『桜』  
 
桜は夢を見ていた……  
 
夕焼け時が迫る公園で独りつまらなそうに桜は石ころを蹴っていた。他の子供の姿が無く  
なっても彼女はただ一人石ころを蹴っていた。  
 
日はさらに傾き、空の色が茜色から星が輝く濃紺に変わっても桜はまだそこにいた。  
周囲の家々から漏れ出る光が彼女の心をよりいっそう惨めなものにさせた。  
「パパ……ママ……さびしいよ……」  
余計に寂しくなるからと我慢していた涙が頬を伝う、それによって決壊した感情の波は止  
まらなかった。  
 
「桜!!いいかげんにしなさい。」  
小さな公園を包む静寂を男の声が破る。男は桜の腕をつかみ、公園の入り口へと彼女を  
引きずった。  
「私行かない!!パパとママが来るのを待っているんだから!!」  
 
……パシン……  
 
涙を流しながら抵抗する桜に男は力を以って抵抗を断ち切った。頬を刺す鋭い痛み、だが  
男が発した言葉の方が彼女にとって何倍も痛く胸に突き刺さった。  
「桜!!お前の両親はもう居ないんだ、いいかげんそれくらい判りなさい。……たくっ、なん  
でお前なんかを預かる羽目になったんだか。勘弁して欲しいよ」  
痛い言葉で突き破られた桜の心が流す涙は涙が枯れ果てるまで止まることは無かった。  
 
 
映画のシーンが変わるように場面は孤児院の門の前に変わった。  
そこにはちょっとだけ大きくなった桜がそこに居た。彼女の隣には公園で桜を連れ戻しに  
きたあの男、そして彼女らの前には一人の若い男が立っていた。  
二人は何かを話していたが桜の耳に彼等の言葉は入らなかった。ただ、桜に時折見せる  
若い男の表情は柔らかく、今まで表面だけの善意を見せる孤児院の大人たちしか知らな  
かった桜にはそれがたまらなく心に暖かかった。  
「それでは萌木さん桜をよろしくお願いします。」  
「よろしくね桜ちゃん。今日から僕が君のお父さんだ」  
差し出された大きな暖かい手、その手を掴んだ時、桜の恋心はその心の奥底で静かに  
……だが確実に目を覚ました。  
 
(大好きだよ……竹生さん……でも……)  
 
自分を救ってくれた手の持ち主――萌木竹生、彼への思いは時と共に大きくなりその心を  
締め付けた。  
 
(でも……私たち親子……なんだよね)  
 
締め付けられた心は一筋の涙をその目に流した  
 
 
けたたましいベルの音が桜を夢の世界から二十歳の現実へと連れ戻した。ぬくもりの残る  
布団に未練を残しつつ寝癖に乱れた頭を掻きながら洗面台へと向かう。  
寒さに身を縮ませながら鏡を見るとそこには涙に瞳を潤ませた彼女自身の姿があった。  
「涙……私また……」  
鏡の中で彼女の頬は濡れていた。その跡を消すように顔を洗い、髪を整えメイクをすると  
鏡の中の泣き出しそうな寝癖の女はいつのまにか綺麗で、それでいてどこか子供っぽさが  
残る魅力的な女性へと変わっていた。  
彼女にとって朝のこの時は勝負の時だ、彼女がこの恋に気付いてから5年間、大好きなあ  
の人を振り向かせるために続けてきた彼女の戦闘準備だ。クローゼットという名の格納庫  
の扉を開き彼女が選んだ今日の戦闘服はお気に入りのジーンズにちょっと胸元が開き気  
味のセーター。それらに身を包み鏡の前で最終チェック。  
「よし!がんばるぞ私!」  
自分自身に言い聞かせるように気合を入れるとダイニングキッチンから朝食のいい香りと  
共に彼女の愛しい"敵"から彼女を呼ぶ声が聞こえた。  
「おーい、朝飯できたぞ。早く食って学校行け」  
桜はもう一度鏡を覗き込み自分自身をチェックすると"敵"の待つダイニングキッチンという  
名の戦場へと階段を下った。  
 
 
朝日差すダイニングにその敵――竹生が居た。慣れた手つきで朝食を作るその背中を見る  
だけで桜の鼓動は早まりその頬を紅く染めた。  
(今日こそ……今日こそ……)  
心が身体を急かす。だが桜の身体は心が発する命令を実行することは無くその場に立ち尽  
くした。  
「ん?桜早く食って行かないと遅刻するぞ……って顔が紅いぞ大丈夫か?」  
ダイニングの入り口に立ち尽くす桜、そんな彼女を心配して竹生は熱を測ろうと彼女の額に  
手を当てた。  
吐息が掛かるほどに近づく二人の顔と顔、緊張で桜の額に汗が浮かぶ、ただでさえ動悸が  
激しくなっていた桜はもはや……限界だった。  
「なっ……なんでもないよ。そ……それじゃ行ってきまーす。」  
「おい、桜!朝飯ぐらいちゃんと食ってけ」  
竹生の言葉も耳に入らず桜は玄関へと駆け出していた。その耳には竹生の声が届くことも  
無く、テーブルの上では行き先を無くした朝食が寂しそうに湯気を立てていた。  
 
3時間半後……桜は学校内の学食にいた。  
目の前にはとんこつラーメンがおいしそうに湯気を立てているが桜はため息をつきながら  
箸で紅しょうがをつつくばかりで一向に食べようとしなかった。  
「ハァ……なにやってんだろ私……」  
ため息をつくたびに気持ちが沈んでいく、朝食を食べなかったせいでおなかは空いている  
がマイナス思考の泥沼に沈んでいく彼女にとってそれはどうでもいいことだった。  
「よぉ!桜、げん……きじゃ無いな」  
「あ……松木君」  
桜が力なく顔を上げるとそこには桜と同じぐらいの歳の青年が立っていた。彼の名は   
『松木貴志』 桜とは高校の頃からの腐れ縁だ。見た目には少し軽そうな印象を受けるが  
桜の生い立ちを知ってなお普通に桜と普通に接している数少ない彼女の親友の一人だ。  
「その様子じゃまた言えなかったみたいだな……」  
「うん……また駄目だったよ」  
すがりつくように貴志の顔を見上げる桜、それを見る彼もまたため息をつくしかなかった。  
「そっか……まぁ、ともかくラーメン伸びちまうから早く食え。」  
「そだね」  
貴志は桜の向かいの席に腰を下ろし手に持った昼食のカレーセットをテーブルに置いて  
食べ始めた。それを見て食欲が刺激されたのか桜はやっと麺に箸を伸ばし食べ始める  
ことが出来た。  
 
「それにしてもお前何年同じ事をしてるんだよ。とっとと言って楽になっちまえ。」  
「う〜んでも……一応私たち親子だし……」  
満腹になって多少は気が落ち着いたもののまだまだ桜は沈んだままだった。  
「じゃあ、他に男見つけろよ。このファザコン」  
「うっさい!それが出来れば苦労しないわ」  
「だよな……う〜ん、桜の場合前置きが無くいきなり言おうとするから駄目なんだよ、たとえば  
……映画なんかに誘って盛り上げてからさり気な〜く言うんだよ」  
「そんなもんかな……」  
「そんなもんだ。よし決まり、今日の帰り必ずチケットを買って竹生さんを誘え。」  
「え〜今日?いきなりすぎだよ心の準備ぐらいさせてよ」  
「何年心の準備してるつもりだ、今日俺の前で買えでなければ俺が許さん。」  
「…………あ〜い」  
貴志の真面目半分のアドバイスに桜は半信半疑なのか空返事を返すのが精一杯だった。  
 
二人が食べ終わる頃、周囲の学生たちの姿も少しづつ減り始めて満席だった食堂内も空席が  
目立つようになってきた。多くの学生たちは次の講義の場所に向かうため食器を返却口に返し、  
足早に食堂を出て行った。今居る者は研究中心に学生生活を送る者、空き時間がある者、そして  
自主的に休講を決めた学生がほとんどだ。  
だが未だ二人はそこにいた。食べ終わり冷め切ったラーメンのスープを箸でくるくるとかき回す桜、  
そんな彼女の姿をかわいいと思いつつも貴志は焦っていた。なぜならば次の講義は必修科目、  
しかも学内一遅刻に厳しいと言われる物理学の梅沢の講義だからだ。いままで何人もの学生を  
留年の憂き目に遭わせたとの伝説が残る学生にとっては恐怖の存在だ。  
「ほら、物理学の梅沢遅れるとうるさいだからとっとと行くぞ、そして講義が終わったらチケット買い  
に行くからな」  
「あっ、あっ〜まってよ、まだ食器返してないんだってば」  
貴志は桜の手を掴み未だラーメン丼を名残惜しそうに見つめる彼女を引きずるように食堂を後に  
し、そして後には寂しそうに佇む丼と食堂のおばちゃんたちの引きつるような笑いだけが残った。  
 
カツカツと黒板をチョークが叩く音が講堂に響く。学生たちは遅れまいと黒板に書かれた  
文字をノートに書き写す。だが桜のノートは講義が始まって30分立った今も白いまま、  
隣に座る貴志が心配そうに覗き込むが桜の心はここには無かった。  
「ハァ……まあしょうがない……か」  
貴志は小さなため息をつくといつも以上に丁寧にノートを取りはじめた。  
 
やがて時計の針が講義の終わりを告げ学生たちの顔に安堵の表情が戻る。貴志もノートを  
閉じ隣に座る桜の手を掴み立ち上がった。  
「ほら、桜行くぞ!」  
「えっ……もう行くの?」  
「当たり前だ!時間が経ったらお前なんだかんだで行かないだろ。」  
「え〜そう?」  
「そうだよ!この前だって……まあいい、とにかく行くぞ」  
「あっ……ちょっとまってよ」  
不満の声をあげる桜だったがその足は確実に貴志のあとについていった。  
 
桜散るなか二人並んで歩く、決して都会といえないこの街では郊外の大学から街中に出る  
には本数の少ないバスに乗るか、歩くしかなかった。  
「おまえがもたもたしてるからバスに乗り遅れただろ」  
「ごめん……でも……気持ちの整理がまだ……」  
「…………そうだよな、ずっと親子やってるんだよな。すまん。」  
それからしばらく無言のまま二人は歩いた。別に嫌な空気になったわけではないがなぜだ  
か二人の口は言葉を発することは無かった。  
 
桜並木が終わるころ、先に沈黙を破ったのは桜だった。  
「ありがとね、背中を押してくれて」  
立ち止まった桜の発した言葉はあまりに小さく貴志の耳には入らなかった。だが振り向き  
彼女の表情を読み取った彼の胸中はなぜか複雑な感情が渦巻いていた。  
程なくして二人はプレイガイドに着いた。窓口でチケットを選ぶ彼女の背中を見ながら貴志  
は胸の奥に先ほどと同じような感情を燻らせていた。  
 
5年近く友人として接してきた彼女、今更今のような感情をぶつけられる筈も無い。まして  
出会った頃から彼女の目は自分には向いていなかった。今こうして自分に向いていない  
想いの手助けをすることは彼自身の想いを痛く締め付けた。  
 
「すいません、これを大人2枚ください。」  
彼女の声で貴志は自分の手が固く握られているのに気付いた。プレイガイドに着いてから  
3分も経ってないはずなのに広げたその手はひどく汗ばんでいた。  
「……で何を買ったんだよ。」  
「邪馬台自衛隊」  
「はぁ?2人で観るならもっとましなのがあるだろ」  
「え〜これ観たかったのに」  
我に戻った貴志は軽口で自分の本当の言葉を包み隠し良き友人を演じる自分に戻った。  
桜の為に自分でない誰かとの間を取り繕うために一生懸命な自分が微笑ましくもなんだか  
悲しかった。  
 
「絶対に言えよ、俺の努力を無駄にするなよ」  
「分かったってば」  
他愛のない会話をしながら2人で家路につくそれぞれの家が近づくたびに別れの時間が  
近づく。  
今日別れたからといっても恐らく明日学校で顔をあわせるに違いない。だが、高志にとって  
今日の別れは特別な意味を持っていた。  
今日ここで別れ明日彼女に同じ顔を見せることが出来るか自信がなかった。それでもなお  
彼女の想いを応援してあげたかった。  
「じゃあ、がんばれよ」  
「……うん」  
彼女の家の前で別れる。最後の最後まで彼女の背中を押している高志がいた。  
桜がドアの奥に消えてゆく、その姿を見送ると彼は身体の向きを変え道端の空き缶を蹴り  
上げた。  
 
桜がドアノブに手をかけるとまだ鍵は開いてなかった。桜はバッグから鍵を取り出し、鍵を開け  
家の中へと入っていった。  
竹生と暮らすこの空間に入るだけで桜の鼓動は高鳴った。10年近く一緒に暮らしている男  
(ひと)、仮の父親、そして一番大好きな男性。桜はごろんとソファーに寝転ぶとそんな竹生  
への想いをかみ締めながら今までの二人の思い出を思い出していた。  
(小学校の授業参観、仕事を休んでまで来てくれたね。でも他のお母さんたちに混じって照れ  
くさそうだったよ……ありがとう……中学の時けんかして雨のなか飛び出した私に傘を持って  
きてくれてありがとう……今までいい父親でいてくれてありがとう……ありがとうありがとうあり  
がとう……)  
父と娘――今の竹生と自分の関係を整理するように今までの思い出が記憶のなかに折り畳ま  
れていく、そしていつしか桜は眠りの世界の住人となった。  
 
                                            ……To be continued  
 

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