その上級淫獣はあてのない旅を続けていた。
そんな彼が海の花女学園のあるこの地方にやって来たのはまったくの偶然ではない。
彼の持つ二つの特殊能力の一つである“鋭すぎる予感”に導かれての事だった。
彼はその力のおかげで何度も命拾いをしてきた。
そしてその予感が「この方角に行くと自分と奇妙な縁で結ばれている者と出会う」と告げていたのである。
※
海の花女学園が異世界に移動して12日目の夜。
女学園近辺の淫獣世界ではストレングスの行なった大規模なメス狩りとその顛末の事で持ちきりだった。
60匹からなる淫獣を動員して突如出現したメスばかりが住んでいる巣を襲い、ストレングス以下多数がメスの返り討ちにあい殺され、生き残った者はほうほうの体で逃げ帰るという大失敗。
この結果は衝撃を持って淫獣達の間に響き渡った。
そしてその話題は長旅をしてきたその上級淫獣の耳にも入った。
※
ここは異世界の森の最深部。
三つの月光もほとんど入ってこないこの場所に今、メス狩りの顛末を触れまわっている一匹の淫獣がいた。
ストレングスにいつも付き従っていたあの大蛙である。
そんな彼に声をかけた者がいた。
「グエッ？」
振り向いた彼の目に頭上の木陰の間から射し込むわずかな月光に照らし出された豪奢なタテガミと獅子の顔が飛びこんできた。
上級淫獣・獅子頭人がそこに立っていた。
（獅子頭人/首から上が獅子の頭で、その下は人間の体格で全身を獅子の体毛が覆っている）
なにやら手に棒のような物を持っていたが、そこまでは影になってよくわからない。
大蛙はこの見かけない獅子頭人をしげしげと眺めた。
「怪しい者ではない。俺の名はエンペラー。少し知りたいことがあってお前に声をかけた」
エンペラーはこの近隣に広がっているメス狩り失敗の話に興味を覚えていた。
いや、もっと厳密に言えばそのメス達に痛快さすら覚えていたのだ。
そして積極的に情報を集めるているうちにストレングスの傍にずっといて、その一部始終を見ていたこの大蛙に行き当たったのである。
「ああ、話す必要はない。お前は俺がお前の頭に手を乗せている間、その時のことを思い出しさえすれば良いのだ」
「グゲ？」
エンペラーの言っている事の意味がわからず後ずさろうとする大蛙だが、鋭い眼光でひと睨みされたらおとなしく従った。
この獅子頭人は自分がとても敵う相手ではないという事がわかったのだ。
エンペラーに手を乗せられ大蛙はメス狩りの一部始終を思い出しはじめた。
するとその記憶がエンペラーの脳裏に流れこんできた。
・右手を振り下ろすストレングスとそれを合図に女学園の正門に突進する淫獣達。
・「別働隊に連絡！当初の予定にしたがって行動を開始せよと」と言うストレングス。
・後ろから警備員たちを襲う灰色怪猫ら別働隊。
次から次へと大蛙の記憶が質の良いビデオで再生されたような鮮やかな映像となってエンペラーの中へ入っていく・・・・。
この触れた相手の記憶を読み取る事ができるのが、彼のもう一つの特殊能力であった。
獅子頭人族はカンの鋭さと相手の記憶を読むというのが特徴である。
ただし記憶を読むといってもノイズの入った画像がフラッシュバックで見えるだけで（それでも十分凄いのであるが）、このエンペラーの様に鮮明に読み取る事ができる者はここ百年は出たことがなかった。
さらに彼のカンも一族の誰と比べても鋭すぎ、ほとんど予知能力に近いといっても過言ではないかもしれない。
それほどの能力を持つ彼がなぜ孤独な一人旅を続けているのかはいずれわかる。
「ん？」
大蛙の記憶は鞘から引きぬいた桜吹雪を振るう皐月が怪猫を斬り倒したところに至った。
（これは、このメスは・・・）
それまで黙々と記憶を読んでいたエンペラーはあきらかに動揺した。
記憶の中には唯やベスの姿もあったが、彼は皐月にのみ集中しはじめた。
やがて皐月がストレングスを倒し、大蛙の記憶が必死に学園から逃げ出した頃になってようやくエンペラーは大蛙から手を放した。
「じゃましたな」
きびすを返し去って行くエンペラーを大蛙はただポカンとして見送った。
彼はエンペラーが自分に何をしたのかサッパリ分からなかったのだ。
※
エンペラーの頭は今や皐月のことでいっぱいだった。
彼女の持つ雰囲気は郷愁を伴い獅子の心を締めつけていた。
やがて彼は森の入口まで来ていた。
全身に月光を浴びながら女学園がある森の方角に目をやった。
「あのメスは・・・もしかしたら・・・しかもあいつが使っていた武器は・・・」
ふと自分の左手に目を下ろすエンペラー。
彼が持っていた棒のような物は月光を浴びてはっきりとその姿をあらわしていた。
鮮やかなあずき色の鞘・鯉口近くに描かれた紋のような桜の花の絵。
・・・・それは桜吹雪とまったく同じ造りの一振りの日本刀であった。