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風は冷たいけれど、空は晴れ上がった土曜日。  
今日は、青葉と那智子の学校、聖マリア・マッダレーナの文化祭だ。  
俺の机の上には、文化祭のチケットが二枚置いてある。  
青葉から送られたチケットと、那智子からのチケットが。  
でも、俺は朝からベッドに寝転がり、読みたくもない参考書に目を走らせていた。  
和馬はとっくの昔に出かけた。あいつも青葉のチケットをもらったらしい。  
「本当に、行かないのか」  
出かける前に言われた、呆れた和馬の声が蘇る。  
和馬は昨日の夜まで俺を文化祭に誘い続けた。  
でも俺は、もう誰にも顔を合わせたくないんだ。  
「臆病な奴だ」と和馬。  
臆病けっこう。いまさら青葉に合わす顔もないし、青葉と絶交したらしい那智子にも会いたくない。  
誰が嫌いってわけじゃなく、今の俺たちの関係そのものが、嫌でたまらなかった。  
俺は読んでいた参考書を置くと、ベッドから身を起こした。  
二つの封筒を何気なく手に取る。  
那智子から送られてきた封筒には手紙が入っていた。  
便箋に丁寧な文字で、俺に来て欲しい、一緒に文化祭を回りたいと、書いてあった。  
いかにも那智子らしい、直接的で簡潔な手紙。  
でも俺は一読して、その重さに耐えられなかった。  
一方、青葉の送ってきた封筒には、チケットが入っているだけだった。  
それどころか、封筒の裏書には青葉の名前さえなかった。  
見慣れた丸っこい文字だけが、これを送った相手が青葉であることを告げていた。  
「来て欲しいのか、欲しくないのか、どっちなんだよ」  
俺は苦笑いを浮かべながら、また封筒を机の上に放り投げた。  
ごろりとベッドに横になり、天井を見上げる。  
「……行ったとして、俺はどうすりゃいいんだよ。まったく」  
誰に問うわけでもなく、そう呟いて目を閉じる。  
眠たくはないが、俺は今眠りたかった。  
そうやって、何も考えることなく、夜まで時間が過ぎてしまえばいい。  
やがて望みどおり、俺の意識は遠ざかり、いつの間にか眠りに落ちていった。  
 
 
声を殺して泣く那智子を、俺はいつの間にか抱きしめている。  
人の動く気配がして、そちらに目をやれば、青葉と望月が去っていくところだった。  
望月と目が合う。  
俺は黙って小さく頭を下げ、望月は気にしないでくれ、と言わんばかりに首を振った。  
望月の陰に、那智子と同じように涙ぐむ青葉が見えた。  
でも、青葉と俺の間の距離は果てしなく遠い。俺は見送る事しか出来なかった。  
しばらくして、泣き止んだ那智子を家まで送っていく。  
家の前で、那智子は改めて俺に「付き合って欲しい」と言った。  
「それとも……やっぱり御堂も青葉が好き?」  
月明かりに照らされて不安そうな那智子の顔が浮かび上がる。  
俺は黙って首を振った。  
「……今は、なんとも言えない。俺は青葉の事が大事だ。確かにそう思ってるよ。  
だから、青葉が傷つくような事はしたくない……今は」  
「じゃあ、私は?」  
「えっ」  
「私は、傷ついてもいいの?」  
那智子の言葉は、俺をうろたえさせるのに十分だった。  
俺はしばらく考え、やがて口を開いた。  
「俺は……那智子の事だって大事に思ってる。だから青葉のためにお前を傷つけたくないし……」  
「……私のために青葉を傷つけることも出来ないんだね」  
なぜか那智子は笑っていた。  
笑みを浮かべたまま、玄関の扉を開ける。  
振り向きざま、那智子は少し大きな声ではっきり言った。  
「でも、いつかは選ばなきゃ駄目なんだよ、いつかは。そうしないと、私たち二人とも傷ついたままだよ。  
……選ばなくちゃいけない時、もしその時が来たら、その時は私を選んでね。……ひきょうものさん」  
俺が返事をするより早く、那智子は家の中へと消えていった。  
 
 
けたたましい音に、俺ははっと目を覚ました。  
布団もかぶらず寝ていたというのに、汗だくだ。  
また、あの日の事を夢に見ていたのか……ここのところ、毎日だ。  
夢を追い払うように首を振ると、俺は音の方に目を向ける。  
電話だ。ドアの傍にかかった内線電話が、ずっと鳴り続けている。  
俺はのろのろと立ち上がると、黙って受話器を取った。  
「はい。○○○号室」  
だが、電話の向こうから聞こえてきたのは、管理人の声でも、寮生の声でもなかった。  
「あ、御堂!? 私」  
那智子だった。学校の公衆電話からでもかけているのか、賑やかな音が受話器越しに聞こえてくる。  
「……悪い、那智子、今日は……」  
いけない。そう答えようとするより早く、那智子が息せき切って話しだした。  
「違うの。あのね……青葉が……青葉が、いなくなっちゃったの!」  
瞬間、俺の頭が醒める。青葉が、いなくなった?  
「合唱部の子がさっきクラスに来てね。リハーサルの時は居たのに、いつの間にかいなくなったって。  
本番まであと2時間しかないのに……青葉、ソロで歌うのに……」  
「学校の中は探したのか?」  
「合唱部のみんなで探したって。でも見当たらないんだって……。  
顧問の先生は、とりあえずステージ優先だから、青葉が歌うはずだったところは別の子にさせるって。  
……青葉、こんなことする子じゃないのに。今日のために、すっごく練習してたのに……」  
当たり前だ。あいつは生真面目が服来て歩いているような奴だ。  
本番前にいなくなる理由があるとすれば……原因は、俺だ。  
「とりあえず、青葉のご両親には知らせたの。あと、望月くんと、初芝くんにも……。  
ねえ、どうしよう……。きっと私のせいだ」  
那智子の声も震えている。  
早口で、急き込むように話す那智子の声は、なぜかとても幼く聞こえた。  
「那智子……」  
「……もうずっと、私、青葉とまともに口も聞いてないの。私、ずっと無視してたの。  
昨日も、青葉に『文化祭、御堂には私に付き合ってもらうから青葉は話しかけないで』って。  
わたし、私が……青葉を勝手に嫌いになって……だから」  
那智子は声を詰まらせる。それを聞いて、俺の頭に冷静さが蘇ってきた。  
「とりあえず、青葉に謝るのは後にしようぜ。それに……お前のせいじゃない、俺が悪いんだから」  
「で、でも……!」  
 
「いいから聞け。みんなで手分けして探そう。俺もすぐ行くから、な?  
お前は校内をもう一回探せ。それで、もしも青葉が戻ってきたときのためにそこに残るんだ、いいな?」  
「う、うん。分かった」  
「頼むぜ。和馬はそこにいるか? 代わってくれ」  
電話越しに、那智子が走っていく足音が聞こえ、次に和馬の低い声が聞こえてきた。  
「俺だ……とりあえず、お前のしでかしたことについては後できっちりシメてやる」  
静かな怒りが、はっきりと伝わってくる声だった。  
「覚悟しとくよ……それで、陽子さんや望月は?」  
「青葉ちゃんのご両親は家に戻ってみるそうだ。もしかして家に帰ってるのかもしれないしな。  
それから家の近所を探してみると言ってた。俺と望月はこの学校の周辺を探してみる。  
だから、お前は、それ以外を探せ」  
「それ以外?」  
短い沈黙。和馬がふっと息を吐いて、言葉を続けた。  
「長い付き合いなんだ。青葉ちゃんの行きそうなところぐらい心当たりがあるだろう。そういうことだ」  
さも当然のような口ぶりに、俺は返す言葉がない。  
心当たりだって? そんなもの……。  
とまどう俺に、電話の向こうから思いがけない陽気な声が聞こえた。  
「おいおい、お前をあてにしてるんだぞ。そうじゃなかったら、那智子さんに電話かけさせたりしないからな」  
和馬はそうおどけて見せた。  
そうか、那智子がまず和馬に相談して、和馬は俺に電話するように……。  
「「それじゃあ、また後でな。頼むぞ色男」  
笑い声を残して、和馬の電話は切れた。それが、和馬流の励ましだったのかもしれない。  
受話器を戻し、俺はとりあえず考えをまとめてみる。  
青葉が皆から逃げるみたいにいなくなった。  
そんなとき、アイツならどこへ行く?  
正直、見当もつかない。いや、逆だ。心当たりが多すぎる。  
悲しいとき、怒ったとき、寂しいとき。それぞれに青葉には馴染み深い場所がある。  
この町全部が、俺と青葉にとってたくさんの思い出と結びついたところなんだ。  
立ちすくむ俺は、自分に気合をいれるため、拳を手のひらに打ちつけた。  
考えていても、青葉は見つからない。  
今は動くときだ。  
 
町へ出た俺は、片っ端から青葉の行きそうなところを探し回った。  
駅前の広場。商店街。青葉のよく行く店。小さいとき遊んだ公園。  
二人でぼんやり寝転んで過ごした河原。青葉のお気に入りの楡の木がある丘。  
だが、青葉は見つからなかった。  
時計を見る。もう二時前。本番まであと一時間しかない。  
焦った俺はやみくもに町を走り回り、さらに焦りだけをつのらせていく。  
そうやってへとへとになって、いつのまにか俺は泰山寮の前に戻ってきていた。  
寮の前で、体を折り曲げ、荒く息を吐く。  
もう、時間がない。あと一箇所探すのがせいぜいだろう。  
そのとき、俺は和馬の言葉を思い出した。  
『青葉ちゃんの行きそうなところぐらい、心当たりがあるだろう』  
青葉は、いま何を求めているのか。それを考えてみるべきだった。  
俺やみんなに見つかりたくないなら、俺たちの思いもよらないところに行けばいい。  
それこそ、電車に乗って遠くへ行くとか。  
でも、青葉は本当に俺たちに見つかりたくないのか?  
違う。本当なら俺たちと向かい合って、やるべきことはちゃんとしたい、そう思ってるはずだ。  
部活だろうが人間関係だろうが、ちゃんと責任をとる、それが俺の知ってる青葉だ。  
きっと心のどこかで、誰かに見つけて欲しいと思っているはず。  
それなら……いったい『誰』に見つけて欲しいと思っているのか?  
不思議と、俺は『青葉が俺に見つけてほしいと思っている』と確信していた。  
だから、青葉は俺と関係のある場所にいる。それは……  
俺はもう一度大き息を吸うと、再び走り始めた。  
 
 
「やっぱり、ここだったか」  
肩で息をしながら、俺は青葉の前に立っていた。  
ここは泰山高校のグラウンド。  
青葉はその片隅、小さなコンクリートブロックにぼんやりと座っていた。  
「創一郎……くん」  
見つけられたのが信じられない、といった風に、青葉は目を丸くしている。  
「どうして? 何で分かったの?」  
「まあ、半分勘みたいなもんさ」  
青葉がマッダレーナを出てまっすぐ歩けば、駄菓子屋『チチヤス』の角。  
俺は、そのときの青葉の気持ちを考えてみただけのことだ。  
一方の道は家に向かっている。だからそちらは選ばない。  
ふと目を上げれば、丘の上の泰山の校舎が見える。俺の通う学校だ。  
どちらに向かうか、まあ、想像がつく。  
「絶対、誰も来ないと思ったのに」  
残念そうに青葉が呟く。なんだかかくれんぼで見つかったみたいな言い方だった。  
「甘いな。裏をかいたつもりだろうが、お前の裏なんざ、幼稚園のときからお見通しなんだよ」  
そう言い返しながら、俺は青葉の隣に座った。  
グラウンドは閑散としていた。練習している運動部すら見当たらない。  
いつもの学校で、青葉と二人でぽつんと座っていると、不意に恥ずかしくなった。  
そういや、こんな風に二人きりでいるなんて、本当に久しぶりだ。  
小さい頃は、青葉と二人だけで一日中遊んだはずなのに。  
それなのに、今じゃほんのひと時二人きりでいるのも違和感がある。  
「……怒ってる?」  
青葉がぽつりと呟いた。  
「いや。……なんでだ?」  
「みんなに迷惑かけちゃったから。なっちゃんとか、すごく怒ってそう」  
俺はそっと青葉の頭を撫でた。  
「那智子が、お前に悪い事したって言ってた。勝手に嫌いになってごめんって」  
「ほんと?」  
安堵の笑みを浮かべる青葉。俺はうなずきながら、さらに二三度青葉の髪を撫でた。  
「なんで、いなくなったりしたんだよ」  
咎めるつもりはなかった。ただ、青葉の気持ちが知りたいだけだった。  
俺の体にもたれかかるようにしながら、青葉は俺の顔を見上げる。  
「……どうしてだろうね。今朝学校に行くまで、創一郎くんに文化祭に来て欲しかったのに。  
学校に着いて、クラブのみんなとリハーサルを始めたとたん、突然怖くなったの」  
「……俺が、怖い?」  
 
そんな事を言われたのは初めてだった。  
確かに優しいやつとは言えないけれど、怖がられることなんて、ないはずだ。  
俺の言葉に、青葉はふるふると頭を振った。  
「怖かったの。……なっちゃんと仲良くしてる創一郎くんを見るのが。  
二人が楽しくしてるのが、怖かった。とっても怖かった。  
創一郎くんとなっちゃんが、合唱部の演奏を聞きに来ることを考えたら、突然……  
突然、歌えなくなった」  
そう言うと、青葉は俺の肩に静かに体を預けた。  
そんな青葉をわざと見ないようにしながら、俺は青葉の髪を撫で続けていた。  
無意識に、俺の手は青葉のお下げ髪を触る。  
柔らかなそれを手で弄びながら、俺は青葉に寄り添うように座りなおした。  
「……昔から、そうだよね」  
「何が」  
「私を慰めるとき、いつも三つ編みをいじるの。  
私が泣いたとき、私が他の子に苛められたとき、飼ってたインコが死んじゃったとき……。  
いつもそう。黙って私の三つ編みを触るの。  
あ、でも思いっきり引っ張られたことあったっけ。あれは痛かったな」  
言われて初めて、俺は青葉のお下げ弄りの癖に気がついた。  
慌てて手を引っ込める。そんな俺を見て、青葉は微笑む。  
「……引っ張ったのは、謝る」  
そう、一度だけ。喧嘩したあと、青葉が謝っても振り向いてくれないもんだから。  
頭に来て、後ろから思いっきり三つ編みを引っ張った事があった。  
「いいよ。……だって、そうして欲しいから、ずっと三つ編みにしてたんだもん」  
「……何だって?」  
青葉の言葉が一瞬理解できず、俺は問い返す。  
「創一郎くんが触ってくれるから。だからずっと三つ編みにしてたんだよ。  
これは……」  
そういうと、青葉は三つ編みの片方の房を自分の目の前で持ち上げて見せた。  
「創一郎くんのためのものなんだ」  
自分の髪をいじりながら、青葉は少し恥ずかしそうにそう言った。  
そう言えば……初めて望月や那智子と遊びに行った時。  
青葉は三つ編みを解いていた。  
俺は、青葉が望月と会うために髪型を変えたことに嫉妬したけれど。  
あれは、そういうことだったのか……。  
俺が黙っていると、不意に青葉が顔を上げた。  
さっきまでの沈んだような表情は、もうどこかに消えてしまっている。  
「ねえ。なっちゃんに、返事した?」  
「返事って、何の」  
「お付き合いしてくださいって、言われたんでしょ?」  
「……ああ」  
正直、その話をいま青葉がするとは思わなかった。  
俺が言いよどんでいると、青葉はさらに笑みを浮かべて聞いてくる。  
それは、友達の恋の話に興味津々な、普通の女子高生の顔だった。  
「それで? なんて答えたの?」  
「……まだ、返事してない」  
青葉が呆れた目で俺を見る。そのしぐさは何だか芝居がかっていた。  
「ひどーい。創一郎くん、私の事言えないじゃない。  
私にあれだけ『付き合っちまえ』とか、『自分で決めろ』とか、偉そうなこと言っておいて」  
「あー……うん……ごめんな」  
俺はそう言ってぽりぽりと鼻をかいた。  
「女の子の方からキスするなんて、すごく勇気がいるんだよ?  
だから……だから、早くなっちゃんに答えてあげなきゃ駄目」  
ちょん、と指で俺の鼻をつつく。まるで弟に教え諭すみたいだった。  
青葉に言われなくても、那智子の思いがどれくらい強いか、それは俺も分かっている。  
でも、今はまだ俺の気持ちはふらふらと揺れ動いて、那智子を受け止める事はできない。  
だから、答えられない―――それは青葉も分かっているようだった。  
「ねえ。なっちゃんとのキス、どうだった? 教えてよ」  
ちょっとふざけたように、青葉が尋ねる。  
俺はあの時の唇の感触を思い出し、頬の辺りが熱くなるのを感じた。  
俺が答えに困っていると、青葉は俺の腕をそっと握った。  
 
俺と青葉の視線が交わる。  
「私との初めてのキスより、よかった?」  
「お……お、お前なっ」  
俺が思わず大声を出すと、青葉は手を引っ込める。  
だがその口ぶりとは正反対に、青葉は真剣な眼差しを向けている。  
ちょっと強がっているときの、青葉の顔。  
でも、その大きな目は。その黒い瞳は、いつもより濡れて光っていた。  
「なっちゃんの大事なものなんだから、忘れちゃ駄目だよ。  
……私だって、忘れてないんだから」  
「こ、この前はお前忘れたって……」  
言いかけた言葉を、俺は慌てて引っ込めた。  
那智子の言うとおりだった。青葉が忘れてたなんて、あるわけない。  
『たかがままごとの話』となんでもないようなフリしてる俺だって、忘れていなかったのに。  
俺は静かに体から力を抜き、青葉の視線を受け止めた。  
「那智子に付き合ってくれって言われたとき……  
『那智子のために青葉を傷つけたくないし、青葉のために那智子を傷つけたくない』、そう答えた」  
黙ってうつむく青葉。突然の沈黙に、俺は少し慌てた。  
でも、青葉は別に呆れても、怒ってもいなかった。  
「……私と、おんなじだね」  
吐き出すように言った青葉の言葉を理解できず、俺は首をかしげる。  
「私も、そう思った。  
望月くんとお付き合いして、創一郎くんと、これまでみたいな関係でいられなくなるのがいやだった。  
でも、創一郎くんのことで望月くんのこと断るのも、いやだった。  
……本当は、そんな事できないのにね」  
自分を責めるように、青葉はぽつりぽつりと言葉を続ける。  
「私……私も創一郎くんのこと、好きだよ。たぶん他の誰より、好き。  
でもね、それは恋人とか、そういうんじゃなくて、もっと……」  
青葉にそう言われても、俺は驚かなかった。その気持ちは、俺も同じだから。  
「ずっと、このままでいいと思ってた。  
お前が望月と付き合っても、俺が那智子と付き合っても、何も変わらないと思ってた。  
そうだろ、青葉」  
 
こくり。青葉がうなづく。  
そう。  
誰と付き合おうが、誰とデートしようが、誰とキスしようが……。  
俺たちは、ずっと幼馴染だ。恋人なんかより、ずっと強い絆で結ばれていると信じている。  
俺は青葉の方に向き直る。  
少し頬を赤らめた青葉の顔が目に入った。  
もう一度、そっと青葉のお下げ髪を手に取る。  
そしてそのまま頭を抱きかかえるようにして、青葉を胸に引き寄せた。  
「創一郎くん」  
「青葉」  
俺を見上げる青葉の目が潤んでいる。  
まるで猫のような、大きな瞳。  
小さい頃まん丸だった頬は、今はほっそりとして、滑らかな曲線を描いている。  
顔の真ん中には少し低めの、小さな鼻。きれいに整えられた、細い眉。  
そして……桃色の唇。  
全てが、たまらなく愛しい。  
軽く開かれたその唇に、俺の目は釘付けになった。  
青葉の目も、俺を見つめたまま動かない。その瞳には俺が映っている。  
見つめ合いながら、俺たちは静かに顔を近づけていく。  
黙って青葉が目をつぶる。俺もそれにあわせて、そっと目をつぶった。  
互いに息を止め、肌のぬくもりが感じられるぐらい二人の距離が縮まる。  
俺の唇に、暖かいものが当たる―――その瞬間。  
「……駄目っ!」  
不意に俺は突き飛ばされた。  
顔を真っ赤にしながら、青葉は俺の腕を振り解いて立ち上がる。  
そして顔を見ないようにしながら、俺に背を向けた。  
俺も追うようにして立ち上がる。  
「駄目だよ……」  
「青葉……」  
「創一郎くんには……創一郎くんには、なっちゃんがいるじゃない」  
 
青葉の肩に、静かに手を置く。そのとたん、青葉の体がびくり、と震えた。  
『ごめん……』  
俺たちは同時に同じ事を口にしていた。  
そのまま黙りこむ青葉の背中に、俺は語りかける。  
「ごめんな。酷い事言って。ごめんな、ずっと青葉の気持ち……」  
それ以上は、言葉に出来なかった。  
青葉はこちらを振り向かずに、小さく首を振った。  
手で目元を拭ってから、ぱっとこちらを振り向く。  
その顔はもう、笑みを絶やすことのない、いつもの青葉の顔だった。  
「私……戻るね」  
「ああ。……よければ、俺も一緒に行ってやるぞ」  
「大丈夫。まずクラブのみんなに謝らなきゃね。  
もうソロは出来ないだろうけど、せめてステージだけでも乗せてくださいって」  
「ああ、そうだな。大丈夫、きっと許してくれるさ」  
うん。青葉は俺の言葉に嬉しそうにうなづいた。  
青葉に合せて、俺は歩き出した。  
二人で人気のない校庭を横切り、校門を抜け、坂道を下り、再び駄菓子屋の角まで戻る。  
そこで俺は別れるつもりだった。  
黙って俺が立ち止まると、数歩進んでから青葉が振り返った。  
「今日は、ありがとう。探しに来てくれて」  
すこしためらってから、青葉は小さな声で、しかしはっきりとこう言った。  
「……なっちゃんを大事にしてあげてね」  
俺が返事をしようとするのと、青葉が踵を返すのは、ほぼ同時だった。  
俺はその姿が見えなくなるまで見送り、それから寮に帰った。  
結局、文化祭には行かずじまいだった。  
青葉と那智子、どちらも傷つけたくないから。  
そうすることが、さらに二人を傷つけると分かっているのに。  
 
(続く)  
 

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