昨今は女中を持つようなご家庭は少ない。
立派な庭に池があり、塀で囲まれ廊下は板張り。
雑巾がけは冷たい水で。
障子を開け去ると空が薄く青い。
離れに住む一家は先祖代々、大邸宅の一族に仕えている。
次男は無職のいいご身分。
「梅。暇だ。詩でも読め」
「坊ちゃまそろそろ仕事を探したらどうですか」
「あのなぁちっさい頃からの馴染だからってそこまで意見される筋合いはないんだよ」
梅子は幼い頃から世話をしてきた次男の茶髪をじと目で睨んだ。
椿色の和服にしとやかな身を包んで、薄化粧の彼女は考える。
おかしい。
不可解だ。
「石の上にも三年」というのが座右の銘だったのに放棄したくなってきた。
―毎日毎日説教してきたはずだというのに、全く効き目がない!
そう。
孝二郎坊ちゃまは怠惰の塊である。
五つ年上の宗一若旦那が出来が良すぎるのでひがんでいるのだ。
和服の襟にかかった埃を無意識に払い、梅子が口をひん曲げる。
「あーもう孝二郎君はいつもそうなんだから」
「説教は止めろよ。もういい俺、遊びに行くわ。おまえも行こうぜ」
「残念だけど仕事中なの。坊ちゃま一人で行ってください」
「そんなに宗一の世話が好きなのかよ」
顔を顰めて、孝二郎が顔を寄せる。
梅子は赤くなった。
不思議でたまらない。
幼稚園でも小学校でも制服になっても、何から何まで傍にいて、
一番迷惑をかけられどおしだったのにどうして肝心のことは伝わってくれないのだろう。
やや欝気味になる思いを振り払い、梅子は言った。
「それがお仕事ですから」
「仕事、か。……そうだよな」
その言葉に、微妙なニュアンスが含まれているように思えて。
「坊っ――孝二郎君……?」
「いい。一人で出かける」
梅子は焦った。なにしろ現代である。
色町はないが男女は二十歳を過ぎても机を並べる時代である。
自分の世界は孝二郎が七割を占めているけれど、
世界の自分は六十億分の一、女性だけなら三十億分の一、人口増加中地球。
「じゃーな。せいぜいはたきと一緒に踊ってろよ」
ひがみっぽい声が、寂しそうな気がして、今は腹立つどころか胸に刺さる。
そうして町に出かける孝二郎は、きっと可愛い今時の雑誌を飾るブランド洋服を着こなした女の子でもナンパして、
そして、そして――
「ちょ、やだ、孝二郎君!」
和服とはいえ正座から腰を上げて馴染みの主人を呼び止める。
必死の梅子の声にぴたりと孝二郎の足が止まった。
ややひるんだ顔で半分振り返り、また縁側に目を落とす。
「…んだよ。仕事あんだろ。梅は」
「そう、だけど」
だけど。
だけど何が言えるというのだろう。
言いたかった言葉を飲み込む。
「……遊びに、行くのは構いませんけど。
ハ○ーワークにも寄ってくるようお願いしますね」
庭の葉が大樹から一枚、池の表面に舞い落ちた。
「てめ…っ、ハローワー○かよ!いい加減にしろ!」
無気力な顔ばかりしている名家の次男が昔ながらの
大きな表情を一瞬むきだしたにも気づかず売り言葉を女中が買う。
「いい年をなさって、お仕事くらい見つけたらどうですか!
いつもいつも若旦那のことばっかり言い訳にしてほんっっと格好悪いんだか――」
失言だと彼女が気づいたのは、一秒遅れてから。