空は憎らしいくらい晴れ渡っていた。けれど漂う冬の空気は、身を竦めてしまうくらいに冷たい。  
俺は愛車を駅近くの駐輪場にチェーンで繋ぎながら、朝に見たお天気キャスターの言葉を思い出した。  
夕方までは晴れだが、日が沈む頃には少し機嫌を損ねる可能性有り。今日は全体的に冷え込むので、もしかしたら雪が降るかもしれない――  
「ホワイトクリスマス、か」  
何とはなしに呟いて、ダウンジャケットのポケットに手を突っ込み、歩き出す。  
目指す場所はすぐそこにある駅前広場。  
俺達と同じように待ち合わせしている奴らがちらほらいたが、その一団はひどく目立つため、遠目でもすぐに見分けることが出来た。  
俺が広場に到着すると相手もこちらに気付いたらしく、ひとりの少女がブンブンと手を振ってくる。  
「おーい、しのっちー。こっちこっち」  
人数を数えると、どうやら俺が最後だったらしい。遅刻者がいないとは、なかなか優秀なメンツと言える。  
まもなく集団に合流すると、手を振っていた少女が待ってましたとばかりに不満を口に出してきた。  
「しのっち遅い。遅刻ギリギリ」  
茶色がかった髪を肩より少し伸ばし、ヘアアクセサリーで飾ったこの少女の名は、秋田小町。ノリの良さと気安さが売りのクラスメートである。  
「うむ、待たせたようだな皆の衆」  
「うわ。滑り込みセーフのくせに一番偉そうですよ、この人は。何様のつもりか」  
この野郎。普段は自分が遅刻する事が一番多いくせに、ちょっとビリを逃れたと思ったらここぞとばかりに攻撃してきやがる。  
だが俺はそんなことで怒り狂うほど心の狭い男ではない。余裕の態度でさらりと受け流してやる。  
「ふっ、真打ちは最後に登場するものなのだよ」  
しかし秋田の隣にいた葉山がそれを聞いてニヤリと笑い、  
「そう。それじゃあ今日のお昼ご飯は真打ちさん持ちってことでよろしく」  
「すごいじゃん、しのっち太っ腹ぁ」  
「貴様ら俺に年を越させないつもりか!?」  
とんでもない罠に嵌められそうになった。まったく油断も隙も無い。  
と、そこで俺の背中がポンと叩かれる。  
振り向くと、ウェーブのかかった髪をショートにした小柄な少女がこちらを見上げていた。そしていつも通りの抑揚のない声で告げる。  
「大丈夫。シノラーにそんな甲斐性誰も期待してないから」  
「実際口に出されると傷つくからそこはさり気ない優しさを混ぜてください。つーかシノラー言うな」  
俺の控えめな要求に彼女――日野ひかりは了解というように何度か頷いた後、  
「パン買ってこいやシノラー」  
「優しさカケラもねぇ!」  
やっぱり苦手だこいつ。綾咲とは別の意味でペースを崩す達人だ。  
というか、何で遅刻もしていないのにここまで好き放題言われなきゃならんのか。この世に情けはないのか神は死んだのかそうなのか。  
「ほら、騒いでないでそろそろ行きましょう?」  
救いの手は意外なところから差し伸べられた。  
事態を収拾しようと腰に手を当ててその声を発したのは、はっきりとした目鼻立ちの、きびきびとした動作が印象的な女の子。  
額を隠すように流した前髪をヘアピンで纏め、腰まである長い髪を揺らしている。その姿にはファッション雑誌のモデルになりそうなほどの華があった。  
彼女こそ我が2年D組委員長、笹木貴子その人である。  
 
「委員長の言うとおりだ。貴様ら全員反省するように」  
「あ・な・た・が、一番反省なさい」  
ギロリと睨まれた。  
馬鹿な俺は被害者だぞ! と身の潔白を訴えようとしたが、笹木の口元が怒りに歪んでいるのを見たのでやめておく。  
実は彼女、いつも俺に対してこんな感じである。どうも嫌われてるっぽい。  
笹木とはほとんど喋らないし、何かした覚えもないんだけどなぁ。うーむ、謎だ。  
そんな学校という閉鎖環境で形成される人間関係に思春期の少年らしく悩んでいると、秋田がひょっこり顔を出した。  
「キーコ、あんまりしのっち虐めると可哀想だよ」  
こいつ、自分が火付け役なことをすっかり忘れてやがる。  
「虐めてません。正当な意見を述べたまでです。それに今から昼食を食べに行くんでしょう? 早くしないと、どこも満席になってしまうわよ」  
「ちょっと話してただけじゃん。そんなに急ぐことないのにー」  
諭す笹木に、秋田は子供みたいに口をとがらせてブーイングする。が、突然何か思いついたようにニヤリと笑った。  
「キーコ、そんなにお腹すいてるの?」  
「ちっ、違うわよっ」  
笹木が慌てた口調で否定した瞬間、ぐぅっという小さな音が、しかしはっきりと我々の耳に届いた。  
「…………っ!」  
笹木の顔が羞恥に染まる。  
発信源は明らかだった。  
「わお。お約束ぅ」  
「乙女の秘密ぅ」  
秋田と、いつの間にか参戦してきた日野の茶化しに、笹木の顔が限界まで赤く染まる。  
そして小刻みに肩を震わせ――  
「ふ、ふふふふ…………こまち〜、ひかりぃ〜っ!」  
爆発。広場にいた人々が全員振り向くくらいの大爆発。騒ぐなと注意していたあなたはどこへ消えたのですかと問いたいくらいの大音量だった。  
「ほらキーコ、声が大きい注目されてるよー」  
「どうどうどう」  
すかさず秋田と日野は慣れた様子で笹木を宥めに入る。その手付きは一切の無駄が無く、まさに職人の仕事と評して差し支えない。  
というかお前らいつもこんなことやってるのか。いやもう何が何だか。  
取りあえず他人のフリをしておこうと秋田達から距離を取る。  
かしまし娘たちの漫才を見物しながら昼飯はもう少し時間が掛かりそうだなぁとぼんやり考えていると、スッと俺の隣に並ぶ影があった。  
 
「賑やかになっちゃいましたね」  
微笑みかけられた途端、全身に緊張が走る。俺は悟られぬよう小さく深呼吸し、充分に間を取ってから彼女に同意を返した。  
「まったく、一体いつまでやるんだか。いや俺とあの三人は何の関係もない赤の他人ですけどね?」  
「篠原くん、その言い方はひどくありません? 友達は大事にしないといけませんよ」  
綾咲優奈は言葉の内容とは裏腹のからかうような口調で、いつものように俺の瞳を覗き込んできた。  
俺は顔と胸の奥が同時に熱くなる錯覚をやり過ごしながら、まだわいわいやってる三人組を指し示す。  
「よし綾咲、あいつらのそばに行って『私はこの人達の友人です』と宣言してこい。俺はここで見守ってるから」  
「それは遠慮しておきます」  
俺の提案を控えめに、だがきっぱりと却下して綾咲は姿勢を戻した。困ったように秋田達を見つめるその姿に、俺はチラリと視線を送る。  
黒のタートルネックに落ち着いた色のワンピース。コートと頭に乗せたベレーを同色の赤で合わせ、足はブーツで飾っている。  
鮮やかな色合いが彼女にとてもよく似合っていて、思わず見とれそうになって慌てて目を逸らす。  
私服姿の綾咲を見るのは初めてだったので、何だか落ち着かない。  
そう、今回は全員私服集合なのだ。  
冬休みに向けての心構えをたっぷり聞かされた終業式。  
その直後に制服姿で遊んでいるところを教師にでも見つかったら流石にお説教は免れないだろう、という判断が下されてのことである。  
昼間なら別に注意程度で済むだろうが、日が落ちてからだとややこしいことになるし。  
そんなわけで自宅に着替えに戻る時間を考慮した結果、集合時間は12時ちょうどに決定。  
ついでだから遊園地に入る前にみんなで昼飯を済ませてしまおうという魂胆だ。  
このままだと昼食にありつけるのはいつになるかわからないが。  
「貴子、もうそのぐらいにしたら?」  
と思っていたら、あの大騒ぎしている集団に率先して関わる勇気ある人が登場。  
パンツスタイルとコートに身を包んだ葉山由理が、呆れの混じった表情で笹木の肩をやんわりと押さえていた。この惨状にいい加減痺れを切らしたか。  
「うう〜、ううううう〜〜〜」  
笹木はしばらく涙目で子供のような唸り声を上げていたが、やがて徐々に落ち着きを取り戻していった。さすがは葉山、見事な手腕である。  
などと感心していると、隣にいた綾咲が急に一歩前へ出た。そして俺を肩越しに見上げながら、  
「そろそろ集まらないと、怒られちゃいますね」  
くすっと笑う。  
「というか既に怒ってるような気がするんだが」  
実は事態が収束に向かったあたりから、葉山が『さっさとこっちに来なさい』とでも言うようにこちらを睨み付けているのである。  
目の錯覚だったらいいなぁと思いつつ、気がつかないフリでやり過ごそうと考えていたのだが、やはり無理だったようだ。  
というわけで葉山よ、騒ぎの後始末をお前に押しつけたのは謝るから、その鋭すぎる眼光はやめてくれ。生きてる心地がしないから。  
「では、一緒に怒られに参りましょう、篠原くん」  
「勘弁してくれ」  
何故か楽しそうな綾咲にため息と共に返して、俺は彼女の隣へと足を踏み出した。  
 
 
 
そんなこんなで昼食を取るべく向かった先は、バーガーショップだった。  
昼飯の選択としては無難なチョイスである。俺達くらいの歳でハンバーガーが嫌いな奴はあまりいないだろうし、値段も程々、客層も男女問わない。  
昼食を何処で済ませるか皆で相談したときも、この提案には誰も反対はしなかった。  
だからといって、問題がゼロだったわけでもないのだが。  
まず店内が混みあっていて六人席が確保できなかったため、四人と二人のグループに分かれることになった。  
ちなみに内訳は葉山と綾咲で一つ、残りでもう一丁。  
これはいい。店に入った時刻が昼飯時まっただ中であったため、充分予想できた事態だ。  
問題はその次、席順だ。陣取った四人席には俺、その隣に秋田、左斜めに日野、そして、  
「………………ふんっ」  
真正面に我らが委員長、笹木貴子。イッツ予想外。つーか誰だこの配置にしたのは。  
俺が彼女に嫌われていることを知らない奴はこの中にいないはず。つまり犯人はこの中にいる!  
というわけで俺は犯人を捜すべく、慎重に容疑者達に探りを入れていく。まずは呑気にバーガーを口に運んでいる小娘からだ。  
「どしたの、しのっち? 食べないの?」  
違う。こいつはシロだ。続けて日野を見ると、何故かピースサインをしている。  
犯人は目の前にいた!  
「動機は『そっちの方が面白そうだったから』。アイアム愉快犯」  
「貴様の仕業かっ! そして心を読むなっ」  
「篠原がわかりやすいのがいけない」  
「くっ、清廉潔白・公明正大・正直三昧に生きてきたことが仇になったか」  
「うわぁ……。ここまで自分を客観視できないヒト初めて見た」  
秋田が微妙に冷たい視線を送ってきたが、それは気にしないことにする。  
取りあえず黒幕は見つかったので、すっぱりと探偵は廃業。目の前のチーズバーガーセットを攻略するとした。  
「せめて本田と松下の奴らがいれば……」  
バーガーの包みを開きながら、そんな愚痴をこぼす。  
そもそも本日遊園地に行くメンバーは女子五人に男子三人の予定だったのだ。それが野郎どもが当日にキャンセルしたため、男は俺一人に。  
両手どころか抱えるほどに花いっぱいと言えば聞こえはいいが、肩身が狭いったらありゃしない。恨むぞちくしょう。  
「ま、仕方ないんじゃない。あの二人の性格考えたら」  
「秋田、あいつらがドタキャンした理由知ってるのか?」  
ポテトを口に運びながら発した俺の問いに、秋田はきょとんと瞳を向けてくる。  
 
「あれ? しのっち聞いてないの?」  
俺が頷いたのを確認すると、秋田は一旦ジュースで唇をしめらせてから、微妙に呆れたような顔で話し始めた。  
「あー、本田ってさ、カノジョいるじゃない?」  
「ああ、知ってる。あいつはことあるごとに他人に自分の恋人の可愛さを説こうとするからな」  
「うん。ぶっちゃけあれウザイよねー」  
思い出しでもしたのか、秋田が辟易したようにため息を吐く。  
そう、本日参加予定だった本田には恋人がいる。  
では何故クリスマスイヴを彼女と過ごさず、この独り者達のイベントに参加予定だったのかというと、  
彼女のバイト先がケーキ屋だから、というのがその答えだ。  
――知り合いの店だしいつもお世話になってるから、一番の書き入れ時に休むわけにいかないの。クリスマス一緒に過ごせなくてごめんね。  
『彼女そう言うんだよオイ! な、健気だろいい娘だろぉっ!   
それで、俺がそんなに忙しいなら手伝おうかって言ったら、なんて答えたと思うよオイ篠原ぁっ』  
『知らねーって』  
『ううん大丈夫。私のことはいいから、クラスの人たちと楽しんできてよ。その代わり、ケーキが売れ残ったら全部買ってね――――って!   
なんていい娘なんだ最高の彼女だぁっっ!!』  
『お前それはきっと騙されてる!』  
回想終了。うん、同感。確かにあれはウザかった。  
「もしかしてその彼女に何かあったとか?」  
病気とか怪我とか。それなら予定をキャンセルしたのも納得がいく。  
しかし秋田は首を振り、  
「『ごめんやっぱり人手が足りないから手伝って』って言われたらしいよ」  
「やっぱあいつ騙されてないか?」  
「あ、人数は多い方がいいからって松下も連れてかれた」  
「哀れな……」  
上背もあり、がっしりとした体つきなのにどこか呑気なクラスメートの姿を思い浮かべ、俺は同情の涙を禁じ得なかった。  
「いいんじゃない。本田に『そこの客層は熟女と未亡人が多い』って吹き込まれたら、むちゃくちゃ乗り気になってたし」  
「…………あいつもあれさえなければ……」  
同年代の少女には目もくれない松下の趣味を思い出し、嘆息する。  
まぁ他人の好みをどうこう言うつもりはないが、熟女が絡むと暴走するのは何とかしてほしい。  
「つまりは奴らを今から呼び出しても無駄ってことか」  
憂鬱な気分で頬杖を突いた俺に、秋田はニカッとした笑顔を見せる。  
 
「いいじゃん、しのっち。オトメ五人を独り占め。両手に花でハーレムだよん。嬉しくない?」  
「この状況をハーレムと表現するにはかなりの抵抗があるぞ」  
「ほほう、つまり本命は一人だと」  
今まで黙々とバーガーを消化していた日野が口を出してくる。  
綾咲のことを指しているのかと思って一瞬ドキッとしたが、日野の声にそんな含みはない。  
どうやらいつもの軽口のようだ。  
「そうなんだ。で、しのっち、本命は誰なの? 綺麗な花はいっぱい咲いてるけど」  
「立てば芍薬座れば牡丹、歩く彼女は葉山由理。優雅な優奈はお嬢様。小町よお待ちよお友達?   
笹の葉さらさら、貴子に揺れて。綺麗なバラには刺がある、ひかり浴びれば色は付く。  
よりどりみどりの色とりどり。あなたのお好みどんな子のみ?   
四の五の言わずに腹をくくれよ男なら」  
「あー、こらこら待ちなさい」  
畳みかけてくる二人の勢いを手で制してから、一つ咳払い。  
腕を組んでふんぞり返り、たっぷり間を置いてから、俺は口を開いた。  
「確かにこのナチュラルダンディ篠原に憧れる君たちの気持ちはよくわかる」  
「こまち、唇にケチャップ付いてる」  
「うそっ、どこに?」  
ここにきてまさかの超絶スルーだと!? ちょっとそれはひどくないっすか?   
いいや諦めるな篠原直弥。勝負はまだ決まっていない。今こそこの世間知らずの子猫ちゃん達に俺のダンディズムを見せつけてやるときだ!  
「ヘイ、そこの礼儀知らずのベイビーちゃんよぉ」  
「違う、逆」  
「ホントだ。サンキューひかり」  
「………………」  
な、泣いてなんかないんだからっ! 悲しくなんてないんだもんねっ!  
傷ついたハートを強がりのセリフで隠しながら、心持ち猫背でもそもそとポテトを頬張る。ちくしょう、今日のポテトはやけに塩っ辛いぜ。  
目の端に浮かんだ涙をこっそり拭き取りながら、芋の食感と世間の冷たさを味わっていると、偶然にも正面に座っている女性と目が合う。  
いや、それは偶然と言うべきなのか。そもそも向かい合っているのにこれまで一度も目が合わなかったということ自体、不自然だったのだから。  
「ふんっ」  
ぷいっと擬音が聞こえてきそうなほど露骨に笹木は顔を逸らした。うーん、嫌われてるなぁ。何か悪いコトしたっけ、俺?  
いくら考えても答えは出ない。しかし、だからといってこのままでいいのだろうか。  
たかが学生されど学生、馬鹿には出来ないこの小さな社会。円滑に人生を過ごしていくためには人間関係が良好であるに越したことはない。  
俺自身笹木が嫌いなわけではないし、ここらでひとつ関係の改善を試みてみよう。せめて嫌われている理由だけでも探り出したい。  
と、いうわけでコミュニケーション開始。  
「笹木、聞きたいことがあるんだけど」  
「…………何かしら?」  
「いえごめんなさい何でもありません」  
思わず光の速度で目を逸らしてしまった。だって睨むんだもん、彼女。  
だが踏ん張れ俺、挫けるな俺。ここで挫折するのは容易いが、それでは今までと何も変わらない。  
そう、人間は日々進化していくのだ。明日への成長のため痛みに耐え、希望をこの手につかみ取れ!  
「おおー、まさかのキーコ狙いとは。しのっち頑張るぅ」  
「ツンデレスキー? むしろM?」  
好き勝手騒いでいる外野を渾身の精神力で黙殺して、笹木に再挑戦を申し込む。  
「よくバーガーショップとか来るのか?」  
いきなり『俺を嫌っている理由を教えてくれ』とは聞き難いので、まずはマイルドな話題から。  
しかし笹木からの答えはない。取り付く島もないか、どうすりゃいいんだ。  
「……………………ふぅ」  
心の中で白旗を上げる準備を始めていると、彼女がため息をひとつ吐く。  
そしてドリンクで喉を潤してから、不本意な様子がありありと見て取れる態度で、口を開いた。  
「たまに。小町やひかりと一緒の時にはよく使うけど、一人では滅多に入らないわ」  
わがままを無理矢理諭された子供のような口調だが、それでも会話には違いない。嫌いな相手だろうが質問には答えるところが笹木の律儀さを表している。  
とにもかくにも一歩前進。しかしこの空気ではこれから会話を弾ませることは難しい。というわけで助っ人を頼るとしよう。  
 
「じゃあ三人の時はいつもファーストフード?」  
救援陣に目配せすると、二人は了解と小さく頷く。  
さすがは笹木の友人、彼女の人間関係を円滑にするための協力は惜しまない――というわけではなく、面白そうだから乗っただけだろう、きっと。  
「手頃だし」  
「たまに喫茶店も行くけどね。しのっちはあんまり来ないの?」  
日野が受け、秋田が話を振ってくる。実に見事なコンビネーション。毎日仲良くお喋りに興じているのは伊達ではないということか。  
うむうむ、いい感じだ。俺は満足げに頷きながら、話題を膨らましていく。  
「来たくても来れない金銭的事情というものがあるのですよ世の中には」  
「そんなもったいぶらなくても金銭的って言ってる時点でばれてるから」  
三人の醸し出す雰囲気に少しだけ笹木の顔が和らいでる様な気がした。いや、錯覚かもしれないけどさ。でも悪い方向には行っていないだろう。  
よし、このまま軽やかな場を維持しつつ、笹木とゆっくり打ち解けていくとしよう。  
そんな決意をしながら、俺は秋田に言葉を返す。  
「まぁ贅沢と贅肉は一文字違いで紙一重だからな」  
――――瞬間、空気が凍った。  
「篠原……」  
「しのっち……言うてはならんことを」  
フライドポテト(高カロリー)を口に含んでいた日野、チーズバーガー(高カロリー)を手にした秋田の絶対零度の視線が突き刺さる。  
笹木は目を伏せたまま、無言でオレンジジュース(高カロリー)の容器を握りしめた。  
あれ? 笹木だけでなく恐ろしい勢いで女性陣の好感度が下がってますよ?   
いや、俺もあれが失言だったってとっくに気付いているんだけどね。残念ながら既に後の祭り。和やかな雰囲気は粉微塵に消し飛んでいた。  
やがて食事が再開されたが、みんな一言も喋らずまるでお通夜のようだった。  
いや、秋田だけは「明日からはおやつ禁止おやつ禁止」などとぶつぶつ呟きながらポテトを貪っているが。  
声を掛けると命が無くなりそうなので、そっとしておこう。つーかみんな、正直すまん。  
さて肝心のターゲット笹木であるが、また表情が頑ななものに戻ってしまっている。  
二人のヘルプは望めそうもないし、仕方ない、俺一人で何とかするしかないか。いや、俺のうっかり発言が原因なんだけどさ。  
「あー、笹木?」  
「…………ふんっ」  
取りあえず声を掛けてみるが、すげなく無視された。しかしこのくらいで諦めるのは早すぎるので、懲りずにアプローチを続けるとする。  
「もしもーし、笹木さーん」  
「……………………」  
「へんじがない。ただのしかばねのようだ」  
「誰がっ!」  
笹木は叫びと共に一瞬立ち上がり掛けたが、すぐに我に返って周囲の視線が集まっていることに気付くと、耳を真っ赤にしながら腰を下ろす。  
そのまま唇を噛んで、俺を思いっきり睨み付けてきた。うーむ、さっきよりも態度がきつくなっている気がする。当たり前だけど。  
つーか痛い痛い視線が痛い。  
生きた心地がしないまま、味の感じられないハンバーガーを口の中に放り込み、包装紙を手の中で丸める。  
あー、万策尽きたか。こうなった以上人間関係の改善はひとまず保留して、嫌われている理由だけでも聞いてみよう。  
「あのさ、俺って笹木に嫌われるようなことした?」  
「別に」  
直球ストレートで勝負してみるが、にべもない返事で打ち返される。ちくしょう負けるもんか。  
「せめて理由を教えてくれると助かるんだけど」  
「だから特別あなただけを嫌ってなどいません。考え過ぎじゃないかしら」  
「そんな態度で言われても説得力ナッシングですよ、おぜうさん」  
「…………っ、ち・が・い・ま・す!」  
力の限りに否定してから、笹木はもう一切喋らないというように、目と口を閉じてしまった。うーん、困った。取っかかりさえ掴めない。  
「というか今日はいつもよりキツイような……」  
普段怒られることは多いが、会話を拒否されるというのはほとんど記憶にない。  
いつの間にか笹木の俺に対する憎しみがアップしていたのだろうか。やだなぁ、それ。  
 
陰鬱な想像に気を滅入らせていると、カロリーショックから立ち直った日野がひょいっと顔を出しながら、仮説を説明する学者のように指を一本立てる。  
「駅前で篠原におなかの音を聞かれたのが恥ずかしいから、照れ隠しに怒ってるだけ」  
「なっ!」  
驚愕の声と共に、笹木は弾かれたように立ち上がった。  
蹴飛ばされた椅子が派手な音を立てて周囲の注目を集めるが、笹木はそれらを一瞥もせず、金魚のように口をぱくぱくさせている。  
どうやらそれどころじゃないらしい。  
「ばっ、ひか、ち、ちがっ、ちがうっ!」  
顔を耳まで真っ赤にしながら裏返った声で否定するが、それが無駄なのは誰の目にも明らかだった。  
日野がにやりと笑って、  
「ひょっとして、大胆図星?」  
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」  
笹木は声にならない悲鳴を上げ、更に顔を真紅に染めた。  
おいおい大丈夫か興奮しすぎると体に良くないぞ、などと的の外れたことを考えていると、笹木は突然涙混じりの双眸でキッと睨み付けてきて、  
「あっ、あなたのせいよっっ!」  
ビシィ! と指を突きつけてくる。呆気にとられて彼女の表情を眺めるだけしかできない俺に、笹木は更にエキサイト。  
「いっつも不真面目で、人のこと馬鹿にしてっ! どうせさっきのこともからかうんでしょうっ!?」  
捲したてられた中に『笹木が俺を嫌う理由』が見えた気がして、あぁなるほどと納得してしまった。身に覚えがあり過ぎるわ。  
笹木を特にからかった覚えはないのだが、根が真面目な彼女はそう受け止めてしまったのだろう。反省、これからは気を付けよう。  
「聞いているのっ、篠原っ!」  
ところでこの大魔神のお怒りをどうやって鎮めればいいんだろうか。  
現実逃避気味の思考を打ちきって、目の前の少女を見上げる。  
残念ながら俺には怒る女性を宥めるスキルが皆無なので、対応策がまったく浮かばない。  
いや、一つだけあるか。ひたすら謝るっていう悲しい選択肢だけど。でもそれしかなさそうだなぁ。  
「キーコ、それくらいにしとこ、ね?」  
と、額をすり減らす覚悟をしたところで、秋田が笹木をやんわりと抑えに掛かる。  
遅れて日野も続き、笹木の怒りがわずかだが緩んだ。おお、いいぞ頑張れふたりとも。  
二人は子供をあやすように手をひらひらさせながら、  
「ほらほら、あんまり怒るとおデコにシワ寄るよー、キーコ」  
「どうどう、あんまり怒るとおデコから湯気出るよ、キーコ」  
「まぁまぁ、あんまり怒るとデコが広がるぞ、デーコ」  
しまったつい流れに乗ってしまった!  
「ふ、うふふふふふふふ……………………」  
後悔先に立たず、時既に遅し。不穏な笑みと共に笹木が肩をぷるぷる震わせていた。  
「うわ、しのっちそれ禁句」  
「キーコ結構気にしてるのに。おデコの話題は地雷原」  
「お前らも似たようなこと言ってたろっ! つーか最初から止める気なかったな!?」  
そして――  
「し・の・ふぁ・らぁぁぁぁっっっっ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!」  
大爆発。腹の底から噴き上がる絶叫は、恥も外聞も吹き飛んだ、高純度の怒りの迸りだった。  
しかし何で俺だけ名指しで。そんな反論をする間もなく、  
「デコ言うなぁぁぁぁぁっっっっっっ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!」  
笹木が叫ぶ。  
彼女の瞳に涙がいっぱい溜められているのが見え、さすがに申し訳なくなる。  
それと同時に他人に空腹の音を聞かれたのを気にしていたり、照れ隠しに怒ったりする彼女の姿を思い出し、  
笹木をからかう秋田と日野の気持ちがちょっとだけわかるような気がした。確かにこれは楽しいかもしれない。  
「落ち着け笹木っ! デコ、じゃなかった頭を冷やせっ!」  
「うるさいうるさい覚悟しろぉ――――――っ!!」  
後のことを考えなければ、だけど。  
俺は頭をフルスピードで回転させて、笹木を宥める手段を探し――結局、大人しく心の中で十字を切った。  
 
 
 
ゲートをくぐり抜けると、最初に聞こえてきたのは子供の歓声だった。続いて底抜けに明るい音楽と、アトラクションの音。  
辺りに目をやれば笑顔を振りまく親子連れと、寄り添うカップルが視界に飛び込んでくる。  
俺達のような男女数人のグループもちらほら見かけるが、カップルの数が一番多いのは、やはりこのクリスマスイブという日のせいか。  
まぁこの遊園地の普段の客層なんて知らないから、今日が特別カップルが多いのかどうかなんてわからないわけだが。  
昔はどうだったか記憶を甦らそうとして、すぐに打ち切る。  
過去に一度だけここに来たことがあるが、子供の頃の話だ。周りのことなんて覚えちゃいないし、そもそも記憶自体があやふやな気がする。  
益体もない考えと行き交う人の流れから目を切ると、ちょうど葉山がやってくるところだった。  
これで全員、白岡シーズンランドへの入場を果たしたことになる。  
「お待たせ。それじゃ行こうか」  
葉山の言葉を合図にぞろぞろと動き出す。  
既にゲート前の話し合いで、だらだらと歩きながら気に入ったアトラクションを見つけたらそれに乗ろう、という計画性皆無の行動方針が満場一致で決定されていた。  
俺は葉山達とつかず離れずの距離を保ちながら、ゆっくりと足を進めていた。  
何故そんなことをしているのかというと、長時間女子の中に男一人だったので、気疲れした――というのは建前で、  
実は笹木の怒りがまだ完全に冷めていないからである。流石に殺気をガシガシぶつけられながら遊園地をエンジョイ出来るほど俺は神経が太くない。  
というわけで一人寂しくとぼとぼ歩く。  
前方から時折聞こえてくる笑い声に周囲の人間の、主に男性の視線が注がれる。  
そりゃそうだろう。知り合いであるという贔屓目を抜きにしても、これほど華やかな集団はなかなかない。  
その中で最も目を惹いているのは、やはり綾咲だった。  
ただそれは容姿の優劣とかそういう話ではなく、普段見かけることのないお嬢様という存在の珍しさがあるのだと思う。  
では何故初対面の人間が彼女をお嬢様だと直感するのか。もちろん綾咲の雰囲気や言葉遣いも理由の一端だけれど、それとは別の大きな要素がある。  
彼女と他の娘との決定的な違いはその佇まいだ。  
姿勢や食事の仕方はもちろん、何気ない仕草ひとつ取ってみても、綾咲のそれは洗練されている。  
恐らく幼い頃から親か、または専門の講師に徹底的に叩き込まれたのだろう。  
そんなきちんと礼儀作法を受けた人間を目にする機会など俺達一般人には滅多にない。だから興味を引かれ彼女に視線を送ってしまうのであろう。  
まぁ綾咲もいつもは道を歩くだけでここまで目を向けられることはないのだが、今回は一緒にいるメンバーにつられる形で注目度を上げているのだ。  
クリスマスの遊園地で同い年の女子が五人集合して騒いでいる。しかもみんな結構レベル高いし、そのうち一人はお嬢っぽい。そりゃみんな見るわ。  
しかしホント目立つなあいつらは。さすがに五人もいると……、  
 
「ん?」  
ひいふうみいよう、一人足りない。いつの間にか大輪の花から色がひとつ消えていた。  
あやつめ何処に行ったのやらと左右を見回していると、  
「ねぇ、しのっち」  
背後から声が掛けられる。それは捜していた人物のもので、俺は振り返らずに彼女の名を呼んだ。  
「どうした、秋田小町」  
「フルネームで呼ぶな」  
秋田小町が不満そうに口をとがらせながら、隣に並ぶ。俺は少しだけ足並みを遅くして、葉山達との距離を大きく空けた。  
それを待っていたように、秋田が口を開く。  
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」  
「何だ? 秋田こめち」  
「米言うなっ。ぶっとばすぞこんにゃろ」  
秋田は憤慨したようにふんっと鼻を鳴らすと、脇腹に一発拳を放ってきた。しかし俺は平然とそれを受け止めて、逆に勝ち誇ってやる。  
「ふはは、甘いわ温いわ効かぬわ。常に葉山の暴力の渦に晒されているこの身体、貴様ごときの攻撃など蚊に刺されたようなものよ」  
「しのっち、それ全然自慢になんないよ」  
勝利したはずなのに秋田が呆れと同情の入り交じった顔で見つめてくるのは何故だろう。悲しい気分になっているのはどうしてだろう。  
深く考えると落ち込みそうな気がしたので、すっぱり思考を切り替えて彼女を促す。  
「で、何が聞きたいって?」  
「しのっちってこういうときの立ち直りホント早いよね」  
感心しているのか馬鹿にしているのか複雑な感想を漏らしながら、秋田は自分の爪先に視線を落とした。  
「ま、いいや。ところでさ……」  
そして一旦言葉を切って、チラリと俺を見上げてその問いを発する。  
「しのっちとゆーなって、付き合ってんの?」  
「……………………は?」  
ひらがなが一文字、真っ白になった脳髄からこぼれた。  
えーと、何を仰っているのですかこの小娘は? 何を見てどのように判断してそういう結論に至ったのだ?   
いや混乱するな俺、まずは否定だ。人々には常に正しい情報を。それこそが誤解のない世界への第一歩だ。  
「いや、んなわけないって。見りゃわかるだろ?」  
あまりに意外な発言に脳がフリーズしかかっていたが、強引に再起動する。  
そして秋田に正しい事実を認識させるため諭すように返した言葉は、  
「ま、そだけどね。最近急に二人仲良くなったみたいだから一応聞いてみました」  
拍子抜けするくらいあっさりと肯定された。  
つーかそれだけか。ものは試しに聞いただけなのか。  
俺はがっくりと肩を落とし、ため息を吐く。  
もしかしたら秋田は俺の綾咲への気持ちを見抜いていて、その確証を得るためにこんな質問をしたのかと思ったが、どうやら違うらしい。  
まったく、人騒がせな奴め。  
「第一そんなことあるわけないだろうが。だってあいつは――」  
他に好きな奴がいる、と口にしかけてすんでの所で飲み込んだ。  
他人の秘密を勝手に喋るわけにもいかないだろう。反射的に別の言葉にすり替える。  
「お嬢だぞ」  
けれどそれは意識せずに発したからこその、本心かもしれなかった。  
彼女に告白しない理由。この想いを誰にも打ち明ける気がない理由。  
綾咲に好きな相手がいるというのは理由のひとつであって、全てじゃない。  
きっと俺は怖いんだろう。もし何らかの幸運で彼女の隣に立てても、釣り合いがとれるとは思えない。その事実を想像するだけでも怖いのだ。  
「しのっち、それはゆーなに失礼だよ」  
だがそんな俺の心を咎めるように、秋田が強い口調で反論してくる。  
「もしゆーながしのっちのことを好きだったとして、告白してきても、しのっちは認めないの?   
そんなの変だって、気の迷いだって言うの? お嬢様だとしのっちのことを好きになっちゃいけないんだ? 付き合うなんてあり得ないんだ?」  
普段は喜怒哀楽がはっきりしている秋田が、静かに怒っていた。こんな彼女は珍しい、というか初めてだ。本気で腹を立てているのかもしれない。  
「あー、いや。悪い」  
確かにこれは彼女が正しい。お嬢だろうと何だろうと恋をする。人を好きになる。誰だって例外じゃない。そう、誰だって。  
 
「あたしが何で怒ってるのか、わかってる?」  
秋田はまだこちらを睨んだままだったが、俺が頷きを返すと、身体から力を抜いた。そして視線を空へと外す。  
「理屈じゃないんだよ、恋って。どんなに頭で考えても、あっさり飛び越えちゃうんだから。  
好きな人のことだけで胸がいっぱいになって、周りなんか全然見えなくなるの」  
紡がれた声は、遠い記憶を揺り起こすように優しく聞こえて。  
「ゆーなだってきっと同じだよ。お嬢様でもお金持ちでも、女の子なんだから」  
柔らかい、大人びた顔で彼女は語る。その姿は普段の秋田からは想像も出来ないもので、俺は思わず彼女をまじまじと見つめてしまう。  
不躾な視線に気付いたのか、秋田はいつもの表情に戻って照れ笑いを浮かべた。  
「どしたの、しのっち? ……あ、もしかしてあたしに惚れちった? こまっちゃんの魅力にメロメロなんでしょ?」  
にししー、と秋田が歯を見せて微笑む。本音を暴露するとちょっと可愛いと思ったのだけれど、もちろん口には出さない。  
俺はダウンジャケットのポケットに手を突っ込んで、素っ気なく言い返す。  
「安心しろ。俺のときめきセンサーはピクリとも反応してない」  
「またまたぁ〜。隠さなくてもいいって。ほらほら、告白しちゃいなよ。大丈夫、冗談で流したりしないから。返事は聞いてのお楽しみだけど」  
「隠すも何もきっぱりと本心だ」  
うりうりと指でつついてくる秋田に辟易して、俺は明後日の方向を向いた。  
彼女の言葉を強い口調で否定できないのは、先程可愛いなどと心の中で認めてしまったせいか。不覚。  
「素直じゃないなぁ」  
やれやれと首を振る気配がする。  
この野郎、いい気になりやがって。このまま攻撃されっぱなしも癪だ、何か物申してやろうと俺は勢いよく振り向き、  
「でも――そうだよね。そんな簡単に素直になんかなれないよね」  
その先にあったものが、全てを霧散させた。  
耳に届いた声はいつもの彼女の、いつもの口調なのに。  
けれどその響きにはどうしようもない寂しさのようなものが混じっていて。  
「――好きって言うだけなのにね」  
その瞳は、泣き出しそうに潤んでいた。  
喉まで出かかっていた単語はバラバラに解け、もう意味をなさない。  
それでも何か言わなければならないような気がして、かすれた声で彼女の名を呼ぶ。  
「……秋田?」  
「どしたのしのっち?」  
恐る恐る掛けた声に反応した秋田の表情は、いつも通りの俺のよく知るクラスメートのものだ。  
先程まで漂っていた寂しさの気配は、まるで蜃気楼のように消えている。  
でも、見間違いじゃない……よな?  
「あ、やっと告る気になったんでしょ? よしよし、こっちはいつでもいいよ」  
「ああ、いや……違うって」  
呆けたように立ちつくす俺に秋田は苦笑を漏らして、くるっとその場で半回転。  
「もう、仕方ないなぁ。照れ屋のしのっちには、あたしへの告白は宿題ってことで」  
そしてからかい混じりの笑みと共に、ステップを踏むような足取りで、  
「それじゃ、あたし戻るね〜」  
「こら待て、宿題とか勝手に決めるな。つーか照れてねぇ」  
身を翻し葉山達の元へ駆けていく。  
我に返った俺は慌てて後ろ姿に異議を投げつけたが、却下と言わんばかりにまったく振り返らず、彼女は去っていった。  
 
「……何しに来たんだ、あいつは」  
小さくなっていく背中にぼやいて、いつの間にか止まっていた足を動かす。  
秋田の奴、まさか本当に俺と綾咲が恋人なのか確認しに来ただけなのか? そんなものわざわざ聞かなくても。  
「その前に俺と綾咲ってそんなに仲が良いように見えるか?」  
確かに最近は葉山の策略によって一緒にいることが増えたが、恋人だと誤解されるような付き合い方はしていない。  
あくまで友人の範囲内だ。実際付き合っているのか聞いてきたのは秋田が初めてだし。葉山との関係は昔からしょっちゅう疑われたけど。  
まぁ異性の友人とはそういう風に見られやすい。今回もその類だろう。  
そういえば昔、秋田とも付き合ってるのか疑われたことがあったな。  
確か以前クラスメートだった男に聞かれたんだった。もちろんそんな事実はないので否定したが。  
交友関係の広い秋田には度々そんな噂が飛び交う。相手も隣のクラスのバスケ部員からバンドをやってる一年上の先輩まで幅広い。  
ちなみに俺の場合は不可解なことに九割九分葉山が相手である。それはともかく。  
そんな秋田に特定の相手はいない。ノリの良い、悪く言えば軽いイメージに反して彼女が誰かと付き合っているという具体的な話はない。  
俺が知る限りではゼロ、流れるのはあくまで噂だけだ。  
もちろん秋田が男からの人気が低いわけではない。  
むしろ逆だ。気安くてノリも良く、顔もいい。そして適度に女の子っぽい。本気で告白された数はもしかしたら綾咲よりも上かもしれない。  
綾咲の場合、お嬢様という肩書きに目がくらんだ奴やイベント気分で告白した奴らが転校直後はかなり多かったらしいし。  
まぁ人気が高いのはいいことなのかもしれないが、当然煩わしいことも発生するようで。  
秋田本人もポツリと漏らしたことがある。  
いつの間にかカノジョ扱いされてた。そんなつもりもないし、紛らわしい素振りもしたことないのに。  
しかも周りに言いふらしてなし崩し的に事実にしようとしてるし。頭きたからみんながいる前であたしら付き合ってないよね〜って笑顔で言ってやった、と。  
そしてその後仕返しされると怖いからという理由で数日間俺は放課後になると連れ回され、時には自転車で自宅付近まで送らされたりした。  
俺と秋田との関係を尋ねられたのはこの時が原因である。  
後日調べてみると振られた男に仕返しする意志はなく、あっさり別の学校の女子にターゲットを変更したらしい。ある意味そのバイタリティは凄い。  
そういや帰る途中で寄った公園でその話をした後、秋田が俺の自転車の荷台に乗って呟いた言葉が、妙に印象に残っている。  
『ねぇしのっち、恋ってムツカシイよね』  
その時は何か適当に流したような気がする。何と答えていいのかわからなかったからだ。  
でも今になって、ふと感じたことがある。  
『――好きって言うだけなのにね』  
あいつも、もしかしたら俺と同じなのかもしれない。届かないかもしれない、だから伝えられない、臆病な恋をしているのかもしれない。  
秋田のあのときの寂しそうな表情が甦り、そんな思いが浮かぶ。  
だが全て推測の域を出ない。俺の勘違いってことも充分にあり得る。っていうかそっちの方が可能性は高いだろうな。今まで流れた有象無象の噂と同じだ。  
自分にはそう見えるからといって、それが真実であるとは限らない。  
まったく、ムツカシイ。恋も、人間も。  
考えを纏めているとすれ違ったのカップルの声が耳に届いて、何とはなしにそちらへ目を向ける。  
連れだって歩く楽しげな男女。手を繋いでいるからきっと恋人同士なのだろう。こんな感じでわかりやすければいいんだろうけど。  
しかし本当に今日はカップルが多い。クリスマスだから仕方ないんだが、しかし男一人で歩いているのを自覚してしまうと少々居心地が悪い。  
そろそろ葉山と合流するか。  
と、足を早めようとしたところで、視界の端に見覚えのある姿が引っ掛かった。  
 
赤いコートにベレー帽の少女が、土産物の屋台の前でじっと商品を覗き込んでいる。  
「綾咲?」  
周りに他の人物の姿はない。俺は小走りに駆け寄って、真剣な瞳で何かを見比べている綾咲に声を掛ける。  
「何してるんだ?」  
「あ、篠原くん」  
俺に気付いた綾咲が顔を上げ、笑みを浮かべる。その拍子に彼女の手の中で金属音が鳴った。  
音につられて視線を下げると、そこには短い銀のチェーンとプラスチック製のアクセサリーをつなげた小物が。  
「キーホルダー?」  
「はい。これ、可愛くありません?」  
綾咲から差し出されるキーホルダーを受けると、サンタの衣装を着た雪だるまが回転しながら宙を泳いだ。  
実にクリスマスらしいデザインで、女の子が喜びそうではある。  
「いいんじゃないか。ただ、年間通して使うにはちょっと季節はずれの時期が多そうだけど」  
「やはりそうでしょうか」  
頬に人差し指をあて、綾咲が迷う素振りを見せる。  
「こちらにしようかとも思ったのですけれど……」  
そう言って彼女が俺の目に見せたのは、雪の結晶の形をしたキーホルダー。  
そのキーホルダーと俺が返却した雪だるまとを示しながら、小首を傾げて尋ねてくる。  
「篠原くんならどちらにします?」  
「聞いても参考にならんだろ……。雪だるまは俺にはファンシーすぎるぞ」  
呻くように答えつつ、ついでに自分の意見も述べておく。  
「まぁこの店の中で俺が買うとしたらそいつかな。これも季節限定されそうだけど」  
チラリと店の商品を一瞥してから、綾咲の手の中にある結晶を爪でこつこつ叩いた。  
「でもそんなに高い物じゃないんだし、気に入ったのなら両方買ってもいいんじゃないか」  
「…………あっ、それもそうですね。では少し待っていていただけます?」  
彼女は一瞬の間を置いて俺の提案に賛成すると、持っていた小さなバックから小銭入れを取り出した。  
俺は綾咲が会計を済ませるまでの間、適当に店の商品を眺めながら待つことにする。  
お、あの携帯ストラップ、綾咲が買ったデザインと一緒じゃないか。どうせならキーホルダーじゃなくてストラップにしておけばよかったのに。  
「お待たせしました」  
支払いを終えた綾咲が小さな包みを大事そうにバックの中にしまって、俺の傍に並ぶ。  
「よし。そろそろ葉山達に追いつかないとな」  
「はい。そうですね」  
俺達は連れだって屋台から離れ、十字路の中心に造られている円形の花壇の前で立ち止まった。  
その横に立っている案内板からすると、このまままっすぐ大通りを進めばジェットコースターなどの人気アトラクション、  
左に行けばミラーハウスやコーヒーカップといった地味だが定番のもの、右は子供やファミリー向け、そんな区分けらしい。  
「で、綾咲。葉山達はどっちに向かったんだ?」  
「え?」  
肩越しに振り返って尋ねると、綾咲はきょとんと目を丸くしていた。  
言葉が足りなかったのだろうかと、俺は案内板を指さしたまま、彼女に向き直った。  
「合流場所決めてるんだろ? あいつらもそんなに急がなくても、買い物の間くらい待っててもいいのにな」  
「ああ、そういうことですか」  
綾咲は得心したようにポンと手を合わせると、少し言いにくそうな様子で、  
「実は私、みなさんに断ってあの場所にいたわけではないんです」  
己の罪を告白した。そして恥ずかしそうに視線を逸らして、続ける。  
「みんながお話に夢中になっているときにあのお店を見つけて、その……、少しだけのつもりだったのですけれど、つい見入ってしまいまして……」  
「……つまり合流以前に、あいつらは俺達がいないことに気付いてないと」  
「かもしれません。篠原くんは元々ずいぶん後ろを歩いていましたし、すぐには気付かないのではないかと。  
私のことは篠原くんと一緒にいると思っているでしょうし」  
「あー、だろうな」  
俺は頭を掻きながら、三つの分かれ道に目を凝らす。残念なことに見覚えのある姿はどこにもない。  
あの集団は特に目立つから、近くにいれば絶対に発見できるはずだ。ということはいまだ俺達の消失に気付いていないか、それとも、  
「あいつ、また変な気を回してるんじゃないだろうな」  
脳内に悪魔の笑みを浮かべた葉山の顔がよぎるが、すぐにそれはないだろうと思い直す。  
今日は秋田達も一緒なのだ。あまりに露骨だと察しのいい奴ら(特に日野)に一瞬で計画を見破られてしまい、後々ややこしいことになるだろう。  
秋田達もグルだという線もあるが、笹木の存在を考えると可能性は低い。悪ノリはしなさそうだし、彼女。  
それに…………そうか! あれがあったじゃないか。あれならこの状況からの脱出も可能。ついでに葉山の計略の線も消えた。  
 
「ごめんなさい。私のせいで、由理さん達とはぐれてしまって……」  
申し訳なさそうに謝る綾咲に俺は気にするなと手を振り、  
「それに打開策は既に思いついてある」  
ニヤリと笑って親指を立ててみせた。  
「打開策、ですか?」  
おうむ返しに問うた彼女に頷き、俺は先程閃いたアイデアを披露する。  
「そう、俺達には携帯電話があるじゃないか。寂しがり屋の現代人が発明した文明の利器、これを使わない手はない。  
今日も見えないところで飛ばされているあの電波が、今度は俺達の切り札となるのだ。ビバ電波」  
「電波ってあまりよくない意味を伴っているような……」  
「言葉を美しく飾ることの重要性について議論している暇はない。さぁ綾咲、飛ばせ電波を。葉山に向けて力の限りに」  
「篠原くんが連絡されるのではないのですか?」  
意外そうな表情をした綾咲に、無駄に胸を張って答える。  
「俺が携帯などという高級品を所持しているわけないだろう。そんな余裕があったら日々の食生活をもっと向上させているぞ」  
しかし彼女からあっさりと放たれた一言に、俺は全身の動きを止めざるを得なかった。  
「私も持っていませんけど」  
「………………はい?」  
瞬きを数度繰り返し、改めて綾咲を見つめる。  
その瞳に「冗談です」というからかいの色を期待していたのだが、いくら凝視してもそんなものは見つからない。  
二人ともそのままの姿勢で、しばしの沈黙が流れた。  
「………………マジ?」  
「まじです」  
ようやく捻り出した言葉は間髪入れず肯定された。再び訪れる沈黙の時。  
さて、今日の晩飯は何にしよう。昼はハンバーガーだったから、夜は節約するか。でも冬休みの始まりを祝って贅沢するのもいいかもしれない。  
何だか楽しくなってきたぞ。よーし、みんな、ガッツでいこう!  
「何故っ!?」  
現実逃避から強引に帰還して、叫ぶ。  
「この情報化社会の荒波を楽々と泳ぎ切るツールをあえて所有しないのは何故だ綾咲っ。  
信念かポリシーか俺イズムか? つーか親には持たされなかったのか?」  
「いえ、契約はしてはいるのですけど、学校以外には持ち歩かないので……」  
「携帯の意味ねぇ!」  
思わず頭を抱える。そうか今日は一回家に帰ったから携帯は置いてきたのか納得納得……してる場合じゃない。  
俺のナイスな提案は実現不可能なことがあっさりとわかってしまった。このままじゃああいつらと合流できずに、綾咲とだけで回ることに…………。  
え? 待て待て。えーと、その。  
落ち着け俺。状況を整理してみよう。  
時は12月24日。  
場所はクリスマス色に染められ、カップル渦巻く遊園地。  
そこで他の皆とはぐれ、連絡も取れない状態になって。  
「篠原くん、これからどうしましょう?」  
俺の隣には、可愛らしく小首を傾げて相談してくる綾咲がいる。  
つまり――  
「二人、きり……?」  
呆然と呟いた言葉は幸運にも俺以外の誰の耳にも届かず、宙を舞った。  
 
 
 
(後編・つづく)  
 

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