『ever after April』
割と雪のある地方なので、春が来るのはもう少し先のようだ。
大学生になって初めて過ごすこの地方で、一人暮らしの筈なのに別の人がココアを入れてくれる。
結構それは嬉しいことで、今の関係に満足していたりするのだ。
大学一年生の私と幼なじみは数日後、別の大学で同じように新二年生になる。
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留学先から帰ってきた人を好きになるのにはそんなに時間がかからず、
同じ県の別々の大学に進学した私たちは同学年のまま一緒にい続けることになった。
今もそういうわけで年上で長身の幼なじみは私の部屋で勝手にお湯を沸かしている。
私は春休みの宿題だった語学の辞書を睨みながら、あまり進まないので溜息をついた。
薄手のセーターをざっくりと着た彼が、狭いキッチンから戻ってきて覗き込んだので顔を上げる。
「ココア入れたけど飲むよね」
「うん。ありがとう」
「どういたしまして」
自分用のコーヒーをローテーブルに置き去りにし、戻りかけた彼の後ろで携帯電話が鳴った。
私のではない。
覗き込むと兄さんの名前が出ている。
別々の高校に進み当然進路も全然違うのに今でも二人は仲がいい。
連絡を怠っている割に気がつくと一緒に遊びに行ったりしているので謎だ。
「ああ、あいつだ。出てて」
「いいの?」
「うん。可愛い妹が出れば喜ぶだろう」
勝手なことを言っている。
仕方ないので代わりに出た。
「もしもし。兄さん?」
向こうが意表をつかれたらしくて一瞬黙った。
それから全然変わりのない声で兄さんが大声で何かを言った。
「え?なに」
『だから、おまえまだ大学生だろ馬鹿!』
「……うん、そうだけど」
話が見えない。
眉を寄せて、もうひとつのマグカップを持ってきてくれた幼なじみに電話を渡す。
大きい声なので近くにいると聞こえた。
何か怒鳴っている。
幼なじみは余裕そうに目を眇めて、私をちらと見てから電話口に向かってにやにやと笑った。
「何だ、まさか信じたのか。籍なんて入れるわけないだろう」
そうしてぶつりと切った。
私は熱いココアを飲み損ねて全身が止まった。
幼なじみが隣で爆笑している。
…確かに。
確かに今日は、4月1日だけれども。
溜息をついて大人気ないひとつ上の彼を睨む。
「…そういう嘘やめてよ、もう」
「ごめんごめん」
「兄さん、絶対騙されるの分かってるじゃない」
「だから騙したんだけどね」
私はもう一度深く溜息をついた。
いいけど。
別に嫌じゃないし。
勝手で偉そうな兄さんが毎年この日だけは徹底的に
この幼なじみに苛められるのは、慣れていることだし。
この先もそうなんだろう。
いつまでその様子を傍で見ていられるか、少し楽しみだったりもするし。
だからエイプリルフールはそんなに嫌いではない。
中学に入って初めてのクリスマスに、落ち込んだ私に「楽しい嘘」があることを
教えてくれたのは何を隠そう今ここにいる幼なじみだったのだと思い出す。
あれはとても嬉しかった。
だから少しくらいなら宜しくない嘘も許そう。
…今日はそういう日だ。
本当のことも、たまにある嘘も。
悲しいことより楽しいことの方が、ひとつでも多ければいい。
少しずつ暖かさを増す日々のように、毎日がゆっくりこうして過ぎていけばいいと思う。
私はホットココアをもうひと口飲んだ。
マフラーの季節もそろそろ終わる。
来年は何を編んであげよう。
もう一度さっきと同じ音楽で携帯電話が鳴った。
私はコーヒーを飲む幼なじみをカップの縁からこっそりと眺めた。
彼が気づいて目を細めるので、なんとなく顔を見合わせたままくすくすと二人で笑った。
*
And they lived hapily... ever after.