無数のパソコンに囲まれながら、十人近い白衣の人間が数多あるなかから、たった一つのモニターを覗き込んでいる。  
 画面に、ものすごい勢いでアルファベットと数字が表示されていく。一般人にはまるでわけのわからない記号の羅列は異様な緊張の中、次々とモニターを埋めていく。  
「どうだ?」  
 一人がモニターの前にある椅子に座っている男に、脇にいる男が話しかけた。  
 椅子に座っている男が、もうだいぶ短くなっているタバコを、すでに先客で一杯の灰皿に押し付けた。  
「わからん」  
 イライラを隠そうともしない無愛想な答えにも、周りの人間はほとんど反応をしめさない。  
 男の態度などよりも、今は重要なことがあるのだ。  
 事の起こりは今から三ヶ月前、自分たちの作成したアンドロイドが何物かに強奪されたことに始まる。  
 なんとか回収したものの、ボディは無残にも破壊しつくされており、大規模な修復作業が行われた。  
 幸いにも、アンドロイドは無事に元に戻った。  
 ……体だけは。  
 問題は精神、つまりアンドロイドを制御しているプログラムのほうにあった。  
 なぜかアンドロイドのデータの一部を見ることができなくなっていたのだ。  
 発見された当初は、さらわれていたときに、敵に新たなプログラムをインストールされたのかと大騒ぎになったのだが、  
複雑なプロテクトを解いて中を覗いてみると、中身は音声と映像のデータばかりだった。  
 だが、わかったのはそこまでである。  
 どんなデータかチェックしようとした瞬間。  
 アンドロイドのプログラムがシャットダウンし、外部から操作することができなくなってしまったからだ。  
 再びアンドロイドの中身を覗けるようになった頃には、以前よりも遥かに堅固な防壁にそのデータは守られて、  
データの種類すら見分けられなくなっていた。  
 様々な手段を試したものの、すべて徒労に終わってしまったのだ。  
 そして今、研究者たちが最後の手段として一週間不眠不休で作成した防壁解除プログラムの結果を待っている最中なのだった。  
 
 モニターに目を移すと、ちょうどアルファベットの羅列が止まったところである。  
 ごくりと誰かが喉を鳴らした。  
 ピーッ!  
 甲高いビープ音が作業の失敗を示した。  
「くそっ!」  
 椅子に座っていた男がテーブルを叩いた。拳のすぐ横にあった灰皿がひっくり返り、中身がぶちまけられたが誰も気にしない。  
 そこかしこで溜息が聞こえる。  
「結局、わかったことといえば、謎のデータが幸福・快感中枢と密接に繋がってるってことだけか」  
 そう、なぜか件のデータはアンドロイドの精神を司るプログラムの、幸福・快感部分にに関連付けられていたのだ。  
 自分たちの一週間が泡と消えたせいか、男たちの顔にいっせいに疲れがにじみ出る。  
 ある者の目の下には濃いくまが浮かんでいるし、また別のものは真っ赤に充血した目をしている。  
 全員に共通しているのは、脂でてかてかの顔と髪の毛だった。長い間、風呂にも入っていないのだろう。  
「なんで自分たちのつくったアンドロイドのデータが見れないんだ……」  
「俺たちよりも上手の敵のプログラマーが作ったデータならまだしも」  
「霧香自身が作ったデータとプロテクトだからなぁ……」  
 室内に満ちている澱んだ空気がますます濃くなる。  
 一人が冷め切ったコーヒーを不味そうにすすった。  
「もうこうなったら霧香本人に聞くしかないな」  
 冗談めかした言葉に、ぼんやりと天井を眺めていた一人が跳ね起きた。  
「それだ!」  
「は?」  
 
「だから霧香のことは霧香に聞けばいいんだよ」  
「そんな馬鹿な」  
 別の一人がタバコに火をつける。  
 しかし、ニコチンを摂取してみるとあながち悪い考えとも思えなくなってきた。  
「そうだな……駄目もとで聞いてみるか」  
「ああ。もし霧香本人がそのデータを認識してないなら不味いことになりかねん」  
「ウィルスの可能性もまだ捨てきれんからな」  
 やけくその人間たちは自分達の作った擬人を起動させるべく動き出した。  
 数時間後、一応のメンテナンスを終え、研究者たちは霧香を起動させた。  
 まるで眠っていた人間が目覚めたように、霧香がゆっくりと目をあける。  
 滑らかな動きで上体を起こすと、美貌のアンドロイドはぐるりとあたりを見回した。  
 いつもならここで、整備を終えた製作者たちがチェック終了を告げるはずなのに、なぜか一同は緊張した表情で自分を注視している。  
 なにも言ってこない学者たちに、霧香は問いかけた。  
「なにか異常が見つかりましたか。自分では認識できないのですが」  
 タバコをふかしていた男が答えた。  
「いや、まだそうとかぎったわけじゃないんだが」  
「どうかしたのですか?」  
「俺たちが入れていないデータがお前の中にあってな」  
 別の男が言葉を引き継ぐ。  
「そのデータの正体を確認しようとしたんだが、厳重なプロテクトがかかっていて、  
 情けないことに俺たちではその防壁を乗り越えることができなかったんだ。そこで、おまえ自身に確認しようと思ってな」  
「音声と動画データだからウィルスなんかではないと思うんだが。お前は一回敵に捕まってるから、万が一と思ったんだ」  
「まぁ本人が認識できているならウィルスの類ではないだろうし」  
 
「アドレスはわかりますか?」  
「ああ、そこから快楽・幸福中枢へのアクセスが頻繁にあるんだが……」  
 研究者の一人が、手にした書類を見ながら、謎のファイルの所在地を読み上げた。  
「それは!」  
 冷静であるべきアンドロイドの霧香が、露骨にうろたえた態度を見せたので室内の学者たちにどよめきが走った。  
 やはり最悪の事態か、との思いが皆によぎったのである。  
「どうした!? まさか?」  
「まずいぞ」  
「くそっ! 偽装ファイルだったか。急いで対策を!」  
 騒然となる人間たちを、霧香は大慌てで制止する。  
「違います。皆さん落ち着いてください。どうかご安心を、このファイルは危険なものではありません」  
「だったらなんのファイルなんだ」  
 当然の疑問が霧香に返ってくる。  
「それは……その」  
 アンドロイドらしからぬ、不明瞭な発言である。  
 製作者の命令にはかなりの高順位で従うようにプログラミングされているというのに。  
「なんだ? やはりどうもおかしいな」  
「ふむ……こうなったらやはりファイルを消去してしまうか?」  
「しかし、それはまだ早すぎるだろう。どんな影響があるかもわかっていないのに」  
「そうは言っても、やはり危険なものでないという確証は俺たちにはないんだぞ」  
「ならば……」  
 
 会話の流れが好ましくないほうへ流れているのを察して、霧香は小さく溜息をついた。  
「みなさん」  
 呼びかけにこたえて、学者たちが一斉に霧香を見つめた。  
 その表情からは感情は窺えない。  
「みなさんが問題にされているファイルは……」  
 白衣の男たちに緊張が走る。  
「吉村少尉の音声、動画データです」  
 憮然とした表情の霧香。  
 だが、男たちはそれにはかまわず、顔を見合わせた。  
「誰だそれ?」  
「さぁ」  
「ちょっと待て、聞き覚えがあるが……」  
「ああ! 霧香のテストをしている部隊の」  
「隊長か」  
「でもどうしてそんなものを厳重にガードする必要がある」  
「……わかった! 例のデータがらみだよ」  
「例のデータってなんだ」  
「もう忘れたのか。アンドロイドが恋をするのかというあれだ」  
「そうか!」  
「アンドロイドでも女は女なんだな」  
「おい、お前らだけで納得してないで、俺にも教えてくれ」  
「さっしの悪いやつだな。ようするにだ、好きな相手を見たり、声を聞いたりすると嬉しくなって幸せだろ。それと同じだよ」  
「それはわかるが、なんであんな頑丈な防壁がいるんだよ」  
「バカかお前は乙女心がわからんのか。いや人としてだな」  
「俺のことはどうでもいいから、早く先を話せ」  
「いいか、考えてみろ。自分の好きな相手のことを書いた日記をお前は見られても平気なのか」  
 
 遠慮のない会話が、自分の周りで交わされているのを聞きながら、霧香はただじっと耐えていた。  
 心なしか、その顔は赤くなっているようだった。  
 指先も小刻みに震えている。  
「異常ではないことがおわかりいただけたでしょうか」  
 霧香はつとめて平静を装っているが、わずかに声が乱れていた。  
「わかった。検査の結果異常はなしだ。明日から原隊に復帰してくれ」  
「了解しました」  
 背後に聞こえる自分についての討論をできる限り聞かないようにして、いつもより足早に部屋を出て行くと、廊下に誰もいないのを確認してから、霧香は頭をかきむしった。  
 わが製作者ながら、あのデリカシーのなさにははらわたが煮えくり返るようだ。  
 それでも、再び吉村少尉と過ごせることを思うと、気分が晴れやかになる。  
 霧香は部隊に復帰する準備のために、足を踏み出した。  
 愛しい人のデータを脳裏に再生しながら。  
 

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