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小雨が降っていて濡れた木材のにおいがしていた。
父が留守だったので書庫に忍び込み、幾つかの資料をあさって家の歴史を辿っていた。
しばらくは邪魔が入らなかったが、ふと顔を上げた。
朝から縁側が軋んで走り回る足音が続いていたがいつしか泣き声に代わっている。
「孝二郎、梅子。うるさい」
廊下に出れば叔母が一人でいた。
目を合わせたまま瞬きをする。
泣き声は遠ざかっていた。
二つ年上の叔母はむしろ、従姉か姉か幼友達のようで何と呼べばいいのか常々迷う。
「…春海姉さん」
「孝二郎達は賑やかだよね。」
日本人形のようなおかっぱで、まだ中三の叔母はなんともないように言った。
肩を竦める。
「僕は、いつまでああしているんだか、と思うけれど」
「それは余計なお世話だよ宗一くん。宗一君のお世話はいつも余計」
腹立たしいことを言って学校帰りのセーラー服のまま、瞳を雨に移して彼女は欠伸をした。
背が低いので、最近伸びてきた宗一と同じくらいになっている。
「琴子姉さんは」
彼女の暴言を気にしてもしかたがないので話題を変えた。
春海はつまらなそうにデートだってーと答えて雨を見ていた。
「雨が見えますか」
通りかかると硝子戸に手を当てていたので、尋ねた。
本家で頻繁に世話を焼かなくては立ち行かなくなった今日この頃では、よく危なっかしく立つ女性の姿を見る。
「においはするよね」
細い女性はつぶやいて、本家の旦那を振り返りもせず空の方を見ていた。
「梅雨だね」
「そうですね」
すっかり背を越してしまったとふと思う。
宗一は立ち止まり叔母を見た。
弟夫婦は子ができたらしく、宗一自身もそろそろ縁組が纏まりそうだ。
相手はなかなか才知溢れる良家の令嬢で、立場の見劣りしなさについても
屋敷の存続に関しても申し分ない妻になっていただけそうだった。
「見えたらいいのに、と思ったりしますか」
「余計なお世話だよ宗一くん」
なんともないように春海は呟いて、眠いなーとむにゃむにゃした。
相変わらず勝手な人だと当主は思う。
たった三親等というその近さがそうまで遠くさせるものなのだったか。
掃除機の音がする。
梅雨の雨は夕立のように勢いよくもなく、ただ庭の色を濡らしていく。
置き忘れてきた古い色が、水に溶けて消えていくような、それは儚かった望外の幻想。