1.  
町と人って、似てると思う。  
いつも見慣れた町並みに、突然工事やってることってあるでしょ?  
そのとき、「あれ、ここってもともと何が建ってたっけ?」って思っても思い出せない。  
で、新しい家なりビルなりお店なりが建つ。  
そうしてしばらくするとそれもまた見慣れた町並みになっていって。  
ふと気がつくと工事があったことも、もとは違う建物だったことも忘れてしまう。  
それと同じで、人が変わるときって、  
「変わったことは分かっても、何が変わったかは思い出せない」  
ものだったりする。  
 
私の家と学校のあるこの町だって、そんな感じでちょっとずつ変わっていってるはず。  
毎日通う登下校の道だって、何も新しいものは無いようで、ちょっとずつ変わる。  
そんな風に付け加わったり、無くなったりして町も人も変わっていく。  
何かが新しく、何かが忘れられる。  
そう――  
たとえば、私の一年前の登下校にはなかった要素が、今私の目の前にはある。  
女の子みたいな端正な顔を、ちょっと大き目の学ランに乗せた男の子。  
望月近衛、とか。  
 
 
「最近、よく一緒に帰るよね」  
不意にそう言ったら、望月近衛は驚いたようだった。  
「そうですっけ?」  
意外そうな顔に、私はうなずき返す。  
いつもの学校からの帰り道。  
私はふと「かつては一緒によく帰った相手」が変わっていることに気づいたわけ。  
 
「毎日とは言わないけど、三日に二日は一緒じゃない?  
そりゃお隣さんの学校に通ってるし、お互い帰宅部だから不思議じゃないけど。  
でも――いつからだろうね?」  
望月の通う北星高校と、私の聖マッダレーナ女子はお隣同士。  
当然登下校時には二つの学校の生徒が同じ道を交じり合って歩く。  
けれど、私たちみたいに二人で歩いてる人は少なかったりする。  
異性との交際を禁止されてるわけじゃないけど、うちの学校はばりばりのカトリック。  
やっぱりそういうことにはちょっと奥手だったり。  
それに北星はエリートだから、ちょっと気後れもある。  
もちろんこれだけ近いとお付き合いしてるカップルも結構いるらしい。  
でも、おおっぴらにしてる人は少ない。  
 
 
「――いつからでしょうね?」  
微笑みながら、望月は自分の頬をこりこりと掻いた。  
しばらく考えた返事は、当たり障りのないものだった。  
実は問いを発してから、私はしまったと思っていた。  
私たちが知り合ったきっかけは、あまり楽しい記憶じゃない。  
彼にとっても、私にとってもそれは失恋の記憶。  
かつて私が一緒に登下校した相手。古鷹青葉に告白したのが望月近衛。  
そして、青葉の幼なじみの「アイツ」を好きになったのが――  
 
結局、青葉は私と毎日一緒に登下校することはなくなった。  
十何年も続いた関係に楔を打ち込むには、私も望月も新参者過ぎた。  
もちろん、青葉と私は今でも親友だけど、でも青葉には別に帰る相手が出来たってわけ。  
 
(そうか)  
私は小さく独りごちた。  
余り者同士がくっついて、いつの間にか安定しちゃってる。  
それが今の私たち。  
私は今日の化学の授業を思い出していた。  
化学反応と一緒だ。  
あまった原子がイオンのままではいられなくて、あまった物同士新しい分子を作る。  
それだけのことだったんだ。  
 
「……そういえば、例のいとこの人とはうまくいってます?」  
話題の不穏さを感じたのか、望月が急に尋ねた。  
もちろん私も不愉快な話題からの変更に不服はないから、うまく調子を合わせる。  
「そうね、やっと普通の家族になったって感じ」  
とは言いつつ、私は先日のことを思い出してちょっとだけ笑った。  
私が軽く裕輔にキスしたときのことを。  
 
望月がそれを見つける前に私は笑いを隠し、隣の男に聞いてみた。  
「ねえ、望月ってお姉さんいたよね?」  
「ええ三人」  
「その人たちと、普段どれくらいスキンシップする?」  
望月ははあ?と一瞬すっとんきょうな顔をしたあと、すぐに私の言いたいことを悟った。  
あごに手をあて、考えているポーズ。  
「そうですねぇ……あんまりしない方ですかね。たまに頭撫でられたり。  
こっちからはしませんよ。流石に肉親とはいえ女性ですからね。  
小さいころはよく『ほっぺにちゅう』とかされてましたけど」  
「やっぱそうよねー」  
腕組みして、うんうんと私はうなずく。  
私が黙ってしまったので、望月もそれ以上何も聞かなかった。  
二人しててくてくと住宅街を歩く。  
 
もうそこの角を曲がれば、私の住むマンションが見える、という所まで来たときだった。  
突然私たちの目の前に、二つの影。  
「なっちゃん今帰り?」  
「あ、裕輔さん」  
問題の、我がいとこ殿。  
確かに私の帰宅時間と裕輔が大学から戻る時間は結構近いけど……  
家の外でばったり出会うなんて初めてだった。  
裕輔の視線が、隣にいる望月の方をちらちらと動くのが分かった。  
なんでだろ、緊張してきちゃった。冷や汗が出てきそう。  
 
「ひさしぶり、那智子ちゃん」  
女の人の声に、固まった空気が流れ出した。  
よく見ると裕輔の隣に髪の長い女性の姿。  
軽く会釈をしたので、私も慌てて頭を下げる。  
「じゃ、私はここで。また電話するから」  
そういうと、その女性はさっさと駅の方へと歩いていった。  
春風に、ロングヘアがふわっと巻き上がるのを、私たちは見送る。  
 
「……友達?」  
裕輔の声に、また私はどきっとした。  
「う、うん。隣の高校に通ってる、望月くん」  
望月が黙って頭を下げる。  
男同士の、はじめまして、という挨拶。  
何、このぎこちなさは?  
「……じゃあ、妙高さん。僕もここで」  
望月は挨拶が終わると、逃げるように去っていった。私の方をちらりとも見ず。  
私と裕輔は、取り残されたようにお互いの連れが去った方を黙って見守っていた。  
 
 
2.  
「誤解して欲しくないんですけど」  
帰って制服を着替え、台所でいつものお茶の時間になったところで私はきっぱりと言った。  
「あの男の子は彼氏とかじゃありませんから」  
湯のみをどん、と置いて、私は裕輔を見た。  
目を丸くする裕輔。  
「誤解してましたね」  
「ごめん」  
私の表情が険しいのに気づいて、小さく頭を下げる。  
最近気づいたのだけれど、こうやって少しずつ優位を取り戻していくべきかもしれない。  
二つ年上ってだけで、大きな顔されたら嫌だもん。  
とくに過去の話になると私は知らない話で一方的にうなずくしかない。  
でも今の話なら十分逆転可能。  
っていうか、裕輔けっこう女の子苦手と見た。  
 
「こ、こっちも誤解して欲しくないんだけど」  
「あの人、確か千代田さんでしたよね。今年のお正月に会った」  
裕輔が言いつくろおうとするのを制するように、私は言った。  
どこかで見覚えがあると思ったら、お正月に裕輔と初詣に行ったとき会った人だ。  
で、私は二人の関係を誤解して。  
不貞腐れて帰ってきてゲームセンターで五千円も散財して損しちゃった。  
それはともかく。  
「彼女じゃないことぐらい見たら分かりますよーだ」  
私が鼻で笑うと、流石に裕輔も堪えたらしい。  
椅子に座ったまま肩を落として、うつむいてしまった。  
 
しばらく向かい合って私はお茶をすすり、裕輔はがっくりと下を見ていた。  
日のさす台所は、そんな私たちをゆったりと受け止めている。  
目の前の裕輔がなんだか、かわいい。写真の中の小さいころの裕輔みたい。  
それを見ていると、むくむくといたずら心というか意地悪心がわいてきた。  
私は、今日はちょっとSになることにする。  
 
「っていうか、裕輔さん女の人とお付き合いしたことないんでしょ?」  
「ぐっ」  
まるで追い討ちをかけられたゲームキャラみたいに、裕輔はうめいた。  
顔を伏せたまま、上目づかいに私の方をそっと伺ってる。  
何で分かるんだって顔。分かるわよ、この前の反応見てれば。  
「キスとかで、動揺しすぎですからー」  
棒読みで言ってあげたら、ますます苦虫を噛み潰したような顔。  
「で、でもいくらなんでもキスはやりすぎでしょう!?  
親戚とはいえ、お互い大人なんだから……」  
 
そのとき、私は初めてちょっとだけ気分が悪くなった。  
あのときのキスは、私の精一杯の気持ちだった。  
遊びでするほど私は節操がないわけじゃないし、裕輔が大事だから、好きだからこそ、だ。  
それなのに裕輔はそのことに全然気づいてないらしい。  
ちょっと、お仕置きしてあげなくてはいけない。  
 
「今日会った男の子、覚えてます?」  
「……? ああ、望月くんだっけ?」  
「彼、お姉さんが三人もいるんですけど、スキンシップでキスは当たり前だって」  
しれっとした顔で嘘をつく。  
確かに当たり前だ。「小さいときは」というのは黙っておいた。  
対象が唇じゃなくて、ほっぺたっていうのも、まあこの際だから黙っておいた。  
 
「よよよ他所にはよその家の事情があるわけで、僕らは……!」  
「裕輔さん、そんなに私にキスされるのがいや?」  
この台詞は効いた。  
ちょっとのどを詰まらせながら、上目づかいで、泣きそうな顔で。  
私って女優の才能があるのかしら。  
暇だし、こんど演劇部の扉でも叩いてみよう。二年からでも入れるのかな。  
なんてことを考えながら、私は裕輔の対面の席を立って、隣の椅子に腰を下ろす。  
覗き込むように裕輔の顔を見る私を、裕輔の泳いだ視線が捉える。  
気持ちをなだめるように、私は裕輔の手を握ってそっと膝においた。  
 
窓の外の鳥の声まではっきり聞こえる。  
私たちはそれぐらい黙ったままだった。  
裕輔の喉仏が、ごくりと動くのがはっきりと分かった。  
「……慣れなきゃいけないですよね」  
そういうと私は唇を近づける。  
 
ふにゅっ。  
 
私たちの唇が重なり、ぬくもりがお互いの唇を通して伝わってきた。  
裕輔の唇、男のくせに妙にぷにゅぷにゅしてる。  
まるでグミみたいな弾力。  
私はそれを味わうように、何度かぐっと唇を押し付けた。  
そのたび、裕輔は逃げようとして、でも私に怒られるのが怖くてぐっと踏ん張る。  
それが面白くて、私は何度も何度も、裕輔の唇の弾力を楽しんだ。  
 
「ぷはっ」  
息が続かなくなったところで、私はようやく裕輔を解放してあげた。  
新鮮な空気を胸いっぱい吸い込みながら、はにかむ。  
「いい子いい子、ちゃんと逃げなかったですね」  
そう言って裕輔の頭を撫でてあげる。  
裕輔は相変わらず顔をちょっと赤くしたまま、私の顔をじっと見ていた。  
 
「どうですか? スキンシップ、悪くないでしょ」  
「なっちゃん……いいのかな」  
かすれた声が、裕輔の緊張をはっきりと伝えていた。  
「いやその、嫌ってわけじゃないんだけど、その……  
なっちゃんはいいのかな……  
前のときに聞くべきだったかもしれないけど、その、初めての相手が……」  
余りの古風さに、私はちょっと吹き出してしまった。  
まるでおじさんみたいだけど、それが裕輔には妙にふさわしく思えた。  
 
「ご心配なく。ソフトキスぐらい、ちゃんと初めては好きな人と済ませましたから」  
――私がむりやり奪ったファーストキス。  
思えば、青葉に対する酷い裏切りかもしれない。  
大好きな幼なじみと、目の前でむりやりキスするなんて。  
そのことを私は、なぜか今まで当然の権利のように思っていた。  
でも裕輔に問われて初めて気づいた。  
それは、青葉にとっても、「アイツ」にとってもすごく悪いことだったって。  
 
私、なんで気がつかなかったんだろう。  
こんなに、人を傷つけていたことに。  
 
 
3.  
「なっちゃん、大丈夫? ……どうしたの?」  
私の顔が翳ったのを、裕輔は見逃さなかった。  
慌てて我に返る。  
今は弱い自分を見せたくなかった。特に裕輔には。  
 
「な、なんでもないですよっ。  
そんなことより、裕輔さんこそ初めては私でよかったんですか?」  
してしまった後に聞いたって、もう遅いんだけど。  
でも、私は裕輔が「かまわないよ」と言ってくれることを半ば期待して尋ねた。  
裕輔はやさしいからそう言ってくれると信じてた……つまり、私はずるい女ってわけ。  
「ううん」  
ところが、裕輔は首を横に振った。  
私の心臓が跳ね上がりそうになる。  
だが、その意味は私が思っているのとは違った。  
 
「僕も、初めてはすましちゃったからね。  
残念ながら、『好きな人』とは言い切れない相手だけど」  
苦笑しつつ、裕輔はそのときの経験を反芻するように首を何度かひねった。  
「……意外」  
「失礼だな、なっちゃん」  
私たちはそんな風に笑いあった。  
笑顔で見詰め合うと、私はほんの一瞬だけど、さっきの嫌な思いを忘れることが出来た。  
 
「じゃあ裕輔さん、聞いていいですか?」  
「何?」  
どんな質問でもどうぞ、とでも言いたげに、裕輔は悠然と構えている。  
まるで生徒の質問に答える大学の教授みたいな感じで。  
「ディープキスは、したことあります?」  
「もちろん、初めてがそれだったから」  
おお、と目を丸くする私に、裕輔は笑みを浮かべる余裕すらあった。  
――くそう、なんだかくやしい。  
そう思った瞬間、私はもっと過激なことを口にしていた。  
 
「じゃあ、セックスしたことは?」  
 
裕輔の体が、一瞬硬直して、私の顔をまじまじと見た。  
私はそれからずっと後になって、そんなことを聞いたことが、  
「私たちの関係を変えてしまったんだ」  
と気づいたのだけれど。  
でもその時はなんとも思っていなかった。  
むしろ肉親同士だから出来る、ぶっちゃけ話のひとつだと、そう思っていた。  
 
「…………ある、よ」  
長い沈黙の後、短い答えが返ってきた。  
でもそれを口にした裕輔の顔は、なぜか苦々しいものを口にしたような。  
そんな表情を作っていた。  
「――相手は?」  
裕輔の答えを聞いて、私は初めてそれは触れてはいけないことだったと気づいた。  
私のファーストキスの思い出と同じで、それは甘いものじゃなかったのだ。  
 
「……友人さ、僕が昔よく落ち込んでたときに、親身になって励ましてくれた。  
あるとき、その人の部屋で相談に乗ってもらってたときにね。  
相手が『なんか落ち込んできたから、お酒でも飲もうよ!』って。  
自販機で買ってきたビールを二人で飲んで、酔っ払って――  
そのまま、関係を持ってしまった」  
裕輔は罪を告白する容疑者みたいに肩を落としたまま言った。  
「相手には彼氏がいた。僕の知ってる人だ。共通の友人さ。  
彼女は『気にすることないよ。私がしたくなったんだから、仕方ないじゃん』って。  
『体で慰めてもらったなんて思う必要ないから』って。  
でも――結局ばれてしまって、二人は別れることになった。それ以来、僕は……」  
 
「女の人、苦手になった」  
裕輔はじっと目を伏せたままだった。  
それがとても苦しい思い出だってことぐらい、私にも分かった。  
相手の彼氏に、二人が関係を持ったことを告げたのは、彼女自身なんじゃないか。  
私はふとそんな気がした。  
そして、裕輔はそれまで黙って友人をだまし続けた自分を責めた。  
裕輔はそんな人だ。  
 
「なっちゃん、僕は――」  
言葉は続かなかった。  
私は立ち上がり、もう一度裕輔の唇をふさいでいた。  
離れないよう、両手でぎゅっと裕輔の頭を抱いて、彼の唇をついばむ。  
ほんのり湿った唇同士が、吸い付くように何度も重なる。  
とにかく、もう裕輔にはしゃべって欲しくなかった。  
そうやって、自分を責めるのは止めて欲しい。裕輔は何もかも自分のせいにしたがる。  
それは立派なことだけど、それだけじゃ駄目だ。  
 
お前の生意気な口をふさいでやるぜ、なんて。  
駄目なシナリオのテレビドラマでも最近じゃありえないけれど。  
私はそうすることでしか、裕輔の口をふさぐことが出来なかった。  
 
「……裕輔さん」  
驚き、戸惑う裕輔の耳元で、私はそっと囁く。  
「私に、素敵なキスの思い出をくれませんか?」  
自分でも陳腐で恥ずかしい台詞だと思った。  
だけど、そうでも言わなきゃ、裕輔は私に――してくれないだろう。  
 
裕輔と向かいあって、私は彼の膝にまたがるように座る。  
そして、黙って裕輔の前で目を閉じた。  
 
ぎゅっと私の背中を抱きしめる大きな手。  
顔が裕輔の胸に埋まる。  
お互いの心臓の音がどきどきと反響しあうみたいに高く大きく聞こえる。  
私は怖くて、目をつぶったままだった。  
裕輔の手が、優しく私に顔を上げるよう促す。  
つ、と持ち上げた唇に、裕輔のそれが重なった。  
 
次の瞬間、暖かく濡れた塊が、私の唇を押し割って入ってきた。  
「……ンっ」  
怖くて歯をかみ締める。  
すると、裕輔の手が私の短く切りそろえた後ろ髪を、そっと撫でてくれた。  
それだけで、私は体中の力が抜けていく。  
 
裕輔の舌が、私の舌に触れる。  
まず先っぽをちろちろと触れ、何度かつつくように刺激してくる。  
私の舌が応えるのを確かめてから、裕輔は絡ませるように舌を奥へと差し込んできた。  
しばらく私の口の中で悶えていた裕輔は、今度は私の口の内側をつんつんと刺激していく。  
「んー……んっ――――」  
そのたび、私はちいさなうめき声を上げた。  
くちゅくちゅと唾液が交じり合う音が、耳の奥の方から伝わってくる。  
私は裕輔のされるがままに、深いキスを味わい続けた。  
 
ちゅぽんっ  
 
やがて、大きな音を立てて裕輔の舌が抜かれた。  
「ふぅっ」  
ため息のような彼の息づかいに、私も自分の息が上がっているのに気づく。  
それは鼓動が張り裂けそうなのと同じくらい、自分が興奮しているのを教えてくれた。  
「裕輔さん……」  
私は彼の顔を見ることも出来ず、ぎゅっと胸にしがみついたまま彼の名を呼んだ。  
「うまく出来たかな」  
耳に心地よい低い声が、胸を通して響く。  
「――うん」  
うなずく私を、もう一度裕輔は優しく撫でてくれた。  
 
「裕輔さん」  
「何?」  
ようやく、私は顔をあげる。  
彼の視線を避けるように、耳元に顔を寄せて。  
「……あの、今度は」  
「うん」  
首筋にすがりつくように抱きつく私の背中に、裕輔の手があたる。  
「……今度は、ですね」  
「今度は、何?」  
こんなことを言ったら、いやらしい女の子だと思われないだろうか。  
変な子だと軽蔑されないだろうか。  
私はそんなことばかり考えていた。  
でも、胸のドキドキをおさめるには、言ってしまうしかなかった。  
裕輔の耳たぶに触れるぐらい唇を寄せて、私は勇気を出して囁いた。  
 
「今度は、私が裕輔さんの口に舌を……」  
 
 
「ただいまーっ!」  
突然、玄関が開く音がした。  
熱いやかんに触れたみたいに、私たちはぱっと体を離す。  
飛ぶような速さで、私はもともと座っていた裕輔の対面の席に戻った。  
今までのことをごまかすように、冷め切ったお茶を飲むふり。  
そこに、声の主……お母さんが帰ってきた。  
 
「あら、二人とも帰ってたの? ベル鳴らしたのに……」  
「あ、あれ? そう?」  
心臓がマシンガンみたいにどきどきと鳴った。  
でも、買い物袋をさげたお母さんはそんなことは気にも止めなかった。  
「やーねー薄情な娘は。まあいいわ、今日は那智子の好きなグラタンにするから。  
湯のみ片付けて、手伝ってちょうだい」  
「は、はーい」  
私は裕輔の方を見ないように、二人分の湯飲みを持って流しへと向かう。  
でも、どこかに名残惜しさがあったに違いない。  
私はそっと裕輔の方を盗み見た。  
 
その瞬間、裕輔はすばやくウインクをして見せた。  
 
――うれしい。  
 
安堵のため息をぐっとかみ殺し、私は微笑む。  
そして、お母さんの目を盗んで、そっと裕輔に投げキスをして見せた。  
 
 
4.  
その日から、私と裕輔のスキンシップは日ごとに激しくなっていった。  
 
最初は帰宅後二人でお茶を飲んでるとき、軽くキスをするぐらい。  
最後の最後にちょっと舌をいれるぐらいだった。  
 
そのうち、朝起きて洗面所で二人っきりになったときもするようになった。  
おはよう代わりに軽いキス。  
二人で「ミント臭いね」なんて笑いあいながら、歯磨きしたあとにディープキス。  
いつお父さんやお母さんに見られるかと思いながらするキスは、すごく興奮した。  
裕輔とキスしたあと、何食わぬ顔で親とご飯を食べ、学校に行く。  
私がさっきまでそんなことをしてたなんて、親も先生も友達も知らない。  
それだけで私はどきどきした。  
 
帰ってきたら、もちろんお帰りなさいのキス。  
お母さんは大体夕方まで買い物とか用事でいないから、今度はおおっぴらに。  
玄関で軽く触れ合って、二人で台所でお茶。  
最初は隣に座って、目があったらキスするって感じだったけど、段々大胆になった。  
そのうちお茶なんてどうでもよくなっていた。  
私は裕輔の膝にまたがり、向かい合って抱き合う。  
そのまま飽きるまでずっと――  
舌を絡め、耳たぶを愛撫しあい、首筋をつーっと舐める。  
すぐ耳元で聞こえる互いの荒い息づかい。ぴちゃぴちゃという唾液の音。  
お茶が冷め切って、お母さんが騒々しく帰ってくるまで。  
私たちはキスばかりするようになった。  
 
私たちはそのうち、家の外でもスキンシップをはかるようになった。  
お互い何も言わなくても、顔を寄せ合うだけで何がしたいかは分かるもの。  
私たちのお気に入りの場所は、マンションのエレベーターだった。  
朝、二人揃って家を出る。  
エレベーターに乗り込み、二人きりになった瞬間、私たちは抱き合う。  
かばんを床に投げ出し、腕を絡め、ためらいなく舌を差し入れあう。  
狭いエレベーターいっぱいに、くちゅくちゅと唾液の混じりあう音を響かせる。  
互いに伸ばした舌をくねらせ、舐めあう。  
もしこのエレベーターに監視カメラがついていたら、私たちのしてることは誰かに丸見え。  
そんなことを意識すると、私はたまらなく興奮した。  
やがてエレベーターが止まりドアが開く。  
何気ない顔で二人は外に出る。  
これが、新しい朝の儀式に加わった。  
 
 
そんな風に、半月ほどがたった。  
その日も私ははやる心を抑えながら、家へと急いでいた。  
ドアを開ければ裕輔がいる。  
今日もお母さんが帰ってくるまで、好きなだけ彼を貪ることが出来る。  
駆け出したくなるのを我慢しながら、私はマンションのエレベーターに乗った。  
ドアが開くと、その隙間をすり抜けるようにまっすぐ家のドアへ。  
かばんから鍵を取り出し、馴れた手つきで開ける。  
「ただいまー!」  
ドアが閉まりきらないうちに、私は大声で裕輔を呼んでいた。  
 
「……裕輔さん? いないの?」  
台所は空っぽだった。そこに人のいた形跡はない。  
お母さんはいつものように留守だった。どうせ友達と喫茶店で話しこんでいるんだろう。  
念のため居間を覗く。  
カーテンは閉め切られていて、薄暗かった。  
私は照明のスイッチを手探りで入れると、外の明かりを取り込むためカーテンを開けた。  
窓から見える町は静かで、何事もない平和な午後四時が目の前に広がっている。  
私は改めて耳をすます。  
家はしんと静まり返っていて、遠くから車の走る音が聞こえるほどだった。  
 
「……裕輔さーん?」  
私は恐る恐る、台所の奥、かつては衣裳部屋だった裕輔の自室のドアを開けた。  
細長い部屋は真っ暗で、ほんのわずかにカビの匂いがした。  
私はかばんを台所の椅子に置くと、裕輔の部屋に入っていく。  
「……どこか、出かけたのかな?」  
部屋にはいつも裕輔が大学に行くときに使うかばんが置いてあった。  
壁の洋服かけには、裕輔が最近よく着ているジャケット。  
家に一度戻ったことは間違いない。  
 
私はジャケットをそっと手にとってみた。  
男の人の中でも背が高い方の裕輔は、私と比べれば抜群に大きい。  
そのジャケットも私にはぶかぶかで、ハーフコートみたいに思えた。  
「ふふふ……」  
制服の上から裕輔のジャケットを羽織る。  
腕を伸ばしても、袖口からは私の指先しか見えない。  
 
その瞬間、ふわっと裕輔の匂いがした。  
 
毎日抱きしめられるときに嗅ぐ、あの心地よい、安心できる匂い。  
私は思わず自分の体を抱きしめる。  
裕輔に抱きしめられているような、そんな錯覚を覚える。  
ぺたり、と床に座り込む。  
背中に、裕輔を感じる。  
私をしっかり抱きしめてくれる彼のぬくもりを。  
 
私は、壁際に畳んで積んであった裕輔の布団に体をもたせかけた。  
布団のぬくもりと裕輔の匂いが、私を裕輔に包まれているような気分にしてくれた。  
「裕輔……」  
声に出してみて、私は初めてはっとした。  
裕輔、のあとに私は何を言おうとしてるんだろう。  
「好き」? それとも、何か違う言葉?  
 
違う、と私は心の中でその感情を強く否定した。  
――私はまだ「アイツ」が好き。  
青葉のものになってしまった、あの鈍感で生意気なアイツが。  
夜中に泣いてしまうほど好きだった一年前とは違うけど、でもまだ心が残っている。  
 
じゃあ裕輔は?  
裕輔への感情は、幼なじみのいとこへのもの?  
それとも優しい年上のお兄さんへのもの?  
違う。  
だったら私はあんな風にキスなんてしない。  
あれを私たちは「スキンシップ」と呼んでるけれど、それはとんでもないごまかしだ。  
 
――私は、裕輔と一つになりたいと思ってる。  
 
そう考えると、やはり「裕輔」と呼びかけたあとに続く言葉は……  
 
「裕輔……」  
そのとき、私は初めてずっと我慢していた戒めを解いた。  
裕輔への冒涜だと思ったから、決してやろうとはしなかったこと。  
(裕輔……ごめんね)  
心の中で謝ってから、私はそっと手を内股へと伸ばし始めた。  
ごわごわとした裕輔のジャケットの袖が、セーラー服のスカートの中へ入っていく。  
太ももの内側に当たる、その布地の感覚に私は体を震わせた。  
 
私はまだ一度も「そういうこと」をしたことがなかった。  
だから指先がショーツに触れた瞬間、ためらい、手を止めてしまった。  
直接触るの、怖い。  
私はさっきのジャケットの感覚を思い出した。  
腰を浮かすと、スカートの中に差し入れた自分の腕を、内股に挟む。  
そのまま、腕をわずかに動かしてみた。  
ごわごわしたジャケットが、薄いショーツ越しに私のあそこをこする。  
 
「ふぅんっ……!」  
 
自分でもびっくりするぐらい、簡単に声が出た。  
背中を痺れみたいな快感が駆け上がっていく――初めての快感。  
 
一度知ってしまったら、怖くないと分かってしまったら、もう止めることは出来なかった。  
何度も何度も、ジャケットの袖口を自分の陰部にこすりつける。  
「くぅんっ……ぅぅっ……あんっ……!」  
嬌声をかみ殺しながら、私は飽きることなく腕を上下させた。  
だんだん、腕を動かす速度は早くなり、力は強くなっていく。  
もう私には自分で腕を動かしているという感覚は全くなかった。  
 
裕輔。  
裕輔が私を愛撫してくれている。  
私にはそうとしか思えなかった。  
 
「私も……動くね…………裕輔……」  
 
無意識につぶやくと、私は膝立ちになり、腕の動きにあわせて腰を上下させ始めた。  
「うんっ……ふぐぅっ……んっ……んっ……! ふぅん……!!」  
私はだんだん声を殺すことも出来なくなった。  
頭の中に裕輔の顔が一杯に浮かび、微笑みながら私を快楽へと誘っている――  
そんなイメージに包まれたまま、私は無我夢中で腰を振り続けた。  
 
「裕輔……ゆうすけ……裕輔さん……裕輔さん……!」  
 
顔はほてったように熱くなり、内股がまるで真夏の不快な汗をかいたように濡れていく。  
もう、我慢できなかった。  
もどかしげにショーツをずらすと、むき出しの柔らかな丘に手をあてがう。  
ジャケットの袖越しに、割れ目に沿ってぴったりと指をそえると、小刻みにこすり始める。  
「裕輔さん……裕輔さん……ゆうすけさんっ…………!」  
何度も彼の名を呼ぶ。  
呼ぶたびにしびれるような快感が私を襲った。  
「ゆうすけさん……ゆうすけさん――!」  
 
「……なっちゃん?」  
 
低い声が、私の動きを止めた。  
もちろん声の主は分かっている。  
はあはあと荒い息を吐きながら、私はのろのろと振り返る。  
部屋の扉のところに、彼が立っていた。  
薄暗い部屋の中からでは、彼の表情は分からない。  
でも、きっと驚いているんだろうということは考えなくても分かった。  
 
「ゆう、すけ……さん……おかえり…………なさい……」  
 
頬を上気させながら、私は微笑む。  
裕輔の方を向き直って、ぺたりと座り込む。  
そろそろと両脚を開きながら、私は彼に言った。  
 
「ね――――今日も――きす――しよう?」  
 
 
(続く)  
 
 

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