荷造りを少しずつしてダンボールに遠い海を越えさせる。
中にあるのは衣服だったり蔵書だったり、仕事道具だったり宝物だったりした。
そういうことなら手は貸さないから自分ですべてやりなさい。と
兄には突き放されているのでアルバイトで培った手つきで
割と易々と荷造りはマイペースで進んでいった。
半年かけて引越しをする。
外の緑は初夏の風と相まって青々しい。
また旅に出たくなった。
そろそろやじきた仲間が外国周遊から(無事であるなら)戻ってくるはずなのだが。
一休みと茶を頼み縁側で両足の裏を合わせる。
古い屋敷の景色にも飽きたと思っていたのに、
いざ去るとなるとこの庭も妙に名残惜しくなっていた。
「お茶くらい自分で入れてください」
頼んだのと違う女中がやってきて、孝二郎に引っ掛けそうな手つきで
急須と湯呑をやや乱暴においた。
そしてそのまま隣に座った。
黙って備前の湯呑を取り上げ口をつける。
懐かしい味がした。
「茶入れるの、美味いよな」
昔から不思議と上手い。
お湯さえ満足に沸かせるのか疑問な幼い頃から、隣の女中はとても上手かった。
まあ自分はお茶が熱くて飲めなくて、
冷めるまで放ってどこかに行ってしまって、
帰ってきた頃には飲んでくれなかったひどい折角入れたのに!と
不機嫌になった少女に喧嘩を吹っ掛けられたものだったのだが。
もう一口飲む。
思い出すと少し笑えた。
隣では不服そうな顔をしてお客扱いの女中が僅かに赤くなっている。
「梅」
「はい?」
「荷造り手伝え」
「嫌です。琴子様にも、あんまり甘やかすなって言われたし」
鳥が鳴き、最近よく迷い込む黒猫が縁の下から追い駆けていった。
ぽかぽかとする。
多少隣に気後れがした。
良家の次男坊という身分でなければ、この歳でここまで気楽な午後は送っていないだろう。
まあそれも。
籍さえ入れれば、暗黙のそんな身分すらなくなるわけで。
結婚を口にしたときに、それは夢だと彼女は思ったようだ。
愛しいことと、一緒に生きていくことは幼い日や青い春に信じているような同一のものではなかったし、
二十歳を越えて離れて戻れば、そんなことは二人ともとうに知っていた。
それでも肌の温さや指のかさつきを覚え、
年取るごとに手放した道は交わりにくくなることを思い知り、
もしこのまま共に生きていけないとしたらどうなるのか、
と考えずにはいられなかったのも事実だったのだ。
孝二郎はそういう意味で譲る気がなかった。
だから外聞も気にせず頭は下げたし、大人になったから縋ることも離さないこともできた。
見知らぬ大人に頼るしかなかった台風の夜に、憧れた半分にでも自分はなれたろうか。
――池の縁もすっかり葉桜になり、本格的に季節は初夏だ。
あくびをする。
「子供みたい」
隣で梅子がつぶやいてそんな単純なことに幸せそうに笑った。
その空気が腕にまとわりついてきた頃のはにかみと呆れるくらい変わっていなかったので、
「どっちが」
と拗ねた口調で孝二郎は婚約者に茶を差し出して軽く笑った。