「すぅ……」  
 気持ち良さそうに眠っているフィリーヌ。  
 その髪をいとおしげに撫で付けていると、扉の方から声が聞こえた。  
「お姫様はおねむしちゃった? リュナちゃん」  
 そう言いながら、ベリルが部屋に入ってくる。  
「なんとか。そろそろ僕も眠らないと身がもたない」  
「ふふ、お疲れ様」  
「誰のせいだ」  
 そう言って、軽く睨む。  
「あら、もしかして怒ってる?」  
「僕のことはともかく、フィルを泣かせることはないだろう」  
 その言葉に、くすりと笑うベリル。  
「あらあら、優しいのねリュナちゃん」  
「……ちゃんづけはよしてくれ」  
「何いってんのよ。イヌだったらリュナちゃんなんて幼稚園児よ」  
「……僕はカモシカだ」  
「ふふ、拗ねた顔も素敵」  
 そう言って、近づいてくる。  
「リュナちゃんって、ほんと魅力的」  
 熱っぽい瞳が、リュナを見つめている。  
「リュナちゃんは、いつもそうやって、いろんな女の子を虜にしてきたのね」  
「人聞きの悪いことを言うな」  
「いつも一生懸命。いつでも前向き。誰もが夢物語としか思わないようなことでも、一人だけ本気で考える」  
 そういいながら、リュナの首に手をかけ、真正面から見つめてくる。  
「……酔ってるのか」  
「そーね。リュナちゃんに酔ってる」  
「……やれやれ」  
 苦笑いしながらいう。  
「こんなところ、フィルに見られたら蜂の巣になるぞ」  
「リュナちゃんと一緒に死ねるのなら、それもいいわね」  
「……この悪女」  
「あら、ひどい言い方」  
「明日は朝から会議があるんだ。できればすぐにでも眠って明日に備えたいんだけどな」  
「じゃあ、一緒に寝ちゃう?」  
 誘うような目つき。  
「……そうやって、何人の男を虜にしてきたんだ?」  
「私の質問が先よ。リュナちゃんは、そうやって何人の女の子を虜にしてきたの?」  
「……言えるか」  
「じゃ、私も答えない」  
 言いながら、片脚を絡みつかせてくる。  
「やめろって……フィルが起きたら、本当に修羅場になるぞ」  
 困惑した表情のリュナと、口許に微笑を浮かべたベリル。  
「ふふ、それもいいわね」  
「こっちは良くない」  
「私は楽しみよ」  
 そういいながら、そのまま絨毯の上に押し倒す。  
「ん……」  
 もぞりと、フィリーヌが動く。  
──やばいっ……  
 この状況で目を覚まされたら、どう考えても言い逃れは出来ない。  
「……んにゅ……」  
 幸いと言うべきか、フィリーヌはそのまま寝返りをうち、そしてまた寝息を立て始める。  
「よかったわね、リュナちゃん」  
「……心臓に悪い」  
「ここからが本番。スリルを楽しみましょ」  
 そういいながら、リュナの服に手をかける。  
 
「お、おいっ……」  
 言いかけるリュナの口に、人差し指を当てるベリル。  
「声を上げたら、フィルちゃん起きちゃうかもよ」  
 そう言って、ウインクする。  
「……」  
 言葉が止まる。  
「ふふ、リュナちゃんってやっぱりそうね」  
「何が」  
「フィルちゃんを傷つけたくないのね」  
「……そりゃそうだろ」  
「フィルちゃんを傷つけないためなら、どんな目に合っても抵抗しない」  
 そう言いながらリュナの両肩を押さえつけるベリルに、リュナが言う。  
「……それはどうかな。抵抗するかもしれないぞ」  
「でも、今はしない」  
「決め付けると危険だぞ」  
「でも、絶対しない」  
「なぜ?」  
「リュナちゃんは、私も傷つけたくないから」  
「…………」  
「優しいのよね、リュナちゃんは。自分以外の人を、誰も傷つけたくない。だから、こうされるとどうにもできない」  
 熱っぽく潤んだ目でリュナを見つめるベリル。  
 リュナの上着のボタンは全て外され、細身だが鍛えられた上半身があらわになっている。  
「誰も傷つけたくないから、自分を犠牲にすることを躊躇わない。自分が苦難に耐えられるくらいには強いけど、人に苦難を押し付けられるほどには強くない」  
 いいながら、顔を近づけてくる。  
「フィルちゃんも、私も傷つけたくないリュナちゃんは、だまって、私にされるがままになるしかない」  
「…………」  
「ふふ、この傷」  
 つうと、指がリュナの胸の傷跡をなぞる。  
「私がつけた傷ね」  
 そう言って、いとおしげに何度か指でなぞる。  
「リュナちゃんを、もっといじめたい」  
「悪い冗談だ」  
「本気よ」  
 そういって、首筋を軽く噛む。  
「っ……」  
 かすかな痛みが伝わる。  
「こうやって、リュナちゃんをいじめるのが大好き」  
「……勘弁してくれ」  
「ふふ。やっぱり、抵抗しない」  
 そう言って、今度は唇を重ねる。  
 腕を首に回し、舌を絡め、唾液を流し込んでくる。  
 そして、満足げな笑みを浮かべて唇を離すと、上からリュナを見つめる。  
「愛してる」  
「……サディスティックな愛だ」  
 そっけなく返事をするリュナ。  
「それも愛よ」  
「その気の趣味はない」  
「我慢するのも愛よ」  
「できるか」  
「でも、我慢してる」  
「……少しは我慢もする」  
「ふふ」  
 ベリルが、上から見つめながら微笑む。  
 
「少しっていいながら、リュナちゃんはいつもずーっと我慢し続ける」  
「……僕にだって限度はある」  
「そんなこと言うだけ。リュナちゃんは私には何をされても抵抗しない」  
「するかもしれないぞ」  
「でも、しない」  
「絶対にしないとは限らないぞ」  
「でも、絶対にしない」  
「……どうして、そう決め付ける?」  
「リュナちゃんは、私より強いから」  
 言いながらリュナの上に身体を預け、顔を近づけてくるベリル。  
「リュナちゃんは、自分より弱い人に暴力をふるえない」  
「…………」  
「ほら、図星」  
 そういって、ちょんと鼻の頭を指でつつく。  
「リュナちゃんは、すごく優しいの。自分より弱い人に手を上げるなんて、自分の優しさが許さない」  
「……気のせいだ。僕は、そんなに優しくない」  
「強がってもダメ」  
 顔を近づけ、互いの息がかかるくらいまで密着してくる。  
「だって、今もリュナちゃんは抵抗しない」  
「……それは、その」  
 言い訳を考えようとするリュナ。それをさえぎるように、ベリルが唇を重ねてくる。  
 情熱的なキス。首に両腕を回し、脚を絡め、全身を圧しつけてくるように身体を重ねてくる。  
「言い訳しようとしてもダメ」  
 唇を離すと、至近距離から見つめつつそう言う。  
「…………」  
「だって、リュナちゃんをそんなにしちゃったのは私なのよ」  
「……鬼教官どのに優しさを教えてもらった覚えはないが」  
 そう言って、押さえつけられたまま横を向くリュナ。その顔を両手で押さえ、無理やり正面を向かせる。  
「そうね。リュナちゃんは始めて会ったときから優しかった。優しくて、泣き虫で、弱かった」  
「……散々だな」  
「だけど、可愛かった」  
 もう一度唇を重ねながら、今度はベルトに手を伸ばす。  
「っ……」  
 さすがに、その手を止めようとする。  
「あら」  
 驚いたような声。  
「リュナちゃんでも、抵抗するんだ」  
「……するっていったろう」  
 その言葉に、ベリルはふと気付いたようにフィリーヌの方を向き、そしてくすりと笑う。  
「なるほど。フィルちゃんが起きたら傷ついちゃうわね」  
「……ついでに、命の危険がある」  
「あら、私のことも心配してくれてるの?」  
「……悪いか」  
 少しだけ表情が照れくさそうになり、そしてまたそっぽを向く。  
「やっぱり、優しくて可愛い」  
 そう言って、リュナの上から離れる。  
「じゃあ、続きはリュナちゃんのお部屋でしましょ」  
「……明日も会議があるんだけどな」  
 服を着なおしながら、リュナが言う。  
「知ってるわ。だけど、そんなのどうだっていい」  
「よくない。今日一日かけて和議の取りまとめに頑張ってきたんだ」  
「でも、まとめきれなかった」  
「……それはそうだが」  
「せっかく、リュナちゃんが生き残りの道を模索してるのに、ひどいわね」  
 その言葉に、力なくかぶりを振る。  
 
「……やむを得ない。二年も頑張ってきたのに、そう簡単に和議……降伏なんて選択肢を取ろうとは思わないだろう。……ましてや、相手がシャリアさまを殺した奴かもしれないとなれば」  
「だけど、じゃあどうするの?」  
「このまま決裂すれば終わりだ。シャリア様がいなくても、彼らは心の中の王を立てて徹底抗戦を唱えることになる。そうなれば先鋭化して、ただの殺人集団と化し、そのあとには……」  
「ただの破壊集団として、殲滅の道しかのこらない。そして辺境でしぶとくゲリラ戦を続けられ、内乱は長引くことになるわね」  
 ベリルの言葉に、無言で頷くリュナ。  
「心配してるの?」  
「しないほうがどうかしてる。内乱が一年続けばどれだけの犠牲と被害が出るか」  
「やっぱり、優しい」  
 そういって、腕を絡ませてくる。  
 小さな仕草の一つ一つに、男を惑わせる色香を漂わせる。  
「でもその先は、リュナちゃんのお部屋で。フィルちゃんに聞かれたくないこともあるんでしょう?」  
 耳元で、小さくささやく。  
「……何のことだ」  
 無意識のうちに、声が小さくなる。  
「どうして、リュナちゃんが王弟派に入ったか。リュナちゃんは、まだ本当のことを隠してる」  
「!?」  
 顔色が変わったかもしれない。そんなリュナの表情の変化を見逃さず、ベリルは続ける。  
「だから、リュナちゃんのお部屋に行きましょ。ここで秘密をばらされたくないでしょ?」  
「……悪魔め」  
「あら、褒めてくれてるの?」  
「最大級の罵倒だ」  
「あら、傷ついちゃうな」  
 流し目でしなだれかかってくるベリル。  
「でも、軍人はみんなサディストよ。リュナちゃんが優しすぎるだけ」  
「……優しいやつが、こんなことするものか」  
 少しだけ自嘲気味に答える。  
「だけど、必要なことだったんでしょ?」  
「……まあな」  
 リュナが考えていたこと。それは、この国のためには不可欠なことだったことだと今でも思っている。  
「……どこまで気付いてる?」  
「ここで言っちゃってもいいの?」  
「……いや」  
 正直、万が一にもフィリーヌには知られたくない。  
「じゃ、行きましょ」  
 ベリルが、腕を絡めたまま歩き出した。  
 
 リュナの部屋。  
 とはいえ、ただ単にあてがわれた部屋と言うだけ。部屋の備品なんかはほとんどない。  
「殺風景な部屋」  
「仕方ないだろう。酒も置いてないけど、我慢してくれ」  
「大丈夫よ。リュナちゃんが一番私を酔わせるから。どんな美味しいお酒も、リュナちゃんにはかなわない」  
「……飲まれるってことか」  
「ふふ」  
 甘えるような仕草を見せるベリル。どこまでが演技でどこからが本心なのか、どうにも判断がつかない。  
「リュナちゃんは私が八年かけて、じっくりと熟成した特上のお酒」  
 いいながら、ベリルは腕を絡めていない方の手で、軍服のボタンを外していく。  
 上の軍服のボタンを全て外すと、赤い下着に包まれた二つのふくらみと白い肌が軍服の隙間からのぞく。  
 軍人らしからぬ白い肌。実戦をあまり経験していない女の肌に見える。  
「そして、ちゃんと私の理想通りのリュナちゃんになってくれた」  
 正面から身体を預けて、上目遣いに見上げてくる。  
「……理想通りの男、か」  
「そうよ。全部、私の理想通り。優しくて、強くて、素敵で……」  
「そして、やることなすことル・ガルの利益になるように動いてしまう」  
 目をそらし、掃き捨てるようにリュナが言う。  
 
 その言葉に、ベリルが微笑み、ウインクする。  
「本人は純粋に国のためだと思ってたのにね」  
「……自分で考えてやったつもりだったからな。気付いたときには暗澹たる気持ちになったものだ……いや、今でも立ち直れてないかもしれない」  
「慰めてあげてもいいわよ」  
「……誰のせいでこうなったと思ってる」  
 その言葉に、ベリルは背中に腕を回しながら答える。  
「言ったでしょう、軍人はサディストだって。……優しいリュナちゃんが、そうやって苦しむ姿を見るのが大好き。そして、悩んでるリュナちゃんを、優しく包み込んで慰めてあげるの」  
「……本当にサディストだ」  
「私のこと、憎い?」  
 その言葉に、弱々しくかぶりを振る。  
「……いや。自分で考えて、自分で国のためだと思ってやったことだ。ベリルのせいじゃない」  
「そう言うと思った。リュナちゃんは、他人のせいに出来ない人。何でもかんでも、責任を背負い込んで、一人だけで傷つきたがる」  
「……だったら何だっていうんだ」  
「そんなところが、魅力的だって言いたいの」  
 くるりと、体勢を入れ替え、そのまま絨毯の上にリュナを押し倒すベリル。  
「リュナちゃんは悪くないのよ」  
 男を惑わす瞳。  
「金の大暴落と大インフレ。カモシカの民は商売上手なネコに土地を奪われ、みんな小作人に身を落とした」  
「…………」  
「カカオ、コーヒー、タバコ、香辛料……この国で生まれるさまざまな奢侈品を、ネコの商人は大農場で小作人を農奴のように働かせて作り、莫大な利益を上げていた」  
「……ああ」  
 ベリルが語ろうとするのは、リュナの過去。  
 逃げられないように押し倒して、まだ癒えていない傷口をゆっくりとなぞるような、残酷な責め苦。  
「リュナちゃんは、それを許せないと思った。そして、土地を取り戻すためにどうすればいいか、ずっと考えていた」  
 
 数年前。  
 先王ペドロY世が死亡し、生前の後継者指名通り、王女エリザベートが即位した。  
 それに対して、先王に不満を持つ保守的な貴族層からは反発の声が起きた。彼らは先王の弟で、温厚な人柄で知られていたシャリアを擁立し、独自に王に即位させる。  
 シャリアに野心はなかったが、貴族層の圧力に抗しきれず、やむなく即位することを選ぶ。  
 その結果、国を二つに割る内乱が発生した。  
 女王を支持するのは、前王の改革で奪われるほどの既得権を持たなかった下層貴族や、先王に取り立てられた新興の官僚層。シャリアを支持するのは保守的で各地に大きな領土を有する貴族層。  
 リュナ、すなわちルークス家は、本来なら女王派に加わるはずだった。  
 しかしリュナは、あえて王弟派に組することを選ぶ。  
 人々は、リュナがシャリアに個人的な恩義があったからだと噂した。  
 もちろん、それは事実だった。シャリアは温厚な慈善家であり、困窮するものへの援助は惜しまなかった。  
 が、それだけではなかった。  
 
「内乱を利用して、リュナちゃんはネコの大地主の一掃を謀った」  
「…………」  
 たまりかねて、目をそらすリュナ。しかし、また両手で顔を押さえられ、無理やり正面を向かされる。  
「逃げちゃダメ。自分のしたことに、ちゃんと目を向けるの」  
 そう言って、ベリルは再び話し出す。  
 
 内乱の勃発。王弟派に属したリュナは、エグゼクターズとのコネや、裏の仕事をこなす中で手に入れた闇情報網を生かして地道な成果を上げてゆく。  
 機先を制して摩天街道と透河の船着場を征圧したことで、多少の立場も得たリュナは、各地の大貴族にひそかに進言する。  
『ネコの農場を襲って資財を手にしましょう』  
 保守的な大貴族は、よそ者でありながらカモシカの国を我が物顔で闊歩するネコ、カモシカを酷使して利益だけを吸い上げるネコの地主達に好印象を持っていなかった。  
 それまでの鬱憤もあり、大貴族達は面白いようにその甘言に乗せられてゆく。  
 王弟派の軍は、ネコの経営する農場を次々と襲撃して農作物や金品を略奪する。  
 身の危険を感じたネコは、次々と私財をまとめて国外へ避難していった。  
 そうして、数十年もネコに支配されていた農場が、とりあえずはカモシカの手に戻った。  
 ……もちろん、小作人たちの暮らしは、単に搾取者が変わっただけで、それまでと変わらぬ厳しいものであったが。  
 ただ、自国の財が他国に流出する自体だけは止める事ができたし、それがリュナの目的でもあった。  
 
 
 
「ネコの報復はないと、リュナちゃんは予測した」  
「……彼らはなによりも利益を第一に考える。よその国の揉め事に軍隊を率いて介入するよりは、あっさりと引いて別の箇所で儲けたほうが有利だと見れば、見切りは早い。……同様のことは、前王に招聘されたネコの経済官僚にも言えるがな」  
「そうね。内乱が起こるやいなや、彼らはさっさと退散した」  
「税収の増加分から、彼らへのマージンは与えられるんだから、内乱で税収が減ったら残る理由はない」  
「じゃ、ここまでは正解かしら?」  
「……ああ」  
「じゃ、その後のリュナちゃんについても話していいかしら」  
「……聞きたくないな」  
「ダメ」  
 残酷な笑顔を浮かべて、ベリルは続ける。  
 
 国家が国家の体裁を取り戻すためには、ある程度の暴力は必要だった。  
 ネコの農場を襲撃し、国内からネコの地主を追放して農地を奪回する。  
 摩天街道と透河の船着場には自国の関所を設け、適度な通行税を得る。  
 どちらも、国力の回復には必要だが、他国、特にネコからは憎まれてしかるべきことだった。  
 その汚名を、すべて王弟派に押し付けるのがリュナの思惑。  
 王弟派にあらゆる悪名を着せて、そのまま戦いに敗れた反逆者として降伏させる。  
 女王エリザベートは汚名をかぶることなく、王弟派が手に入れた利権をそのまま、降伏の手土産として手に入れる。  
 つまりは、最初から恩人のはずのシャリアをスケープゴートにするつもりだった。  
 もともと、王弟派のほうが勢力的には弱く、また大貴族の連合体であるために戦略の一本化が難しくまとまりに欠ける。リュナは、この内乱で王弟派が勝つ可能性はかなり低いと予想していた。  
 
「それから二年。王弟派はすでに勢力を大きく減らし、かつネコの大地主はほとんどが逃亡。関所も完成した。リュナちゃんの目的は達成された」  
「……だから、シャリア様を殺したのか?」  
「それは、私じゃないわ」  
「……でも、イヌだった。……ステイプルトンと言った」  
「イヌだからって、みんなが同じ目的を聞かされて、同じ方向に動くとは限らないもの。にいさ……ステイプルトンとは直属の上司も違うし。ただ、結果的にはアレでよかったんじゃない?」  
「……できることなら、シャリア様は助けたかった」  
「無理よ」  
 そっけなく言う。  
「それに……」  
 そして、顔を近づけて言う。  
「シャリアは、あなたの策略を知っていた上で、あえて乗せられた。自分が捨て石になるつもりだった」  
「……知っていた。最初から、女王の即位に抵抗する大貴族を一網打尽にするための捨石になるつもりで即位したんだ」  
 小さな声で、リュナは答える。  
「フィルやアルには言えやしない。あいつらにとっても、シャリア様は恩人だ。大貴族なんかはどうでもいいけど、ただあの人のために、アルもフィルも王弟派についた。……なのに、僕は裏切った」  
「またそうやって、リュナちゃんは全部自分で背負い込む」  
「自分以外の誰に責任があるって言うんだ」  
「私よ」  
 そう言って、こつんと額を当ててくる。  
「リュナちゃんをそんなにしたのは私。リュナちゃんがどう考え、どう行動するか、全部最初から目的を持って教育したの」  
 その言葉に、少しだけリュナの表情が険しくなる。  
「……その結果がこれか」  
「そうよ。リュナちゃんは、本当に優秀な教え子」  
「……悪魔め」  
 さっきと同じ言葉をぶつける。  
「悪魔よ」  
 そして、キスを重ねると。  
「憎い?」  
 ベリルも、さっきと同じことを問う。  
「……いや」  
 そして、同じ答えを返す。  
 
「ふふ。どんなに利用されても、弄ばれても、リュナちゃんは私を憎めない」  
「そうやって育てたから、か?」  
 その言葉に、ベリルは微笑みで返す。  
「どうかしら」  
「正直、ベリルといると自分が情けなくなってくる」  
「あら、どうして?」  
「……まったく、どうしてもっと早く気付かなかったのか」  
「気付かなくて当然よ。普通の人だったら、今でも気付いていない。自分の信じたことは正しいと思うはずよ」  
「……慰めになってない」  
「じゃあ、どうしたら慰められるかしら?」  
「……大丈夫だ。自力で立ち直る」  
「強いのね」  
「強くなきゃ……これから先に耐えられない」  
「耐えなくてもいいのに」  
 そして、指がリュナの頬を撫でる。  
「共存できるはずよ。私とリュナみたいに」  
「……そこまで、僕は理想家じゃない」  
「そうね。理想家というよりは夢想家。リュナちゃんは、口ではそんなこと言うけど、本当は未来のことを考えてる」  
「……どうだか」  
 そう言って、かすかに目を閉じる。  
「いつから、考えてたんだ?」  
「何を?」  
「この計画……いや……そもそも、絹糸盟約の盲点にはいつ気付いてた?」  
 
丘の、海の、砂の、森の、雪の、草の、谷の、山の、八方に置きて八監を為しや  
ネコの瞳にサカナのヒレ。 ヘビの鱗とキツネの尻尾。 ウサギの耳に、トラの咆哮、ライオンのタテガミ、トリの羽根。  
もちて暴狼の四肢をもぎ、縛りてこの地の央に封ず貪狼の、二度と月飲まんとせぬように――グレイプニール《絹糸の盟約》  
 
 二千年の時を経て、再び大陸最強の軍事国家に上り詰めたル・ガル王制公国を、それでもなお他国に侵攻させない枷。  
 当時の八大国が共同で結んだ盟約こそが、すなわち絹糸盟約……グレイプニール。  
 東西を山脈に閉ざされた荒地に押し込められたイヌは、南進すればネコとぶつかり、北進すればオオカミとぶつかる。どちらも触れたが最後、即座に盟約が発動する。  
 貪狼の牙をもいだはずの盟約に隠された盲点。  
「南北に進めないなら、東西に進めばいい。誰かがそう思いついても不思議はない」  
 リュナが、自分の思いを確かめるように言葉にする。  
「峻険な山脈があるから大軍は動かせない。……だとしたら、少数精鋭の特殊工作員を送り込めばいい。だが東には虎と狐がいる。やはり絹糸盟約に抵触する。ならば西はどうか」  
 そこで、いちど言葉を切ってから、リュナは言う。  
「……絹糸盟約のどこにも、ただの一度として“カモシカの角”は出てこない」  
 
 最後の数行だけが有名だが、本来はやたらと長ったらしい盟約文のどこにも、カモシカの民は名を連ねていない。  
 無理もないことだった。  
 シンチは壊滅し、敗戦に敗戦を重ねて一度は国土の最西端、パカリナの近辺まで押し込められたカモシカの民。その後、いくつかの奇跡的な出来事もあって国土を回復したとはいえ、荒廃した国情は、とても国と呼べる体裁を整えられる状態ではなかった。  
 だが、それは見方を変えれば。  
 
「イヌが西進してカモシカの国を支配したとしても、絹糸盟約は発動しない……そうだろ?」  
 リュナの言葉に、微笑みで返すベリル。  
「文章上はね。でも、それが各国の危機に直結するとすれば、どんな理由をつけてでも絹糸盟約を発動させる。たとえ二千年前の古証文でも、効果はまだ続いている」  
「その『各国の危機』になるかもしれないのは、皮肉なことにぼくがたちが追い出したネコの地主や官僚だった」  
 
「地主達がカモシカの国の内乱で土地を追われたとしても、それなら別のところで儲けようとする。官僚たちはこの国に出向するよりは本国で働いたほうが出世も利益も見込める。怠惰なネコの民は、戦争してまで他国の土地を手に守ろうとは思わない。それは確かに正しいわ」  
「だけど、もしもイヌの侵攻で土地を失ったとなれば……話は別だった」  
「イヌがネコを追い出して土地を奪ったりしたら、間違いなく絹糸盟約は発動する。だけど、そのネコの地主はもういない。カモシカの国は、ただの山の上にある“よそもの”の土地」  
「……そうだな。とはいえ、いくら攻め込んでも問題がないとはいえ、あの険しくて荒れ果てた山道では大軍は送れない。送ったとしても、山脈超えで疲弊しきった軍隊で、しかも慣れない山岳戦をやってはいくら大陸最強の陸軍といっても損害はバカにならない」  
「軍を送ったりしたら、兵站に決定的な不安がある以上、電撃戦以外の戦法は取れないわ。だから、余計に被害は増えざるを得ないわね」  
「蜀の桟道を越えて北伐するようなものだからな。だから軍隊ではなく少数の工作員を送り込み、親犬派の政権……ことによると、犬の傀儡政権を作る。内戦でボロボロになった状況下なら、隙はいくらでもある」  
「……そうね」  
 ベリルが、くすりと笑う。  
「だいたい正解よ。ほんの少し違ってる箇所もあるけど、それは知らないほうがいいわ」  
「興味を持たせる言い方だな」  
「もう少ししてから、教えてあげる」  
「……手遅れになってから、か」  
「そんな意地悪なこといわないの」  
 リュナの唇に、人差し指を押し当てながら言う。  
「リュナちゃんは、いつそのことに気付いたの?」  
「たまたま、ヒトの歴史書を読んでいたとき。ポーランドという国の話だ」  
「リュナちゃん、勉強家だものね」  
「面と向かって言われると返事に困るな」  
「ふふ、かわいい」  
 ベリルが、そっと唇を寄せる。  
「この国は、リュナちゃんが思ってるほど捨てたものじゃないわ」  
「……そりゃあ、ル・ガルの荒野に比べたらな」  
「攻めてくるだけの価値もない国……それは、ネコ地主に国の生産力を奪いつくされていたから。彼らがいなくなった今、外貨を稼ぐことの出来る特産品があるし、自給可能なだけの食料と燃料もあるこの国は魅力的よ」  
「そういうものか」  
「はっきりと言ってしまえば、アンセニウムなんていう、実用化に何百年かかるかわからない鉱石なんかよりも、目の前の食料と燃料、そして外貨獲得のできる特産品の方が大きいわ」  
「そういわれると、こっちとしても奪われたくない土地に思えてくるから不思議だな」  
 冗談交じりに返す。  
「奪うんじゃないわ。一緒になりましょうって言ってるの。……ちょうど、リュナちゃんと私みたいに」  
 ベリルの細い指が、リュナの頬を撫でる。  
「リュナちゃん、夢があるでしょ?」  
「夢?」  
 問い返すリュナに、ベリルが尋ねる。  
「今の大陸は、ネコの国にあらゆる富が集中している。その最大の理由は何?」  
「……関税だな。大陸のあらゆる大街道と海の道は、全てネコの国を中心に放射状に伸びている。交易をするものは、おのずからネコの国に少なからぬ通行税を支払っている」  
「正解。じゃあ、それは望ましいこと?」  
「……いや。ネコの国が富み栄えるのと比例して、他国が疲弊している」  
「じゃあ、どうすれば解決する?」  
「……それは」  
 望ましくないこと。許せないこと。だからといってネコ相手に戦争を起こしても、万に一つも勝てる見込みはない。大義名分もなければ、戦力も、援護もない。  
 だとすれば。  
「ネコの国を通らない道を作ればいい」  
「どうやって?」  
「山脈を桟道と隧道で貫通させて、東西に道を作る」  
「つまり?」  
「西のこの国から、東の虎の国まで続く大陸横断道。山脈を貫通させて、最短距離で大陸の東西をつなぐ。そうすれば、ネコの国にバカ高い関税を払うこともない。東西交流が一気に進む」  
 いつごろからか、誰にも言わずに考えていた夢。それを、リュナは静かに口にする。  
「できるとおもう?」  
「……この二千年間における測量術と製鋼技術、そして魔法学の発展速度を考えれば、各国が力を合わせれば、たぶん今後200年以内にはなんとかなる……けど」  
「けど?」  
「それをやると、間違いなくこの国は滅ぶ」  
「そうね。大陸最強の軍隊をさえぎるものは、もう何もなくなるものね。疲弊してさえいなければ、数と武装、そして将の差で100%イヌが勝つ」  
 
「……そういうのを、全部考えてベリルは僕を教育したのか?」  
「どうかしら」  
「とぼけないでくれ」  
「わからないわ。確かに、理論上は魅力的だし、一度くらいは誰でもそんなことを考えるかもしれない。けど、そんなことが本当に可能だと考えるのはリュナちゃんくらいよ。二千年間続いた憎悪も確執も無視して、それでも夢が実現するなんて考える人、普通はいない」  
「……夢想家、ってやつか」  
「そうよ。でも、だからリュナちゃんは素敵」  
 鼻先を近づけてきて、匂いを嗅ぐように顔を寄せてベリルが言う。  
「……喜ぶべきなのかな」  
「数十年、この国の財を吸い取り続けたネコの地主階級をたった二年で追い出したのは、リュナちゃんよ。数十年、誰にも出来なかったことを、舌先三寸でやってのけた」  
「おかげで、これから先は独力で国の独立を守らなきゃいけない」  
「でもね、リュナちゃん」  
「何だ?」  
「イヌと仲良くするのは、悪いことじゃないわよ」  
「……そう言われてもな」  
「ネコの国に富が一極集中するのはいいことじゃないって、わかってるんでしょ?」  
「……それは、な」  
 しぶしぶ頷く。  
「だったら、対抗軸が必要。そしてそれができるのは、ル・ガル王制公国よ」  
「大陸全土を荒廃に導いた国に手を貸せと?」  
「2000年前にリュカオン様がやろうとしていたことと、今フローラがやろうとしていることに、何の違いがあるの?」  
「…………」  
「一つの種族だけが大陸の富と繁栄を独占することは許せない。そうでしょ?」  
 それは事実だった。しかし。  
「……ネコの代わりがイヌになるだけなら無意味だ」  
「一理あるわね」  
「そうならないという保証はどこにもないだろ?」  
「そうね。たしかに、そう考えてる人もいるわ。だけど」  
「だけど?」  
「リュナちゃんは、そんな野心さえ利用して操れる人よ。自分より、はるかに強い人の野心を利用して、自分の思うがままに操れる」  
「僕が、か」  
「そうよ。そうやって、リュナちゃんは不可能と思えるミッションをいくつもやりとげてきたじゃない」  
「……それはそれで、やな奴だな」  
「だけど、そんなところが魅力的」  
「……だけどな」  
 少し真剣な目つきで、ベリルを見上げる。  
「だけど、何?」  
「口ではそんなことを言いながら、心の奥では全然違うことも考えてる」  
「話してくれるの?」  
「話したら、嫌われそうだな」  
「嫌われたくない?」  
「まあな。だけど、話したい気持ちもある」  
「じゃあ、話して」  
「……正直、イヌがネコの国の対抗軸になることはありえないとも思ってる」  
「どうして?」  
「やっぱり、大戦のときのことを考えるとな」  
「二千年も前のことよ」  
「そうだな。二千年前……どうして、イヌの国は存在を許されたんだ?」  
 
「どうして……って、国とは名ばかりのあんな荒地に押し込められたのよ」  
「普通に考えれば、大陸全土を戦地にしたんだ。国の存在を許すどころか、種族全部が奴隷として各種族に分配されても仕方がない」  
 その言葉に、少し驚くベリル。  
「そこまでするかしら」  
「少なくとも、ヒトの歴史上は敵国を破れば、その民は虐殺され、生き残った奴は奴隷となり、まちがっても国を与えられたりはしなかった。例え、どんな荒野だろうとも」  
「……リュナちゃんは、どうしてだと思うの?」  
「政治は、必然的に賤民を必要とする。国民は多かれ少なかれ、政治に不満を持つ以上、彼らの不満の捌け口が必要になる。そしてそれは、奴隷……つまりは“人間以下”の存在ではいけない」  
「人間でありながら、なおかつ人間以下の暮らしをしている人々がいる。それを見せて、お前達はまだマシだと思わせるわけね」  
「ああ。スケープゴートが必要だった。『あいつらを見てみろ。昔は威勢よく戦争ふっかけたりしてたが、今じゃ俺たちに土下座して物乞いしなきゃメシも食えねえ』とあざ笑わせることで不満を解消させる」  
「……そんなことに」  
「不可触賤民として、政治家が国民にあざ笑わせるために荒野に国を与えた……それがル・ガル王制公国なんじゃないかと、僕は思ってる」  
 それは、イヌ本人の前で言うべきではないのだろう。それをあえて口にする。  
 何が優しいものかと心の中で自嘲しながら、リュナは言葉を続けていった。  
「…………」  
「それから二千年。不可触賤民はいつの間にかとてつもない軍事力を手に入れた。……憎い。妬ましい。そして怖い」  
「……よく思われるわけがないのね」  
「だけど、こっちからイヌに攻め込めば確実に返り討ちにされる。だから妬みと憎悪だけが、手出しできない中で加速度的に高まっていく……二千年も前の古証文がどうしていまだに効果を持っているか、それがその理由だ」  
「……リュナちゃんは、そんな風に考えてたんだ」  
「……嫌な奴だろう、僕も」  
 いびつな笑顔になったかもしれないと思いながら、リュナは無理に笑う。  
「どうして?」  
「どうして……って」  
「リュナちゃん、優しい」  
「優しいものか」  
「優しいわよ。リュナちゃんは、そんなの許せないって思ってるのがわかる」  
「どうしてわかる?」  
「自分ではわかんないのよ。リュナちゃんは、自分では落ちついているつもりだろうけど、声がいつもと違う。苛立ちを隠せてない」  
「…………」  
「フィルちゃんを守り、ヒトを守り……理由もなく貶められてきた人を愛し続けてきたリュナちゃんが、イヌだけは別なんて思うはずがない」  
「……それも、教育の成果なのかな」  
「違うわ。それは、リュナちゃんの生まれつきの性格。とても優しくて、とても夢想家。リュナちゃんはきっと、イヌがそんな立場から抜け出す日のことを考えてる」  
「…………」  
「ほら、否定しない」  
「……だけど、できるとは言っていない」  
「リュナちゃんなら、できる」  
 その言葉に、少し照れたような表情をして、そしてあわててベリルから目を背ける。  
「ありがとう」  
「ふふ。そんな顔されちゃうと、またリュナちゃんに惚れちゃう」  
 そして、唇を重ねてくる。  
「リュナちゃんって、ひどい人」  
「……わかってる」  
「ほら。そうやって、一つ一つの仕草で私を惑わせる。男なんて、所詮は上層部の指令を完遂するための駒のはずなのに、リュナちゃんだけはそんな気持ちにさせてくれない」  
「そうやって、教えたからだろ?」  
「人のせいにしないでよ」  
「そっちこそ。ベリルの理想に近づけるように育てたなら、ベリルの好みになるのは当然だろ?」  
「予想外よ。ただの操り人形のつもりだったのに」  
「人間が人形になるものか」  
「そうね。だけど、それじゃ困る人もいるの」  
「そんなことで困られてたまるか」  
「困るのよ」  
 そういいながら、リュナの上着をもう一度脱がせる。  
「リュナちゃんのせいで、夜も眠れなくなるのよ」  
 
「僕のせいじゃないだろ」  
「ううん、リュナちゃんのせい」  
 そういいながら、ベリルはリュナの胸板に頬を寄せる。  
「ねえ、リュナちゃん」  
「何だ?」  
「抱いて」  
「…………」  
 言葉を失う。  
「ここなら、誰も見てないわよ」  
「いや、しかしな……」  
「フィルちゃんは抱いたくせに」  
「いや、あれは……」  
「言い訳はダメ。ちゃんと責任とって」  
「責任って……」  
「リュナちゃんは、先生をこんなにしたんだから」  
「って、急に先生を気取らないでくれ」  
「抱いてくれなかったら、あることないことフィルちゃんやリシェルちゃんに言いふらしちゃうわよ」  
 唇の端から少し犬歯を見せて、くすりと笑うベリル。  
「!?」  
「どうするの? 抱いてくれたら、私はリュナちゃんのもの。抱いてくれなかったら、リュナちゃんは破滅するわよ」  
「……そういう脅迫をするかい?」  
「ふふ。リュナちゃん、困ってる」  
「悪女め」  
「悪女でいいわよ」  
 そう言って、リュナの腕を軽く噛む。  
「っ……」  
「でも、リュナちゃんは私のもの」  
 舌なめずりしながら、そう言って微笑む。  
 唾液に濡れた牙が妙に艶かしい。  
「初めての夜のこと、覚えてる?」  
「……忘れられるか。年端も行かない少年兵を、いちゃもんみたいな理由で懲罰室にぶち込んだ鬼教官め」  
「でも、ひいひい泣いて可愛かったわよ。鎖につながれたリュナちゃんが泣くのがとても可愛かったの」  
「……そういうことは忘れてくれ」  
「嫌。それに、いま抱いてくれなかったら、それも言いふらしちゃうかも」  
「……人の弱みを盾にしやがって」  
「ふふ。それでどうするの?」  
「……底なし沼に飲み込まれるのって、こういう気分なんだろうな」  
 言いながら、ベリルを引き寄せる。  
「……それでいいのよ、リュナちゃん」  
「……どうなっても知らんぞ」  
「それでいいわよ」  
 至近距離から、ベリルが見つめてくる。  
「リュナちゃんの匂いって、いい香り」  
 ベリルの熱のこもった息が、肌にかかる。  
 その間に、リュナの腕がベリルの下着を背中ではずす。  
 豊かな双丘があらわになる。  
「リュナちゃんに見られるのって、いい気持ち」  
「他の男ならどうなんだ?」  
「利用してるだけだもん、何も感じない。ただの、男を惑わせる道具の一つよ」  
「僕なら違うと?」  
「そう言ってるでしょう」  
「素直に信じたら痛い目に合いそうだな」  
「あら、信じてくれないの?」  
「……信じないとは言っていない」  
 そういいながら、下からベリルの胸に手を伸ばす。  
 
「あ……」  
 驚いたような嬌声が、ベリルの唇から漏れる。  
「だけど、何人の男に抱かれたんだ?」  
「言わなきゃだめ? ……あっ、んんっ……」  
「別に。ただ、気になるな」  
「嫉妬? それとも、軽蔑?」  
「どっちだと思う?」  
「聞かないでよ。それに、そんなことの答えなんか聞きたくないわ」  
「悪かった」  
 言いながら、背中に腕を回して引き寄せ、体の上下を入れ替える。  
 そして、ベリルを腕の中に抱きかかえるような格好で座る。  
「“武器”の手入れは怠らないんだな」  
 抱きかかえたまま、胸を愛撫しつつ言う。  
「……そんな言い方しないでよ」  
「違うとは言わないだろう?」  
 そういいながら、左手でベリルの腰に止められたベルトのバックルをはずす。  
「やっぱり、外されやすいバックルにしてるんだ」  
 そういいながら、片手だけでベルトを外し、軍服の下を半分脱がせる。  
 その下には、小さな赤い下着。  
 あえてその上から、下腹部に指を這わせる。  
「んっ……」  
「ベリルは何人の男の腕の中で、そんな声を出してきたんだ?」  
 表情を覗き込むようにして、わざと意地悪くたずねる。  
 その質問には答えずに、ベリルは問い返す。  
「……リュナちゃんは、そんな女は嫌い?」  
「別に。ただ、ベリルのそんな表情は嫌いじゃないな」  
「私を困らせたくて、わざと聞いたの?」  
「お互い様だろ」  
 そして、唇を重ねる。  
「……リュナちゃんの意地悪」  
「さっきは、優しいっていってくれたはずだけど」  
「さっきはさっき。今のリュナちゃんは、とても意地悪」  
「そんな僕は嫌いか?」  
 さっきベリルがたずねてきたことを、逆に訪ねる。  
「……そんなことを聞くのが、意地悪なところ」  
 そう言って抱きついてくるベリルをかかえ上げると、リュナは彼女を寝台の上に寝かせる。  
 そして、半脱ぎの軍服を脱がせて、下着だけの姿にする。  
「ベリルには、夫はいるのか?」  
「いないわ。早く見つけたいけど、仕事が仕事だしね」  
「なるほどな」  
「だから、身体が疼くの。夜な夜なリュナちゃんのことを考えちゃって」  
「嘘付け」  
 言いながら、リュナもベッドの上に上がる。  
「嘘じゃないわ」  
「騙されない」  
 そう言って、ベリルを抱き寄せる。  
「いろんな奴に抱かれて、いろんな奴に同じことを言ってるんだろう」  
「違うわ。リュナちゃんだけ」  
 そう言って、火照った肢体をすり寄せてくる。  
 
「その割には動きが慣れてるな」  
「……仕事で抱かれることは少なくないもの」  
「だと思った」  
「軽蔑する?」  
「まさか。裏の仕事なら僕だって何年もやってる」  
「リュナちゃんも、女の子を抱いたりもしたの?」  
「任務上やむをえなかったけど、孕ませたことは三回、偽装結婚だって二回ある。国外での任務だったら、ターゲットの近親者や婚約者をレイプしたことが六回ある」  
「ひどい男」  
「ついでに言えば、任務遂行後は証拠隠滅のために相手を消したことも一度や二度じゃない。フィルは僕のそういうところも知ってるけど、さすがにリシェルには言えないな」  
「……やっぱり、私の教え子ね」  
「似たことやってきたのか?」  
「私がベッドの上で殺した男は、20人より上よ」  
「怖いな」  
「うち二人は軍の関係者だけど。……それから二ヶ月以上謹慎させられて、その間に懲罰房で咥えさせられたモノの本数は覚えてもいないわ」  
「……何があったかは聞かない方がいいのかな」  
「聞いてもいいけど、同情されるのは好きじゃないから」  
「同情してもらえるうちが華だぞ。僕なんか、やったことに同情してもらった覚えがない」  
「同情してほしいの?」  
「別に」  
「じゃあ、いいじゃない」  
「そうだな。堕ちた者どうし、傷を舐めあうのも悪くないと思ったんだけど」  
 そう言って、ベリルの乳首に舌を這わせ、少し強めに吸う。  
「んっ……」  
 ベリルの口から喘ぎ声が漏れる。  
 そっと口を離すと、ベリルの肌を舌で愛撫する。  
 唾液が、ベリルの白い肌を汚す。  
「はぁ……あふっ……」  
 シーツをわしづかみにして耐えているベリルの身体が、時々ぴくんと反応する。  
 舌を離すと、ベリルを抱き寄せ、鼻の先端にキスをする。  
「リュナちゃんって……上手ね」  
「まだ何もしてないだろ」  
「だけど……すごく気持ちいい……」  
「ベリルがそんな顔するなんてな」  
「……変……?」  
「いや。とても魅力的だ」  
 そう言って、ベリルを後ろ向きにすると、抱くようにして後ろから胸のふくらみを愛撫する。  
「自分では、すこしは上達したと思ってるんだけどな」  
「自分からそんなこと言ってるうちはまだまだよ。本当に上手になれば、黙ってても相手から悦んでくれ……あっ」  
「こういう風にか?」  
「……そう……とても……いい……あっ、だめ、もっと……」  
「こう?」  
「あっ……んっ、そこ、ああっ……」  
「ベリルの手が、じれったそうにリュナの手首を掴み、押し付ける。  
「ああっ、お願い、もっと、リュナ、もっと……」  
 そういわれて、わざと手の動きを緩める。  
「……リュナ……ちゃん?」  
「今、ちゃん付けしなかったね、ベリル」  
「そ、そうだった……?」  
「なんとか、子ども扱いされなくなったのかな」  
「……ダメ。まだまだ、リュナちゃんなんて子供。悔しかったら、もっと私を感じさせて」  
 そう言って、ぷいと向こうを向くベリル。  
「やれやれ」  
 苦笑いしながら、愛撫を再開する。  
 
 しばらく両手で左右のふくらみを弄ぶと、片手をゆっくりと腰の辺りまで下ろし、下着の横を結ぶ紐を解く。  
「あ……」  
「いいだろ? そろそろ」  
「そうね……このまま、後ろから入れて……」  
 そう言って、ベリルが尻尾を摺り寄せてくる。  
「じゃあ、あとは自分で脱いでくれるか?」  
「いいわ……」  
 手首を押さえつけていた腕が離れ、下着をするりと外す。そして、背後を振り向いてリュナを見つめる。  
「獣のように、めちゃくちゃに犯してくれる?」  
 その言葉に、少し驚きながら問い返すリュナ。  
「……乱暴なのが好きなのか?」  
「リュナちゃんに蹂躙されたいの。押し倒されて、気を失うまで責められたい」  
 熱っぽい瞳が見つめる。  
「その気があったってのは意外だな」  
「だって私、これでも従順なイヌなのよ」  
「ベリルの口から、従順なんて言葉が出るとはな」  
 そう言って、きゅっと後ろから抱いて、優しく入れる。  
「あっ……リュナ……ちゃん?」  
「悪い、そういう乱暴なのはあまり好きじゃないんだ」  
 そう言って、優しくリードする。  
「……もう」  
 拗ねたような声。  
「言うこと聞かないんだから」  
「声が嬉しそうだぞ」  
「……それは……気持ちいいし……」  
「ベリルは、泣きそうな顔よりそんな顔の方が美人だからな。泣き声より、喘ぎ声の方がかわいらしい」  
「もう……そうやって、すぐに口説こうとする……あんっ」  
 抱きかかえる腕の指がベリルの乳房の先端を軽くこすってしまい、ベリルがかすかに身悶える。  
「感度いいんだ」  
「軍人だもの」  
「なるほど」  
 言いながら、敏感そうな部分を愛撫する。  
「ぁん……」  
 甘い声。  
 ベリルは背中からもたれかかるようにしてリュナに身をゆだね、愛撫と挿入のリズムに酔いしれている。  
「やっぱり、獣みたいにされるほうが好き?」  
「……ううん……リュナちゃんに、ずーっとこうしてほしい……」  
「やっぱり、ちゃん付けか」  
「だって……リュナちゃんはリュナちゃん。そうやって、優しくしてくれるうちはずーっとリュナちゃん」  
「獣のようにやれば、ちゃん付けじゃなくなるのか?」  
「でも、リュナちゃんはそんなことしない。だから、ずーっとずーっと、リュナちゃんはリュナちゃん」  
「まいったな」  
「でも、今のままのリュナちゃんでいてほしい」  
「はいはい」  
 言いながら、腰と指を動かす。  
「……あぁ……」  
 熱い吐息を漏らして、ベリルが少し目を閉じる。  
「そういえば、リュナちゃんのエグゼクターズでのコードネームって“アピ・ニュニュ”だったわね……」  
「……その名は忘れてくれ。むかしキンサ……いや、西の密林地帯に行ってた時、ある女に人前でそう呼ばれた時は本気で死にたくなった」  
「うふふ……だけど、本当に素敵……このままアピ・ニュニュにさらわれちゃいたいくらい」  
 
 
 一時間後。  
「リュナちゃん……もう眠った?」  
「…………」  
 返事はない。  
 時計を見ると、もう深夜の二時を過ぎている。さすがに、リュナも疲労が溜まっていたのだろう。  
 そこに、唾液とともに流し込んだ薬が効いているのだろう。  
「……お疲れ様、私のリュナちゃん」  
 そう言って、そっと口付けを交わす。  
 そして、すばやく軍服に着替えると、そのポケットから何かを取り出す。  
「いいわ。リュナちゃんを確保して」  
 そして、小声でそう伝える。  
 一分と立たないうちに、扉が開き、複数の男が部屋に入ってくる。  
 そして、手分けして行動を開始する。  
 眠っているリュナの口許に、麻酔を嗅がせて起きないようにすると、手早く拘束し、トランクのようなものに押し込める。  
 その間に、別の数名が部屋に立ち寄ったものがいないようにみせる偽装工作を行う。  
 マスクで顔を隠した男たちの頭の上からは、三角形の尖った耳が見える。  
「アルヴェニスとフィルちゃんの確保は完了してる?」  
「完了しています。すでに屋外に移動させており、リュナ・ルークスの確保が完了すればすぐにライファスへと向かうことが出来ます」  
「そう……ありがとう」  
「今後の指令は」  
「義兄さんの指示に従って。でも、当分は目覚めないように定期麻酔を続けてね」  
「はっ」  
 男たちは、すばやくトランクケースを隠すようにして部屋を後にした。  
 残されたのは、ベリル一人。  
「……ごめんね、リュナちゃん」  
 ベッドを見ながら、そう口にする。  
「でも、今はまだ内乱が終わったら困るのよ。リュナちゃんの言ったとおり、この内戦が泥沼になってくれなきゃ……私達は、正当な理由で軍を送ることができなくなる」  
 情感の混じった声で、ベリルは続ける。  
「そしてリュナちゃんは、これからもっと大きな舞台に出て行かなきゃいけない。リュナちゃんの力を、もっともっと発揮できる場所に。……だから、そのためには、こんなところにいちゃいけない」  
 ゆっくりと、扉を閉め、そして暗い廊下をどこへともなく歩いてゆく。  
「……ライファスで会いましょうね、私のリュナちゃん……」  
 

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