なかった。だが、その「大神官」の姿は、サフィーラの  
想像とはあまりにも異なっていた。  
 ただ一人、他の神官達とは異なる冠と装束を身につけた「大神官」の姿は、どう見積もっても  
二十代の青年にしか見えないのだ。たっぷりと布を使った重たげなローブの袖からは、若々しい  
両の手が見える。先ほどサフィーラに芳しい花の精油を注いだ手だ。その肩から足元まで  
すっぽり覆い隠す重厚なローブは、その長身をさらに大きく見せていた。大神官の冠の下には、  
その瞳と同じに濃い色の、艶やかで豊かな短髪。若さだけではない。思慮深さを滲ませた、  
知性溢れる端正な面持ちの青年――。  
 彼女は思わず「あっ」と言ったきり、二の句が継げなかった。いや、実を言えば、十年前の  
自分の失言をはっきりと思い出し、今もまた同じ台詞を言いそうになったのをギリギリ  
堪えたのだった。  
 目を丸くして呆気にとられているサフィーラを、大神官は苦笑交じりで見下ろす。  
「いかがいたした、そのような顔をして」  
 思いがけず穏やかで優しい口調に、サフィーラはかえって動揺した。  
「い、いいえ……、何も――」  
「また『おじいさま』と言いそうにでもなったかね」  
「えっ」  
 言い当てられたことと、大神官が十年前のことを覚えていたとわかったことで、サフィーラは  
すっかり固まってしまった。大神官はそんな彼女の様子にはお構いなしに、まるで独り言の  
ようにぼそりと言う。  
「しかし、この私を『おじいさま』と呼んだ者は久しぶりだな。正確には、そなたの祖父の  
祖父のそのまた祖父の……何代前だったかな、とにかく、そなたは私の兄の何代も後の孫に  
当たるわけで」  
 さらりとそう言って、大神官はクスクスと笑った。そしてサフィーラに背を向けると、  
そのまま神殿の奥へと姿を消した。  
 大神官の言葉で、ようやくサフィーラは幼い自分の失言の理由に思い至った。彼を見て  
「おじいさま」だと思ったのは、王宮で見た先祖――今思えば、それは祖父だったのか曾祖父  
だったのか――の、若い頃の肖像画と似ているところがあったからだ。大神官は王家の血筋に  
連なる人物だとは聞いていたが、まさか、自分の何代も前の祖の弟だとは知らなかった。  
大神官と祖父、同じ血筋ならば似ているところがあっても不思議はない。  
 
 ――それにしても、よりにもよって「おじいさま?」だなんて。  
「数百年生きていらっしゃるという大神官様が、まさか、あのようにお若い姿でいらっしゃる  
 なんて……。私ったら、なんということを」  
「仕方ないわ、初めて大神官様にお目に掛かったときには、誰もがそのお姿に驚くものよ」  
 私室に戻ってもなお落ち込み続けるサフィーラに、先輩巫女のエルメンダが慰めの言葉を  
かける。彼女はサフィーラより十歳ほど年長だが、数少ない巫女の中では一番サフィーラと  
年が近かった。  
「幼い頃のあなたは、それがどういうことなのかよくわからず、それで覚えていなかったの  
 でしょうね。でも、どうして大神官様が、女神様の祝福を受けた生き神として崇敬される  
 のか、今はよくわかったでしょう?」  
 サフィーラは素直にこくりと頷いた。エルメンダに言われるまでもなく、大神官の神秘性は、  
あの短い儀式の中でもひしひしと伝わってきた。彼がそこに居るだけで、言い知れぬ威厳が  
空間に充ち満ちていた。全ての神官と巫女を統べる長、そして女神の代弁者にして偉大なる  
預言者。だからこそ、その若く美しい青年の姿とのギャップに驚いたのだ。  
 十年前のあのとき、大神官様が笑い飛ばしたのも道理だ。あまりに馬鹿馬鹿しくて、取り  
合う気も起こらなかったのだろう。何百年も生きているというだけで奇跡なのだ。ならば  
不老の奇跡だってあり得るだろう。長寿ならば皺だらけの老人に違いないと勝手に思い込んで  
いた自分が恥ずかしい。  
「エルメンダ様、私――」  
「エルメンダ、で結構よ、サフィーラ。あなたはもう見習いではなく、私と同じ、女神様に  
 お仕えする巫女なのだから」  
 優しく微笑む先輩巫女に、新米の巫女は素直に感激した。  
「エルメンダ……、私、女神様の巫女として恥ずかしくない勤めができるよう、頑張ります」  
 それからのサフィーラは、新米の巫女としてはこの上なく模範的であった。日々怠ること  
なく、女神のために神殿を精油で清め、花で飾り、賛美の祈りを唱え、楽を奏で、舞を踊る。  
俗世とは隔離された空間の中で、ただひたすら女神のために奉仕を続けた。  
 女神に仕える神官や巫女は、清らかな存在であることを要求される。普段の生活で身を  
慎むことはもちろん、神官や巫女でいる間に異性と情を通じることは固く禁じられており、  
それを破れば恐ろしい処罰が待っている。  
 時には国家の要請や神託に従って、還俗して結婚する者もいるが、還俗すれば神殿での  
地位や特権は全て失われる。大きな権限を持つ神官や巫女が世襲によってより強大な勢力と  
なるのを恐れた王家がそう定めたのだとも言われるが、なにより、女神自身がそのように  
求めたのだとされている。  
 サフィーラにとって最も身近なお手本は、あの優しいエルメンダだった。エルメンダも  
また、分家筋ではあるが、王家に連なる高貴な血筋の姫である。美しくたおやかな彼女は、  
まさに汚れのない巫女の模範のようで、サフィーラは彼女を姉のように慕った。  
 
「エルメンダは、女神様のお姿を見たことはあるの?」  
 ある日、サフィーラはふとした疑問を投げかけた。エルメンダは即座に首を横に振る。  
「いいえ。女神様は、滅多なことではお姿をお見せにならないのよ」  
「あなたのように清らかな巫女や、修行を積んだ神官ならば、女神様のお姿を目にする機会も  
 あるのではないかと思うのだけど」  
「さあ、それは……。私も神殿でお祈りをしているときに、神々しい気配を感じる気がする  
 ときはあるけれども、はっきりと、お姿のようなものは、まだ」  
「そう……」  
 親しさゆえの遠慮のなさで、サフィーラは露骨にガッカリした表情を見せた。エルメンダは  
彼女を宥めるように言う。  
「こればっかりは、ね。大神官様は別格として……そうねえ、女神様のお側仕えに選ばれる  
 ような巫女にでもなれたら、また別なのでしょうけれど」  
「でも、お側仕えの巫女は、もう何年も空席のままなのでしょう?」  
「ええ。特別に思し召しがない限りは選ばれないとのことだから」  
「……私なんか、とても無理だわ」  
「私だって。でも、そうねえ、真心を込めてお仕え申し上げていれば、もしかしたら、いつの  
 日にか、慈悲深い女神様が感応してくださることがあるかもしれないわね」  
 その言葉に、サフィーラの顔がパアッと明るくなる。その素直さをエルメンダは微笑ましく  
思った。  
 
 それから数ヶ月して、サフィーラにとって衝撃的な出来事が起きた。憧れをもって慕って  
いたエルメンダが、神殿を出て、とある王族と結婚することになったのだ。  
「どうしてなの、エルメンダ、巫女を辞めて結婚するだなんて……、嫌よ、嫌!」  
 目に涙を浮かべて詰め寄るサフィーラに、エルメンダはいつものように優しい微笑みで、  
ただ「国王陛下がお決めになったことだから、神殿もお認めになったことだから」と答える  
だけだった。  
 政略結婚なのは明白だ。だがサフィーラは、国王に対して拒否権を持つ巫女のエルメンダが、  
この縁談に拒絶反応を微塵も示さないことがショックだった。誰よりも清らかで理想の巫女だと  
信じていた彼女が、あっさりとそれを捨てて、男の許へと嫁いでしまう。  
 それがどうしても受け入れられなくて、サフィーラは神殿の中庭で独りひっそりと涙を流していた。  
 不意に、若い男性の声がした。  
「そんなところで、何を泣いているのかね」  
 振り向くと、そこには大神官がいた。儀式の時よりも簡素なローブ姿だが、紛れもなく、  
その人である。中庭に面した回廊から、サフィーラの方へと歩み寄ってくる。  
 サフィーラは慌ててその場に跪いた。正式な巫女になってから知ったことだが、王族でも  
滅多に面会できないという大神官は、神殿の神官や巫女の前にはわりと気軽に独りで姿を  
見せたりするのだ。それでも、まだ巫女となって日の浅いサフィーラには、彼は雲の上の  
存在に等しかった。  
「涙を拭きなさい。我が君は、むやみに嘆くことをお喜びにはならぬ」  
 我が君、とは女神のことである。女神を指す尊称はいくつも存在するが、大神官は常に  
この呼称を用いた。サフィーラは急いで涙の跡を手でぬぐう。  
「なんでもないのです。申し訳ありません」  
「なんでもない? なんでもないことが、偉大なる我が君に仕える巫女の心を掻き乱し、  
涙を流させると?」  
 サフィーラはそれ以上何も言うことができず、また、目の前に立っている大神官から逃れる  
こともできず、困ってしまった。大神官はやれやれと言った風情で微笑むと、幼い生徒を  
優しく諭す教師のように言った。  
「おおかた、エルメンダのことであろう。そなたは随分と彼女を慕っていたと聞く」  
「……はい」  
「彼女がいなくなるのが、寂しいのかね」  
「……いえ……」  
 寂しい、それは当然だ。だが、それよりももっと強い感情が「エルメンダの結婚」を  
拒絶する。  
「大神官様、……エルメンダは、私のお手本なのです、女神様にお仕えする清らかな巫女  
 なんです」  
 サフィーラは、若い娘らしい潔癖さで「結婚」への嫌悪を露わにする。結婚するという  
ことは、巫女の地位を捨てるだけでなく、その純潔を夫に捧げるということ。エルメンダは  
ずっと一生、清らかな存在でいるものとばかり思っていたのに……!  
 また涙がこぼれそうになるのを、サフィーラは必死に堪えた。  
「なるほどね。まあ、そなたの気持ちもわからないではない、が……」  
 大神官はまだまだ未熟な巫女に、憐れみの眼差しを向けた。  
「エルメンダに咎はないのだから、彼女を責めては気の毒だ。王家を守護する神殿の巫女は、  
 王家の利益のためには別の運命を受け入れることもまた、大事な勤め。なにより、我が君が  
 特にお許しになったことなのだから」  
「わかっております、でも、でも……」  
 感情を収めきれないサフィーラに対し、大神官はやや厳しい口調で問いただした。  
「そなたは、なぜこの神殿の巫女になったのかね」  
「それは……女神様にお仕えするため、そして、王家をお支えするためです」  
「ならば、王家のために神殿を出るエルメンダのために、祈ってあげなさい。それはこの  
 神殿の巫女である、そなたにしかできぬことではないか」  
 サフィーラはハッとして、大神官を見上げた。彼の背後から差し込む柔らかな日差しが、  
その顔の輪郭を眩しく照らし出している。  
 予想に反して、その顔には穏やかな微笑があった。  
 全てを包み込むような包容力と、何ものをも寄せ付けない不可侵の威厳。外見の若さと、  
実際に重ねてきたという幾星霜の年月。このお方の中には、相反するそれらが同時に存在  
する。なんというお方なのだろう。  
 サフィーラの心は、形容しがたい衝撃と高揚感に打ち震えた。  
「私の心得違いでした。私は、私の勤めを精一杯にいたします。なにとぞお許し下さいませ」  
 そして、彼女は大神官の前に平伏した。  
 
 その日以来、サフィーラにとっての「お手本」はエルメンダから大神官へと交替した。  
否、お手本というのは正確ではないだろう。サフィーラにとって、彼はいわば「揺るぎない  
偶像」となったのだ。  
 エルメンダの欠員を補う新入り巫女の存在によって、サフィーラの巫女としての地位は  
相対的に上がり、大神官の身の回りの世話も順番で任されるようになった。が、その際の  
献身ぶりがいささか度を超しているのだ。大神官に関わることというだけで、純粋な瞳を  
キラキラと輝かせて奉仕する有様は、まるて尻尾をパタパタ振りながらついて行く忠実な  
飼い犬のようである。  
 なんだか極端な娘ですのう、とあきれ顔の老神官に、大神官は、  
「なに、孫娘に懐かれているようなものだ」  
と、笑って受け流す。老神官も釣られて苦笑した。大神官のカリスマ性に心酔する神官や  
巫女は今に始まったことではなく、どうあしらうべきか、彼らも心得ている。生き神とされる  
大神官への崇敬は否定されるものではないし、無理に禁じればかえって余計にのめり込んで  
しまいかねない。若さゆえの一時的な熱ということもあろうから、差し支えのない範囲で  
好きにさせておいたほうが良い。  
 サフィーラにしてみても、大神官は偶像であり崇敬の対象ではあったが、決して彼を  
男性として見て憧れているのではなかった。  
 ――このお方は、女神に祝福された特別な存在、生ける神。決して揺らぐことのない、  
絶対的に清らかなお方。  
 巫女であっても運命に翻弄されることのある、小さくて弱い人間とは違うのだ。  
「盲信は罪だよ」  
 大神官はそう言ってサフィーラを諫めたりもしたが、彼女はめげない。  
「大丈夫です! 正しいお方を、正しく尊敬申し上げているだけですから」  
「正しいお方、か。それはどうかな?」  
「大神官様ともあろうお方が、何を仰るのですか」  
「私よりも、我が君への奉仕を」  
「もちろん、すべては女神様のためでございます! 大神官様のお世話をさせて戴くことが、  
 ひいては女神様へのご奉仕に繋がるという気持ちで勤めております!」  
 大神官は、ハァ、と溜息をつくと、諦めたように首を振った。  
「せめて来月の大祭前の潔斎期間は、くれぐれも大人しくしておくれ。張り切りすぎて、  
 いざ大祭の折りに何かあっては、我が君への奉仕も何もあったものではないからね」  
「あ……はいっ」  
 今年の大祭前の潔斎。日常の清めの儀式とは異なる、大がかりで特別な潔斎期間だ。巫女に  
なってまだ一年未満のサフィーラにとっては未知の儀式である。サフィーラはそのことを  
考えただけで、自然と身が引き締まる思いがした。  
 

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