僕こと、藤野美秋は甘いものが好きである。チョコレートとか。
その中でもほかと比べられないくらい好きなチョコは、やっぱり僕の幼馴染、
もみじが作ってくれたものである。
「おはようございまーす、もみじ、行くよー」
中学の3年生のバレンタインの朝、藤野家までもみじを迎えに行く。
母さんによって麻に藤野家に預けられていたため、幼稚園からの習慣だった。
一度習慣になると止めることが難しく、また、恥ずかしいけど僕ももみじもその習慣が好きだったから、ずっと続いていた。
「美秋くん、おはよう。それじゃ、今日もがんばっていってらっしゃい」
かえでおばさんの声に続いて、制服のもみじが出てきた。
「おはよ、秋ちゃん。それじゃ、行こうか」
制服はつまらない紺のブレザーだったけど、それでももみじはかわいく見えた。
学校に近い僕たちは自転車での通学が認められていなかった。
そういうわけで、その日も僕たちは見慣れた道を歩いていた。
「秋ちゃん、今日は何の日か知ってる?」
嬉しそうに聞いた。
「俺は、もみじがチョコくれる日としてしか記憶してないけどね」
まだ自分のことを俺、って呼んでいた。
「うん!それでいいの。本当は好きな男の子にチョコあげる日なんだけど、秋ちゃんは私からしかもらえないからね。
かわいそうだから今日一日一緒にいてあげる」
「・・・まあ、いいけどさ」
一緒にいるのはだいたいいつものことだったけど、やっぱり嬉しかった。
ただ、もちろんこれは、僕がもみじ以外の女の子からチョコをもらわないようにするための妨害だったけど。
教室に入ると、教室はいつもと違う浮き足立った雰囲気になっていた。
まあ、もらえないとわかってはいても期待してしまうのが男だからね。
「おー、藤野。ちょうど今日のことについて話してたんだけど、お前はどれだけもらえるのかって、
あー、お前は例外だったな、悪い」
話を振られてすぐに謝られた。困った。いいけどさ。
「俺は、バレンタインにもみじ以外からチョコをもらった記憶が無いんだ」
友人たちは羨むような、哀れむような微妙な表情を浮かべるだけだった。
「秋ちゃん、次は理科室だよ」
もみじは、宣言どおりずっと僕と一緒にいた。
もみじの努力のかいもあり、その年も僕はもみじ以外からチョコをもらうことはなかった。
2月はまだ日が短い。
二人で帰るころには陽は落ちかけていた。
「今年も私だけだったね、秋ちゃん」
「・・・そうだね」
思うところが無いわけではなかったけど、僕は何もいえなかった。
「じゃ、秋ちゃん、これ!お返し、期待してるね!」
「あ、うん。ありがとう、もみじ」
きれいにラッピングされたチョコをもらう。間違いなくくれるってわかっていても、やっぱりすごく嬉しいものだった。
「・・・本当に、期待してるんだからね、毎年・・・」
僕にぎりぎり聞こえるくらいの声で、寂しげに笑う。
僕はまだ、その言葉からどういう意味を引き出せばいいのか、それにどう反応すればいいのかわからなかった。
もみじが好きなのはもちろんだったけど、その「好き」がどんな性格のものなのか。
僕に責任が果たせるんだろうか。もみじのこと、本当に好きだったから、答えは出せなくて。
もみじの家の前で立ち止まる。陽は完全に落ちて、藤野家の門の街灯の明かりだけが僕たちを照らした。
「ね、秋ちゃん・・・」
もみじが口を開いた。胸にありえなくらいの衝撃が走った。
「これは、ほんとうに特別なチョコ。食べて、くれる・・・?」
もみじはポケットからチョコを取り出し、口に咥えた。そして、目を閉じた。
あたりは誰もいなかった。
僕と、もみじだけだった。
目の前にはチョコを咥え目を閉じたもみじ。
頼りない明かりの下でも、もみじが綺麗なのはわかった。
白い頬には朱が混じり、まつげがかすかに震えていた。
もみじが僕に何をしてほしいのか、わからなかった。
わかるのが、こわかった。
一瞬が、永遠と感じられた。
僕はまだ、答えを見つけられなかった。だから、僕は。
もみじの肩をつかむ、びくっと震えた。
ごめん、まだもみじの望むことはできそうにない・・・。
突き出されたチョコを思い切りかじる、硬い音と共に、チョコは割れた。
二人の唇は、つい交わることはなかった。
もみじの目が開けられた。悲しげな目だった。
「それじゃ、また明日!」
逃げるように走り出した。
美秋くんは、その年も答えをだしてはくれなかった。
「・・・意気地なし」
でも、予想通りだった。それでこその美秋くんだから。
それでも。
「期待してたんだけどな、今年もダメか・・・」
いいもん、まだ先は長いし。残されたチョコをかじる。
「・・・苦いなぁ」
それが、去年のバレンタイン。
「そうだよ、美秋くんがもっと大人だったらこんなに苦労しなくてすんだのに!」
「いや、こんなときに蒸し返さないでよ」
その一年後のバレンタイン、つまり今、その僕たちは無事にこうして抱き合っていた。
「でも、本当にいろいろあったね」
「・・・そうだね」
今日なんかも、母さんは藤野家に行ってくれて、この家を二人きりにしてくれた。
「この一年が無ければ、きっとこうしてもみじと抱き合うこともできなかったよ」
「またそんなこと言って・・・ん・・・」
もみじの胸に触れた。抱くたびにもみじの体は女性らしくなっていく、気がした。
「ん、いま、もしかしてとっても失礼なこと考えてなかった?」
「いや、そんなことはないよ」
もみじは本当に鋭い。
「だめ、言うこと聞かないとゆるしてあげない」
僕にしなだれかかった。そのチョコとって、命令した。もみじ手作り、すごくおいしかった。
また口にでも咥えるのかな、思ったのもつかの間、もみじは自分で食べてしまった。
次の瞬間。
「うお、ん!んむむ!」
もみじは僕にキスをした。すぐに舌がはいってくる。舌と一緒にチョコも入ってきた。驚いた。
「・・・ん。今年はちゃんとたべられたね」
未だ混乱の収まらない中で、なんとかチョコを飲み込む。
もみじを見ると、ものすごく満足そうな顔をしていた。涙が見えた気がしたのは、見間違えと言い切れるだろうか。
「・・・おいしかったよ」
もみじを抱き寄せた。
今年は僕も伝えられるよ。
大好きだ、って。