「青葉が男から告白された」
そんな話を聞かされた、その日の放課後。
俺は一人で寮へと帰っている。
和馬は合気道部で道場へ行った。とくに用事もなければ帰るに越したことはない。
そんなわけで足早に学校を離れ、校舎のある丘を下り、駄菓子屋「チチヤス」のそばを通りかかったときだった。
「創一郎くん」
声をかけてきた相手に俺は驚いた。
青葉がこんなところで待っているなんて、めったにない。
しかも、いつも一緒の那智子もいない。
「どうしたんだよ。珍しいな」
朝青葉たちに会うのも、月に二、三度あるかないかといった頻度だが、帰りに会うのはもっと珍しい。
「うん……創一郎くんに用事があったから」
「合唱部は」
「今日は部活はお休みなんだ」
青葉は合唱部に所属している。ソプラノらしいんだが、俺はまだ一度もこいつが合唱しているのを見たことはない。
「ふーん」
俺はそっけなく答える。でも、青葉の用事が何かぐらい、すぐにぴんと来た。
「今日、忙しい?」
青葉はためらいがちにそう聞いた。おれは首を横に振る。
ほっとした表情で、青葉は俺の方に近づいてきた。
「じゃあ、一緒に帰ろ? たまには、いいでしょ?」
ああ、と俺は答えた。
俺たちは並んで歩く。こうやって帰るのも高校に入ってめっきり減った。
青葉が合唱部に入部したことも含め、段々俺たちの生活のリズムは合わなくなっている。
だから共通の話題も思いつかない。
黙って歩くのに耐え切れなくなって、俺はカバンから今朝青葉から渡された弁当箱を取り出した。
「これ、ありがとうな。一応洗っておいた」
急に言われて、青葉は少しびっくりしたようだったが、黙って俺から弁当箱を受け取った。
「……おいしかった?」
「ああ、うまかった。おばさんにお礼言っといてくれよな」
「……良かった」
俺の言葉に、青葉の顔がぱっと笑顔に変わった。
……なんだ? 母親の料理ほめられるのが、そんなに嬉しいのか?
それはそうと、用事とやらをそろそろ聞かねば。
まあ「あれ」のことだろうとは分かっているんだが。
「それで……用事って?」
芸のない聞き方だが、長い付き合いの青葉に、いまさら遠回しに質問できるほど俺も器用じゃない。
だが、青葉の方は単刀直入に切り出され、少し言いにくそうだ。
仕方ない。こっちから言ってやるか。
「お前、北星の生徒に告白されたんだってな」
「なっ何で知ってるの!?」
慌てた青葉は、思わず立ち止まる。
「今日な、『チチヤス』で別れたあと、那智子が教えてくれた」
「……なっちゃん、忘れ物したって言ってたのに」
「那智子を、責めてやるなよ。あいつもえらく悩んで俺たちに相談したみたいだからな」
と、一応フォローを入れておく。こんなことで女の友情にヒビが入ったら、俺も寝覚めが悪い。
「初芝くんも、知ってるの?」
ああ、とつぶやき、俺は歩き出す。青葉も我に帰ると、再び俺と並んで歩き出した。
「……ねえ、どうしたらいいと思う?」
青葉の声には困惑の響きがあった。
当然だと思う。俺が知っている限り、青葉が男から告白されたのはこれが初めてだ。
しかも、青葉は小さい頃から引っ込み思案で、それは今もあまり変わっていない。
そんな青葉が、突然見知らぬ他人から告白されれば、まず最初に来る感情は困惑だろう。
「どうしたらって……そんなこと、俺が答えられるかよ」
一応定番の答えを返す。というか、俺だって困惑してる。どう答えろっていうんだ?
「ねえ、真剣に考えてよ……私、どうしていいか分からないの」
青葉はちょっと口を尖らせて不満げな表情を見せた。
「……とりあえず、相手がどんなやつか、言ってみ?」
仕方なく俺は基本的なことから聞いていくことにした。
「えーっと……」
口ごもる青葉。まあそうだろう。言葉だけで見たことのない人間を説明するのは難しいもんだ。
「とりあえず名前と学年。後は、たとえば、背格好とか、性格とか、そういうの」
ヒントを与えられて、青葉は少しだけ顔を緩めた。
「えっとね、名前は望月近衛くん。私たちと同じ一年生。……背は、創一郎くんと同じぐらい。でもちょっとだけがっしりしてるかな」
そう言って俺の顔を見ている。おいおい、もっと他にもあるだろうが。
「髪型は」
「創一郎くんみたいに、短くしてる。あ、ちょっとだけ茶色に染めてるみたい」
ちょっとおしゃれクンか。ちなみに北星は「勉強さえできれば、あとは何でもいい」って校風だから、その辺は自由らしい。
青葉の通う「マリ女」は校則が厳しいから、そういったことが印象に残るのかもしれないが。
また青葉は黙る。
仕方なく俺は質問を続けた。肝心なのが抜けてるからな。
「顔は」
「え?」
俺の質問に、青葉は少し首をひねる。
「いい男かって聞いてんの」
「そ、そんなの……わかんないよ……」
何気なく言ったつもりだが、青葉は何故か照れている。
ふーむ。これは結構いい男なのかも知れんぞ。少なくとも悪印象ではない、か?
まあ、いい。とりあえず俺と背格好は似てる男で、顔は悪くない、と。
「で、どう答えたんだ?」
「え? あ、うん……とりあえず、『まだあなたのこと全然知りませんから、答えられません』って」
「月並みな返事だなあ……」
そんな俺の感想に、青葉はむっとした顔で答えた。
「だって、本当なんだもん」
青葉は素直で、それはそれでいい事なんだが、あまりに素直なのも困りものだな、と俺は思う。
そんな事言ったら、相手の言う事なんて分かりきってるのに。
「そうしたらね……」
「『じゃあ、まず俺の事知ってください』とか言われたんだろ」
「なっなんで……」
知ってるの、と言いかけたまま、青葉は固まっている。何で分かるかって? そりゃ俺だってそう答えるからな。
呆れ顔の俺を見て、青葉は落ち着きを取り戻したみたいだった。
うつむき加減に俺と並ぶ。
「ねえ……」
「ん?」
「男の子って、女の子のどんなところが好きになるのかな」
青葉はそうつぶやく。どうやら、なぜ自分が告白されたのか、よく分かってないらしい。
前にも言ったが、客観的に言って青葉は結構かわいいと思う。
ちなみに青葉の母親も町内で評判の美人だ。そして、青葉は最近ますます母親に似てきたと思う。
というか、俺の初恋の人は青葉の母親だ。いや、それはどうでもよくて。
だから、青葉を見て一目ぼれする奴がいてもおかしくはないだろう。
それに、体つきも中学の頃に比べてぐっと女らしくなった。
まあ、尻に比べてちょっと胸が控えめかもしれないが、十分な発育だ……って、俺はオヤジか。
「ねえ、創一郎くんなら、どんな女の子が好き?」
そう言われても、俺は答えようがない。何しろ、青葉の母親以外女を好きになった事がないからだ。
「まあ、美人で、優しくて、スタイルがよくて……料理がうまけりゃ言うことなし、かなあ」
青葉を平凡と馬鹿に出来ないな、俺。でも、具体的な相手がいないし……。
「そう……」
そういうと、青葉はまた寂しげにうつむく。
「で、どうすんだよ。OKすんのか? 断るのか?」
俺の女の趣味より、とりあえず青葉のことだ。だが、青葉はちいさく首を振る。
「わかんないよ。だって望月くんのこと全然知らないんだもん」
「かと言って、付き合ってみなけりゃ相手の事を知りようもないぞ」
青葉は真面目に考えすぎだ、と思う。付き合うにしろ断るにしろ、それ相応の正当な理由がいると思っているらしい。
一目ぼれしたんなら付き合っちまえばいいし、嫌なら「今は誰ともお付き合いしたくありません」とでも言えばいい。
要はフィーリングの問題じゃないか?考える前に飛べ、ってな感じで。
でも、青葉はそういうとき、飛ばずに立ち止まるタイプだ。
そのとき。
「……創一郎くんが告白してくれたんなら良かったのに」
青葉がうつむきながらぽつりとそんな事を言った。
はい?
俺はとんでもないことを聞いたような気がして、思わず青葉の顔を覗き込む。
青葉がはっと口を手でおさえた。
「あの、ち、違うよ? わ、私が創一郎くんのこと好きとか、そういうんじゃなくて……」
腕を振って慌てて否定する。
「創一郎くんのことならちっちゃい時から知ってるし、それなら、好きとか嫌いとか、すぐ答えられるから、あの、だから……っ」
みっともないぐらい取り乱してる。
いや、俺だって目茶苦茶動揺してるんだが。
と、とりあえず青葉を落ち着けなくては。
「だって、創一郎くんのことは、その、何でも知ってるから……」
「わ、分かったから落ち着け。叫ばなくてもいいからな?」
両手でよしよし、となだめる。
そのうち、青葉はようやく落ち着きを取り戻した。
でも青葉、顔が真っ赤だ。
……うん、俺も頭に血が上ってる。顔が火照ってるのが自分でも分かるよ。くそっ。
それからしばらく、俺たちは黙って歩き続けた。さすがに俺も声をかけづらい。
そうしているうちに寮に着いちまった。俺が住む「泰山寮」だ。
俺が寮の門のところで立ち止まると、青葉が思い切って口を開いた。
「今度の日曜日、空いてる?」
「……なんでだ?」
「望月くんがね、一緒に遊びに行こうって……」
いきなりデートかよ、なかなか強引だな望月くん。
「でもね、いきなり二人っきりは嫌だったから『誰か他の人と一緒ならいいです』って言ったの」
おいおい、だからって俺が付いて行ったら望月くん確実に引くぞ。
「そしたら、なっちゃんが『ダブルデートならいいんじゃない?』って言って、望月くんが自分の友達を呼ぼうかって言うから……」
ああ、なるほど。やっと俺は理解した。
「つまり、俺と那智子を入れた四人で遊びに行こうってわけか」
こくん。青葉がうなづく。
「知らない男の人ばっかりじゃ、怖いし。でも、創一郎くんが一緒なら安心だから、ね?」
「……俺が駄目だって言ったら?」
はっきり言って気が乗らない。断れるなら断りたい、こんなの。
「それなら……初芝くんにお願いする……けど」
青葉が泣き出しそうな声でそう言った。そんなにおびえなきゃいかん相手なのか、その望月くんは?
はぁ。仕方ない。これも幼馴染のためだ、付き合いましょう。
「分かったよ。もし俺が駄目だったら、和馬に頼んでやる」
まあ、ほぼ確実に俺が行く事になるんだろうな。俺暇だし。
「……ありがとう」
青葉はやっと笑ってくれた。
「どこに行くんだ?」
「セブン・オーシャンズだって」
ああ、あの水族館と遊園地が一緒になったテーマパークか。
「わかった。明日の夜にでもまた電話するから。じゃあな」
青葉に軽く手を振ると、俺は後も見ずさっさと寮に入っていった。
なぜって、まだ顔が火照っているのを青葉に見られたくなかったから。
その夜、風呂から上がって部屋に帰ってきた俺は、さっそく和馬に「青葉のお願い」について話した。
「青葉ファン」のこいつなら、もしかして喜んで付き添いをしてくれるんじゃないかという、かすかな望みを託して。
だが。
「駄目だな。その日は合同練習で隣の県まで行かなくちゃならん」
あっさり望みは打ち砕かれた。
……それはそうと和馬よ。風呂上りにパンツ一丁で、腰に手を当てながらプロテイン入り牛乳を飲むのは止めてくれ。
お前は「薔○族」か「さ○」のモデルか。
「というか、青葉ちゃんはお前をご指名なんだろ。お前が行けよ」
「気がのらねえ」
俺はそう言ってベッドに横になる。でも、なぜ気が乗らないのか俺自身よく分からない。
だが、和馬は意味深な笑いを浮かべてこちらを見ている。
「なんだよ」
「いやあ……なんだかんだ言って、お前青葉ちゃんを取られたくないのかなと思ってな」
「そんなんじゃねえよ」
そう言って和馬に背を向ける。和馬はそれっきり黙ってしまった。
確かに、一抹の寂しさはある。
ずっと青葉は俺の後ろを追っかけてきたようなところがある。
友達を作るのが苦手な青葉を心配して、青葉の母親は俺に「青葉をお願いね」といつも言っていた。
俺が遊びに誘うと、青葉ははにかみながらついてきた。そして、走る俺の後を一生懸命追いかけてきた。
ずっと俺は青葉の保護者のつもりでいた。
そんな役目も今度で終わりかもしれない。
だから俺は感傷的になっているんだ。俺はそう思おうとした。
『……創一郎くんが告白してくれたんなら良かったのに』
……くそっ。なんであんな台詞、今思い出すんだ?
あんなの、大した意味はない。青葉がそう言ったじゃねえか。
俺は頭まですっぽりと布団をかぶった。
今は何も考えたくない。寝ちまえば、変な事考えずに済む。
だがその時、部屋の内線電話がけたたましく鳴った。
和馬がとる。
そして、俺を揺り起こす。
「お前に電話だとよ」
俺は黙って起き上がり、受話器を受け取る。
「代わりました、御堂です」
電話が切り替わるノイズがして、なじみ深い女の声が聞こえてきた。
「あ、御堂? 私」
「那智子か。どうした、珍しいな」
今日は珍しい事続きで、もう驚かないが。
「さっき青葉から聞いたの。今度の日曜、あんたが来るんでしょ?」
「決定事項かよ」
「違うの?」
意外そうな那智子の声。俺は聞こえないように舌打ちしてから話し続けた。
「ああ、和馬は練習で無理だからな。俺が行く事になると思う」
「……やっぱり。ねえ、あんたどう思う?」
「どう思うって、何が」
「青葉、OKするかな」
俺に聞かれても困る。というか、それを決めるためのデートじゃないのか?
「そんなこと、俺も分からねえよ」
「私ね……青葉は断ると思うの」
那智子の声は暗い。全く、今日はいつものうるさい那智子らしくない。
「なんで」
「だって、あんたを誘ったって事は、望月くんにあきらめさせようってことでしょ?」
はあ、俺は心でため息をついた。やっぱり勘違いしてる。
だが、ここで俺と青葉のこれまでの付き合いとか、俺たちがお互いをどう思ってるか説明するのも面倒だった。
「別に俺でなくてもいいんだよ。和馬でもいいって青葉は言ってたんだから」
「あ……そうなの?」
「知らない男と出かけるのが不安だったんじゃないか?……あと、お前な」
「何よ」
俺の言葉に挑発的な響きがあったのを、那智子は聞き逃さなかった。
「気を回しすぎなんだよ。青葉が付き合うかどうかなんて、あいつが決めることだろ」
「そりゃ、そうだけど……出来れば青葉の思うようにしてあげたいじゃない」
「今度のデートで青葉が相手を気に入れば付き合うだろうし、そうじゃなきゃ断るよ」
「それって冷たくない? 青葉が付き合いたいなら応援したげたいし、断りたいならそういう雰囲気に……」
「そりゃ分かるけどな。俺は青葉の意思を大事にしたい。それに……」
「それに?」
「あいつを信じてる。あいつの判断なら、それは間違ってないって」
那智子が電話の向こうで黙る。俺も何も言わなかった。
「青葉の事、よく分かってるんだ」
「付き合い長いからな」
電話口で、那智子がふっと息を吐いたのが聞こえた。
「……分かった。私も青葉の判断を信じるわ。……ごめんね、夜遅く電話して」
「気にすんな」
「ありがと。お休み」
そこで電話は切れた。そっと受話器を戻す俺。
和馬がすぐ後ろに立っていた。
「信じてる、か。でも、悟ってるような事言っても、お前も迷ってるんだろ」
「かもな」
そう言って俺は再びベッドに横になる。
さっき俺は那智子に嘘をついた。どこがどう嘘とは言えないが。
でも、俺がさっき言ったのは建前にすぎないってことを俺は知ってる。
布団を頭までかぶり、寝る体勢。今日は本当に疲れた。
「創一郎よ」
不意に和馬が声をかけてきた。俺は黙っている。
「デート、ぶち壊そうなんて思ってないだろうな」
どきり。
和馬の言葉が俺の胸を刺す。
そうだ。俺は心のどこかでそんなことを考えていた。そして、和馬の言葉に言い当てられ、俺は動揺している。
「……んな事しねえよ」
「分かってる、冗談だ」
和馬が部屋の電気を消した。奴が自分のベッドに入る音がして、すぐ静かになった。
もう寝ちまったようだ。
だが、俺はその夜なかなか寝付けなかった。
(続く)