1.  
私は震えていた。  
布団の中で、ずっと震えていた。  
泣いていたかもしれない。  
 
夜。  
私は押し寄せる後悔と恥ずかしさに、悶えるような思いで一杯だった。  
なんてことしちゃったんだろう。  
私は、なんてことを。  
 
冷静に戻ってみれば、頭がおかしくなったとしか思えない。  
裕輔に、あんなこと言うなんて。  
あんな格好で裕輔の部屋で待っていたなんて。  
誰がどう見たって、あれは私が……。  
 
誘っていたとしか、見えない。  
 
そんなつもりがなかったなんて言ったって、信じてくれないだろう。  
それに私には、もうあのときの話を裕輔の前で蒸し返す勇気も無かった。  
きっと、裕輔は軽蔑したに違いない。  
もちろん、私たちはキスをしあうような仲だった。  
たまにふざけて唇以外の場所にキスもした。  
首筋とか、耳たぶとか。  
それに抱き合ったときに、普通なら触らないような場所に触れちゃうこともあった。  
私の手が裕輔のおなかを撫でたり。  
裕輔が私の後ろに回した手が、私のお尻に触れたり。  
 
でもそれは、いいわけが出来た。  
多分私たち二人とも、心の中でいいわけしながらこんな関係を続けていた。  
「これはいとこ同士のおふざけだ」って。  
実際、私たちは決してキス以上のことをしなかったし、そんなそぶりも見せなかった。  
 
いや。  
いいわけしていたのは私だけだったんだ。  
裕輔は、ずっとおふざけのつもりだった。  
私だけが、「おふざけ以上」のことを望んでいた。  
一人で興奮して一人で盛り上がって……一人で勝手に裕輔のことを「恋人」だと思ってた。  
だけど、裕輔にとって私はやっぱりいとこに過ぎなかった。  
 
私がスカートを捲り上げ、下着をずらし、自分の手で自分を弄りながら彼を待っていた時。  
裕輔は一瞬目をそむけた。  
そしてそれ以後、私の方を決してみることは無かった。  
長い沈黙が流れた。  
私はだんだん、心が冷えていくのを感じた。  
私はとんでもないことをしてしまったって。  
 
「なっちゃん」  
裕輔の声に、私はついに我に返った。  
「僕、出てるから、ちゃんと服を直しなさい。お母さんもうすぐ帰ってくる」  
そう言って裕輔は部屋を出て行った。  
私は一人、裕輔の部屋に残された。  
下着をはきなおし、乱れたスカートを直すとき、私は知らず知らず泣いていた。  
恥ずかしくて。惨めで。  
涙がこぼれて仕方なかった。  
自慰に使った裕輔のジャケットを壁にかけるときなんて、死んでしまいたいぐらいだった。  
私はそっと部屋を出ると、入れ替わるように裕輔さんが部屋に入った。  
後ろで戸が閉まる音がして、それは夕食まで開くことは無かった。  
謝ろうと思った勇気は、戸が閉まる音で打ち砕かれた。  
 
 
私と裕輔は、目を合わせようともしなかった。  
お母さんもお父さんも不思議がり、「喧嘩したの?」と聞いた。  
喧嘩の方がよっぽどマシだったと思う。  
私は勝手に暴走して、裕輔との一線を無理やり飛び越えようとした。  
裕輔は戸惑い、自分の心の扉を閉めた。  
もう、二度と私たちは仲のいいいとこ同士には戻れない。  
キスも出来ない。手も握れない。  
目を合わせて微笑みあうこともない。  
 
いつかは二人の様子がおかしいことに両親も気づくだろう。  
その時裕輔はたぶん秘密を守ってくれる。  
でも。  
それを機会に裕輔は私から遠ざかろうとするかもしれない。  
家を出て下宿するなり、学校の寮に入るなり。  
私はそれを考えると胸が痛んだ。  
こんな状況を招いた自分のバカさ加減に腹が立った。  
もし神様がいるなら、今朝まで時間を巻き戻して欲しい。  
布団の中で体をぎゅっと丸くしながら、私はどれくらい真剣にそう願っただろう。  
でも、神様はいないし、ドラえもんもタイムマシンも現れなかった。  
 
こんな辛いときこそ、裕輔に抱きしめて欲しかった。  
そして、頭を撫でて欲しかった。  
対等な関係でなくたっていい。  
子ども扱いでもいい。私は裕輔に甘えていたい。  
「裕輔――さん」  
でも、私はどう頑張っても、彼の顔をはっきりと思い出せない。  
だんだん記憶がぼやけて、裕輔の顔が頭の中から消えていく。  
そんな錯覚に、私は怖くなった。  
 
「ゆう……すけ……」  
でも、私の部屋の中には、答える声も、支えてくれる腕も、何も無かった。  
何も。  
 
 
ギィッ。  
 
私の部屋の静寂を破る音がした。  
夢うつつの私は、それが何の音なのか分からなかった。  
と、言うより、本当に音がしたのかどうかすら分からなかった。  
風の音か、外の物音。  
あるいは、夢の中で聞いている音なんだろう。  
私はそんな風に思って、布団の中で丸くなっていた。  
 
ゴト。  
 
だから、二つ目の音がしたときも私は身じろぎ一つしなかった。  
外のベランダにおいた植木鉢が転がったような、そんな低く硬い音だった。  
私は相変わらず、ぼんやりとした頭で、後悔と羞恥の間を漂っていた。  
 
ギシッ。  
 
ベッドのきしむ音に、私ははっと目が覚めた。  
これは、夢じゃない。  
何かが私のそばに、いる。  
突然私は恐怖に襲われた。  
あるいはまだ夢を見ているのかもしれない。  
だって私の家には夜、人の部屋に忍び込んでくるものなんていない。  
 
不意に私は友達の青葉に教わった怖い話を思い出した。  
女の子が飼い犬といっしょに留守番をしている。  
両親は出かけていない。  
夜ベッドの中で変な物音がして、女の子は目を覚ます。  
怖くなった女の子は、ベッドのそばに寝ているはずの犬を撫でる。  
犬は女の子の手をなめたので、女の子は安心して寝てしまう。  
次の日の朝。  
女の子が目を覚ますと、飼い犬は殺され、天井からつるされている。  
犬の死骸にメッセージの紙が挟んであって  
「人間だって舐めるんだぜ」……  
 
私は犬なんて飼ってない。  
でも、私の横に大きなものが横たわっている。  
もうはっきりと目を覚ましていた。  
これは、夢なんかじゃない!  
 
 
2.  
 
突然、私の体が抱き寄せられた。  
大きな手が肩をつかみ、隣に横たわるものに引き寄せられる。  
シーツが剥ぎ取られた。  
目の前に、黒い顔のような影が迫っていた。  
 
(……ゆう……すけ…………?)  
その顔は、身間違えようもない。  
裕輔が、私の体の上に覆いかぶさるようにして、そこにいた。  
一瞬、やっぱり私は夢を見ているのだろうか、そんな風に思った。  
でも夢じゃない。  
その証拠に、私の顔に裕輔の吐く息が当たる。  
こんなリアルな夢、十六年生きてきて一度も見たことなかった。  
 
裕輔の顔は、いつもの優しい微笑みを浮かべた顔じゃなかった。  
引き結んだ口は少し青ざめ、目はまるで喧嘩するみたいに私を睨んでいる。  
荒々しい息を収めるかのように、肩が時々震えていた。  
息を小出しにしようと努力しているのか、吐息のたびに鼻がぴくぴくと動いた。  
私は、やっぱり怖くて動けなかった。  
まるで裕輔は見たことのない男の人のようだった。  
 
裕輔の両手が、私の顔をつかむ。  
抵抗しようにも、私の体は恐怖と緊張でぴくりとも動かなかった。  
きっと私の目にはおびえが浮かんでいたに違いない。  
突然裕輔は手の力を緩め、そっと私の頬を撫でた。  
硬い指が、私の頬をそっとなでていき、やがて唇のところで止まる。  
もう一方の手は、私の髪をやさしくかき混ぜている。  
彼が、何を望んでいるのか分かった。  
指にうながされるように、私はそっと口を開く。  
 
そこに、裕輔の口が押し付けられた。  
普段のキスより荒っぽく、普段のキスより熱心に。  
思わず私は小さく呻いた。  
唇を味わっていたのは一瞬だった。裕輔の舌が、いつもより慌ただしく私の唇を割った。  
ねじ込まれた舌に、私も舌を絡める。  
私は嬉しかった。  
熱い彼の舌も、彼の唇もいつもより愛しい。  
今日、今の今まで欲しかったのに与えられなかったもの。  
私は、今、裕輔に抱きしめられてる……  
 
 
気がつけば、私の体の上にぴったりと裕輔の体が寄り添っていた。  
裕輔は私の頭を手でキスしやすいようにそっと支えている。  
そしてもう一方の手で、私の胸元をまさぐっていた。  
もどかしげに私のパジャマを脱がし、破るように開いていく。  
私は乳首の先に、冷たい夜の空気が触れるのを感じた。  
露になった私の胸を、裕輔の片方の手がそっと揉みしだく。  
私は小さく子犬のような声を上げた。  
それは初めて彼から受けた、新鮮な愛撫だった。  
最初は手全体で私の乳房を揉み、次第に搾り出すみたいに乳首へと力を込めていく。  
私は息苦しさを感じて、思わず裕輔の口から逃れた。  
 
裕輔は相変わらず真剣そのもの、といった顔で私を見つめている。  
けれど、手は愛撫を止めようとしない。  
それどころか、両手で私の対の乳房を激しくもみ始めた。  
パジャマを半ば脱がされたまま、私は裕輔が私の胸を弄ぶさまをじっと見ていた。  
胸がどきどきして、時々乳首の先からしびれるような刺激が体の中を走る。  
私の顔をじっと見ていた裕輔は、やがて私の乳首を口に含んだ。  
熱い唾液が私の胸をべたべたと汚していく。  
はじけそうなほど硬くなった乳首を舌先で転がし、ついばむ。  
片方の胸を十分味わうと、今度はもう一方へと移り、また最初に戻る。  
愛撫に合わせて私が淫らな吐息を漏らすようになるまで、彼は私の乳房を吸い続けた。  
 
不意に、体の奥で何かが始まった。  
今日、裕輔の部屋で感じたのと同じ感覚。  
両脚の間から、わきあがり、背骨を貫くような感覚だった。  
私はもじもじと足をすり合わせ、裕輔の体の下で身悶えた。  
「ゆぅ……す……け……」  
私の囁きが聞こえたのか、それとも聞こえなかったのか。  
とにかく、裕輔は不意に愛撫を中断した。  
 
顔の火照りがはっきり分かる。  
それでも裕輔は、まじめそのものの顔で私を見つめていた。  
 
さっと彼の手が私のパジャマのズボンにかかる。  
ゆるいゴムで私の腰にまとわりついているだけのそれは、何の抵抗も示さなかった。  
あっという間に、それは膝のところまで脱がされていた。  
既に太ももに滴っていた私の愛液が、空気に触れてひやりと感じられた。  
(あ……すっごい、濡れてる……)  
私はそんなことを思いながら、膝までずり下ろされたパジャマを自分から脱ぎ捨てた。  
くしゃくしゃに丸まったそれを、足首のひねりでベッドの外へと追い出す。  
 
その間に、裕輔の手は私のショーツにかかっていた。  
滑り込む彼の手。  
太い指が、その場所を確かめるかのように、私の叢をかき分けた。  
「んっ……!」  
初めて私は怖くなった。  
でも、私の声なんか裕輔には聞こえてないようだった。  
彼の指が、私の割れ目を撫でて、その場所はしっかりと確かめている。  
敏感な先に裕輔の指が触れるたび、私は恐怖と期待の混じった声を上げた。  
 
 
それは突然やってきた。  
裕輔はためらいもなく、私のショーツを太ももの半ばまでずらした。  
今度は、私も自分から脱ごうとはしなかった。  
最後の一線を越えようとしている、そのことが一瞬だけ頭をよぎる。  
いいの?  
本当に?  
裕輔と?  
短い単語が電気みたいにぱちっとはじけて、消えた。  
だけど、私には迷う暇すら与えられなかった。  
 
「あっ……い、いたっ――――!」  
突然下半身を襲った痛みに、私は叫びかけ……そして声が出せなくなった。  
裕輔の手が、私の口を塞いでいた。  
彼の腰は、私の腰にぴったりと押し付けられている。  
両脚の間に、今まで感じたことのない、はっきりとした異物感があった。  
それは私を真っ二つにするみたいに、ゴリゴリと私の体に入ってくる。  
あまりの痛みに私は頭を振って、裕輔の手を振り解こうとした。  
けれど、裕輔の力を余りに強く、彼の厚い手が苦痛のうめき声すら押し込めた。  
体を押しのけようと腕を動かそうにも、半ば脱がされたパジャマが自由を奪っていた。  
それでも私は抵抗し続けた。  
 
裕輔の物が、私を裂いていく。  
やがて、私の体が裕輔の腰の動きにあわせて、わずかに浮き上がった。  
体の奥から、何かが私の骨盤に当たるような、コツッという音が聞こえた。  
 
――最後まで、入ったんだ。  
 
私はそれを悟った瞬間、なぜか体中から力が抜けるのを感じた。  
「言い訳は出来ないところにきちゃった」。意味は分からないけど、そんな気分だった。  
裕輔も、私がもう抵抗しないのが分かったのか、手を口から離してくれた。  
彼はしばらく動かなかった。  
きっと、私が破瓜の痛みに慣れるのを待っていたんだと思う。  
その間、彼の手はまたいつもみたいに、私の髪をそっと撫で始めた。  
 
不意に、裕輔の顔が私の耳元に近づいた。  
私は涙を浮かべた目で(気づいていなかったけど、私は痛みで泣いていた)彼を睨む。  
裕輔は一瞬目をそらし、私の頭を抱きすくめた。  
「…………だよ」  
裕輔が、口の中でもごもごと何か呟く。  
抱きすくめられてから、彼が言葉を言い終わるまで、本当に一瞬の出来事だった。  
 
「え……?」  
私が聞きなおそうとした次の瞬間、また痛みが体を走った。  
裕輔が腰を動かす。私の体をビリビリと痛みが走る。  
動きにあわせてコツコツと体の奥から何かが打ち合う音が聞こえた。  
それ以上に激しく、私と裕輔の肉が打ち合い、絡み合う音が部屋に響いた。  
そして、愛液がかき混ぜられるグチュグチュという音も。  
なにより、獣みたいに興奮している裕輔の息も……。  
あまりの痛みに言葉を失った私は、不思議とそんな音を冷静に聞き、記憶していた。  
 
 
どれくらいの間のことだっただろう。  
だんだんと裕輔の息づかいが荒くなり、腰の動きも激しくなっていった。  
ベッドがぎしぎしと悲鳴をあげ、私は早く終わって欲しい、それだけを考えていた。  
 
やがて。  
 
「くっ」という裕輔の短い苦悶の声がして。  
 
私の中に熱いものが一杯に打ち込まれるのを感じ。  
 
それは終わった。  
 
 
力尽きた裕輔は私の体の上でしばらく息を整えていたけれど、それは私も同じだった。  
のろのろと彼の腕が半裸の私を抱きしめた。  
私たちは何も言わず、暗闇の中でじっとしていた。  
 
名残惜しそうに裕輔のものが私から引き抜かれる。  
けれど、じんじんとした痛みはひくことはなく、私は体を動かせなかった。  
初めてのセックスが終わって初めて、裕輔は私の顔を見た。  
眉毛は下がり、目は伏せられている。  
困ったような、申し訳ないような顔。  
私はどんな顔をしていたんだろう。多分呆然としていたんだと思う。  
とにかく自分の体の痛みより裕輔が気になって、彼の顔の隅々まで観察していた。  
 
不意に裕輔が動いた。  
彼の唇が、汗をかいた私の額にそっと触れ、離れた。  
唇が離れるのと同時に、裕輔は立ち上がった。  
暗闇の中で、パンツとズボンをずりあげる衣擦れの音がした。  
そして裕輔は、入ってきたときと同じように気配を消して部屋から出て行った。  
 
 
二人分の汗と、淫靡な臭いが部屋中に立ち込めているのに、しばらくして私は気づいた。  
(明日、消臭剤買って来なきゃ……)  
初体験の後にふさわしくない、そんなことを考えながら、私は手を下半身に伸ばす。  
痛みの元へと指を伸ばし、おずおずと触る。  
恐る恐る触れると、私の「中」からねっとりとしたものが湧き出しているのが分かった。  
私はそれを指に絡め、目の前に持ってくる。  
そこからは嗅いだことのない青臭い臭いと、それに混じってかすかな鉄の臭いがした。  
 
(血……出てるんだ……)  
私はそれをそっと口に含んだ。  
裕輔の味。  
初めての味。  
私はそれをしっかりと記憶に刻んだ。  
 
(このまま履いたら、下着汚れちゃうなぁ……)  
私は立ち上がると、引き出しから生理ナプキンを一つ取り出した。  
そっと部屋を抜け、お手洗いへとむかう。  
下半身は裸のままだった。  
便座に腰掛け、改めて自分の下腹部に視線を落とす。  
私の陰部からわずかに血の混じった精液が垂れてきていた。  
まるで科学の実験結果を見るみたいに、私はその様子をしげしげと見つめる。  
明々とした電灯の下でみると、それは何か滑稽な物体に思えた。  
ふき取ろうかと思ったけど、そうするのは何故か裕輔に悪いような気がした。  
まるで裕輔の精液を汚いものとして扱っているようだったから。  
逃げ出そうとする裕輔の分身を押し留めるように、私はそっとナプキンを当てた。  
そのまま私は部屋に戻ると、パジャマを着なおし、眠りについた。  
 
もう痛みは無かった。  
 
 
3.  
 
次の朝は、相変わらず気まずい空気が流れていた。  
洗面所で会ったとき、裕輔はちょっと会釈しただけですぐ私に場所を譲った。  
朝食のテーブルにも、よそよそしさが漂った。  
お父さんは余り口出ししないと決めたのか、ずっと新聞を見ていた。  
お母さんは私に向かって「いい加減に仲直りしなさいよ」と言っただけだった。  
どうやら原因は私にあると勝手に思い込んでいるらしい。  
もちろん、最初の原因を作ったのは私だ。それは両親が思いもよらない出来事だけど。  
いつもなら二人同時に出て、同時に乗り込むエレベーターも、今日は一人だった。  
両親を心配させないよう裕輔と同時に玄関を出たとたん、私は猛然とダッシュした。  
そして、裕輔が来る前にエレベーターに駆け込む。  
「閉」のスイッチを押し、さっさと一階へ降りた。裕輔も、追ってはこなかった。  
 
――それから、何時間かが経って。  
退屈で特筆することのない学校の一日が終わり、私はまた一人で下校していた。  
学校は適度に慌ただしく、友人たちは青葉を筆頭に適度に騒がしかった。  
だから、学校にいる間私は昨晩起こったことを考えなくてすんだ。  
だけど今、私は一人で歩きながら、昨日の夜のことを思い返している。  
これほど時間がたってしまうと、あれはやっぱり夢だったんじゃないか。  
そんな気がしてくる。  
でも気のせいじゃなかった。  
その証拠に、私の下着の下には確かにナプキンのごわごわとした感触がある。  
朝起きたときと、昼休みのお手洗いで、昨晩の痕跡は全部流れて行ってしまった、はず。  
でも私は何故か怖くて、ナプキンをとることが出来なかった。  
ふとした弾みで下着が汚れてしまい、それにお母さんが気がついて……  
そんな想像をすると、私は直に下着を履く勇気すら出てこなかった。バカバカしいけど。  
 
これから、どうしたらいいんだろう。  
そんなことを思いながら一人上の空で歩く。  
裕輔と私は一線を越えてしまった。  
私はそれを望んでいた、はず。  
私が昼間誘いをかけ、裕輔は夜になってやってきた。  
(そういえばこれって夜這いになるのか……古風だなあ、と私は一瞬思った)  
私は何をされるのかすぐ分かったし、拒まなかった。  
だから後悔しているわけじゃない。  
でも、何か心に引っかかるものがあった――裕輔の気持ちが、よく分からない。  
何より、あの言葉をどう考えたらいいんだろうか、と。  
最後の瞬間私の耳元で囁いた言葉。  
あれは、どういう意味だったのか……。  
結局私の心は、その言葉の解釈にけつまずいて、その先へと進むことが出来ない。  
裕輔のところへ、飛び込んでいけない。  
だから――  
 
「帰りですか、妙高さん」  
 
――この男の登場は、渡りに船とでもいうタイミングだった。  
 
 
「……今日は、静かですね」  
隣で相変わらずの笑顔を見せている望月近衛に、私は黙って頷いた。  
申し訳ないけれど、さすがに今日は元気にもなれない。  
というか、望月の顔を見た瞬間、相談しようと決心して、そのことばかり考えている。  
余計な口は聞いてられないの、OK?  
 
とはいえ、どうたずねたものか。  
「昨日いとことセックスしちゃったんだけどさー」  
とは流石に言えない。差しさわりがあるところが多すぎる。  
問題。上の文章から差しさわりのあるところを挙げよ。  
答え。「昨日」以外全部。  
たぶん望月は私に男性経験があると知っただけでパニックになるに違いない。  
いやしくも神さまとマリアさまに守られた聖マッダレーナ女子の生徒が……  
とはいえ、青葉と「アイツ」が付き合って長いことは望月だって知ってるはずだし。  
最近の高校生が約一年付き合ってやることやってないとは思ってないだろうし。  
あれ、案外平気なのかな。  
 
いやいや。  
望月のことだ。  
かつて好きだった女の子(青葉のことね)は清いお付き合いを続けてると信じてるかも。  
うむ。  
やはり純真な男子の幻想は守ってあげなくては。  
とはいえぶち壊してるのは女であるこっちなんだけど。  
そもそも、望月と私は友達だけど、さすがに女の子から性の相談は出来ない。  
男の方からされても不謹慎だけど、やっぱ男女の友人関係でする話じゃない。  
それに、私の場合相手が相手だ。  
いとこと関係というだけで軽蔑しないとも限らない。  
うーん。  
望月が私に変な幻想を抱いていて、それを木っ端微塵にするのはいいとして。  
やっぱり軽蔑されるのはイヤだ。  
 
……あれ。私何を考えてるんだ? 望月と私ってそんな深い付き合いかな――  
 
「……やっぱり、静かすぎますね、今日」  
恐る恐る声をかけてくれたおかげで、私は自分の生み出した思考の迷宮から救い出された。  
ありがとうアリアドネくん、と私はテーセウスの気分。  
いやむしろ彼がテーセウスで、私はラビリンスから助け出された乙女かしらん。  
ラビリンスに送り込まれる生け贄は清い少年と処女だから、私には資格なしだけど。  
……そんなことはどうでもよくて。  
「悩み事なら聞きますよ」  
そう言ってくれるのを待っていたわけ。  
ずるいな、とは思うけど、望月のそういう空気を読む力に私は甘えっぱなしだ。  
 
「……難しい問題なんだけどね」  
「はい」  
私が言葉を選びながら話始めると、望月はそれを重大事と受け取ったのか、深く頷いた。  
「たとえば、たとえばよ? 望月に好きな女の子がいたとして、ね」  
「ぼ、僕にですか……えっとそれは、あの仮定として……」  
「いいから黙って聞きなさい」  
「はい」  
何故か急にうろたえまくる望月を黙らせると、私はまた言葉を続けた。  
「お互いなんとなく好きかなー、ということは薄々さっしてる関係だとしよう。  
(その瞬間、また望月がうろたえたが、私は眼力で黙らせた)  
その子とある日一緒に遊びにいったとして、その帰りにね。  
突然、『よっていきません?』って言われて、指差す方にラブホがあったら……  
望月どうする」  
 
私の言葉の意味を理解するのに、この少年はかっきり三十秒をかけた。  
「……えっと、多分、行くと思います」  
 
「あー、やっぱ男ってそういう生き物かー」  
私が天を仰ぐのを見て、望月が不意に真剣な顔をした。  
「あの、妙高さん、もしかして変な男に言い寄られてるとか、ストーカーとか……」  
あまりの真剣さに、私はちょっと吹いてしまった。  
「あー違うちがう、そういう深刻な話じゃないから(と私は嘘をついた)、軽く聞いて」  
望月が落ち着きを取り戻すのを待って、私は本当に聞きたいことの核心に迫っていった。  
「じゃあ、まあホテルに行って、そーいうことをしたとしよう」  
「はい」  
望月が神妙に頷いたので、私はちょっと咳払いをした。  
どうも望月が相手だと、余計なことまで喋ってしまいそうで怖い。  
「その女の子を見る目、変わる?」  
望月は黙った。  
今度は理解するのに時間がかかったわけじゃなかった。  
それが証拠に、望月はとっさに何か言おうとして、すぐに黙ったから。  
そして、私を横目で見ながら、しばらくブツブツと小声で呟いていた。  
 
「答えが決まってるなら、さっさと言ってよ」  
「あー、答えをいうのにやぶさかではないのですが」  
あんたはどこの古風な探偵だ、と突っ込みを入れたくなる様子で望月は答えた。  
「妙高さんの性格からして、必ず理由をお聞きになるだろうと」  
「聞くわね」  
望月はさらに困った顔をしかめて見せた。なによ、そんなに言いにくいの?  
 
「その場合、僕を見る目が変わるのではないかということを心配しておりましてその」  
探偵から政治家に転向した望月はごにょごにょと言葉を濁した。  
まあ、問いが問いだから、何を答えても微妙だけど。  
私だって聞きにくいことを望月と見込んで尋ねたのだ。  
そちらも誠意ある回答を聞かせてくれてもいいではないか、と私は数分間熱弁を振るった。  
 
「……じゃあ、答えますけど、女の子に対する気持ちは、多分変わらないと思います」  
「で、『何故』?」  
言いにくいとあらかじめ聞いていたにもかかわらず、私はずばりそれを尋ねた。  
望月は視線をさまよわせたり、横目で私をうかがったり、散々迷った挙句、答えた。  
「たぶんそのころには、僕もその女の子とそういうことをしたい、と思っているからです」  
「……はあ」  
「つまり、ここで一般論に逃げるのは大変卑怯だとは思うのですが、えー。  
男という生き物はそもそも性欲が女性に比べて旺盛である、と言えるのではないかと。  
それは原始時代に男が狩りを受け持っていた名残であるとも、言われますし――  
ドーキンスでしたかは、遺伝子をより広範囲に撒き散らすのが生物の役目であると……。  
まあ利己的遺伝子論はともかく、その、薄々好きになった女の子に対して、ですね。  
そういうことを想像したり、望んだりするのは女性より男性の方が早いわけで。  
そこに女性側から提案があった場合、男としては断ることは出来ないというか……」  
 
「『据え膳食わぬは男の恥』ってヤツ?」  
私の言葉に、望月は黙った。  
「……だから言いたくなかったんです」  
私の方はそんなもんだろう、というつもりで言ったのに、望月は意外なほどしょげていた。  
望月に聞かなくても、半ばあきらめていた。  
まあ、人並みの女の子がさそったら、裕輔ぐらい若い男なら、当然手を出すだろう、と。  
そこに対して深い愛情がなくたって、仕方が……  
 
仕方がない、そう思うととたんに情けなくなった。  
裕輔に私の気持ちを伝えることは、もう出来ないのかもしれない。  
私が、どれだけ裕輔のことを思っているのか、とか。  
単なる肉親でもなくて、単なる好きでもなくて、すごくややこしい気持ちなんだ、とか。  
そんなこと、もう伝わらないかもしれない。  
だって、もう私は裕輔に抱かれてしまったから。  
私は隣に望月がいるのも忘れて、涙を拭こうと、かばんのハンカチを探った。  
 
「でも、そんなことを言ってくれた女の子を、僕なら本当に大事にしますよ」  
「……?」  
望月は私の方を見ずに、そう呟いた。  
「女の子なら、そう言い出すまでにきっとものすごく葛藤があったと思うんです。  
僕が好きになるようなタイプなら、ですが。  
ああ、これは妙高さんの問題にはない勝手な前提条件ですけど。  
でも、それだけ勇気を出して僕にむかって飛び込んできてくれたんだから。  
僕はその子のことを心から好きになると思います。僕もそれにちゃんと応えたいです」  
望月は誰にむかって言っているのか分からないくらい熱心な目で、そう言った。  
言ってから、自分の演説が恥ずかしくなったのか、そっぽを向いて頬をかいてみせた。  
 
「……そんなときに言った男の子の言葉、信じていいと思う?」  
「僕が言ったのなら、信じてください」  
私は笑った。  
望月も笑った。  
たぶんアイツのは照れ笑いだったんだろうけど。  
私は泣き笑いの顔だった。  
そうか。  
信じていいのか。  
 
ようし。  
 
 
4.  
 
そのあと、二週間ほど私と裕輔は気まずい日々を過ごした。  
言葉少なく、触れ合うこともない日々。  
でも私はずっと考えていた。あの時裕輔が囁いた言葉の意味。  
裕輔はこういった。  
 
「僕も、なっちゃんで『ああいうこと』をしてた。ごめん」って。  
 
私をずっと求めてた。  
裕輔は私をそういう目で見ていた。  
ショックで、嫌悪感すら感じる言葉。でもそのあとに裕輔はこう言った。  
 
「好きだよ」  
 
私は信じることにした。  
裕輔の言葉を。裕輔に私の気持ちがまだ通じることを。  
 
 
「おはようございます」  
『憂鬱』な朝が明けたある日、私は洗面所で裕輔に声をかけた。  
びっくりしたように振り返り、出て行こうとする裕輔。  
でも、待ち構えていた私はさっと彼の袖をつかんで引き止めた。  
戸惑う裕輔に、私は告げる。  
 
「……アレ、今朝来ましたから、安心してください」  
そう、月に一度の憂鬱なあれ。  
初めての夜、その心配を欠片も思い浮かべなかった自分に呆れるぐらいだ。  
裕輔もそれを薄々気にしていたのか、一瞬心の底からほっとしたような顔をして。  
それからまた真剣に私を見つめた。  
「……なっちゃん…………ごめん、あの日は……」  
なによ、いまさらゴメンなんて、言わせないんだから。  
私はしょげかえる裕輔の目を覗き込むようにして、きっぱりと宣言した。  
「今度からは、ちゃんとゴム……してくださいね」  
そういって私はさっと彼に背を向けた。  
 
駄目だ。  
顔が火照る。  
こんなこと宣言するなんて、やっぱり変かぁ……?  
ああでも大事なことだもん。  
私バカだけどやっぱり大学は行きたいし、この年で母になるのはまだ覚悟が……。  
なんて。  
頭の中は大パニックになりながら、私は一番大事な言葉を告げた。  
「私も、好きです」  
 
裕輔もパニックになっていたのだろう。  
私の言葉を理解するのにきっかり一分はかかった。  
けれど、答えははっきりしていた。  
私たちはそっと抱きしめあって、ほぼ一ヶ月ぶりのキスをした。  
懐かしくて、たまらない味だった。  
 
(つづく)  
 
 

楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] ECナビでポインと Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!


無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 解約手数料0円【あしたでんき】 海外旅行保険が無料! 海外ホテル