煙草をふかしながら、俺は空を見上げていた。曇った空は今にも雨が降りだしそうに見える。
待ち合わせの時間からもう既に三十分は経っていた。とは言え予想の範囲内ではあるのだが。
アイツが遅れてくるのはいつもの事だしな。予想がついてるんだから俺も遅く行けば良いんだろうけど。
「やれやれ」
溜め息を吐きながら煙草を踏み消す。足元には既に何本か吸い殻がある。最近煙草の消費量が増えてるな……。まぁだからといって減らすつもりがある訳じゃ無い。
新しい煙草をくわえ、火をつける。肺に煙が満ちる独特の感覚。美味い。
「ごめん洋、待った?」
聞き馴染んだ声がうしろからかかる。あまりに脳天気な声に振り向いて睨み付けてやる。
「待ってないと思えるんならたいしたものだと思う」
「じゃ、煙草消して。行こっか」
コイツ聞いてねぇ。
「もう少しすまなそうな顔をしてみようか、果林」
「いつものことだしお互い様でしょ」
「いつものことだから尚更だろうよ」
「え、お互い様は無視?」
「遅れてくるのはほとんどお前だろ」
「ほとんどってことはアンタも遅れてきてるってことで、やっぱりお互い様じゃない」
「……お前なぁ」
減らず口は一流だなコイツ。呆れると言うより感心しちまうよ。
「ほら。無駄口叩く暇があったら行こ。買い物、付き合ってくれるんだよね?」
「あー。俺帰っていいかー?」
「駄目。それに、帰るつもりだったら今ここにいないよね?待ち合わせの時間過ぎたら帰ってたよね?」
ニヤニヤと笑って果林が言う。……コイツ。
「じゃ、な」
「あっ、ちょっと?」
聞いてられるかっての。ロクに吸ってない煙草を捨てて、歩を進める。
「付き合いきれねぇよ」
「待ってよぉ」
「待てと言われて待つ馬鹿はいないよな」
「わかったよぉ。昼御飯オゴるからさ」
「最初からそう言えばよかったんだよ」
メシの話を聞いて意識しても口の端が上がっちまう。何を食おうか。なんたってタダだしな。
「まぁ嘘だけど」
「オイ」
嘘かよこのアマ。
「……そんな怖い顔で睨まないでよ」
「睨んでない」
「普通昼御飯くらいでそんなに怒る?」
「期待させといて……この野郎」
「私女だから野郎とか言われても」
外れるんじゃないかと思うくらい肩が下がる。
「そうだったな。お前に期待した俺が馬鹿だったんだろうな」
「そうだね。付き合い長いんだしそのくらい分かってたでしょ?」
柔らかそうな果林の髪がふわりとゆれる。見慣れた笑み。
「誤魔化すのは巧いよな」
「多分洋の学習能力不足だと思うけど」
「人はそれを開き直りと言う」
「言わないよ」
「……呆れたヤツだな」
「え?洋が?」
「こんな不毛な会話したくないんだが」
言いながら気付くと煙草を取りだしちまっている俺がいる。なるほど。
「いや、確かに呆れたやつかもな。俺」
「でしょ?」
「それをお前に言われるとムカつく」
「なんでさ」
「そんなもんだろ」
「そんなもんかもね」
いつもどおりの実の無いやりとりに、軽く溜め息を吐いて。
「で、買い物どこに行くんだ?」
「へ?」
「いやそんな間の抜けた声出されても困る」
お前が付き合えって言ったんだろうに。
「なんだ。本気で帰るつもりなんだと思ってた」
「これで帰ったらただの馬鹿みたいだろ俺。待った時間も無駄だし」
「えっ……と。馬鹿じゃなかったの?」
「貸し一つな?」
取り敢えず馬鹿よばわりは無視する。
「そっか。否定しないってことは馬鹿なんだねー」
「あのなぁ」
「可哀想だねー」
「貸し一つは無視か!?」
都合の良い耳してんなオイ。
「だって馬鹿って言ったのも無視したし」
「そりゃするだろうよ」
この会話自体馬鹿みたいなもんだけどな。
「まぁでも付き合ってくれるんなら馬鹿でもいいよ。行こ」
こういう関係も悪くない、か。
こういう関係も悪くないってのは嘘でしたごめんなさい神様。
なんで俺は買い物に付き合うなんて言っちまったんだ……。
俺は一人で呆けていた。よりによって女しかいない場所で。
服を買いたいってのは分かる。別にそれはいい。
ただ付き合ってもいない男が、だ。女物の服しか売ってないところに連れ出されても。
なんとなく恥ずかしい。しかも禁煙だし果林のヤツは試着するって言ったきり帰ってこねぇし。
などと一人所在なさげにしていたからか店員さんが話しかけてきた。
店員まで御丁寧に女だ。
「一緒に来たの彼女ですか?可愛いですね」
気を紛らわせようとしてくれているのだろう、軽い感じだ。
彼女ではないのだが説明するのが面倒だし話を合わせる。
「そうですか?そんなでもないじゃないですか」
そうは言ったものの正直果林は可愛いと思う。幼馴染みと言う贔屓目を差し引いても。
肩まで伸ばした栗色の髪。人を惹き付ける瞳。底抜けに明るい笑顔。
同性からも異性からも好かれるような不思議な魅力が果林にはある。
そういう女性と二人で出かけるのはオイシイ状況なのかもしれない。
幼馴染みと言うある種の壁がなければ。
俺の言葉を謙遜と取ったのか店員が続ける。
「お似合いのカップルじゃないですか。妬けちゃいますねー」
社交辞令だとは分かっていても悪い気はしない。
「はは、ありがとうございます」
我ながら間の抜けた答えだが仕方がない。
実際には果林と恋人同士というわけではないし。
大して実のない世間話をすること数分。
他の客が来たために店員は俺をおいてそちらの方に行った。
なんとなく、店員の言葉を反芻する。
彼女……か。果林のことをそういう風に考えたことが無いわけじゃない。
ただ、ガキの頃から腐れ縁でそんな雰囲気じゃないんだよな。俺達。
お互いそれなりに大人になって。少なくとも俺は現状維持で良くなっちまった。
今更好きだ嫌いだとかってのもおかしな話だからな。
果林がどう思ってるかは知らんが。
「やっ。お待たせー」
むやみやたらに明るい声がかけられる。
「待たせすぎだっての」
「で、この服どうかな?」
相変わらず人の話を聞かない女だ。
「一応聞いておきたいんだがこういう所は女友達と来るもんじゃないのか?」
「質問に質問で返さないでよ」
軽く唇をとがらせて果林が言う。
「似合う似合う似合う。よし、これでいいな?じゃあ俺の質問に答えろ」
「真面目に答えてよー」
言われて仕方なく果林の服を見る。
パステルカラーの上着に白いインナー。それに、細身のジーパン。
淡色系の服は果林の柔らかい表情に良く似合うし、魅力的に見える。
「似合ってるんじゃないか?多分」
取り敢えず無難に答えておく。
「多分て。なによそれ」
不服そうだが無視だ。構ってたら日が暮れる。
「ほら、答えたんだからお前さんも俺の質問に答えろよ」
「質問?なんだっけ?」
お前はニワトリか。
「こういう場所は普通女友達と来るもんじゃないかと聞いたんだ」
「んー、そうなんじゃない?じゃなきゃ彼氏とか」
果林があっさりとそう答える。
「じゃあなんで俺なんだよ?」
「みんな今日忙しいんだってさ」
「別の日来れば良かったろ?」
「今日逃すとしばらく暇無いんだもん」
だから仕方なく、ってことか。なんとなく面白くない。
「つーか一人で来れば良かったんじゃないか?」
思い付いたままに呟く。多少の不満も含めて。
耳聡く聞き付けた果林が文句をつける。
「私と出かけるの嫌?」
「誰もそんなこと言ってねぇだろ」
こういう場所は勘弁してほしいが。
「じゃあ別にいいじゃない」
「ここはあんまり男が来る場所じゃないんだろ?それだったら俺は場違いだよな」
一応突っ込みを入れる。
「んー、だって一人で服買うのなんて面白くないし」
「服を買うのに面白さを求めるなよ」
「まぁあと会計だけなんだから我慢してよ」
「そうか。じゃあ俺は外で待ってるぞ?」
「なんで外?」
「ニコチン補給だ」
「そ。じゃ、待ってて」
よし、これで取り敢えず煙草が吸える。
「着替えてくるね」
「おう」
軽く果林が手を振って試着室に戻るのを見たあと俺は外に出た。
煙草に火をつける。独特の甘い香りが広がる。
アイツも何考えてるか分からないな。急に買い物したいなんて言い出して。
昔は何を考えてるかなんて分かってた気がしたのにな。
それだけ、お互い大人になったってことか。
私は試着室に戻って着替えを始めた。なんとなく笑みがこぼれる。
「似合ってる……か」
うん。悪くない。あんな言い方だったけど多分本音なんだと思う。
なにせ誰よりも私を分かっている幼馴染みの言葉なんだから。
誰よりも。多分、両親よりも。お互いのことを知っている。
客観性も含めればもしかしたら私よりも私のことを分かってくれているかも知れない。
幼稚園の時からずっと一緒で。最近では昔ほど側にはいないけどそれでも近くにいる洋。
良いところも悪いところもお互いに知ってる。だからかな、二人でいると凄く安心できる。
これが恋愛感情なのかどうかは分からない。あまりにも馴染みすぎた感覚だから。
大学生になっても関係は変わってない。近くて、遠い。
そんなことを考えてるうちに着替え終わった。試着室を出てレジに並ぶ。
洋には悪いけど服を買ったらおごる余裕なんて無くなっちゃうな。
多分アイツは別に良いって言うんだろうけど。まぁいいか。それならそれで。
会計を終えて私は洋の待っている外に出た。
「終わったよー」
ちょうど二本目の煙草に火をつけようとしたところで果林が店から出てきた。
「思ったより早かったな」
「着替えて会計するだけだったからね。当然でしょ」
「その着替えるだけの試着に随分と時間がかかってた気がするが」
「何着か着てみてたから。好みの服、結構あったし」
そう言って笑いながら果林が紙袋をこちらに寄せる。
「なんだ?」
「持って」
「い・や・だ」
噛みきるようにして断る。俺を買い物に付き合わせた理由はこれか。
「なんで俺が荷物持ちにならなきゃいけないんだ」
「だってそのために一緒に来てもらったたんだし」
さらりと果林が答える。予想通りかよ。当たってほしくない予想だったんだがな。
「大して重くないんだろ?そのくらい自分で持てよ」
「大して重くないんだから持ってくれていいじゃない」
駄目だ。コイツ折れねぇよ。
「分かったよ。持てばいいんだろ持てば」
俺は半ばヤケになって紙袋を受けとった。
「ありがと」
はにかむように果林が笑う。
「ったく」
愚痴りたくなる衝動を押さえながら俺は溜め息を吐いた。
まぁ愚痴も溜め息も後ろ向きと言う点で違いがないんだが。
「で、昼飯どうする?」
言いながら軽く空を見上げた。ぽつぽつと雨が降り始めている。
「下手すると雨が強くなっちまうけど」
「私は折り畳み傘持ってきてるから大丈夫」
「俺は持ってきてない」
「降水確率、結構高かったよ?天気予報くらい見てくればいいのに」
今度は果林が溜め息を吐く。
「しょうがないなぁ。傘、入れてあげるから。行こう?」
「どこに行くかも決めてないだろ」
「ファミレスかなんかでいいでしょ?」
「まぁな」
別に嫌がる理由もない。二人で飯を食いに行くのも久しぶりだし。
「じゃ、さっさと行こうぜ」
「おごらないよ?」
「期待はしてなかったよ」
苦笑して答える。どうせ服買って金に余裕ないんだろうしな。
「おごるって言った時は目輝かせてたのに?」
「つまんねぇこと覚えてるな。まぁアレだ、予想の範囲内だな」
「あっそ。別にいいけどね」
どちらからともなく笑って、俺達は近くにあるファミレスに歩を進めた。
二人で並んで歩きながら、ちらりと洋の方に目をやる。
二人で外食するのなんて久しぶりだ。だからと言って何かあるわけでもないけど。
「ねぇ」
「なんだ?」
「なに食べようか?」
「まだ決めてねぇよ。つーか急になんだよ?」
「いやなんとなく」
聞いてみただけで、特に意味はなかった。
「大体、メニュー分からないだろ」
「ファミレスのメニューなんてどこも似たようなものでしょ?」
「そりゃそうだろうけどな」
実のないやりとりだと思う。けど、私はこういう会話は嫌いじゃない。
「無難にランチセットとかかな、やっぱり」
「だろうな。日替わりのセットがあるならそれでもいい」
「日替わりのセットなんてあるの?」
「さあ?知らねぇよ。言ってみただけだ」
洋とのどうでもいい会話。
それも最近は、だいぶ減った。今日みたいに二人で出かけるのも。
減ったって言っても普通よりはずっと多いんだろうけど。少し、寂しい気もする。
「それにしてもさ……久しぶりだよね」
「ん?二人で飯食うのがか?」
「うん」
「そうだな」
言いながら洋が頬を緩めた。
「さて、着いたみたいだな」
洋の言葉に足を止める。目の前には全国チェーンのファミレス。
「じゃ、入ろ?」
「おう」
中に入ると店員が来て、愛想を振り撒く。店員って言ってもバイトなんだろうな。
「いらっしゃいませ。禁煙席と喫煙席とございますが」
「禁煙席で」
「こちらへどうぞ」
店員のマニュアル化された問いに洋が答える。
案内されたのは窓際の席。
「煙草、吸わないの?遠慮しなくてよかったんだよ?」
「酒の席ならともかく、飯食う時は吸わないから気にすんな」
「そうなんだ」
言われてみれば確かに洋は食事時に煙草を吸っていなかった。
「それに遠慮なんかしねぇよ、今更」
「そっか。それもそうだね」
確かに、遠慮しなきゃいけないような関係だったら幼馴染みなんてやってられないか。
「それより、何食うか決めようぜ」
「うん」
頷いて、私はメニューに目を落とした。
ファミレスを出ると予想通り雨は強くなっていた。
「雨、結構強いね」
果林が呟く。
「だな。悪い、傘入れてくれ」
「貸し一つね?」
「俺は待たされたうえに買い物付き合って、荷物持ちまでやってるんだが」
むしろ感謝されてもいいくらいだと思う。
「うわ、ケチくさ」
「あのなぁ」
「冗談だよ」
小さく果林が笑う。
どこまで冗談なんだか分かりゃしねぇ。
「傘、ちっちゃいけど。いいよね?」
「仕方ないだろ」
折り畳み傘の大きさなんてたかがしれてるし。
「取り敢えず、途中でコンビニ寄ってくれ」
「え、なんで?」
「ビニーそういうこと」
「このままだと二人とも濡れちまうからな」
「うん。そうだね」
果林が傘を開く。思ったより大きい。
これならくっつきゃそんなには濡れないかも知れねぇけど。
密着なんかしたら照れるよな、お互い。
「じゃあ、傘持って」
「俺は手塞がってるぞ?」
「だって洋の方が背高いし。頭を傘にぶつけたいなら話は別だけど」
「分かった。その代わりこれはお前が持て」
紙袋を果林に手渡す。
「えー」
「買ったばっかの服、濡らしたいのか?」
「しょうがないなぁ」
渋々、といった様子で果林が了承する。
「それじゃ、帰るか」
「うん」
二人並んで、歩き出す。
傍目には恋人同士に見えてるんだろうか。服屋の店員と同じように。
少なくとも俺が見たらカップルだと思うだろうが。
「……ねぇ」
果林が囁くように話しかけてくる。
「ん?」
「私達さ、友達には見えないよね?」
コイツ、似たようなこと考えてたのか。
まぁ、この状況だし当然かもしれない。
「だろうな」
「そうじゃないのにね」
「まぁ別にいいだろ」
他人の目を気にしてたら、俺は傘に入ってられねぇし。
「ん。そうだね」
ガキの頃もこうやって二人で帰ったことがあった。
その時はまわりにからかわれたりもした。
それが恥ずかしかったし、ムキになったりもした。
今は、そんなことがあるわけじゃない。
就職して、働き始めたら多分一緒にいる時間も減る。今以上に。
だから二人でこうしている時間は、大事にしたい。そう思う。
果林は、どうなんだろうな。気にならないと言えば嘘になる。
「どうしたの?」
不意に、聞き慣れた果林の声がかかる。
「なにがだ?」
「黙っちゃってさ」
「何でもねぇよ」
「そ。別にいいけど」
お互いに小さい笑みがこぼれる。気にしてもどうしようもねぇか。
「コンビニ、どの辺にあったっけ?」
適当な質問を果林に投げ掛ける。
「この辺だと……もうちょっと行ったところにあった筈だけど」
「そうか」
ゆったりと時間が流れている気がする。悪くない。
お互いに変わらないわけが無い。でも、変化は最小限でいい。
そう。これでいいんだ、きっと。
買い物の帰り道。いつもとなにか変わるわけでもなく。
果林と一緒に、場所も分からないコンビニに向かって歩く。
そんな三月の末。桜は……まだ咲いていなかった。