「花見?」
生暖かい風が吹くなか、大学の中庭で。
突拍子もない提案に、私は呆けた顔で聞き返していた。
「そう、花見」
洋が気にした様子もなく返す。
何が問題なのかと言うかのように。
「もうだいぶ散ってると思うんだけど」
四月の下旬になった今、花を見られるのは地面でだけだろう。
「少しは残ってるだろ、多分」
「花見じゃないじゃん」
「確かにな」
苦笑する洋を見て、私はため息をついた。
「そもそも私行ったし。花見」
「まぁ無理にとは言わねぇよ」
洋がこうやってどこかに行こうと誘う時は、大抵何かある。
例えば初めてバイト代が入った時に、意味もなくなにかおごってくれたり。
全く意味のない時も、ないわけではなかったけれど。
「別にいいけどさ、私だってそんなに暇じゃないんだし」
そんなに急に言われても困る。
「いや、だから無理だったら別にいいって」
繰り返しながら、洋が煙草を取り出す。
あまりにも淡白で、今回は何かあるようにも思えない。
「んー。じゃあさ、なにかおごってくれる?」
「無理。今月厳しいからな」
「えー」
「バイト代だってそんなに多いわけじゃねぇし」
煙草に火をつけて洋がぼやく。
「家庭教師やってるんだっけ?」
「あぁ。時給はいいんだけどな。時間数が少ないから」
仕送りが少ない洋は、バイトで生活費をまかなっている。
奨学金を使う気はどうやらないらしい。
「じゃあ、煙草やめたらいいじゃん。結構お金かかるんでしょ?」
いつも洋が喫っている煙草は海外産で、国産のものより割高だ。
「やめる気はないんだろうけど」
「まぁな」
細く煙を吐き出し、薄く笑う。
「で、どうするんだ?」
「どうしようかなぁ」
ちらりと時計に目をやる。もう次の講義が始まる時間だ。
「ごめん、あとでもいい?」
「あぁ。余裕があるようなら、あとで連絡してくれ」
「分かった」
「じゃ、な」
「ん。またね」
軽く手を振って、私は講義室に足を向けた。
さて。どうしたもんかね。
約束の時間の五分前、待ち合わせの公園で、ぼんやりと煙草をふかしながら考える。
特に何かあるわけでもねぇんだよな、正直。
花見って言っても花は散ってるから花見じゃねぇし。
もう葉桜だから、言い換えるなら葉見になっちまう。
「どうしたもんだろうね、マジで」
すっかりぬるくなった缶コーヒーをすすって呟く。
花見のあとに何をしようかなんて、まるで考えちゃいない。
「ま、適当に流しゃいいか」
果林にゃいい迷惑だろうが、たまにはこういうのも悪くないだろ。
残っているコーヒーを、あおるようにして流し込む。不味い。
ぬるいコーヒーなんざ飲むもんじゃねぇな。
空き缶をゴミ箱に投げ入れて、空を見上げる。春の日差しが暖かい。
初夏といっても差し支えのない時期なんだし、当然ではある。
視線を腕時計に移す。約束の時間はもうすぐだ。
「どうせ遅れてくるんだろうが」
ちょっとした絶望を感じながらぼやく。
果林が時間通りに来ないのは分かりきっている。
それなのにきっちりと五分前行動している自分は、他人から見たら滑稽だろうか。
なんとなくジッポの蓋を開け閉めしてみて、自分の間抜けさに苦笑してしまう。
初めてのデートで、約束をすっぽかされた男。そんな風に俺は見えるかもしれない。
別にそんなに惨めな状況じゃねぇけどな。
短くなった煙草を踏み消し、新しい煙草に火をつける。
クリームやバニラのような、甘ったるい香りが広がっていく。
ジッポをしまいこんで、辺りを見回す。
果林は今日どれだけ遅れてくるんだか。
たっぷりと煙を吐き出しながら、俺は古ぼけたベンチに腰を下ろした。
━━━
あー。マズいなー。
バスが時刻通りに来ないことにやきもきしながら、私は思う。
バスを待っている時点で、もうすでに待ち合わせの時間になってしまっているこの状況。
あまり望ましいとは言えないよね、やっぱ。
「……電話くらいしといた方が良いかな」
やはり一言伝えておくべきだろう。まぁ、「遅れる」としか言えないのだけれど。
鞄の中から携帯電話を取り出し、履歴を開く。
一応、履歴に洋の名前は残っていた。
通話ボタンを押して、無個性な電子音を聞きながら考えてみる。
洋は、どんな反応をするだろうか。
いつもは遅れそうになっても連絡をしてないから、驚くかもしれない。
それともあきられるかな。たぶん、怒りはしないだろう。
それこそ、自分でもあきれてしまうくらいに、常習だから。
ぼんやりとそんなことを考えて、溜め息をつく。
情けないな、私って。昔から変わらない。
本当に、昔から幼馴染みとの待ち合わせには遅れてばかりだ。
洋以外との待ち合わせには、滅多なことでは遅れないのに。
要するに、甘えているのかもしれない。洋に、幼馴染みとしての関係に。
洋はまだ電話に出ない。コール音だけが私の耳を打つ。
「どうしたんだろ」
顔を上げて道路に視線を移すと、バスがもうそこまで来ていた。
「ま、いいか」
電源ボタンを押して、私はバスが止まるのを待つことにした。