ホワイトデーは憂鬱だ。  
 
「……はあ」  
今日、もう何度目かわからない溜め息をつく。  
「……はあ」  
目の前には見慣れた幼馴染みの家。  
「は〜あ〜。イヤだなあ〜」  
思わず情け無い声を漏らす。  
ここに来るまで、何度行くのを止めようと思っただろう。  
……「絶対来い」って言われてる以上、そういうわけにもいかないんだけど。  
諦めに似た気持ちを抱えつつ、門に取り付けられたインターフォンのボタンを押す。  
軽快なチャイムの音がなってしばらくしてから、向こうで聞きなれた声がする。  
『はい。どなたですか?』  
「……あー。わたしですわたし。春香」  
『おー! 来たか、ハル! 悪いが、今ちょっと手が離せん! 裏が空いてる、上がって来い!』  
テツ――幼稚園からの付き合いの、熊谷鉄人――の声が、それだけを言って、ブツンと切られた。  
仕方なく、自力で門扉を開け、勝手口に向かう。  
相変わらず、庶民からすると悲しくなるくらいにお屋敷だ。  
庭がとにかく広く、いつも小奇麗にされている。  
ああ、沈丁花がもう花をつけている。  
なんていい匂いなんだろう。花も実に可愛らしいなあ。  
いつまでも、こうして座って見ていたいくらいだなあー!  
「……ハルちゃんじゃないかー? 何をしとるんだね、こんなとこで」  
後ろから声をかけられる。  
「……あ、おじいさん。こんにちは、おじゃましてます……」  
「朝からテツがエラくはりきっとるぞー? その、なんだ、ほわいとでーとかいうので、  
 ハルちゃんにプレゼントらしいなー?」  
「うああああああああああ」  
 
 
――要するに。  
 
「そ、そんなに気合入ってんですか、テツは」  
「おー、なんだか今年もずいぶん前からああでもないこうでもないと、台所に篭って色々しとったぞー?  
 今日なんか、今朝から甘い匂いがずっとしとるしなー?」  
 
――憂鬱の種は、この事だ。  
――趣味が料理全般(特に菓子)という男に、バレンタインチョコなどあげるものでは無い。  
 
 
「うわああああ、イヤだなあああああああ」  
「は、ハルちゃん? どうかしたかね? 心配しなくても、鉄人の菓子はうんまいぞー?」  
「……問題はそこなんですよう、おじいさん。私が先月、どんなチョコをあげたか、  
 おじいさんも知ってますよね? 私、おじいさんにも同じ物渡しましたし」  
「おーおー、覚えとるよう、なかなか素朴で可愛らしかったがのー?」  
……素朴。  
……うん、素朴だろうな。  
なんせ、ホットケーキの素にココアを混ぜて焼いて、それを適当な型で抜いて、チョコがけにしただけの、  
いまどき小学生でも少々手先の器用な子なら、もうちょっと凝った物を作るよってな代物だ。  
うおあー、なんだって下手に――下手な――手作りなんかしたんだ、一ヶ月前の私。  
まだ市販品に逃げた方がまだマシだっただろうか。  
いやでも、去年のしょぼい500円トリュフに返ってきたのが、チョコの風味濃厚。リッチ極まるガトーショコラ。  
一昨年の銀紙チョコ詰め合わせに返ってきたのが、純白眩しいふわっふわのエンゼルシフォンだった事を考えて。  
考えて――、まあつまるところ、自棄になったという事なのだろう。  
 
 
――で、その自棄の代償として。  
「……胃、胃が痛い……」  
今、こんな事になっている。  
ちくしょう、テツの馬鹿たれめ。  
いくらテスト休みとはいえ、たかがホワイトデーにそこまで気合入れなくてもいいじゃないか。  
それともなにか、世間における『ホワイトデーはバレンタインの三倍返し』という戯言を生真面目に  
守っているとでも言うのだろうか。  
だったら頼むから止めてくれといいたい。おかげで毎年毎年、こうして女として悔しいやら、しょぼいチョコで  
申し訳ないやら、来年はどうしたらいいのか途方にくれるやらで、とてもしんどい事になっている。  
もう今年はいっその事バレンタインになにか贈るのは止めようかとも思ったのだが、私が何もしていないにも  
関わらず、テツがホワイトデーにきっちりと贈ってくるという事態だけは避けたかったため、中途半端な手作り  
という事になったのだが。  
もう気が重いなんて物ではないのだが、行かないわけにもいかず、勝手口の戸をあける。  
「なにやってたんだ? 遅かったじゃないか」  
「……ああ、うん。ちょっと庭でおじいさんと話し込んでた」  
……わー。  
……相変わらず、とんでもないなあ。  
身長190センチ近い坊主頭のマッチョが、やたらヒラヒラしたファンシー極まるデザインのエプロンを  
身につけているのを見ると、なんというか、異次元に迷い込んだような気分になる。  
いや、まあ、これをテツに贈ったのは、他でもない私なんだが。  
で、テツがわざわざ着てくれてるのは、私の為だというのも解っているのだが。  
……それにしても、シュールだなあ。  
 
「まあ、ちょうど良かった。今、飾りつけがすんだところだ。茶を入れるから、座って待ってろ」  
言われるがままに、日当たりの良いいちばん良い席に通される。  
程なくして、テツが大きなお盆でお茶と問題のケーキを運んできた。  
「今年はなー、いい苺が手に入ったから、苺の菓子にしてみたんだが、どうだ?」  
――どうもこうも。  
周囲をぐるりと囲む真っ白なダクワーズ(メレンゲ生地の焼き菓子)。  
その上にこれでもかと盛り付けられた真っ赤な苺。  
1ピース分を切り取られた断面からは、パステルピンクの苺ムースと真っ白なムースの2色が  
美しいコントラストを描いている。  
――完璧な、シャルロット・フレーズだった。  
「あー、こっちの赤いのが苺で、こっちの白いのがホワイトチョコのムースだ。まあ、食べてみてくれ」  
「……い、いただきます」  
うわあちくしょうおいしいいいいい。  
苺ムースに少しヨーグルトが混ぜてあるのだろうか。  
甘酸っぱくさわやかで、しかしてホワイトチョコムースの風味とケンカしていない。  
側面のダクワーズもさくさくしゅわしゅわでものすごく美味しい。  
ああああ、紅茶も程よい渋みがケーキと合ってておいしいなあああ、ちくしょうううう。  
一切れをあっというまに平らげる。  
ああ、美味しかった。  
美味しかったん、だけど――。  
「……あのさ、テツ」  
「む、どうした? 口に合わなかったか?」  
「逆だよ、逆。……いや、毎年毎年、申し訳なくてな。私、バレンタインにマトモなものあげてないだろう」  
「……そうか? 今年のチョコなんか、素朴な手作りで俺は感動したが。あれはとても嬉しかった」  
「いや、私のとオマエのだと、オマエのほうが良すぎる。不公平だ、申し訳が無い」  
いくらなんでも、格差がありすぎると思うのだ。  
 
「それでだな。来年からは、こういうのはもう止めに――「それなら」」  
言いかけた言葉を遮られる。  
「――それなら、5月の連休あたりに、どこか行かないか」  
「え?」  
「いやな、潮干狩りに行きたいんだが、ツレにはみんな断られたんだ。  
 男一人で海というのもなんだし、できたら、ハルにいっしょに来て欲しいんだが」  
……そんな事で、いいのだろうか?  
「……よし。そんなら、交通費は私が出すよ」  
「……む。……あー、うん。頼む」  
うん。  
それだけでも、だいぶ気が楽になる。  
「5月か。楽しみだな」  
「……ああ、楽しみだ。絶対行こうな、海。……二人で」  
「うん、楽しみ。……ところで、テツ。もう一切れ、おかわりをしてもいいかな?」  
苦笑して、テツがもう一切れ切り分けてくれる。  
 
 
 
 
「……できれば、一泊ぐらいしたいものだが」  
「テツ? 今、何か言った?」  
「いいや、なんでも。それより、ホレ、二つ目だぞ」  
「あ、ありがとう。……うん、すごく美味しい」  
「……幸せそうだな」   
「だって幸せだからな」  
「……そうか」  
 
 
――陽射しは暖かく、お菓子は美味しい。  
目の前には、気心の知れた幼い頃からの友人がいる。  
世界は、今日も平穏だ――。  
 

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