フロミアのヒト居住区は、この時期大いに活気づいている。  
 この中で生活しているヒトの数は約八百人。かき集められた「落ちもの」たちに加え、この街で「落ちもの」どうしを交配させられて生まれた二世世代もいる。  
 もともと、この街はヒトを「養殖」し、商品として売るために作られた。  
 十分な教育と衣食住を与えられてはいるものの、所詮、この街のヒトは「ヒト牧場の家畜」に過ぎない。  
 監視は厳重であり、自由も制限されている。  
 けっして、そこは「ヒトの楽園」ではない。  
 
 だが、この時期は別だ。  
 年に何度か開かれる、フロミアを挙げての祭り。  
 いまはフロミアの秋祭り、通称フロミアフェスタが盛大に開かれている。  
 もともとは、交配させ、妊娠させたヒトの女性が、圧迫感による精神的不安定のため欝状態となり、胎児に影響を与えることへの対策としてはじまったのがこの街の祭りの由来だった。  
 が、回を重ねるたびに、落ちものたちの世界の文化を取り入れるようになり、いつの間にか監視していたはずのカモシカの兵士までもが一体となって祭りに参加するようになってしまう。  
 そしていまでは、このような街を挙げての一大イベントとなっていた。  
 
「……すごいな」  
 場違いな軍服姿のイヌのマダラが、街中に張り巡らされた万国旗を見上げて口にする。  
(シゲルの世界の国家の旗ね)  
 そう、語りかけてくるエルシア。  
──ああ。まさか、この世界で万国旗を見るなんて想像もしなかった。  
(感動してる?)  
──ああ。  
 シゲルが、この世界に落ちてからもう五年近くになる。  
 その間、色々なことがあったが、まさかこの世界で万国旗を見る日が来るとは思わなかった。  
(嬉しそうね、シゲル)  
──そりゃあ……な。  
(中に入りましょう。懐かしいものがあるかもしれないわよ)  
──そうだな。  
 花火が上がり、どこからか音楽が聞こえる。  
 妙に浮き足立つような気分で、街の門をくぐった。  
 
──すごいな……  
 きょろきょろと、まるで子供のように周囲を見回すシゲル。  
 屋台、縁日、幟。  
 かつてシゲルがいた世界の祭りが、そっくりそのまま目の前にある。  
(ふふっ。シゲル、子供みたいよ)  
──い、いいじゃないかっ。  
 そういいながら、きょろきょろと周りを見回しながら歩く。  
 ……が、そんな中で否応なく気づかされること。  
 それまで楽しそうに祭りを楽しんでいたヒトたちが、シゲルがくるのを見ると、どこか動きが硬くなる。  
 カモシカの兵士たちも、それまでは楽しそうにしていたのが、シゲルを見るなり、その場で直立し、敬礼をして「警備、異常ありませんっ!」と、言ってくる。  
「……そうか。うん、ならいいんだ。みんなも楽しんでくれ」  
「わかりました」  
 祭りに入れない疎外感のような気持ち。こればかりは、いまさらどうにもならないのかもしれない。  
(寂しい?)  
──いや。祭りが平穏に行われるなら、それでいいじゃないか。  
 そういいながらも、やはり寂しいのは寂しい。  
 そんな時、ふと子供たちが屋台の一つに群がっているのを見た。  
 
「何をしてるんだい?」  
 そう、声をかけてみる。  
「っ……」  
 突然現れたイヌの軍人に、驚き、怖れを含んだ目を向ける。  
「いや、怖がらなくてもいい。ちょっと興味を持っただけだから」  
 そういいながら、子供たちが集まっていた水槽を見る。  
 小さな金魚が、たくさん泳いでいた。  
「金魚すくいか。……こっちでも、金魚っているんだな」  
「その、正式のルートで輸入してきたもので、私はなんら……」  
 言い訳を始める店主。  
「いや、そういう意味で言ったんじゃないんだ。子供の頃、よく遊んだんだよ」  
 そういいながら、出来るだけ柔らかく笑う。  
「少し遊びたいけど、一回いくらだい?」  
「ひ、100センタです」  
「そうか。じゃあ、ひさしぶりにやってみようかな」  
 そういいながら、モナカの網を受け取る。  
(シゲル、大丈夫なの?)  
──なーに、こう見えて、金魚すくいは昔から……  
 
 ぽちゃ。  
 
「…………」  
「…………」  
「わ、わるい、もう一回だ! ええと、100センタだったよな!」  
(シゲル……)  
──い、今のは練習だっ! 今度は本気で……  
(練習以前のレベルだと思うけど……)  
──こ、弘法も木から落ちるって言うだろ!  
(どんなお坊さんよ……)  
 
 五分後。  
「…………」  
「…………」  
(シゲル……もう八枚目よ)  
「お、おかしいな、腕がなまったかな……」  
(腕とか言うレベルの下手さじゃないと思うけど……)  
──ら、ライズアップすればなんとか……  
(やめてよ、みっともない!)  
「ぷっ」  
 後ろから、笑い声が聞こえた。  
「お兄ちゃん、下手すぎ〜」  
「かっこわるぅ」  
「かしてよ、ほらぁ」  
「こ、こら、おまえたちっ!」  
 店の主人が、あわてて子供たちを叱る。  
「いや、いいんだ。それより……」  
 子供たちに取り囲まれて、ふっと笑う。  
「ごめん、教えてくれる?」  
「ん〜。タダじゃ教えられないなぁ」  
 腕組みして、得意満面の子供たち。  
 
「じゃあ、なにか買ってあげるから、どう?」  
「ほんと?」  
「じゃあオレ、あそこのたこ焼き!」  
「ぼく、とうもろこし!」  
「アイスクリーム、三つ乗ってるやつ!」  
「よーしわかった、まとめて買ってやる!」  
 いいながら、三人の子供をまとめて抱え上げる。  
「うっわー、お兄ちゃん力持ち!」  
「すごいすごい〜っ!」  
 肩の上ではしゃぐ子供たち。  
「さあ、約束だぞ。あとでじっくり教えてもらうからなっ!」  
「うんっ!」  
(ふふっ。シゲル、楽しそうね)  
──そうだな。子供はいいな。  
 
 リクエスト通りのたこ焼きとアイスクリームととうもろこしを買ってやってから、金魚すくいの屋台に戻る。  
「……ちがうちがう、網は横から入れるんだよ」  
「動きがめちゃくちゃだよぉ。もっと丁寧にしなきゃすぐ破れちゃうよ」  
「大きいの狙わないで、小さいのを狙うんだよ」  
「よ、よし、こうか……」  
 全身全霊で集中して、網をうごかす。  
 
 ひょい。  
 
 小さい金魚が、最中の上で跳ねていた。  
「いよっしゃあっ!」  
 子供のように、左手でガッツポーズするシゲル。  
「そーだよ、それでいいんだよ!」  
 後ろで子供たちがはしゃいでいる。  
「よおし、コツはつかめてきたぞぉ!」  
 軍服姿のまま、水槽とにらめっこするシゲル。かなり大人気ない……と言うよりは恥ずかしい光景かもしれないが、気にならない。  
 
 すっ。  
 
 少し大きな金魚が二匹。  
「やったあっ!」  
 自分のことのように喜ぶ子供たち。  
「よおし、この調子でガンガンいくぞおっ!」  
 
 結局、20匹くらい掬った。  
「よし、こんなものかな」  
「お兄ちゃん、頑張ったじゃない」  
「よくできましただねっ」  
「はは……君たちのおかげだな。ありがとう」  
「うんっ」  
「じゃあ、俺はもう少しあちこち見てるから、君たちも元気でな」  
 そういいながら、立ち上がる。  
「ばいばーい!」  
 笑顔で手を振る子供たち。  
 いつの間にか、シゲルも笑っていた。  
 
 
──いろんなものがあるな。  
(イカ焼きにたこ焼き、りんごあめ……)  
──たいしたものだ。全部、この国じゃあ手に入らないものだろう?  
(そうね。イカとタコは透河を通しての魚の国との交易で手に入れたものね。りんごはネコの国から手に入れたのかな)  
 万国旗と楽しい音楽の流れる中に並ぶたくさんの屋台を見ながら、エルシアと話す。  
──シュバルツカッツェのバザーならともかく、この山の上でこれだけのものを揃えるとなると相当な労力が必要だろうに。  
(リュナ・ルークス卿の力よ。年齢だけならシゲルと大して変わらないのに、たいしたものね)  
──そういう方面で俺とくらべないでくれ。  
(あら、もしかして拗ねちゃってる?)  
 からかうように、そう尋ねてくるエルシア。  
──ぅるさぃ。  
(ふふっ、シゲルのそーいうとこ、可愛い)  
──と、とにかく、今日は休日なんだからそういう話はやめよう。  
(くすっ、それもそうね)  
 
 カモシカとヒトばかりかと思っていたが、歩いていると意外といろんな種族がいる。  
──金のあるところ、ネコはいるんだな。  
 向こうの屋台。ボードゲームらしきものやカードゲームらしきもの、パズルのようなもの、精巧な人形やら玩具が所狭しと並べられている。  
(玩具産業はさすがにネコの独壇場ね。他の国はそんなものに生産活動を費やす余力はないわ)  
──生活に直接の役に立たないものほど、よく売れるものなんだな。  
(それもそうね。この国じゃ、あんなのは売ってないから、みんな目を輝かせてる)  
 目を輝かせていた子供たちのうちの何人かが、集まって相談している。  
 やがて、お小遣いをかき集めて、何かボードゲームのようなものを買っていた。  
 そして、みんなではしゃぎながら人ごみに消えていった。  
──どこの世界も、ああいうのは変わらないな。  
(シゲルも、ああだったの?)  
──そうだな。正直、ルーレットで駒を進めながらお金を貯めるだけの単純なゲームだし、しかもそのとき売ってたのは最新版ですらなかったんだけど、みんなで買った時は楽しくて。遊びすぎて壊れるまで、何年も遊んだものさ。  
(いい商売かもね)  
──まあ、在庫処分みたいな代物でも結構な値で売れるからな。長旅をするくらいの価値はあるんじゃないのか。  
 そう話しながら、露店の前を通り過ぎようとして気付いた。  
「NECO……って、これ偽物じゃねえよな?」  
 いいながら、玩具の一個を手に取り、マークとシリアルナンバーを確認する。  
「どうにゃ?」  
 自信満々のネコ女性。  
「正真正銘、シュバルツカッツェから持ち込んできた、最新版の本物ばかりにゃ」  
「……って、何で天下のネコイの人間がこんな場末の街で行商してるんだよ!」  
 猫井エンターテイメントカンパニー・オフィシャル、略してNECOマーク。  
 擬装防止のために幾多の魔洸技術が施され、偽造不可能、世界で最も無駄な最先端技術と呼ばれていたり。  
 それがついている物を売れるのは限られている。  
「場末とは失礼にゃ。この街はまだまだ伸びるにゃよ」  
「伸びるも何も、祭りが終われば人間牧場じゃねえか」  
 シゲルがわざとそう言うと、ネコ女はちっちっと指を横に振る。  
「だからイヌは駄目なんだにゃ」  
「駄目……って、何が駄目なんだよ」  
「それは企業秘密にゃ」  
「…………」  
 
(シゲル)  
──何だ?  
(猫井総研は案外見る目があるわ。ここは、ある意味宝の山よ)  
──どういうことだ?  
(秘密。急がないから、ゆっくり考えてみることね)  
「そういうことにゃ」  
 うんうんとうなづくネコ女性。  
「まあ、急がないからゆっくり考えてみるにゃ」  
「……ってお前、その……何かこう、見えないものが見えたりするのか?」  
「うんにゃ、見えにゃいにゃ。でもおまえは考えてることが顔に出るにゃ」  
「…………」  
「商売人から見れば、まだまだ甘いにゃ。そんなことじゃ、すぐに食い物にされるにゃよ」  
「……余計なお世話だ……って、なんでこんなモノまで並べてるんだよ!」  
 振動しながらぐねぐねと蠢く、黒光りするゴムの棒。しっかりとNECOマークも入っている。  
「ん? それも立派なおもちゃにゃ」  
「子供に売るオモチャじゃないだろう!」  
「じゃあ、お前が買うかにゃ?」  
「買うかっ!」  
(シゲル……そういう趣味があったの?)  
「あるかっ!」  
 思わず、口に出して怒鳴る。  
「いま、誰に言ったにゃ?」  
「あ……」  
 組んだ両手の上にあごを乗せて、上目遣いにシゲルを見るネコ女。  
「だ・か・ら、イヌは甘いにゃ」  
(シゲル……ごめん)  
──いや、こっちも脇が甘かった……  
「さあ、無駄話はここまでにゃ。商売の邪魔にゃよ」  
「安心しろ、二度と近づかねえよっ!」  
(シゲル……それじゃ三流チンピラの負け惜しみよ)  
──う、うるさいっ……  
 
 少し離れた広場で、シルクハットにタキシード姿の兎の大道芸人がさまざまなショーを見せている。  
 魔法を使っているらしく、沢山の玉とナイフが物理的にありえない動きをしている。  
 その向こうでは、ネコの楽団がストリートライブを行い、曲に合わせて蛇の女性が露出の高い衣装でダンスを踊っている。  
──こんな山の中の、さほど大きくもない街の祭りにこんなにいろいろな種族が来るなんて。  
 正直、驚くしかない。  
(フロミアフェスタも、十年を超えて行われているうちに少しづつ規模も大きくなってきたけど、やっぱり先立つものがないと人は来ないわ)  
──金、か。  
(そう。この祭りを、本気で楽しく華やかなものにしようとしている証拠ね)  
──確かに、歩くだけで気分が浮いてくるみたいだ。  
(でも、そのために必要なお金を工面したのが誰かはわかる?)  
 エルシアの問い。少し考えてから、答える。  
──リュナ・ルークス……か?  
(正解。フロミアに対しては、彼が少なからぬ尽力をしているわ)  
──なぜ……だ?  
(わからない。たんなるお人よしのボランティアかもしれないけど、そうじゃないかもしれない)  
──そうじゃない、というと……  
(ヒトの文化。異世界の文化というものは、やり方しだいで立派な観光資源になるわ。ああやって、他国の商人や芸人を呼び寄せることで、口コミで広がることも考えているはず)  
──なるほどな。  
 ヒトとして生まれ育ったシゲルには懐かしさが先立つが、この世界の住人からすれば、紛れもなく新鮮な異文化なのだろう。  
(ヒトを、奴隷とか愛玩動物とか、自分たちより下の存在とみなしている限りは出てこない発想ね。ヒトを、独自の文化を持つ対等の存在と認識していないと、その文化を理解することも、利用することも思いつかない。……そもそも、文化の存在自体を認めない)  
 他民族を征圧することは、まずその文化を破壊することからはじまる。被制服民の文化を破壊し、新たな自らの文化を強要する。そうすることで、被征服民は心のアイデンティティーを失い、反抗の意欲を喪失する。  
 征服、あるいは抑圧の手段は、どんな世界でも古今を問わず良く似ている。  
(特に、お祭りなんてのは、数がいないと行えないから。その点において、ヒトだけで800人が住むこのフロミアは大きいわ。……こればかりは、ネコの国がいくらお金と技術をつぎ込んでもすぐには追いつけない)  
──集めるだけじゃどうにもならないからな。住人に一体感、連帯感がないとどんなイベントも、所詮は見せ掛けだけで終わる。  
(そういうこと)  
──だが問題は、交通の便だな。  
(そうね)  
 通りを埋め尽くすヒト。  
 ふと、ここが異世界であることを忘れそうになる。  
「……祭りっていいな」  
 おもわず、思いが声に出る。  
(そうね。特にここの場合、ふだん抑圧されているエネルギーが、この時に一気に爆発する。普段は、不自由な生活を強いられているけど、年に数度、その鬱屈を晴らす場があれば、溜め込まれたエネルギーはそこに集中する)  
──そうだな。エネルギーと活気。祭りってそういうものだから。  
(……だけど)  
 ふと、暗い声になるエルシア。  
──なんだ?  
(そのエネルギーが別の方向に向けられる危険性とも隣り合わせなのよ)  
──別の方向?  
(知ってると思うけど、リュナ・ルークス卿は、ヒトの歴史を学んだことがあるわ)  
──そうだったな。  
 王弟派の有力者にして、エグゼクターズ屈指の戦士。そして、シゲルにとってはその任務上、決して避けては通れない相手──リュナ・ルークス。  
 その行動パターンや発言の記録を分析したとき、ヒトの世界の知識が少なからず反映されていることに気付かされる。  
(シゲルには言うまでもないことだと思うけど、ヒトの歴史上、きわめて少数の侵略者が圧倒的多数の先住民を打ち破って支配下に納めたことは何度もある)  
──まあな。だけどそれは魔法がない世界の話だろう。  
 インカとスペイン。モンゴルと中華帝国。源氏と平家。市民革命。  
 侵略者と一口にはまとめられないが、少数勢力や弱小勢力が多数派、強者を打ち破った例は何度もある。  
 しかしそれは、同じヒト同士で戦った場合のこと。  
 魔法と言う絶対的な存在がある場合において、それは通用しない。  
──いや。  
 カモシカの民は、魔法を使えない。  
 その点において、他の獣人よりも劣る。  
(リュナ・ルークス卿はヒトに対してかなりの優遇を見せているけど、その半面でヒトを怖れていると思うわ)  
──ヒトを……怖れる?  
 この世界で五年近く過ごしてきたシゲルにとって、とても信じられない言葉。  
(ヒトを、物とか家畜と言う概念から切り離し、一つの知的生命体として見た時に、そしてヒトの歴史を学んだとき、ルークス卿はヒトの底力に気付いたはず)  
──ヒトの、底力……  
(文化を知ることで、さらにヒトというものを知ろうとしているのかもしれない。……いつか、ヒトが刃を向ける時を見越して)  
──そうはいってもな。コルテスとかチンギスハーンならともかく、落ちてきたのはぬくぬくと育った現代日本の奴らだぜ。  
(ぬくぬくと育ったゲンダイニホンの子供が、いつのまにかGARMの第一線で働いているわね)  
──いや、そうは言ってもな……  
 正直、シゲルには過大評価としか思えない。  
(ふふ、重い話しちゃったわね。確かに、今のフロミアのように、こうして平和で、一定以上の衣食住を確実に保障された生活があることの方が幸せと思うのが普通かもしれないわね)  
──いや、重いというか……  
(せっかくの休日、楽しまなきゃ損よね。今のはそんなに真剣に考えないで)  
──ああ……そうだな。  
 考えてみたところで、だからどうなるというものでもない。  
 現実として、この世界で生きているヒトはただの最下層民。  
 どう算盤を弾いたところで、ヒトがコンキスタドールになる可能性はない。  
「…………」  
 いや。  
 本当にそうだろうか。  
 
──この街の住人は。  
(何?)  
──確か、一定年齢になると各地に売られて行くんだったな。  
(能力、容姿、忠誠心などを考えて選抜はされるけどね。闇ルートを通じて、全世界に運ばれる。中には、かなりの有力者や名士に売られることもあるわ)  
──うまくすれば、一兵も使わずに国を操れる。  
(そうね。有力者の寵愛を利用すれば、一兵も使わずに他国の政治や経済を自在に壟断できるわ。圧倒的に無力な存在は、それゆえに他者を無防備にする。そして、無防備な相手ほどくみし易いものはないわ)  
──ネコの国のような圧倒的な経済力。あるいはGARMのような強大な工作機関。そういった強大な力を持たずとも、他国を内部から操ることが出来るのならば、戦わずして力を持つことが出来る。  
(ええ。この国の前の王様は、それを本気で考えていたみたい。……いつの間にか、国境をフリーパスで越えられる正規軍を手に入れた。銃火器をかき集め、軍の急速な近代化を推し進めた)  
──だから、五局が動いたのか。  
 数年前。国王の突然の死。その陰で誰が動いたか、シゲルは知っている。  
(そうよ)  
──なんというか、考えると気が滅入るな。  
(だから、真剣に考えないでって言ったのよ。せっかくのお祭りを楽しめないなんてもったいないじゃない)  
──そうだな。  
 無理に、笑顔を作る。  
「よし、もう少し縁日を見て回るか」  
(賛成)  
 少し弾んだような声で、エルシアが同意した。  
 
 露店が立ち並ぶ大通りの中で、遠くから掛け声が聞こえてくる。  
 前方に目をやると、遠くに山車のようなものが見えた。  
──こんなものまで作ったのか。  
(あれ、何……?)  
──山車って言って、御神輿の大きな奴。祭りになると太鼓を叩きながら大通りでアレを引き回すんだ。  
(おみこしって?)  
──ああ、おみこしってのは……ええと、とにかくアレを見ればわかるな。見に行こうか。  
(いいわよ)  
 
 太鼓と鐘が鳴り響き、掛け声が轟く。  
 高さ10メートルはありそうな大きな山車が、3台並んで近づいてくる。  
 山車の上では、鉢巻に法被姿のヒトの男が数人、汗を散らせながら太鼓を叩いている。  
 下で山車を動かしているのは30人以上。ヒトだけでなく、カモシカの男も一緒になって、あまり似合わない法被姿で山車を練りまわしている。  
「ぃやっせー、さーこぃ!」  
 奇妙な掛け声の中、純和風の山車が眼前を通り過ぎる。  
 次の山車との間を、花笠に和服のヒトの女性が、笛と三味線の音色に合わせて踊る。  
 有名な踊りだったと思うが、シゲルはそれがどこの祭りだったのか思い出せない。  
──向こうにいた頃は、伝統芸能とか無頓着だったからなぁ……  
(駄目よ、そんなの。ちゃんと受け継がれてきたものは次代に伝えなきゃ)  
 エルシアが叱る。  
──悪い。  
 外部から眺める立場にならないと、案外、自分たちの中の大切なものは見つからないのかもしれない。  
 鐘、三味線、唄、鼓。  
 どの音色も、もうずいぶん長く聴いていない。  
(どう、シゲル? 感動して泣きそうなんじゃないの?)  
──どうかな。むしろ……  
(むしろ?)  
──心が浮いてくる。これだけのヒトが、この地にいて、そしてこれだけの観衆の中でこれだけのエネルギーを発散している。泣くどころか、正直むちゃくちゃ嬉しいんだ。  
(ふふ……シゲルは、一人じゃないものね)  
──そうだな。俺には、エルシアもいるし、みんなもいる。そして、この世界にもこれだけのヒトがいるんだ。  
 踊りの連が終わり、二台目の山車が通る。  
(これ……さっきのよりも大きいわね)  
 一台目の山車と異なり、武者姿の大きな人形がいくつも乗っている。  
 鐘と太鼓の音色も、一台目よりさらに勇壮なものになっている。  
(ダイナミックね……)  
──人間牧場と言う認識は改めなきゃならないかもしれないな。これだけのものを作らせ、一体となって動かすというのは、ヒトとカモシカにそれなりの信頼関係がないとできない。  
(私たちがフロミアのような場所を作ったとして、これだけの一体感をもつまでにどれだけの時間がかかるかしら……)  
──イヌの国の場合……まず予算的に無理な気もするが……  
(もうっ、夢のないこと言わない!)  
──わ、悪い……  
 
 二台目の山車が抜けた後には、豆絞りを巻いた男衆のやはり勇壮な踊りが続く。  
(舞踊は各地の伝統を色濃く示すの。衣装などは狐の国が近いけど、狐の国の舞踊には、こんな勇壮な男だけの踊りはないわね。むしろ、草原の遊牧国家郡のダンスに近い)  
──よく知ってるな。  
(これでも、民俗学も勉強してたのよ)  
──へぇ。  
(他国のことを知るには、とりあえずその国の歌と祭りを知るの。それは少なからず、民族性を反映させているから)  
──そうなんだ。これなんかどう?  
(……そんなに急に聞かれても、まだわからないわ。歌や踊りは民族性を反映するけど、全てが反映されているとは限らないもの)  
──まあ、そりゃそうか。  
(それに、さっきも言ったでしょう。いま、そんなことを考えるのは野暮よ)  
──だな。  
 周囲の観客たちは、我を忘れて踊りと山車に魅入っている。  
 ヒトの文化と言うものに対する新鮮な興味と、やはり祭り自体の持つエネルギーのせいだろう。  
 確かに、目の前で繰り広げられるものを素直に楽しまないのは、野暮と言うものかもしれなかった。  
(もうすぐ三台目が来るね)  
──アレ……だな。なるほど、一台一台趣向を変えてあるんだ。  
 三代目の山車は、金銀に花を贅沢に使った絢爛な山車。  
 大陸随一の金銀産出国の強みというべきだろうか。  
 もちろん、金銀の価値と言うものは錬金術の完成以来、大暴落している。  
 しかしそれでも、金銀のちりばめられた山車は見ていて華やかで、輝きには見るものを圧倒する力がある。  
(贅沢な山車ね。あの山車一台で、ル・ガルの貧民街の人たちが何人ちゃんとした食事を取れるかしら)  
 少し怒ったような口調。  
──そいつは政治家が悪いだろう。国民が食うや食わずの生活をしている時に、軍事費だけ湯水のごとく使ってる奴が人の上に立つなんて、なにかが根本的に間違ってる。  
(……反論は出来ないけど、それをはっきりと口にできるのはシゲルがイヌじゃないからよ)  
 少しだけ辛そうな声。  
──あ、いや……悪かった。  
(生きていくためには、力は必要なの。そうでなかったら、私たちは今の生活さえ出来なくなるから)  
──世知辛いものだな。  
 話しているうちに、眼前を絢爛な山車が通る。  
 乗っているヒトも、派手な着物を着て、観客に花を投げている。  
(華やかで大掛かりなお祭りを行うことで、この街のヒトは抑圧から解放されているけど、イヌの貧民層は、お祭りなんて一度も知らないまま、何の幸せも知らないまま死ぬのも少なくないのよ)  
──ヒトは、こんな状況下でもまだ恵まれてる、と言うべきなのかな。  
(すべてがそうだ、とは言い切れないけどね。やっぱり、人間以下の存在、奴隷としてひどい目に合っているヒトがいるのは事実。こんなお祭りを知らないまま死んでしまうヒトもいるはず)  
 エルシアは話し続ける。  
(フロミアのヒトは商品だから、売り物だから丁寧に扱われているという側面も確かにあるわ。だけど、それだけならどんなに丁寧に扱われていてもきっと気付く)  
──そうだな。心のない丁寧さはやっぱり気付く。  
(この活気は作られたものじゃないわ。普段はどうあれ、確かに、今のこの祭りの瞬間だけは、確かに、ヒトとカモシカの民は公平な存在になっている)  
──いや、それだけじゃないな。  
(え?)  
 シゲルの言葉に、驚いたような感情を見せるエルシア。  
──この瞬間だけは、全ての種族が公平な存在になっている。観客も踊り手も、関係なく一つになっていると思う。  
(……そうね)  
──ヒトの世界では、祭りって、もともとは神とヒトが一つになるための儀式だったんだ。その名残かもしれないな。  
(そう……かもね)  
──俺の故郷だと、祭りの最後には総踊りがあるはずなんだが。  
(総踊り?)  
──祭りの参加者全員が、観客も踊り子も巫女さんも坊さんも、みんな関係なく一緒に踊り狂う。最後の最後に、みんなが一つになって夜の夜中まで踊り明かすんだ。  
(へぇ……素敵ね)  
──この祭りにも、それがあればいいんだがな。  
 
 そう、話していたとき。  
「うわあああああああっ!!」  
 とつぜん、離れた場所から悲鳴が聞こえた。  
──何だっ!?  
(これって……?)  
 一瞬感じた、奇妙な違和感。  
──見に行くぞ、エルシア!  
(うんっ!)  
 
 人ごみを抜け、声の方角に走る。  
 絶え間のない悲鳴、そして逃げ惑う人々。  
 やがて、声の聞こえる場所に来たとき、シゲルは息を呑んだ。  
──これはっ!?  
(まさか……)  
 黒い、虚無。  
 辺りのものを手当たり次第に飲み込む、時空の裂け目。  
──なぜ、こんなところに!  
 驚きを隠せないシゲルとは対照的に、小さくつぶやくエルシア。  
(……ヒトが、呼んだの?)  
──どういうことだ?  
(ヒトは、この世界にはいなかった存在。それが、これだけ大量に集まり、これだけのエネルギーを放出している。ベリルの言った仮設で言えば……世界の許容量を超えたのかも)  
──冗談じゃない!  
(シゲル?)  
──それじゃあ、俺たちはこの世界で、ただ集まることさえ出来ないのか? 笑ったり喜んだり、活気を持ったりしちゃいけないのか?  
(シゲル……)  
──ここまできて……  
 すぅと、無言で腰の剣を抜く。  
──俺は認めない。認めてたまるか……  
「エルシア……やるぞ」  
 声に出して、そう呼びかける。  
(戦うの?)  
「ああ。世界のひずみだかなんだか知らないけど、そんな手前勝手な理由で、この街をぶち壊されてたまるか」  
(俺たち?)  
「ああ。ヒトも獣人もない、みんなが一つになったときに……あんなワケの分からないやつにしゃしゃり出てこられてたまるかっ!」  
 言いながら、身体は駆け出している。  
 魔剣を、身体の前面に構え、そして叫ぶ。  
「ライズアップ!」  
 
 腕にから全身へと絡みつき、広がる魔法文字の螺旋。  
 全身を覆う蒼白い炎。  
 具現化する“魔犬”の本来の姿。  
 手にした黒い刃に輝く、銀色の魔法文字。  
 全てが、一瞬の出来事。  
 虚無の真横を駆け抜けながら、剣を薙いだ。  
 袈裟斬りに一閃。  
 振り向きざま、燕返しにもう一閃。   
 そして、横薙ぎにもう一閃して抜ける。  
 
 駆け抜けた後に、虚無に振り向く。  
 六つに割られた虚無が、小さくなりながら再生する。  
 それが、つながりきるよりさらに早く。  
 背後から一気に近づき、さらに一閃。  
 衛兵たちが、近くの人たちを避難させている。  
 ここで食い止めれば、被害は最小化させられるだろう。  
 
 魔素が、接近するたびに吸い取られる。  
──かまわない。  
 あらゆる攻撃を吸収し、無力化する“虚無”を崩壊させるには、方法は二つ。  
 吸収しきれないほどの圧倒的なエネルギーを叩き込み、自壊させるか、そうでなければ『消除』のエンチャントでひたすら削るしかない。  
 以前、戦場跡でであった“虚無”よりも、一回り大きい。  
 そして、あのときのようにそれを自壊させるほど膨大なエネルギーは、見当たりそうにない。  
 そうなると、戦い方はどうしても限られる。  
   
 接近し、すばやく剣を奮い、そして離れる。  
 距離をとり、魔素を急速吸収して、再び近づいて斬る。  
 とはいえ、不利な戦法であることに違いはない。  
 接近することで吸収される魔素の多さに比べ『消除』のエンチャントで削れる量はあまりに少ない。  
──このままだとマズいな。  
(そうね。近づけるのも、あと数回が限度よ。最悪の場合、シゲル自身が飲み込まれる)  
──どうすればいい……?  
(……ごめん。方法が思いつかない)  
──仕方ないか。地道に削るしかなさそうだ。  
 再び、剣を構えなおしたとき。  
「……たす……けて」  
 小さな声。  
 虚無の中から、声が聞こえた。  
 そして、小さな手と恐怖に引きつったヒトの顔。  
──まさかっ!  
 考えるより早く、身体が動いていた。  
 左手に魔剣を持ち替え、逆手に握って地面に突き立てる。  
 それを支えに、右手を伸ばす。  
 虚無の中に微かに見える小さな手をつかもうと、シゲルは右手を虚無の中に突っ込む。  
(シゲルっ!)  
「今、助けてやるっ!」  
 虚無の中に肩近くまで右手を突っ込み、そして小さな手首を掴む。  
「くっ……!」  
 虚無の中に突っ込んだ手から、全身の力を吸い取られるような感触。そればかりか、全身が引きずり込まれそうな途方もない吸引力も。  
(無茶よ! このままじゃ、あなたも!)  
「関係ない!」  
 力任せに、身体をひねり、腕を引き抜く。  
 虚無の中から、ヒトの子供が現れる。  
 少し離れた視界の先に、こちらを見ている衛兵がひとりいる。  
「受け取れっ!」  
 叫びながら、全力で、その方向に子供を投げる。  
 
 空中を舞い、衛兵の手の中に落ちるヒトの子供。  
 腕の中でようやく我に返ったのか、衛兵にしがみついて泣いている。  
──あとは、こっちだ……  
 振り返り、再び剣を構えなおす。  
 が。  
「っ……」  
 全身を包み込む疲労感。魔力の消耗による疲労が、重く全身にのしかかる。  
(シゲル。さっきので、魔力を相当消費したわ。このままだと、一分もつかどうか……)  
──って……一分で、こいつを消せるのか……?  
(そんなの……不可能に近いわよ)  
 エルシアの重苦しい声。  
 眼前の敵は、ようやく、以前に戦った虚無と同じ大きさになった程度。  
 だが、こちらの疲労感は桁違いに大きい。  
 そんな中。  
 虚無は、魔力をほとんど消費したステイプルトンを無視して、どこかに移動しようとする。  
──なにを……いや、まさかっ!  
 その方向は、大通りに通じる道。  
 ヒトも、観客も、今なお多くの群集が集まっている場所。  
──まずい……大通りに出られたら犠牲がいくら出るか!  
 止めようとする。  
 が、疲労のせいで身体が思うように動かない。  
「くそっ……行かせるかっ!」  
 銃を抜く。  
 虚無の背後から弾丸を連射する。  
 が。  
 それはあっけなく虚無に飲み込まれ、虚無は何事もないかのように大通りへと向かう。  
──まだだっ……勝手に逃げんじゃねえっ……  
 追いかけようとするステイプルトン。  
 だが。  
 魔力を使い果たし、ライズアップが強制的に解除される。  
「……っ……」  
 それと同時に、その場に倒れかけるシゲル。  
 ふと、遠くで何か聞こえたような気がした。  
 
 悲鳴。  
 逃げ惑う人々の足音。  
 何かが崩れるような音。  
 動けないなかで、そんな音だけが聞こえてくる。  
──くそッ……  
 あまりに明白な戦術ミス。  
 ヒト一人を助けようとして、肝心な時に動くエネルギーまで使い果たすという、最低最悪のパターン。  
「まだ……動、ける……」  
 無理に立ち上がり、悲鳴の方向へと向かおうとする。  
(無茶よ! 当分はライズアップは使えない! 飲み込まれるのが関の山よ!)  
──それでも……俺には……  
 守りたいという思いがある。  
──誰を?  
 全てを。  
 熱狂の中で、一つになっていた彼らを。  
(そんなこと言って、今のシゲルに何ができるのよ!)  
──それは……でも。  
(でもじゃないよ! シゲルの命は、シゲルだけのものじゃないのに!)  
 泣きそうな声のエルシア。  
(今は、体力を回復させるのが先。体力さえ回復すれば、あいつにだって勝てる)  
「…………」  
 悔しい。  
 だけど、どうすることもできない。  
 それだけに、余計悔しい。  
 
 その時。  
 
 どぼどぼどぼどぼ。  
 
「? ……うぁ熱いぃぃぃぃぃっ!」  
 頭の上から、いきなり熱湯のようなものが注がれる。  
「ほらほら、なにへたってるにゃ」  
──にゃ?  
「イヌはイヌらしくキリキリ働くにゃ」  
 げしっ。  
「お、お前なあっ! 人がドン凹みに凹んでるとき……に?」  
 勢い良く立ち上がった自分に気付く。  
「猫ひげ薬局謹製にゃ。高いにゃよ」  
「って、おまえ……」  
 腕組みをして薄い胸をそらし、自慢げに微笑むのは、あの、NECOマークの付いてた露店にいたネコ女。  
「まったく、イヌは頭が悪いからすぐ後先考えずに突っ走るにゃ」  
「……って」  
「それでへたって肝心な時に動けないなんて情けないにも程があるにゃ」  
 さりげなく、重大な秘密を言われた気がする。  
「って、ちょっと待て! おまえ、まさか俺がライズ……いや、その、もしかして……」  
 指をちっちっと横に振って笑うネコ女。  
「あれだけ派手に変身してたらバレバレにゃ」  
 あっさりと言われる。  
「……と、特A級の国家機密が、よりによってネコに……それも、よりによってこんな奴に……」  
 追い討ちをかけるような言葉に、がくんと心の糸が切れそうになる。  
「アレでバレないと思ってるほうがおかしいにゃ」  
「…………」  
(正直、それだけはこのネコ女と同感ね)  
──え、エルシアまで……  
「口封じとか、考えるだけ無駄にゃよ」  
「誰もそんなことは言ってねえっ!」  
(……それより、シゲル。魔力は回復したわよ。いつでもライズアップできるわ)  
──そ、そうか……  
「さあ、わかったらさっさと走るにゃ。あんなのをいつまでものさばらせておいたら儲けが減るにゃ」  
「も、儲けって……人命がかかってる時にそれかよ……」  
「人命も大事だけど金も大事にゃ。さあ、一時間以内にあの化け物を消したら薬代はタダにゃ。それを超えたら10分で一割の利息を取るにゃ。ただし口止め料は別途いただくにゃ」  
「こ、この守銭奴がっ!」  
(シゲル、時間がないわよ)  
──あ、ああ、わかってる……  
「頑張るにゃよ〜っ!」  
「お前以外の全世界の人々の未来と幸せのために頑張ってやるよ!」  
 気を取り直しながら、大通りへと走る。  
「ライズアップ!」  
 走りながら、ライズアップする。  
 魔法文字、そして蒼白い炎が全身を包む。  
 そのうしろ姿を見るネコ女性。  
「面白いオトコにゃ」  
 そして、周りに誰もいないのを確認してから、小さな端末機器のようなものを取り出す。  
「……さて、こっちもやることやっておくかにゃ」  
 眼鏡をかけ、裾の長い白衣をまとうと、その端末のようなものを起動させる。  
「まったく、人使いの荒い上司を持つと大変にゃ」  
 肉球のついた手で、器用にトラックボールを動かす。  
 液晶画面に、無数のデータが並ぶ。そこに表示されているのは、現れた“虚無”のデータ。  
 大きさ、吸収速度、移動速度、その他もろもろ。  
「んにゃ……あいつは確かに面白いオトコにゃけど、これじゃあ誰か力を貸さないと荷が重いかにゃ……?」  
 
 大通り。  
──あれは……?  
 虚無の行く手を塞ぐように立ちはだかる、巨大な石兵。  
「ニュスタ!」  
 それを操る小柄なネコに、声をかける。  
「遅いでしょ! この肝心な時にどこで油売ってたのよっ!」  
 頭ごなしに叱られる。  
「い、いや、こっちにも事情があってだな……」  
「そんなのどーだっていいの! 世のため人のため私のため、今すぐキリキリ働くっ!」  
「…………」  
(シゲル、もしかして落ち込んでる?)  
──ど、どいつもこいつも人をなんだと……  
 どうも、昔からネコとは相性が悪い。  
 
(シゲル)  
──なんだ?  
(中に吸い込まれた人たちもまだいるはずよ。このまま消除させてもいいの?)  
──そうだな……だけど、ここで消さないとキリがない……  
(私は、シゲルの意思に従うわ。あなたが、ここで虚無を消すことを選ぶなら、それでいいと思う)  
 エルシアの言葉。その言葉に少し悲しげな感情が混じっているのがわかる。  
 それは、虚無に飲み込まれた人たちを見殺しにするという選択肢の重さを共に背負うという意思なのだろう。  
──いや。  
 シゲルは、その感情を静かに否定する。  
(シゲル?)  
──中の人たちを助けて、かつ虚無を消除する方法は……あるかもしれない。  
(どうやって?)  
──一人じゃ出来ない。だけど、ニュスタの力を借りれば可能性はある。  
(だから、どうやって!?)  
──こいつだ。  
 銃を抜き、弾丸を入れ替える。  
(そのエンチャント……【全方位結界】?)  
 ステイプルトンの愛銃“グローリーブリンガー”には、中位魔法をエンチャントした専用の魔弾が数種類ある。  
 それを生み出すのは、虎国ミリア公領の秘密研究所。裏社会向けに、少々……と言うよりはかなり危険な代物を日々研究している。  
 そことのつながりを利用することで、グローリーブリンガーは多種多様な種類の魔弾を使用することが出来た。  
 シゲルが取り出したのは、そのうちの一つ。  
 発射して一秒後に、弾丸を中心に半径50メートルの球状の強固な魔法結界を作り出す。  
 全部で六発しかない。そしてそのうちの二発は過去に使っており、残るは4発。  
 そのうちの一発を、装填する。  
──こっちの世界の持つエネルギーが“虚無”を通じてつながるもう一つの世界より大きいために、エネルギー総量を均等化しようとして、向こうの世界に虚無を通じて吸い込まれる……だったら、一時的にでもそのエネルギー量を逆にすれば……  
 ベリルの仮説が、もし正しいのだとすれば。  
──結界で、一時的にでも“虚無”の向こうの世界を閉じ込め、その空間内のエネルギーをこっちの世界より巨大化させればどうなる?  
 理論上は、向こうの世界からこちらの世界に人が逆流し、そしてエネルギーの量が均等になった瞬間に“虚無”は消滅する。  
(それは……でも、そんなことしたら向こうに飛ばされた人たちの命も!)  
──わかってる。わかっていて、それでも言っているんだ。他人ならいざしらず、ニュスタの魔法ならば、エネルギーは膨大でも、爆発するような破壊力はないはずだ……  
(……わかった。私はシゲルを信じる)  
──じゃあ、あとはニュスタと話をつけるだけだ。  
 シゲルは、石兵を次々と呼び出して虚無を押しとどめているニュスタに向かって走り出した。  
 
「ああもおっ! いつになったら消えるのよ、この真っ黒!」  
 苛立ちを隠しきれない様子のニュスタ。石兵で殴ろうが魔法を使おうが、全て吸収する敵を相手に、さすがに苦戦しているらしい。  
「ニュスタっ!」  
 石兵の殴りつけてきた拳を闇の中に飲み込みながらニュスタに近づこうとする虚無に、その背後から一太刀くれてやり、そのまま近づくシゲル。  
「ステイプルトン……って、まったく、この肝心な時に何やってたのよ! か弱い乙女が一人で頑張ってるのに!」  
「……いや、そのか弱い乙女サマに頼みがあって来たんだが」  
「何よ! こんな時におかしなこといったら石兵で殴るよ!」  
「……とりあえず、話を聞いてくれ」  
(シゲルって、ほんと女の子が相手だと形無しね)  
──前世のトラウマだろうな……。  
 
 気を取り直し、ニュスタに説明する。  
「……半径50メートルって、大きいよ?」  
「無理か?」  
 その言葉に、むっとするニュスタ。  
「……無理かって、そう言われたらやるって言うしかないじゃない!」  
「できるんだな」  
「…………ああもうっ! やるわよ、やればいいんでしょ!」  
「頼む」  
 言いながら、銃を持ち直す。  
「発動までに一秒。ギリギリまで接近してから撃つから、後ろから俺を巻き込む気で全力で叩き込んでくれ」  
「……いいの? 私、本気で全力出すよ。巻き込んでも責任取らないよ」  
「大丈夫だ。撃った瞬間に跳ぶ」  
「じゃあ……今から魔力溜めるからね。五分だけこっちに来させないでよ」  
「わかった」  
 魔法薬の力で、限界まで魔力を回復させたステイプルトン。石兵やニュスタよりも、さらに大きいエネルギーに気付いた虚無が、ステイプルトンに近づく。  
──今度は、さっきとは違う。  
 冷静さを失って自滅したさっきの戦いとは違う。  
 今のシゲルには、勝利までのシミュレートが全て完成している。  
 あとは、そのシミュレートを行動に移すだけ。  
 
 虚無の接近を、ギリギリでかわし続ける。  
 近づくだけであらゆるエネルギーを吸い取る恐るべき敵とはいえ、知能があるわけではない。  
 ただ、エネルギーに対して本能的に近寄るだけ。そうとわかっていれば、逃げるだけならば困難ではない。  
「た……けて……」  
「たす……て……」  
 虚無の中から聞こえてくる、小さくか弱い声。  
 だがもう、間違いは繰り返さない。  
「聞こえるかっ!できるだけ、出口の近くに近づけ! 足を踏ん張って、少しでも近づけ!」  
 声を限りに、虚無の中に呼びかけながら、ひたすら時を待つ。  
 
 二分。  
 
 一分。  
 
 三十秒。  
 
 十秒。  
 
「大丈夫か、ニュスタ!」  
 振り返らずに、そう叫ぶ。  
 返事の代わりに、小さな声が聞こえる。  
「サパン・アクリャのニュスタが、我が名の許に汝を望む……」  
 魔力が、急速にニュスタの付近で高まるのが分かる。  
「我は古の契りの故に……」  
──来る。  
 シゲルは、走る。  
 走りながら、銃を構えなおす。  
 近づく黒い闇。  
 両脚で大地を踏みしめ、腰を落として両手で銃を構え、狙いを定める。   
「その偉大なる力を求む……」  
 シゲルを飲み込もうと、腕らしきものを大きく広げる虚無。その奥に、荒野と、必死に助けを求め、こちらに腕を伸ばす人の姿が見える。  
──今だ!  
 絶対に外しようのない超至近距離から、魔弾を撃つ。  
「パリアカカの嵐」  
 ほぼ同時に、ニュスタの詠唱が終わる。  
 背後から、巨大な魔力が迫ってくる中、ステイプルトンは跳んだ。  
 
 テレポートして、ニュスタの真横に立つ。  
 巨大な竜巻のような魔力の塊が、虚無の中に吸い込まれる。  
「あれは……?」  
「一応、私が使える魔法の中では一番強い魔法よ。アレでステイプルトンの言うとおりにならなかったなら、もう諦めてもらうしかないわね」  
「……いや、上手くいきそうだ」  
 突然、つながっている二つの世界のエネルギーが逆転したことで、もがき苦しむ虚無。  
 その中から、吸い込まれた人々が吐き出されている。  
 ……もっとも、ぽとりと落ちるような生易しいものではなく、多くは猛スピードで数メートル吹き飛ばされて、地面や壁に叩きつけられているが。  
 ただ、打撲や骨折なら、そのうち治るだろう。  
 
 虚無が人を、そして吸い込んださまざまなものを次々と吐き出すと、ようやく繋がっている二つの世界のエネルギーが均等になったのだろう。  
 溶けるように、虚無は消えた。  
「……お、終わったか……」  
 疲れきった様子で言う。出来れば、一刻も早くライズアップを解除したいが、ニュスタの前ではそういうわけにもいかない。  
「終わったみたいね。全く、一時はどうなることかと思ったけど」  
「だいたい、こんなものが二度も三度も出てくるなんて、世界はどうなってるんだ」  
「二度も三度も?」  
 問い返すニュスタ。  
「……いや、なんでもない」  
「とりあえず、お祭りはどうなるのかな……」  
「避難誘導は上手くできてるみたいだし、思ったほど街の被害は大きくないが……こんなのが出た後で祭りを再開できるほど図太い神経はないだろうな……」  
「……そっか。踊りたかったなぁ……」  
 がっかりした様子のニュスタ。  
「そいつは同感だ」  
「ん? ステイプルトンも踊るの?」  
「悪いか」  
「いや、似合わないなぁと思って」  
「うるさい」  
「ん? 終わったかにゃ?」  
 後ろから、メガネに白衣に、なにやら端末みたいなものと大きなカバンを持ったネコ女。  
「なんとか……って、おい、何だよその格好!」  
「ん? これが本当の姿にゃ」  
「…………」  
 どう見ても、子供が無理に大人びた格好をしているようにしか見えないが、口にはしないでおく。  
「うん、一時間以内にカタつけてくれたにゃ。じゃあ、約束どおり薬代はオマケしておくにゃ」  
「そいつは助かる。何せ、薬代払えといわれても金がない」  
「ああ、だったら身体で払ってもらっても良かったにゃけど」  
「払えるかっ!!」  
 横から、ニュスタが口を挟む。  
「ねえ、この女だれ?」  
「だれ……と、言われると誰なんだろうな。一応、恩人……」  
「ふっふ〜んっ♪」  
 腕を腰に当てて、メガネをかけたまま自慢げに薄い胸を反らすネコ女。  
「そう、私はこいつの恩人なのにゃ。ついでに、こいつの恥ずかしい秘密も知ってたりするにゃ」  
「恥ずかしい秘密?」  
 ニュスタが、興味津々の目でシゲルを見る。  
「別に恥ずかしくはねえっ! ただ、ちょっとばかり他の奴にバレたら命の危険があるだけだ!」  
(シゲル……それ、余計タチが悪い)  
「まあ、口止め料は後でいただくにゃ。それまでしっかり貯金しとくんだにゃ」  
「……と、取るのかよやっぱり……」  
「商売はチャンスを逃さないことが命にゃ。ついでに、カモは太らせてから生肝をえぐり取って食うのが一番にゃ」  
「……こ、この腐れ外道っ!!!」  
(シゲル……ここは退散したほうがいいわよ。どう考えても、この二人相手にシゲルじゃあやり込められるのがオチだから)  
──そ、そうだな……  
 後ろに、じりじりと下がる。  
「ん? どこに行くの?」  
「どっか行くのかにゃ?」  
「とりあえず、そのネコ女がいないところに行くんだよ!」  
 言いながら、背を向けて逃げるように路地に消えた。  
「……ほんとに、あいつは格好いいんだか悪いんだか」  
 ニュスタが、ぽつりという。  
「そーいうところが、憎めないオトコにゃ。ただ単にかっこよくて強いだけなんて奴、面白くもなんともないにゃ」  
「それは、その通りね」  
「さて、じゃあ私も商売の支度があるからここでお別れにゃ」  
「商売?」  
 問い返すニュスタに、ちっちっと指を振る。  
「この程度じゃ、この祭りは終わらないにゃ。総踊りに向けて、大急ぎで新装開店にゃ」  
 歩き出すネコ女に、後ろから追いかけてきたヒトの子供。両手に一杯、何かを抱えてふらふら歩いて来る。  
「ご主人様〜っ! どこに建てるんですか〜っ!!」  
「あ、うっかりしてたにゃ……」  
 バツの悪そうな声のネコ女。  
「それじゃあ、失礼するにゃっ!」  
 ダッシュで、彼女のものらしいヒト召使の方へと白衣をはためかせながら駆けて行った。  
「…………」  
 あとには、一人取り残されたニュスタ。  
「総踊り、あるんだ……ふふ、ちょっとだけ休んでから待っちゃおうかな」  
 
 夜。  
──すごいな。  
 アレから三時間。とっぷりと日が暮れた夜のフロミアを照らす、無数の吊り提灯の光。その下で、鐘や三味線、笛太鼓が鳴り響き、唄が聞こえる。  
 そして、だれかれ構わず、その音色にあわせて踊っている。  
(これが、総踊りってやつ?)  
──ああ。まさか、最後にこれが見られるとは思わなかったが。  
(祭りの底力ね。ほんの数時間前には街が滅びるかもって騒ぎだったのに)  
──ま、頑張った甲斐はあったんじゃないか。  
(そうね)  
「こらぁ、そこの無粋なイヌ! せっかくの雰囲気をぶち壊すような格好しないにゃ!」  
「……に、にゃって……まさか……」  
 恐る恐る、後ろを見る。  
 
 ぼふっ。  
 
 顔面に、浴衣と帯と鉢巻をまとめたものが投げつけられた。  
「…………」  
「さあさあ、とっとと着替えるにゃ。代金は後払いでいいにゃ」  
「……って、お前は何をやってんだよっ!」  
 立ち並ぶ露店の一つ。浴衣に下駄に鉢巻や花笠。印籠に扇子に煙管に手ぬぐい、鳴り物も笛、鐘、鼓。  
 純和風の衣装一式を売っている、いつの間にか和服姿の、あのネコ女。  
「ん? 夜は夜の商売があるにゃ。商売は取捨選択にゃ」  
「……商魂たくましいというかなんというか……」  
「さあさあ、いいからとっとと着替えるにゃ。店の前で軍服来たイヌがうろつかれたら迷惑にゃ」  
「……わ、わかった……」  
(シゲル……ホントに女の子には弱いね)  
──言わないでくれ。  
 
 軍服の上から、浴衣を羽織り、帯を巻く。おかしな格好だとは自分でも思うが、仕方ない。  
「さあ、着替えたらさっさと踊りに行くにゃ。何のために祭りに来たにゃ」  
「く、口うるさい女……」  
「いいから、さっさとこの場から離れるにゃ。商売の邪魔にゃよ」  
「うるせえ、二度と近づかないから安心しろ!」  
(シゲル……それ、さっきと同じパターン)  
──そうは言うがな、大佐……。  
(誰が大佐よっ!)  
 
 踊りの輪の中に加わるシゲル。  
 ヒトも、カモシカも、その他色々な種族が一緒になって踊っているのが分かる。  
(ふふっ、気持ちいいわね)  
──そうだな。たまにはこういうのもないと、身がもたない。  
(シゲルのそれ、やっぱり向こうの世界の踊り?)  
──ああ。何年ぶりかにしては、案外覚えてるものだ。  
 腰を落とし、手を高く差し上げ、足は前に蹴りだし、地面を爪で掴むようにして歩を進める。  
 向こうの世界にいた頃は盆踊りなんかで良く踊っていたが、こちらに着てからは初めてとなる。  
 それにしては、良く出来ているんじゃないかとは思うが。  
 ふと、鳴り物の旋律が懐かしいものに変わった。  
──へえっ……  
 向こうの世界の代表的な踊りの旋律を、メドレーで流しているらしい。  
──これは……なんていうか……まずいな。  
(どうしたの?)  
──その、一生の頼みなんだが……  
(なに?)  
──その……もし、泣いたりしても笑わないでくれよ。  
 
(わかってるよ)  
 優しい声。  
(きょう一日ぐらい、いいじゃない。シゲルだって、ずっと頑張ってきたんだし)  
「……ありがとう」  
(あら、もう泣いてるの?)  
──ま、まだ泣いてないっ! これは汗だ、そう汗!  
(ふふ、そういうことにしといてあげる)  
 
 踊り狂う人々。  
 鳴り響く踊りのリズム。  
 人の集まる熱気。  
 秋の涼しい空気が、気持ちよく感じられる。  
   
 少し離れた露店。扇子やら手ぬぐいやらが飛ぶように売れている。  
「すっごーい、大繁盛にゃ! ほらほら、左舷弾幕薄いにゃ、何やってんにゃ!」  
「って、まってくださいよ〜っ!!」  
 ヒト召使の少年が、ダンボールの梱包を外している。  
 その横では。  
 さっきネコ女が持っていた端末から、データが次々とどこかへ転送されていた。  
 
(14につづく)  
 

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