今日は珍しく部活が中止。顧問が忌引きのために学校にこれなかったためだ。  
米崎(通称ザッキー)なんかは「教師、そして○○部の顧問たるもの、親の死くらいで学校を休むなんぞけしからん!」とかなんとか演説をぶち上げていたが、郡山先生(通称ゴリさん)は長男だ。  
葬式の喪主を務めたり、何かと役目があるだろうし、休みをとるのは仕方無いと思う。  
 それよりも俺達が恨むべきは、『生徒会会則65条 生徒ハ顧問及ビソノ代理ノ同伴無シニ部活動ヲ行ナッテハナラナイ』との訳の判らない条文と、徒にそれを徹底させる錆び付いた頭の校長だろう。  
 今にして思えば虫の知らせだ。なんとなく気分の乗らなかった俺は、いつもなら自分から誘いを掛ける馴染みのラーメン屋への同行を断り、たまっていたビデオの消化でもしようかと寄り道もせずに帰途をたどる。  
 家と学校、片道40分。そのうち30分の電車内を夢の中で過ごし、駅前の我が家の扉を開けた途端――世界が壊れた――  
 
「アァ、駄目、跡が付いちゃう」  
「いいだろう?ご主人今晩も遅いんだ、ろッ!」  
 玄関とリビングを仕切るガラス戸の向こう、TVの前のソファーの上で男が女を後ろから組み敷いていた。  
ピタンピタンピタンピタン  
 男が一際強く腰を打ち付ける。女の喘ぎ声が響く。俺の頬から血の気が引く。なんだこいつらは。何をしている。  
「あぁ、そこ、そこが良いのぉ」  
 女が感じ、よがる。眉をひそめる。二人とも俺が帰ってきたことなぞには気付きもせずに行為に耽っている。もう高校生にもなり、こういうコトの経験が全く無かった訳ではないが、ガラス越しに行われていたソレは酷く滑稽で醜く、青い若造は嫌悪感さえ抱いた。  
肉体への強い興味と欲求を持ちつつも、あくまでそれは美化され、半ば幻想と混同されたものに過ぎなかった。自分で演じていたときには気付かなかった現実の醜さを受け入れるには、経験が足りなさ過ぎたのだった。  
 
ピタンピタンピタンピタン  
「うっ締まるぜ。そんなに気持ちよかったか?」  
 男がまた同じように強く腰を打ち付ける。腰を振るリズムがリビング―家族団欒の為のスペース―から毀れる。もう沢山だった。耐えられなかった。何せ組み伏せられ、嬌声を上げているのは少年の――  
ピタンピタンピタンピタン  
 鞄を玄関に放り、傘立てに差してあったバットを引き抜く。  
ピタンピタンピタンピタン  
 体当たりをするように、ガラス張りのドアを開け、右手のバットを掲げる。  
 二人が俺に気付いた。今度は二人から血の気が引く番だった。  
「ウワァァァアア!!」  
雄たけびをあげながら男の顔面にバットを振り下ろす。  
 
「ヒィ、や、止め……」  
情けなく体を縮こませるの顔を蹴り上げて、仰向けにして、また振り下ろす。  
「止めて、止めてぇ、死んじゃう」  
女の声を無視して何度も何度も振り下ろす。まるで親の仇のように。いや、まさにこの男は父親の仇なのだ。  
「もう止めてぇ」  
びくびくと両の腕を痙攣させる男に、母親が泣き喚きながら覆いかぶさる。  
 母親。そう母親なのだ。父親以外に抱かれていてはならない、決してこんなことをしていてはならない存在なのだ。  
 いってらっしゃいと、今朝自分を見送った母親。入試に合格したとき、涙を流していた母が。  
「こんな……こんな……」  
 尾崎豊よろしく学校の窓ガラスを割ったことで、学校に呼び出された帰りにMDプレーヤーを買ってくれた母さんが、こんな男とこんな――。認めたくなかった。  
 
「ア、アア……ァァァアアアアア!!!!」  
 窓に向かってバットを投げつける。ガラスが割れ、母が小さな身をビクつかせる。  
 そのまま奥の扉を開け自分の部屋に駆け込む、携帯の充電器をコードから引っこ抜き、机の上の貯金箱、一番上の引き出しの中のの預金通帳、難しい本の間のヘソクリを本ごと防火防水の避難袋に放り込み、リビングに駆け戻る。  
つい半日前までここは世界で一番安らげる愛すべき我家であったが、今では最も過酷に自分を責め立てる。一刻でも早くこの場所から逃げ出さねば狂ってしまいそうだった。  
 泣きじゃくる母親を尻目に玄関へと駆け抜け、スニーカーを引っ掛ける。涙で滲むドアノブを掴み、押し開いた瞬間何故か少年は水の中にいた。  
 
「なっ?」  
 目が水で塞がれ、パニックになる。水を飲んだ。息が出来ない。訳がわからない。溺れる。助けて。  
 必死で手足をバタ着かせると、手が何か柔らかいモノに触れる。  
 ありがたい。助かった。両手でそれを力一杯引っ張る。  
「きゃぁぁぁ!!!!」  
 何だ?悲鳴?女の声?  
「誰かッ、助けてぇ!!」  
 今頃になって、ここが腰ほどの深さしかない浅瀬で、溺れるほうが却って難しいと気付き、目を瞬かせると――  
 其処はまさに別世界であった。空は東京の倍はあろうかという高さを持つように感じたし、爽やかな風にはなんともいえない爽やかさが満ちている。  
 日差しは今の季節にしては大分強く感じたが、水の中にいるので返って気持ちがいいくらいだったし、その水も、水面は太陽の光を反射してキラキラと光り、写真でしか見たことのないほど澄んでいた。  
 素晴らしいという言葉は将にいま眼にしているものを形容するに相応しく、そして自分の腕の中には  
「お、女の子…外国?」  
 
 そうなのだ。溺れてなるものかと必死に引き寄せたために、腕の中には裸の美しい少女が身を恐怖に身を竦めていた。  
 月並みな表現になるがその美しい白い肌は磁器の様。きつく瞑られているために眼は見て取れないが、長い黄金の髪のはシルクの如き光沢と肌触りを持っていた。  
 そしてその髪の中にぴんと立つ耳は綺麗な三角形で、うなじと鎖骨の曲線は造物主最大の功績といってよいほど優美な曲線を描いていた。  
(三角形の……耳?)  
 少女の艶姿に見蕩れつつ、目前の突然の風景の変貌や、少女の奇妙な姿についての疑問を尋ねようとしたそのとき  
「曲者め、動くな! 弓でお前の心臓を狙っているぞ! 姫を放し、ゆっくりと此方を向け。」  
 岸からの声に驚き、顔を向けるとそこには何人かの射手が此方に弓を引絞っていた。驚きながらも要求を受け入れ、言われたとおりに従うが、胸中にはいくつもの疑問が渦巻いていた。  
(武器? 姫? それに……真顔でネコミミ?)  
「早く姫を放せ! 射殺されたいのか!?」  
 この声の主は真ん中の女らしい。顔を覆う布の間に覗く眼に焦りと恐怖を映しながら、気丈にも此方を恫喝せんとしている。  
(もう手を離したんだけどなぁ)  
 そう思いつつ傍らに眼を向けると、成る程。金髪の御姫様は恐怖で一歩も動けないらしい。  
 岸辺の女にその事を伝えようと、声を掛けようとしたが、緊張で声が掠れてしまいそうなので無抵抗の意を示すべく諸手を挙げる。  
 
 向こうは一瞬きょとんとしたが、事情を察したらしい。腰から剣を抜き、一人に矢を向けさせたまま、残りの面子を引き連れて  
こちらへ向かってくる。  
 手を伸ばせば届くほど近くまでくると、ようやく体が動かせるようになったのか、お姫様は先頭の女に駆け寄り、胸に顔をうずめる。女は安心させるように、刀を持っていない手で背中をぽんぽんと叩きながら、切っ先を此方に向け、  
「お前にもついてきてもらう。」  
 そう言った。  
 いつの間にか背後に回られた二人に両側から引っ立てられつつも、自分がいつの間にか安心していることに気付いた。それはおそらく御姫様につられての事だろう。  
 
 
 

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