青葉、那智子、そして望月とのダブルデートもようやく終わり、俺たちは帰りの電車に乗っている。
デートが終わる頃には、青葉も望月に慣れて、自分から積極的に話しかけるまでになっていた。
そして俺はと言うと、とりあえず望月が変な奴でなくてほっとしていた。
というか結構意気投合してしたといってもいい。
そんなわけで、俺たちは互いに連絡先を交換し、夕方セブン・オーシャンズ前の駅で別れた。
帰りの電車で、青葉は望月のことは一言も触れない。
だけど、今日がどれだけ楽しかったか語る様子から、望月に好意を抱き始めているのは分かった。
「ほんと、今日は楽しかったね」
「ああ」
那智子は遊びつかれて寝てしまい、俺と青葉は小声で話している。
「こうやって、創一郎くんやなっちゃんと遊ぶのも、久しぶりだったしね」
「そうだな。最近お互い時間も合わないしな……」
そうだね、と呟く青葉の声が少し寂しげだ。
確かに俺も少し寂しい。
だが、それも仕方ないことだと思う。
もう、自分達の周りだけで世界が完結していた、小さい頃とは違う。
俺には俺の世界があり、青葉にも青葉の世界がある。
お互いが、お互いの世界に占める割合をだんだんと減らしていく。それが自然なことだ。
もし望月と青葉が付き合い出せば、青葉にとって世界の大半は望月で占められることになる。
そうすれば、俺は青葉の世界の中で、ただの幼馴染として残るだけなのかもしれない。
俺が黙っていると、青葉がそっと俺の手に触れた。
驚きもせず、俺は青葉の方を見る。
小さな青葉が、俺をじっと見上げている。
「ねえ、創一郎くん……」
青葉も俺と同じような寂しさを感じているのだろうか。
俺を見つめる目からは、俺は何も読み取れなかった。
「創一郎くんは、どう思ってるの?」
不意に青葉がそんな事を言ったので、俺はちょっと混乱しちまった。
「どうって……何が」
青葉は俺から視線をそらし、うつむいた。
なんだ? 何が言いたいんだ?
「創一郎くんは、私が望月くんと付き合ったらいいと思ってる?」
「お前、馬鹿な……」
馬鹿な事聞くな、そう言いかけて、俺は口ごもった。
青葉の瞳に浮かぶ、不安の色。
どう答えろって言うんだ。そんなの、俺がどうこう言うことじゃない。
「そんなの……わかんねえよ」
俺の答えに、一瞬期待の色を浮かべた青葉が、またうなだれる。
「創一郎くん、言ったよね。相手が嫌な人だったら、創一郎くんが断ってくれるって」
「確かに、言ったけどさ……」
でも、それは青葉の意に染まない相手だったらって話であって。
「お前、望月のこと嫌いなのか」
俺の問いに、青葉はううん、と首を振って否定する。
「まだ、わかんない」
青葉は身動きもせず、じっと床を見つめている。
「じゃあ、もうしばらく考えてみろよ。もしかしたら望月の嫌なところが見えてくるかもしれないし。
……そしたら、断れ」
「でも……」
青葉は不満げにつぶやく。
「それにな。誰かと付き合うかどうかなんて、自分で決めろ。人に聞くことじゃねえよ」
俺はそう言って、青葉の肩をぽん、と叩いた。
その時だった。
青葉が一瞬肩を震わせ、俺の方にぱっと顔を向けた。
「でも……でも、私は創一郎くんの気持が知りたいの」
「青葉、お前何を……」
青葉の顔を見て、俺ははっとした。
うっすらと涙を浮かべている。
俺は突然の涙にうろたえた。
「だって、創一郎くんいつも分かってくれた。
私が喜んでるとか、嫌がってるとか、言わなくたって分かってくれた……。
なのに、なんで今日は分かってくれないの?
なんで『自分で決めろ』なんて言うの? なんでそんなに冷たいの……?」
そこまで言って、青葉はふっと体の力を抜いた。
そして静かに座りなおす。
「創一郎くんが、私の気持ち分かってくれないの、初めてだよ……」
そんなこと、今まで言われたこともなかった。
返事に詰まって、何も言えない。
俺が、冷たい?
俺が、青葉の気持ちを分かってない?
違う。俺は分かっている。
青葉は自分で決めるのが怖いだけだ。
だから俺に決めてもらおうとしてる、自分の気持ちまで。
お前は望月を好きになるとか嫌いになるとか、そんなことに責任を取りたくないだけじゃないか。
俺の頭に血が昇る。
頭に浮かんだその言葉を、そのままぶつけようと口を開きかけたとき。
「……ごめん」
青葉が俺に頭を下げた。
「私、変な事言ったね。……忘れて」
上げた拳を振り下ろす場所を失って、俺は黙り込む。
嫌な沈黙が俺たちを包んだ。
もう、青葉の手は俺に触れてはいなかった。
こつん。肩に軽い衝撃。
ふと青葉と反対の方を見ると、居眠りをしていた那智子が、俺に体を預けている。
ふふ、と青葉が小さく笑った。
「今日は、創一郎くんとなっちゃん、喧嘩しなかったね」
青葉の笑顔に、俺の心は少しだけ和らいだ。
「……そうだな、それだけでも今日は有意義だったかもな」
俺はそう言って今日の事を思い出し、自嘲気味に笑う。
ま、ソフトクリームをおごらされたぐらいは、安い代償だろう。
それから俺たちは黙って、俺たちの住む町に着くまで電車に揺られていた。
少なくとも嫌な沈黙じゃあ、なかった。
「ただいま……」
部屋の扉を開け、俺は力なく言う。
「おかえり」
ベッドに横になっていた和馬が身を起こして返事をした。
俺は首をごりごりと鳴らしながらジャケットを脱ぎ、俺の椅子に放り投げた。
そして、ベッドにあおむけに転がる。
はあっと大きく息をつく。
「それで? どうだったんだ。ダブルデートは」
和馬が特に興味がある風でもなく、そう尋ねた。
天井を見つめていた俺は、ちらりと和馬を見る。口元に軽く笑みを浮かべて俺を見てる。
相変わらず、ひょうひょうとした野郎だ。俺は苦笑する。
また視線を天井に戻して、今日の事を話し始めた。和馬は黙って俺が話し終わるまでそれを聞いていた。
話が終わり、俺たちの間に短い沈黙が流れた。
それを破ったのは和馬の方だった。
「美少女風ねぇ……青葉ちゃんもなかなか面白い男に惚れられたようだな」
「面白い、か」
そう言って俺は望月の事を考える。
まあ、見た目には驚かされたが、それ以外は至極まっとうな男だと思う。
あ、いや頭はいいし、運動も出来るし、特技もあるんだから「まっとう」以上かもしれない。
セブン・オーシャンズからの帰り道、並んで歩く望月と青葉を後ろから見ながら、
「結構お似合いじゃないか」
と思ったのも事実だ。
あれだけ人より秀でたものを持ちながら、女に対して妙に自信なさげなのは面白いと言えるだろうか。
でも、そういう控えめなところが青葉にはふさわしいかもしれない。
少なくとも、きざな言葉と態度で女心をくすぐるような奴に言い寄られるよりは良かったと思う。
でも。
やはり何か納得できないものがある。
帰りの電車で、俺は、お互いがお互いの世界に占める割合が減るのが自然だ、と思った。
でも、本当にそうなのか。俺には自信を持って言い切れない。
俺はまたため息をついた。
「なあ、和馬」
「なんだ」
和馬は黙って俺を見ている。
「お前も、青葉の事が好きなんだろ」
何気なく聞く。和馬はちょっと黙ってから、口を開いた。
「まあ、好きだな。『ファン』として、だが」
それはテレビのアイドルの話をするような、そっけない口調だった。
「和馬さ」
俺は次の言葉を言うのに、少しためらいを感じながら、それでもやはり言わずにいられなかった。
「お前、今からでも青葉に告らないか」
言ってから、俺は横目で和馬を見る。和馬が苦笑しているのが目に入った。
「何を言ってるんだ、お前」
「いや、マジな話さ。お前が告白すりゃ、青葉もうんと言うような気がするんだよ」
同年代の男で、俺の次に青葉が懐いているのは間違いなく和馬だ。
俺にだって和馬以外の友人は何人かいるし、青葉はそいつらに会ったこともある。
だが、青葉が心を開いているのは、間違いなく和馬だけだ。
今日それに望月近衛が加わったが、それでも和馬が一歩、いや十歩はリードしている。
「お前と青葉が付き合ってくれれば、俺も安心なんだが」
俺の言葉に、苦笑いを浮かべたまま和馬が立ち上がるのが見えた。
「なあ。お前だったら、俺協力するぜ」
そう言ったとき和馬の動きがぴたりと止まった。
俺に背を向けたまま、和馬が呟く。
「お前は何様のつもりだ?」
「え……」
「お前は青葉ちゃんの何だ? ただの幼馴染だろ。責任も取れないくせに、青葉ちゃんの人生に口出しするな」
和馬の口調は淡々としているが、その飾り気のなさが、逆に俺には恐ろしかった。
「それから、俺の人生にも土足で足を踏み入れるな」
「……悪い」
俺は身を起こして、和馬に頭を下げた。もちろん、和馬には見えていないだろうが。
ふっと、和馬の体から緊張が抜けるのが分かった。
「創一郎、何でもお前がコントロールできると思うなよ。世の中、なるようにしかならんと思う。
それに、土足で足を踏み入れるなと言っても、お節介だって世の中には必要だしな」
和馬は、ジュース買って来る、と言って静かにドアを開けて部屋を出て行った。
「責任、か」
俺は呟いて、またベッドに横になった。
青葉を突き放せばいいんだろうか。
それとも、青葉の気持ちを決めてやった方がいいんだろうか。
そんな事を考えているうちに、俺は深い眠りに落ちていった。
(続く)